「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者!」 作:ルシエド
むきむきはキールに問いを投げかける。
そこに
「今はブルーを名乗る『フェリックス』、という人物について聞きたいんです。
あなたが一人の魔法使いとして、魔法を教えた彼のことを」
カズマは敵の事情なんて気にするなと言った。
むきむきはそれが気になってしまうのだと言った。
ここは単純に性格の違いだ。むきむきはどうしても敵のことを気にしてしまう。
だが、こうして敵のことを知り、その上で敵の事情を気にせず戦うことが出来たなら―――その時こそ、自分は"あの"カズマと共に迷いなく戦える。少年はそう考えていた。
「フェリックス……懐かしい名前だ。とても懐かしい。その名をどこで知ったのかな?」
「今彼は、魔王軍に所属し、人の敵になっています」
「―――」
キールはリッチーであるからか、それとも魔法使いとしてのポーカーフェイスを身に付けているからか、本音がいまいち読み取れない。
なのだが、その一瞬だけは、確かな驚愕が見て取れた。
「世間では悪い魔法使いと言われていたあなたが、そこに驚くんですか」
「ああ、驚くとも。私は邪魔者を蹴散らしたが、人の敵になった覚えはないからね」
キールは簡潔に自らの人生を語った。
物のように王に側室として献上され、王にも誰にも愛されず不幸な毎日を送っていたある女性に、かつて一目惚れしたこと。
その女性のために国最高のアークウィザードとなり、褒美として王に願いを捧げる権利を得て、その女性を貰い受けたいと願ったこと。
王の側室を望むなど不敬だ、と死刑を言い渡されたこと。
その後、その女性をさらい、その女性との愛を確かめ合い、国を敵に回して戦ったことを。
その果てに、キールはここに居る。
「……あなたは、良い魔法使いだったんですね」
「これを良い悪いで語るのもどうかと思うがね?
愛のために戦ったなら、良い魔法使いを名乗ってもいいのかもしれないな」
かかか、とキールは笑う。
彼は自分の人生に後悔は無いようだ。
おそらく、長生きにさえ興味がない。
リッチーとなったのは、さらった女性を守るため、その愛を全うするため、という目的しかなかったのだろう。
「さて、そこに至るまでの何を話そうか。彼に魔法の才能がなかったことから話せばいいのかな」
「才能が無い? 熟練の魔法使いに見えましたが……」
「天才も凡才も、修練を積めば同じ熟練の魔法使いさ。
彼は魔法習得に余計なスキルポイントがかかる程度には、凡才だった」
キールは昔を懐かしむように、目を細める。
「自慢ではないが、私には指導の才能もあったようでね」
「知ってます。本にもそう書かれていました」
「逆に彼は、早熟極まりない魔法の才能を持っていた。
簡単に魔法を使えるところまでは早い。
だが、そこから能力が伸びないタイプだった。
ウィザードにはなれても、アークウィザードには中々なれていなかったな」
初期ステータスが低い。レベルが上がってもステータスが低い。苦手分野があるためスキル習得に余計なポイントがかかる。
そういう意味では、ブルーは幸運が低く悪知恵の働かないカズマのような存在であるとも言えた。
「だが、いいやつだったよ。
私は愛に生きたが、彼は正義に生きることもできたのではないかな」
「何故そんな人が、魔王軍に……」
「私だよ」
「……キールさん?」
「私のせいだ。あの時の彼の言葉を、今でも覚えている。
『あなた達の愛を認めない社会なんて間違ってる』。
『あなた達の愛が正しいものだと認められる世界を作る』。
彼は、そう言っていたよ。もう百年ほど前の話になるかな」
"まさか、まだ生き続け戦い続けているとは"と、キールは寂しそうに俯く。
「昔、私は彼に青のローブを贈ったことがある。
師から弟子への、当然の贈り物だ。
だが、彼はたいそう喜んでな……
『信頼と友情の証として、この色を大切にする』
と言って、片時も手放さないほどに、気に入っていた」
百年経った今では、もう形も残っていないだろうがね、と言ってキールは目を覆う。
「君達の話を聞いて、確信したよ。
私にとっては終わった話でも……彼はまだ、あの日の戦いを続けているのだな」
キールは彼らに、キール視点での物語を、キールとブルーととある令嬢の物語を、語り始めた。
■■■■■
フェリックスという名前が嫌いだった。
名前以上に、生まれつきの容姿が嫌いだった。
俺は日本人なのに、ハーフだったせいでこんな名前だ。
しかも生まれつき顔もよろしくないと来た。
俺の最初の半生は、かっこいい名前とかっこ悪い顔のギャップを、周囲に弄られまくった半生だった気がする。
せめて名前か顔か、どっちかでもマシだったなら……なんて考えてたら、交通事故でぽっくり死んでいた。
「美しさをくれ。俺でもまともに生きられる美しさを」
特典の範囲であればなんでもくれると言った女神に、俺はそう願った。
望む顔は手に入り、俺はようやく世界に生まれたような錯覚を得る。
顔さえどうにかなれば、後は上手く行くような気がしていた。
「……んだよ、全ッ然ダメじゃねえか」
だけど、いい顔を持って生まれても、思った通りにはいかなかった。
異性関係は修羅場になって、同性関係は上手くいかない。
俺はいい顔を手に入れて初めて、『自分は性格が良くないのだ』ということを悟った。
そりゃそうだ。
世の中のブサイクの多くは、ブサイクのまま幸せになってる。
親しい奴の顔だけ見て性格を見ない人間なんて、社会全体を見りゃ少数派だ。
俺は単に、そういう人達には遠く及んでなかったってだけ。
問題は顔じゃなく性格にあったんだ。
単に俺が、"俺が好かれないのは顔が悪いからだ"と自分に言い聞かせて、自分の心を守っていただけの話だった。
「……やんなるね」
男娼の真似をすればいくらでも稼げそうだとは思っていた。
女を騙していけば好き勝手生きられる気はしていた。
だけど、そうやって落ちたら、もう戻れない気がした。
俺は一度落ちたら戻れない俺の性格を、死んで生まれてようやく理解できたらしい。
魔法の才能があるとはしゃげていたのも最初だけで、次第に才能の無さに失望させられる。
上げて落とすのとか、本当に辞めて欲しい。
期待した分、それに裏切られるとダメージがデカいんだ。
「今噂の有名な魔法使いが街に来てる?
へえ……情報感謝する。そんじゃま、会いに行ってみるか」
最後のチャンスだと思った。
俺は、その魔法使いに頭を地面にこすりつけて頼み込む。
綺麗なだけで役に立たない顔も、泥で汚して頼み込んだ。
その人は困った顔で、俺の弟子入りを受け入れてくれた。
「私はキール。君の名は?」
「フェリックス。フェリックスです」
「さて、私は弟子を取ったこともないんだが……私なりに、精一杯頑張ってみよう」
自分には何の得もないのに、俺に手を懸ける義理など無いのに、その人はただの哀れみで、俺の面倒を見てくれた。
そこからは、俺の人生が変わった日々だった。
キールの指導は的確で、かつ既存の常識に縛られないものであり、俺は凡人以下の魔法使いから一端の魔法使いになっていた。
俺は魔法だけでなく、家事から雑務から自分にできることを片端からやって、そのたびに師匠の「ありがとう」をいただく。
嬉しかった。
自分が変われたのが嬉しかった。
自分を変えてくれたこの人に感謝されるのが、嬉しかった。
この人に恩を返せるのなら、なんだってしてやろうと思った。
■■■■■
ブルーの魔法で眠らされていたカズマは、ゆっくりと意識を覚醒させる。
そして、自分のズボンを脱がそうとしている淫魔の男と目があった。
「ぎゃっー!」
「暴れんなよ……暴れんなよ……お前のことが好きだったんだよ!」
「やめてくださいお願いしますマジやめて!」
抵抗するが、武器アイテムカード全てを取り上げられていた上、鎖付きの手枷が付けられているせいで逃げ切れない。
「ここどこ!? そしてどうしてこんなことに!?」
「なんで説明する必要があるんですか(正論)」
「そりゃそうかもしれんが問答無用でホモレイプは嫌だー!」
「あのさぁ……」
カズマは口の中を噛み、汚らしいディープキスを仕掛けて来た淫魔の眼球に、血の霧を勢い良く吹きかけた。
「ンアッー!」
「よし!」
心臓が止まりそうな恐怖を、咄嗟の機転で切り抜けるカズマ。
だが逃げる手段はない。これでも所詮時間稼ぎだ。
どうする、どうする、と発想力が頼りの頭脳を動かすが、横合いから発動された魔法が、不意打ち気味にその淫魔の男をどこかへと吹き飛ばしていた。
カズマが囚われた地下牢に、カズマを捕らえたその当人がやって来る。
「しぶとさは一級品だな」
「お、お前は! 童貞ブルー!」
「DTだ、DT」
カズマは身構える。彼を捕らえていた手枷と鎖がじゃらりと鳴った。
ブルーは壁に背を預け、カズマと視線をぶつけ合う。
「今のは、お前の差し金か……?」
「いや、迎撃のために用意したモンスターだ。
幹部シルビアの部下を借りたら、インキュバスとサキュバスだらけになってしまってな」
「おいあれをうちの仲間に当てるつもりかオイ」
「正統派に強いモンスターより時間稼ぎにはなろう」
「あれ? じゃあ俺が襲われたのは……」
「あのホモの好みに合致していただけだろうな。
今日からは毎晩狙われるかもしれんが、ご愁傷様だ」
「おうちにかえりたい」
この日々が一週間は続くという事実に気付いた時、カズマはどんな顔をするのだろうか。
「ホモに掘られるくらいなら、いっそ死にたいんだが」
「殺すのはあまり気が乗らんな。
転生者には、そこまで殺意が湧かんのだ。
あいにく儂が嫌うのは、この世界の人間だけなのだよ」
「おい、そういうカワイソ系過去をチラつかせんのやめろ」
「……」
「こっちは何の事情も把握できないから、同情とかしてやれないぞ」
「……くっ、くくくっ、ははは」
可哀想な過去チラチラ系やイケメンをカズマは嫌っていた。
ブルーはその両方を併せ持っている。
カズマが持つそのバッサリ感に、ブルーは妙な小気味よさを感じていた。
「面白いな、お前は」
(お、これは漫画とかだと敵に気に入られて殺されないパターンだ)
「私の過去に興味は無いのだろう?
だが、過去を詳細に聞けば突破口も見つかるだろうとも考えている。
されども第一に考えているのは保身だな。
お前、今儂と会話しながら、ゴマをすってでも生き残る道を探しているのだろう?」
(あ、これはこっちの内心全部読まれてるパターンだ)
ブルーは不老で外見こそ爽やかイケメンだが、その中身は高レベル相応の高い知力で策謀を巡らすお爺ちゃんだ。
取れる手が限られる状況であれば、カズマも手玉に取られてしまう。
「一週間後までは暇だ、聞きたいことがあれば答えるぞ」
「なんで一週間後なんだ? そこに意味はあるのか?」
「その日が、儂がこの世界に来た日だからだ」
カズマのような若者が今に生きるのとは対称的に、この老人は想い出の中に生きていた。
■■■■■
キールは天才だった。
世間は彼を天才と呼んだが、彼の精神と能力はあまりにも完璧すぎて、俺はそれを天才と呼ぶことさえ過小評価であると思っていた。
とても優しく、とても強く、とても優秀。
もしかしたらあの人にも隠している欠点はあったのかもしれない。
それでも俺には、大魔導師キールが超人にしか見えなかった。
その認識が変えられたのは、ある日の王様の視察だった。
王様が街を進み、その后や側室、付添の貴族が皆にそのきらびやかな姿を見せる。
「フェリックス、帰ろう。やはり私はこういうのに興味が持てない」
「少し何か食べてから帰った方がいいだろ、キール師匠」
「まったく」
俺とキールは街を歩き、見て回し、進み。
運命に導かれるように……彼女を目にした。
出会ったのではない。
キールが、彼女を目にしたのだ。
「あ」
たったの一言。言葉でさえない短い文字の呟き。
だが、その『あ』は、魂を声にして吐き出したかのような響きと、熱があった。
俺はその声に驚き、思わずキールの横顔を見てしまう。
(―――天才が天才でなくなる瞬間を、初めて見た)
初めて見るキールの表情だった。
俺はその時から確信していた。
恋をすれば誰も彼もが普通の人になる。天才キールはここに終わり、もっと別なキールが生まれて来たのだと。
恋をすれば誰も彼もがバカになる。キールはきっと、常に賢い選択をする天才ではなくなり、とてつもないバカもするようになったのだと。
俺は、彼が恋をした瞬間に、確信していた。
この人はもう、人間じゃないものにはならない。
恋がこの人を人間にした。
だからこの人は、人らしい幸せを抱えて、人らしく死んでいくんだと―――俺はそう、信じていた。
■■■■■
同行を申し出て来たキールを連れ、暴走するアクアをむきむきが抱え、地上に出た一行。
そこで待っていたのは、馬車で急行して来ためぐみんとダクネスだった。
「ええ!? カズマくんがさらわれた!?」
「カズマをさらって何の得があるのかしら、何も無いわよね……?」
「アクア、おそらくお前を誘き寄せる人質だ」
「はい? 私はカズマさんを人質に取ったら助けに行く仲だと思われてるの?」
「カズマくんもきっと、相棒のアクアさんの助けを待ってますよ」
「……仕方ないわねえ。最弱職カズマさんは、私が助けてあげないといけないようね!」
ブルーの要求はシンプルだ。
一週間後の再会。
そしてアクアとの対面。
おそらくその後は、戦闘にもなるだろう。
「すまない、むきむき。私はクルセイダーでありながら、仲間を守れなかった」
「いえ、ダクネスのせいじゃありません。
ダクネスが庇ってくれたのに、何もできなかった私の方が……」
「二人の実力は僕も知ってます。
ここは相手が上手だったと思って、気持ちを切り替えましょう。
……カズマくんを、僕らの手で必ず、助け出すんです!」
「……ああ!」
「ですね。やってやりましょう!」
その助けたいという気持ちに、偽りはない。
仲間がさらわれたという結果が、仲間を守れずさらわれてしまったという過程が、結果としてPT全体の結束を強めていた。
「むきむき、ところでその人は誰ですか?
見たところアンデッドのようですが、まさか……」
「ああ、この人は……」
めぐみんとダクネスが、魔法のローブで夕陽の光を遮断しているキールを見て、警戒している。
むきむきはその警戒を解こうとするが、なにやらずっと考え込んでいたゆんゆんが、むきむきに先んじて叫んでいた。
「キールさん。これから一週間、私を弟子にしてください!」
とんでもないことを、叫んでいた。
「ええっ!?」
周りが止めようとするが、ゆんゆんはその制止に一切聞く耳を持たない。
「構わないが、一週間だけとなると厳しくなるよ」
「望むところです!」
ゆんゆんの周りの人間は、ゆんゆんが何を考えてそんなことを言い出したのか、まるで理解できなかった、
その三日後。
「むむ……」
カズマは捕まっているくせに、悶々とした気持ちになっていた。
ダスト達に教えてもらったとあるお店で、毎日のように性欲を解消していたカズマは、店に行けない日が続いたことで微妙に欲求不満になり始めていたのだ。
オナ禁三日目、とも言う。
「……若いな、お前は」
「おい、何か言いたいことがあるならはっきり言ってくれ」
「儂の口から言わせる気か。たわけ」
自由にカズマさんのカズマさんをあれこれできない、見張られている状況。
そもそも彼は根本的に性欲が強い。
カズマは敵地にて、しょうもない苦しみに身を蝕まれるのだった。
ブルーは溜め息を吐く。
「……仕方ないか。サキュバスを一人付けてやる。
見たい夢があるのなら、その女にリクエストしろ」
「!? い、いいのか?」
「身内のサキュバスに食事を提供するだけだ。どういうこともあるまい」
「ブルーさん……!」
カズマは割とどこにでも適応する男だった。
■■■■■
キールが恋した人は、王の妾だった。
愛されもしない。見向きもされない。ゆえに見下され続ける。
実質ただの置物だが、置物の方がまだマシだろう。
少なくとも、王宮にはいじめられている置物など存在しない。
「誘拐するのか、キール」
「そうなるだろうね、結果的に。彼女には悪いことをするかもしれない」
「今より悪くはならないさ」
キールの愛した人は、生きていることが苦痛である毎日を送っていた。
これ以上続けば自殺しかねない、というのが俺とキールの見立てだ。
それでも、国最高と謳われる名誉を捨て、国そのものを敵に回す決意を決めるなど、生半可な覚悟ではない。
俺が心底尊敬する師匠は、愛のためにそれができる最高にかっこいい人だった。
「これより私達は罪人となる。君が付き合う必要は……」
「必要はなくても義理はあるんだよ、師匠」
「……フェリックス」
「俺はようやく、この世界に来た意味を見つけられた気がする」
後悔なんてするはずないと、そう思えた。
「俺がこの世界に来た意味は、きっとあなたを助けるためにあったんだ」
■■■■■
キールの指導は一週間。
この世界においては短いようで長い。
一週間あればレベル1の冒険者が死ぬ気で頑張ることで、レベル10になる可能性がないでもない……といった塩梅が、この世界のバランスである。
そのため、キールの指導はシンプルなものだった。
まず、テレポートで強力なモンスターが居る場所に移動。
そしてリッチースキル、ドレインタッチで弱らせた強いモンスターをゆんゆんに仕留めさせる。
これをゆんゆんの魔力が切れるまで繰り返し、レベルを上げさせた。
「おや? 私はここでまず躓くと思ったんだが……」
「悲しいことに、こういうレベル上げには実家のような安心感を感じるんです……うう……」
「そ、そうか。流石は紅魔族だな……」
ゆんゆんの魔力が切れると、今度はキール自らがモンスターを魔法で狩り始める。
ゆんゆんはここでは見学だ。
沼の魔法で足を取り、足を取った沼を凍らせる。
炎球をゆっくり放ち、そこに雷を撃ち込んでスパークさせる。
氷と炎の魔法を連続で当て、モンスターの体表を脆くする。
キールの魔法の腕は、見ているだけで勉強になるものだった。
「さあ、本日最後の戦いだ。気を張りなさい」
「はい!」
そして一日の最後に、ゆんゆんは日中に自然回復させた魔力だけで、キールの動きを参考にしてモンスターと戦う。
この三段階のローテーションを、ゆんゆんはひたすら繰り返していた。
(レベルも上がった。技術も多少身に付いた。後は気持ちの問題か)
明確には強くなったが、劇的には強くなっていない。
キールの指導であれば強くなれることは確かだが、こんなほんのちょっとの積み上げをしてまで、ゆんゆんがブルーに勝とうとしているのは何故なのか。
「君は何故、私の弟子に勝ちたいのかな?」
キールはカズマ救出が始まる二日前に、彼女にそう問うていた。
「魔法使いとして、あの人は超えなくちゃいけない壁なんです。
その……前から仮想敵というか、一つの目標として設定していたというか……」
「それだけかい?」
「それだけ……でも、ないと思います。
なんだか、放っておけなくて、他人事のように思えなくて……
自分でも、なんでそう思うのかよく分からないんですけど」
ゆんゆんにとってブルーは、明確な敵であり、分かりやすい自分の上位互換であり、紅魔族以外で初めて見た格上のアークウィザードだった。
だが、ブルーを倒そうとする理由は、それだけではない。
もっとあやふやな、ぼんやりとした気持ちがそこにある。
「君の中には、まだ恋にもなっていない気持ちがあるのだな」
「へ? 恋?」
「君の中にあるのは共感と理解。
おそらく君の中には、私達に対しそう思う下地があるのだろうね。
異性への愛と、かけがえのない友への友情。
だから、あのブルーのことも他人事に思えないのさ」
「愛と、友情……?」
ゆんゆんは、キールが言っていることがよく分からない、といった顔をする。
キール達が『三人組』で、それが『魔法使いの物語』でなかったのなら、ゆんゆんもこんな想いは抱かなかったろうに。
「今は分からなくてもいい。
いつかは分かるかもしれないし、分からないかもしれない。
君達は以前、三人で旅をしていたのだろう?
私達も三人だった。私達の間には、愛も友情も信頼もあった」
キールは骨をカタカタと鳴らして、若人を微笑み見守る。
「恋のために戦うも、友のために戦うも、君の自由だ」
かつて、友と女と共に国に逆らった男の教えだった。
「私が国最高のアークウィザードと呼ばれるようになったのは、妻に恋をした後だ。
妻に恋をしていなければ、私がそうなることはなかっただろう。
想うのだ。想い続けるのだ。他人を想えば、それは魔法使いが強くなる原動力になる」
若人の幸せを願う教えだった。
「だが忘れるなかれ。感情に振り回されて判断を誤るのなら、魔法使いに価値など無いのだと」
遺言のような教えだった。
■■■■■
国の追手は、予想以上に苛烈だった。
俺とキールはお嬢さんを守りながら、国のやつらと毎日のようにドンパチやり合う。
勝っても勝っても、終わる気配も何かが変わる気配もない。
日の当たる場所で生きていく未来を、諦めないといけない時が、刻一刻と迫っていた。
役に立たない美しい容姿が、今はただ邪魔なものにしか思えない。
才能の無さを、これほど恨んだこともない。
俺は二人の幸せを願い、二人を守ろうと血反吐を吐くまで頑張ったが、それでもキールの活躍に遠く及ばない貢献しかできなかった。
「ありがとうございます、フェリックスさん。私達のために……」
それでも、キールが惚れた女の人にそう言われれば。
キールがとてもいい人に惚れたのだと、再認識すれば。
二人の美しい愛の形を目にすれば。
ただそれだけで、もうちょっとだけ頑張れそうな気がした。
「俺はキールと貴女を応援する恋のキューピットです。格好つけさせてくださいよ」
「まあ。ふふふ」
正直言って、限界だった。
国の奴らを恨んで、イライラとした気持ちで眠れなかった夜もあった。
「フェリックス、今からでも私達と離れれば……」
「付き合うさ、キール。
あいつらが間違ってて、あなた達が正しいと証明する、その日まで」
それでも、その憎しみや怨みが、俺の中の友情と決意と同じ方向を向いていてくれたから、俺は俺のままで居られた。
「フェリックス。私のただ一人の親友よ。
君が私の弟子であり、友であったことを……誇りに思う」
彼のその友情に応えられるなら、俺は死んでもいいとさえ思えた。
■■■■■
かくして、一週間は経過した。
「来たか。招待状を送ってから来るまでが随分早いな」
「来た、って……むきむき達がか!?」
ここはブルーが用意した簡易ダンジョン。
外側から見れば雑居ビルのようにも見える。
中にカズマが居るがために外からの爆裂魔法は不可能で、中に入ればサキュバスインキュバスのオンパレードが待っている。
更にそれらのモンスターに合わせ、事前に用意していたむきむき対策の状態異常罠も牙を剥く。
そして最上階には、鉄檻に囚われたカズマと、準備万端のブルーが待ち受けるのだ。
「ありがとう、マジでありがとう皆……!
これでホモインキュバスにケツを狙われる日々も終わる……!」
「よくもまあ一週間を乗り切ったものだ」
ちょっと心弱っているカズマにブルーが同情の視線を向けていると、下層の方から淫魔達の壮大な悲鳴の大合唱が聞こえてくる。
「この規模の
悲鳴から攻撃の種別を判断したブルーは、階層を駆け上がってくる侵入者の侵攻スピードから、罠の類も次々突破されていることを悟る。
対むきむき用に用意していた状態異常系の罠も、ダクネスであれば容易に突破可能だ。
悪魔が相手ならアクアの神聖魔法で即消滅、たまに運悪く状態異常の罠がダクネス以外に当たってしまっても、アクアが即座に治癒可能。
RPGでは、ダンジョンを攻略する際、ボスに辿り着くまでHPとMPを温存することが必要になることも多い。
されど、アクアを擁するPTにその必要はない。
MPほぼ無限のアクアが居る限り、HPが尽きるということもないからだ。
ブルーが用意したリソース削りのための仕込みは、そうして全て踏破され、最上階の扉が開かれる。
ブルーとカズマの前に現れたのは、得意気にドヤるアクアの勇姿であった。
「カズマー! 麗しく神聖な私が助けに来てあげたわよ!」
「チェンジ」
「なんでよー!?」
お前一人で居ると罠でも踏みそうだから早く他の奴と合流しろ、とカズマが言う前に、アクアに続いてなだれ込むように皆が来る。
「カズマくん、無事!?」
「カズマ!」
「カズマさん!」
「カズマ!」
「お、お前ら……」
なんだかんだ、皆心配してくれていたのだろう。
口には出さないが、カズマはちょっとジーンとしていた。
目をしばたかせて、ちょっと潤みそうになった目を誤魔化す。
クズ気味なひきこもりハートに、小さな変化が表れていた。
「待ちくたびれたぞ」
ブルーはまずアクアに何かを言おうとしたが、そこでゆんゆんが誰よりも先に前に出る。
「? お前は、何を……」
「我が名はゆんゆん! 上級魔法を操る者、大魔導師キールの弟子が一人!」
「―――」
予想外の場所から、予想外の名前が出てきた。
ブルーの意識が、アクアではなくゆんゆんの方に向く。
不老の老人は、永遠を保証された美しい顔を、何かの感情で強く歪めた。
「そうか。あの人はまだ、あそこに居たのか」
かつて、二人の魔法使いと一人の非魔法使いによる、恋と友情が絡んだ物語があった。
二人の魔法使いと一人の非魔法使いによる、紅魔族の子供達の物語は、今この時にも綴られている。
それゆえこれは、奇縁の対決である。
「付け焼き刃の弟子が、一番弟子たるこの儂に挑むか! 面白い!」
ブルーが杖を構え、ブルーの背後から黒い虎が跳び出してくる。
その姿は黒色の初心者殺し。されど、体に赤く脈打つ線が走っている。
牙も爪も異常に大きい。
むきむきはその歪な姿に、レッドが改造したモンスターと同じものを見た。
「初心者殺し……改造体!」
ブルーに対峙するゆんゆんの援護に、むきむきが入る。
これで二対二だ。
「ゆんゆん、ブルー以外は任せて」
「うん。お願い!」
二人の魔法使いが魔法を撃ち、二体の猛獣がぶつかり合う。
カズマ救出の緒戦が始まった。
■■■■■
女神アクアに会おうとする儂を、レッドが呼び止めた。
「私が言っても聞かないだろうが、命令違反になるぞ」
「構わない。儂はいかなる罰則も覚悟の上だ」
上は慎重に行こうとしている。
時間をかけて幹部を複数人同時にぶつける作戦も立てているらしい。
だが、知ったことではない。儂は儂のやりたいようにやる。
そもそも、幹部など全員我が強いのだ。
魔王か魔王の娘が指揮を執りでもしなければ、絶妙に噛み合わないに決まっている。
「女神に会ってどうするつもりだ」
「……儂にも分からん」
儂は自分が何を言いたいのかも、実はよく分かっていない。
どうせ八つ当たりか何かを言いたいんだろう、と胸の奥の淀みに勝手にあたりをつける。
なんでこんな役に立たない特典を、とでも言えば、この胸の奥の淀みは消えるだろうか。
レッドは改造したての虎の魔獣を、無言で儂によこした。
「連れて行け。餞別だ」
「……礼は言わんぞ」
「前から思っていたが……
『礼は言わんぞ』というセリフは、それ自体礼を言ってるようなものだと思うんだが」
「……」
この男のこういうところが嫌いだ。
儂の前世と比べ物にならないほどに醜悪な顔で、その顔だけで誰からも嫌われそうであるというのに、この魔王軍で人間のまま確かな地位を築いている。
この男は、顔がダメでも人は周囲に認められるのだと証明してきた男。
だから、儂はこの男を直視できない。
これまでも、これからも。
「お前は自分を信じていない。
揺らがない自分の芯がある者は、自分の顔など気にもしない」
「そう、だな」
「お前を信じた者が二人居た。
その二人こそがお前の全てだった。
お前はその二人のためにしか生きられない。
その二人が生きているか死んでいるか分からなくとも。
二人と別れてから、百年という時が経ってしまった今でも」
レッドは、その目で儂の全てを見透かしている。
「容姿で自分を嫌ったお前は。
容姿が優れていれば好かれると思っていたお前は。
自らの外に美しいものを求めたお前は。
顔ではなく、心が美しい者達に打ち倒されるだろう」
それは儂への預言であり、予言であったのかもしれない。
■■■■■
魔法と魔法がぶつかり、爆煙が広がる。
ブルーの姿とゆんゆんの姿が、互いの視界からかき消える。
煙の中から、ブルーはアクアに自分のことを聞く。
「アクア、だったな。儂のことを覚えているか?」
「………………………ええっと、その、お、覚えてるわよ!」
「覚えていなかったか」
「覚えてる覚えてる! えっとね、えっとね……」
ふぅ、と姿を見せぬまま、ブルーは深く息を吐く。
「ああ、安心した。儂はお前に期待されていなかった。
なら儂は、お前の期待を裏切ったわけでもなかったのか」
ブルーは安心し、納得し、そして自分が女神に会って確かめたかったことが"こんなこと"だったことに、自分自身で驚いていた。
「……儂はこんなことを気にしていたのか。全く、笑える話だ」
短い会話をする内に、爆煙が張れる。
紅魔族と転生者、二人のアークウィザードはすぐさま魔法合戦を再開。
完全に互角の戦いを繰り広げていた。
(互角。以前戦ったのが随分前で、その時この少女が低レベルだったとはいえ……)
これが紅魔族と人間の差。
才無き者と才有る者の差。
既に頭が凝り固まった大人と子供の差。
間違えたまま堕ちてしまう人間と、間違えても自分を正せる人間の差。
強さに向かってまっすぐ進んで行けるため、強くなっていくスピードが違う。
(強くなった)
ゆんゆんの背後から改造された初心者殺しが襲いかかるも、むきむきがそれを蹴り飛ばす。
ゆんゆんは彼を信頼して背中を任せ、振り向きもしない。
そうして信頼し合っている男女の姿を見ると、ブルーは自然と思い出してしまう。
「お前達を見ていると、あの二人を思い出す」
キールと、彼が愛した女性のことを。
「何故だろうな……男女も逆で、性格も違うというのに」
彼女がキールの弟子と名乗ったことが、彼の中から想い出と本音を引きずり出していく。
「あの人は一途で、その恋に全てをかけていた。
国最高の称号は伊達じゃなかった。
魔法の才能もあったが、間違いなく恋をしてからの方が輝いていて」
キールのことも。
「あの人は、魔法使いにさらわれた記憶を、ずっと宝物にしていた。
あの人がキールの愛に応えてくれたことが、本当に嬉しかった……」
その妻のことも。
「キールは触れ合うたびに顔を赤くしていた。
お姫様は信頼も友情も愛情も魔法使いに捧げていた。
お姫様は魔法使いの魔法の力に敬意を払い。
魔法使いもお姫様を見下すことなく、魔法以外のよいところに敬意を払い……」
彼はずっと、変わらずに想っている。
ブルーは魔法合戦の影で、カズマ救出に動く二人を見つけていたが、それもわざと見逃した。
■■■■■
後悔していた。
俺は結局、誓いも約束も何も守れなかった。
キールは膨大な魔力でダンジョンを作り、追手を防ぐ防壁と化した。
ひとまずの安全は手に入れた、と言えるかもしれない。
だが、もうキール達がここから出ることはない。
キールは膨大な魔力を得るため、そして愛する人を守るため、重傷を負った自らの体をリッチーに変えてしまった。これではもう、人類の敵としてしか扱われない。
かの王家が面子を潰されたと感じている以上、外に出てしまったら王が代替わりしても刺客を差し向けて来る可能性も高い。
俺達はある意味で勝って、ある意味で負けたんだ。
俺は、この二人に光の下で生きる未来をあげられなかった。
「結婚式?」
「そう、やっていなかったからね」
落ち込んでいた俺に、キールはそう言った。
どうやらさっさとさらってきたため、そういうイベントをやっていなくて、今からやろうと決めたらしい。
俺の心は折れかけていたが、それでも二人の結婚くらいは、心の底から祝福したかった。
「見届けてくれ。君が神父の役だ」
うろ覚えな上、俺の世界流の祝福だったが、そのくらいは大目に見て欲しい。
「健やかなる時も、病める時も。
喜びの時も、悲しみの時も。
富める時も、貧しい時も。
これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け……
死が二人を分かつまで、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」
「誓います」
「誓います」
最後にキールが、自分が魔法を使うために普段使っている指輪を彼女にはめて、彼らは晴れて夫婦となった。
その光景が、とても、とても、とても、美しいと思った。
「結婚、おめでとう」
泣かなかった俺を褒めて欲しい。
不覚にも、死が二人を分かとうとしても一緒に居て欲しいと、そう思ってしまった。
「ここまでありがとうございました、フェリックスさん」
「君には随分と助けられた。ありがとう、フェリックス」
二人に礼を言われると嬉しい。
二人に名前を呼ばれると嬉しい。
いつの間にか俺は、フェリックスという名前が嫌いじゃなくなっていた。
二人にそう言われただけで……へし折れた心が、まだ戦える気がした。
「どんなに時間がかかっても……
二人がお天道様の下で大手を振って歩けるようにしてみせます」
「フェリックス?」
「必ず」
二人を安全なダンジョンの中に残し、俺は地上で戦い始めた。
■■■■■
「美しくないものが嫌いで何が悪い!」
キールの名前を出され、戦いの推移は完全に互角。
ブルーは徐々に熱くなり、キールから全てを聞いたというゆんゆん達との戦いに、次第に冷静さを失っていく。
ゆんゆんがまた何かを言った。
ブルーは感情的に言葉を吐き出す。
「あの日から人類が嫌いで仕方ない。
美しくなかった……あの日、国も王も、何もかもが美しくなかった」
それは、後悔で堕ちた男の情けない自白。
「王の威厳?
王の妾を望むなど傲岸不遜?
国の体裁のため?
ふざけるな!
愛しただけだろう! 人を……人を愛しただけだろう!
それが! 命を狙われ、国を追われるだけの罪になるというのか!?」
強い人間になれなかった男の独白。
「あの二人が何を望んだ!
王の死も、国の崩壊も、世界の征服も望んでいない! ただ……
二人で居られれば、二人で愛し合えれば、二人で暖かな日の下に居られれば、それだけで!」
世界を変えたかった男の叫び。
「……望んだものなんて、それだけだったじゃないか……!」
人の陣営には居られなかった男の憎悪。
「滅べばいいのだ、人間など。
あの二人の愛より美しいものなど、結局この世界には見つからなかった。
あの二人の愛と幸せを許さなかったこの世界も、許されなくていい」
美しくなかった。
「女神に貰ったこの容姿も、結局は、あの二人の愛の美しさには敵わなかった」
美しかった。
「何故、何故、儂は、あの時……」
血を吐くような吐露。
「女神にこんな容姿などではなく、力を望まなかったのだ。
力さえあれば……あの二人を……守れたかもしれないのに……
幸せに……陽の下で幸せに生きる明日を、あげられたかも、しれないのに……」
そして、果てしない後悔。
自分の顔が嫌いだった子供は、この世界に転生し、自分が嫌いな大人になった。
■■■■■
俺は地上に一人出て、戦い続けた。
そして負け続けた。
手段を選ばなくなって、次第に悪党になっていって、それでも俺は何も変えられなかった。
それで当然だったのかもしれない。
俺は結局、どこまでも才能がない一般人。
日本に生まれた凡人で、力を得られたはずのチャンスも、無駄で意味のない美しさを得るために使ってしまったバカ野郎だ。
それで、世界や国が変えられるわけがない。
だが、そんなことで諦めたくなかった。
あの二人の愛は、光の下で祝福されて欲しかった。
モンスターを改造して売りさばいて、その金で武装を整えたりもした。
その国を崩すため、外道な行為にも手を染めた。
王を暗殺しようと動いたことも、一度や二度じゃない。
だが、上手く行かない。
そのたび己の無能さを痛感する。
キール達がダンジョンに篭ったことは有名だったため、俺の行動はキール達とは完全に切り離されて見られていた。
していいこととしてはいけないことの境界が曖昧になっていく。
俺はいつからか、国と社会を壊すために魔王軍の助力を得るようになっていた。
その見返りに、魔王軍にも協力する。そんな関係。
俺がまだブルーと呼ばれていない頃。
レッドの奴を魔王軍に勧誘する、ずっとずっと前のことだ。
腐っていた頃の俺に不老を与え、魔王は言った。
「娘が心配だ。けれども不老のお前が居るなら、安心できる」
魔王は心配症な奴だった。
「長生きして、娘を支えてやってほしい」
その在り方を、美しいと思った。
人の敵が美しく見えて、人がいっそう醜く見えた。
他人が美しく見えれば見えるほど、自分というものが醜く見えた。
美しいものはいいものだ。
俺が美しく生きられないから、なおさらにそう思う。
なのに、何故だろうか。人の美しさと、この美しさが違って見えるのは。
神に望んで貰った顔を、力任せに引き剥がしたくなった。
■■■■■
ゆんゆんとむきむきが戦い、アクアが不運にも部屋に仕掛けられた罠に一人で引っかかっている間に、ダクネスとめぐみんはこっそりカズマ救出に動いていた。
「ダクネス、めぐみ……」
「しっ」
囚われているカズマは、彼ら彼女らの急所である。
「あいつの気が変わってカズマを人質に使ってきたら、こっちは打つ手が無いんですよ」
「そうだな。俺ならそうする」
「……流石クリスのパンツを人質に取った男は違いますね」
まさか"俺ならそうする"と返答されるとは思わなかったのか、めぐみんのカズマを見る目が変わった。
めぐみんはカズマが捕らえられている檻に、外付け形式で付けられている鍵を手に取って見る。
「これは魔力錠ですね。持ち主の魔力でないと壊せない錠です」
「なんだって!? どうすりゃ……」
いいんだ、とカズマが言い切る前に、魔力錠の内部構造が爆裂した。
「なんということでしょう。私の魔力を通したら壊れてしまいました」
「おい」
「私の大魔力の前では繊細なマジックアイテムなんてこんなもんですよ。ダクネス」
「うむ、任せろ」
そして錠にダクネスが指を引っ掛け、力任せにブチンと破壊する。
「よし、出られるぞカズマ!」
(南京錠より頑丈そうな鍵を、素手で……)
中から壊され力任せにひん曲げられた魔力錠を見て、こいつらあかんのではないだろうか、とカズマは思った。
「めぐみんお前、俺を見捨てるとか言ってなかったか」
「ハッタリですよ。あんなの全部嘘に決まってるじゃないですか」
「本音もちょびっとは言ってたろ」
「……」
「おいこら目を合わせろ!」
「こほん」
咳払いで誤魔化し一つ。
「一緒に戦ったりしてる時点で、命は預けてるんです。
そして、カズマの命も預かってるんです。助けるのは当然ですよ」
「……サンキューな」
めぐみんは情の深い女だ。
なんだかんだで、仲間は大切に思っている。
"冒険者は一緒に戦うことで信頼を築く"というめぐみんの言葉は、彼女だけが持つ考えではなく、冒険者達の多くが持つ考え方だ。
それは、"命を預け合う戦場の絆は家族の絆より強くもなる"という地球の軍人も持つ考え方と、どこか似ていた。
「あちらもカタがつきそうだ、とりあえずアクアを助けてから援護に行こう」
ダクネスがそう言い、三人が走る。
脱出するカズマ達を見て、ブルーは杖をそちらに向けた。
魔法を撃とうとした。
本気で撃とうとした。
だが、思いとどまる。
一瞬だけ、ブルーはカズマ達の方を見て、美しいものを見るような目で彼らを見ていた。
■■■■■
もうあの二人の顔も思い出せない。
けれども、その笑顔に覚えた気持ちは忘れていない。
友であると、仲間であると、心から思える者ももう居ない。
俺は、一体何がしたかったのか。
儂は、どこで終わるのだろうか。
■■■■■
彼の終わりは、彼女が運んで来た。
「人間など、滅びて消えてしまえばいい! 美しくないのだから!」
一人の魔法使いが、天才と呼ばれる魔法使いと出会った。天才はある日恋をして
ゆんゆんもまた、天才と呼ばれる魔法使いと出会った。守ってやろうと思える異性と出会った。ゆんゆんもまた天才を見上げ、友情を抱いていた。
因果は応報する。
行動の結果はその者自身に返って来る。
「あなたが!」
ゆんゆんは叫び、彼の中にある矛盾を突きつける。
「あなたが好きだった人達は! その人間だったじゃないですか!」
「―――!」
ブルーは、キール達と仲良くするようには魔王軍に馴染めなかった。
彼が心底惚れ込んだのはキールと彼が愛した女性だけで、魔王軍に美しさを感じることはあっても、それに没頭することはなかった。
彼が魅せられたのは人の愛の美しさ。
人の世の中にこそ、彼が愛したものはあった。
なのに彼は、人を憎んで人の敵になってしまった。
その過程できっと
殺してしまったのだ。
ゆんゆんにそのつもりがなくても、ブルーは目を逸らしていたその事実に気が付き、魔法を制御する心を揺らがせてしまう。
「『ライト・オブ・セイバー』!」
「ら……『ライト・オブ・セイバー』!」
魔法は心で扱うもの。精神力で御するもの。
発動したのは同時でも、しからば魔法に差が生まれる。
完全に制御された少女の光刃は美しく、男の光刃は乱れと斑で美しさの欠片もなかった。
ブルーの脳裏に、レッドの言葉が蘇る。
―――心が美しい者達に打ち倒されるだろう
(傷付いていても、汚れていても、美しく感じるものはある。
美しいということは、誰かに愛され、好かれるということ……)
光刃と光刃が衝突する。
(ああ、美しい。美しく、強い魔法だ。
これほどの魔法使いであれば、あの時のキール達を救えただろうな……)
ブルーの方の光刃に、ヒビが入る。
(……なんだ、簡単な話ではないか)
光刃が砕け、裂け、解けていく。
(あの時、キールに弟子入りしたのが私ではなく、もっと才能のある魔法使いであれば。
この子のような魔法使いであれば。
国の圧力をはねのけ、彼らを光の下で幸せにしてやれたのだ。
なんだ、結局は私が……無才で、無力で、無能だったせいであったか)
ゆんゆんの光刃もまた、刃の形を保てずに、直進するただの光の魔力となる。
(ああ、でも)
それが、男に衝突する。
(―――この魔法でさえ、あの二人の愛の美しさには、及ばないのだな―――)
己が内のものを根こそぎ叩かれる感覚を味わいながら、男は笑っていた。
砕けた杖の破片を握って、仰向けに倒れたまま、ブルーは首を動かす。
傾けた視線の先には、ブルーが心から尊敬する師匠が、全てを投げ打ってもいいと思えたほどの親友が、困ったような顔で微笑んでいた。
「……キール……師匠……」
「私が居ると、君はいつまで経っても本音を口にしないと言われてなぁ。
部屋の外で待たせてもらっていたんだ。
……すまなかった。君の心に気付いてやれなかった。
私達はどうやら、君の優しさに気付かぬままずっと寄りかかってしまっていたようだ」
「……
申し訳なさそうに、キールが頭を下げる。
ブルーは一瞬泣きそうな顔をして、すぐさま懐から取り出したナイフで、自らの心臓を突き刺した。
「! フェリックス……」
「最初から、こうしていればよかったんだ。
お前に詫びる方法なんて、これしかなかった。
価値あるものなんて持たない俺が……
内に美しいものなど何一つとして持ってない俺は……
命くらいしか、あなたにあげられない……これくらいでしか、償えない……」
心臓に刃を突き刺したまま、命を捧げて、フェリックスはキールに頭を下げる。
「何もしてやれなくて、ごめん……」
「違う。そうではない。君がしてくれたことだけが、私達の救いだったんだ」
「ぇ……」
キールはフェリックスの血まみれの手を取り、その目を真っ直ぐに見据える。
「君の『結婚おめでとう』だよ。
君だけが、私達の結婚を祝福してくれた。私達の結婚を喜んでくれた。
それがどれだけ救いとなってくれたことか。私はお前の言葉を忘れない。
誰にも祝福されなかった私達の愛を、ただ一人祝福してくれた。それがお前なんだ」
「……あ」
「お前のおかげで、辛いことがあっても、私達はずっと幸せだった」
まず伝えるべきは、妻の感謝の言葉。
「妻が最後に残した言葉だ。
『最期にお別れを言えなくてごめんなさい。あなたの幸せを、女神様の下で祈っています』と」
「あ……あぁ……」
そして、己の感謝の言葉。
「ありがとう、我が友よ。その美しい百年の友情に、心からの感謝を」
もう何も、思い残すことはなかった。
「少し、疲れた。寝かせてください、師匠」
「ゆっくりおやすみ。我が弟子よ」
「……最後の最後に、こんな……まったく……人が、良すぎる……」
こんな愚かな悪党はもっと無残に救いもなく死ぬべきなのに、と思いながら、ブルーは目を閉じる。キールが取っていたブルーの手から力が抜け、だらりと落ちた。
キールの背中が、泣いていた。
「アクア様、お願いします」
「ええ、任せなさい」
キールが頼み、アクアが応える。
カズマはアクアにフェリックスの蘇生を頼んでみようとしたが、それを口にする前に、むきむきがカズマを手で制する。
黙って首を横に振るむきむきを見て、カズマはそれが無粋であることを理解した。
「神の理を捨て、自らリッチーと成ったアークウィザード、キール。
人の営みを捨て、魔に魂を売ったアークウィザード、フェリックス。
水の女神アクアの名において、あなた達の罪を許します」
人を傷付けたこと。
神の理に逆らう存在となったこと。
人の敵となったこと。
人を殺めるダンジョンを生み出したこと。
全ては死すれば過去のことだ。死ねば皆仏。生前の罪は、輪廻の輪にまでは持ち込まれない。
死した者の罪を許し、次の人生へと送ることもまた、女神の責務である。
「目が覚めると、目の前にエリスという不自然に胸の膨らんだ女神が居るでしょう。
それが愛でも、友情でもいいわ。
全てを忘れていたとしても。
今度は恋仲になれなかったとしても。
今度は親友になれなかったとしても。
それでもあなたが、『再会』を望むのであれば……その女神に願いなさい」
"この人生では上手く行かなかったとしても、次の人生では、きっと"。
それが『転生』というものだ。
「転生の後に、あなた達はきっと巡り会えるでしょう。……いえ、きっとではなく、必ず」
アクアは微笑み、女神のような美しさを見せる。
「次の生でも、お友達とは仲良くね?」
「ええ。巡り会えたなら、必ず」
キールは魔法を唱え、妻の遺骨を呼び寄せる。
『三つの死体』が並び、唯一動く死体はカタカタと骨を鳴らして、笑った。
「感謝します、アクア様。ありがとうございました」
「その素晴らしい想いに祝福を。『セイクリッド・ターンアンデッド』」
光が魔法陣に、魔法陣が力に、力が光になる循環。
三つの死体がかき消えて、魂が輪廻の輪に乗っていく。
アクアは女神としての努めを果たし、キールは安らかな顔で最後の時を迎えた。
「……アクア」
女神らしさを見せ、格好良く決めて、颯爽と帰って来るアクアにカズマが声をかける。
そしてアクアは、ゆんゆんの魔法で凹んだ床に足を引っ掛けて、ずっこけた。
「あだっー!?」
「……どうしてお前はいつもそうなんだ! そこはビシっと決めろよ!」
「だって! だって! 転んじゃったんだから仕方ないじゃない!
どうして転んで痛い目見た上助けに来たカズマに怒られなくちゃならないのよー!」
「ああもう! だがよくやった! 今日の酒代は俺が持ってやる!」
「ほんと!?」
アクアが顔を上げ、転んでぶつけて赤くなったおでこを見せながら、目を爛々と輝かせる。
めぐみんとダクネスは、カズマが助けられた照れ隠しでそう言って奢ろうとしていることを、なんとなく察して苦笑していた。
そしてゆんゆんは、三つの死体が消えた場所を見つめていた。
彼女は何を思うのか。
何を想っているのか。
あの三人の生涯を知った上で、こういう結末になったことに、ゆんゆんはどんな想いを抱えているのか。それを知っていいのは、ゆんゆんだけだ。
むきむきは彼女を、無言で肩の上に抱え上げる。
「わっ」
「帰ろう、ゆんゆん」
「……うん」
むきむきの肩に乗せられて、仲間と一緒に歩く帰り道。
仲間と一緒に見る風景は、ただそれだけで美しかった。
それから数日の後。
むきむきは、クリスに例のネックレスを渡していた。
「クリス先輩は、これがどういうものなのか知ってるんですか?」
「おぼろげにはね。だから危ないから、処分するよう忠告するつもりだったんだ」
「信じます。誰の手にも触れられないよう、処分してください」
クリスはこういうものの処分法をよく知っているとのことで、むきむきはこの危険物の処分をクリスに任せていた。
ちなみに有能タイムが終わっていなかった時のアクアによって、このネックレスは既に封印処理が施されている。大抵のことではどうにかなることはない。
「心って、目の前の相手とはこんなに簡単に移し替えられるのに。
目の前の人の心の深い所を理解するのは、本当に難しいんですね……」
ネックレスを見つめるむきむきの目には、悲しみと虚しさをまぜこぜにしたものが見える。
「そうだよ。心を交換することより、心を繋げる方がずっと難しい」
クリスは少年の肩に手を置いて、優しい声色で語りかけた。
聖母のような笑みに、抱きしめ包み込むような柔らかな雰囲気、優しい声色。
彼女のそれは、人が無自覚に寄りかかってしまう女神のようで。
「でもね。人間って、ずっと昔からそれをやってきたんだよ?」
その言葉の一つ一つが、むきむきの内に染み込んでいく。
「生まれて、繋がって、死んで、生まれ変わって、また繋がって一回り」
生死も、生涯も、転生も、この世界に根ざすルールの一つ。
「迷った時、困った時は私に頼っていいよ。私も君の心の繋がりの一つなんだからね?」
クリスは胸を叩いて、綺麗な笑顔で微笑んだ。
「……その時は、遠慮なく」
むきむきもまた、無邪気な笑顔でそれに応える。
後日ネックレスの行方を知ったアイリスが「四角関係!? きゃーっ!」と変な声を出してベッドで足をパタパタさせていたりもしたが、それはまた別の話。
・フェリックス・キール
カクテル『キール』を考案した人。
・キール
白ワインに少量のカシスのリキュールを加えたカクテル。
カクテル言葉は『最高の巡り合い』。
・グリーンスライム
昔男同士が馬鹿話していた時に話に出た物。
「いつか作って見せてくれ」とキールが気軽に言ったもの。
守られた約束。世界に残ったバカな男の友情の証。