「やいおまえ! こんなところでなにしてる! ここはあたいのなわばりだぞ!」
「………」
「ふっふーん! あたいが恐ろしくてなにも言えないか!」
「ち、チルノちゃん……今はそっとしておいた方が……」
「………はぁ」
妖怪の山の麓に位置する、深い霧に包まれた湖畔。そこにいるのは2人の妖精と1人の蓬莱人だった。
何も言わず、時折ため息を吐き、体育座りをしながら湖を眺める蓬莱人は藤原妹紅。昨日永遠亭から出た彼女は一日なにも食べることなく、眠ることなく、ただただボーっと湖を眺めていた。
彼女を不審に思って近づいたのは氷の妖精チルノとその友人の大妖精。置物のように微動だにしない妹紅にチルノは突っかかるが、それでも喋らない。そんな妹紅にただならぬ雰囲気を感じた大妖精は、チルノを止めようとしていた。
「昨日の夜からずっとあの様子なんだ。どうにも声をかけづらくてな」
「確かに……あれは変ね」
少し離れた茂みから、紅妹たちを覗いている者たちがいた。知識と歴史の半獣『上白沢慧音』と秘封倶楽部初代会長『宇佐見菫子』。
たまたま幻想郷に遊びに来ていた菫子だったが、偶然会った慧音に妹紅の様子が変だと相談され、今の状況に至る。
「変だろう?顔も赤いし、何かの病気なのだろうか……?」
「……いや、違うわ。あれは変じゃない。最強無敵の女子高生の目は誤魔化すことはできないわ」
「どういう意味だ?何かわかったのか?」
「何も食べず、一睡もせず、顔を赤くして思い悩む。こんなの一つしかないじゃない」
心配そうな表情をしている慧音とは逆に、菫子はニヤニヤしながら語る。この手の話題に心踊らない女子高生などいないのだ。
「これは変じゃない……恋よ!」
「こ、恋だと!?」
「そうよ恋よ!初恋よ!しかも妹紅さん、自分が恋していることに気づいていないと見たわ!」
菫子の世界は幻想郷と同じく、女子だけあべこべである。しかし、幻想郷と異なり彼女の世界の男女比はほぼ半々。人口も外の世界の方が圧倒的に違う。つまり、幻想郷とは比べ物にならないほど恋愛話が豊富なのだ。
女子高生ほど、他人の恋愛話で飯が食える生物はいない。それは非モテ非リア充エスパー女子高生の菫子も例外ではない。
「ふ、ふむ……妹紅が恋か……。俄かには信じ難いな……」
慧音の知っている妹紅は、自分から好き好んで相手と関わるタイプの性格ではなかった。最近でこそ、流行に乗るため
しかしそれだけだ。不老不死である彼女は人との繋がりを自分から作りたがるようなことはしない。ましては恋愛などもってのほかだ。
「恋なんていう超能力以上に非科学的な現象は唐突に始まるものよ。今はそっとしておくのが一番だと思うわ」
「そ、そういうものなのか?私はそういうことに関してはあまり詳しくないのでな……。菫子はそういうことに詳しいのか?」
「現実での恋愛はしたことないから詳しくないけど、乙女ゲーはたくさんやりこんでるからね。それなりに詳しいわ」
「お、おとめげぇ?」
聞き覚えのない言葉に首をかしげる慧音。ゲームという文化がない幻想郷には、もちろん乙女ゲーなんて言葉は存在しない。あれば大ブームになるに違いない。
ゲームでの知識ではあるものの、菫子の言っていることはほぼ当たっている。妹紅はまるで思春期の女子中学生のように、ある男に特別な気持ちを抱いていた。
男の名前は牧野真一。女子に関する美醜感覚が逆転しているという夢の世界から来た人物であり、初めて彼女の顔をかわいいと言った人物。
「(………もやもやが治まらない……なにもやる気が起こらない……)」
「おまえなかなか強そうだな!あたいのけらいにしてやってもいいぞ!よろこべ!」
「チルノちゃん…あんまり叩かないほうが……」
バンバンと頭を叩かれている妹紅に、チルノの言葉は入ってこない。妹紅の頭の中は、真一の顔とかわいいの単語で埋め尽くされているからだ。
「時間がたてばきっと元に戻るわよ。それじゃ先生、私行くところがあるから行っていい?」
「あ、ああ。済まない、時間をとらせて……いや待て」
「何? まだ何かあるの?」
「違う……何者かが近づいている」
立ち上がってこの場を去ろうとした菫子だったが、再び茂みに隠れる。
彼女も腕に覚えはあるが、妖怪との戦いは避けたい。エスパーであることを除けば、彼女は年相応の女子高生。痛いのは嫌なのだ。
「お前の仕業だってことはわかってる。いい加減吐いたらどうだ天邪鬼。ダーリンをどこへやった?」
「へっ、知ーらね。知ってても教えるもんか」
「じゃあこれは知ってるか? 外の世界には人を簀巻きにして水の中に沈める楽しい儀式があるらしいぜ」
「それは楽しそうだ。是非やめてくれ」
しかし湖にやってきたのは、人には無害の普通の魔法使い魔理沙と、縄でぐるぐる巻きにされた反逆のあまのじゃく、正邪だった。
正邪は真一から逃げた後、あっという間に魔理沙に捕まった。その後、尋問に尋問を重ねてもなかなか口を割らない正邪に痺れを切らした魔理沙は、最終手段として彼女を霧の湖に連れてきた。
「きっと妖怪に食べられちまったんだよ。ヒョロそうな人間だったし。ざまーみろってんだ、私の誘いを断った天罰だ」
「もしそうならお前を生贄にして蘇らせる。最近、そんな魔法がかかれた魔道書を紅魔館で借りたからな。ちょうど良かったぜ。いや、お前みたいな小物の悪党を生贄に使うなんて真一に悪いな。もっと善良な奴を生贄にするべきか。それに、お前はダーリンを誘拐した時点で死罪が確定してる。というわけで安心して沈め」
「(やべぇ……この魔法使い、真顔でこんな物騒なこと言うキャラだったっけ……)」
魔理沙は精神状態は今、病んでデレるの方のヤンデレに近い状態であった。
誰かを好きになる暖かい気持ち、好きな人と一緒にいる幸せな気持ち、好きな人と離れ離れになる寂しい気持ち、エトセトラ。魔理沙はこの短期間で、多くの気持ちを知った。
その中でも、今の彼女の心を強く蝕んでいるのは、好きな人が死んでしまったかもしれないという絶望の気持ちだった。
『彼を殺して私も死ぬ!』とまでは考えていないが、それも時間の問題であった。
「……ん?チルノたちに妹紅じゃないか。珍しい組み合わせだな。何してるんだ?」
「あ、こんにちは魔理沙さん。何だか妹紅さんの様子が変で」
「妖精に不老不死か……生贄とシテハアリカ……」
「ふえぇっ!?」
末期である。
「あっ、まりさじゃない!アンタもあたいのけらいにしてあげてもいいわよ!」
「悪いな。私が尽くすのはダーリンだけって決めてるんだ」
「だーりん? だーりんってなんだ?」
「私の夫だぜ」
「ご結婚したんですか! おめでとうございます!」
「おお?めでたいことなのか?よかったなまりさ!」
妖精は純粋な生き物である。見た目相応の精神年齢である彼女たちは、基本的に疑うことを知らなかった。
「お相手はどんな人なんですか?」
「牧野真一って名前でな。私の魅力に気づいてくれた、何もかもが最高の男だぜ。これから私のことは牧野魔理沙と呼んでくれ」
「……なんだと?お前が…牧野真一と……結婚……?」
「どうした妹紅?もしかして、ダーリンの居場所知ってるのか!?」
真一の名前に妹紅が反応する。
妹紅の胸にあった謎のもやもやが消えていく。代わりに謎の炎が彼女の胸を焦がす。
妹紅はまだ、真一のことが好きではない。好きかもしれないが、その気持ちがいったいなんなのかに気づいていない。しかし彼女は本能的に思ったのだった。真一を盗られたくないと。
「……知ってる。けど、教えない」
「なんだと!?」
「教えてほしければ、私を殺してみるんだな」
彼女の胸を焦がした炎が具現化する。
妹紅は妖力を炎に変換し、その身に纏う。炎の翼を背負ったその姿は、不死鳥を思わせるものだった。
「(理由はわからない。でも例え魔理沙でも、慧音でも、菫子ちゃんでも、誰が相手でも。アイツと結婚させるのは……なんか嫌だ)」
「……本気みたいだな。まぁ恋愛に障害は付き物っていうし、いいぜ。楽に死ねると思うなよ不老不死」
魔理沙も帽子から八卦炉を取り出し戦闘態勢をとる。
2人ともEXボスを経験したことのあるほどの実力者。弾幕ごっこではない本気の戦いとして2人がぶつかれば、霧の湖もその周りにいる者たちも、無事では済まない。
「お、弾幕ごっこか? 私もまぜろー!」
「絶対に違うよ!?チルノちゃん逃げよう!」
「おい妖精!逃げる前に私の縄をほどけ!礼は弾むぞ!お前たちを
「マズいな、止めに入るぞ菫子!霧の湖がなくなってしまう!」
「(全力で逃げたい……それにしても牧野真一って……まぁ珍しい名前じゃないし偶然か……)」
同日の朝、文々。新聞にて霧の湖の半分が消えてなくなったことが報道されていた。
もちろんそれは発行者である『射命丸文』が予知をしたわけではない。あまりにもネタがないばかりに書いた大嘘であったが、その日の昼、本当に霧の湖の半分が消え去った。
しばらくの間、文々。新聞は未来新聞と呼ばれるようになり、人里の購読者が倍に膨れ上がったらしい。
閑話・完
ヤンデレ魔理沙って興奮するよね。するよね。