猿王ゴクウ   作:雪月

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第四拾五回 飢えと猿

 

 

 

 

 

「た、助け、助けてくれっ!」

 

 我に返ったサンジが、這いずるように寄ってき、叫ぶ。

 

 随分と水気のないしわがれた叫び声。

 

 心が痛むね。

 

 俺は自分が座っている金斗雲を手のひらで指し示す。

 

「悪いけど、見ての通りこれは一人乗りなんだ。無理してもせいぜい後一人乗るのがやっとかな。二人も余分に乗せて海を渡るなんてできないから」

 

 嘘だろうって?

 

 嘘だよ。

 

 金斗雲が一人乗りなのは本当だ。

 

 けれど俺が担いで運べばいいだけの話で、人間二人なら軽い軽い。

 

 でも、この小粒っ子。

 

 サンジ。

 

「お、俺を助けてくれ」

 

 サンジは、何も言わずに俺たちのやりとりを見ているだけのゼフを指差した。

 

 

 

「こ、こいつは悪い海賊の親玉なんだ!こいつらが、海賊が俺たちの船を襲ったから、そのせいでこんな目にっ!」

 

 

 

 堰を切ったようにとはこのことか。

 

 サンジはゼフへの批難を溢れさせる。

 

 食糧を独り占めした。

 

 元々、こいつらが襲って来なかったら。

 

 海賊なんて。

 

 海賊王なんて。

 

 大海賊時代だなんて言って。

 

 自業自得。

 

「海賊なんて死んで当然だ!」

 

 それは、この海の真実であり真実ではない。

 

 海の上では誰の命も軽い。

 

 叫ぶ子供の言葉も軽い。

 

 生きるのに必死なのはいいけれど、でも目が死んでる。

 

 心が死んでる。

 

 漂流して飢えて挫折して絶望して、でもこれは酷すぎないだろうか。

 

 これじゃあ助けても、水死体拾ったのと変わりない。

 

「なあ、おっさん」

 

 俺は黙して語らずただ俯いている悪逆非道の海賊を、金斗雲の上から生意気そうに見下ろす。

 

「さっきの質問の返事がまだだよ」

 

 重い顔が上がる。

 

「あんた、足をどうするつもりだったのさ」

 

 沈黙が流れる。

 

 サンジも、叫ぶのを止めて唇を引き結んだ。

 

 答えを知っている問いだ。

 

 俺もゼフもサンジも。

 

「……随分遠回りな自殺だね」

 

「そのままにしておいても腐って落ちるだけだ。もったいない」

 

 ゼフが応えた。

 

「ふーん。なあ、おチビさん。海を静かだと思ったことは?」

 

 俺はサンジにも声を投げかけた。

 

 波の音は煩いくらいで、けれど相手が身動ぎした時の衣擦れの音さえ聞こえるほどの静寂が、夜の海にはあっただろう。

 

 なあ、二人っきりの海は静かだったろう。

 

 波の音の隙間を縫って、相手が何をしているか必死で耳をすまして探る。

 

 自分がものを噛む音、唾を飲み込む音はさぞかし大きく響いたんじゃないのか。

 

 相手のそれが聞こえてこない分。

 

 

 

 何も分かってないふりして、なあ、本当に分かっていなかったか?

 

 

 

 俺はゼフの脇に転がって手をつけた様子もない、サンジがいうところの食糧を独り占めして大きくふくらんだ袋を、棍で突いた。

 

 ばらまかれる金銀財宝。

 

「海賊なんて死んで当然、なんだろ?」

 

「うわああああっっ!」

 

 サンジの絶叫が響いた。

 

 泣いてわめいて叫んで。

 

「とっととそのチビナスを連れていけ」

 

 ゼフが俺に向かって言った。

 

「い、いやだ!」

 

 ぐしゃぐしゃになった顔を上げて、サンジがゼフの腕に縋りついた。

 

「なんでだよ!どうしてこんなっ」

 

 そして俺を仰ぎみる。

 

「助けて、助けてくれよ。頼むからもう嫌だ俺たち二人を助けてよ!」

 

 いいね。

 

 目に生きる力がある。憤りがある。

 

 泣いてわめいて叫んで。

 

 食糧を独り占めにしていた罪悪感も、身喰いに気づいていた後ろめたさも、重くて乗せられないから全部吐き出してくれ。

 

「これは一人乗りだから」

 

 金斗雲をポンと叩いた俺は、彼らの背後の沖を示す。

 

「代わりにあの船なんてどうだろう」

 

 

 

 いや、どうして気づかないのか不思議だけど、ずっといたからね俺の船。

 

 

 

 猿船に移った俺たちはやっとこさの自己紹介を手早く済ませると、とりあえずゼフとサンジの飢えを満たすためにキッチンに腰を据えた。

 

 こざるたちが救急箱を運んできて、ゼフの足の手当てを始める。

 

 それを痛ましい目で見ているサンジにだって、細かい傷がたくさんあるから、こざるたちが容赦なく消毒液をぶっかけている。

 

 俺はその間にシチュー鍋を火にかけ、パンやベーコンを食糧庫から引っ張り出してきたが。

 

「あれでも急に食べるとよくないんじゃなかったか」

 

 がんとサンジがショックを受けた顔をする。

 

 ああうん悪い。ここでまたお預けとかすまんね。

 

「そうだな、とりあえず白湯か」

 

 ポットからカップにお湯を少しだけ注ぐ。

 

 少しずつ飲んで吐かなかったら、次は葛湯な。

 

 後、胃にやさしいものっていうとと考えて面倒くさくなって、結局シチューを薄めてぬるくしたものを出した。

 

 そのぬる目のスープをサンジは、温かいと泣きながら食べていた。

 

 そして食べている途中で、気絶した。

 

 

 

 

 

 

 


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