ドカン!と轟音立てて割れた岩から生まれた俺は、随分と高い山のてっぺんに仁王立ちしていた。
幾億もの雨風浴びて耐えるところから始まらなくて、なによりである。
俺が「孫悟空になりたい」と言った時、釈迦如来像はその姿をポンッ!と変えた。
猿の尻尾が生えた少年。
つんつんとした黒髪で、オレンジ色の道着を着たその姿はもちろん。
「孫悟空というと『ドラゴンボール』の主人公の」
「そっちか」
いやまあ確かに、孫悟空と聞いてその姿を思い浮かべる人は多いんだろうが。
というか「マンガ読んでるのかお釈迦様」と聞いてみたら、「もちろん」と返ってきた。
人間の知る全て、いや人間の知り得ないことまでの全てを知ってるってさ。
ああそうかい。きっとそれこそ人によっては『アカシックレコード』とか『真理』とか呼ぶんだろうよ。
考えてみたら最初から「ワンピース」って言ってるんだしな。
どっぷりと俗世につかったお釈迦様だよ全く。
それはともかく。
「スーパーサイヤ人になりたいわけじゃないんだ」
「猿にはなりたいのか」
その表現やめてくれない?
俺は野生の猿になりたいわけじゃない。
西遊記の、どこまでも人間くさい岩猿になりたいんだ。
そうか、と。次に現れたのは極普通の猿だった。
「では、アカゲザルということで」
「それはないだろう」
思わず即座に否定した。
いやいや、だって俺ちゃんと野生の猿になる気ないって言ったよね。人の話聞いてた?
そりゃアカゲザルが孫悟空のモデルって言われているけど、俺としては俗説のキンシコウや、猿神のモデルのハヌマンラングールのほうがいいし。
かりかりと頭をかいた猿の姿が、またポンと音を立てて、サイヤ人(連載初期)の姿に戻る。
……もしかしたら気に入ってるの、その姿?
「ひとつの願いに注文が多いな」
注文っていうか、イメージと違いすぎたら文句のひとつやふたつくらい言いたくなっても、仕方がないじゃないか。
「人のイメージ次第でどんな姿にでもなる神さまが、俺のイメージする孫悟空が分からないなんて変だろ」
変だろ、変だよな。
釈迦如来像だって、イメージ通りと納得したわけじゃないけどな。
「……世界に孫悟空は無数に存在し、お前の中の孫悟空も数多く存在している」
そう言ったサイヤ人の姿が曖昧にぼやけた。
蜃気楼が幾重にも重なるように、いろんな姿に変わっていく。
ああ、そうだよな。
何度も読み返した小説だけじゃなく、たくさんの孫悟空が俺の中に存在している。
子供の頃見た人形劇。
ドラマやアニメの主人公たち。
ああ、そういえばあの映画のキャラクターのモチーフも孫悟空だったけ。
京劇や影絵。……見た覚えがあるような、ないような。
俺が覚えていなかったものも、俺の中にはきちんと残っているらしい。
万華鏡のように、陽炎のようにゆらゆらと揺れるイメージ。
「じゃあ」
目指すはもちろん、いいとこ取りで。
そんなこんななやりとりの後、なんとキンシコウをモデルに、動物系の悪魔の実に似た感じで、人型・人獣型・獣型になれるようにしてくれた。
気前がいいな、お釈迦様。
だから、今の俺は猿だ。
……あれだけ野生の猿はイヤだって言っていたのに何故かって?
だって今の俺、生まれたてのすっぽんぽんよ?
さて、と。
俺は禿山の上で周りをぐるりと見回した。
どこだここ。
……とりあえず、山の名前は花果山でいいか?