ダンジョンに果てを求めないのは間違っているだろうか   作:パイの実農家

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05 黄昏の館(3)

 中央塔の最上階、【ファミリア】の主神ロキの私室にて。

 

「ほな、聞かせてもらおうか。お前さんの事情」

 

 ロキ、フィン、リヴェリア、ガレス。

 【ロキ・ファミリア】の幹部に挟まれて、イステニアエルは椅子に腰を下ろした。

 もっとも、ガレスはフィンに手合わせを抜け駆けされた件で不満げにしていた。

 

「特にその、不浄の炎」

 

 どの道隠し通せるものではない。

 イステニアエルは小さく頷いて、頭の中で話をまとめた。

 

「長い話に……なるでしょう。よろしいでしょうか」

「かまへんで」

「……恐らくすでにお察しかと思いますが、私が生まれた大地は、名をイヤル(Eyal)と言います」

 

 ロキの細い瞳が、ぎろりと開く。

 

「イヤルの事情はご存知かと思いますが」

「……神の血で濡れた大地やな」

 

 幹部二人がぎょっとして目を剥く。

 

「その通りです。かつてイヤルを支配した種族……シェール・タルの手によって、イヤルに降り立った神々はことごとく(しい)されました」

「待て。……待て。シェール・タルだと?」

 

 リヴェリアの問いかけに、イヤルの戦士は重々しく頷いた。

 

「そのシェール・タルなのだ、始まりの一族の方。『最初に目覚めしアーテリア』の物語にある、彼らのことだ」

「あれは……ハイエルフの中では禁忌の一つだ。とくにその後半の二節は。草の根を分けてでも神々を見つけ出し、その全てを葬った、強大な種族など……要るわけがない。神への不敬だとして禁書とされたのだが」

「リヴェリア。ガチやでそれ」

 

 ロキの言葉に、リヴェリアは目を覆った。

 

「……シェール・タルっちゅうんは、神ん中でも恐れられる伝説や。神殺しだけなら、例は他にもあんねん。けどなあ、あいつらが殺した相手は……絶対神やからな……」

「ロキ、その絶対神というのはなんだい?」

 

 フィンの言葉に、ロキは眉根を寄せた。

 

「文字通りやで。ある神のグループの中でも頂点に君臨する、力ある神」

「ようは主神かい? ゼウスのように」

「ああ……必ずそうとも限らんが、概ねはな。神の中の王、支配者、とでも覚えとき」

 

 ロキはそこで一息つく。

 

「シェール・タルは、あくまで子や。せやけど、絶対神アマクテルがイヤルを支配するために生み出した子でもある。だから《神の力(アルカナム)》を与えられとった」

「……原初、イヤルは小さな神々が争い合う荒れ果てた大地だった。大いなるアマクテルが現れ、太陽を創造するまでは、常夜を戦火が照らす世界だったという」

「あー……領土紛争やな。イヤルの支配権争ってたんよ。白紙の土地やったからな」

 

 うちらはもう領地あったから関わらんかったけど、とロキはいい、イステニアエルは頷いた。

 

「けどあいつら……シェール・タルは与えられた《神の力(アルカナム)》をどんどん改良してった。空間を歪めるポータル、堅牢な浮遊城塞、そびえ立つ水晶の塔、想像を絶する魔法。そしてそいつで神々に()()()()()戦いを挑んで――ぶち殺しまくった」

 

 神を殺す九つの武器と、それを手にした九人の戦士。

 シェール・タルの英雄を旗印に、彼らは大戦争を繰り広げた。

 アマクテルの意思のもとに。

 

「むちゃくちゃやろ。未だにわけが分からん。何をどうしたら《神の力(アルカナム)》全開の神を()()できんねん。……何にせよ、そいつらは殺した。一柱も残さず、逃げる神を追いかけて、イヤルにいる全ての神をぶち殺して、ぶち殺して、ぶち殺して……イヤルをとうとう平定しよった」

 

 ロキに視線で促され、イステニアエルは後を引き継いだ。

 そして思い出す。要塞イールクガールに残された絵画たちを。

 

「だが……神はまだ一柱だけ残っていた」

 

 彼らを駆り立てたものはなんだったのだろう。

 イステニアエルは未だに思う。支配から脱するためだろうか。

 それとも、それすらもアマクテルの手の内だったのではないか。

 

「アマクテルはシェール・タルを作ったとき、彼らにこう言ったとされている。『光射す所に赴き、すべてを手に入れよ』と。彼らはそうした。忠実にそうした。すべての神を狩り殺し、太陽の光の届く全てを手に納め、そして最後に、光そのものを見た」

「……アマクテルそのものを、かい?」

「そうだ。彼らは原初の使命に忠実に、すべてを手に入れようとした。父たる絶対神すら」

 

 フィンの言葉を、イステニアエルは肯定した。

 

 戦いは熾烈を極めた。おびただしい数の死体で、アマクテルの玉座は埋まった。

 その果てに、シェール・タルはアマクテルを討ち滅ぼした。

 

「彼らは後年、それを「大いなる過ち」と呼んだ。事実、その後繁栄を極めたはずのシェール・タルは唐突に滅んだ。何があったかは誰も知らない。ただシェール・タルは失せた。イヤルには彼らの建造物と魔法の力が残り、その栄華の痕跡を発掘し……人の時代が幕を開けた。もうイヤルの誰も知らぬ神話だが」

「……なんとも、信じがたい話じゃな」

 

 ガレスはロキの顔を見た。無言のそれは肯定だった。

 ドワーフは髭を撫でながら困ったように笑った。

 

「ううむ。おとぎ話を聞かされている気分じゃわい」

「そうかい? 少なくとも僕は一つ、納得した事があるよ」

 

 頷いて、リヴェリアがそれをロキに放った。

 

「ロキ、これが神々が下界で《神の力(アルカナム)》の使用を固く禁ずる理由なのだな?」

「……せやで。ホントは黙っとかなあかんねんけど、まぁしゃあないやろ」

 

 ロキはばりばりと頭を掻いて、観念したように言った。

 

「子っちゅうんは、なんぼでも成長していきよる。(ひと)(かみ)の手を離れていくのは自然なことや。今まで幾つもの世界がそうなった。……けどな、《神の力》はその成長を歪めてまうねん」

「確かに、親殺しは、健全な形ではないね」

 

 ロキは頷く。

 

 強大な《神の力》を与えられたシェール・タルの末路を思えば、それは正しいと言わざるを得なかった。神の手で推し進められた発展は、神にすらも牙を剥きかねない。

 

「シェール・タルは、神より授かった「ものごとを実現する力」を魔法(アーケイン)と呼んだ。語源は恐らくアルカナムと同義だろう。魔法の力は、その後も度々イヤルを揺るがした……他の世界がそれを反面としたのも頷ける話だ」

 

 イステニアエルはそこで目を閉じ、一度深く深呼吸した。

 そして、鞄を引き寄せた。震えながら。

 

「以上の話は前置きです……ロキ神。あなた様の善性を信じ、私の使命をお伝えします」

 

 ロキは深く息を吐いた。

 

「厄介ごとの核心ってわけやな。……フィン」

「分かった。外にいるよ」

「ああ。人間に聞かせてええ話とちゃうやろ?」

「お心遣いに感謝致します、神よ」

 

 三人の幹部が部屋を出たのを確認してから、イヤルのエルフは鞄の奥から包みを取り出した。

 包みは精巧な技術で作られた外套だった。

 

「……反魔の力? おい、まさか」

「御察しの通りです。それが私の旅の目的なのです」

 

 包みを解かれたそこにあるのは――渦を纏う杖。

 

「嘘やろ」

 

 万物を吸い込むかのような魔力の渦があった。

 黒紫に輝く杖がそれを生んでいた。

 全てを飲み込むかのように、それは渦巻いていた。

 

「シェール・タルの九つの神滅具。神殺しの戦士の長が担った杖。絶対神アマクテルの命すらも奪った、《吸命の杖(ロッド・オブ・アブソープション)》」

 

 イステニアエルの目が、強くロキの瞳を突き刺した。

 

「私は、これを葬るために旅をしています」

 

 反魔の力を宿した外套でそれが隠れるまで、ロキの目には明らかな恐怖と動揺があった。

 

 彼女がそれをしようとすれば、ロキは死ぬのだ。

 天界への送還は叶わない。全てを奪われて消滅する。

 

 打撃具や魔法の焦点具として使っても一級だが、真の力はその吸収の力にある。

 それを真に解放すれば、形あるものは魔力と生命の全てを奪い取られて死に至る。

 

 それはそういう代物だった。

 この世界を文字通りひっくり返すほどの、呪われた杖だった。

 

「無限の迷宮を行く幾星霜の旅の果て、ポータルの導きによって、私はこの地へと流れ着きました。私は不和も混乱も望みません。この力ある杖は、その始まりからして血に塗れた、世界を容易く滅ぼすものです。――私は、私の身命の全てを賭して、世界の危機を葬らねばなりません」

 

 僅かでもまともな、強大な力の誘惑に耐えうる担い手の下にあるうちに。

 

 意思の強く高潔な存在がこれを持っていることを、ロキは運命の神に感謝したい程だった。

 悪人が手に持てばどうなるか分からなかった。世界の危機では済まないだろう。

 

「なるほど……なぁ」

 

 イステニアエルの言葉に嘘はなかった。むしろ強すぎる程に真だった。

 本心から、彼女は命を捧げるつもりだということがロキにはよく分かった。

 

「……一つ確認しとくで。お前は幾星霜っちゅうたが、ウチの知る限り、イヤルの神々の争いがあったのは一万年とちょっとの前や」

 

 イステニアエルは静かに瞑目した。

 一万年。それは己の知識と比べるとややおかしい。旅に出る前と変わらない。

 ……何千年もの間迷宮を歩いていたはずなのに。

 

「お前さんがどこを抜けて来たんかは知らへん。ただ……その旅は、時間的には僅かな間やと思う。せやけど、それやと説明がつかんもんがある」

 

 ロキはどこか身を案じるようにその糸目を傾けた。

 

「不浄の炎に蝕まれた体と、見て分かる程の【経験値(エクセリア)】の量――お前さん、一体どんだけの間戦い続けたんや」

 

 

 

 

 + + + 

 

 

 

 

 正確な数字は分からなかった。何階層潜ったかも知らない。

 石室で過ごした時間は、思えばそれまでの人生よりも長かったかもしれない。

 

「そうか……無為だったか、私の旅路は」

 

 知らず、つぶやきが漏れた。

 

 孤独な旅路の、永遠を思わせた苦難は、時の彼方へ向かうための旅路だった。

 その全てが無為だった。何千年の旅路が……。

 それはきっと、とてもつらいことだと思う。

 

 ――あまりにあっさりと受け入れていたので、そうと思い当たることがなかった。

 目を開けた時には、平然と答えを出せた。

 

「千年では効かないでしょう。詳しい所は私にも分かりません」

 

 感慨もないし、無力感も焦燥もない。

 ダメだったなら次に行けばいいのだ。

 とうの昔に覚悟は済ませた。数千年の徒労など、苦でもない。

 

「千年って、おま……」

「元よりシャローレは皆、移ろいゆく世界の中で終わりなき生の過ごし方を学ぶものです。私はたまたまそれが旅と戦いだったというだけのこと」

 

 そこまで語って、この世界にシャローレはいないのだということを思い出す。

 そうだ。この世界にシェール・タルはおらず、したがって魔法大禍(スペルブレイズ)も起きていない。

 シャローレという種族の罪も、我らの宿す「恵み」も、かの神は知らないのだ。

 

「神よ。卑しくも我らシャローレは――寿()()()()()()のです」

 

 ロキ神の瞳が、今度は驚きに開いていた。

 

 シャローレは寿命を持たない。

 久遠の恵み、即ち寿命を克服する程の強大な魔力を持って生まれたエルフなのだ。

 

「だから、どうかお気になさらないでください。杖を葬れぬとあれば、時の最果てまで一人、これを抱えて行きましょう。全てが朽ち果て、万物が眠る久遠の闇の深くまで」

 

 うつろわぬものたる我が身に、時は意味を成さない。

 魂は石に成り果てた。この全ては、終わらせるためにある。

 

 神の細い手が握りしめられ、震え始めた。

 当然だ。思えば私は明らかに不遜な存在であった。

 不浄の炎を身に纏い、神殺しの魔具を帯びる、永遠の命を持つ生命。

 そんなものを、神が認めるとは思えない。

 

 悪しき神ではない。戦いになることはないだろう。

 助力を得られぬなら去るしかない。また別の、信頼できる神を探そう。

 

「……そうか」

 

 ロキ神の細い瞳が、私を見る。

 それは、ともすれば泣き出しそうにも見えた。

 その表情一つで、何を思っているのかよく分かった。

 

「分かった。お前さんの事情は、よく分かった」

 

 ……ああ、と私は心中嘆息した。

 

 イヤルに神がいないことを、今更に嘆いた。

 シェール・タルというものがどれほど罪深い種族だったのか、今にして理解する。

 デーモンたちの不可解な団結と献身も、今になれば共感できた。

 

「うちに来い、イステニアエル。《吸命の杖》とかは関係あらへん」

 

 

 握りしめた拳は、私の負った苦難へ向けられたものではないか。

 

 

「――うちはお前さんを一人にはせえへんから」

 

 

 神の慈悲を目の当たりにして、私はただ頭を垂れることしかできなかった。

 

 

 

 

 + + +

 

 

 

 

 観測外のポータル反応を検知し、これを追った我らは、暗い地の底に至った。

 転移と掘削を駆使して地上へ進出し、そして理解したのだ。

 

 ここには憎むべきシェール・タルの残滓たちがある。

 滅ぼすべき大悪の末裔は、こんな所にも根を生やしていたのだ。

 憎悪が滾り、憤怒が渦巻いた。

 そしてそれらが神の意思にて冷え固まり、我らは慈悲なき団結を強固にした。

 

 我らは一度地底へと戻っている。

 我らが転移したかの地点は、面白い反応を見せている。

 地底には野蛮で低能な生物たちが土から生まれてくるが、これにはある種の意図を感じる。

 詳しくは添付資料を参照されたし。

 

 この世界の魔法も興味を引く。何より、神に類する存在がある。

 力を振るうでもなくこの地にいるのだ。

 彼らが何者で、この地が何なのか、引き続き調査を続けねばならない。

 

 クアシトたちは地底に野営地を建設中だ。

 地底には今のところ知性体は我らしかおらず、隠密行動には適している。

 また、この周囲から生まれる下等生物の支配実験を試みている。

 これにはウルイヴェラスの生成手順を応用できた。

 経過観察中だが、見る限り好感触だ。ウルイヴェラスより御しやすいものもある。

 良好な結果が得られた場合、検体を幾つかそちらへと送る。

 逆に緑の子らを送っていただきたい。

 

 以上を持って経過報告を終了する。

 同胞よ、大いなるアーロックの意思のままに!

 




・リヴェリアへの態度
 イヤルにハイエルフはいないので、普通に同胞と接する態度。
 もっとも王族だと知らないせいでもある。

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