「我が名はむきむき。紅魔族随一の筋肉を持つ者!」   作:ルシエド

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 セグウェイとめぐみんってなんとなく似てる気がするんです。めぐみんとセグウェイの立場入れ替わり二次をお待ちしております


1-8-1 十一歳。始めて出会った悪魔が彼であったことは、幸であったか不幸であったか

 幸田露伴1912年著『努力論』、曰く。

 努力は一である。併し之を察すれば、おのづからにして二種あるを觀る。

 一は直接の努力で、他の一は間接の努力である。

 間接の努力は準備の努力で、基礎となり源泉となるものである。

 直接の努力は當面の努力で、盡心竭力の時のそれである。

 ……と、されている。

 

 要は「その時に至るまでの努力」と「その時頑張る努力」の二種類があるという話だが、この本は最終的に「努力とは幸せになるためにあるもんでしょ」みたいな方向に行く。

 この物語における主要人物の努力とは何か。

 めぐみんやゆんゆんならば勉強と魔法の鍛錬、むきむきであれば肉体の鍛錬だろう。

 努力の不足は、実力の不足。

 勝たなければならない相手がいるならば、この両方の努力を積まなければならない。

 

 魔法を習得しためぐみんとゆんゆんはいつでも学校を卒業することができ、里から旅立つことができる状態であったが……

 

「一年。一年だけ、里に留まりましょう」

 

 実力不足を理由に、二人共学校に留まった。

 めぐみんは割と向こう見ずなところがあり、目指すものがあれば大抵の危険性は踏破して突っ込んで行こうとする。

 何もなければ、さっさと里の外に出る計画を立て始めていただろう。

 あの、不死王の手を持つ魔王軍の赤色の男さえ居なければ。

 

「あの男に狙われたなら、流石に今のままだとあっさりやられてしまう気がします」

 

 めぐみんの意見に、むきむきも賛同していた。ゆんゆんは別に里の外に出てもよかったのだが、彼女は彼女で力不足を感じていたため、里に留まることを選んだ様子。

 

 あの男は、魔王軍の将来の脅威として、めぐみんとむきむきをターゲッティングしていた。

 今里の外に出れば、喜々としてその命を狩るだろう。

 里の中で殺そうとしても、他の紅魔族が邪魔になるからだ。

 かといって、里から一生出ないなんていうチキン戦法をめぐみんが選ぶわけもない。

 そこで、強くなる時間、知識を溜め込む時間、敵の警戒が緩むまで間を置くための時間を用意する……というのがむきむき達と里の大人の話し合いの結果選ばれた特例の処置であった。

 

「私とゆんゆんは、必要な知識の詰め込みと、レベル上げに魔法技術の向上」

 

「むきむきは……何か頑張って!」

 

「紅魔族って身体鍛錬への応援がホント適当だなあ、って僕思うよ、ゆんゆん」

 

 強いモンスターの動きを魔法で止め、弱い者にトドメを刺させレベルを上げる紅魔族特有のレベリング法。これを、『養殖』という。

 紅魔族は養殖をすることで、やろうと思えば五歳くらいで上級魔法を操れるアークウィザードを量産できるし、里とその周囲だけで子供達を一級の魔法使いに育てられる。

 だが、そうはしない。

 この里では基本的に12歳になるまでは子供をアークウィザードにすることもない。

 何故か?

 レベルだけ上げた魔法使いがひどく()()ことを、彼らは知っているからだ。

 

 学校でしっかり知識という下地を敷き詰める。

 必要に応じて里の外に出し、里の外で経験を積ませ、一人前にする。

 里の中だけで育て、養殖だけで育てようとすれば……ありあまるポイントで深く考えず爆裂(ネタ)魔法を覚えてしまうめぐみんもどきや、社会経験が足らず発泡スチロールみたいな性格になってしまうゆんゆんもどきが大量に発生してしまうことだろう。

 そうなれば、魔王軍の目の敵にされているこの里は滅びてしまう。

 

 レベルだけ急速に上げた魔法使いは脆い。強くても脆くては意味が無い。

 必要なのは、魔王軍でも滅ぼせないようなしぶとさと、魔王軍をも蹴散らす強さである。

 ゆえに里の大人達は、一年里で必要な努力を積むというむきむき達の選択に好意的であった。

 

「そういえば今日はゆんゆんオシャレだね。着てるそれ、なんて言うの?」

 

「濡れ衣」

 

「……えっ?」

 

「……私は悪くありませんよ。ええ、悪くありませんとも」

 

「悪くないわけないでしょ! 里一番の天才が、爆裂魔法なんていうネタ魔法覚えちゃって!」

 

 爆裂魔法の火力は、人類最強の攻撃手段とさえ言われるもの。

 が、習得は困難、スキルポイントの消費は莫大、魔力消費も産廃レベルに膨大、攻撃範囲が広すぎるため敵が接近すると自分も巻き込んでしまう、と欠点ばかりがつらつら並ぶ。

 カードゲームで言えば、ライフポイント8000ルールのゲームで、クソみたいな条件を満たさないと使えず相手に800000ダメージを与える魔法カードのようなものだ。

 

 燃費最悪、密閉空間や街近く等でも使えない、使い所を見つけにくい過剰火力。

 当然、ネタ魔法扱いである。

 学年主席のめぐみんがこんなものを覚えたと知られたら、下手したら将来性を見込まれて免除されていた学費――奨学金もどき――の返金を求められ、長年からかわれることになるだろう。

 ホモビデオに出ただけで永遠に動画サイトでフリー素材として扱われる人間のような、悲惨な未来が待っている可能性すらある。

 

 そこで、健気に頑張ってくれたのがゆんゆんだった。

 

「『族長の血に流れる隠された神秘の力が覚醒した』

 『覚醒した力の爆発があの爆焔を生み出した』

 とかいうかっこいいカバーストーリーを自分から語ったのはゆんゆんじゃないですか」

 

「カバーストーリー考えたのはむきむきで!

 それを語らないといけなかったのは、めぐみんのせいなんだけど!

 あああ……! 私、私、なんて常識外れなことを……めぐみーんっ!!」

 

「僕的には、皆綺麗に納得してくれたなあと感心しちゃったよ」

 

「あだだ、あだだっ、アイアンクローはやめてくださいゆんゆん!

 分かってますよ、感謝はちゃんとしてますよ! 貸し一つにしといてください!」

 

「ちゃんと返しなさいよ!? これめぐみんが思ってる以上に大きな貸しだからね!」

 

 今や里では「ゆんゆんの眠っていた力が―――」「族長の血に秘められた―――」「イヤボーン―――」「精神的には変人だが血は争えない―――」といった感じの話題で持ちきりだ。

 彼らは好意的にゆんゆんのことを語っているが、ゆんゆんからすれば自分の書いた中二病ノートを里中で朗読されているようなものである。

 もはや拷問だ。

 

 そんなわけで、ゆんゆんは里の皆から逃げるように、めぐみんとむきむきと一緒に外に出て、里の入り口から見える平原に移動した。

 

「行きますよむきむき!」

 

「どんとこい! へーい!」

 

 そしてすぐ、"なにやってるんだこいつら"という顔になる。

 むきむきは何やら妙なキューブを口に入れ、めぐみんは何故かむきむきに杖を構え。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 むきむきに向かって、何の遠慮もなく爆裂魔法をぶっ放していた。

 

「……もうすっかり、この光景と爆音も里のお馴染みになっちゃったね……」

 

 閃光、轟音、そして爆焔。

 全てを消し飛ばす爆裂が、『地区』という単位で風景を吹き飛ばし、されどむきむきはそれに筋肉の鎧で耐えきって見せる。

 爆心地には、全てが吹き飛んだ更地と、体の所々が焼け焦げたむきむきの姿があった。

 

「流石の筋肉ですね……」

 

「そっちこそ、流石の爆裂だよ……」

 

 倒れかけためぐみんの体をむきむきが支え、優しく抱える。

 なんという防御力か。

 とはいえ、流石に素の防御力で爆裂魔法に耐えられるわけがない。

 むきむきが耐えられたのは、先程口にしたキューブの効力のおかげだ。

 

「そのキューブ、産廃ですが遊びに使う分は面白いですね」

 

「魔法抵抗力を大幅に下げて、物理防御力を大幅に上げるものだからね。

 今の僕、多分レベル1の即死魔法でも麻痺魔法でも何でも効くよ」

 

 魔王軍・DTレッドの配下のモンスターの話を聞き、魔道具職人ひょいざぶろーが何やら思い出して、物置から引っ張り出してきたのがこのキューブである。

 ひょいざぶろーが『魔法使いの補助アイテムとして』作ったこのキューブを口にしたモンスターは、魔法抵抗力が劇的に低下する。

 その代わり、防御力が劇的に上昇してしまい、大抵の攻撃魔法が効かなくなってしまう。

 

 むきむきはめぐみん宅の家計の足しにすべく、ひょいざぶろーからこれを購入し、めぐみんと爆裂魔法で遊ぶのに使っていた。

 元から防御力が高いむきむきは、このキューブの効果時間内であれば、爆裂魔法にも耐えることができる。

 実戦に出られないレベルで魔法抵抗力が無くなるため、実戦では使えないのだけが問題だ。

 

「モンスターにしか効かない魔道具なのに、何故僕に効くのかなぁ」

 

「その内むきむきのスキル欄に『魔獣化』とか生えてきそうですね。やだ、かっこいい……」

 

「紅魔族仲間外れの後は、人間から仲間外れかー……」

 

「大丈夫ですよ。今では私達が仲間じゃないですか!」

 

「めぐみん……!」

 

 ボクシングでミットを殴るくらいの気持ちで、爆裂魔法を友達に撃つ奴。

 ドMでもないのに、ミットでパンチを受けるくらいの気持ちで喜んで爆裂魔法の的になる奴。

 この二人の仲間扱いでいいんだろうか。

 ゆんゆんは今の自分の人生に疑問を持ったが、他にまともな友達もいなかったので、すぐに考えるのをやめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在むきむき11歳。めぐみんゆんゆん12歳。

 そして、めぐみんの妹こめっこが5歳。

 この年頃になると、こめっこもめぐみん並みの行動力とバイタリティを獲得していた。

 

「どこに遊びに行ったんだ、こめっこちゃん」

 

 誰にも行き先を言わないまま、遊びに行ったこめっこ。これ以上見つからないようであれば、里の大人に話を通さなければならない。

 里の外に出てしまったなら、急いで探しに行かなければならないからだ。

 何せこの世界、危険な所は本当に危険なのである。

 

 ジャイアントトード、というカエルが居る。

 モンスター界では食物連鎖の下層に位置し、レベル1の冒険者がレベル上げのために狩る雑魚であり、毎年家畜の牛や街の子供をパクパクする巨大カエルだ。

 そう、このカエル、子供を食うのである。

 最下層のモンスターのくせに、このカエルに子供が食われない年が滅多に無いほどに。

 

 こめっこに戦闘スキルはない。当然戦えもしない。

 子供から目を離せば明日にはカエルのウンコになってたりするのがこの世界だ。

 こめっこをモンスターのウンコにするわけにはいかない。

 人間ウンコ製造機であるカエルよりはるかに強いモンスターが徘徊しているこの里の外。そこにこめっこが出ていないことを願って、むきむきは里の中を走り回っていた。

 

「邪神の墓……そういえば、昔めぐみんに連れられてここに……いやまさか……」

 

 そしてついには、子供が立ち入りを禁じられている、邪神の墓にまで足を踏み入れた。

 

 かくして、彼は生まれて初めて()()()()()()()()()()()()()()()()()、普通の人間では何十年研鑽を積んでも敵わないような、強大な悪魔と出会う。

 

「あ、姉ちゃんの兄ちゃんだ」

 

「あ?」

 

 邪神の墓には、こめっこと、その隣に立つ悪魔が居た。

 

 大きな角。むきむきと大差ない大きさの黒色の体躯。

 筋骨隆々としたその肉体には角だけでなく、禍々しい爪、鋭利な牙、大きな翼も生えていた。

 何より、その魔力。

 普通の紅魔族よりも魔力感知能力が低いむきむきでさえ、顔を合わせればその魔力が感知できてしまうほどの、強大で邪悪な魔力。

 間違いない。この悪魔は、数ある悪魔の中でも特に強力な、上級悪魔だ。

 

「―――悪魔!」

 

「チッ、紅魔族の大人か! つかデカッ!」

 

「成人はまだだぞ悪魔! 間違えるな! 僕はまだ未熟者の11歳だよ!」

 

「なにそれこわい」

 

 互いの距離は20m。

 むきむきは8mの距離を一瞬で移動し、悪魔も同じ時間で12mの距離を一瞬で移動する。

 悪魔の左拳と、少年の右拳が、二人の間の空間を押し潰しながら衝突した。

 炸裂した空気が衝撃波となり、二人の足元にあった小石のいくつかを砂へと変える。

 

(今の手応え……こいつ、やっぱり上級悪魔!)

 

(この力……なんだ、こいつの筋力値!? もう通常の人間の上限値超えてんじゃねえのか)

 

 悪魔は"魔法的な"存在である。

 そのため、特殊な能力と魔法が極めて強力であるが、上位の悪魔は身体能力も極めて高い。

 悪魔は自分を人間の上位種であると位置付けている。

 人間を見下す者、単純に種族差を事実として認識している者、人と共存の道を歩む者、人間を糧と見て害しない者。悪魔によって認識の程度は様々だが、この認識は揺らがない。

 だが、その認識における『普通の人間の筋力』を、少年の腕力は大幅に上回っていた。

 

(こめっこちゃんは巻き込めない。

 かといって、巻き込まないよう囮になって逃げようとしても……

 この悪魔が付いて来ないで、こめっこちゃんをさらって逃げるかもしれない)

 

(このガキンチョは巻き込めねえ。

 かといって、巻き込まないようここから離れようとしても……

 この紅魔族が付いて来ないで、あのガキンチョを連れて仲間の下に逃げるのがオチだ)

 

 二人の動きが止まる。

 むきむき視点、この悪魔はこめっこに害を為しかねない危険な悪魔である。その身体能力も高いが、悪魔の本領は人を凌駕する強力な魔法にあった。

 悪魔視点、紅魔族は悪魔にも匹敵する広範囲を吹き飛ばす魔法の使い手だ。下手に動いて魔法合戦が始まってもたまらない。

 それゆえに、戦いは膠着状態に陥っていた。

 

(めぐみんとゆんゆんとぶっころりーさんもこめっこちゃんを探してる。

 でもめぐみんは爆裂魔法使った後でグロッキーだし。

 ゆんゆんは紅魔族特有の考え方をトレースするのが苦手だし。

 ぶっころりーさんはまたそけっとさんのストーキングをしてる可能性が……

 どうしよう、助けも期待できない。大声上げてみようか? うーん……どしよ……)

 

(ウォルバク様の封印を解くまでは、目立てねえっていうのに……

 口封じしなきゃ終わる上、こんな目立つやつを口封じしたら面倒臭えことに……!)

 

 どうしたらいいのか、と二人の思考がシンクロする。

 その膠着状態を解除したのは、こめっこであった。

 

「ホーストホースト、姉ちゃんの兄ちゃんは話が分かる人だよ」

 

「姉ちゃんの兄ちゃん? なんだこの筋肉、オカマなのか?」

 

「!?」

 

「違うよ。姉ちゃんのものだからだよ」

 

「ああん? よく分かんねえな……」

 

 悪魔をホーストと呼び、悪魔のふとももをぺしぺし叩き、悪魔とむきむきの戦いを止める。

 こめっこと親しそうに話すホーストと、ホーストに気安く接するこめっこを見ると、むきむきの内に自分が何かを勘違いしてたんじゃないか、という思考が生まれる。

 

「……悪魔。その子を襲ってたわけじゃないんだな?」

 

「ああ、そうだ。信じるか信じないかはお前の勝手だがな」

 

 紅魔族は大昔に造り出された改造人間である。

 その誕生意義は、悪魔を従える魔王を倒すこと。

 ゆんゆんなど紅魔族の大半はそれを認識しており、むきむきもまた、その使命を認識している。

 

 それが、普段温和な彼を攻撃的にさせていた。それだけだったのだ。

 悪魔に害意がないことを確認して、むきむきはその表情をふにゃっと崩し、深く息を吐きながら心底安心したような声を漏らす。

 

「……ふぅ、よかった」

 

 その様子に、ホーストという悪魔は毒気を抜かれた気分になった。

 戦士というより、子供と表現した方が的確そうな雰囲気がある。

 むきむきを見ていたホーストはそこでふと、何かに気付いたようだ。

 

「ん? お前……」

 

 そして、手の平を返した。

 

「やめだやめ。仲良くしようぜ」

 

「え?」

 

 いくらこの世界の人間の大半が手の平をドリルのように回転させる者達だとしても、この変貌はいくらなんでも怪しすぎる。

 

「……悪魔は倒さないといけない。害意が無くても、見逃すわけには……」

 

「お前ら紅魔族に手を出す気はねえよ、面倒臭え。

 この封印解いたらお前らなんかに目もくれず、さっさと帰るってんだよ」

 

「あなたを消せばそれで済む話だ」

 

「あ? やんのか? てめえレベルいくつだオラ」

 

 "てめえどこ中だオラ"的な悪魔、ホースト。

 

「むきむき、ホーストは私の舎弟だからケンカしないで」

 

「……しょうがないなあ。でも気を付けるんだよ? こめっこちゃん」

 

「舎弟!? おい待てやコラ! 俺はお前の舎弟になった覚えなんてねえぞ!?」

 

 彼女の名はこめっこ。紅魔族随一の魔性の妹である。

 

 

 

 

 

 事情を聞くと、どうやらこの悪魔の主にあたる邪神がここに封じられているようだ。

 こめっこはその封印で遊んでいるだけのようだが、どうやらこめっこの手を借りなければ、この封印のパズル部分が解除できないらしい。

 めぐみんとこめっこは、幼いながらも非常に高い知性を持った姉妹だ。

 伊達に姉が里一番の天才だなどと呼ばれていない。

 この姉妹は、アホだが頭はいいのだ。

 

 悪魔はどうやら、こっそりこの封印を解除して身内を助け、そのままおさらばしたいらしい。

 けれども封印はこめっこの手を借りなければならず、こめっこは放置してると封印の解除に専念してくれず、物で釣ったりしてなんとか封印を解除させているとのこと。

 それから数日後。

 

「おいこめっこ、お望みの果物持って来てやったぞ。ほらよ」

 

「わたし、りんごが食べたかったのに」

 

「これでいいだろ! 桃だぞ桃!」

 

「ももとりんごの区別がつかないと世の中生きていけないよ、ホースト」

 

「お前……! 俺が行く前は『果物が欲しい』としか言ってなかったくせに……!」

 

 要するにこの悪魔、魔性の妹のパシリであった。

 「でもありがとう」とだけ言って果物を貪り始め、封印そっちのけで食らい続け、腹一杯になったら横になって寝るこめっこ。

 そんなこめっこを必死に起こそうとするホースト。

 体育座りでそれを見張っている――見つめているだけ――むきむき。

 ホーストは攻撃されない限り紅魔の里に手を出さないという約束をし、むきむきはこめっこの交渉もあってホーストのことを口外しないと約束させられ、奇妙な日々は今日も続いている。

 

「これでよかったのかな」

 

『貴様の人生を決めるのは貴様だ』

 

 そんな彼が悩みと疑問を呟けば、自問自答のようなそれに幽霊の返答が返って来る。

 

「……うーん」

 

『好きにしろ。どうせ後悔はする』

 

「え? そこは『後悔しないように選択しろ』じゃないの?」

 

『人は成功しようが失敗しようが、後悔はする。

 人は強欲で、より高い場所、より富んだ場所を求めるからだ。

 後悔は忘れることもできるが、大抵の人間は行動の結果後悔する。

 成功しても失敗しても、人は"あの時ああしていれば"と考える。

 凡俗はそうして、自分から行動することを恐れるようになるものだ』

 

「……怖い話をするね」

 

『なら最初から「どうせ後悔する」と考えればいい。

 その上で行動し、「やっぱり後悔した」と後悔を軽く扱えばいい。

 後悔など最初から想定し、全てが終わった後に捨てればいいのだ。

 人生など後悔して当然。後悔など後に引きずるものではない。

 「どうせ後悔する」という考えと、「恐れず行動し続ける」という選択を、常に併用せよ』

 

「うん、やってみる」

 

 後悔を前提とした人生の生き方。後悔があっても幸せになる生き方。後悔を理由に足を止めない生き方。後悔で人生を台無しにしない生き方。

 とても難しい生き方をすることを、幽霊はむきむきに望んでいる。

 虚空に向けて何やら話しているむきむきを見て、ホーストは可哀想な子を見る目でむきむきを見ていた。

 

「なんだあれ」

 

「姉ちゃんの兄ちゃんは幽霊が見えるんだよ。幽霊のお友達なんだって」

 

「幽霊? 幽霊……確かに何か居るな。うっすらとしてて、微妙にこの世界に馴染めてない魂」

 

 悪魔の目は強い光でも潰れない。常世ではなく魔界の生き物が持つその目は、人の目には見えないものを捉えることがある。

 封印解除においてできることがないホーストもまた、手持ち無沙汰になって座り始める。何故かむきむきの横に。何故か体育座りで。

 

「悪魔も、他人を大切に想うことがあるんだね。

 それが嘘だったなら、そうじゃないのかもしれないけど」

 

 むきむきは意識して刺々しい口調を作り、探るようにホーストに話しかける。

 彼は人が良い。それはこの世界では死に至ることもある欠点に成り得る。

 仲間を助けようとしているホーストに、人間の敵対種であるホーストに、"仲間を助けようとしているのだからいい悪魔なのかもしれない"と思い始めているのがその証拠だ。

 彼よりもまだめぐみんの方が、割り切れる分戦士には向いているだろう。

 

「おいおい、敬愛し忠誠を誓った相手の助けになろうとするのは、変なことじゃねえだろ?」

 

「……」

 

「お前らがどんなイメージ持ってるのか知らねえが、気ぃ張るなよ。

 悪魔は元々契約の生き物だ。嘘や約束破りは好まねえ。

 まあ例外の下等な悪魔や、悪感情目的で嘘を言う悪魔も居るが……俺様が嘘言って何になる?」

 

「え、そうなの?」

 

「は? お前紅魔族のくせに悪魔のことも知らねえのか?」

 

 その上、知識も足りない。

 ホーストはむきむきのことをじっと見る。紅魔族のように赤く、けれども紅魔族の目よりも闇色が混じった赤い目が、少年の本質を見極めようとしているかのように動く。

 悪魔の考えていることは分からない。

 

「まあいい。暇潰しだ。お前が俺に敬意を持つよう、少しくらいは教授してやるよ」

 

 ホーストからの提案を受けてもなお、むきむきには悪魔の考えていることが分からなかった。

 

 

 

 

 

 それから数日後。

 ホーストは意外と博識だった。

 

「悪魔は麻痺や、特定のものを対象にした魔法が基本は効かねえ。

 悪魔はこの世界の何かを仮初の肉体として使っているだけだからだ」

 

 悪魔が悪魔のことを知っているのは当然だが、ホーストは悪魔のこともその故郷である魔界のことも知らないむきむきにさえ、分かりやすく説明している。

 ()()()()()()()()()()説明しているのだ。

 人間のことを知り、人間の世界を知り、地頭が良くなければ、できないことだろう。

 

「例えばそうだな……お前が言ってたリッチーの持つスキル、不死王の手。

 こいつは触れた相手に、毒、麻痺、昏睡、魔法封じ、弱体化……

 色々状態異常を引き起こすスキルだが、悪魔に使えば大体スカる。効かねえからな」

 

「成程。勉強になります」

 

「お前急に敬語使い始めたな……

 『指定範囲の生物に影響を及ぼす魔法』も効かねえ。

 『物質を破壊する魔法』も魔力で体を編んでたなら効かねえ。

 一番効果的なのは浄化魔法か爆裂魔法で消し飛ばしちまうことだな」

 

「うちの里、浄化魔法とか使える人居ませんよ」

 

「おいおい、いいのか? そんなこと教えちまって」

 

「これだけ弱点教えて貰ってるんです。お相子ですよ」

 

 むきむきが言っていることが本当であるという保証もない。

 ホーストが言っていることが本当であるという保証もない。

 別口で調べれば裏は取れるが、それだけだ。

 二人は本質的に敵対陣営である。

 

 こめっこという存在だけが、この二人を繋げていた。

 

 嘘をつかないという信用だけが、ホーストのことを口外しないという約束だけが、その約束は破られないだろうという確信だけが、この時間を確立させている。

 信用がなければ、ここでの会話には何の価値も意味もない。

 相手の言葉を信じなければこの時間は無為へと変わる。

 これは、信用が殺意に変わるまでの、ほんの短い間にだけ価値を持つ繋がりだった。

 

「プリーストの魔法が悪魔には効果的だ。

 だが悪魔もそれは知ってるから抵抗や対策をする。

 なら爆発系魔法で対抗できない威力を叩きつけるのが手っ取り早いってわけだ。

 半端な威力をいくらぶつけようが、悪魔は死なねえからな」

 

「地道に削っていってもダメなんですか」

 

「半端な削りじゃダメだな。超強力な一撃を叩き込まなきゃ、残機も減らねえ」

 

「残機……悪魔族が持つ、死という結果を覆す予備の魂のストック、でしたか」

 

「そうだな。さっき言った方法でも、俺達の残機は一つしか減らねえ。

 だから紅魔族は、多人数で上級魔法を連続して叩き込むって聞いてたんだが……」

 

「……」

 

「お前はそういうのは習わなかったのか?」

 

「……僕は、落ちこぼれだから。魔法も使えないんだ」

 

 細かな理由は分からない。だが、ホーストは何故かむきむきを敵であるとも、敵になるものであるとも見ていないようだった。

 ホーストがむきむきを見る目は、こめっこを見るものに近いようで、とても遠いものであるようにも見える。

 

「魔法が使えない? なら巻物(スクロール)でも使えばいいだろ」

 

「スクロール?」

 

「……まあ、紅魔族が使うわけもねえか。

 巻物にあらかじめ魔法を刻んでおいて、別の誰かに使わせる魔道具だ。

 攻撃魔法はもちろんのこと、行き先に制限があるっていうテレポートの欠点だって解消できる」

 

 そう言われると、ピンと来るものがあった。

 

「あ、そういえば魔王軍のDTレッドが使ってるのを見たことが……」

 

「お前らは使う側じゃなくて売る側だ。いっぺん考慮してみろよ」

 

 魔法を込めるだけで作れる上、紅魔族が平然と使っている魔法を込めればそれだけで爆売れ間違い無しのスクロール。そんなものを、ひょいざぶろーが扱っているわけもない。

 とりあえず、普通の魔道具職人の家に行ってみる必要がありそうだった。

 

 

 

 

 

 また数日後。

 

「あるえ、なんで居るの……?」

 

「いやあ、むきむきは小説のネタになるからね。弄れるフリー素材、みたいな」

 

「褒められてる感じがしない」

 

 映画界におけるナチスやサメ並みに、あるえのフリー素材と化した少年、むきむき。

 

「それにしても上級悪魔。それも魔王軍との戦い以外で会おうとは……」

 

「まーた目撃者が増えやがった。口外しやがったら承知しねえぞ」

 

「私は口が堅い。そこは安心していいよ。魔法もまだ覚えてない」

 

「そうなのか? 確かにアークウィザードだが、魔法発動媒体は見当たらねえな……」

 

 こりゃもう隠しきれなくなるのも時間の問題だな、とホーストは頭を掻く。

 そもそも、里の中にこっそり侵入して邪神の墓の封印を解除しようというのが、スニーキングミッションとしてはキツい部類に入るのだ。

 ホースト一人では封印が解除できないというのだから、なおさらに。

 

「ちなみにあるえの口が堅いっていうのは真っ赤な嘘だよ。僕知ってる」

 

「!?」

 

「あるえは友人に迷惑がかからないなら、そっちの方が面白そうだと思った瞬間すぐ喋るよ」

「褒めないでくれ。私だって照れる時もある」

 

「おい待てお前! 喋るなよ! 絶対に里のやつにこのこと喋るなよ!」

 

「ああ、今日はちょっと暑いなあ。私まいってしまいそうだ」

 

「扇げばいいんだな扇げば! 畜生! これだから紅魔族は!」

 

「むきむきも扇ぐんだよ」

 

「死ね!」

 

 ホーストはこめっこと出会った。むきむきと出会った。あるえと出会った。

 そんな今だからこそ彼は思える。むきむきが一番御しやすかった、と。

 紅魔族がだいたい標準装備している扱いにくさ、図太さ、図々しさが、目を覆いたくなるくらいに酷い。

 上級悪魔なのにあるえとむきむきを扇がされているこの現状が、魔王軍最重要攻略目標・紅魔の里の厄介さを、如実に証明していた。

 

(ぶっ殺してやりたいが……ここで口封じに動いたとして、状況は好転しねえ)

 

 どこに行くか分からない年齢一桁の子供ならともかく、この年齢の少女を口封じに消せば、絶対に目立つ。『事故』ではなく『事件』の可能性を考慮されてしまう。

 紅魔族はアホだが頭はいい。

 頭がいいからバカなことをしても魔王軍に裏をかかれない、それが紅魔族だ。

 ホーストが下手を打てば、一瞬で追い詰められる。

 そもそも紅魔族と正面からやりあって勝てるなら、ホーストはこんな風にコソコソしていない。

 

(それに)

 

 あるえを口封じに殺そうか、そう考えた瞬間のホーストの挙動さえ、少年は見逃さない。

 ホーストが妙な挙動をした瞬間に、むきむきが一瞬だけ目に浮かべた戦意が、"無事ではすまない"とホーストの迂闊な行動を抑制している。

 

(まだ封印が解けてもいないってのに、里の中でこいつと派手にやりあってもな……)

 

 事を荒立てたくないのは、悪魔の方なのだ。

 状況が、悪魔の方が基本的に譲歩するという構図を作っている。

 

(つかこいつらは、邪神の封印を解くってのに、なんでこんなに落ち着いてやがるんだ……?)

 

 邪神ウォルバクの復活が目的であることを、ホーストは隠していない。

 封印が解ければどうなるか。『もしも』を考えればいくらでも悪い方向に考えることができる。

 にもかかわらず、むきむきもあるえもそこを気にしている様子は見られない。

 ホーストは邪神の復活を許容するあるえとむきむきに、不審なものを感じていた。

 

 

 

 

 

 そんなこんなで数日後。

 

「こめっことホーストの禁断の愛を書いた恋愛小説が完成した。

 むきむき、読んで感想を聞かせてくれないか? 忌憚ない意見が聞きたい」

 

「おいむきむき、こいつ何言ってんの(戦慄)」

 

「ミスターホースト、これがあるえの平常運転……

 ……ってええ!? ほ、ホーストの体の周りに目に見える形で漏れた戦慄が!?」

 

 こめっこを肩車していたむきむき。

 とりあえず少女を脇に置き、特に何も考えずあるえの小説を口に出して読み始める。

 

「二人は禁断の愛に、身を焼かれるような苦しみを味わう。

 愛しい人の手に触れられた場所が妙に熱い。そして、互いの吐息が唇に当たり……」

 

「やめろ! 実在の人物を使って創作すんな!

 捏造恋愛とかサブイボが出るわ! てめえは悪魔か!」

 

「あなたがそれ言いますか、悪魔のくせに」

 

「やめないか! 人の書いた小説を人前で音読するとか! 君は悪魔か!」

 

「……」

 

 ホーストとあるえが一斉にむきむきを悪魔呼ばわりし、むきむきは盛大に傷付くのであった。

 あるえは顔を赤くしていて、ホーストの声からは迫真の戦慄が感じられたが、傷付きやすい彼に口撃するのはギャラドスに十万ボルトをぶち込むようなもの。

 むきむきは(まぶた)をぱしぱし動かし、涙が目の端に溜まるのを防ぎ、泣きそうな目を誤魔化すのであった。

 

 そんな少年の頭を、こめっこが撫でる。

 

「よしよし」

 

「……」

 

 むきむきは幼い子供がぬいぐるみを抱きしめるように、彼女を優しく、ギュッと抱きしめた。

 ぐすっ、という音が聞こえてくる。

 こめっこは彼の頭を抱えるように抱きしめ、なおも頭を撫で続ける。

 

(魔性の妹……)

(魔性の妹……)

 

 恐るべきロリであった。今この瞬間だけは、むきむきにとっての女神であった。女神ロリス。

 

 

 

 

 

 数日後。

 

「ふーん、ふふふーん、ふふー、ふーん」

 

 封印を弄っているこめっこの手元を、あるえが覗いている。

 むきむきとホーストはいつものように並んで座り、体育座りでそれを眺めていた。

 あと少し。今日中にも封印は解ける。この時間も終わりを告げる。

 

「もう終わるってよ」

 

「ああ」

 

「敬語無くなったじゃねえか、むきむき」

 

「何故そうなったのか、ホーストは分かってるでしょ」

 

「まあな」

 

 仮初の距離感が消え、悪魔と少年の心の距離が離れたことを、二人共感じていた。

 今日までの日々に、互いに色んなことを話した。

 互いのことをよく知った。

 だが、それは決断を鈍らせるほどの情には至らない。

 

「できた!」

 

「何故親子丼で邪神の最後の封印が解けるんだ……? まあいい、小説のネタにしよう」

 

 そうして、最後の封印が親子丼で解除される。

 何故か親子丼で。

 まあこの世界ではよくあることだ。

 パチン、と小さな音がして、ホーストが感慨深い様子で立ち上がる。

 

「ようやくだ。ようやく……悲願が果たされる」

 

 ホーストが手をかざし、魔力の波動が邪神の墓へと浸透する。

 "本来ならば時間差で飛び出てくるはずの"邪神が、悪魔達が、ホーストの魔力によって一緒くたになって引きずり出される。

 それは、『黒』だった。

 風景も、空も、視界も、全てを埋め尽くす黒黒とした悪魔の群れ。

 

 邪神の墓の封印から解放された悪魔達は、封印解除直後で状況も飲み込めぬまま、あまりにも多い仲間達のせいで自分達も何も見えていない状態だったが、次第に周囲に拡散していく。

 

「うわっ!?」

 

 思わず、声が裏返るむきむき。

 ここに一枚の風景画があるとする。

 それをボールペンの先で叩き、点を打っていくとする。

 ただそれだけを繰り返し、風景を黒く染めていくとする。

 今ここにある光景はまさしくそれだ。

 

 悪魔の数が多すぎて、遠くにあるものが悪魔以外何も見えやしない。

 

「悪いな、こめっこ、むきむき、あるえ。俺は悪魔なんだ」

 

 ホーストは悪そうに笑う。全て計画通りだ、とでも言わんばかりに。

 

「約束通り俺は里には手を出さねえ。

 ウォルバク様も連れ帰る。あの方も手は出さねえだろう。

 まあ、この数の悪魔に紅魔族が先に手を出しちまったなら、その後のことまでは知らん」

 

 お前らが大人しくしてれば、大人しくしてる内は手を出させねえようあいつらに話通しておいてやるよ、とホーストは言い、彼らに最後の義理を見せる。

 ホーストからすれば、この後に繰り広げられる悪魔と紅魔族の戦いは不可避のものであるように見えるのだろう。

 だが、違う。

 ホーストの目論見は大筋では間違ってはいないが、見逃しているものがあった。

 ゆえに、流れはホーストが予想したものにはならない。

 

「じゃあ僕も、あなたと同じ言い回しで答えさせてもらう。

 ごめんねホースト。僕もあるえも、紅魔族なんだ。あなたが悪魔であるのと同じように」

 

「あん?」

 

「紅魔族は、悪魔を倒す者だ。僕は、認められなくても、その一員でありたいと思ってる」

 

 むきむきがポケットから取り出した瓶の蓋を開ける。

 すると、そこから不規則な魔力が大量に吹き出した。

 どうやら魔力を散布する魔道具のようだ。

 その効果によるものなのか、大量に発生した悪魔達が皆、互いの魔力を見失ってしまう。

 

 結果。全ての悪魔が邪神ウォルバクの魔力を見失い、どこに行けばいいのか、どこを目指せばいいのか分からないまま、中空を彷徨い始めた。

 

「これは……」

 

 地面を踏む小さな音がして、ホーストはそちらに目を向ける。

 そこには小さな動物風呂敷に包まれ暴れている様子の小さな動物と、その動物を風呂敷に包みつつ肘打ちで大人しくさせているこめっこと、こめっこを抱きかかえるあるえが居た。

 

「何故彼も私も、大して慌ててなかったか分かるかい?

 紅魔の里の大人が集まれば、邪神の一柱くらいは余裕で倒せるからさ」

 

 こめっこは風呂敷に包んだ何かとの格闘に夢中になっていて、周囲の会話に何も気付いていないようだ。

 将来大物になりそうな子供を抱えたまま、あるえはホーストにネタばらしを続ける。

 

「封印が維持されてたのは、単に

 『邪神が封印されてる里ってかっこよくない?』

 という理由で封印が継続されていたからだ。脅威だったからではない」

 

「……ああ、なるほどな。そこで俺が来たわけだ」

 

 この里の人間にとって、邪神の封印など観光名所のオブジェ程度のものでしかない。

 だがそれも、紅魔族が万全な状態で復活したものを迎え撃てたなら、の話だ。

 

「紅魔族の事情なんて考慮せず、いつ邪神を復活させるか分からないのが俺だ。

 魔王軍の大規模侵攻中に復活されたら困る。

 魔王軍のせいで里の大人の大半が潰れてる時に復活されても困る。

 だから、処理できる余裕がある内に処理させちまおうって腹か。

 バレたら白い目で見られるかもしれないってのに、里への忠誠心が高いもんだな」

 

 むきむきは自分が里を出る前に、邪神とホーストという不安材料を片付けようとした。

 こめっこにも嫌われたくない。里の人にも嫌われたくない。かといって最悪のタイミングで邪神が復活し、里の皆が酷いことになるのはもっと嫌。そんな思考が、彼にこの選択を取らせた。

 そういう風に考えてしまう彼の情けない部分を、あるえは友人として許容し、彼の選択と行動に助力した。

 

「仲間外れなやつほど、そのコミュニティに献身的になりたがるもんだ」

 

「……」

 

「分かんだろ? 悪魔の俺様に言われなくたってよぉ」

 

 嫌われないための選択。里というコミュニティへの献身。

 彼のその選択は勇気ゆえに選ばれたものではない。

 ただ、尽くすことで好かれようとする哀れな子供には、それ以外の選択肢がなかっただけだ。

 

「知り合いに優秀な占い師さんが居たから、その人に頼んでおいたんだよ。

 『この日、邪神とその下僕が復活するかもしれない』

 っていう嘘の占い結果を、大人達の方に伝えてほしいって。だから準備は万端だ」

 

「俺様を見張ってたおかげで、復活の日付はばっちり読めてたってわけだ」

 

「紅魔の里は、余裕を持って邪神の下僕を殲滅する。邪神も倒す」

 

「なるほどなぁ。……で? お前がここで俺と対峙する理由はあんのか?」

 

 あるえは小動物入り風呂敷を抱えたこめっこを抱え、この場からこっそり離脱する。

 その目が"どうやって勝ったか後で語り聞かせて欲しいな"と言っていたが、むきむきは意図してその視線を無視した。

 

 ホーストの目が言っている。

 逃げてもいいぞ、と。

 逃げるなら見逃してやるぞ、と。

 俺様と戦う役目を他の大人に任せてもいいんだぞ、と。

 挑発的な彼の目が、そう言っている。

 

「言ってみろよチキン野郎。お前がここで、俺から逃げない理由ってやつを」

 

「前に話してた時に言ってたよね? ホーストは、魔王軍だって」

 

「おう。そして邪神ウォルバク様も、魔王軍幹部の一人だ」

 

「それも聞いたよ。

 ホーストは、その人を助けるという約束……契約があるから、その人を助けるんだって。

 僕も同じだ。僕も約束がある。だから、魔王軍の悪魔であるあなたは見逃せない」

 

―――魔王を倒した者として、伝説を歴史書に刻むのです!

 

「僕には、いつか友達と一緒に魔王を倒すっていう、約束があるから」

 

 魔王を倒すだの、魔王を倒して新しい魔王になるだの、最強の魔法使いになるだの、そんな夢物語を当然のように語っている友人がいる。

 その友人の夢こそが、未来の希望になってくれている。

 ならば、逃げられるものか。

 一人の男として、一人の友として、逃げるわけにはいかない。

 

「おう、最後の授業だ。覚えておけよ、むきむき」

 

 ホーストは牙を剥き、爪を軋らせ、口角を上げる。

 広げられた翼が羽ばたき、魔力の波動がただそれだけで周囲の木々を激しく揺らした。

 

「悪魔はな……約束と契約を必死に守ろうとする人間は、基本的に嫌いじゃないんだぜッ!」

 

 互いの距離は20m。

 むきむきは10mの距離を一瞬で移動し、ホーストも同じ時間で10mの距離を一瞬で移動する。

 ホーストの左拳と、少年の右拳が、二人の間の空間を押し潰しながら衝突した。

 炸裂した空気が衝撃波となり、二人の足元にあった地面の表面を巻き上げる。

 

 本気の殺意と、本気の殺し合いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホーストとむきむきには、明確な相性差がある。

 むきむきは飛べず、ホーストは飛べる。

 むきむきは飛び道具に乏しく、ホーストは上級魔法の使い手だ。

 離れられれば、即座に終わる。

 

 それゆえに、ホーストは拳撃の直後にすぐさま飛翔し、むきむきはそのホーストに鎖を投げつけて、自分の右腕と悪魔の左腕を太く長い鎖で強固に繋げた。

 

「! ミスリルの鎖か!」

 

「ミスリルは霊体さえも捕らえられる……だった、よね?」

 

「ハッ、俺様の授業をちゃんと聞いていたようでなによりだ!」

 

「翼もある、魔法もある、そんな悪魔に無策で挑むわけないじゃないか!」

 

 鎖はそこそこの長さがあったが、遠距離戦を維持することは不可能な長さであった。

 むきむきが鎖を引き、引きずり降ろされたホーストが爪を構える。

 突き出された人の拳と悪魔の爪は互いの命を獲りに行き、互いの回避行動の結果、互いの頬をかすりながら空振った。

 悪魔の裂けた皮膚から血は出ず、少年の裂傷からは血が吹き出していく。

 

「くっ」

 

 距離12m。

 詠唱を用いず悪魔が魔法を使うために要する一瞬の時間、その一瞬の時間に現状のむきむきが移動できるのは10mが限界だ。すなわち、この距離は詰めきれないということ。

 悪魔の魔法発動はあまりにも速い。少年はホーストの魔法発動を許してしまう。

 

「『インフェルノ』!」

 

「汝、その諷意なる以下省略! 『ウインドカーテン』!」

 

 迫りくる業火。

 腕力で暴風を起こして炎を逸らし、自分も横に跳んで炎をかわすむきむき。

 なのだが、意味の無い詠唱をした挙句その詠唱を放り投げて腕力ゴリ押しで来たむきむきを、ホーストは"なんかよくわからんもの"を見る目で見ていた。

 

「今のが詠唱破棄だよ」

 

「破棄してもいいってことはゴミ同然なんじゃねえのか、その詠唱」

 

「友達がくれたものだから、大切にしたくて……」

 

「紅魔族はバカしか居ねえのか!」

 

 鎖を千切るため鎖に攻撃を加えようとするホーストに石を投げて妨害しつつ、むきむきは再度めぐみんとの特訓で身に付けた詠唱を開始。

 

「我が手に携えしは悠久の眠りを呼び覚ます天帝の大剣。古の契約に従い我が命に答えよ」

 

 むきむきほどになれば、小さな小石でも重い車を引っくり返すだけの威力が出る。

 小石をかわしたホーストに向け、むきむきは中距離から手刀を振り下ろした。

 

「『ブレード・オブ・ウインド』!」

 

「『インフェルノ』」

 

 手刀から飛んだ風の刃と、ホーストが放った炎の塊が衝突し、炎の塊は切れ目を入れられながらもむきむきに向け直進する。

 

「絶望の深淵に揺蕩う冥王の玉鉾。現世の導を照らすは赤誠の涓滴! 『アースシェイカー』!」

 

 その攻撃を、むきむきは逆に利用した。

 地面を掴み上げ、直径20mほどの土塊となって持ち上げられたそれを、火に向けて投げ付けたのである。土は一気に加熱され、火と土は混ざり溶岩のようになってホーストへと衝突する。

 並大抵のモンスターであれば、死体も残らないような熱と衝撃であった。

 

「おいおい、それでどうにかなるとでも思ったのか?」

 

 にも、かかわらず。

 ホーストは自身の上級魔法を含む火と土の混合攻撃を、平然と乗り越えてきた。

 

「……魔王軍幹部級の力を持つ、上級悪魔……」

 

「お前、里の外に出るんだろう?

 里の外に出て魔王軍とやりあうつもりの嬢ちゃんを守るんだろう?

 ならいつか、俺や俺より強い奴が居る魔王軍とも殺し合うって分かってんのか?」

 

 遠い昔から現代までずっと、上級悪魔と戦った多くの人間達が胸に抱いた感情と同じものが、今のむきむきの胸の内にある。

 

 『()()は、どうやったら倒せるんだ?』

 

「山をも崩す爆裂魔法がある。

 爆裂魔法で無力化できても殺せない幹部が居る。

 爆裂魔法一発じゃ倒せないやつが居る。

 そもそも、爆裂魔法で殺し切れるか怪しい大悪魔も幹部に居る。

 分かるか? 俺を倒したいなら、最低でも山一つは投げられなきゃダメだってことだ」

 

 紅魔族の大人達が集団で囲み、集中火力で滅することを良しとする強敵。

 今のむきむきであれば、見上げるしかない高みに存在する強敵。

 彼がめぐみんに付いて行くことを選ぶのであれば、遅かれ早かれ戦わなければならない強敵。

 

「もっと根性見せてみろ。

 悪魔にも生み出せない感情の爆発が、弱っちい人間の長所だろうが!」

 

 これが上級悪魔。

 人類最高の魔導資質を持つ紅魔族が上級魔法を操ってさえ、滅ぼせるとは断言できない規格外。

 この世ならざる場所、魔界より来訪した恐るべき高位生命体。

 

「ぐっ……!」

 

 悪魔の凶悪な魔法が地面に着弾するも、むきむきは恐れず鎖を引っ張る。

 あえて敵魔法に敵を巻き込み、ダメージを与える腹づもりであった。

 魔法を突き抜けてきたホーストに高速で放たれた拳が三連打。短い音を響かせる。

 負けじとホーストも魔法を連射し、それを幽霊に教わった技と筋力でむきむきが的確に処理、三連射された魔法は三連続で長い爆音を響かせた。

 お返しとばかりに、またしてもむきむきが三連続で蹴りを当てる。

 

 悪魔の赤い瞳が輝く。

 少年の赤い瞳が輝きを増す。

 

 無数の悪魔が舞い降りた紅魔の里の片隅で、少年と悪魔は再三激突。耳が痛くなるような轟音を響かせた。

 

 

 

 

 

 むきむきとホーストの戦いの音が、紅魔の里にも響き渡る。

 だが、その音でさえもはや目立って響いてはいない。

 紅魔の里はそこかしこで戦闘が繰り広げられており、非戦闘員を守る紅魔族と殲滅に動く紅魔族に分かれてはいたものの、その両方で激しい戦闘が繰り広げられていたからだ。

 ちなみに現在怪我人0、死人0である。……恐るべし、紅魔族。

 

「『ライト・オブ・セイバー』ッ!」

 

 ゆんゆんが振るった光の刃が、小さな孤から大きな弧へと変わるようにして、六体の中級悪魔を両断する。

 

「よし! 皆、こっちよ!」

 

「私が力を見せるまでもありません。

 我が下僕のゆんゆんが悪魔を蹴散らします。安心して下さいね」

 

「なーんでめぐみんは私の功績をさも当然のように自分の功績にしてるのかなっ!」

 

 彼女らは今、学校の下級生――魔法も使えずアークウィザードでもない――を引き連れ、幼い彼らを安全な場所に移動させようとしていた。

 いつの間にかあるえとこめっこも合流している。

 彼女らもまた子供だが、戦闘力で言えば既に上級悪魔に迫るものを備えていた。

 

「流石ゆんゆんさん! 学年二位で族長の娘!」

「家柄だけが取り柄とか噂もあったけど、もう魔法も覚えてるんだぁ」

「かっこいいー」

「なんでそんなできる感じなのに学校に友達居ないんですか?」

 

「げほぁっ」

 

「ああ、ゆんゆんさんが血を吐いた!」

「あかんかったんや! 昼は大体一人で食べてることを言及したらあかんかったんや!」

「謝れ!」

「ゆんゆんさんに謝れ!」

「ご、ごめんなさい」

 

「い、いいのよ……」

 

 いい人そうで、能力があって、可愛くて、族長の娘で、優しい。なのに友達が居ない。ゆんゆんのそんな奇々怪々っぷりは子供達の目に妖怪のように映っているようだ。妖怪ボッチ。

 こういう時にリーダーシップを発揮するのはめぐみんの方が向いているようで、子供達は特に何もしていないめぐみんにもしっかり尊敬の目を向けている。

 おかげでゆんゆんは苦手な集団の調整をしなくてもよくなり、里の戦い全体を見回す余裕が出来ていた。

 

(うん、いい感じ。これなら急がず時間をかければ、ちゃんと全滅させられるかも……)

 

 戦局の推移は、先日のDTレッド襲撃時より紅魔族に優勢なようだ。

 紅魔族と魔王軍の戦闘は魔力と頭数というリソースを互いに削るものになりがちだが、紅魔族は魔力を温存しながらきっちり敵悪魔の数を減らしている。ゆんゆんもそうだ。

 この戦いは集団戦だが、悪魔には指揮を執る者が居らず、紅魔族には族長が居る。

 時間が経つにつれてその差が出てきたのかもしれない。

 

「あるえおねーちゃん、この音は何?」

 

「こめっこ、これはむきむきが頑張ってる音だよ」

 

「泣き虫なんだからほどほどにしておけばいいのにー」

 

 遠くから聞こえてくるむきむきの戦闘音。

 こめっこはそれが彼の戦闘音であると気付かず、あるえはそれが彼の戦闘音であることだけを理解し、ゆんゆんとめぐみんはそれ以上のものを察する。

 

「あれ? めぐみん、これもしかしてむきむきがピンチ?」

 

「え?」

 

「そうみたいですね。また何かやったんでしょうか」

 

「……ゆんゆん、めぐみん、それはひょっとすると心通じ合う愛の力とかそういう」

 

「「 ちがわい 」」

 

 頬を染めるあるえの言葉に、めぐみんとゆんゆんは"悟空×ベジータのホモ同人を見てしまったドラゴンボール大好き小学生"みたいな表情で応える。

 

「あの子はいつも一生懸命ですが、あの子の頑張りに最初に気付くのは、いつも私達ですから」

 

 溜め息を吐いて、めぐみんは指でこめかみを叩き始める。

 

「でもどうしよう。こっちの悪魔、まずどうにかしてからじゃないと……!」

 

「ゆんゆん。やってしまいなさい」

 

「偉そうねめぐみん! 本当に!」

 

「学年一位が二位より偉いのは当然じゃないですか。

 さあ、力を温存している今は役立たずな私を存分に守ってやって下さい」

 

「きぃぃぃっ!!」

 

 普通のRPGなら『たたかう』『まほう』『とくぎ』『ぼうぎょ』『にげる』等のコマンドが並ぶのが普通だが、めぐみんには『ばくれつ』『にげる』のコマンドしかない。

 一度しか撃てない、撃てば倒れる。

 言うなれば女ばくだんいわ。それがめぐみんだ。

 今日もめぐみんは普通に役立たずであったため、群れなす悪魔に一人でカチコミをかけなければならないゆんゆん。本日も彼女の気苦労は絶えなかった。

 

 

 

 

 

 飛んで来た魔力の塊を、むきむきは拳圧込みで上空に三発殴り飛ばし、残りは全て殴り潰す。

 空気を握り締め、圧縮した空気を爆弾のように投げれば、それらはホーストを牽制する三連続の長い爆発となった。

 牽制で移動先を限定されたホーストに拳が三連続で命中したが、ガードされたせいで音だけが派手な攻撃に終わり、ろくにダメージが通っていなかった。

 

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 

『いいぞ。今は息を整えていていい』

 

 鎖がじゃらりと垂れて、幽霊がむきむきに息を整えさせる。

 未熟で、低レベルで、経験も足りていないむきむきが上級悪魔と戦えている理由。

 その一つが、この幽霊だった。

 足りない経験をこの幽霊が補ってくれている。

 足りない技も今日までの日々の鍛錬で多少なりと補ってくれていた。

 助言で隙も埋めてくれるため、むきむきはホースト相手でも中々いい勝負ができている。

 

 ホーストはむきむきの健闘に感心した様子を見せ、悪魔らしく激しい戦闘に呼吸している様子さえ見せないまま、息を整えているむきむきに語りかける。

 

「なあ、むきむき」

 

「?」

 

「お前、魔王軍に来ないか?」

 

「―――」

 

 それは、悪魔の誘惑だった。

 

「悪魔ってのは魂も見てるもんだ。

 契約でそいつを持っていくわけだからな。

 ……お前、魔王軍でもやっていけるぜ? 来るなら歓迎してやるよ」

 

 ホーストは最初から、むきむきが魔王軍に来るかもしれないと思っていた。

 彼のむきむきに対する態度は、そういう考えから来ていたものでもあった。

 他にも様々な理由はあったが、理由の一つは間違いなくそれだった。

 

「多分お前は、人類の敵になったらなったでやっていけるやつだぜ」

 

「興味ない。そっちには、()()()()()から」

 

 人に執着し、コミュニティに執着する。

 倫理と種族への帰属意識ではなく、個人を受け入れてくれる居場所を重視する。

 ホーストはむきむきにそう言わなかったが、魔王軍幹部の()()()()()は人間として生まれ、アンデッドになるなど様々な道筋を経て幹部となった者達だ。

 その者達を見てきたホーストは、この少年の中に何かを見たらしい。

 例えば、の話だが。大切な人を人間に殺されれば、そのまま魔王軍に所属し、人類の抹殺に向けて動き出してしまうような、危うい何かを。

 

「DT戦隊とかいう部隊も今じゃあるしな。受け皿はあると思うんだが」

 

「DT戦隊……なんでそこでその名前が?」

 

「仲間になったら教えてやるよ」

 

 そう言い笑うホーストの様子は、頼れる兄貴のようで。

 根本的な部分で『むきむきが仲間になるかならないか』『むきむきが生きるか死ぬか』に執着していない雰囲気は、まるで悪魔のようで。

 

「まあ、考えといてくれや。……もしもこの戦いを、生き残れたらなぁ!」

 

 火の上級魔法が悪魔より放たれ、少年が斜め後ろ、横、と連続で跳んで必死にかわす。

 

 ホーストに"絶対にこの少年を殺す"という意志はない。

 だが"死んでもいい"という思考はある。

 自分が本気で戦って死ぬならそれまで、死ななければいつか来いよと粉をかける。

 悪魔らしい、タガの外れた倫理観だった。

 

(勝てるんだろうか。この強大な悪魔に。こんな、僕が)

 

 ホーストと繋いだ右腕の鎖が、妙に重く感じられる。

 先のことを考えれば、この強さの敵に勝てるようにならなければならないというのに、まるで届いている気がしない。

 勝てるのか。勝てるんだろうか。勝てないかもしれない。そんな思考が、ぐるぐる回る。

 実際、いい勝負は出来ているのだが、むきむきは弱気になり始めていた。

 

 精神的に強いなら、むきむきは普段からもっと胸を張って生きられている。

 

『情けない愚物が』

 

「……おっしゃるとおりです。すみません」

 

『莫迦者が。謝るな』

 

 必要なのは倒せないという意識の変革。倒せるという確信の獲得。倒す過程への信仰の構築。

 

『しからば、(それがし)が言葉を与えてしんぜよう。

 殴れるのなら、壊せるはずだ。

 壊れぬものなどない。触れられるのなら尚更よ』

 

「……殴れるなら、壊せる」

 

『しからば後は、貴様の心の問題だ。壊せるのなら、倒せるはずだ』

 

 "勝つその瞬間まで自分を信じられる理由"の創出。

 

『神を殴れるこの世界なら、神とて殴れば殺せるだろう』

 

 幽霊が生者に触れられない手を、むきむきの右手に添える。

 ひんやりとした感触、幽霊に触れられたことによる生理的反応が、反射的に右手と右手の指を動かして、少年に右拳を握らせる。

 握らされた拳を、少年は更に強く握って、心に湧いた弱気をそこで握り潰した。

 

『拳を握れ。目の前に敵が居るのなら、余計なことは殴り殺してから考えろ』

 

 殴れば倒せる。殴り殺してから考えろ。幽霊の理屈はシンプルだが、それゆえに力強い。

 むきむきは拳を握り、顔を上げ、そこで空へと放たれる光の刃を目にした。

 

(……あれは。あれは……ゆんゆんの、光剣。空に打ち上げられた、応援と合図)

 

 敵ではなく、空に向けて放たれたライト・オブ・セイバー。

 そこに込められているのは、少女から少年に向けた"頑張って"というメッセージ。

 幽霊の助言で拳を握ったむきむきは、この応援にてようやく、自分の中に湧き上がっていた弱気を振り払うだけの勇気を得た。

 踏み込む足に、力が入る。

 構える右腕に、心が籠る。

 満ちた弱気に、魂が勝つ。

 ゆんゆんの魔法が、勇気をくれた。

 

「我、久遠の絆断たんと欲すれば、言葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう―――」

 

 むきむきは踏み込み、右腕を引く。

 鎖ごとホーストが引っ張られ、二人の距離が一気に縮まる。

 少年が振るうは右の手刀。すなわち、プラズマを纏う筋肉任せの光の必殺。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

「―――!」

 

 ホーストはその攻撃を防ぐでもなく。かわすでもなく。

 『反撃』という最適解を叩き出した。

 容易には防げない手刀により、ホーストは右腕を肩口から切り飛ばされる。

 否。

 ()()()()()()()のだ。

 急所だけは絶対に切らせず、片腕だけを犠牲にし、ホーストは全力の左拳を叩き込む。

 カウンターで吹っ飛ばされたむきむきは二連続で切り込むことができず、ホーストは切られた腕を魔力任せに再生し、健全な腕をさらりと生やした。

 

 悪魔にもダメージがないわけではない。が、敵の必殺攻撃を代わりが利く腕一本という損失に抑え、敵の追撃を防ぎ、一発いいのを叩き込んだ。

 ホーストの選択は、間違いなく最適解だったと言えよう。

 

「ぐぅっ……!」

 

「へっ、危ねえ危ねえ。だが首はやれねえな」

 

「我、久遠の絆断たんと欲すれば、言葉は降魔の剣と化し汝を討つだろう!」

 

「何度やろうが―――」

 

 二度目の詠唱。同じ詠唱。踏み込んで来るむきむきと、振り上げられた左の手刀を見て、ホーストはまた先の必殺が来ると読んでいたのだが――

 

「!?」

 

 ――手刀は振り下ろされず、懐に入り、そこから巻物(スクロール)を引き出していた。

 

 里中探しても一枚しかストックが無かった、"スクロールの作製技術がない者でも上級魔法を込められる白紙のスクロール"。

 そこにゆんゆんが光の魔法を込め、むきむきはそれを懐に入れていた。

 魔法が使えない出来損ないの紅魔族でも、それを起動させるくらいはできる。

 

「『ライト・オブ・セイバー』!」

 

 "この距離ならまだ拳は届かない"という認識が、ホーストの反応を一瞬遅らせた。

 ホーストは飛び上がって回避しようとするが、一手遅い。

 放たれた友情の斬撃が、ホーストの両足を切り飛ばし、バランスを崩させる。

 切り取られた足は瞬時にまた魔力によって再生されたが、一瞬の遅れと隙は如何ともし難く、ホーストの腹に強烈なアッパーが突き刺さっていた。

 

 まるでロケットのように、ホーストは空へと殴り飛ばされる。

 

「うごっ! っ、だが、こんなもんじゃ俺様を殺るには……」

 

「モールス信号、っていうのがあるんだ。ご先祖様が残した面白いものの一つにさ」

 

「?」

 

「短い音三回、長い音三回、短い音三回。こっそり、戦いの中で鳴らせないものかと苦心してた」

 

 幽霊とむきむきが初めて出会った日、ゆんゆんが幽霊話に泣きそうになっていた日、めぐみんはむきむきとモールス信号を習得しようとしていた。

 何故か? かっこいいからだ。

 あの日より前の日も、あの日より後の日も、モールス信号の習得――という名の紅魔族風遊び――は続いていた。途中からは、ゆんゆんも巻き込んで。

 

 だから、むきむきは戦闘音をそれに寄せて戦っていた。

 ゆえに、めぐみんとゆんゆんは、戦いの音を聞いて状況を把握できていた。

 短い音三回、長い音三回、短い音三回。

 モールス信号において、これは『SOS』を意味している。

 

 そして、強い友情で結線された彼らであれば、そのSOSに完璧な形で応えられる。

 

 むきむきはホーストを上に殴り飛ばしたと同時に、自分も跳躍していた。

 そしてミスリルの鎖を使い、空中でホーストの大きな翼を縛り上げ、背後からホーストを羽交い締めにして、空中で回避行動を取れないようにする。

 事前にむきむきが計画していた通りになった。鎖はホーストの魔法と飛行を封じるため、そして最後に翼を縛るために用意したものだ。

 むきむきが、最後の最後にホーストを押さえ付けるために。

 

 今、超遠距離から爆裂魔法の照準を合わせているめぐみんを、この戦いの最後を飾るフィニッシャーにするために。

 

「上級悪魔を倒すには、爆裂魔法……だった、よね」

 

「馬鹿野郎! お前まさか相打ち狙いで―――!?」

 

 むきむきはとことん、ホーストが気まぐれで教えた内容を信じ、それを踏襲した。

 ホーストは、むきむきが話した内容を話半分程度にしか信じていなかった。

 今日は奇しくも、それが正反対の形で作用した形になる。

 無論、上級悪魔が消える威力の魔法だ。むきむきがそれに耐えられるはずもない。

 

 だから少年は、遊びに使っていた『あのキューブ』の最後の一個を、ここで飲み込んだ。

 

(―――今、こいつ、何を飲み込んで―――)

 

 ホーストを羽交い締めにしているむきむきの体が、一瞬で頑強なものへと変わる。

 それで、悪魔は察したようだ。

 愉快そうに、悪魔は笑う。

 

「―――へっ、やるじゃねえか」

 

「ありがとうございました、先生」

 

 そして、むきむきが世界最強だと心の底から信じている爆焔が、放たれる。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 目指すものがあるのなら、それを一人で目指す必要はない。

 

 それもまた、むきむきが友から教わったものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人並み以下の魔法抵抗力を投げ捨て、極端に物理防御力を上げて敵を掴み、自分諸共爆裂魔法を当てる。

 上級悪魔を一撃で倒す手段を持たない彼には、これが最良の策であるように思えた。

 だから、命がけで実行した。

 空から落ちて、むきむきは少し火傷した体で着地する。

 

 同時に、彼の前にも、何かが落ちて来た。

 

「おー、いてて」

 

 落ちてきたそれは、軽い口調で焼けた体を撫でている。

 

「めぐみんの爆裂魔法は最高で最強。それを疑ったことは、一度も無いけど……」

 

 体のところどころが欠け。

 体の大部分が焼け。

 体にあった急所のいくつかが吹き飛んでいて。

 

 それでも、上級悪魔ホーストは、死んではいなかった。

 

「……嘘つき。爆裂魔法撃ち込んでも、倒せないじゃないか」

 

「そこらの上級悪魔なら倒せるぜ。嘘は言ってねえ。

 だが、ホースト様を倒すにはちと火力不足だったな」

 

 悪魔の体が、魔力によって再生されていく。

 

 爆裂魔法は、人類最強の攻撃手段だ。

 人類でも最高峰の才能を持つ人間でも、習得できる人間は一握り。

 これ以上の破壊力を持つ魔法など存在しない、神でも自前の魔力で二発と撃てない究極魔法。

 なのに、倒せない。

 

 こんなもの、どうすれば滅ぼせるというのだろうか。

 

「惜しい、惜しい。だが褒めてやるよ。

 もしもここに最上級のアークプリーストの一人でも居たなら……

 俺様の『残機』、一つくらいは削れてたかもしれねえぞ? ま、紅魔族に居るわけねえか」

 

「……そりゃ、居ないよ」

 

 上級悪魔なんてものは、国一番のアークプリーストでさえ手を焼くというのに。幹部級の悪魔に痛恨の一撃を叩き込めるだけのアークプリーストなど、連れて来るだけで困難だ。

 まだ空から降って来るのを待った方がいい、というレベルである。

 めぐみんという人類最高火力も用いたというのに、その上に更に何かを積めと、この恐るべき悪魔は言っている。

 

「ま、俺もこれ以上戦うのはキツいからな。

 ウォルバク様と後で合流できることを祈って、ここは退却しておくぜ」

 

「……」

 

「ここから紅魔族に時間をかけて削られたら、流石の俺様でも地獄に叩き返されそうだ」

 

 むきむきは、紅魔族の戦闘スタイルの正しさを実感する。

 超高火力のアークウィザードを集め、一点集中で繰り返し上級魔法を叩き込む。

 そんな風に攻めでもしなければ、上級悪魔は殺し切れないのだろう。

 

 上級悪魔の中でも特に強いホーストを相手取ってここまで戦えたなら十分快挙だが、結局の所彼はホーストを仕留められず、退却するホーストを見逃すしかない。

 

「また会おうや。……後な、あのちびっ子に言っておけ。召喚できるならしてみろ、ってな」

 

「次は勝つよ。僕と、めぐみんと、ゆんゆんで」

 

「おう、やってみろ。力が足りなければ仲間を揃えるのがお前ら人間だろう? へへっ」

 

 めぐみんが、未来にしたいこと、未来になりたいものをくれたなら。

 ホーストは、『未来に勝ちたいと思える敵』をくれた。

 それもまた、明日を目指す心の動力源になってくれる。

 

「そういや、空でやりあった後、まさかここに落ちるとはな。

 お前ら紅魔族は、ここを名前も忘れられた傀儡と復讐の女神が封じられていた地と呼んでたか」

 

「そうだよ」

 

 二人が落ちた場所は、邪神の墓に近い位置にあった危険な場所、『女神が封じられていた地』。

 過去形だ。

 八年前にこの封印は戦闘の余波で破壊され、女神は封印より解き放たれた。

 以来、ここは破壊された封印の跡だけが残された地となった。

 

「八年前に、僕の父さんと母さんが、魔王軍に殺された場所だ」

 

 ここは、ある二人の紅魔族が未来を奪われた場所。

 

「傀儡と復讐の邪神『レジーナ』はそれで復活したってわけだ。

 そりゃあ、こんなとこで紅魔族が戦闘すれば封印も吹っ飛ぶわな」

 

「何か言いたいことがあるの? ホースト」

 

「じゃあ、言うが」

 

 ホーストは空へと舞い上がり、少年を指差して、愉快そうに一つの事実を告げる。

 

「魔王軍の幹部に、お前の両親を殺した奴が居る、つったらどうする?」

 

「―――!」

 

 その言葉に、むきむきは目の色を変えた。

 

「どろっとした悪感情だな。そういう感情を好んで食べる悪魔も多いぜ」

 

「待って! その幹部の名前は……」

 

「くくっ、魔王軍に来たら教えてやるよ。それで決闘でもすりゃいいさ。

 幹部の穴を埋めるってんなら、魔王との殺し合いを認めるかもしれねえしな」

 

 爆裂魔法の規格外の威力は、既にミスリル製の鎖さえも破壊している。

 空を飛ぶホーストを引き留めようとするむきむきだが、言葉でホーストは止まらない。

 

「じゃあな。次に会う時を楽しみに待ってるぜ」

 

 手を伸ばす少年に背を向けて、ホーストはどこかへと去って行った。

 

「二人の仇……」

 

 少年は、両親のことはほとんど覚えていない。

 けれども、全て覚えていないわけでもない。

 物心ついてから始まり、両親が死んでしまった日に終わった記憶。家族との想い出。

 彼の中にも悲しみと憎しみは有る。けれどもそれは、少しだけ捻じ曲がったものがあって。

 

 友達と過ごす日々が楽しくて、楽しすぎて、忘れていた感情があった。

 

「……魔王軍」

 

 少年はホーストの言葉をきっかけに、忘れかけていた魔王軍への感情を、蘇らせていた。

 

 

 




 爆裂魔法ってドラグスレイヴですよね、ポジションが
 中級悪魔の強さの下限を4とすると、ホーストは33くらいのイメージです。強さ比は33:4くらい?
 以下、WEB版未読者の方には見ても意味がないスペースです↓



 セレナ様が魔王軍幹部入りしたタイミングはいつになるのか。書籍版だと本編開始一年前にめぐみんの爆裂魔法がレジーナの封印を吹っ飛ばしたことになっています。
 なので書籍版での登場は女神解放から二~三年経った時点でのことになると思われます。
 魔王幹部に補充システムがあるのであれば、書籍版ではこれから先追加幹部としてセレナ様が出る展開になるかもしれません。
 書籍版だと幹部は現在五人撃破、ウィズを除いて残り二席、でセレナ様・魔王の娘・占い師と残ってるので追加幹部枠だとすっきりしますしね。
 補充システムが無ければ除外されるのは魔王の娘辺りでしょうか。

 とはいえ、ウィズが結構近年に追加された幹部なので、魔王城の結界が近年までなかったor幹部の補充制度があるのは間違いなさそうなのですが。
 魔王城の結界はデストロイヤー避けでもあるので、結界が近年までなかったというのも考えにくいんですよね。
 とはいえ、レジーナ様は封印された状態でも加護を渡せるんだ、という設定になってここまでの考察全部無駄って可能性もありますし、所詮はこの作品の独自考察です。

 この作品だとレジーナの封印が早い時期に色々あって吹っ飛んだことになっているので、セレナ様周りの戦力が高まってる感じです。

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