ギルえもん   作:伽花夏折

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四話 静香編①

 

 

 源静香。僕が通っていた小学校の生徒の中だと一番の美少女で、野に咲く花のような可憐さがある僕の初恋の相手。

 そう、初恋。 

 僕は、あの子に純粋な恋情を抱いていたのだ。

 

 言葉を交わすだけで、胸がバクバクと鳴った――それは、初めての経験だった。だけどこの感情の名前は『恋』だということを、僕は直感的に理解していた。

 

 だけど小学生の時の僕は、あることに気づいていなかったんだ。

 

 ――初恋が実ることは少ない。

 

 これが初恋な以上、その実を咲かすことは難しいのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

  ☆

 

 

 

 

 

 

 

 

「テストを返すぞー」

 

 

 先生が束のテスト用紙を持ちながら、教壇の上でそう言った。

 赤マルと赤バツと点数が書かれたテスト用紙を受け取った生徒たちは、様々な表情を浮かべていた。

 ほとんどの生徒はまぁこんなもんだとテスト用紙を見下ろしていた。出木杉を筆頭に、秀才な生徒たちは満足そうにテスト用紙を眺めていた。

 

 

「今回のテストは結構簡単だったな」

「おーやった! 俺、初めて100点とった!!」

「すげーな。出木杉と同じじゃん。僕は、それより十五点下なんだけど……」

「それは僕に対する嫌味かよ。どーせ僕は、五六点ですよ」

「お前も前より点数上がってるんだからいいだろー。いつもは三十点代なんだし」

「おい、あまり大声で言うなよ! みんなに聞こえるだろ……」

 

 

 と、そんなクラスメイト達の会話を、耳を傾けてきいている少年、野比のび太。

 まぁつまり僕のことなんだけど、僕はクラスの仲良しグループの一つである彼らの会話を聞いて――嫉妬――などは、全くしていなかった。

 

 

「ふふっ、みんな良い点とってるなぁ。ま、僕のほうがきっと上だけどね!」

 

 

 この時の僕は、自分でも腹正しく思うくらい調子にのっていた。今すぐにこの頃にタイムスリップして、この憎たらしい顔面をタコ殴りにしたいくらいだ。

 

 さて。ここで思い出してほしいのだが、この頃の野比のび太は、劣等生以下の劣等生である。

 運動音痴で頭も悪い。

 どれくらい頭が悪いかというと、テストで『0』以外の数字を見ることのほうが少ないほどだ。選択問題が含むテストでも、毎回僕は0点を取っていた。もはや呪いと表すしか他ないほど、僕はテストで0点を取り続けていた。

 『この小学生、まさか意図的に0点を取っているのでは?』 

 おそらく先生は、そんなことを思いながらマル付けをしていたことだろう。その実態は、運命操作レベルで頭が悪かっただけなんだけど。

 

 

「のび太さん」

 

 

 だらしないニヤケ顔で先生から名前を呼ばれるのを待っていたとき、背後から透き通るような綺麗な声が聞こえた。

 

 

「あ、しずかちゃん!」

「ふふっ、機嫌が良さそうね。テスト、良い点とれそうなの?」

 

 

 そう。そこに居た人は、僕が恋情を抱いていた女の子――源静香さんだった。

 柔らかな笑顔を静香さんは僕に向けた。僕も、変わらずのニヤケた顔を向け返した。

 

 

「うん! 今回のテストは『100点』を取れる自信があるんだ! 頑張って勉強したからね!」

「えっ!? そうなの!!」

 

 

 静香さんは、目を見開くほど驚いていた。

 失礼な反応に見えるかもしれないが、この頃の僕のイメージからしたら当然の反応である。勉強している姿の想像さえもできないと言われるほどの生徒だったのだから。 

 

 僕の『100点を取る』発言が衝撃的だったからだろうか。教室内は、一瞬にして静まった。

 だけど次の瞬間。風船が割れるかのように、クラスメイトのみんなは大笑いした。

 

 

「お、おい! 聞いたかみんな!! のび太のやつ、100点取るってよ!!」

 

 

 武が指を差して僕を笑った。武がそう言った途端、更に教室内の笑い声は大きくなった。

 

 

「アハハっ!!! エイプリルフールはもう終わったぞのび太!!」

「や、やばい。俺、今日一番笑ったかもしれない……っ!!」

「クっ、ハッハッハっ!! あののび太にも嘘を付く知恵があったんだなぁ!!」 

 

 

 なかなか嗤い声は止まず、武を筆頭とした僕をよく虐めていた九人以外のクラスメイトも、連鎖的に僕を嗤っていた。

 「こら止めなさい!」と先生が言っていたが、その声は教室中に轟く大音量の嗤い声でかき消された。故に、僕の耳には、僕を嘲笑うみんなの声しか聞こえていなかった。

 

 

「……ほんとに、頑張ったのに」

「おっ、嘘付きのび太がなんか言ってるぞ!!」

「みんな静かに! 嘘付きのび太くんの虚言を聞いてあげよう!! 良いよのび太くん! もう一度言ってごらん?」

「…………」

 

 

 僕の胸の中に、ドス黒いナニカが生まれるのを感じた。

 そうだ。この時の僕の中には――ギルえもんと出逢う切っ掛けを作った、あの悪意以上のモノが生まれていたんだ。

 つまり、馬鹿だけど人格はちゃんと『良い人』なのび太という少年が、『誰かを殺したい』と思ってしまうほどの悪意。

 無論。それは衝撃的な感情で、その場その時だけのモノでしかない。それを明確に実行できるほどのび太という少年は『根が悪い』やつではない。むしろギルえもん曰く、僕は『根が善い』部類の人間らしい。

 だからその感情は、本当に一時的なモノなのだ。虐められる人間が感じるべき悪感情であり、むしろそれを感じなければ『狂っている』と評される人間になってしまうような、持つことが当然と言える殺意という悪感情なのだ。

 

 だけど――

 

 

「やーいやーい! 嘘付きのび太ー!」

「こいつのテスト、良い点数らしいから印刷してみんなに配ってやろうぜ!! 良い点数なんだからいいよな!! 良い点数なんだから!!」

 

「――――」

 

「あ、こいつ泣いてるぜ!」

 

 

 ――その感情は、決して嘘なんかじゃないのだ。

 下を向き、()()()()()()()()()

 ギルえもんとの約束を――破ってしまったのだ。

 

 

「――嘘じゃないって、言ってるだろう……」

 

 

 弱々しく、僕はそう呟く。

 

 

「聞こえねぇよ! もっとはっきり言えよ!」

「これだからのび太は……」 

「――えぇい静かにしなさい!!」

 

 

 バンバンと、机を叩きながら一際大きく声で先生が言う。

 これ以上騒がれたら先生も色々と困るのだろう。あまりにもうるさいと他の教員がやって来るし、今まで以上に虐めが肥大化したら、僕が親に泣きつくかもしれない――先生としては、クラス内に留めて虐めを解決したいのだろう。自身の評価のため、『あのクラスで虐めが起きている』という事実を発覚されたくないのだ。

 

 まぁ実際、クラス内だけで解決できそうな規模の虐めではあった。たまに筆記用具を隠されたり、裏で陰口を言われるくらいだったので、先生の努力次第では解決できる問題ではあったのだろう。

 だが今、虐めは爆発的に大きくなっている。

 僕の『100点を取る』という発言が、虐めという火に油を注いでしまったのだ。

 毎回0点を取り続けるのび太くんが言った『100点を取る』発言は、クラスメイト達からしたら余程面白かったのだろう。

 だから止まずに、嗤い声は続いている。

 僕に向けて、その声は――

 

 

「――みんな静かにしてッ!!」

 

 

 嗤い声は、その怒鳴り声に掻き消されて止んだ。

 僕は下に向けてた顔を上げて、目頭に溜まった涙を拭って――その子を見た。

 

 

「し、しずかちゃん……」

「みんな酷すぎるわ! 確かにのび太はあまり頭がいいわけじゃないけど……だからって嘘だって決めつけるのはあんまりよ!!」

 

 

 普段は出さないような大声を上げて、静香さんはクラスメイトのみんなを睨んでくれた。

 そうだ。静香さんは、こういう人だったのだ。

 その頃からちゃんと自分というものを持っていて、自分が見たものだけを信じていた。そんな静香さんだからこそ、僕を庇えることができたのだろう。

 もし僕が、いじめられっ子ではなく、完全な第三者だとしたら――今のこの『嗤ってもいい』空気に便乗して、いじめられっ子を教室の端でニタニタと嗤っていたはずだ。

 僕には静香さんのような統一された空気を壊せる勇気なんてものはないし、きっとそうなっていたはずだ。

 

 ――あぁ、そうだ。

 

 そんな彼女だからこそ、僕は彼女に明確な恋情を抱いていたのだろう。

 僕は彼女のような人間になりたかった。尊敬していたのだ。

 きっとそれは、ギルえもんに向けているものと同じ感情で――

 

 

「――のび太さん。大丈夫?」

 

 

 僕の初恋の人は、向日葵のような笑顔を向けて、僕にハンカチを渡そうとしていた。

 きっとその時の僕の顔は、涙や鼻水で酷いことになっていただろうから、ハンカチを渡そうとしてくれたのだろう。

 

 

「……ありがとう。しずかちゃん――」

 

 

 僕は少しニヤケた顔で、ハンカチを受け取ろうとする――だけど、受けとろうとした瞬間にあることを思い出した。

 僕は反射的に手を引いた――その拍子に、つい後ろに転んでしまった。

 

 

「――痛っ!」

「だ、大丈夫のび太さん!?」

 

 

 背中から転んだせいで、後頭部にタンコブができてしまいそうなほどの衝撃が走った。

 少し視界がグラついた。だけど、それだけだった。

 

 

「もう、おっちょこちょいね。のび太さんは」

 

 

 静香さんは心配そうな顔をしながらも、イテテと後頭部を擦る僕を見て、微笑みながら手を差し伸べた。

 だけど、僕はその手を掴まなかった。

 

 

「のび太? ねぇ本当に大丈夫?」

「――――」

 

 

 無言で差し伸ばされた手を凝視する僕の様子をおかしく思ってか、静香さんは再び心配そうな目を僕に向けた。

 

 静香さんが差し伸ばされたその手が――このときの僕には一瞬、ギルえもんの手に見えたのだ。

 そう見えてしまったのは、おそらく静香さんはギルえもんと同じだったからだろう。自分というものを持っていて、自分の判断に従って動く。静香さんがそういう人間だったからこそ、一瞬僕はギルえもんと静香さんを間違ってしまったのだ。

 

 だけど、その一瞬の見間違えで――僕の心は、あるモノに支配された。

 

 それはスネ夫のときにも感じた、『ギルえもん/静香ちゃんに頼ってもいいのか?』という疑問だった。

 

 

(ここで頼ってしまったら、きっと僕はずっと弱いままだ。頼ってはいけない。僕は一人で頑張らなきゃいけないんだ――)

 

 

「――いいよ静香ちゃん。一人で立つし、ハンカチもいらない」

「えっ。でものび太さん。せめてハンカチは――」

 

 

 押し付けるように、静香さんは僕にハンカチを渡そうとする。

 強引に渡そうとするものだから、つい僕は苛立ってしまい――

 

 

「いらないって! ほっといてよ!!」

 

 

 と、乱暴に静香さんの手を払ってしまった。

 だが次の瞬間、ハッとなり自分がやったことに気づいてた。

 僕はなんてことをしてしまったのだと、このときの僕は自分がやってしまった行為に激しく後悔した。

 静香さんは善意でハンカチを渡そうとして、手を差し伸べたのに……僕はなんて失礼なことをしてしまったのだろうか。この件のことは、僕は今でも後悔している。

 僕は頭を下げて、静香さんに謝ろうとした――

 

 

「ご、ごめ――」

「なによっ! せっかく庇ってあげたのに!! こんなの酷すぎるわ!! もう知らないっ!」

 

  

 静香さんは怒り心頭という様子で、手のひらのハンカチを握りしめて自分の席に戻っていった。

 

 

「あっ……」

 

 

 このとき僕は、すぐに謝ろうとした。だけど、声が出なかったのだ。

 気づいてしまったのだ。周囲に向けられてる目の存在に――『変なやつ』を見る目で、僕は見られていた。

 それを自覚した途端、急な疎外感が襲いかかってきて、言葉が詰まってしまったのだ。

 

 唯一いた味方を失ってしまい、僕はこの教室で完全に独りになってしまった。

 

 

「……なんだあいつ」

 

 

 そう言ったのは、誰だっただろうか。

 この時の僕は頭がいっぱいになっていて、声の判別さえ付かなかった。

 だけど――誰が言ったのかは分からなかったけど、その言葉で僕の胸の中にあるものが、急激に冷え切った。

 

 その瞬間、僕は急に怖くなった。

 

 何が怖かったのかはもう覚えていない。でもこのとき僕は、何かに怯えきっていた。

 

 ――恐怖した僕が教室から逃げ去るのには、三秒もかからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 




 
 
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