ゴクウは変化(へんげ)の術が苦手だ。
本人の固定観念というか思いこみのせいで『自分』にしか変化できない。
さて、こざるたちの能力はゴクウの能力に依存する。
ゴクウができることならできる。
つまり変化の術が使えるが、そこにゴクウのような思い込みはない。
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光指すことのない地獄の底に、下品な笑い声が響いていた。
「ギャハハハハ!」
「天下の七武海様がザマァねえ」
「落ちぶれたもんだよなあ」
「出てこいやクロコダイル」
「今すぐ殺ってやらァ」
「おらあ貴様のせいで片腕無くして地獄住まいだ」
新入りの歓迎。
各々の牢の中で、囚人どもが喚いている。
ガチャガチャと壊さんばかりに揺さぶられる鉄格子の音は耳障りで、しかし牢獄の中の男は、もう随分と長く続く罵声に身動ぎもしない。
この抜け出せない地獄の底ですべてを諦めたのか。
しかしふと男の顔が上がった。
向かい側の牢屋の鉄格子を掴んでいた囚人はその眼光の鋭さを受け、背中にひやりと冷たい汗が流れ身震いした。
薄暗い通路を挟んで、それでも殺されると恐怖する光。
徐々に喧騒が収まっていく。
しんしんと恐怖が伝染し、波紋のように静寂が広がっていく。
が。
喧噪にも静寂にも頓着せず、牢の中の男はくわぁとひとつ、退屈そうに欠伸をした。
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「おかしらー」
「おー」
赤髪の海賊団のクルーたちが大きな荷物を抱えて登ってきた。
大体が酒樽である。
もしくは、あり得ないほどでかい骨付き肉である。
ここで宴会を始めるつもりらしい。
ミホークの館からは執事らが、敷物やテーブルや椅子、パラソルなどを運びだしていた。
彼らの隙間をちょろちょろとこざるたちが野菜や果物を運んでいる。
その様子に緊急性は感じられない。
だから「放っておけ」と言ったミホークの返事は至極納得できるものだった。
しかし。
「興味ねえか監獄島」
脱出不可能な地獄の鬼はさぞかし手強いだろうと、うずうずするのだ。
「ゴクウは王下七武海の配下だから、本来、海軍は手出しできねえ。それを迎えに行くのを手伝うついでに荒っぽいことになってもタイギメーブンってやつだ。そうだろうミホーク」
シャンクスのセリフに返事をしたのはミホークではなく、抱えた酒樽からエールを直接杯で酌み、早速呑みながら歩いていく赤髪のクルーだった。
「お頭。暴れる前にゴクウが放り出されて終わるだけだそれ」
「じゃあ、まあそれはそれで置いておくとして」
にやりと、いたずら坊主の笑みを浮かべながら肩をぐるぐる回す。
「ルフィが来るって聞いてからうずうずしてしかたないんだ」
だから暴れようぜ。
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四皇と呼ばれ、窮屈になった。
身動ぎ一つが大騒ぎ。
その空騒ぎが面白いと、盃片手に笑って見物できたのも最初の頃だけ。すわ四皇が動いた!と騒ぎになるのも面倒くさい。
窮屈で、窮屈で仕方がない。
しかしそれでも、昔からの馴染みの騒動ということで、シャンクスとミホークがちゃんちゃんばらばらと始める分には、なぜか誰も何も言ってこず騒ぎにはならない。
若さばかりが先走っていた頃よりも、ずっと落ち着いたジャレアイだけど存外気に入っている。
四皇と七武海がそろって刀抜いて「ああまたか」で済ませるってそれどうだと猿が首をひねったりもしたが、しかしこのガス抜きがなかったらとうの昔に退屈が赤髪を、もしくは赤髪が世界の均衡を壊していただろう。
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三日月の島、マリンフォード。
立ち並ぶ白い帆白いコート。染め抜かれたシンボルマークと正義の文字。
用意された強大なスクリーン。
高台にはイケニエ。
海軍海賊入り乱れ。そこに脱獄組まで乱入したが、流れは変わりそうで変わらない。
ガープはそれらを高台から見下ろしていた。
握ったこぶし、動かない背中。
「ホントにそれでいいのか?じいさん」
その背中に声がかかった。
いつの間に現れたのか。
海軍の側に立つ海賊。王下七武海のひとりジュラキュール・ミホークのただ唯一の配下。
猿王。
「ゴクウ、何しに来た」
センゴクが乱入者に厳しい目を向けるが、ゴクウは頓着せず手をひらひらと振ってガープの隣に立ったまま、ともに騒動を見下ろす。
そして、言うのだ。
じいさん、あんたここに座って戦うのを放棄してさ、正義を背中から下ろす覚悟くらいしているんだろ?
だったらもういっそのこと、言いたいワガママ全部声に出して言っちゃえよ。
……俺ならできるよガープのじいさん。
俺、今まで色々無茶ぶりされてきたと思うんだよ将校サンたちにはさ。
今さらなんだよいまさら。
なあ。エースを助けろって言うだけなのにさ。
そんなに難しいことかな。
海賊王の息子が処刑されるところはきちんと全世界に見せて、でも、それがエース本人である必要はないのさ。
見つからなかった海賊王の息子はもういない。それさえ分かれば世界は安心する。
「大丈夫。ばれないばれない」
いつもと変わらない軽い声。
これほどの、悪魔の囁きがあるものか。
ガープは奥歯をぎりりと噛み締めた。
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ゴクウにしてみれば、ちょっとこざるたちを乱入させて、その言い訳はこの騒動の鎮圧ミホークの手伝いとでもしておけばいいわけで。
ついでに、エースのふりしたこざるを一匹舞台の中央に据えるだけである。
こざるたちはシャボンディ諸島で鍛えられて、上手いこと死んでみせるのはお手のものだ。
ばれないようにすり替えができるかは腕の見せ所だけれども、舞台にはもう上がっているのだから難しくはない。
さあ、どうするよ?
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ゴクウはいまだに変化の術が不得意なのだが、こざるたちにはそうでもないらしい――ということを、ゴクウは監獄の島で知った。
檻の中は退屈だった。
動物園の猿にはなれないなとしみじみ思うくらいに退屈だった。
一日もせずに、飽きた。
それはクロコダイルも同様で。
真っ白に燃え尽きたと思っていたら、あっという間に復活して、騒がしいとゴクウを蹴り倒した。
気力が回復すれば、クロコダイルだって退屈で仕方がない。
ゴクウがこざるたちに変化の術で身代わりを任せて地獄巡りに繰り出そうとしたら、クロコダイルにも連れていけと詰められた。
やぶさかではないが、ゴクウは「俺まだこの姿にしか変化できないし」と自分の身を指し示して言い訳していたら、その横でこざるがなんでもないことのようにくるりとトンボをきるとクロコダイルに変化した。
え?と驚いて。
さすがにこれにはクロコダイルもびっくりしていた。びっくりついでに、目の前に現れた偽クロコダイルへと即座に攻撃を仕掛けていた。
こざるたちは、くるくるくるくる、次から次へと見知った顔に変化し。
電伝虫にも牢屋の鍵にも何にだってなれるらしい。
こざるたちには、ゴクウのような「俺の内臓どこよ」といった疑問はないのだから。
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「この騒動おれが預かる。テメエらばっかり暴れやがってチクショウめ!」