「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者!」   作:ルシエド

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 魔王とかいうベルディア配下のアンデッド軍団全員にターンアンデッド耐性を付けた反則


4-2-2

 むきむきは目を覚まさないまま目を覚まし、むくりと体を起こす。

 体を起こすと、視線の先には女神エリスが居た。

 死んだのか、と一瞬思った。

 死んでいない、とウォルバクの爆裂魔法を食らった瞬間のダメージ量から逆算し確信する。

 ならば気絶したことで――寝たことで――ここに来てしまったのだろうと、少年は推察する。

 

「大丈夫ですか?」

 

「……エリス様」

 

「今、魔法をかけます。

 本来なら、死んだ人が蘇生される時により完璧に体を治す過程ですが……

 爆裂魔法のダメージは深刻です。焼け石に水でも、しておいた方がいいでしょう」

 

「はい。ありがとうございます」

 

 死に至る傷はその人間の体以外も傷付ける。下界で蘇生魔法を一回かけるだけでは、死に至った傷を完治させることもできない。

 ましてや爆裂魔法は、霊魂さえも粉砕する最強の一撃だ。

 ウォルバク、つまり本物の神が放ったそれは、むきむきに限りなく即死に近いダメージを与えていた。

 こうしてエリスが夢を通してむきむきの"体の中身"に回復魔法をかけてくれていなければ、綺麗に蘇生したとしても、すぐさま激しい戦闘に復帰するのは難しかったかもしれない。

 

「あの、僕が倒されてからどうなりましたか?」

 

「カズマさんがあなた達を抱えてテレポートしました。

 屋敷にテレポートして、先輩がまずあなたを治療。

 カズマさんはギルドに連絡に走って、アクセルの街は警戒状態になったようですね」

 

「おお、流石カズマくん」

 

「器用になりましたね、彼も。

 流石にテレポートを使うのに安物のマナタイトを使ってしまったようですが……」

 

 ダクネス、めぐみんは一芸特化。

 アクアは使いこなせてはいないものの多芸特化。

 ゆんゆんは最上位の後衛、むきむきは最上位の前衛。

 それらの潤滑油、あるいは繋ぎとして、多芸となったカズマは最適な存在であると言えた。

 テレポートなどを使える今、カズマは本格的に魔王軍の脅威になってきたと言えるだろう。

 ポケモンで言えばひでんマシンの技だけをわんさか覚えているタイプである。

 

「街は少し騒ぎになっています。悪魔と魔王軍幹部の襲来となれば、それもそうでしょうね」

 

「まだ街も完全に直ってないのに……」

 

 先日ハンスがアクセルの街のど真ん中で暴れたばかりだ。

 街中でハンスがあまり動き回らず、吐き出した毒も綺麗に対処されたため、毒による汚染は街郊外の汚染と一緒にアクアに浄化された。が、それでも潰された家屋などはある。

 ハンスの行動の結果最終的な死者はゼロだったものの、ハンスはデカいシールを床に貼って変に剥がし、シールの剥がし跡を残すような面倒な傷跡を街に残していった。

 死んだ後まで面倒臭い敵だ。

 

「お願いします、むきむきさん。あの悪魔達は生かして返さず、容赦なく潰してください」

 

「エリス様って悪魔のことになると急に早口になりますよね」

 

 早口で、しかも物騒になる。

 

「むきむきさん、仮想敵はどのくらいを想定していますか?」

 

「え? ええと、上級悪魔が二体居ましたね。

 後はホーストにウォルバクさん。居るとしたら後数体の悪魔……でしょうか」

 

「いいえ、違います。ウォルバクは配下の悪魔軍団を連れて来ているんです」

 

「!」

 

「邪神の墓の封印を解いた時、多くの悪魔を見ましたよね?

 邪神ウォルバクは多くの悪魔を従えているんです。それこそ、山のように」

 

「あの、空を埋め尽くした悪魔と同じくらいですか……?」

 

「あれほどには多くありません。ですが質は上ではないかと……」

 

 二度目のウォルバクの封印解除時、封印の中からは多くの悪魔が飛び出して来た。

 あの時は紅魔の里のアークウィザード集団というバカみたいな火力があったからどうにかなったものの、アクセルではそうはいくまい。

 流石に対処に困る数と質だ。

 

 本来ならこの悪魔のことは、襲撃直前まで発覚しないはずだったのだろう。

 だが、ホーストが仲間を見捨てられずに飛び出して来て、ウォルバクもホーストを見捨てられずに参戦してしまった。

 それでも隠し通していた悪魔軍団のことも、これをきっかけにエリスが把握してしまった。

 ウォルバクはもう、奇襲で手早くちょむすけをさらうということはできないだろう。

 どこかで大きな衝突が起こることになるはずだ。

 

「奴らの目的は……めぐみんのちょむすけ、ですね」

 

「無理だと感じたら、差し出してしまうことも考えてください。

 むきむきさんの命も、他の皆さんの命も、それぞれ一つずつしかないのですから」

 

「忠告ありがとうございます、エリス様。でもそれはできません。

 撃てなかった結果としてちょむすけを奪われてしまったら、めぐみんきっと落ち込みますから」

 

「……」

 

「めぐみんが撃てず、勝ち目もなかったら、本気で逃げるしかないかもですね、はは」

 

 勝利条件を整理する。

 むきむきの勝利条件はウォルバクとその配下の撃退、及びちょむすけの守護。

 ウォルバク達はその逆だ。ウォルバクが倒されず、ちょむすけを奪えれば勝ちとなる。

 焦点はちょむすけにあった。

 魔王軍と言えば人間を殺して給料を貰っているサラリーマンのようなものだが、今回に限って彼らの業務目標は殺人ではないのだ。

 

「街の外で戦います。街中じゃ上級魔法も爆裂魔法も使いづらいですから」

 

「めぐみんさんは、撃てそうですか?」

 

「撃てません。今のままなら、きっと」

 

 そして、ちょむすけがこの戦いの中心であるということは、めぐみんもこの戦いの中心に限りなく近い位置に居るということだ。

 ちょむすけの飼い主として、そしてウォルバクに唯一対抗できる爆裂魔法使いとして、めぐみんの果たすべき役割は大きかった。

 なのに、むきむきはめぐみんが"今は"撃てないと断言する。

 先の戦いでもそうだ。カズマは信頼した。むきむきは理解していた。

 だからむきむきは、撃たなくていいと彼女に叫んだのだ。

 

 あの時のめぐみんには何を言っても、最終的には撃てないということが分かっていたから。

 「撃て」と言っても、それはめぐみんの後の罪悪感を増大させてしまうと分かっていたから。

 

「でも、めぐみんはきっと間違えません。

 軽い気持ちで撃って後悔することもありません。

 何も選ばないまま全部終わってしまうこともありません。

 最後には、きっと……いや、必ず、めぐみんらしい答えを出してくれます」

 

 もうそろそろ、むきむきとめぐみんの付き合いも十年になる。

 

「手助けは、ほんのちょっとだけでいいはずです」

 

 エリスは何か助言をしてやるつもりでいた。

 答えが出せない時、答えを間違えそうな時、助言をやるのも女神の役目だと思っていたから。

 されど彼女は何の助言も口にしない。

 その必要がないということを、この会話から理解したからだ。

 

「私が何かを言う必要は無さそうですね。ただ、最後に一つだけ助言をさせてください」

 

「助言ですか?」

 

「あなたがこの世界に生を受けてから、もう十数年の時が経ちました。

 その異常発達した肉体と魂が馴染み始める頃でしょう。そうすれば、『次』に行けます」

 

「次?」

 

「私もどうなるか分かりません。ですが、悪いことではないと思います」

 

「何かが起こるということでしょうか?」

 

「はい、何かが起こります。……きっと、いいことが起こりますよ、むきむきさん」

 

 エリスも何が起こるかは分かっていないようだ。

 だが、幸運の女神にこう言われると、なんとなくいいことしか起こらない気がしてくるから不思議なものである。

 ウインクする女神様を見ていると、幸運な『次』が来てくれることを信じる勇気が湧いてくる。

 女神エリスは、微笑み一つで人の心を安定させるような女性であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 悪魔が来るぞ、との知らせを聞き、アクセルの冒険者ダストとキースはフル装備でギルドの一角に居た。

 女悪魔はだいたいエロい格好をしている。

 それに特に理由はないと言われている。

 それが女悪魔だからだ、それ以外に理由はない、と言われている。

 女悪魔のエロい格好を思い出しながら、ダストとキースは続報が来るまでくだらない話題で駄弁っていた。

 

「水着ってエロいよな」

 

「ああ」

 

「あれ呼び方が実質違うだけでブラとパンツだよな」

 

「ああ」

 

「女悪魔とか皆水着みたいな服しか着てないよな」

 

「ああ」

 

 何故テイラーPTはエロガキのようなバカが二人も居るのにまっとうに動いているのか。

 何故リーンは美少女なのにこの二人の毒牙にかかっていないのか。

 PTの外側から見ていると、それなりに謎な事柄だった。

 

「ほら、水着着てる娘がパーカーとか羽織ってるだろ? あれエロいよな」

 

「超分かるわ」

 

「ダストも分かるか。ちょっと恥ずかしがってて前しめてて、それ開ける時のエロさヤバい」

 

「もっと普及してもいいなあれ」

 

「俺が思うにな、水着の上に何か着てるからなんだ。

 パーカーという『服』が、水着を下着のように見せてくれるんだ」

 

「キース、お前……天才かよ」

 

「パーカーの前を開ける姿が、服を脱いで下着を見せる時と同義になる。

 添えられたパーカーが、水着の下着感を強調する。いいよな……」

 

「いい……」

 

 サキュバス風俗に頻繁に通っている男の脳内など、こんなものである。

 

「ああ、海行きてえなあダスト。俺らも女が居るPTなのにな」

 

「リーンは胸とか色々足りないだろ……」

 

「お前また後でリーンに九割殺しされそうなことを」

 

「後腐れなくヤれて面倒がない巨乳美女とか海でのナンパで引っ掛けられねえかなあ」

 

「うわー、ダストそれは俺も引くわー」

 

「可愛くて巨乳な娘とはヤリたいが面倒臭いことはしたくないのが男……だろ?」

 

「オイオイオイ、死ぬわお前」

 

 これ以上下があるのかというレベルでクズを極めていくダスト。その発言を完全否定はしないキース。本当にダメダメな男達だった。

 

「でも海行きてえな」

「分かる。美女が居る海に行きたくてたまらん」

 

「「 俺達、この戦いが終わったら海に行くんだ…… 」」

 

「なんでわざわざ死亡フラグを立てる! やめろ!」

 

 そんな二人が死亡フラグまで立てるものだから、通りがかったカズマが思わず叫んでしまう。

 

「お前には分かんねえだろうな。頭はアレでも体は最高だってのが仲間に多いお前には」

「例の店で使ってんだろカズマお前ホラホラ」

 

「し、してねえからなオラァ!」

 

「これはやってるな」

「夢の中でだけは百戦錬磨のオラオラ系な男の顔してますわ」

 

「こ、こいつら……」

 

「お前のPTは脱脂粉乳が一人で後は全員巨乳美人じゃねえか」

「低脂肪乳が一人だけのおっぱい山岳地帯とかすげーよ。

 カズマウンテン軍団やべーわ。深い仲になればおっぱいハイキングとかできんだろ」

 

 大脳にエロ画像が詰まった男の如き二人の言動。おっぱい欠乏症にかかった二人の言動は、これで酒さえ入っていないというのだから驚く。カズマはそれを冷ややかな目で見ていた。

 金が無いとサキュバスのお世話になれない。

 金があれば毎日だってお世話になれる。

 カズマのこの視線は、仲間のおっぱいに恵まれたという幸運と、金に困っていないという経済格差から来る、妙に腹立つ余裕ゆえのものだった。

 

「お前らこの状況でよくエロ談義とかできるよな……」

 

「頼んだぞカズマ!」

「俺達が後ろに控えてる間に悪魔全部倒してくれよカズマ!」

 

「そんなこったろうと思ったよ!」

 

 彼らに緊張感が無いのも当然だ。彼らは強い奴揃いのカズマPTに丸投げする気満々なのだから。

 

「あのなぁ、俺だってできれば逃げたい……」

 

「話の途中に我輩登場」

 

「うぉぅわぁ!?」

「のぅわっ!?」

「んんおぅっ!?」

 

「フハハハハハハ! 驚愕後に悪感情! 御馳走様である!」

 

「バニルこの野郎!」

 

 普通の人は話に一区切りがつくまで待ってから割って入るものだが、バニルにそんな常識は通用しない。

 彼が何故ここに居るのか。決まっている。商談だ。

 

「バニルお前、こんな時になんで冒険者ギルドに来てんだよ……」

 

「貴様らにとっても役に立つ物を売りつけに来た。さてさてここにありますはマナタイト」

 

「ほうほう」

 

「うちの店主が仕入れた最高級品だ。今回は一個二千万エリスの大特価でお届けしよう!」

 

「バカなのか?」

 

 なのだがバニルが持って来た商品は、目玉が飛び出るくらいの高級品だった。

 

「うちの貧乏店主が仕入れる物がまっとうに売れるようなものであるわけがなかろう」

 

「その店の店員が言うことじゃねえ」

 

「このマナタイト、一つで爆裂魔法も余裕で撃てるものである。

 当然ながらアクセルの街の魔法使いでは何ヶ月使っても使い切れんレベルのものだ。

 そして性能の高さに応じた価格であり、貧乏店主の懐はこれでカラッケツになった模様」

 

「ひっで」

 

「この街ではこんな物を買うような金満冒険者など貴様らくらいしかいまい。

 というわけで買え。さっさと買え。

 本日限定、あなただけに送る格安マナタイト。大特価で限定十個の限定品である」

 

「限定品とか大特価とか限定十個とか言ってお得感出しても買わんからな!」

 

 格安(二千万エリス)。

 ちなみにこのマナタイトは千五百万エリスでも滅茶苦茶に安いという品質の代物である。

 本来なら国や最前線の冒険者に売るべきものだ。

 これをアクセルの街の店に仕入れてしまうというのが、なんともウィズらしい。

 ウィズの失敗と泣き顔を思い浮かべでもしたのか、ダストとキールも笑いだしてしまう。

 

「買う奴いるわけねえだろこんなの!」

 

「もし買う奴が居たら鼻からハンバーグ食ってやるよ、ははは!」

 

 カズマでさえ購入を躊躇う高級品。

 それを、カズマの脇に現れた少年が迷いもなく即決で購入した。

 大きな金貨袋が突然机の上にどちゃりと置かれて、ニヤリと笑ったバニルがマナタイトを差し出した。

 

「十個ください。どうぞ、二億エリスです」

 

「毎度あり!」

 

「ふぁっ!?」

 

 即断即決で二億エリス出したむきむきは、キースに鼻からハンバーグを食う運命をぶちこむのであった。

 

 

 

 

 

 「ハナンバーグ! ハナンバーグ!」「鼻まるハンバーグだこれ!」「アツゥイ!」とバニルに熱々のハンバーグを鼻に突っ込まれるキースに背を向け、カズマとむきむきは帰路についた。

 冒険者ギルドは街中の警備を固めつつ、冒険者を動員して悪魔に対応してくれるらしい。

 むきむきとカズマは軽く腹に入れるものとしてたこ焼きを買って、行儀悪く歩き食いしながら屋敷へと向かっていた。

 

「街の外で迎え撃つ、か。まあゆんゆんの魔法使うならそれが一番だよな」

 

「エリス様が教えてくれたことはこれで全部。だから街の外がいいかなって思ったんだ」

 

「問題はちょむすけだよな……

 他の冒険者が街の中を固めてる間に、俺達で敵将討ち取ったりーってやるか?」

 

「おお、カズマくんが凄く勇猛果敢な策を出してる……!」

 

「その時は俺が後ろから指示出してるから、頑張って前に出て敵将を仕留めてくれ」

 

「そうでもなかった!」

 

 どうやらカズマの作戦は、悪魔殺しのアクアを始めとする強力なユニットの力を最大限にまで発揮した斬首戦術のようなものであるようだ。

 ウォルバクさえ潰せば悪魔軍団は瓦解する。ちょむすけを狙う理由もなくなる。

 カズマが居ないPTはアクアが暴走し、ダクネスが性癖に走り、めぐみんが明後日の方向に行き、むきむきが膝を抱えてゆんゆんがぼっちになるのと同じことだ。

 戦いの王道は、頭を潰すことである。

 

 そのために、必要なことがあった。必要な人と、必要な魔法があった。

 

「なあむきむき、そんだけマナタイト買ったってことは、自覚はしてんだろ」

 

「うん」

 

「お前が街の外で戦いたいと思った一番の理由は、めぐみんの爆裂がそこでなら撃てるからだ」

 

「そういうことだね」

 

「その考えは正しいと俺も思う。

 相手はアクセルの街をぶっ壊せるから街の外でも中でも爆裂魔法が撃てる。

 街の外でなら俺達の側も爆裂魔法を使える。

 相手側に爆裂魔法がある防衛戦ってのは、それだけ不利な条件が付くってことだ」

 

 爆裂魔法はとことん攻撃に向いた魔法だ。

 最前線の砦でもないアクセルなら、遠距離から爆裂魔法を撃つだけで壊すことが出来る。

 逆に防衛側は対処しづらい。

 最低でも街の外を戦場にして街に近付けさせないようにする必要があり、欲を言えば防衛側も爆裂魔法を使えるという前提が欲しかった。

 

「でもな。あいつ、撃てるのか? 恩人のウォルバクって奴を」

 

 そんな現状が、"ウォルバクを撃てないめぐみん"という要素を悪い意味で目立たせている。

 相手だけが爆裂魔法を使えるだなんて最悪だ。

 普段むきむき達が最大活用している『爆裂魔法』というアドバンテージが、そっくりそのまま不利な要素へと逆転してしまうのだから。

 

「撃てなければ、僕らも厳しいよね。爆裂魔法を同じ方法で二度防げるとは思えない」

 

「……」

 

「ホーストも強力な前衛だ。爆裂魔法というカードを切られる瞬間が怖いよ」

 

「だったら」

 

「でも、僕らが『撃たせる』のは駄目だよ。それだけは絶対に駄目だ」

 

「……っ」

 

「めぐみんが撃つ時は、めぐみんが撃つと決めた時であるべきだよ」

 

 むきむきはめぐみんの味方だ。とことんめぐみんの味方だ。だがそれはめぐみんに甘いだけというわけではなく、一から十までめぐみんの手を引いてやるというわけでもない。

 めぐみんに撃てと強要しても、めぐみんは撃てないだろう。

 たとえ撃ったとしても、頭の良いめぐみんは「他人のせいにできる逃げ道を作ってから撃ってしまった」という事実を引きずってしまうだろう。

 

 選択が必要だ。

 "自分はよく考えてそれを選んだ"という記憶が必要だ。

 "大切なもの同士を天秤にかけてそれを選んだ"という確信が必要だ。

 それがあれば、残酷な結末に至ったとしても、人は『これでよかったんだ』と思える。

 そのためにはめぐみんが自分の人生の山場であるこの時を、自らの選択肢で乗り越えていかなければならない。

 

 カズマは少し驚いた。

 見方を変えれば、今のむきむきはめぐみんに厳しく接していると言える。めぐみんに後悔させないために、めぐみんに苦悩の中での決断を迫っているのだ。

 むきむきがめぐみんに厳しく接する姿を、カズマは初めて見た気がした。

 

「俺は嫌だぞ、仲間がうだうだやってるのに巻き込まれて死ぬの」

 

「カズマくんは死なないよ。敵からは僕が守ってみせる。今日みたいにね」

 

「……お前も言うようになったなあ」

 

「さて、屋敷に到着。めぐみんに会って来るから、ちょっと待っててね」

 

 冗談めかした口調だが、どこか力強さを感じる少年の口調。むきむきはめぐみんに後悔の道を進ませないこと、カズマを死なせないこと、そのどちらをも決意している。

 今日のむきむきはなんだか頼りがいがある。

 そこでふと、カズマは思った。

 

(……もしかして。めぐみんが情けない状態になってる時は、こいつに頼り甲斐が出るのか?)

 

 もしも、それを何も考えずにごく自然に行っているのだとしたら……本当の意味で『支え合っている』と言えるのだろう。

 冷静さを失っている人間を見ると自分が逆に冷静になるのと同じように、人間とは向き合っている人間と相対的な変化をすることがあるものだ。

 階段を登っていくむきむきの背中を見送り、カズマはちょっと笑ってしまった。

 

「めぐみん、ただいま」

 

 むきむきは帰って来たことを伝えて、部屋の扉をノックする。

 昔は互いの部屋にはノックも無しに入っていた。めぐみんが一定の年齢になってから、むきむきは彼女の部屋に入る前にはノックをしないと怒られるようになった。

 それが『子供』から『女の子』に変わったことを示すものなのだと、むきむきは随分後になってから理解したものだ。

 頭の片隅をよぎる、幼馴染と過ごした過去の記憶。

 続いてよぎる、ウォルバクに助けられた時の記憶。

 

 ただいま、と言っても返答が返って来ないドアの向こうに、むきむきは言葉を続けた。

 

「入っていい?」

 

 小さな声が返って来て、むきむきはめぐみんの部屋に足を踏み入れる。

 めぐみんはウォルバクと相対した時の服装のまま、帽子と杖を手放してベッドの上に居た。

 手元には枕を抱えていて、少し前まではそこに顔を埋めていたであろうことが推測される。

 めぐみんのすぐ横にはちょむすけも居て、ちょむすけも心配そうに主を見上げていた。

 

 帽子は彼女の手元に、杖は帽子よりも離れた所に置かれていた。

 めぐみんの目は虚空を見つめていて、むきむきが部屋に入って来たのをきっかけに、その視線を徐々にむきむきへと向けていく。

 少年を見るその目に、次第に罪悪感や申し訳無さが浮かび上がって来た。

 少女は何かに耐えきれなかったかのような表情を浮かべ、少年から目を逸らす。

 帽子よりも遠くに置かれていた杖の存在が、今のめぐみんの心情を表していた。

 

「めぐみん」

 

 静かに呼びかける少年の声が、少女を落ち着かせる。

 少女に思考を整理する余裕をくれる。

 少年の呼び掛けで自責の念を少しばかり振り払うことができた少女は、ぽつりぽつりと、自分の胸中の想いを言葉に変換し始めた。

 

「情けないですね、私は。

 普段はあんなに格好付けたことを言っていて……カズマにも、撃てると言ったはずなのに」

 

 少女は枕に顔を埋める。

 少年は少女の近く、ベッドの上に腰を下ろす。

 話を聞いてくれるはずだと、少女は無意識下で彼のことを信じきっていた。

 話を聞かなければ何も始まらないと、少年は意識して聞き手に徹した。

 

「撃てませんでした。撃ちたい、撃たなければ、撃とう、と思っても……撃てませんでした」

 

 自分にいくら言い聞かせても、何も変わらなかった。

 めぐみんは、撃てないめぐみんのままだった。

 自嘲気味に語るめぐみんは、泣きそうな微笑みを浮かべて顔を上げる。

 

「私、ちょっと夢見てたことがあるんですよ」

 

 少女は、自らを嘲るように言葉を続けた。

 

「私に爆裂魔法を見せてくれたあの人に、私の自慢の仲間を見せるんです。

 そして、私の自慢の爆裂魔法を見せるんです。

 あなたに教えてもらった魔法をこんなに極められました、って言って。

 あなたに教えてもらった魔法でこんなに仲間が出来ました、って言って。

 あなたに教えてもらった魔法で仲間を守ってこれたんです、って言って、それで……」

 

 指の間から零れ落ちる砂のように、手の中から滑り落ちていく想い。

 

「ありがとうございました、って伝えて。

 よくそこまで極められたわね、って褒めてもらって。

 私が今日までしてきた努力や冒険の全部を、あの人に聞いてもらって……」

 

 水面(みなも)に浮かぶ泡沫のように、心の底から浮かんでは散っていく願い。

 

「そこまでが、私の歩いて行く一つの道で。

 そこからは、また新しく私の歩いて行く道が伸びていくものだと、思っていたんです」

 

 もう現実になりそうもない、儚い夢物語だった。

 

「でも、そうじゃなかった。……そんな未来なんて、最初からどこにもなかったんです」

 

「めぐみん……」

 

 少女の未来に待っていたのは、憧れの人との感動の再会ではなく、残酷な戦い。

 

「思えば、あなたは情けなかった頃でも……戦うと決めた時は、勇気のある人でしたね」

 

 ウォルバクを撃てなかっためぐみんは自分を責めながら、自室でずっと答えの出ない思考の堂々巡りに苛まれていた。

 そして、その過程で何度も何度も、勇気ある対峙を選んで来た幼馴染の少年の背中を思い出していた。

 

「私は怖いです。私が本気で戦って、その果てにどんな結末になってしまうのか……

 あのお姉さんと私が、どんな未来に至ってしまうのか……それが、怖くてたまらない」

 

 決断に必要なのが勇気であるとするならば、今の彼女に必要な勇気とは何か。

 

「足が震えるくらいの恐怖を乗り越えて、仲間を守るために戦う。

 あなたがいつもしていたそれは……こんなにも、難しいことだったんですね」

 

 少女の声には、少年に対する改まった敬意が感じられた。

 力なく笑うめぐみんは弱々しく、触れるだけで折れてしまいそうな、一輪の花のようだった。

 

「いっそのこと、爆裂魔法なんて捨てちゃいましょうか」

 

「え?」

 

「こっそり溜めていたスキルポイントがあります。上級魔法を取ることはできますよ」

 

「……い、いや、そういうことじゃなくて……」

 

「いいことづくめじゃないですか。

 私は爆裂魔法と一緒にあのお姉さんへの執着を捨てられる。

 このPTにも優れた上級魔法使いが一人増える。

 爆裂魔法以外も覚えろと日々口煩く言っていたカズマもこれで満足するでしょう」

 

 少女はどこか投げやりに言い放つ。

 その様子は痛々しく、見ていられない気分を彼の中にかき立てていた。

 

「……このまま、役に立たない私のままで居るより、その方がいいはずです。

 今の私とは違う私であった方が、少しでも役に立てる私が仲間であった方が……」

 

「そんなわけない!」

 

「!」

 

「それは駄目だよ! それは……そんな風に、逃げるように捨てていいものじゃないはずだ!」

 

「むきむき……」

 

「君が大好きだったものを、そんな風に捨てていいわけがない!」

 

 めぐみんが爆裂魔法を捨てることを心底納得しているなら、むきむきもその選択を尊重し応援しただろう。だが、そうではなかった。

 少女は爆裂魔法より大切なもののために爆裂魔法を捨てる決意を決めた、という思考の過程を経てさえいない。

 どこまでも投げやりで、適当だった。

 ウォルバクとの因縁を見ないようにするための、逃げるように背を向けるための選択でしかなかった。いや、それはある意味逃げでしかなく、選択でさえないのかもしれない。

 それで爆裂魔法を封印して上級魔法使いになっても、めぐみんは一生後悔しながら生きていくだけだろう。その選択の先には暗い未来しか待っていない。

 

 少年は少女に、よく考えた上で決断してほしいと願っている。

 だが、それが絶対に正しい少女への対応であると確信していたわけでもなかった。

 めぐみんに撃つべきだと言うのが正しいのか。

 ウォルバクだけは撃たないと決めて迷うなと言うのが正しいのか。

 爆裂魔法を捨てろと言うのが正しいのか。

 絶対に捨てるなと言うのが正しいのか。

 どれが絶対に正しいのか、少年自身も確信を持てないでいる。

 

 少年の脳裏に、めぐみんと幽霊がかつて少年に言った言葉が蘇る。

 

――――

 

「あなたがどんな道を選んでも、私は嫌いにはなりませんよ。

 だから、恐れなくていい。

 あなたはどんな道を選んでもいいし、何も選ばなくてもいいんです」

 

「人にとって大切なのは、どの道を選ぶかじゃないんです。

 本当に大切なのは、選んだ道の先を、どんな未来に繋げるかなんです」

 

「私は、きっと……

 爆裂魔法の道を選ぼうと選ぶまいと、里の外に出ることを選んでいたでしょう。

 魔王を倒す道、自分の身の証を立てる道、未来の仲間と出会う道を選んでいたでしょう。

 どんな道を選んだとしても、私が私である限り、繋ぐ先の未来はきっと似通っている」

 

「道を選ぶことに迷うより。

 道を選ぶことを恐れるより。

 道を選んだ後頑張ることの方がずっと大事だと、私は思います」

 

「進むのが怖いなら、私があなたの先を行きますよ。あなたはそれを追ってくればいい」

 

「……でも。できれば隣を歩いてくれた方が、私は嬉しいですね」

 

―――

 

 めぐみんはそう考えている。

 だから彼女は、爆裂魔法を捨てるという選択も、命の恩人にして恩師であるウォルバクを殺すという選択も、考慮することができるのだ。

 その過程でどんなに苦しもうとも。

 その行動の結果、一生物の後悔を背負うことになろうとも。

 めぐみんはその結果の先にも、人生が続いていくことを知っている。

 

 彼女は繊細で、後悔から落ち込んで弱ることもある。

 それでも本質的には強い人間で、それを抱えたまま前に進んで行ける人間だ。

 

――――

 

『貴様の人生を決めるのは貴様だ』

 

『好きにしろ。どうせ後悔はする』

 

『人は成功しようが失敗しようが、後悔はする。

 人は強欲で、より高い場所、より富んだ場所を求めるからだ。

 後悔は忘れることもできるが、大抵の人間は行動の結果後悔する。

 成功しても失敗しても、人は"あの時ああしていれば"と考える。

 凡俗はそうして、自分から行動することを恐れるようになるものだ』

 

『なら最初から「どうせ後悔する」と考えればいい。

 その上で行動し、「やっぱり後悔した」と後悔を軽く扱えばいい。

 後悔など最初から想定し、全てが終わった後に捨てればいいのだ。

 人生など後悔して当然。後悔など後に引きずるものではない。

 「どうせ後悔する」という考えと、「恐れず行動し続ける」という選択を、常に併用せよ』

 

――――

 

 幽霊はそう考えていた。

 死にたくなるような後悔はどこにでもあると。

 人生に後悔は付き物であると。

 だから後悔は引きずるなと。

 強い人間である彼はそれが正しい生き方だと信じていた。

 後悔で自暴自棄になり、後悔から自分の命を投げ捨てるような真似をして、後悔しながら死んでいった彼らしい人生の結論だった。

 

 選んだ先をどこに繋げるかが大切だと言った少女が居た。

 どんな道にも後悔はあるのだから、後悔を前提に生きていけばいいと言った幽霊が居た。

 人はそれぞれの考え方で生きている。

 どれが絶対に正しいというわけでもない。

 どれが絶対に正しいかなんて分からない。

 人生に絶対の正解など無い。

 

 ただ少年は、彼女に後悔しながら生きる道を進んで欲しくはなかった。

 少しでも後悔の少ない道を進んで欲しかった。

 できれば幸せになって欲しかった。

 少年は誰が何を語ろうと、ここにいる『自分』がそう想う心に従っていた。

 

 大切な人には、後悔は少なく幸福は大きく生きて欲しい。

 それはめぐみんに教わった生き方ではなく、幽霊に教わった生き方でもなく、彼自身が『こうしたい』と思う生き方だった。

 

(……めぐみん)

 

 この素晴らしい世界を冒険して、少年は様々な人達と出会ってきた。

 様々な生き方を目にしてきた。

 様々な考え方を聞いてきた。

 それらを取捨選択して自分の中に取り込み、自分というものを育てていくのが、『人間として成長する』ということである。

 

 むきむきとめぐみんの生き方は違う。考え方も違う。

 だからこそ、相手の言葉が自分の人生の光明となることもある。

 違う生き方と考え方が、抱え込んだ苦悩に解決を示すこともある。

 

「大丈夫」

 

 『どうすればいいのか』と迷った果てに、自分の最大の個性である爆裂さえ投げ捨てようとしているめぐみんを、むきむきは優しく諭す。

 優しく穏やかな語調は、少女の心を少しづつ落ち着かせていった。

 

「めぐみんがどんな道を選んでも、僕はめぐみんのことを嫌いにならないよ」

 

 彼の言葉は優しいのか、厳しいのか。

 人によってその判断は別れることだろう。

 その言葉はちゃんと考えて決めためぐみんの選択ならば絶対に肯定するという宣誓であり、めぐみんの人生の大事なことはめぐみんが決めなければならないという、叱咤だった。

 

「だから、投げやりな気持ちで大切なものを投げ捨てるようなことだけは、しないで欲しい」

 

 めぐみんがどんな選択肢を選んでも、その先に勝利に繋がる道はある。

 ただし、どの道の先にもウォルバクとの戦いか、あるいはちょむすけとの別れが待っている。

 どの道の先にも後悔はあるのかもしれない。

 けれど、その後悔は選択と覚悟により軽減することができるものだ。

 

「よく考えて、この戦いが終わる前には結論を出して欲しい」

 

 少女の心が軽くなる。

 未来を恐れる気持ちが薄くなる。

 どんな道を選んでも、その先に彼が待っていてくれるのなら――

 

「いつか一緒に魔王を倒すって、約束したよね。

 だからここで終わらせない。僕は頑張るよ。君が悩んでいられる時間を稼いでみせる」

 

 ――それだけで、何か救われたような気がしたから。

 

「だから、ちゃんと後悔しないように決めるんだ。

 撃つにしても、撃たないにしても。それはちゃんと選んで欲しい。

 選べないまま時間が過ぎて全部終わっちゃった、なんてことにならないように。

 ……僕がこんなこと言わなくても、めぐみんはちゃんと選べるんだろうけど……」

 

 日が沈む。

 空が夜の入り口に差し掛かった頃、少年はめぐみんに背を向け、部屋を出て行った。

 

「僕は、待ってるから」

 

 最後の言葉を胸に刻んで、めぐみんは少年のその背中を見送る。

 

 窓の外で動いた何かの影が、夕日が生む陰影にちらりと重なっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 太陽が見えない夜が来た。

 電気を使った電灯が一般的に普及している地球と比べれば、この世界の夜は暗い。

 夜の闇は人の視界を塞ぎ、夜目が利く悪魔の有利要素となる。

 城壁に篝火を焚いて備えを敷き、悪魔を迎え撃つ準備万端なアクセルの街を遠目に見て、ウォルバクとその配下は進軍を開始した。

 

「ホースト」

 

「合点承知。厄介なのは俺が止めますよ」

 

 ウォルバクは兵を進め、嫌そうな顔で金貨袋を眼前の悪魔の前にどかっと置く。

 仮面を付けた悪魔がニヤリと笑って、金貨袋と引き換えに最高品質のマナタイトを十個、袋に入れてウォルバクへと手渡した。

 

「二億エリス毎度あり。ではこれが約束のマナタイト十個である」

 

「……」

 

「さて、ではお前達がこれを買ったことを人間側にも伝えてこよう。

 これで両者共にマナタイトを同数買い、それを両者共に知覚したことになる。

 さあそのマナタイトを使いながら戦うがいい、フハハハハハハ!」

 

「死の商人か何か?」

 

 バニルは高笑いしながら消えていく。

 全てを見通す悪魔は見えている世界が違いすぎて、他人から見れば何が考えているのか全く分からないのが面倒なところだ。

 どちらにせよ、"敵側がマナタイトを購入した"という情報を餌にマナタイトの在庫処理をこなすバニルは、まさしく悪魔であった。

 

「ま、まあいいわ。さあ、私の半身を回収しに……」

 

 アクセルへの道を半ばほど進んだところで、ウォルバクはその足を止めた。

 先陣を切る邪神が足を止めたことで、その後ろに続いていた悪魔達も進軍を停止する。

 彼らの前には、五人の人間が立ちはだかっていた。

 前衛には筋肉の紅魔族と金髪のクルセイダー。

 後衛には紅魔族の少女、青髪のプリースト、黒髪の冒険者。

 この街を攻略しちょむすけを奪うにあたって、最も厄介な五人が揃っていた。

 

 めぐみんは居ない。

 彼女がすぐさま決断してここに来ることができないことは明らかだったが、おそらくむきむきあたりがめぐみんに時間をやるよう、仲間を説得したのだろう。

 ホーストはめぐみんが居ないことを気にもせず前に出る。

 居たとしても気にしなかっただろう。

 この悪魔は、この地では最初から今に至るまでむきむきのことしか見ていない。

 

「おう、待っててくれたか」

 

 ホーストはむきむきに呼びかける。

 むきむきは悪魔の軍団を見て、ウォルバクを見て、ホーストに返答を返した。

 

「うん、待ってた」

 

 成長した少年が真っ直ぐに返答を返して来たことに、ホーストは思わず身震いした。

 何の武器も持たず、身一つで自分と殴り合える人間が強気に相対してくるその姿が、ホーストの大きな口を獰猛に歪める。

 

「申し訳ありません、ウォルバク様」

 

「どうかしたのかしら? ホースト」

 

「あなたに忠誠を誓ったことに変わりはない。……が、我儘を通させて頂きたい」

 

 拳の骨をボキボキと鳴らすホースト。

 

「どうか俺に、決着の機会を」

 

 楽しげな悪魔の様子に、ウォルバクは呆れた顔になっていた。

 

「好きになさい。あなた達! 例の手筈通りに!」

 

 ウォルバクはホーストの意を汲んで、『めぐみんが居なかったことで安心した自分』を隠し、『むきむきの成長を褒めてやりたい自分』を隠し、悪魔に進軍を命じる。

 情を隠して、非情に徹する。

 悪魔達は邪神への忠誠心から、一瞬のラグさえなくその指示に従った。

 

 それが、戦いの開始の合図となった。

 

 軍団を止めようとしたむきむきはホーストに止められる。

 そして敵の攻撃に耐えることは出来ても、攻撃で敵の進軍を止められないダクネスに数体の悪魔が組み付いて足止めし、残った悪魔達はなだれ込むように後衛のアクアに殺到していった。

 先手を取っての奇襲進軍。

 むきむき達の対応を遅らせる、一度しか使えないであろう奇襲の一手だった。

 

「何!?」

「うおマジかよ! やれアクア!」

 

「ふんっ、馬鹿ね! 消えてしまいなさい悪魔共! 『セイクリッド・エクソシズム』!」

 

 敵は悪魔ということで、俄然気合いの入るアクアが魔法を放つ。

 アンデッドといい悪魔といい、この世の理に反した存在に対してアクアは天敵の中の天敵だ。

 地面に広がる魔法陣。

 大地と大空を繋ぐような光の柱が立ち、全ての悪魔を飲み込んでいく。

 

 光が悪魔を飲み込み、そして―――悪魔は、ただの一体も、消えてはいなかった。

 

「……あら?」

 

 消えなかった悪魔が、洪水のようにアクアを飲み込み、さらっていく。

 素の耐久と神器の耐久を併せ持ち、悪魔の能力に耐性があるアクアは短時間で容易く倒せない。

 そう判断したのか、悪魔達はアクアを他の仲間と引き離しにかかっていた。

 アクアが皆からも街からも離れた方向に、祭りの神輿のように運ばれていく。

 

「助けてカズマしゃああああああああんっ!!」

 

「アクアー!」

 

 むきむきもダクネスも邪魔されて追えない。

 ゆんゆんも魔法を撃とうとしたが、アクアが運悪く射線に何度も重なってくるせいでまるで撃てない。こんな時までアクアはアクアだった。

 必然的に、後を追えるのはマークが薄いカズマのみ。

 

(ベルディア配下のアンデッドにターンアンデッドが効かなかったアレと同じか!?

 魔王の加護どんだけ万能なんだよクソッ! 深爪して悶え死にそうな目にあっちまえ!)

 

 まずは潜伏スキルを発動。

 続き逃走スキルを発動。

 無数の悪魔という遮蔽物を隠れ蓑に使い、誰の目にも映らないようアクアを追い、"ホーストから逃げる"という形で使うことで逃走スキルの速度上昇効果を得ていた。

 

「潜伏、逃走、っと」

 

 そしてアクアに追いつくやいなや、彼女の服の脇を引っ掴んで悪魔達から取り返す。

 ここまでされれば悪魔達もカズマの存在と接近に気付き、逃がさないよう彼を取り囲むが、何も考えずに突っ込んで来るカズマではない。

 

「か……カズマー! カズマー!」

 

「『サモン』!」

 

 抱きついてくる邪魔なアクアを肘でどけつつ、カズマは召喚の魔法を使った。魔法の使用中に魔力が足らなくなり、カズマの懐の吸魔石の魔力を使い切ってなんとか魔法は成立される。

 召喚されたのは、樽のような何かだった。

 中にダイナマイトもどきが詰め込まれた、特大カズマイトとでも言うべきものだった。

 カズマは二つ目の吸魔石を出して初級火魔法(ティンダー)で手に火を灯し、自分とアクアを取り囲む悪魔に脅しをかける。

 

「俺とアクアにこれ以上近付くな! 近付いたらこの爆薬に火を付けるぞ!」

 

「こいつ正気か!?」

「自爆覚悟とはっ!」

「野郎、道連れを躊躇ってねえぞ!」

 

「みすみすやられるくらいなら俺は迷わず火を付けるぞ!」

 

 相手が人間で、相手が命を惜しむような存在だったなら、これで退かせられるだろう。

 カズマの自爆に付き合って自分も死ぬだなんて冗談じゃない。

 だったら仕切り直しを選ぶはずだ。

 が。

 今日ここに集ったのは、ウォルバク配下から選りすぐった忠誠心と実力のある悪魔達だった。

 

「うおらァ悪魔舐めんなぁ!」

「ウォルバク様のためなら残機の一つや二つ投げ捨てたるわダボが!」

「死にくされぇッ!」

 

「こ、こいつらガラが悪い! 『テレポート』!」

 

 中級悪魔と上級悪魔が息を合わせて一斉に飛びかかる。

 と、同時、カズマは特大爆弾に火をつけて、アクアを掴んでマナタイト片手にテレポートした。

 

「あっ」

 

 カズマとアクアがアクセル近くまで跳んで、同時に特大爆弾が起爆する。

 爆弾近くに居た中級悪魔は残らず消し飛び、上級悪魔もそれなりの数が燃え尽きていた。

 

「ああクソ、やっぱめぐみんの爆裂魔法みたいな攻撃範囲は無理か!」

 

 だが、それでも軍団の数は相当な数が残ってしまっていて、再度カズマとアクアを狙って駆けて来ている。

 爆弾の威力は十分だった。

 だが、軍団を巻き込むには攻撃範囲が足りなかったのだ。

 

 カズマの爆弾とめぐみんの爆裂を比べれば、威力以上に攻撃範囲の足りなさが目につく。

 駄目なのだ。

 どんなに頑張っても、めぐみんの代わりをカズマが務めることなどできない。

 いや、めぐみんの代わりなど、きっと誰にもできやしないだろう。

 

「どうしようカズマ!?」

 

「いいから水出せアクア! おいそっちの誰でもいいから助けてくれー!」

 

「『クリエイト・ウォーター』!」

 

「『フリーズ』!」

 

 アクアが出した水をカズマが凍らせ、地面の上に滑る氷を作り悪魔を転ばせる。

 これも所詮は時間稼ぎだ。長くは保たない。

 

 カズマとアクアがてんやわんやに頑張っていた頃、少し離れた場所ではホーストとむきむきが筋肉任せにがっぷり四つに組み合っていて、ゆんゆんがダクネスを救出していた。

 

「『ブレード・オブ・ウインド』!」

 

 ダクネスに組み付いていた悪魔をゆんゆんが一掃。

 むきむきはホーストの顔面パンチをあえて避けずに受け、カウンター気味にホーストの腹を蹴り飛ばし、ダメージと引き換えにホーストとの距離を明ける。

 そして、ゆんゆんが自由にしたダクネスに近寄り――

 

「むきむき、頼む!」

 

「はい!」

 

 ――ダクネスを、ぶん投げた。

 

 質量兵器ダクネスが飛ぶ。

 硬くて重いダクネスが、カズマ達を狙う悪魔達の先頭へと直撃する。

 単純に硬いダクネスは怪我一つなかったが、ぶつけられた悪魔達は痛そうにのたうち回り、中級悪魔も一体ダクネスに潰され消滅していた。

 ダクネスのフライングボディプレスは、朝青龍のそれを遥かに上回るようだ。

 

「だ……ダクネス!」

 

「待たせたな。私から離れるなよ」

 

「ダクネス! 今のダクネス最高にかっこいいわ! カズマも見習いなさい!」

 

「てめえさっきまで俺の名前をあんなに情けなく連呼しておいてこの野郎!」

 

 ダクネスの体当たりはカズマ周辺の戦場の空気を変え、悪魔達を警戒させる。

 

「気を付けろ、この女重いぞ! しかも硬い!」

「ああ、痛かった。柔らかい女の幻想を砕くような硬さだった」

「あのおっぱいアーマー絶対中身ねえぞ。

 鎧の下はきっと脂肪も何もない筋肉ムキムキで腹筋バキバキのアマゾネス状態だぜ」

 

「……悪魔死すべし、慈悲はない! エリス教徒の正義の剣で死に絶えるがいいッ!」

 

 エリス教徒としての意識がそうさせたのか、ダクネスは激怒と殺意を込めて剣を縦横無尽に振り回していく。なお当たらない模様。

 

 ウォルバク&ホーストと相対するむきむきとゆんゆん。

 悪魔軍団と相対するカズマとアクアとダクネス。

 綺麗に二つに別れた戦場を、ウォルバクは無言で眺めていた。

 

 ゆんゆんからの魔法はウォルバクにも飛んでいるが、ウォルバクはそれを難なく捌いている。

 ウォルバクは多彩な魔法を使用していた。

 めぐみんとウォルバクは同じく爆裂魔法の使い手である。

 されども爆裂魔法『しか』使えないめぐみんと、爆裂魔法『も』使えるウォルバクには、戦いで選べる魔法の種類に天と地ほどの差があるようだ。

 

(あちら側は五人中二人がテレポートを使える、と。

 その気になればこのまま撤退ができる?

 となればこれは前哨戦。

 爆裂魔法の詠唱をしても、長い詠唱を終える前にテレポートで逃げられてしまう……)

 

 一見むきむき達を分断し、ウォルバクがいつでも爆裂魔法を撃てる状況が整ったようにも見えるかもしれない。

 だが、そうではなかった。

 ゆんゆんはいつでもむきむきを連れてテレポートできる位置に居て、カズマもアクアとダクネスを連れてテレポートできる位置に居る。

 二人のテレポート要因が戦場全体を見て上手く立ち回っていて、ウォルバクの爆裂魔法を無駄撃ちさせようと『誘い』を作っていた。

 

 よく考えてるわね、とウォルバクは心中で称賛の声を送る。

 アクアの支援魔法を受けたむきむきはホーストと互角。

 カズマの方も戦線は膠着状態。

 戦いの流れはウォルバクの側にあったが、戦いの進みは膠着し牛歩になりつつあった。

 

(いけないわね)

 

 こういう流れは一見良いように見えて良くないものだと、ウォルバクは神として積み重ねた経験で察知する。

 こういう流れで強いのは神でも悪魔でもなく『人間』なのだと、ウォルバクはよく知っていた。

 特に目につくのは、男二人だ。

 

 多芸さを見せる一人の少年。石を拾っては投擲系のスキルで投げ、木の棒を拾っては棒術系スキルで殴り、腰に差した剣で片手剣スキルを発動し、悪魔が落とした槍で槍術系スキルを使っては、弓スキルで遠く離れた敵を攻撃する、器用貧乏な冒険者。

 一点突破の身体能力を見せる一人の少年。

 王都の冒険者でさえ将棋の駒を倒すようになぎ倒せる悪魔が、ウォルバク配下の最大戦力が、たった一人の少年と互角に殴り合っているという異常な光景がそこにある。

 

 何か欲しい、とウォルバクは思った。

 この追い詰めているようで追い詰めていない、敵側がいつでも逃げられる、仕切り直しの難しくない前哨戦のような戦い。

 こんな戦いを進めるくらいなら何かが起きて欲しい、と、彼女は思ったのだ。

 

「ウォルバク様!」

 

 だからか、()()がすぐにやってくる。

 

「成功しました。このアーネス、首尾よく命を果たしまして御座います」

 

「よくやってくれたわ、アーネス。これで終わりね」

 

 アーネスの右腕には、ちょむすけが抱えられていた。

 アーネスの左腕には、ぐったりとしためぐみんが抱えられていた。

 悪夢のような光景だった。

 夢であってくれと願いたくなるような光景だった。

 

「なっ―――!?」

 

 砂の城が崩れるような、無情で儚い何かの音が、少年の胸の奥に響き渡っていた。

 

 

 

 

 

 アーネスはその気になれば紅魔の里にも侵入し、活動することができる。

 そうは見えないが、高い戦闘力と潜入・捜索技能を併せ持ち、飛行能力と高い魔法技能を使いこなす優秀な後衛型の上級悪魔だ。

 アクセルの街に侵入し、ちょむすけとちょむすけを守っていためぐみんを連れ去ることも、困難なだけで不可能ではない。

 

「アーネス、死んだはずじゃ……!?」

 

「再召喚さ。他の誰ができなくても、ウォルバク様ならそれが出来る。

 残機を一つ削られて地獄の底に送られたあたしを、ウォルバク様が喚んでくれたのさ」

 

 悪魔は人間とは違う。

 人間の感情を喰らい、人間とは違いいくつもの命を持つものだ。

 邪神ウォルバクのように『喚ぶ』者が居れば、強大な悪魔は何度でも人の前に立ちはだかる。

 

「それにしても、だ」

 

 アーネスは抱えためぐみん、少し離れた場所のアクアとカズマ、そしてむきむきを見る。

 

「あたしに喧嘩売った魔法使い。

 忌々しいプリースト。

 クソ野郎な冒険者。

 そして、あたしと部下を直接手にかけた筋肉野郎。

 仕返ししてやりたいと思った奴らがこんなに綺麗に揃ってるなんて、びっくりさね」

 

 めぐみんは魔法か何かで眠らされているようには見えない。

 時折呻いて動いているのを見るに、腹を殴られるかして大人しくさせられたようだ。

 ちょむすけは暴れて逃げようとしているが、まるで逃げられる気配がない。

 

 アーネスはめぐみんを見て鼻で笑い、丸腰で動けない彼女の首にナイフを添えた。

 

「……嬉しい限りだよ。あたしもようやく復讐ができるってもんだ」

 

「!」

 

「動くんじゃないよ! 動けば、このナイフがこの娘っ子の首に刺さることになる!」

 

 器用に左腕でめぐみんを抱えつつ、左手で持ったナイフをめぐみんの首に突きつける。

 露骨な人質だった。

 アーネスの登場は全ての悪魔の動きを、全ての人間の動きを止める。

 それが不満だったようで、ホーストが苛立たしそうにアーネスに突っかかっていった。

 

「おい、アーネス」

 

「あんたの言いたいことは分かるさ、ホースト。

 だが私情は捨てな。あたしらはあくまで邪神に仕える悪魔なんだよ」

 

「……チッ」

 

 理性的に諭すアーネスに対し、ホーストは感情的に舌打ちする。

 人間によくある、ロマンが好きな男と現実主義の女の関係のようだった。

 ホーストとアーネスの関係も、そこにどこか透けて見える。

 

「いいかい? あたしらの言うことを聞かなきゃ、この刃がぶすっと……」

 

「刺せよ。僕は止まらない」

 

「……へぇ?」

 

「ちょっと、むきむき!?」

 

 むきむきの強気な言葉に、アーネスは面白そうに口元を動かし、ゆんゆんは慌ててぶつかるようにして彼を制止しようとした。

 

「首を刺しても治せる。

 それで死んだって蘇らせられる。

 めぐみんの魔法抵抗なら、上級魔法でも死体が残らないってことはない。

 その脅しも、その人質も、僕らに対しては何の意味もないものだ。違う?」

 

「むきむき、どうしちゃったの!?」

 

 ゆんゆんはめぐみんを守るため、様子がおかしいむきむきを止めようとする。

 だが止めようとして、むきむきの手を取ったところで気が付いた。

 少年の手の平は、尋常でない手汗で濡れていたのだ。

 

(手汗が……)

 

 ゆんゆんはそれをきっかけにして理解する。

 これは、カズマの真似だ。

 むきむきのこれは、カズマの真似をしているのだ。

 ハッタリで"めぐみんの人質としての価値"を下げ、めぐみんを助けようとしている。

 

 なんてことはない。

 今この場に居る者の誰よりも『めぐみんに死んで欲しくない』と思っているのは、他の誰でもなくこのむきむきなのだ。

 治せるとしても、傷付いて欲しくない。

 蘇らせられるとしても、死んで欲しくない。

 当たり前の話だ。

 『少しでも後悔しない選択を』と少女に対し祈るような少年が、めぐみんに対してそんな残酷な割り切り方ができるわけがない。

 

 むきむきは、カズマにはなれないのだから。

 

(助けないと……絶対に、助けないと……!)

 

 そんな少年の強がりをあっさり見抜いて、アーネスはプッと吹き出した。

 

「あんた、嘘が下手なんだねえ。あんたの仲間とは違って」

 

「っ」

 

「その可愛い率直さに免じて、余計なことはしないでおいてあげるよ。

 ウォルバク様の半身だけはあたしらが頂いていくけど、そんぐらいは我慢しな」

 

「アーネス」

 

「それでいいでしょう、ウォルバク様」

 

「……仕方ないわね」

 

 ウォルバクとその配下の目的はちょむすけだ。

 ちょむすけを殺し、その存在をウォルバクへと還元することこそが彼女らの目的。

 しからば人間などどうでもいいのだ。殺そうが、生かそうが。

 このままちょむすけを抱えた悪魔達を見逃せば、むきむき達は万事無事に終わる。

 

(いいのか、これで)

 

 けれども、それは受け入れ難い選択だった。

 めぐみんがちょむすけの毛並みを撫でて愛でる。

 そんな記憶が、彼の中にはあった。

 こめっこがちょむすけを抱き上げて走り回る。

 そんな記憶が、彼の中にはあった。

 ゆんゆんがちょむすけに御飯をあげて、美味しそうに食べる猫の姿に微笑む。

 そんな記憶が、彼の中にはあった。

 

 むきむきが優しく抱きしめると、ちょむすけが小さく嬉しそうに鳴く。

 そんな記憶が、彼の中にはあった。

 

(めぐみんやこめっこちゃんが大事にしてたちょむすけを奪われて、殺されて、それで―――)

 

 少年は、決断を迫られて。

 

 少女は、決断を下した。

 

「むきむき」

 

 いつの間にか起きていためぐみんが、声を絞り出す。

 

「何も決められていない私ですが……一つだけ、決められたことがあります」

 

 目にはまだ迷いが浮かんでいる。

 されどその眼の底の底には、いつもの彼女の強さが見えた。

 めぐみんは身を捩り、首元にナイフを寄せて動きを制しようとするアーネスの予想を超え。

 

「気に入らない奴の思い通りには、絶対にさせないということです」

 

 自分の首をナイフの刃先にぶつけ、ナイフの刃先を自分の首に思いっきり刺し込んだ。

 

「―――」

 

 首の太い血管から、噴水のように噴出する血液。

 

 その瞬間、誰もが息を呑んだ。

 めぐみんの男らしすぎる決断に、誰もが意識の空白を生み出してしまった。

 自殺。

 唐突で前兆のない自殺。

 悪魔の側のアドバンテージを消し、『人質』を消す自殺だった。

 

 めぐみんは、逃げることではなく、戦うことを選んだのだ。

 

「―――ぁ」

 

 めぐみんの自殺による驚愕から誰よりも早く立ち直ったのは、むきむきだった。

 瞬時に踏み込み、アーネスの顔面を殴り飛ばしてめぐみんとちょむすけを回収する。

 それを皮切りに、他の皆も動き出した。

 

 アクアが必死にめぐみんの下まで行こうとする。カズマとダクネスがそれを援護する。

 だが、それを殺到する悪魔が止めていた。

 蘇生魔法の使い手は、めぐみんの所まで辿り着けない。

 それどころか精神的な動揺のせいで、カズマ達は今にも全滅しそうになっていた。

 

 ホーストは殴られたアーネスを助け起こし、ウォルバクがアーネスの傷を治療、そこに三人まとめて吹き飛ばそうとするゆんゆんの魔法が炸裂する。

 ゆんゆんは冷静さを失い、三者をまとめて消し飛ばそうとするかのように魔法を乱射する。

 その怒りが、ゆんゆんがめぐみんへ向ける友情の証明だった。

 

 むきむきは喉に穴が空き、瀕死になっためぐみんの手を握る。

 

「―――っ!」

 

 呼吸が止まって、心臓が止まって、手から体温が抜けていく。

 めぐみんはむきむきの手を取るたび、「むきむきの手は暖かいですね」と言っていた。

 そう言われるたび、少年は「めぐみんの手も暖かいよ」と心の中で言っていた。

 その熱が、失われていく。

 暖かかった少女の手が、冷たくなっていく。

 

「めぐみん! めぐみんっ!」

 

 そして、紅魔族随一の魔法の使い手は、死んだ。

 

「……っ」

 

 死んだ、その少女に向けて。

 

 

 

「―――死ぬなッ!」

 

 

 

 

 叫ぶ。少年が叫ぶ。

 

 むきむきがこんなにも声を荒げて、命令するような言葉をめぐみんに対し叫ぶのを聞くのは、ゆんゆんでさえ生まれて初めてのことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢を見る。

 死んで、めぐみんは夢を見た。

 "自分はこのままでいいのか"と思うようになってから、見るようになった夢と同じ夢だ。

 

 めぐみんは道の上に立っている。

 爆裂魔法という名前が付けられた道の上だ。

 最初は上機嫌に進めていた道なのに、そこを歩いていく内にめぐみんは不安になっていく。

 何故ならば、その道の上を進んでいる姿が自分以外に誰も見当たらなかったからだ。

 

 一人で道を進んでいると、当然思う。

 この道は正しい道なのか。

 この道は進んでいい道なのか。

 この道の先には何があるのか。

 この道を進んで行けば―――自分は、一人になってしまうのではないだろうか。

 

 その道に一番の価値があると確信できている内はいい。

 でも、その道以外の道に価値があると知ってしまったら?

 その道の価値が色あせて見えるような、爆裂の欠陥が見えてしまったら?

 その道を進んでいいのか、と悩んでしまうくらい、孤独が怖くなってしまったなら?

 大切な仲間の存在が、孤独の怖さを倍増させてしまったなら、どうなる?

 

 夢の中の道を進む、めぐみんの足がピタリと止まる。

 

 いつの間にか道は消えていた。

 闇の中で、足を止めためぐみんがどこかへずぶずぶと沈んでいく。

 このまま『死』に沈んでいってしまうのだろうか。

 

「何かを極めようとしてるやつに、極め過ぎだって文句言うのは、何か違う気がするんだ」

 

 その時、めぐみんの夢の中に、むきむきの声が響いてきた。

 

「カズマくんも最近はなんとなくそう思うようになってくれた気がする」

 

 声がする方向に、めぐみんは歩き出していく。

 自分の道を進むのではなく、声がする方向へと向かって行く。

 

「いい。めぐみんはそれでいいんだ。

 全力で突っ走っていい。誰よりも前に進んでいい。

 それでひとりぼっちになることを怖がらなくていいんだ」

 

 何も考えず、声がする方へと進む。

 

「手加減なんて要らない。爆裂するくらいの勢いで突っ走れ! 僕は付いて行くから!」

 

 いつの間にか見えなくなっていた道が、いつの間にかまた見えるようになっていた。

 

「行ける所まで行ってみようよ。君ならきっと、誰も行ったことがない場所にだって行けるよ」

 

 むきむきの声が、夢の中でめぐみんを引っ張ってくれている。

 

「現代では爆裂魔法を覚えることなんて出来ないって書いてある本があった。

 でも、めぐみんは覚えた。

 爆裂魔法は役に立たないネタ魔法だって言ってる人が居た。

 でも、めぐみんはそれで何度も大活躍してみせた。

 僕が倒せるわけないと思った敵が居た。でも、めぐみんはそれだって倒してみせた」

 

 その言葉は、自信――自分を絶対的に信じる気持ち――を損なっていためぐみんの心に染み込んでいき、彼女の中の欠けた部分を補填していく。

 

「『できるわけがない』と誰かが言ったことを、君は乗り越えられる人なんだ」

 

 人は、彼女を頭のおかしい爆裂娘と呼ぶ。

 誰もがやらないようなことをやる。

 誰もができないようなことをやる。

 普通でないから、おかしい。だから彼女は"おかしい"と皆に呼ばれるのだ。

 

「誰もめぐみんの真似なんてできない。だって、めぐみんは凄い人なんだから!」

 

 彼女のような人間は、きっとこの世に二人と居ない。

 

「中途半端な努力は他人が真似できるもので、本気の努力は真似できないものなんだよ」

 

 人類最高の種族血統と、その中でも最高と謳われた才能を投げ捨てるような真似をして得たネタ魔法を、毎日毎日繰り返し撃つ。

 レベルが上がっても魔法の威力と魔力消費を引き上げて、撃てばぶっ倒れるという欠点を何も改善しないまま、常に全力で撃つ。撃ち続ける。

 そんな努力の果てに出来上がったこの少女の真似など、誰ができようものか。

 

 めぐみんが爆裂魔法を捨て封印すれば、一緒くたに無価値になってしまう今日までの努力の日々と、それが積み上げてきた形のないもの。

 その価値を、むきむきはよく理解している。

 何せ彼は今日までずっと、彼女の努力の日々を見守り続けてきたのだから。

 雨の日も、晴れの日も。幸せな日も、辛い日も。ずっとずっと。

 

「よくもまあ、そんなにも私のことを過大評価できますね」

 

「過大評価じゃないよ」

 

「過大評価ですよ。私は、あなたが思ってる以上に駄目なところも多くて……」

 

「めぐみんの駄目なところならいくらでも知ってるよ?」

 

「え?」

 

「相手のいいところだけしか見ない幼馴染なんているわけないでしょ」

 

 もうそろそろ十年だ。むきむきとめぐみんが出会ってから、十年の時が流れようとしている。

 深い相互理解が生まれるには、十分過ぎる時間が経っていた。

 

「第一僕ら、初対面の日に僕が大失敗して、めぐみんは顔面血まみれになってるからね」

 

「……ああ、そんなこともありましたね」

 

「僕は表面的に見ればめぐみんの良い所だけを見てると言えるのかもしれない。

 でも、それは違うんだよ。僕はそういうのじゃないんだ。僕は君の駄目な所を見た上で――」

 

 告げる言葉は、真摯な想い。

 

「――その上で、君を凄い人だと思うんだ」

 

「―――」

 

 万感の想いを込められた言葉。

 

 その言葉が、全てだった。

 

 短所も長所もひっくるめて大好きになる、愛のような尊敬だった。

 

「めぐみん。僕の期待は重かった?」

 

「……はい」

 

 夢の中、声に向かって道を進む少女の足が、徐々に早足になっていく。

 

「でも、一番に感じていたのは、重さではなく嬉しさです。

 重さより嬉しさの方がずっとずっと大きかった。あなたの期待が、嬉しかったんです」

 

「めぐみんは期待を軽くして欲しいの?

 それとも……期待に応えられるくらい、強くなりたいの?」

 

 その二つの違いが分からないめぐみんではない。

 

「強くなりたいです」

 

 その問いに、その答えが返せるのであれば、もうめぐみんの中に迷いはないのだろう。

 

「私が嫌なのは、期待されることじゃなくて、期待に応えられないことですから」

 

「うん」

 

 自分が何をしたいのか、何が嫌なのか。

 その答えが出る。

 何が迷いの原因だったのか、どうすればそれを振り切れるのか。

 その答えが出る。

 自分の中にある大切なものの順番は、どうなっているのか。

 その答えが出る。

 

 心を整理し、何を選ぶかを決めためぐみんは、いつの間にか夢の中で走り出していた。

 

「自身も自信も、失っちゃいけないものだよ」

 

「ええ、分かっていますとも」

 

 走っていく内に、めぐみんは熱くなっていく。

 

「自信が無くなったら、いつでも僕に聞きに来て」

 

 胸が熱くなる。

 

「僕はきっと、君の良いところを、君よりずっとたくさん知っているから」

 

 顔が熱くなる。

 

「君の耳が痛くなるくらい、君の良いところを聞かせてあげる」

 

 心が熱くなる。

 

 このまま走り続けていれば、ただそれだけで夢の中を飛び出してしまいそうだと、少女はなんとなくに思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前でめぐみんが死に、その死に心の底からの慟哭を上げたこと。

 それが、最後のトリガーになった。

 

「―――死ぬなッ!」

 

 幸運の女神は、きっとこの瞬間にこそ彼に微笑んだのだ。

 

「!? この……光は!?」

 

 むきむきのポケットの中の冒険者カードが光る。

 異常なエネルギーがほとばしるそれを、むきむきはおもむろに手に取った。

 少年の手元さえ見えなくなるほどの輝きは、少年に何かが起きたという証なのか、はたまたカードの方に何かが起きた証なのか。

 いや、どちらでもいいのだろう。

 少年は何かに気付き、カードのその光を握りしめる。

 そして、変わった。

 

「―――」

 

 何かが、決定的に変わった音がした。

 

 カードに触れる少年の指がひた走り、色が変わった光が少年の手に宿る。

 その光に、ウォルバクは感嘆の声を漏らしていた。

 

「この光は……神から力を借りる、聖職者の……」

 

 その光をめぐみんに注ぎ、少年は一つの詠唱を終える。

 

「『リザレクション』」

 

 ()()()使()()()()ことをコンプレックスにしていた少年が、この世界に生まれて初めて使った正しい魔法は、大好きな少女を蘇生させるものだった。

 

「……うっ、つっ、これは一体……」

 

 めぐみんが蘇生し、むきむきが魔法を使ったことに人間の誰もが驚いていた。

 誰がどう見たって分かる。

 今のむきむきは―――アクアと同じ、アークプリーストになっているのだと。

 

「この魔法は、アークプリーストの!?」

 

転職(ジョブチェンジ)……! あいつ、やりやがった! しかもそこで止まらねえ!」

 

 それだけではない。

 先程ジョブチェンジした光がまだ消えていないのだ。

 むきむきはまだ変わろうとしている。

 おそらくは、アークプリースト以上に自分に向いた職業へと変わるために。

 アークプリーストへのジョブチェンジでさえ、今の彼には一時の腰掛けでしかない。

 

「あいつを止めなホースト!」

 

「ったく、最後まで見ていたいところだが、確かにそっちの方が正しいな!」

 

 アーネスにけしかけられたホーストが飛んで行く。

 背の羽で風より速く飛び、鉄をも貫く爪が振るわれる。

 むきむきはめぐみんを庇うように立ち位置を変え、拳を振りかぶり。

 

 

 

「ゴッドブロー」

 

 

 

 静かな声と、豪快な動きで、ホーストをカウンター気味に殴り飛ばした。

 

「ぐ、あ、ガ―――!」

 

 冒険者からアークプリーストへ。そしてアークプリーストから、『モンク』へ。

 二段階のジョブチェンジを行い、冒険者時代に稼いだポイントでスキルの獲得を行う。

 結果出来上がったのは、アクアやダクネスと同じ聖職者職でありながら、己が肉体のみを頼りに戦う、退魔の格闘家。

 素手で戦う聖職者・モンク。彼はようやく、正しい形の職業を己が手に握りしめていた。

 

「……へっ、お前らしいな。蘇生魔法使う職業より、そっちの方が似合ってるぜ」

 

「そりゃどうも」

 

 神との繋がりを力に変え、自分の肉体を武器と化す。

 これ以上にむきむきに相応しい職業など無い。それだけは確かなことだった。

 

「めぐみーん!」

 

「! クリス!?」

 

「杖取ってきたよ! 受け取ってー!」

 

 まるでどこかでこっそり見ていたかのようなタイミングで、クリスまでもが現れる。

 クリスは拉致されためぐみんの代わりに屋敷の杖を回収し、コロナタイトを使った杖をめぐみんに投げ渡していた。

 めぐみんはキャッチした杖を握り、振り回しながら思う。

 

(杖が、重くない)

 

 自然と少女は笑んでいた。

 

「めぐみん、もう大丈夫なの!?」

 

「ええ、心配をかけましたね。もう大丈夫です」

 

 ウォルバクと、ホーストと、アーネス。

 めぐみんと、むきむきと、ゆんゆん。

 因縁の者達が三対三で向かい合う。

 

「我が名はむきむき。紅魔族随一の絆を持つ者!」

 

「我が名はめぐみん! 紅魔族随一の友を持ったと、自負してますよ!」

 

「我が名はゆんゆん! ……このちょっと恥ずかしい流れ、私も乗らないと駄目!?」

 

 ちょむすけを守るように立つ、紅魔族の三人。

 

「いつもは私一人で最強を名乗っていますが……今日は特別です!

 三人で一つの最強を! 三人ワンセットの最強を名乗らせてもらいますよ!」

 

 その紅魔族を突破せんと、禍々しい魔力を漏らす魔の者三人。

 

「あくまで私の半身を渡さないというのなら、戦うしかないわ」

 

「前に俺がお前に言ったな、アークプリーストが居りゃ勝てただろうって。

 ……くはは、お前は本当にバカだな! ここでそれを形にする奴があるか!」

 

「結局こうなるわけか。まあいい、あたしとしては仕返しもできて万々歳だ」

 

 人が三人、魔が三人。

 前衛一人後衛二人に、前衛一人後衛二人。

 男一人に女二人と、男一人に女二人。

 両方揃って、前衛と、後衛と、爆裂魔法使いのリーダー。

 奇妙なくらいに、この三対三は対称的で。

 

 その戦いが必然であったと思えるくらいに、どこか運命的ですらあった。

 

 

 




・モンク
 WEB版でカズマさんがちょっとだけ言及した職業。『素手で戦う聖職者』と呼ばれ、おそらく身体操作系スキルや聖職者系スキルを覚えると思われる。

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