境界線上の飛翼恋離 作:クーゲルシュライバー中尉
武蔵アリアダスト教導院前、橋下階段。
つまりは今朝がた、蛮族系女教師が飛び降りた付近の最下。
通行の邪魔にならない程度に付近を陣取り、用事などがある者を除いた梅組の面々が集っていた。
彼らのうち、まず仕切りのネシンバラが咳払いをしてから面倒臭そうに、
「はい、それじゃあこれから臨時の生徒会兼総長連合会議を始めまーす。議題は"葵君の告白本当に成功させてもいいの?"ということで、……つまり葵君がやらかした場合、僕ら共犯で捕まったりしないよね? っていう前向きな保身なんだけど」
最初から脱線していた。
「おいおい信用ねぇな俺! 大丈夫だって、そん時は全部点蔵のせいにでもすっから!」
「ちょっ──」
「じゃあいっか。はい、あらためて"葵君の告白成功させるゾ会議"始めまーす。とりあえずクロスユナイト君以外で意見どうぞ」
この連中鬼で御座るよ! という今更な嘆きは無視して、それぞれが近場の相手と相談など開始する。そこでまず伊吹が手を挙げ、ネシンバラが指名代わりに軽く会釈を送って合図すると、
「とりあえずトーリが振られた場合、明日の晩は皆でお祝いパーティーとかやることになるだろう。調理部の御広敷もいるし、うちの連中はなんだかんだ料理出来る奴多いから結構豪勢になると予想するが、買い出し自体は今日なので、各自リクエストがあるなら早めに提出するように」
全員、議題放置で一斉に自身の表示枠と向き合い出した。
「待て! 待てぇ──! そりゃ俺だって、これ芸人的にも振られた方が絶対オイシイよなぁ……。とか思ってたけどよ! お前らふざけんなよ!?」
「「お前がふざけんな!」」
突っ込みに対して逆ギレしながら、コクったらそれで誰もが付き合えると思うなよ!? とトーリが煽って、飛び火した三要が逃げたりとしたが、それはいい。それとは別に、彼は伊吹の言動にふと気になる部分を見つけたため、問うてみた。
「あれ……? なぁそれ、俺のコクりが成功した場合どうすんの?」
「Jud.、そん時は皆で寂しく残念会だ。不味い、とかではなく絶妙に美味しくない豆とか。食えなくはないが、可能な限り遠慮したいがために倉庫を圧迫している微妙な味の携帯食などを、ただひたすらモサモサ食らう。うわぁ、あの馬鹿が俺らより先に彼女持ちかよ……とかそんな感じで」
本気の顔だった。
それを聞いて皆は真顔で互いに顔を見合わせてから、無言の一致を果たし、
「「よし、お前ちょっと振られてこい」」
「こ、こいつら一瞬で掌返しやがって! 俺だってそんな晩餐嫌だけどよ!」
「はーい君たち、真剣にやってくださーい」
ネシンバラから注意が入った。しかし彼は彼で議事録のため展開している表示枠の影に、執筆用の
先程まで地団駄踏んでいたトーリはあらためて座り直すと、軽く唸った後で思いついたように掌を叩き、
「なぁ点蔵、オマエ振られた数ならこの中でも随一だろ。ちとなんか言ってみ? 参考にするから」
成る程、と納得が起こる。理由としては、
「……つまり真逆の行動を取れば成功率が上がる、と」
「さ、最低の発想で御座るな貴殿ら!? 自分、別にトーリ殿みたいに変態行動とかしてないで御座るし! ……ただ毎回土壇場で台詞を噛み倒したせいで「ちゅきれしゅ」とか言ってドン引かれたり、知らずに彼氏持ち相手に「貴殿のオトコが好き」とか炸裂させた結果、ひと月ほど両刀属性持ちの御仁に尻を狙われ続けただけであって──。つまり多少の失敗はあれど、自分の行動にはなんら問題が御座らんであろう?」
行動というか忍者の私生活の方が問題ありそうだった。
それはともかく、と彼は懐から微妙に生暖かくなった手帳とペンを差し出し、
「……ひとまず、考えを纏める意味も含めて、相手に対する想いや好きになった理由などを書き出してみるのがよいのでは御座らんかな?」
トーリは、えー、と困ったように気色悪く身をクネらせてからそれを受け取る。そして近く、興味深々でやや前屈みに覗き込んでくる仲間たちや聞き耳を立てている他の生徒たちからの注目を意識して、
「俺の赤裸々な感情を皆の前で生公開とか、そんなん恥ずかしくて上手く言葉に出来ないだろぉ──」
まず、
・顔がかなり好みで、上手く言葉に出来ない。
・釣り銭渡す時にいつもこちらの手を取ってくれて、上手く言葉に出来ない。
・指とか細いし肌もスベスベしてて、上手く言葉に出来ない。
・半眼の視線が俺の背筋を恍惚に震わせて、上手く言葉に出来ない。
・背を向けて歩く度に主張する尻が、思わず俺の獣をステイさせる程エロくて、上手く言葉に出来ない。
・緩めに着たエプロンで少し隠れた、萌え袖って超いいよな。ああ上手く言葉に出来ない。
「んー、それからそれからぁ……」
「多っ!? むしろ普段の言動より達者なくらい上手く言葉に出来てるで御座るよこれ! しかもフェチっぽくて若干キモい!」
「はぁ!? オメェ俺のリビドー舐めんなよ? この程度ただのウォーミングアップだっての。いいかぁ──」
変態が腕捲りして欲望の箇条書きを加速させようとする。
しかしそれとは別に、階段横にいたウルキアガがおもむろに立ち上がっては、前翼をトーリに向けて指し示す動きで、
「待て。──トーリ貴様、日に二度も女教師の乳を揉みしだく重度のオパーイ狂いであろうが! なぜ胸部装甲への言及がない。……貴様、さては臆したか!?」
ざわ……、と動揺の空気が一帯に広がった。仲間たちも、彼らを眺めていた生徒も、通りすがりも。
そうして困惑とともに囁かれるのは、
「この男まさか──ヘタレか」
「胸といえば総長、尻といえば補佐といった具合に派閥戦争が起きる程だというのに……!」
「いや、トーリは余裕で尻に発情出来るし。俺も胸は好きだぞ。だよなぁ智? おい目を逸らして一体どうした智。ほらこっち見て目を合わせろよ智ぉ!」
「こら、しっ、しっ! なんで毎回こっち巻き添えにしようとするんですか、もう!」
浅間がやや赤らんだ顔を背けたまま、掌で追い払う仕草をする。
そうやって構ってくれるからじゃないかなぁ、とか何人かが思うが──そも、この巫女は口ではこう言うが本当に口だけなので、実際に伊吹がネタの矛先から彼女を外すと、構って貰えないストレスから徐々に機嫌は悪く、弓の威力と酒量は増すというわりかし面倒な生き物なのである。
だから需要と供給というか、──つまり皆としては、カラダネタとズドンが自分に襲いかかって来なければそれでいい。互いを生贄として円環とかそんな感じに完結させておくのが一番安全だ。
ウルキアガに指摘を受けたトーリは、深く悩んだ末頷いて、
「──オッパイは、皆違って、皆いい」
一斉に呆れとドン引きが起こった。
どうしてこれが武蔵の総長で生徒会長なのか。そして補佐や特務、役員なのか……。周囲でそんな嘆きを漏らした者もいたが、武蔵だからとしか言いようがない。そして恐らく、呟いた人物も立派に武蔵に染まっている。
トーリは季語のない作品を掲げては満足そうに頷く。が、ひとりその様子を笑い飛ばす者がいた。
喜美だ。
テンション高めな狂人は露骨な失笑を放って注目を集めると、近くにいたアデーレを自身の胸元に引き摺り込み、抱きかかえてから、
「ちょっと愚弟、あんたなに日和ってんの。いい? オパーイに平等なんてあるわけないでしょう!? ねぇ、そうは思わないかしらアデーレ。ほらどうしたのアデーレ!? 遠慮なく個人のオパイ間にある格差について今すぐ述べていいのよアデーレ──!!」
「遠慮なく言いますけど、喜美さん外道ですよこの外道──!」
仕方のないことだ。伊吹が巨乳の浅間をネタにしたなら、今度は貧乳でバランスを取らねばならない。そこに特に意味はない。
「そうは言ってもよぉ姉ちゃん。俺、今朝先生のオッパイ揉んで思ったんだ。──比べちゃいけねぇだろ、って」
トーリが真剣な表情で言う。
大や小、悲しいかな無だってある。しかしそこに貴賎はないのだ。──オッパイは正義なのだ、と。
皆も、至った過程は無視しながら同意を送る。男衆はそれぞれの
そして彼は、けろりとした爽やかな笑みで、
「それに彼女、セメント系っぽいしな。比べたところで先生じゃまるで参考にならねぇ」
「「じゃあなんで揉んだんだよ!」」
皆の突っ込みが入った。
すると喜美が、邪悪な笑みを浮かべて唆すように、
「つまり薄めかつハードってことかしら。それなら手頃な同ジャンル予習しておく? エロゲ知識で経験値稼いだ気になって、本番で爆死とかちょっと愉快すぎるし。……あら奇遇、偉大な姉の腕に素敵なまな板があるわよぉ!」
アデーレが暴れ出した。
「仕込みはバッチリかよ姉ちゃん! でも悪い。俺、コクる身の上だから明日まで綺麗なままでいねぇとだからさ。──今、パイ断ちしてんだ」
思いっきり担任の胸を揉んだ奴が舐めたことを言っていたが、とりあえずコクった後ならヨゴレに戻っても問題はないらしい。
セメントと聞いてふと思いついた伊吹が、面倒臭そうな様子で、
「練習なら、もうそのへんで土下座して床でも揉めばいいんじゃないか? 床も
「じ、自分、今なにか不名誉を投げ付けられませんでしたか!?」
勘のいい貧乳はともかく皆は、もうそれでいくか、とやや飽き気味の調子で頷きを返す。
が、同席しながらも我関せずと株価眺める姿勢を貫いていた筈のシロジロが、彼にしては珍しいことに表示枠を叩き割る勢いで声を荒げ、
「伊吹、貴様この大馬鹿者がっ! 土下座を、舐めるんじゃあ、ない……!!」
ぶちギレだった。
──同時に、
・武蔵:『それは実質、本艦がトーリ様にセクハラ受けていることになるのではないでしょうか。──以上』
今朝の"武蔵"理論でいくなら被害者は"
「すまん、俺が悪かった。トーリ、今のなしな。くたばれ変態」
「勝手に言い出したのはお前だYO!」
進展はないけどねー、とナイトあたりが笑いながら茶々を入れる。
と、それに続いたわけではないだろうが、この場にいる面子とは別の声が降ってきた。
「あら──? 皆、こんな場所でなにをやってますの?」
それは頭上、教導院の校舎入口がある上段の方から来た問いかけの言葉だ。
声の主はネイト・ミトツダイラだった。そして彼女と一緒に、煙管を咥えた猫背気味の中年男がいる。男の名は、武蔵アリアダスト教導院学長──元松平四天王のひとり、酒井・忠次。
+++
新たな人影に対し、伊吹は軽く手を挙げて挨拶とし、トーリの方は声で応えた。
「あれ? 学長先生はいつものことだけど、ネイトも三河降りんの?」
「……私が三河に降りるわけないでしょう? 今回、学長は中央の方まで行くので、権利関係とかの証書が必要でしたのよ」
「昔の仲間に正式に呼び出し食らってるからねぇ。いつもは
なぁ? と気怠そうにしながら中年男はこちら──伊吹に問いかけてくる。それに頷いて、
「Jud.、毎年適当にクソみたいな理由でっち上げて、事後承諾で乗り込んで行ってなぁ……。その度に教皇から嫌味満載の通神文届いて。ソッコで捨てたけど。去年とかもう面倒になって『酒が美味くて最近なんか腰が痛いのでダッちゃんの家行ってきます』とか書いたらあのヒゲ、軽くマジギレしてたっけ」
はっはっは、と
酒井も、どうせ
「お前さん、本気で今日は行かないつもりかい? 俺ぁ別に構わないけど──ダ娘ちゃん、怒るんじゃないかね」
あー……、と言葉を濁す。
伊吹としても、酒井の仲間──の娘の方と会って暴れるのは毎年の習慣に近いものとなっていたし、それゆえあちらも残念程度には思ってくれるかもしれない。しかし、
「……どちらかと言うと、キレるのは鹿角かなぁ。次会ったら殺されそう。まぁ会うにしても、別に今日に限らなくてもいいだろ。──こっち、多分明日の晩は飲んで食って騒ぐだろうから、ならいっそあいつの方から来ればいい。そんな感じで向こう行ったらついでに誘っておいてくれ」
……けどそれで、あの
それはそれとして。Jud.Jud.、と承諾を寄越す酒井に対し、先の問い自体の返事として、
「ただまぁ、今日は──」
そこまで言って、見る。
視線の先にいる馬鹿は、ほえ、と不思議そうにしてこちらに対し首を傾げながら、手元の欲望箇条書きを量産していた。
「……成る程。俺も噂には聞いてたが、この様子じゃマジっぽいな。トーリ、お前さん告白するんだって? ……それで、そんな武蔵史上最も恐ろしいテロの被害者になるのは一体誰なんだい」
手元の作業を止めたトーリは笑みの表情で、
「ホライゾンだよ」
即座の言葉に、先程までの馬鹿騒ぎは鳴りを潜め、沈黙が流れる。
咥えていた煙管から静かに煙を吐き出した酒井が、そうかい、とだけ呟いて、
「……やっぱ、お前さんはそう思うのかい? 言っちゃなんだが、他人の空似かもしれない。否、むしろそっちの方が強いくらいだ。変に期待して、落胆するだけかもしれないぞ?」
「いいんだよ。最初は俺もさ「自分なんかが、今更ホライゾンの近くにいていいのかな」って思ってたけど、この一年、毎日のように後ろ姿とかストーキングして、やっぱあの尻たまんねぇよな見るだけとか拷問かよステイステイ俺ステイとか思い直して、それでやっぱり──」
……おい、これ番屋案件だろう。
思って、周囲を見る。すると気の毒そうな表情で、多分今いいところだから……、と指先を唇に添える仕草を向けられたため、とりあえず黙っておく。
「一緒にいたいなぁ……いてくれねぇかなぁ、ってさ。明日でホライゾンがいなくなって十年目か、って思ったら自然とな? ──好きだなぁって」
おお……! と女衆がやや沸き立つ。
酒井はただ頷きだけ数度作って、
「……ま、頑張れ若人。現役退いたおっさんはこれから昔の仲間と飲んだくれて来るから。──ああ、それで伊吹。多分夜には戻るから、お前さんこっちに来ないんなら、なんか胃に優しいもん作ってタマ子にでも渡しといてくれ」
「はははそうか、くたばれ。……向こうでなにかあったら、とりあえず学長が犠牲になってでも正純だけは無事に帰すようにな」
一応俺の護衛なんだけどなぁ……。とだけ苦笑で愚痴って、手を振りながら猫背の男は遠ざかって行った。
──で、
「ところで愚弟、ちょっとこの姉の天才的な閃きとか聞いてみない? あんたのパイ禁守りながら、薄パイが本当にハードなのかそれとも意外にソフトなのか確認しつつ、誰もが幸せになる方法があるんだけれど」
馬鹿姉の企み顔がこちらを向いていた。
否、馬鹿姉弟が揃ってカモン系の手招きをしており、後に回すだけ面倒にしかならないので、仕方なしに近付いては話を聞く。
その内容は、
「──お前ら、正気か」
そもそもがキチガイだった、と思いながらも、姉弟はこちらに向けた見事なサムズアップとともに悪魔の誘惑を垂れ流す。
「余裕余裕! なんせお前は俺の補佐なんだぜ? なにも出来ねぇ俺と違って、お前なら──なんだって出来るさ」
それ絶対今言う台詞じゃないと思う。
「いいこと、伊吹。これは揉めない愚弟の補佐としての、あんたの役目。なにも恥じることはないわ」
……そうか、成る程。……成る程? 否、言われてみると確かに喜美の言う通りかもしれん。
「そうよ。──つまりお仕事、公務なの。さあ行きなさい!」
仕方ない、仕方ないなぁ。でも仕事だからなぁ。
──行った。
+++
ミトツダイラが、先の会話を聞いて思うのは、
……総長、やはり本当に本気なんですのね。
前に進むつもりなのだろう。否、たとえゆっくりとでも、もう既に進み始めているのかもしれない。
だが差異はあれど、ホライゾンの死を起点として停滞を持っていたのは彼だけではない。
己も、皆も、そして──、
……伊吹、貴方はどうしますの……?
実力としての、成長とか、向上がどうとかではない。トーリのように、単純にホライゾンを引き摺り続けているというのもきっと違う。
どうなのだろう。
ただ、自分たちと一緒にいて、
そこまで思い、想って、やや熱を帯びた憂いの溜め息を吐いて顔を上げると、
──息の掛かりそうな距離に本人がいた。
声が来る。
「──ネイト」
「えっ、は、はい!? なんです、の?」
「Jud.、お前の助けが必要なんだ」
やたら真剣なその様子にこちらは、はぁ、と頷いて、
「別に、今更あらたまらなくても。それくらい構いませんが──」
おお……! と周囲がどよめいた。
その妙な雰囲気に、待ちなさい、と己の内部に停止を掛けて考える。考えた末、
「……お待ちなさい。一体なんのために、私になにを、どうして欲しいんですの?」
一部の連中が顔を逸らした。露骨に舌打ちする者や、口笛を吹いて誤魔化す者もいる。それを見て、
……これは確定ですわね。
また言葉の揚げ足を取ったなにかの罠なのだろうと、その確信を持ったミトツダイラは自身の腰横に手を添えて胸を張り、問い質すように半眼を向ける。相手、伊吹の出方を伺いながらも、場合によっては容赦しませんわよ? と態度で示した。
さて、来るのは一体どんな狂人の理屈なのか、と構えると、
「ああ。──昔、約束とかしただろう? トーリが、トーリ自身の力じゃ出来ないことを、しかし目指そうとした時は──仕方ないから俺たちで助けてやるか、って。細部は秘めておくけど、まぁそういうの」
思考が彼方に吹き飛んだ。
「……覚えて、いますの?」
──ああ。
「人前で言葉にするような中身じゃないしなぁ。だから、お互いあらためて確認とかもなかったが──少なくとも忘れたことはないぞ? それで、いいか。些細なことだがトーリは今、困難に喘いでいる。下手すると、明日の成否にも関わるかもしれない──それで──硬い──確かめ──」
ああ、ああ……!
「もう、それならそうと……。ええ、みなまで言わないで下さいな」
覚えていた。彼はずっと、覚えてくれていた。
それならば、充分だ。まだ、時間は掛かるかもしれないし、たとえ今すぐには無理だとしても、
かつて交わした小さな
だから、自信を込めて言葉を作る。ドヤ顔も今ならいいだろう。感極まって後半ロクに聞いていなかったが、今の歓喜に比べればその程度は些細な問題。
「いいでしょう! それがどのような理由であろうとも、伊吹──貴方が、貴方として本気で立ち上がる気概なら、そのためならばこの私、ネイト・ミトツダイラは──ええ、なんだって致しますわ!!」
「「今なんでもするって言ったぞ!」」
外道どもの雑音も気にしないし聞こえない。なにせ今は世界が輝いているのだから。
「もう駄目ねあれ、オチたわ。即落ちもいいところじゃない。──完全にメスの顔してるもの。ここから見ものね」
「まぁ最初っから攻略済み、みたいなもんだからねぇ。……みとっつぁん、尻尾付いてたらブンブン振り回してる感じだよね、あれ」
魔女がなにか不穏を言っている。流石に経験上そこは聞き流せず、
……いえ、あの、もしかして私、浮かれたあまりなにか致命的なミスを──、
「流石だ、ネイト。そして騎士に二言があろう筈もない。ならばこちらも本気で臨もう」
……二言ありありですのよ──!
制止や訂正を発する前に逃げ道を潰された。
そして正面、間近で見詰めていた筈の彼の顔はそこになく、それを疑問として脳裏に浮かべようとした瞬間、
ピタリ、と──ほのかな熱が来た。
胸に。
「────!!!?」
揉まれたわけじゃない。──顔だ。
こちらの、母などと比べて腹立たしいことに起伏の乏しい胸元に、思いっきり顔面を突っ込まれた。
姿勢としては、幼い子が甘えるようなものに近く、胸に顔を埋めては背に腕を回され、やや力を込めて抱き締められる。
──無論、これはそんな可愛らしいものではない。
というか、
……なぜ、顔……!?
どうしようとか、なぜこんなことに、ではなくまず浮かんだのがこれだった。
揉むのならばまだ解る。否、解りたくないが、とにかく普段のセクハラと大差はない。そもそも父親似──胸の話だ──である自分に揉める程あるのかという現実は無視する。
すると、彼は押し付けたまま目線だけこちらを見上げモゴモゴと、
「義腕ではなく肌でなければ正しくネイトを確かめられない、とかなんかそういう感じのアレに決まっているだろう……!」
逆ギレるなら屁理屈くらい用意して欲しいですの。
思っても、言葉にはならない。正確には、内面にある様々な感情がミキサーされているせいでなにを言うべきか解らない。やはりまずは拳だろうか。
しかし先程までの会話やそれで得た喜びが尾を引いているのか、成敗という気があまり起きず、それどころか、彼が求めているならばまぁ少しくらい……とさえ、熱に浮かされた自分はどこかで思ってしまう。もちろん普段なら殺している。
向こう、こちらが抵抗や反発を思うように行えないのを察してなのか、行為はエスカレートする。顔を横に、耳や頬を押し当て擦り付けて、こちらの鼓動、体温、感触を隅々まで確かめるような動き。それを丁寧に左右しっかりと行われる。
「──ひんっ!?」
思わず声が出た。しかし、仕方ないじゃありませんの、とも思う。
なにせ己はハーフとはいえ人狼なのだ。だから種族的な部分というかこう、狼的に、
……こ、これ、なんだかマーキングみたいで……っ!
本能を揺さぶられる。
なにせ相手は、口には出さないが憎からず想っている、まぁそういうひとだ。臭い付けとか、そんなもの望むところというかむしろさせろといった感じで。
羞恥に染まりながらも、蕩けそうになる表情を自覚して、悦──腰が砕けそうになるのを、抱き締められた体制のままゆえに膝を軽く震えさせるだけで耐え、その際にふと伊吹に向けていた視線が跳ね上がり、
外道どもが見えた。
皆、乗り出した姿勢でガッツリこちらを見ている。セクハラに同情を浮かべている者もいるが、ニヤついた笑みの姉弟や、ネーム描いている女などは特に危険だ。
「「あ、気にせず続けて」」
どうぞどうぞ、と掌を差し出す感じで促された。
さすがにこれは不味い、と気付く。手遅れな気もする。
「あ、えっと……い、伊吹、貴方ちょっといい加減に──」
とりあえず、こちらが被害者なのは事実だ。今後の保身のために、まずはポーズだけでも抵抗しなければと思い、身を離し振り払う動きを作ろうとして、
「ステイっ!」
「ひゃいっ……!?」
抵抗は終わった。
「……調教済み?」
あっ……、という察するような空気が勝手に流れる。
周囲、同情が篭ったいた筈の視線にすら、これただのプレイなのでは? といった不本意極まる疑いの目が。
待ちなさい、と──抗議しようとすると、顔だけ動き回っていた伊吹が一切の挙動を止め、
……あ、あら……?
一体どうしたのだろうか。悲しいかな、巫女や狂人と違い、自分の胸では窒息などは起こらない筈である。
すると停止から再起動した彼は、
「すぅぅぅぅぅぅぅぅぅ──はぁぁぁぁぁぁ……!」
呼吸を開始した。
+++
皆は、人体が空を回るのを見た。
まず最初、茹でた海老よりも真っ赤に染まった顔のミトツダイラが奇声を発しながら、勢いよく跳ね上げた膝を
衝撃で浮いたところに、握った両拳を頭上から振り下ろすダブルスレッジハンマー。
ふ……、というややヤバめ声を漏らしながら伊吹の頭部は地面に叩きつけられ、そのまま反動で起き上がってくると、腹部への打撃によって崩れ落ちた体制と合わさり──処刑待ちとすら思える、顎を上げた綺麗な膝立ちに。
起き上がってくる頭部をバックステップで回避した彼女は、涙目で唇を結んだまま一歩踏み出し、前進の動きとともに勢いつけて後ろ足を前に投げ出し、
──つまり真正面、人狼の脚力で以って、ピンポイントで股間が蹴り上げられた。
三河よりも先に、武蔵で花火が咲いた。
男衆は皆、自身の股間を押さえながら、見ているだけで自分たちにまで届きそうな幻覚の痛みにひたすら震える。
打ち上げられた宙空で回転を繰り返した花火のカス──もとい伊吹は、落下による激突前に姿勢を作り、つま先、膝、両手と順に着地。それを見たシロジロが立ち上がり、
「これは──まさか大車輪土下座……!? だがその程度──否」
尻には、いつの間にか三本の矢が生えていた。
「添え物……だと……? くっ、先程は馬鹿者などと言ってすまなかった。訂正しよう、貴様も立派な
商人が感動の涙を流していた。
そこはどうでもいいが、生えている矢の出処に関しては一箇所しかある筈もなく、皆がおそるおそるそちらを見ると、
「……? どうしたんですか?」
普通だった。普通の表情、普通の言動。焦りも誤魔化しの様子もなく、──ただ手指だけが自動的に矢を放っていた。
断続的に悲鳴を上げる物体に対し、喜美が慌てた仕草で駆け寄り、跪くように屈んでは伊吹を肩に担いで、
「こんなところで死んでは駄目よ伊吹! あんたには、成さねばならない役目っていうものがあるでしょう!? さぁ、立つの──勃ち上がるのよ……!」
ノリノリで茶番を始める狂人。ただひとりその言動に、
「今、なんか語感が……」
呟いた巫女は慌てて口を閉じた。矢は量産を続けている。──背後でハナミが『ヨゴレ』と書かれたゲージ数本を必死に隠蔽していたが、浅間は特には気が付かなかったため、走狗は見事主人の正気を守りきった。健気。
茶番はまだ続いているらしく、喜美によって運ばれながら、わりかし元気な虫の息でトーリの眼前に辿り着いた伊吹に、馬鹿は神妙に頷いて。
「──聞かせてくれ。オマエのやり遂げた『可能』ってやつをよ……!」
応える声は、生命とともに絞り出すようなもので、
「貧なれど、無に非ず。……ちゃんとあったわ。余裕でソフト──!」
おお……! という賞賛と、ないわー、という軽蔑が両方飛ぶ。
しかしまだ序の口である。伊吹の本命はここからで、
「しかもノーブラ……!」
喝采が起きた。
セクハラだけならばただの変態。だが、誰かに夢を齎したならば、それは英雄へと早変わりする。
──野郎にとってだけだが。
「……つまりオッパイは平等に柔らかいんだな!? サンキュー伊吹! これなら俺、明日彼女と向き合っても、見た目に惑わされずありのままのオッパイを信じられるぜ!」
グッ、とガッツポーズで馬鹿が感激を示す。
だが姉の方は、まだよ! と一喝して、
「最後に匂いも堪能したでんしょう!? さぁ、隠さず全部ぶちまけなさい!」
「……薄めの柑橘系、否、あれは香水だ。つまり釣り餌、罠。思い出せ俺、あれはそう、ネイト本来の──お日様の匂いそしてケモ」
大跳躍とストンピングが飛んで来た。
なお、微妙に同族に裏切られた気分のアデーレが実のところ一番死にそうな表情をしていた。
+++
「この! この! 本当にもう、この男は!」
追い打ちで踏まれながらも、伊吹は頑なに親指のサムズアップを止めなかった。義腕ゆえの芸である。
フー、フー、と獣のように息の荒いミトツダイラに対して、にじり寄って来た喜美が彼女の耳元に向け小声で、
「……ところでミトツダイラ? あんたさっきから、この、とか、もう、とは言うけど──嫌とか止めろとかは一度も言わないのねぇ。──で、嫌だったの?」
動きが止まった。数秒後、更に茹で上がった彼女は、プルプル身を震わせながらも目尻を拭い、足蹴にするのを止める。そして捨て台詞のように、
「フンッ! まぁ、大事な約束を覚えていたことに免じて──今回はこれで勘弁してあげますわ! 全くもう……」
表情を隠すようにそっぽを向き──その前に最後に脇腹を蹴った。
「ごふっ……、だが喜べネイト。薄くても揉めるお前は、立派な貧乳……! お前の親父さんと比べたなら、広義の意味でむしろ巨乳……っ!ぶっちゃけ会ったことないから知らんけど、お前の勝ちだ」
赤面から一転して真顔で振り返ったミトツダイラは一瞬、気付いてはいけない何かに疑問を抱きそうになったものの、先程被害を受けた自身の胸に手を添え、なるほどと神妙に数度頷き始めた。
それらを一部始終を眺めていた、と言うか元凶の馬鹿たちは、
「けしかけといてなんだけど、これ両方ともチョロすぎじゃね?」
「フフ、そういうちょっとした隙がある方が、結構ウケがいいのよ? ねぇ、そうなんでしょう浅間!? そういうところも実は嫌じゃないんでしょう? ねぇ浅間──!?」
「あー! あー! 知りません見えません私にはなにも聞こえませんよ──ぅ」
それにしても、と誰かが呟き、
「そりゃ皆モテないよな……」
カラダネタやセクハラ芸は一部の行いだが、それを見てゲラゲラ笑っているのは自分たちである。
──そこに、あ、いえ、と巫女がネタを投じた。
「それがその、今の喜美の言動じゃないんですけど……実は結構──」
と言って目線と一緒に矢を放って直接的に指し示す。
皆は顔を見合わせ、信じ難いといった感じで、
「「
ええ、まぁ。と頷いた浅間はやや早口で、
「いえ、確かに基本的にも応用的にも変態でキチガイなんですけど、全裸であちこちテロするトーリ君と違って、
不自然に早口で捲し立てる浅間を横に、皆が裏切り者を見る表情で伊吹を睨む。だが、復活して起き上がった本人は真剣に不思議そうで、
「いや、待て。……俺、その手の話には本気で覚えがないんだが」
「ハイ出たぁ──! モテ野郎特有の「え? なんだって?」難聴か!? それともその程度モテのうちに入らないってことかぁ──!? ちくしょう、ちくしょう……! おいオマエら、ここに敵がいるぞぉ──!」
馬鹿が鬼の首を取った勢いで指差し非難を始めた。他も他で、粛清のノリでゴミの包装やら空の竹筒やらを投げ付け始める。
それを宥めるように浅間が掌を数度振り、
「ああ大丈夫です大丈夫です。伊吹君、多分本当に知らないので」
えっ、と疑問の声があちこちから上がる。そのまま浅間は、ええ、と前置きしてから続けて、
「──それっぽい予兆が見られた時点で、"武蔵"他各自動人形たちから二十四時間体制の素行チェックが入りますので。まぁ大体は余計なこと考えるより先に諦めるか、そうでなければ軽く病みます」
いやそれ駄目だろ、と突っ込みが来るも、
「大丈夫ですよ? ……うちでちゃんと洗の──あ、いえ、メンタルケアとかしてますし」
今朝といい、なぜ"武蔵"関連の話題はこうもディストピア感を醸し出して来るのだろうか。
思っても、確実に面倒な案件になるので皆口には出さない。
「いや、でもさアサマチ、なんかやけに詳しくない? っていうかこれ、裏で一枚どころか数枚くらい噛んでないかな?」
伺うような疑問の声に対して神道の巫女は、いえいえ、と頬に手を添えながら穏やかに微笑み、
「別にそんなことないですって。それに
────。
「「……ひぃっ!?」」
カーストの暗部を見た。
──伊吹は自発的に白目を剥いて、後半だけは聞かないことに成功していた。