この世界の命は軽い。
尊い命に軽いも重いもない、なんて。
きれいごとを言ってみたところで、人が簡単に死んでいくことに変わりはない。
広大な海に点在する島々。
自給自足ができればいいが、不足を補うには海路が頼り。
安定している四方の海でも危険は多く、グランドラインともなればログポースがなければ渡ることもできず、しかしログポースがあるからといって航海の無事の保証にはならない。
海も空も大地も気まぐれ。
暑さ寒さが厳しく嵐や大波が襲いかかり、飢饉が起こり、疫病が流行ったとしても逃げ出す場所がない。
そして、弱い子供や年寄りからぽろぽろと死んでいく。
時代はさらに荒々しく、そう、大海賊時代。
略奪なんてのは日常茶飯事よく聞く話。海軍が間に合わなければ血の雨が降り、海軍が間に合えば血みどろの戦いが起きる。海賊同士の潰し合いは万々歳。
ふと立ち止まって見回してみれば、見知った顔がいなくなっている。
だからもし、見知らぬ子供が海獣に食われたと人づてに聞いたとしても、少しだけ残念な顔を作り御愁傷様でおしまいだ。
「こんなところにいたのかルフィ」
俺たちが醜い争いを繰り広げているところに、ひょっこり顔を出したのはウソップだった。
「早く行こうぜ、飯なんて食ってる場合かよ。グズグズしていたらあの泥棒女におれの大切な船を売り飛ばされちまう。ヨサクとジョニーがいつでも出航できるって待ってるんだ。ゾロの傷は心配だけど、本人が大丈夫って言っているんだから大丈夫だろう。もう先に船に乗ってぐーがー高いびきで寝てんだぜ、あいつ」
捲し立てながらルフィに近寄って来、その腕を取って立たせようとしたところでやっとウソップはミホークが同じ卓を囲んでいることに気づいた。
「ぎゃあっ!」
びっくり仰天、ぎょっと目をむいて悲鳴をあげたマナー違反の乱入者に、鋭い鷹の目が向けられる。
「うるさいぞ」
「ひーーーー、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい斬らないでお願いします命ばかりはお助けー!ごめんなさいごめんなさいごめんなさいー」
ウソップは掴んでいたルフィの腕にしがみついてゴメンナサイを連呼した。腰は直角になる勢いで引けていて、その上足はがくがくぶるぶると震えている。
ああこりゃ、ダメだ。
仲間が斬られたんだ。怯えてしまうのも仕方ないけど、なんだろうこのからかいたくなる気の毒さ。
「いくらなんでもミホークだって見境なく切り刻んだりはしないって多分」
ウソップの、すがるような目が俺に向けられる。
「でも、いつまでもうるさくしているとどうかな」
にっと笑って首を切るジェスチャーをしてみせた。
あ、今度は俺がミホークに睨まれた。
ウソップはバチンと音がしそうな勢いで口をつぐんだ。
うん、静かになった。顔は真っ青だけど。
ちなみにルフィは腕にウソップがしがみついていても何のその、両腕伸ばして食事を続けている。
パンパンに頬を膨らませながらもごもごと「お前も食えば?」みたいなことを言っているようだ。
頼りになるキャプテンだね。
天使がチャルメラ吹いて通り過ぎたかのような沈黙を破るように、コックが追加の料理を運んできた。
山と盛られたパンケーキにはこれでもかとシロップがかかり、フルーツがそえられている他、トッピング用のクリームやジャム、チョコレートの小皿が並んでいる。
――って、深海魚じゃん。
「あ、ゴクウさん。なにやってるんですか食べ過ぎですよ。おかげで買い出しにいった分がまたなくなりそうな上に、非番の俺らまで駆り出される始末で」
文句を言われた。
でも俺はこの風船おばけほど食ってないから。濡れ衣だから。
このデザートで最後ですよという言葉とともに、テーブルに大皿が置かれた。
「ほ、ほらルフィ行くぞ」
機とみたウソップが今度はこっそりと声を潜めてルフィを促す。
「おう」
ルフィもウソップに引っ張られるまま大人しく立ち上がる。
「飯うまかった。 ありがとう」
それはミホークに対する礼かコックに対する礼か。
「お、おじゃましました」
わたわたとウソップがルフィを引っ張って出口に向かう。
未練たらしく伸びてきた腕が、テーブルに残っていた鳥の丸焼きをかっさらっていった。
それを見送った後、改めて深海魚が俺に向き直る。
「ゴクウさん、海兎の話どうします?なんかうちのオーナーが頼みごとしたって聞いてますけど」
止めておきますかと問われた。
「あー、行く。サンジが船を使っているんだろ。俺の猿船だすよ」
「分かりました。じゃ、俺ら切りのいいところまで片付け手伝ってくるんで、もう少し待っていてください。というかそれまでに食べ終わってくださいよ」
分かった分かったと手を振って、コックが厨房に戻っていくのを見送る。
さて、デザートをいただくか。
乞われるままにミホークの分も取り分けて、パンケーキにフォークを入れた。
「で、ミホークどうよ。あのルーキー」
ウソップが斬られる心配はしていなかった。
「あの麦わら見ただろ」
その代わりに、俺が心配したのはルフィだ。
腕だけじゃなくて麦わら帽子も一緒にくれてやったと赤髪が笑って話していた子供。
もしミホークが、何を対価に生かされたのかも分からないような小物だと判断したら、あの麦わら帽子ごと真っ二つになるんじゃないかなって心配してたりしたわけだ。
原作ではそんな事態にならなかったけれど、ミホークとルフィが同じテーブルで食事している時点で原作も何もない。
ゾロがミホークにざんばらりんと斬られた後でクリーク海賊団と戦って、えーと、ルフィがミホークと面と向かって会話するのっていつだ。
というか、ミホークが退場したのはいつだ。
首をかしげても思い出せない。
「あれは……」
面白そうに口の端を持ち上げたミホークから返事が返る。
「追いついてくるのを楽しみにして待つのだと言っていただろう」
今は待とう。時代が動くぞとミホークは重々しく言ったが、つまり気に入ったのは剣士だけじゃないってことでオーケー?
それならいいんだ。それならさ。
シャンクスの片腕が無駄になっただなんて思いたくもない。
「気に入らぬのはおぬしだろう、ゴクウ」
ぎくり。
「面白い奴らだと思ってるよ」
笑って誤魔化して、それも嘘じゃない。
「納得していないから、オレに聞くのだ」
ミホークの追撃が来た。
優しいキャプテンだよな全く。
だがまあしかし、確かにそうなんだろう。
あの麦わら帽子に拘っているのは、ミホークじゃなくて俺だ。
あの時。
物語のために必要なこととうそぶいて、しかし全然納得はしていなかった。
会ったこともない小さな子供が助かってよかったと喜ぶ気持ちはなく、どうしてシャンクスがという気持ちが強かった。
血まみれの包帯を巻いたシャンクスはなんでもないことのようにずっと笑っていて、それは仲間たちへの気遣いか敵に弱味を見せないためだったのか。
あの赤い麦わら帽子を見ると、痛ましいとしか感じなかった彼の笑顔を思い出さずにはいられないんだ。
なのに、出会ったルフィは憎めない性格をしていて、恨み言も言えやしない。
ああ、そうだ。
あの麦わら帽子の持ち主を、俺はまだ認めていない。
「気が済むまで見極めろ」
「そうするさ」
シャンクスが認めた少年。
物語の主人公。
ちょっと猿が一匹立ち塞がるくらい大したことないはずさ。