猿王ゴクウ   作:雪月

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第弐回 水と恐怖と本能

 

 

 

 

 

 花果山(俺命名)はそれなりに大きな島の真ん中に位置していた。

 

 

 

 巨岩が鋭い剣となって天に向かって聳え立ち、雲を貫くこの山こそは岩肌が剥き出しになっているが、後は緑豊か。

 

 豊かすぎてジャングルっぽいな。

 

 見るかぎりでは、町や村など人の気配はない。

 

 周りの海の色は深い。

 

 波は荒く、白く弾ける波頭から、ごつごつした岩がいくつも顔を覗かせている。

 

 他の島影はなく、ぐるり四方を囲む水平線。

 

 後は、青い空と白い雲だ。

 

 

 

 くるんと周りを見渡して、視界が一周した勢いのまま、俺はとてんと尻餅をついた。

 

 おや?

 

「キッ?」

 

 なんだかバランスが変だ。

 

 首を傾げて後ろを見ると、「やあ」とばかりに尻尾が揺れた。

 

 こいつのせいか?

 

 地面に手をついて立ち上がる時のように、尻尾を使って立ち上がってみる。

 

 それほど、難しくはなかった。

 

 尻尾だけの問題ではないようだ。

 

 立つ足にもしっかり力が入らない。

 

 回線がうまく繋がっていないような、全体が覚束ないような。

 

 生まれたばかりだからか?

 

 まずは成長し、そして鍛えろと?

 

 

 

 おいおい。

 

 

 

 不思議生物いっぱいのこの世界、つまり危険もいっぱい盛りだくさんなはずの場所で、これはいただけない。

 

 ううっ、急に持病の「森に入ってはいけない病」が、とか言ってる場合じゃないな。

 

 身の安全を図れる場所を探す必要がある。

 

 それに水と食いものだな。

 

 

 

 よっ、ほっとっと。

 

 

 

 巨大な岩々が連なる、切り立った崖の隙間のような場所をおっかなびっくり下りていく。

 

 山を下るにつれて、岩肌が徐々に緑に覆い隠されていく。

 

 まずは岩に張り付くような苔類、ちまちました草、低い木、気付けばいつしか蔓草絡む大木に頭上を塞がれたジャングルだ。

 

 蔓でターザンのまねをしてみたり、枝から枝へと飛び移ってみたり。

 

 慣れると尻尾も、他の手足と変わらずに使える。

 

 グギャギャギャギャとかブオオオオとか、やたらと物騒で狂暴そうな鳴き声や、バキバキと木が倒れるような破壊音が聞こえた時は、すぐさま方向転換した。

 

 

 

 果実らしきものをいくつか発見した。

 

 

 

 食えるのか、これ?

 

 だって、まだらの蛇色や水玉毒キノコ色とかなんだ!

 

 うん。止めておこう。

 

 無敵の胃袋は持っていない。

 

 ……はずだ。

 

 ちなみにキノコもあった。もっとヤバイ色だったけどな。

 

 

 

 ああ、腹へったなあ。

 

 

 

 熱帯雨林ぽいってことはさ、バナナないかな。

 

 ばーなな、ばなな。ばーななばかな。うきっ。

 

 空腹に気を取られすぎて、その渓谷が目の前に現れるまで、俺は唸るような水の音に気付かなかった。

 

 突然途切れる緑。

 

 目の前に現れたのは、巨大な滝。

 

 はるか頭上から、怒涛のように流れ落ちる爆流。

 

 しかし、轟音立てる滝の壮大な自然の美に、俺は感動するではなく、恐怖した。

 

 首の裏から尻尾の先までの毛が、一気にぞわっと逆立つ。

 

 

 

 逃げろ!

 

 

 

 俺はパニックになった。

 

 ほんのわずかでも遠くへ逃げること以外は考えられなかった。

 

 木の枝を大きく蹴り、跳んだ足の裏に妙な空気抵抗があったと思ったら、続く浮遊感。

 

 ふわりと体が宙を泳ぎ。

 

 バランスが崩れ。

 

 

 

 

 

 

 ――落ちた。

 

 

 

 

 

 

 気付くと固い地面に打ち上げられていた。

 

 水の中でもがくことができたのかも、覚えていない。

 

 渦巻く濁流。

 

 恐怖心。

 

 覚えているのはそれだけだ。

 

 打ち上げられたそのままに、げほげほがほがほ、えづく。

 

 ここは、滝の裏側に位置しているようだ。

 

 怒涛のような水音が、耳鳴りのようにうわんうわんと頭の中に鳴り響き続ける。

 

 水に侵食された洞窟なのか。

 

 辛うじて無事だが、まだ体半分水の中だ。

 

 水に体温を奪われて、更に体力気力が減っていく。

 

 身体中が痛くてだるい。

 

 意識も朦朧としている。

 

 このままここで寝てしまいたい。

 

 その欲求に身を任せれば楽になるのかもしれないが、しかし、ここで目を閉じたら二度と目覚めないのではないか。

 

 俺はナメクジのように水の跡を残しながら、這いずるようにして洞窟の奥へと重い足を運んだ。

 

 

 

 

 

 

 奥は思いの外広かった。

 

 澄んだ水が鏡のように凪いだ泉を作り、湧き水が壁にいくつもの小さな滝を作る。

 

 それらが天井の岩の隙間から射し込む光にきらきらと輝く様は美しい。

 

 荘厳だった滝の神がかり的な姿とはまた違う、神秘の姿がそこにはあった。

 

 しかし、俺にしてみれば周りを水に取り囲まれていて、ただ怖い。

 

 

 

 なに、この本能。

 

 

 

 必死で周りの水から逃げるようにして、洞窟の一番奥まで辿り着いた。

 

 斜面になった水に浸されていない場所に、ぽつんと低木が生えていた。

 

 俺は、その木の根元で丸くなる。

 

 もう限界だ。

 

 薄れゆく意識で思うのは、孫悟空の話。

 

 他の猿たちに勇気を示すために滝壺に飛び込んで、水簾洞を見つけた石猿は猿の王、美猴王になった。

 

 ……つまりこれはあれだ。

 

 水簾洞にしろということか。

 

 

 

 水が怖いのに?

 

 

 

 

 

 


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