「対人戦を教えてほしい?」
とある日のこと。
いつものごとくラウンジに入り浸っていたアルテラは、後から入室してきたエリナとアリサに詰められていた。何でも、人を相手取った場合に制圧できるように対人戦を教えてもらいたいと言う。しかし、ここで一つ疑問が浮かぶ。
ゴッドイーターが人と格闘はしないだろ、と。
そもそもゴッドイーターは、常人よりも身体能力は遥かに高水準だ。わざわざ教えられなくとも、普通の人が相手なら力押しで何とかなるだろう。
まず前提として、何故それを自分に聞くのか。
とは言え、取り敢えず話だけは聞いてみようと理由を聞いてみるも、「女の子は色々と大変なんです……」といまいち要領を得ない回答をされる。
どうしようかと決めあぐねていると、思わぬところから援軍が加わった。
「もうっ、アルテラさん! エリナさんもアリサさんも、可愛いから男の人に言い寄られることも多いんです! 中には強引に迫ってくる人もいるから、身を守るための手段が欲しいんですよ!」
「……そうなのか?」
確認してみると、視線を逸らして曖昧に頷く二人。そういうことなら理由を誤魔化したのも納得がいく。自分から「可愛くて言い寄られるから自衛手段が欲しい」など言えるやつはそういないだろう。
まあ確かに、エリナもアリサも容姿が優れているからそういったことがあっても不思議ではない。だが彼女たちはゴッドイーターである。手なり足なりを適当にぶちこめば、大抵の人なら何とかなるのではないだろうか。
しかし、そういった場面になると怯えてしまうことがあるのも事実。それに、相手が同じゴッドイーターであったなら、アドバンテージは無いに等しい。
ここでもう一度疑問が浮かぶ。
何故にそれを自分に聞くのかと。
どう考えてもツバキ教官案件な気がする。あの人ならば、鬼のように厳しい教導の対価として相応の益が得られること間違いなしである。鬼のように厳しいけれど。
幸か不幸か、アルテラはツバキ教官に何か指導を受けたわけでもなければ、特別何かを言われたわけでもない。ときたまに挨拶や雑談を交わす間柄である。その為、ツバキ教官の指導を受ける辛さは他人事のように感じている。
ともあれ、餅は餅屋と言う。適任がいるのならば、そちらに任せるのが適切だろう。
「ツバキ教官が適任だと思うが」
「そのツバキ教官に言われたんですよ先輩。『アルテラに聞いてみろ』って」
「凄いですねアルテラ。あのツバキ教官から名指しで指名されるなんて」
――何ですと?
思わぬ返答に、アルテラは高速で思考を回転させる。が、どれだけ思い返してみてもツバキ教官に気に入られるようなことをした覚えがまるでない。
すわ、新手の嫌がらせか!? とまで考えるも、ツバキ教官ならばこんな回りくどい真似をしないだろう。物理的指導に訴えてくる可能性の方が高い。
考えた挙げ句、アルテラはふと一つの名案を思いつく。
二人の話通りなら、相手取るのは野郎で間違いない。対人戦などと言ってはいたが、要するに男を殺傷することなく、尚且つ二度と言い寄ってくることもないように撃退したいということだろう。であるならば、自分でも教えられることが一つだけあったな、と。
「相手は男、ということで間違いないか?」
「……まあ、そうですね」
「……受けてくれるんですか? 頼んでいる此方が言うのもなんですけれど、アルテラが忙しいと言うのなら無理はしないで下さいね」
「いや、大丈夫だ。今日は特に任務は受けていないしな。それに――うん。二人の助けになることなら、そちらの方が大事に決まっている」
「「「…………」」」
笑みを浮かべながら頷くアルテラ。対して二人は、否、ムツミも含めて三人は、どこか落ち着かない様子で視線を漂わせて帽子なり髪なりを弄っていた。
その場を見ていた一人のアナグラ職員は語る。
「なんという恐ろしき天然業。私でなければ見ていられなかった」と。
◇◆◇
ところ変わってトレーニングルーム。
そこには、どこから聞きつけたのか、エリナとアリサだけでなく、ユウやカノン、ヒバリ、更にはムツミやツバキ教官含むアナグラの女性陣が集まっていた。
(なあにこれぇ……)
表情を引き攣らせるアルテラ。女性に囲まれて嬉しい等という気持ちは湧いてこない。ここまで大勢に囲まれると、そこにあるのは圧倒的なまでのプレッシャー。ただひたすらに居心地が悪いだけだった。
一応、ちらほらと面白がって見に来た男性の姿もあるにはあるが、それすら霞んで見えるほど胃が痛い。
おかしい。ただエリナとアリサに少しばかり指導しようと思っていただけなのに、どうしてこうなった。
少数の男性の顔触れの中にコウタが居ることに気が付いたアルテラは、必死なまでの視線で助けを求める。しかし、何を勘違いしたのか、コウタは真剣な表情でこくりと頷いた。
――違う、そうじゃない。
そんな、骨は拾ってやるみたいな頷きを求めていたわけじゃない。ヘルプを、ヘルプをくれ! もう一度視線で訴えてみるも、既にコウタは隣の男性と話し込んで此方を見ていない。
裏切り者! との筋違いな声なき罵声をぶつけると、現実へと目を向けた。溜め息と共に心労を吐き出す。
どうして見世物のようになっているのかは知らないが、やると言った以上はやるだけだ。諦めよう。
「ではサカキ博士、お願いします」
「うん、任せてくれたまえ」
モニターしているサカキ博士にアルテラが声をかけると、黒くモザイクがかかったような人型の物体が現れた。エリナとコウタはなぜだか既視感を感じた。
「ふっ、我ながら完璧な再現だと自負しているよ。 ――これこそがアラガミのダミー技術を流用して創り上げた一分の一スケールのエミール・ダミー君だ! 大体ゴッドイーターと同じ耐久度を誇り、人と同じ急所を有するという自信作さ!」
「エミールェ……」
その場にいる人間の呆れとも感心ともつかぬため息の中、コウタの憐憫の眼差しが向けられた。
このエミール・ダミーは、ゴッドイーターになった際の始めの訓練に使用されるアラガミのダミーの技術を言葉の通り流用し、モデルをエミールとして創られた、言うなればヒューマンダミーだ。
サカキ博士が仕事そっちのけのお遊びで創ったこのダミーは、使い道がないということで封印されていたのだが、この度、めでたく使われることになった。サカキ博士がはしゃいでいるのはその為である。
ちなみにモデルがエミールの理由は、「彼には殴られる役が似合う」という、サカキ博士のどうしようもないほど個人的な考えによるものである。
アルテラは部屋の外やら中やらで見学している暇人共を見渡し、次いでエリナとアリサへと視線を移す。
「では始める」
プレッシャーから目を背けるように意識を真面目モードへと切り替える。静かなる沈黙の中、アルテラの「まず――」という言葉から疑似訓練のようなものは開始された。
「もう一度確認しておくが、ターゲットは男性。これに間違いはないな?」
「はい」
「ええ」
二人が頷いて肯定する。これにより、見学をしに来た暇人達との意識の共有がなされた。
「よし。今から教える対処法は、特別な技術は必要ない。上手くいったなら、それほど力も必要としないだろう。とても簡単な3ステップ、あるいは2ステップだけで十二分の効果が見込める」
どこか胡散臭げなセミナーのような言葉を並び立てるアルテラ。しかし、やたらと真剣な雰囲気がその胡散臭さを打ち消して観衆を引き込んでいた。
「言葉で説明するよりも、実演して見せた方が分かりやすく伝わるだろう。というわけで、このエミール・ダミーを対象に見立てて実演を行う。よく見ておけ」
言うが早いか、エミール・ダミーとの距離を詰めて手が届きそうな距離まで近付いく。そこでエリナとアリサへと振り返り、準備はいいかと問い掛けた。
二人が無言で頷くのを見て取ると、「始める」とのみ端的に開始の合図を告げた。
アルテラは特に構えてはいなく、ただ自然体で立っているだけである。ここから一体どんな行動を起こすのかと全員が注視する。そして――。
「まずは金的!!」
「うぼぁぁあああ!?」
唐突に振り上げた右足がエミール・ダミーの局部へと襲い掛かり、絶大なるダメージを叩き出す! それを示すようにエミール・ダミーは叫び声をあげた。
「ちなみにこの声はキチンと本物のエミール君の声を録音して使用しているよ!」
サカキ博士がいらん情報を付け加えて話す。アルテラはそれを完全に無視して、流れるように左足の回し蹴りをエミール・ダミーの局部へと叩き込んだ。
「次も金的!!」
「がぁぁあああああ!?」
鈍い音の後に絶叫。見ていた女性陣は息を呑み、好奇心で来ていた男性陣は「ひゅ……」と喉の奥から嗄れた音を発して震えあがった。
二撃目を加えたアルテラは、バク転をして距離を取ると、助走をつけて跳躍。全ての運動エネルギーを右足へと一極集中させて、狙うは当然エミール・ダミーの局部である。
「喰らいやがれ……! これがとどめの金的だぁぁああああ!!」
「……あ……が……ぁ……」
最早まともな声すら発することができず、エミール・ダミーは全身を痙攣させて仰向けに倒れる。圧倒的な沈黙が場を支配するなか、エミール・ダミーの震え声が響いた。
「……ほ、誇りは……君に、騎士の誇りは……ないのか……?」
ガタガタと全身を痙攣させて話すエミール・ダミー。ダミーの癖にエミールっぽい、との感想を抱いたアルテラは、倒れ伏すエミール・ダミーへと歩み寄り――。
「……お、おお……分かってくれた――かぁっ!?」
「うるさいダミーだな」
まるでゴミでも見るかのような冷えきった眼差しを向けると、がっ、と躊躇うことなく局部へと一撃を加えた。「ひぇっ……」と男性の掠れ声がこぼれる。エミール・ダミーはそのまま、形を失って消えていった。
「……以上が、二度とその気を起こさせなくする、男への対処法。その名も『呪相・玉天崩』、別名……は知る必要はないか。正直、一撃目だけでも十分な効果は見込めるが、念のため二撃目までは加えておくことをお勧めする。最後の一撃は相手が死にかねないので止めておけ」
『…………』
誰もが変わらず沈黙を保つなか、アルテラは淡々と説明を続ける。
「特別な技術は要らない。ただ正々堂々と不意を打って攻撃しろ。一撃目さえ入れば二撃目は簡単だ。後はそうだな……。 うん。最後になるが……情けをかけるな。慈悲も容赦も必要ない。ただ有らん限りの力と憎しみを込めて――」
びっ、と親指を下に向けると酷薄な笑みを浮かべて告げた。
――潰せ。
『ワァァアアアアア!!』
女性陣から、はちきれんばかりの歓声が上がる。男性陣は顔を青くして、脱兎のごとくその場を逃げ出していった。
(……やっべ……)
途中からスイッチが入ってノリノリになっていたアルテラは、事ここに至り、取り返しのつかないことをしたのでは、と後悔の念を抱いて冷や汗を流した。
◇◆◇
「待て、アルテラ」
「……ツバキ教官?」
騒動後、廊下を歩くアルテラを呼び止める声があった。リンドウの姉であり、鬼教官の呼び声高いツバキである。そのツバキは、どこか面白そうな顔でアルテラへと歩み寄っていた。
「先程のは中々面白い試みだったな?」
「からかわないで下さいよ、教官」
「からかってなどいないさ。見に来ていた暇人共がお前の話に引き込まれていた。煽動の才能があるんじゃないのか?」
「そこは人を率いる才能と言うところではないんですか……」
「ハハハ、似たようなものだ」
ツバキを知る人が――特にリンドウ――が見れば、目を疑うような気安いやり取りが為される。アルテラ自身は割りと普通だと思っているこの関係性は、実のところとても珍しい。
というのも、雨宮ツバキという女性は公私混同を良しとしないからである。今は空き時間なのか、『私』が全面に出ているが、それでもここまで気安く話せる人間など、それこそ家族であるリンドウ位のものである。
アルテラが普通に話せている要因は、偏にツバキの指導を受けていないので、その怖さが他人事と感じていることにある。まあ、受けたところであまり変わらないかもしれないが。
何せこの男からのツバキは、頼りになる歳上の女性という認識である。そしてそれは間違っていない。もしかしたらツバキも、気安く接してくるアルテラに親近感を覚えているのかもしれない。
そのまま廊下で話し込んで少し。そろそろ時間だな、とツバキは時間を確認して呟く。短く別れの挨拶を交わしたツバキは、その去り際に振り返った。
「そうだ。今度は酒でも酌み交わしながら話でもどうだ?」
「構いませんよ」
「なら楽しみにしておこう。それまで精々死ぬなよ、アルテラ」
「ええ、ツバキ教官を悲しませるような真似はしません」
「フッ、寝言は寝て言え。ではな」
「はい、また」
アルテラの胸元に拳を当てると、今度こそツバキを歩き去っていった。残されたアルテラは、拳を当てられた場所が暖かくなったような感覚に笑みをこぼす。
『ごおぁぁぁあ!?』
その余韻をぶち壊すようにどこからか、心なしかハルさんっぽい絶叫がアナグラに響き渡った。
一瞬で笑みが渇いたものへと切り替わる。そんな絶叫を気のせいだと言い聞かせたアルテラは、今日はもう大人しくしていようと自室へと戻っていった。