猿王ゴクウ   作:雪月

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第五十四回 オレンジの島の子供

 

 

 

 

 

「おう。ご苦労様だったな、このイカ野郎ども」

 

「イカじゃないっすよー」

 

「知り合いにタコならいますけどね」

 

 振り向けば、朝の日差しを柔らかく受け止めている大きな窓の外。

 

 麻袋や樽を担いだ男たちが甲板を歩いていく。

 

 向かう先にあるのは厨房の裏口か、それとも貯蔵庫か。

 

 う?

 

 おおー。

 

 いや、驚いた。

 

 愉快な会話をしながら通って行くのは俺も顔を知っている魚人族だったわけだが、一番後ろ。

 

 樽をふたつ担いで歩くシルエットの大きさはどういうことだ。

 

 ピンクおでこと細身やろうの2人はあまり変わっていないように見える。というか、時の流れがどこに出るんだあの金属っぽいうろこ肌。

 

 そうするとつまり残りはチビ助ひとりなのに、縦にも横にも大きく育って全く様子が変わっている。

 

 堅そうな背びれは健在で、どことなく着ぐるみの恐竜っぽい。あの赤いのとコンビを組んでいた緑のやつを更に大きく膨らませて青くしたら……あれ、これじゃあ全然別ものか。

 

「市場にろくな魚が入ってなくて」

 

「港に海兎の群れが迷いこんで漁に出られないって漁師の連中ぼやいてやした」

 

「そりゃ、不届きなイカ野郎だ」

 

「ウサギですけどね」

 

「まあ、魚は遅番が起きたら槍もってひと潜りさせりゃいいだろう」

 

「俺たちも帰りにちょっと船の後ろに網張ってきましたから、大丈夫です」

 

「捕れた魚は先に生け簀に放りこんできたっす」

 

「それでですね。肉が不足していないかなと思って」

 

 俺たちこの後休番だから暇なんです、と。

 

「いいこと言ってんじゃねえ、このイカ野郎。丁度新メニューにラパンのグリルを思いついたトコだ」

 

 窓から姿は見えなくなったが、軽快な会話が続いている。なのに、俺のテーブルは空気が重い。

 

 中座してもいいよな、俺。

 

 ウサギ狩りに参加希望だ。

 

 深海魚組に声をかけようかと腰を浮かせた俺の動きに、固まっていたナミの肩が大きく跳ねる。

 

 更にはタイミングよくウエイターがモーニングセットを持ってくる。

 

 ナミの後ろから大きな盆がテーブルに影を作ったことにも再び肩を揺らし、それがウエイターだと気付くと取り繕うように「おいしそう!」と歓声を上げる。にこやかに対応する笑顔が無理しっぱなしだ。

 

 大丈夫かよ。

 

 テーブルに料理が並んだ。

 

 デカンタからは新鮮なオレンジジュースが大きなグラスになみなみと注がれる。

 

 食べたばかりでいうのもなんだが、美味しそうだ。

 

 俺はもう一度椅子に腰を落ち着けると、ウエイターにジン・オレンジかラム・オレンジおくれと追加注文した。

 

 朝から酒は出さねえと断られた。

 

 なんだと。

 

 だったらサングリアもってこいサングリア。あれならジュースかデザートのくくりだ。カットフルーツ山盛りにして来いよとウエイターを厨房へ追い返す。

 

 それどころではない様子のナミは、平気なふりをしたいようで黙々と食事を始めようとしているが、フォークを持つ手のその指は真っ白になっている。

 

「おねーさん。魚人族は嫌い?」

 

 椅子の背にもたれて、窓の向こうを見ながら聞いてみた。

 

 甲板にはもう誰もいない。

 

 答えはすぐに返らず、ナミの様子を伺うとサラダにフォークを突き刺したままで動きが止まっている。

 

「当り前よ。あんな人でなし!」

 

 しばらくの後、吐き捨てられた険のある声。顔は俯いたままで、そこに隠されているのが怒りなのか恐怖なのかを見ることはできない。

 

「あー、おねーさんも魚人族は人ではないって言うんだ」

 

 笑う。

 

「人じゃなくて魚だから何してもいいって?」

 

 続いた言葉にナミが顔を上げた。

 

 それでも結局、そこにあったのは無表情で何の感情も現れてはいない。

 

 隠されているのは恐怖か怒りか。

 

 俺は笑う。

 

「焼き魚にしてみようとか言い出して、生きたまま火炙りにしておいて、そのくせやっぱり魚は生臭くて喰えたもんじゃないとか言って食べないんだろ」

 

「ちょっ、なにそれ」

 

 流石にこれで無表情は貫けまい。ぎょっと目をむいて驚いている。

 

「違うわ。あいつらが悪党だって言いたかっただけよ」

 

 慌てて否定して、それから怪訝そうに眉をしかめた。 

 

「今、私もって言ったわよね。『も』ってなによ」

 

「ひとでなしが多いって話さ」

 

 俺は軽く肩をすくめる。

 

「こっちの海だと魚はアーロンのところでしか見かけないから仕方がないけど、さっきのあいつらはただのコックだ」

 

 バラティエのコックをただのコックとは言いがたいけど。

 

「そうね」

 

 納得したんだろうか。納得できるものだろうか。

 

 ナミの声は固い。

 

「でも、アーロンも海賊も悪党よ」

 

「そうだな」

 

 それはさすがに否定する気はない。

 

 俺も海賊だけど。

 

 ここの支配人は元海賊で、更には副支配人は一緒に海賊やるってお子様な主張してたけど。

 

 ついでにナミの連れも海賊だけど。

 

 ホント、右も左も海賊ばかりだな。

 

 石投げれば海賊に当たるって言われる時代なだけあるよ。海賊外しても海軍に当たるしな。

 

「大っ嫌いよ海賊なんて。あいつらが来たせいで、私のお母さんは歩けなくなったんだから」

 

 ナミはオレンジジュースのグラスを持ち上げて、ぐいっと呷った。

 

 

 

 ……ぱーどん?

 

 

 

 

 

 


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