猿王ゴクウ   作:雪月

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第参拾五回 オレンジの島

 

 

 

 

 

 

 

 ミホークの指し示す方向に進めば、確かに島があった。

 

 

 

「へえ。ここはオレンジが多いんだ」

 

 

 

 初めての島っていうのは、それだけでワクワクする。

 

 町並み一つとっても、その島の個性があって面白い。

 

 海に隔てられた大地と風と歴史の積み重ねが、見たことのない祭りや建物となり、唄や言葉や料理を育んでいく。

 

 なのに、南の海と北の海に同じような伝統料理があったり、小さな島でも川を一つ挟んでいるだけで全く違っていたりもする。

 

 

 

「おう、オレンジだけじゃない。夏ミカンやキンカン、レモンもあるぜ」

 

 

 

 俺はさっそく入った港で、港守に話を聞いていた。

 

 船乗りたちは皆ここでオレンジを買っていくんだってさ。

 

 ちなみに最初は話を聞くどころか、ミホークの船とミホークにびっくりしていたけどな。

 

 まあ、黒い棺桶船が接岸しただけで怪しいのに、その船から背中に大剣背負った剣豪様が降りてきたら腰のひとつも引けるよな。

 

 今のご時世、海賊の心配もしなくちゃいけないし。

 

 けれど、俺が人型のお子さまっぷり全開で無邪気に話しかければ、その警戒も緩まるってものさ。……自分で言っていて虚しくなるな、これ。

 

 

 

 島は、それほど小さいものでもなく、町もいくつかあるようだ。

 

 

 

 しかし、それに比べると港はあまり大きいものではない。

 

 グランドラインを目指す航路から外れているため、補給目的の船が寄る機会も少ないからだという。

 

 定期的に商船が来て、島では手に入りにくいものを卸し、この島で作られているオレンジを仕入れていく。

 

 元々柑橘類が育ちやすい土地柄だった。

 

 その上、航海には欠かせない。

 

 商人も船を空にするよりは帰りの荷があるに越したことはない。

 

 需要と供給が成り立った後は、だんだん規模が大きくなった。

 

 今や、島の大切な収入源だ。

 

「だから山に自生しているものでも勝手に採れば罰せられるから注意しろ。だが、水は大丈夫だからな。買うよりも山に汲みに行ったほうがいいぜ」

 

 そのほうが旨い上に長持ちすると教えてくれる。

 

「ありがとう。そうする」

 

 さっそく町で買い出しをし、食糧と酒を船に運んでもらう算段をつけたら、樽を担いで山登りだ。

 

 水が旨いなら、酒も旨い。

 

 楽しみだ。

 

 そんな会話をしながら水汲みは終わり、また樽を担いで山を下る。

 

 帰りは船まで真っすぐでいいだろうと、道を外れてその帰り道。

 

 

 

 一軒の家を見つけた。

 

 

 

 町からは外れているが、オレンジの栽培農家が多いなら、自然とお隣は遠くなるだろう。

 

 こじんまりとした家の周りには、畝に沿ってきれいに並んだ木々が濃い緑の葉を繁らせていた。

 

 これから畑を広くしていこうとしているところなのか若木もまだらで、これから植えるのだろう生地が見えている畝もある。

 

 しかし、濃緑に映える橙色は瑞々しく鮮やかだ。

 

「ミホーク!オレンジ食べていこう」

 

「買っていなかったか」

 

「買ったけど」

 

 日差しを弾く太陽の色合いが、もぎたて新鮮を食べておけと喉の乾きを誘発するのだ。

 

 ま、我慢はよくないよね。

 

 樽を置いて、家へと向かう。

 

 家人はいるかと戸を叩く前に、洗濯物を干している女性を見つけた。

 

 エプロンのひもが結んである背中しか見えないが、一家を取り仕切る農家のおばさんという感じではなく、若い。

 

 すらりとした背中に声をかけた。

 

「おねーさんこんにちは」

 

「あら、ぼうや。こんにちは」

 

 振り向いた女性が、にこりと笑う。

 

 オレンジに負けず劣らず明るい笑顔だ。

 

「この辺では見ない子ね」

 

 しかしその笑顔も、後ろから歩いてくるミホークの姿に気付くと強張った。

 

 彼女は警戒もあらわに、右手を腰に持っていく。

 

 銃かな。

 

 でもその腰には何もない。

 

 反射的に手が伸びただけのようだ。

 

「軍人さん」

 

 俺は呼びかけの言葉を換える。

 

 海賊や山賊じゃないだろう。もっと訓練された人の動きだ。

 

 ミホークのこともただ警戒すべき物騒な訪問者と見ているのではなく、彼が『鷹の目』だと分かっているっぽいしな。

 

「オレンジください」

 

「ミカンよ。それにもう退役しているから『お姉さん』がいいな」

 

 ふうと息を吐いて、おねーさんの肩からすとんと力が抜けた。

 

「おねーさん。ミカンをひとつ分けてほしいんだ」

 

 オレンジ?みかん?

 

 違いが分かりにくい。

 

 ミカンってもっと薄くて小さくて、こたつで食べるもんだと思ってた。

 

「太陽の日差しをたっぷり浴びているから肉厚になるのよ。酸っぱくって好評なんだから」

 

 説明しながらもおねーさんは、エプロンのポケットに入っていたハサミでミカンを手早くパチンと採って、俺に手渡してくれた。

 

「さあどうぞ」

 

「ありがとう」

 

 早速食べる。

 

「すっぱ」

 

「あはははは」

 

 酸っぱさにしかめた俺の顔を見て笑いながら、ミホークにもミカンを投げたおねーさんは、更にミカンを収穫して空になっていた洗濯籠に入れていく。

 

 ある程度のところで、その籠を俺たちへと差し伸べた。

 

「持っていって」

 

「ありがとう」

 

 礼を言いながら財布を出す俺に、彼女は慌てたように手を振った。

 

「お代なんていらないよ」

 

「それはダメ」

 

 ここに並ぶミカンの木の美しさは、人の手が入った美しさだ。

 

 懇切丁寧に育てた果物を、友人知人にお裾分けするならともかく、赤の他人の俺が無償で譲ってもらうもんじゃない。

 

 田舎のばあちゃんは通りすがりの他人に畑の収穫物をぽいぽい渡している?

 

 そういう、素朴な話は別だから。

 

「ふむ」

 

 俺たちのやりとりに、ミホークは手に持ったミカンを懐に仕舞うと、代わりに小振りの袋を取り出した。

 

 革の袋で、端が煤けていた。

 

 それをおねーさんに放る。

 

 反射的に受け取ったおねーさんは、目を白黒させている。

 

「そやつから金が受け取れぬなら、それでよかろう。無価値な拾いものだ」

 

 突拍子ないな、ミホーク。

 

 でも、いい落としどころだ。

 

 じゃあそういうことでと、おねーさんが我に帰る前に退散した。

 

 

 

 

 

 荷の積み込みが終わって出港となり、船も沖へ出始めた頃。

 

 おねーさんが泡食って走ってきた。

 

 手を大きく上げて振り、声がきれぎれに届く。

 

「こんなにも貰えないよー!」

 

 ……。

 

「ミホーク。いくら渡したのさ」

 

「知らぬな。先の海賊が無様にも命乞いで差し出してきたものだ」

 

 命の値段かよ。

 

 まあ、確かにミホークには不要なものだわな。

 

 んでもって、そんなものを差し出したのなら、ミホークはなおいっそう容赦しなかったはず。

 

「まあ、いいか」

 

 もちろん船を港に戻すことなどせず、俺はおねーさんに大きく別れの手を振った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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