ギルえもん   作:伽花かをる

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序章 僕とギルえもん。
一話 サーヴァント召喚


 

 ――昔話をしよう。

 

 小学生の頃、僕はイジメられっ子だった。

 

 学校のテストはいつも0点で、運動神経も悪かったから徒競走でもいつもビリだった。だからきっと、虐めの標的にされるのは当然のことだったのだろう。

 クラスメイトの出木杉は百年に一人の神童と言われていたが、僕はその逆で、グズだとかノロマだとか、そんな言葉がお似合いの子供だった。

 

 ――無力のその少年は、何も成す事なく、何も遺す事無く、後悔ばかりを残して死んで往く運命にあったはずだ。

 

 そうなるだろうと、当時の僕は悟っていた。

 やらなくてはいけないのにそれをやろうとしない人間の怠惰性を僕は持っていたのだ。「どうせやってもできない」と言い訳ばかりを口に出して、目を閉ざして面倒臭いことを見ないようにしてた。

 個人差はあろうと誰もが持っている怠惰性を、僕は人よりも多く持っていた。

 それは一種の呪いとも言えるもの。それのせいで、不幸な未来に到った者が数え切れないほどいる――おそらく野比のび太という名の少年もその一人になるはずだった。

 

 小学生の頃、僕は虐められていたと語ったが、持ち前の怠惰性を発揮してその問題も良しと許容としていたのかと問われると、それは決してそうではない。

 イジメられるのは、とても辛いことだった。

 どうしたらイジメられなくて済むのかなぁと、小学生の頃の僕はいつも悩んでいた。

 

 ……馬鹿でノロマだからイジメられるのだしそれを改善する努力をしたら? と、あの頃よりは大人になった今の僕は思うのだけれど――小学生の頭でそれに気付けと言うのは、少し厳しいのかもしれない。

 出木杉のような天才児なら、「イジメの問題は加害者ももちろん悪いけど、ほとんどの場合は虐められる原因は被害者の"人間的欠陥"にあるのだし、被害者も悪い」と、悟ることができたのかもしれない。

 

 頭が悪いせいで虐められていたとしても、

 運動ができないせいで虐められていたとしても、

 顔がブサイクなせいで虐められていたとしても、

 先天的な障害のせいで虐められていたとしても、

 

 被害者が全く悪くないなんてことは、絶対にないのだ――イジメは、虐められる要因を持っているほうも悪いのだ。どんな理由だろうと、誰かが全く悪くないなんてことは絶対にない。

 理不尽だけど、人生とはそういうものである。

 僕が出木杉のような天才に産まれることができなかったのも――ただ、『巡り合わせが悪かった』だけなのだ。

 

 すべて、それだけの話だ――世界の悲しい理だと僕は思う。

 

 だけど、忘れてはいけない。

 人生には巡り合わせの悪い時が、嫌になるほどある――でも巡り合わせの良い時だって心が満たされるくらいたくさんあるのだ、と。

  

 僕はイジメられないためにはどうしたらいいかを考えて――『悪魔を呼んで皆を殺してしまおう』という危険極まりない案を思いついた。

 そのとき僕は「これは名案だ! 僕ってやっぱり天才だなぁ」とつい独白してしまったが、今考えればそれこそ悪魔じみた発想だ。

 

 だけど、僕はその案を実行してしまった。

 部屋の床に召喚陣を描き、裁縫針で指の腹をちょこんと指して血を一滴だけ垂らした。

 

 ……今思えば、僕は本当に馬鹿だった。

 普通に考えればクレヨンで描いたグニャグニャに歪んだ召喚陣に一滴血を垂らしたくらいで悪魔が召喚できるわけなのだろう。いや、そもそも悪魔を呼び出そうとしていること自体が馬鹿の発想なのだが。

 

 その儀式は、失敗に終わる。

 誰しもがそう思うはずだ。

 

 『悪魔なんて非科学的な存在、そもそもいる訳ないだろう』、と。

 

 実際、僕の目の前に悪魔が現れることはなかった。

 だが――それ以外の何かは現れてしまった。

 

 あの頃の僕の目に映ったのは、圧倒的なまでの『黄金』。

 

 黄金の甲冑と、黄金の逆立った髪。

 腕を組み、紅色に光る目でこちらを視ながら――彼は、その真名を告げた。

 

 

「フハハハッ!! この(オレ)を呼ぶとは、巡り合わせが良かったな雑種よ!! 

 折角だ。この我を呼んだ報酬として、我が真名をその汚らわしい身で聴くことを許そう。

 ――我が名は『ギルガメッシュ』! 

 古代メソポタミアの王にして、人類最古の英雄王であるっ!」

 

 

 

 ――さぁ、昔話をしよう。

 

 最高に巡り合わせの良かった、彼の黄金の王と過ごした日々の話を――『ギルえもん』と過ごした黄金色の一週間の話を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん? どうした雑種よ。貴様が我のマスターなのだろう?」

「ま、マスター? ぼく、そのマスターって人じゃないよ……?」

 

 

 ギルえもん――いや、この時はまだ、その名で呼べとは命じられていなかったか。

 

 ギルガメッシュは『聖杯』と言われるどんな願いでも叶う願望具の呼びつけによって召喚された『サーヴァント』なる存在らしい。

 そしてそのサーヴァントを使役する者こそがマスター……どうやらギルガメッシュはこの時、僕をそのマスターだと思っていたらしいのだ。

 いや、実際に僕がマスターだったのだが。

 

 

「ふむ……どうやら聖杯に誤作動があったらしい。見たところ令呪の刻印も無いが、パスは繋がっているようだ。

 あの願望具、どうにも胡散臭いと思っていたが、やはり不良品だったが。もはや回収してやる気も失せたな。

 だが――折角の現界だ。この身の魔力が尽きるまで、この現世を見て回ってやるとするか……」

「き、君、いったいぜんたいなんなのさ!」

「つい先程、我が真名を拝聴させてやったばかりであろう。

 さては貴様、我の甘美なる美声による名乗りに耳を蕩かせたな? フッハッハッハ! そういう事なら是非もなし。二度、我の名を聴く事を許そうではないか。

 ――我の名は『ギルガメッシュ』。人類最古の英雄王である!」

 

 

 ギルガメッシュは常に高圧的で自己愛が強かった。

 傲慢不遜と言うべきか……ともかくその偉そうな態度は、無駄にプライドが高い僕を不快な気分にさせた。

 だが相手がいかにも強そうな見た目をしていたので、反感を買うような態度ができずにいた。

 

 

「……君の名前はもういいよ。君は、ぼくが呼んだ悪魔なのかい?」

「悪魔だと――我を、悪魔如き下等な生命体だと罵るか、雑種」

 

 

 この時ギルガメッシュは、恐らくセリフから読み取れるほど苛立ちを覚えていなかった。

 だが彼の身から僅かに溢れる確かな怒気に――僕は失禁してしまいそうなほどの恐怖を感じた。

 

 

「ごごごごごめっ!」

「まぁいい。見たところ、貴様はまだ童子。雑種の戯言として聞き流しておくとするか」

「あっ、ありがとうございます!」

「畏まらなくていいぞ。貴様は童子だからな。我に対して感じる純粋な敬意を、飾りのない純白の声色で謳うといい」 

「は、はい! ありがとうござ……じゃなくて、ありがとう!」

「それでいい。猿の如き知能で我の命に従った褒美として――この、人類最古の飴ちゃんをくれてやろう」

 

 

 そう言ってギルガメッシュは、何もない空間から飴を取り出し僕に投げ渡した。

 確かあの時僕は、きょとんとした顔で彼を三度見してしまった。

 

 

「えっ、えっ!? それなんなの……」

「これは我が蔵、『王の財宝(ゲートオブバビロン)』という宝具だ……と言っても貴様には分らぬか。

 貴様でも理解できる名称を付けるなら、そうだな……『多重次元ポケット』と名付けるべきか」

「た、多重次元ポケット……っ!」

 

 

 かっこいいと、この時の僕は素直にそう思った。

 もし『四次元ポケット』などと名付けていたら、センスが無いと吐き捨てていたかもしれない。

 あの頃の僕は彼の名付けのセンスは最高だと感じていたが、今では最古なセンスだと思っている。

 

 

「すごい! よくわかんないけどすごくカッコいい!」

「ハッハッハ! そうであろうそうであろう!? やはり我は、何をしても最良の結果を生むらしい……ふむ、では我が持つ最も至高の剣から放たれる一撃『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』も改名し、『空気砲』と名付けようではないか!」

「それがいいよ! なんかわかんないけどすごくいいよ!」

「フハハハハッ! そう興奮するのではない雑種よ! つい我が蔵に収められし宝剣の数々の名を改めたくなるではないか!」

 

 

 実際ギルガメッシュは、このあといくつかの宝具の名を改名していた。

 

 姿を隠匿する『ハデスの隠れ兜』は『透明マント』に名を変えて。

 北欧に伝わる食べたい食べ物がなんでも出るテーブルクロスの『北風のテーブル掛け』は、『グルメテーブルかけ』と改名した。

 

 ……色んな宝具の真名が、この頃の僕が言う『すごくカッコイイ』名前にへと変わっていた。

 この時はギルガメッシュは多分、召喚させたばかりで深夜テンションに似た状態に陥っていたのだろう。

 まさか素の状態で、彼の言う至高を財とやらの名を改悪させたわけないだろうし……きっとあのあと冷静になって元の真名に戻したはずだ。そう信じたい。

 

 

「で、ギルガメッシュ。改めて聞くけど――」

「おい待て、雑種よ。我は確かにお前に名を告げたが、我の名を呼ぶことは許してはいないぞ。その身が童子でなければ、死をもってその不敬の罪を償うところだったぞ」

「――えっ」

 

 

 名前を呼んだだけで死?

 彼のいた世界はどうなっているのだろうか。時折彼が統治していた世界の話を聞いていた僕だが、今でも彼の世界のことはよく理解していない。

 

 

「今回の不敬は許してやろう。我は寛大な王だからな。だが次はないぞ、雑種よ」

「う、うん。ありがとう……じゃあ君のことは、なんて呼んだらいいの?」

「そうだな……」

 

 

 ギルガメッシュは数秒黙り込み、名案が浮かんだという顔で僕に言った。

 

 

「――よし。今後は我を、『ギルえもん』と呼ぶがいい!」

 

 

 こうしてギルガメッシュの愛称が決定した。

 次から僕も、慣れ親しんだギルえもんという愛称で彼を書き表そうと思う。

 

 

「うん、わかったよギルえもん。で、改めて言うけど……ギルえもんって、ぼくが呼んだんだよね?」

「まぁそうだ。何の奇縁か、偶然接続されただけだろうが……名義上だが、我のマスターは貴様ということになるのだろう」

「うーん、よくわからないけど……まぁいいや。それよりもギルえもん、さっきからずっと僕のことを『雑種』とか『貴様』とかって呼んでいるけどさ。僕にはちゃんと『のび太』っていう名前があるんだから、ちゃんと呼んでよ!」

 

 

 ギルえもんには、人のことを『雑種』と言い表してしまう癖があった。

 嫌な気分になるから止めろと何度も言ったのに……結局彼は、最後までその癖を直そうとはしなかったなぁ。

 

 

「のび太、か。随分と間抜けそうな名ではないか」

「……なんだよ、悪い?」

 

 

 僕はつい、声色を曇らせてしまった。

 ギルえもんが言ったことは、クラスメイトの皆にも馬鹿にされていたことだったのだ。

 ……名前からしてノロマだとか。そんな悪口を、僕はよく言われていた。

 

 

「いや。間抜けそうだが、悪くはないな。のびのびと、大木の如き成長をして欲しいという、お前の両親の想いが字面から感じる。中々良い名を授けられたではないか、のび太よ」

「――――っ」

 

 

 あのとき僕は――つい嬉しくて、涙を流してしまった。

 ……名前を貶されたことは何度もあった。

 だが褒められたことは、一度もなかったのだ。

 

 僕は今もなお、彼に名を褒められたこの時の記憶を時折思い出す。

 救われた。そんな気持ちで満たされていた。

 ……まぁ流石にそれは大袈裟かもしれないけど、この時の僕は、そう思ってしまうほどギルえもんの言葉が嬉しかったのだ。

 

 

「泣くなのび太よ。涙を栄養とし求めるのは大木だが、お前はその大木になるのだろう?」

「……うん、そうだね」

 

 

 僕は涙腺をぎゅと締め、涙がこぼれ落ちるないようにした。

 

 

「それでいい。令呪は無いとはいえ、お前はこの我を現世に召喚した我のマスターだ。我のマスターである以上、すぐ泣き喚くような軟弱漢であっては困る」

「うん。ぼく、そのマスターってのはよく分からないけど、ギルえもんがそう言うならもう泣くのは止めるよ」

「いや、そうではないぞのび太。泣くのは良いが、その涙を容易く人に見せるのではないと言っているのだ。

 涙を流すという行為は、己の弱さを晒すということでもある。人が流す涙の味は甘美であるが、我のマスターに限っては違う。

 涙は血に等しい。我のマスターが流血してる場面を見るとサーヴァントとしてヒヤヒヤするのでな。泣くしても、せめて独りの場で泣け」

 

 

 ギルえもんの言葉を要約すると、「マスターの泣き顔を見てると心が痛むのだ……」ということだろう。

 遠回りな言葉だが、それこそがギルえもん。俗に言うツンデレ属性をギルえもんは持っているのだ――多分。

 

 ギルえもんは小学生に聞かせるには難しい言葉ばかりを使っていたので、この頃の僕にはいまいちギルえもんの伝えたいことが理解できなかった。

 でも、『泣いてならない』と言ってるのは理解できた。

 僕は、瞳に溜まる涙を腕で拭った。

 

 

「うむ、それでいいぞのび太。また一つ、強くなったな」

「うん……でも、まだ一つしか強くなれてないんじゃ――」

 

 

 このとき僕は、当初の目的を思い出した。

 そうだ――ギルえもんにイジメっ子達を殺してもらわないと、と。

 

 

「ねぇギルえもん」

「なんだ、のび太よ」

「君に、お願いがあるんだ」

「ほぉ。この我に、か。本来なら不敬であるが……まぁ、いいか。聞くだけ聞いてやる、のび太よ」

「うん、ありがとう」

「で、なんだのび太。さっさと言え」

「ええとね。ギルえもんにお願いがあるんだけど――そのために、ギルえもんを召喚したんだけど――ギルえもんには、ぼくをいじめるクラスメイト達を皆殺しにしてほしいんだ」

 

 

 いじめっ子達への憎しみを眼に宿して僕は言った。

 

 

「――くっは!」  

 

 

 ギルえもんは吹き出した。

 そして――腹を抱え、近所迷惑になるほどの声量で高笑いした。

 

 

「アッハッハッハッハッ!!

 しょ、正気かのび太!? イジメられただけで、羽虫が目の前を過ぎったくらいで、お前という人間は、同族を殺めたく思うのか!? 

「な、なんだよギルえもん! なにも変じゃないだろう!」

「変とは言ってない。むしろ、それこそが『人間』だ。

 クックック。好いぞ好いぞ! 我はお前をとても気にいった! 本来ならば、そのようなみみっちい復讐に手を貸す義理はないが……今回は特別だ。

 その末路、我のこの肉眼で見届けてやろう! フッハッハッハッハッ!!!」

 

 

 彼は心底から愉しそうに嘲笑(わら)い続けた。

 ……いま思えば、僕はとんでもない悪魔を――それをも軽く上回る『化物』を召喚していたのかもしれない。 

 ギルえもんは、愉しい結末を好む。

 彼曰く、とても愉快な結末――童話のような惨いバッドエンドが何よりも好きなのだ。

 ……いや、違うか。確かに彼は悪逆非道を思わせる一面があるが、それでも其の本質は善性だ。

 多分、ギルえもんは悲惨な終わりが好きなのではなく……人が描く極上の物語が好きなのだ。

 ギルえもんは人間が嫌いだが、人が創る作品はこの上なく好きなのだ。最高品質の宝を好む。

 だから多分、ギルえもんの感性からしたら、人が描くハッピーエンドはバッドエンドより劣るものだから――ギルえもんは、バッドエンドを好むのかもしれない。

 故に、僕が進もうとしてる破滅の物語を想像し、それが愉快であると彼は嘲笑(わら)っていたのだ。

 

 まぁ、ある理由からギルえもんは僕が進もうとするその道を阻めるのだが――

 

 

「――ん? まてよのび太。よく考えれば貴様、年端も行かぬ身であったな……そすれば、貴様のクラスメイトとやらもまた同様――うむ。のび太よ。先程の発言、撤回するぞ」

「えっ! な、なんでだよギルえもん! お願いだからぼくを救ってくれよ!」

「救うだと? ふっ、戯けめ。貴様がその道を進むということは、その幼き身に秘めた()()()を自ら手放すに等しい行為だ。故に我は、好んで童子は殺めぬのだ」

「な、なんだよそれぇ……いいじゃないか! お前、ぼくが召喚したモノなんだろ!? じゃあぼくの言うことを聞けよぉ!」

「我の決定は絶対だ。もし貴様に令呪があったのならば、この我でも従ざるを得ないが……この度の現界は例外故、お前の身に令呪は宿っていない。

 勘違いするのではないぞ? のび太よ。名義上ではお前は我のマスターで我はその下僕かもしれないが、サーヴァントである以前に我は王である。つまり、我の決定――王の決定は絶対だ。それに逆らうことは許さぬぞ」

 

 

 ギルえもんがこちらを睨む。途端、僕の身体は恐怖感で凍りついた。

 あの時の僕は、ギルえもんの視線に刺殺されるのではないかと思った。

 それほど彼の眼光は刃よりも鋭くて――その眼で視られるだけで、僕の身体は明確な死を覚えそうになる。

 だがギルえもんは子供には優しかった。

 震える僕を宥めるように、彼は僕の頭を掻き乱すように撫でた。

 

 

「そう怯えるのではないのび太よ。貴様の復讐の手助けをするつもりはないが、我は貴様の味方だ。魔術も習わぬ身で我を召喚した貴様は『意味のある人間』だ。羽虫の如き有象無象とは本質からして違う存在だ。

 のび太。お前は希少な価値のある人間なのだ。我の直感が告げている。貴様は、『凡庸の英雄』となり得る素質を持っている、とな」

「凡庸の、英雄……?」

 

 貶されているのか、褒められているのか。よくわからない言葉だった。  

 

 でも――ギルえもんとの日々を越えた僕ならば、彼が伝えたかったその言葉の真意がちょっとだけ分かる。

 普通で、それ以上に成れない無力の英雄。

 それ故に、()()()()()()()()()()()()()をやってのける可能性を持つ英雄

 ギルえもんは、『のび太』という人間のあるかもしれない一つの可能性を看破していたのだ。

 流石はギルえもんだ――でもこのときの僕は、それを悪口だと受け取ってしまった。

 今の僕ならそれを褒め言葉として受け取れるが、残念ながらこのときの思慮の浅い僕は、愚弄されたと勘違いしてしまったのだ。

 

 

「凡庸って……なんだよそれ。やっぱりお前、ぼくを馬鹿にしているだろう!」

「おいおい何を言っているのだのび太よ。努力さえ積めば、愚者から凡人にグレードアップするのだぞ? ならいいではないか」

「それってつまり、ぼくなんかが努力しても出木杉みたいな天才にはなれないってことだろ! じゃあ努力する意味ないじゃない!」

「マシにはなるだろう?」

「それじゃあ駄目なんだよ! ぼくをみんなをアッて言われてるような、そんな人間になりたいんだ!」

 

 

 きっとそれが、僕の偽りない本心だった。

 勉強はめんどくさいから、運動は疲れるから――そんな理由で僕は現状に妥協していたが、心の奥底では『みんなに認められたい』と思っていたのだろう。

 どちらも僕の本心だった。

 そして、どちらの感情に従うか。それは僕自身が決めることだった。

 

 

「ほぉ。良い目になってきたな、のび太よ。先程までは、枯れ果てた苗木のような顔面をしていたが……どうやら、我が与えた水を吸い、大木に近づいたらしい。またすぐに枯れるかもしれないがな」 

「……ふんっ、今に見てるといいよ。すぐにビッグな男になってやるから」

「それでいい。そのまま天を穿くような男になるところを、一幕だが我の目で見届けてやろう。光栄に思えよのび太」

「……なんかギルえもんって、ジャイアンをスケールアップしたような奴だよな」 

 

 

 ジャイアンとは、僕を虐めていたクラスメイトの一人である。  

 ちなみにジャイアンというのは愛称で、本名は剛田武と言う。

 

 

「ジャイアン……巨人か何かか、のび太よ」

「ぼくをいじめるクラスメイトの一人だよ」

「ほぉ、お前で遊ぶ輩の一人とな。お前の目から見て、そいつと我は似ているのか……うむ、興味が湧いたぞのび太よ。では今からそのジャイアンという雑種の面でも拝みにいくとするか」

「今からって……もう寝る時間だよ」

 

 

 その時の時刻は午後の10時。その頃の僕なら明日に備えて睡眠を摂っている時間帯だ。

 悪魔を召喚するのなら夜のほうが良いと思い、眠い目を擦りながら我慢して起きていたのだ。

 学校に帰ってから三時間ほど昼寝をしていた僕だったが、眠いものは眠いのだ。

 それにこの時間に外出したら母に叱られるだろうし、見回りの警察に補導されるかもしれない。

 なので僕は明日ジャイアンに会わせてあげると、ギルえもんに頼み込んだ。

 

 

「……ま、仕方がないか。のび太には大木のように大きく育って貰わなくては困る故な。今回ばかりは、お前の提案を受け入れてやろうではないか。

 断腸の思いでな。我の寛大さに感謝するがいい」

「うん、ありがとう。ギルえもん、すごい器が大きい!」  

「フハハハハッ!! 礼には及ばぬ!」   

 

 

 このとき辺りからギルえもんの手綱の引き方が分かってきた僕である。

 基本的に褒めてればそれで良い。そうすれば向こうが勝手に調子にのってくれる。

 

 

 

「ではのび太。寝るとするか、布団を敷くことを赦す!」

「うん」

 

 

 僕は押入れを開き、布団を二つ取り出した。

 一つは僕がいつも使っている白い布団で、もう一つは予備用の黄色い布団。

 全体的に黄金色なギルえもんに相応しい布団だ。黄色なのが気持ち的に少し汚いが、まぁそんなことを気にするギルえもんではないだろうと僕は思っていた。

 だが、ギルえもんから出てきた言葉は賞賛ではなく、鼓膜が破れるかと思うほどの怒声だった。

 

 

「――この愚か者めがっ!! この我に、こんな犬小屋にも劣る寝具で床に就けだと!? 不敬であるっ!」

「ご、ごめ……でも布団を敷けって……」

「貴様用の寝具を用意しろと言ったのだ! 本来ならば我と同じ空間で寝るなど重罪物だが、まだ童子の貴様を廊下で寝させては安眠できないと思い、仕方なく許してやった。だがッ! 我にそのみすぼらしい寝具と眠れと言うのなら……貴様には、寒い外で寝てもらおう……っ!」

「そ、そんなぁ!」

「それが嫌だというのなら、さっさとその汚らわしい布切れを仕舞え」

「わかったよ……」

  

 

 ギルえもんが脅すものだから、僕は折角出した布団を再び押入れにしまった。 

 結構重い布団だったので、途轍もない徒労感が僕を襲った。

 

 

「では先に我の、人類最古の寝具を披露してやろうか……『多重次元ポケット』っ!!」

「うわっ!」

 

 

 ギルえもんが叫んだ次の瞬間、何も無い空間から黄金色のベットが出現した。

 ずしりと床に落ち、僕の家は揺れた。

 ……母や父に叱られるとその時の僕は思った。でも僕の部屋に怒鳴り散らし来ないところ、恐らく気づいていなかったのだろう。

 ギルえもんの蔵の中には一部の空間を分離させる防音宝具があるようなので、もしや知らぬ間にそれを使ったのかもしれない。

 ギルえもんの蔵には本当に何でも入っている。幾つの宝具を貯蔵しているのか聞けていればよかった。

 

 

「な、何これ――ていうかデカイ!!」

「王たる我が使うベッド。巨大で当然であろう。まぁこれでも、常に使っている物よりは圧倒的に小さいがな……それよりも、お前の部屋は小さいな。ここは犬小屋か?」 

 

 

 ギルえもんが蔵から出したベットは、僕の部屋似ぎりぎり収まるほど大きい物だった。

 だが、過去の僕はともかく今の僕は知っている。これの百倍以上の寝具を、彼はその蔵に貯蔵しているのだと――

 

 

「これでは窮屈だな。では、部屋を広めるとするか――」

「えっ? ――えっ!?」

 

 

 このときの僕は、あり得ない現象を目にした。

 先程までの六畳くらいの部屋が、一瞬にしてパーティー会場もびっくりの広さに変わったのだ。

 確かこのときギルえもんは、空間を自由自在に操る宝具を使用したのだ。元の真名は知らないが、ギルえもんが後に改めて付けたその宝具の名前は『次元ローラー』。

 名からして、ローラー形状の宝具なのだろう。

 ギルえもんの蔵には色々な宝具が貯蔵されてるのだ。

 

 

「クックック。どうだ、凄いだろう?」

「す、すごい……すごすぎて、凄いとしか言えない……」

「フハハハハッ! よいぞよいぞ! この宝具の名も改めなくてはな、就寝するまでに案を考えとくか……」

「ぎっ、ギルえもんっ。そういえば、僕の布団はどこに行ったの?」

 

 

 いつもの白い布団に予備の黄色い布団。どちらもいつもの間にか姿を消していた。

 

 

「あぁ、それなら我の宝具で虚無に帰したが?」

「――えっ! こ、困るよギルえもん! 無くなったことがママに知られたら怒られちゃうよ……」

 

 

 今は違うが、僕は怒っている母が心底から嫌いだった。

 もちろん、いつもの穏やかな母は大好きである。それは今でも変わらない。

 ……母が僕を叱るのは、僕がテストで悪い点を取ったり悪戯がバレたときだけだった。今思えばその行動は僕の将来を想ってのことだったので、昔はともかく今は母に感謝している。  

 とはいえ、感謝の気持ちは恥ずかしくてなかなか伝えられないのだけれど……

 

 

「ま、ママに叱られる! ママは怒るとすごく怖いんだ! おいギルえもん、どうしてくれるんだよ!」 

「安心しろのび太。なら、あの劣悪品より大きく勝る布団を用意すればいいであろう……宝具ではないが、人類最古の不死鳥から毟った羽毛で製造された布団が二つある。ほれ、受け取るがいい」 

 

 

 ギルえもんは僕の頭上に、羽毛布団を顕現させた。

 失った布団の三倍くらい大きい布団だったが、その羽毛布団は信じられないほど軽く柔らかったので、頭から覆いかぶったが痛くはなかった。

 

 

「それで就寝するがいい、のび太――よし、お前の部屋は今日からあの押入れだ。そこで寝ることを許そう」

「えっ! 押入れで!? 嫌だよそんなのぉ。ギルえもんさっき、この部屋で寝ても良いって言ってたじゃないか!」

「言ったが撤回する。よく考えれば、我の宝具で部屋の空間を拡張したとき、ついでに押入れも広くしたのでな……元のお前の部屋のように犬小屋ほどの広さだが、まぁお前にはそちらのほうが似合いだろう?」

「えー……そんなー……」

 

 

 このとき僕は、折角部屋が広々な空間になったのだからそこで眠りたい……と思っていたのだが、今改めて考えればギルえもんの判断は正しかった。

 部屋は高原のように広くなった。

 いや、広くなり過ぎたのだ。

 広すぎて落ち着かない。無性にムズムズするのだ。

 恐らく一度経験したら、自分から率先して押入れで寝ていただろう。

 

 

「まぁいいや。元の僕の部屋くらいの広さなら窮屈じゃないだろうし」

「分かったならとっとと眠るがいい。我も床に就くとする」

「うん、わかったよ……」

 

 

 僕はトボトボと、疲労している様子で押入れに向かった。

 

 

「のび太、良い夢を見ろよ」

「ギルえもんもね……おやすみ……」

 

 

 欠伸を噛み殺しながら、僕は眠気を誘う声でギルえもんに言った。

 ……これがギルえもんと僕の、始まりの一日の終わりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕はあの後、違和感があるほど広々している押入れに布団を敷き、彼のことを考えながらゆっくり眠っていった。

 

 色々なことを、不出来な頭で考えていた。

 

 明日は彼と何して遊ぶか? とか。

 

 明日出木杉くんに、ギルガメッシュのことを聞いてみようかな? とか。

 

 まだちょっとしか会話していないのにも関わらず、僕の中でギルえもんは既に居て当たり前の存在になっていた。

 

 ……今でも僕は、布団に入り夢の世界に行くほんのひとときの時間に、ギルえもんと共に暮らした一週間の思い出を想起する。

 

 本当に楽しい毎日だったのだ。

 

 

 

 

 ――ギルえもん。

 

 君は、僕にとってかけがえのない友だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




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