感謝の極みです。
薄暗い空間に吊るされたシャンデリアが、無数に広がる本棚をカーテンを淡く照らす。
ここは紅魔館の地下に位置する大図書館。無限という比喩が嘘に聞こえないほど、大量の本が立ち並ぶ知識の宝庫。これを目当てに、わざわざ吸血鬼の住まう紅魔館に足を運ぶ者も珍しくない。
管理人は紫色の服を身にまとった魔法使い『パチュリー・ノーレッジ』。普通の人間とは違い、ほぼ無限の時間を有する彼女は今日もいつも通り、本を読んで一日を過ごしていた。
「はぁ………」
「どうしたんですかパチュリー様?」
いきなりの溜め息。かすかな音量であったが、それは彼女の部下である小悪魔の耳に届いていた。
本の整理をしていた彼女は羽をパタつかせながら、パチュリーの下へ近寄る。
「ため息なんてついていたら幸せが逃げてしますよ。ただでさえ幸せが寄り付かないお顔をしてるんですから」
「そのセリフ、そっくりそのまま返ししてあげるわ」
彼女たちもまた、この世界において『ブサイク』と呼ばれる類の顔立ちをしていた。
特殊な力を持つのは、それに伴った身体や顔つきになる。この幻想郷では、肌が荒れ、スタイルはキュッボンッキュッ、福笑いで作ったような顔立ちの女性を俗に“美人”と呼ぶ。言ってしまえば、彼女たちとは真反対の存在だ。
『美人薄命』という四字熟語があるが、幻想郷の美人はまさに、その文字通りの存在である。福笑いで作ったような顔立ちはともかく、肌が荒れることやスタイルが逆ボンッキュッボンは、不健康の証拠でもあるのだ。
魔力や妖力、霊力と言った力を持つ者はそれが“生きるための力”として身体に現れる。つまり、どうあがいても健康的で健全な身体になってしまうのだ。より強い力を持つほど、それは如実に現れる。
「で、本当にどうしたんですか?」
「………これを見て頂戴」
パチュリーは自分が読んでいた本を小悪魔に手渡す。
「また恋愛小説ですか……タイトルは……『forever Love』?」
「身分の違う2人の男女が永遠の愛を誓って駆け落ちする話よ……とっても素敵だった……私もいつかこんな恋愛してみたいものだわ」
「鏡をご用意しましたので、ご自分のお顔と現実をご覧になってください。永遠にそんな事言えなくなりますよ」
「……いいじゃない。夢を見るぐらい」
「だいたいパチュリー様に恋愛なんてできるんですか?」
「どういう意味よ」
「だって人見知りじゃないですか。私がひくほどに」
「うっ」
動かない大図書館の異名を持つパチュリーは、その名に恥じないほど紅魔館外に出ることは少ない。あっても年に1、2度ぐらいである。
そうなれば必然的に、誰かと話す機会も少なくなる。最近では白黒の魔法使いや人形遣いが時たま訪れて、魔法に関しての会話をしたりするが、それだけだ。その2人でさえ、知り合って間もないころは碌に会話が続かなかった。
そんな彼女を一番近くで見てきた小悪魔の言葉には、凄まじき説得力があった。パチュリー自身、自分のコンプレックスを気にしており、何とかして直したいとは考えていた。
「だ、大丈夫よ。コミュ症だって恋愛ぐらいできるわ。現にこの本の主人公だって極度の人見知りだったのも」
「それは恋愛小説だからでしょう? 所詮フィクションですよフィクション。リアルでそんなことあるわけないじゃないですか。本当に恋愛をしたいのなら人里にでも出かけていたらいかがですか?」
「ううっ」
小悪魔の正論がパチュリーに突き刺さる。
幻想郷において一番人口密度の高い場所は人里である。人混みを見るだけで緊張してしまうほど極度のコミュ障であるパチュリーには地獄のような場所である。
それに加えて、自分の薄汚い容姿のこともある。万が一陰口を叩かれようものなら、その場で喘息をこじらせて死んでしまう自信がパチュリーにはあった。
「……はぁ。出会いが欲しい」
「男の人ぐらい魔法で召喚したらいいじゃないですか。それぐらい訳ないでしょう」
「それは魔法使いの間では禁忌なのよ。なにより、ドラマチックじゃないわ」
「その顔でドラマチックとか言わないでください。相乗効果でより気持ち悪いです」
「うるさい顔面ロイヤルフレア」
「あははっ、ブーメラン刺さってますよ?」
二人の間に火花が散る。そして同時にため息をつく。こんな言い争いしても無駄なことは、彼女たちもわかっているのだ。
「おはよーパチュリー。こあもおはよー」
「あ、おはようございます妹様」
図書館の奥からふよふよと飛んで現れた影が、2人に午後の挨拶をする。
色とりどりの宝石のような物で構成された羽を持ち、金色の髪をサイドテールにした彼女は吸血鬼『フランドール・スカーレット』。紅魔館の主様の実の妹であり、強さだけなら紅魔館一の実力を持っている。
「おはようフラン。随分お早い起床ね」
「昨日読んだ本に書いてあったの! 早起きは三文の徳! って」
そう言ってフランドールはニッコリ微笑む。それは495年も生きてきた者とは思えないほど幼いものだったが、それには原因がある。
彼女は『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』という危険な力を持つ故に、495年もの間、幽閉されているかのように地下で過ごしていた。しかし
495年という長い時間、一歩も部屋の外へ出なかった彼女には常識が欠けていた。つまり、彼女は幻想郷の貞操概念と美醜感覚を詳しく知らない。
故に純粋。彼女たちの様な闇をフランドールは一切抱えていないのだ。
今の彼女は知識と常識を補うために時間の多くを図書館での勉強に費やしており、今日も勉強のために図書館を訪れたのだ。
「じゃあ私、勉強してくるね。読めない文字があったら聞きに来てもいい?」
「もちろんよ。私はずっとここに座ってるから、いつでも聞きにきなさい」
「少しは動いてください……」
「ありがとうパチュリー!」
そうお礼を言うとフランドールは再び図書館の奥へと駆け足で向かう。彼女は意外にも知識に飢えていた。勉強が楽しくて仕方なく感じる彼女の精神年齢は、見た目相応のものだった。
「……あの子の純粋さが羨ましいわ」
「ですねー」
コンコン
2人がフランドールを見送って間もなく、図書館入り口の扉がノックされた。
それを不思議に思う2人。この紅魔館において、ノックをちゃんとして入ってくるものはいない。紅魔館の主は言うまでもなく、咲夜に関しては能力を使って音沙汰もなく近くに現れる。
もしかして客人?そう思ったパチュリーは扉に向かって「どうぞ」と声をかける。
「失礼しまーす……」
ノックの主はその性別特有の低い声でそう言いながら、図書館の扉を開けたのだった。
*―――――――――*
「「………?………!?………!!?」」
図書館に入るなり3度見された件。なんでや。
咲夜さんはオレを図書館の入口へ案内した後仕事へ戻っていった。一瞬にして消えたように見えたけどきっと気のせいだろう。
で、おそらくオレの方を目を見開きながら見ている紫色の人が、案内中に咲夜さんが言っていた図書館の管理人パチュリーさんかな? これまた美人。文学美少女ってあだ名が似合いそうな人だ。
名前も外見も外国人のそれだが、幻想郷の住人は全員日本語で喋ってくれるらしい。とりあえず挨拶しよう。
「あ、急にすみません。オレ、外来人の牧野真一って言います。訳あって紅魔館にお邪魔させてもらってます」
こんなところか。訳の部分は話すと長くなるし。
「………ぁ……………ぇと………………ぅぁ………」
「?」
「(……え、男? 何で男? 紅魔館に男? 平均顔面偏差値20以下の紅魔館に何で男!? 生男初めて見たわ!)」
パチュリーさんと思われる人は顔を真っ赤にして、口をパクパクさせながらオレに何かを言おうとしている。
「(しかもイケメンだし! 声かけられたし何か言い返さないと! 知識は武器よ、こういう時のためにいつも脳内でシミュレーションしてきたじゃない私!)」
「………ぇ……………ぁと………………その………」
「…………??」
声が小さすぎて何を言っているのか聞こえないので、オレは図書館の入り口の扉を閉めて、彼女たちに近づく。
「(イケメンが近づいてきたああああああああ………あっ(キャパオーバー))」
「……………ムキュウ」
バタッと、顔を真っ青にしてパチュリーさん(仮)は椅子から転げ落ちて倒れた。うええ!?
「おい! 大丈夫かアンタ!」
「ちょっと待ってください!」
床にへばりつくパチュリーさんの元へ駆けつけようするオレだが、それはサキュバスのコスプレをした女性に遮られる。
彼女はパチュリーさんを庇うように、両手を広げて間に割って入ってきた。
「そ、それ以上は危険です……」
「危険って………放っておいたらもっと危険なんじゃ」
「ダメです! あなたに触られたらパチュリー様は死んでしまいます! この方はお体が弱いんです!」
触れただけで死ぬって、どこの赤い帽子をかぶった配管工だ。しかし、この人の必死さを見るに冗談ではなさそうだ。
とにかく、早く何とかしてやってあげてくれ。過呼吸? みたいな状態になってるし。せっかくの美人がいろいろと台無しな表情になっている。
「パチュリー様は私が介抱しますので大丈夫です! それよりも、真一様でしたね。ご用件はなんでしょうか?」
「この図書館を見学したいんだけど、いいか?」
「全然大丈夫です! お気の済むまでご見学していってください!」
「お、おお……それじゃあ遠慮なく……」
サキュバスさんから感じる『早くパチュリーさんから離れろ!』的なオーラを感じ取ったオレは、一応許可が得られたので図書館の奥へと進んでいく。
と言うか何故倒れたのだろうか。オレが原因なのか……? さぱらん。とりあえず起きたら謝っておかなければ。
*―――――――――*
「コヒュー…………コヒュー…………」
「落ち着きましたか?」
パチュリーは小悪魔に背中を撫でられながら必死に呼吸を整える。そして、落ち着きを取り戻した脳をフル活用し、いったい何が起きたのかを再確認する。
『イケメン(3次元)に声をかけられ、近寄られた』
「……ッッ!? ……ガはッッ!??」
「パチュリー様!? お気を確かに!」
2次元の男に夢を抱いていた彼女にとって、3次元のイケメンは少し刺激が強すぎた。
本では味わえないような胸がキュンとする感情。咲夜にとっては心地よい感情であったが、男性に耐性の無いパチュリーの身体には到底耐えきれるものではなかった。
「なんだなんだ? 今日の紅魔館は満身創痍な奴らばかりだな。今なら簡単に乗っ取れそうだぜ」
「……げホッ。貴女が歩いて入ってくるなんて……今日は一体どうなっているの……!?」
箒を背負い金色の長髪をなびかせ、ノックもなしに図書館に入ってきたのは、絵にかいた魔女のような格好をした白黒の魔法使い『霧雨魔理沙』。パチュリーが話すことのできる数少ない友人である。
彼女は頭にかぶっていた帽子を外し、その中を手でまさぐる。帽子の中には、一冊の本が入っていた。
「私にだって歩きたくなる時ぐらいあるさ。今日来たのは他でもない、この前借りた本に面白い事が書いてあったんだ。星でその日の運勢を占うって内容だったけど、今日の私は吉日なんだぜ」
特殊な文字で書かれている本の題名は『星占い』。魔法とは全く関係ない内容が書かれた文書であったが、その内容は魔理沙の心を掴んだ。
その本によると、今日魔理沙の運勢は最高だった。やること為すこと上手くいく吉日、ラッキーカラーは赤、運命の出会いがあるかも!? という、年頃の女の子なら興奮するような内容であったのだ。
所詮占い。されど占い。魔理沙はこの本に期待して、真っ赤な館の紅魔館にやってきたのであった。
「お前は……占うまでもないな。見た目からして厄日だ。泥水で化粧したみたいな表情になってるぜ。いやそれは元からか」
「貴女にだけは絶対に言われたくない…げホッ………」
いつものパチュリーなら、この泥棒常習犯の彼女を意地でも追い払おうとするだろう。しかし、今の彼女にそれをする気力はなかった。
「じゃあ今日もいつも通り、何冊か借りてくぜ。身体には気をつけろよー」
魔理沙はそういうと箒にまたがり宙に浮く。そのまま本棚の高い位置にある本を散策し始める。
「どうしましょうパチュリー様? 私、魔理沙さんを止めたほうがいいですか?」
「げほっ……いえ、いいわ。今日は素直に諦めましょう」
本の中でしか見たことも聞いたこともない男が現れたり、普段はブレイジングスターをブッ放しながら突撃してくる魔理沙が歩いて現れたり。今日ほどパチュリーが驚いた日はないだろう。
今日に関しては本は諦める。それよりも、真一と話してみたいのだが、自分の身体を考えると今は絶対に無理。口ぶりからして彼はしばらくここにいるようだし、チャンスはあるわ。そう考えたパチュリーは小悪魔の介護を受けながら、様子を見ようと考えた。
しかし、彼女の厄日はまだ終わっていない。
「……ぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!?」
「ん? なんだzぐあッ!?」
それは本当に突然に起こった。
図書館の奥を探索していたはずの真一が、流星の如きスピードで吹っ飛んできて、上空にいた魔理沙に激突したのだ。
パチュリーも小悪魔も魔理沙も、吹っ飛んできた真一自身も。この場にいる全ての者が、何が起こったのか理解できなかった。
いきなりのことで魔理沙も真一を受けきれることができず、高さ8mぐらいの位置から彼と共に墜落した。
お約束通り、真一を押し倒すように魔理沙が上にかぶさる形で、である。