数年経った今では、座礁した海賊船の残骸も荒波に砕かれて海の底へと沈み、僅かに竜骨の一部が波間から顔を出しているだけだ。
暫くの間は島に色々なものが流れついた。
どうして海の底に沈まなかったのか不思議なくらいにずしりと重い宝箱とか、酒瓶が詰まった木箱とか。
香辛料の類は嬉しかった。
海の上では湿気が怖いのだろう。しっかり防水してあるものが多かったため、海を流れてきてもあまり駄目になっていなかった。
めぼしいものは回収した。
こざるたちが。
俺としては、暫く海を見るのも嫌だったんだよ。
反面、小さいこざるたちが回収物を抱えてちまちま歩く姿には癒された。
だけど、服を回収してきたのかと思ったら中身つきだった時には、勘弁してくれと悲鳴を上げたくなった。
これが案外多かったんだ。
そのままにしておくのもどうかと思って、まとめて荼毘に付した。
羅生門を思い出しながら。
流石に身ぐるみ剥いで髪を抜くなんてことはしないさ。
服は他にも(中身つきではないものが)流れついていたから、わざわざ水死体が着ているものをいただく必要はなかったし。
ま、貴金属貴重品の類は回収したけどな。
何はともあれ、おかげさまで俺の暮らしは一気に文明開化を迎えた。
食器も使うし、ズボンも穿いているんだぜ。
ズボンは黒。人型になった時にも引き摺らないようにと自分で長さを調整した裾はぼろぼろだが、赤のサッシュを巻いてお洒落に決めている。
誰もいないんだから、ズボンを穿く必要はないって?
猿と人間の違いはパンツだって、どっかの学者さんも言っていただろ。
そういうものなのさ。
回収物のひとつである釣り竿背負って磯釣りに行っていたこざるが、「浜に人間がいる」と報告してきた。
人間ねえ。
流石に前回のように喜び勇んで駆け出す気にはならない。
しかしもちろん、全然気にならないと言えば嘘になる。
結局俺は、自前の武器である昆を片手に浜へと向かい、木陰からこっそりと様子を伺うことにした。
波しぶき高い岩場に男がひとり立っていた。
沖に船は見えない。
他に人影もない。
けれど、島まで泳いできたわけでもないようで、男の服に濡れた様子があるわけでもない。
どうやってきたんだよ。
年の頃は二十代後半だろうか。いや、もっと若いのかも。
背は高い。
腰に幅太の剣を下げている。
全体的に黒い。
胸元開けて着ているシャツやズボンに、首の後ろでひとまとめにした癖のある髪。剣を下げるベルトも、柄も鞘も。
何もかもが黒くて迫力がある。
俺は少し離れた木の枝の上、生い茂る葉に隠れて様子を伺っていたが、黒服の剣士はそのことに気がついていたらしい。
周りを睥睨していた目を、ひたりと当てられた。
こわっ。
眼光の鋭さに驚いて、俺は無意識に身を引いた。
がさりと枝が鳴る。
それを合図にしたかのように、剣士は地を蹴った。
腰に下げるには大振りやしないかと思う大剣を片手でやすやすと抜き、振るった。
その剣圧だけで枝葉が舞い、俺は隣の木の枝に飛び移り、幹を駆け上がるようにして上へ上へと逃げた。
どういう挨拶だよ。
いきなり攻撃するんじゃねえ。
どいつもこいつも好戦的すぎないか、まったく。
そんな文句を言う暇もなく、剣士は三段跳びの要領で木々の間を飛び上がり、猿よりも音を立てずに追ってくる。
ぶんと唸りをあげて迫る大剣を、とんぼをかえして避けた。
通り過ぎた剣は慣性の法則を無視して、そのままの勢いを保って戻ってくる。
しっぽを枝に巻きつけて、もう一度宙をくるんと舞った。
これで三度。
剣戟を避けることができた。
多いとみるか少ないとみるか。
剣速は、以前海賊に撃たれた時の鉛玉よりも速く感じたから、あれを避けた俺ってすげえ、と自分では思うけどな。
しかし、四度目は無理だった。
とっさに手に持っていた昆を体の前に出して防御するが、元々が頑丈そうな木を手折って枝を払っただけの昆だ。
剣士相手には何の役にも立たず、簡単に両断された。
昆を越えて、刃が俺の胴を袈裟切りにしようと迫る。
ギン!
肉を断ったにしては有り得ない音が響いた。
よかった、弾いた。
しかし衝撃は重かった。
猛烈に痛い。
俺は吹き飛ばされて無様に転がり、土にまみれた。
「ほう」
剣士はその手応えに、何を感じたのか。
感嘆の声のような息をもらすと、剣を鞘に戻し腰を落とした。
抜刀の構えをとる。
静まる空気と伝わる気迫。
「ふっ」
息を吐く音は聞こえたが、抜き手は見えなかった。
見えたとしたら、そこに込められた殺意。
それともこれが、覇気か。
俺は身を後ろに一歩引き、紙一重で剣を避けた。
いや、違う。避けたというよりも、圧せられて下がったのだ。
しかも避けたはずなのに、剣圧だけで右肩に刀傷を負った。
やばいやばいやばい。
俺は必死に、近くの木の幹を駆け上がって逃げた。
これは死ぬ。マジで死ぬ。
距離を置き、木の上と下とで睨み合う。
眼力だけで、固形化した殺気を感じる。
気の弱いやつなら気絶しそうだ。
俺もちょっとやばい。
何て鋭い目。
人っていうよりも、獲物を狙う猛禽類の鋭さ。
……て、あれ?
原作にいたよな、そういう目の剣豪。
「ダ、ギキッ」
ああ!しゃべれない。
出てきた声は全部濁音みたいに響いて、言葉になっていない。
そういえば猿だったな、俺。
しかしまあ、話そうとした意思は通じたらしい。
剣士は怪訝そうに眉を歪め、剣先をわずかばかり下げた。
「ム……?人の言葉を解すのか」
うん。
しゃべることもできるさ。
生まれてから一度も誰かと会話したことないけどな。
なんにしろ獣型では会話は無理だと分かったので、人獣型になってみる。
剣士が目を見張るのが分かった。
「オ、マエ……だ、だだ、ダレ、だ。ナニシに、キ、ぎ……キタ」
お前は誰だ。この島に何をしにきた。
うーん、言えていない。
「猿ではなく、能力者か!」
違うよ、猿だよ。
岩から生まれた猿。
斉天大聖孫悟空さまだ。
驚きの声を上げた剣士は、それでも俺の問いかけに答えてくれた。
「我が名はミホーク。ジュラキュール・ミホーク」
やっぱり、ミホーク!
若い、若いよミホーク!
髭はもう生えているけど、まだ貫禄より若さが先にたつ。
ああ、驚いている場合じゃなかった。
名乗りを受けたならば返さなくては。
俺はもっとしゃべりやすくなるかと、人型になってみた。
「ゴ、クウ」
それでも、人型で初めて出す声は覚束ない。
「ソン、ゴクウ」
「……こんな子供だとは」
ミホークの声は、驚きに満ちていた。