あれから俺は、結局のところ水簾洞で暮らしている。
何せ俺は、水が怖い。
おかしな話だ。
俺は悪魔の実を食べたわけじゃない。
だから、海……というか水に入ったら脱力して身動ぎもできない、ということはなく、泳ぐこともできるはずなのだ。
第一、悪魔の実の能力者はシャワーや雨、流れる水ならいいって話だったし、ルフィの奴はアラバスタで風呂を楽しんでいなかったか?
ハンコックもルフィとの出会いは風呂場だったよな。
それともあれだ、お色気シーンは別物なのか。
なんにしろ、能力者は海を苦手としていたけれど、海を怖がってはいなかったはずだ。
俺は、本能に刷りこまれたかのように水が怖い。
流れる水も駄目だ。
こんなに水が怖いのは、泳ぎが得意なアカゲザルを嫌がったせいか?
人型になれるようになった。
なれたというかなったというか、情けない話なんだが、一番水から遠いところに蹲って「逃げちゃ駄目だ逃げちゃ駄目だ」と震えている内に人型になっていた。
人型が一番水に対する恐怖心が薄いようだ。
怖いものは怖いけどな。
獣型から人獣型、そして人型への変化は、尻尾並にすぐ慣れた。
獣型はキンシコウがモデルでも、2メートル近い大猿。
ゴリラのようなマッチョではなくて細身の体だ。
全身が淡金色の毛に覆われて、火眼金睛(かがんきんせい)。
人獣型はぐっと小さくなって、約半分の1メートルちょっと。
ベースは猿か?
元々人間のベースも猿だ。だから、四足歩行の獣よりも変化が乏しいのかもしれない。
毛並みは減っていて顔の輪郭も人に近いが、猿だ。
しかし俺はここで、大幅なサイズダウンのほうに疑問を持つべきだった。
猿にしちゃでかいとか、そういう問題ではなかった。
そう。
人型が問題なんだと、俺はおそるおそる泉を覗きこむ。
肌は白い。
血管が透けて見えるような赤みの差した白ではなく、病的に青白い。
細身の四肢は、脂肪も筋肉もついていない。握ったら折れそうだ。
ほら、火垂るの墓のにーちゃんみたいに。
ほわほわの、綿毛のような金髪も柔らかい色合いで、全体の白いイメージに拍車を掛ける。
目だけは、白から遠く赤のきつい金目だ。
嬉しいことに、顔のパーツのバランスはいい。
しかし、精悍とは言えない。
きっと女の子に出会ったところで、「かわいい」と言われる頻度は高そうだけど「かっこいい」と言われることはなく、恋愛対象になることもないだろう。
だって、まだ義務教育始まってないんじゃないかってくらいのガキだぜ!
サイズだって更にダウンして身長1メートルを大幅に切る、こつぶっこだ。
ちくしょう。
生まれたてなんだから、首も座ってない乳飲み子じゃなかっただけマシだったと釈迦如来像に感謝すべきなのか?
無理だ。
今、再び滝つぼに飛び込んだらどうなるか。
獣型では水への本能的な恐怖に身が竦み、人獣型でも同じく。その上、体力が足りなくてあの激流に負けるだろう。
人型?そりゃ言わずもがなだ。
考えれば考えるだけ外に出るのが面倒になる。
その上、ここはなかなか暮らし勝手がいい。
身の安全性でいったらピカイチだ。
水は、ちょっと勘弁して欲しいくらいに溢れている。
食べるものは、もっぱら魚類。
俺と同じように流れに飲まれたら、魚といえども逃げられないんだろう。
打ち上げられ、びちびちと濡れた床で跳ねている。
熱帯魚以上に派手でカラフルな魚が多いので、最初は躊躇ったが、焼いて食えば気にならない。
火?
乾かした流木二本と根気があればなんとかなるんだ、これが。
それから、この洞窟に唯一生えている木。
とても背の低い、今にも枯れそうな古木だが、桃に似た実がいくつか生っていた。
産毛のない、宝石のようなつややかさを持ち、みずみずしく甘い。
これが不思議桃で、一口食べれば元気百倍。
俺が初めて食べたのは、この桃だった。
衰弱しきっていたのが、桃をひとつ食って更にもう一眠りしたら、全回復だ。
どんなエリクサー、ハイポーションだとびっくりした。
凄すぎて、あだや疎かにはできない。
気楽に食べたら、もったいないおばけが出そうだ。
しかし、いざという時の心強い味方を得たのだと思い、何よりも重宝している。
普通の木の実も流れつく。
多かったのは手のひらサイズのヒマワリの種のような実で、生で食べる椎の実みたいな味。
パンの実によく似た実もあった。
ごく稀にしか流れ着かなかったが、パンの実同様焼いて食べると美味かった。そして、俺の知っているパンの実とは違って、生で食っても美味かった。
生で食うとバナナ、焼いて食うとサツマイモっぽい食感だ。
食べた後の皮や、要らない流木などは、放っておくと水の流れに乗って姿を消した。
そんなこんなで、滝つぼにもう一度飛込む気になれないまま、俺はこの洞窟で暮らしている。
ずっとヒッキー気取りじゃいられないのも分かってはいるんだけどな。
どうしたら、外に出られるか。
壁を殴っただけで穴が開いたりしないだろうかと馬鹿なことを考えたりもしたが、もちろん殴った手が痛かっただけだ。
鍛えればなんとかなるのかもしれないが、よくよく考えてみると、洞窟が崩れて生き埋めになる可能性のほうが高いんじゃないだろうか。
それならば、と見上げたのは天井。
光が差しこむということは、外と繋がっている。
しかし、先細りになった天井は随分と遠く、それなりに手がかり足がかりがありそうな岩の壁も途中までしか上れなかった。