はじまり
誰にでも初めて見たものに対して必ず抱く感情というものがある。それが好奇心をそそられるものであれば、もっと深く知りたいと思うはずだ。
俗にいう一目ぼれというものは、誰にだって一度は経験したことがあるかもしれない。
彼、本田春樹(ほんだ はるき)の一目ぼれは15歳の時であった。
ただし、その対象は無機質な一台の自動車であったが。
春樹は石川県小松市の小さな自動車修理工場の生まれだった。物心ついたときから機械に囲まれ、それらを遊び道具にしているうちに自然と機械いじりが趣味となっていった。
そんな彼が継続高校の機械科へ進学先を決めたのは必然だったのかもしれない。
「全く人使いの荒いオヤジめ…なーにが手が離せないだよ!」
自動車の部品をかごに乗せ、春樹は長い上り坂を自転車で上っていく。
そんな彼をあざ笑うかの如く、車たちが横を通り過ぎていく。
「っくっそー!俺だって機械科に入ったらな!こんな!坂道!」
自分を鼓舞しながらペダルをこぐ足に力を籠める。
赤信号で少し休憩。そんな時一台の車が同じく赤信号で停止した。
「…なんだエボ4かよ。」
自分の家にもある車を見てそう呟いた。どうせならエボ9でも通れよと心の中で横の白い車に向かって悪態をついた。
その時だった。
突然車から唸り声を上げるような音が発せられた。タービンが空気を圧縮するキーンという音と共に、マフラーから「バン!バン!」と爆発音が響いた。
信号が青に変わる。
その瞬間まるでカタパルトから打ち出された戦闘機のように猛然と加速していった。
「…すげぇ。」
家に帰った春樹は早速車庫の隅でホコリを被っていた同型の車の修理に励んだことは言うまでもない。
これが、春樹の1度目の一目ぼれであった。
「それじゃあしばらく離れるけど、元気でやるんだよ。三食しっかり食事はとること。」
「分かってるよ。それじゃあ行ってくる。」
港に”停泊”している継続高校がこれから三年間この”学園艦”で生活することになるのだ。
ああ、それとと春樹の母親が一つの鍵を手渡した。
「車の方はもう着いているはずだから。くれぐれもハメを外しすぎないように。」
「分かってるよ。どうせ免許取るのはもう少し先なんだし。そもそもまだあれじゃ走れねーよ。」
「そーかい。」
母親に別れを告げて春樹は学園艦に乗り込んだ。
空母をベースとして作られた学園艦は学校だけではなく、町そのものが船の上に存在している。
「と言っても半分以上が森だからな…この船。」
他校の学園艦よりも規模が小さく、そもそも人口が少ないことが原因なのか未だ半分以上が自然で覆われている。
「まあ、それはそれで好都合か。」
誰にもわからないように小さく笑みを浮かべ、春樹は自分の城へと足を運んだ。
学校からそう遠くない小さな山の中に山小屋が建っている。そこが春樹の家だった。
入居者が出ずに放置され続けてきたこの小屋は光熱費を含めて、月\1,000の破格の値段だった。
「幸い小屋自体は問題なさそうだけれど…きったねーな。」
中は全体的に埃がかぶっており、今の状況で暖炉を使えば瞬く間に住む家が焼失してしまうだろう。
「とりあえず…掃除道具あるかな?」
入学式まであと四日。それまでにある程度の生活の基礎は出来上がっていなければならない。
掃除を含め、ひとまず生活できそうな状態にしたころには既に日が傾き始めていた。
「…なんでこんな原始的な食事しなくちゃいけないんだよ。」
調理器具の類が一切ないため春樹は外でたき火をたき、川で釣ってきた魚を焼いていた。
「…美味いな。」
「この山が磨いた水で育った魚だからね。美味しくないわけないだろう?」
「……。」
春樹の動きがぴたりと止まった。それは口に魚の骨が刺さったわけでは決してない。突如現れた女が当たり前のように自分の焼いた魚を食べていたからだ。
「…誰だお前。」
「その質問に意味はあるのかな?それよりもこの山の命を頂くことが大切なんじゃないかな?」
「うるさい魚泥棒。それは俺が1時間かけて捕まえた小魚を使って釣った今日一番の大物なんだ。あんたが女であろうと関係ない、今すぐ返すんだ。」
そう言って火の反対側に移動するが、いつの間にか女の姿がない。
「良い焼き加減だったよ。」
背後からする声に振り返ると、そこには空の串と満足そうな笑みを浮かべる女の姿が。
「…こいつ。」
額に青筋を浮かべて今すぐ怒鳴りつけたい衝動を何とか押さえつけて、春樹は残りの魚を平らげる。
「さて、君から頂いたものに相応な対価を支払わないといけないね。」
そう言って女は丸太の上に座り、琴のような楽器を取り出した。そしておもむろにそれを弾き始める。
「なんだ盗人の次はストリートパフォーマーか?」
それよりもこの中途半端に満たされた胃袋をどうしてくれるのかと春樹の心中は不満だらけだった。
「ミカ。」
「……あ?」
「ほら、名乗ったのだから君も名乗ったらどうだい?」
「………春樹。」
「ハルは最近この船に?」
盗人もとい、ああ言えばこう言うストリートパフォーマーもとい、ミカは世間話がご所望らしい。
「そうだけど?…ああ、年上だから敬意を持てって?生憎盗人を尊敬するほど俺の心は廃れちゃいないんだけどな。」
いきなり愛称で呼ばれ、既に怒ることを諦めた春樹は、ため息をつきながら丸太に腰を下ろした。
「……?」
しかし目の前にはたき火が燃えているだけで、柔和な表情を浮かべるミカの姿はどこにもなかった。
「何だったんだ?」
日中の掃除の疲労に精神的疲労も加わり、春樹は早々に眠りにつくのだった。
「それでは今日から三年間、勉学や部活動に励んでください。」
入学式が終わり、次は学科別の集会が始まる。春樹の所属する機械科は工学コースの他に整備コースというものがある。
実戦的なカリキュラムにより、知識や着実を磨くことができるこの学科はある特権が付加されている。
普通自動車免許及び、大型特殊免許を入学からひと月で取得することができるのだ。
ちなみに普通科でも”戦車道”を履修すれば同じ特権が付いてくるのだが、そちらは”女子生徒”のみが履修することができるのだ。
戦車道
乙女のたしなみとして復旧していった戦車道は、現在国際的なスポーツとして認知されつつある。
男子が野球をするように、女子は戦車道を行うのが一般常識として定着していったのだ。
そのためか今どきの工学系の高校は女子生徒の方が比率が高いというのも珍しくはなかった。継続高校機械科も例にもれず教室にはまるで女子高のような雰囲気が漂っていた。
しかし春樹にとってはそんなことはどうでもよかった。ひと月経てばアイツに乗ることができる。今はそのことしか考えていなかった。
「それでは代表の挨拶は今季の特待生である本田春樹さんにお願いします。」
「はい。」
整備コースの試験内容は実技試験であるディーゼルエンジンの組み上げと、ガソリンエンジンの特徴とその将来性についての小論文の二つだった。
小学校に上がる前から機械に触れ、絵本代わりにカタログや専門書を呼んでいた春樹にとっては実に簡単な試験であった。
入学金と授業料の免除、などなど様々な優遇はあるが予想外だったのが自家用車の燃料費が割引になることだった。そしてハイオクも例外ではないらしい。
これは予想外の報酬が付いてきたと、まじめな顔で挨拶文を読みながら春樹は内心狂喜乱舞していた。
講堂の片隅でじっと春樹を見据える瞳に気づかずに。
「ねえねえ本田君は戦車道やらないの?」
「いや、あれは女の子の競技でしょ?そもそもやる気もないし。」
「じゃあさ自動車部に入ろうよ!」
ユミと名乗った隣の席の女子生徒が目を輝かせてそう言った。聞けば彼女はここの自動車部目当てで入学してきたらしい。
そして早速戦車道よりも敷居の低いであろう自動車部に春樹を誘ったわけだ。
そういえばこの学校は自動車部も盛んだったな。
特にラリー競技は月に一度行われるほど力を入れていて、この学校出身の全日本選手も少なくないそうだ。
…ラリーか。
正直言って非常に魅力的な部活動だ。春樹が所有している三菱ランサーエボリューションⅣはWRCで三菱が初めてチャンピオンを獲得した車でもあり、最後の5ナンバー車として根強い人気がある。
そのほかにもジムカーナや、ダートトライアルでもそこそこ勝負になるため非常にオールマイティーな車と言えよう。
しかし、何はともあれランサーはラリーをするために生まれてきた車だ。春樹自身もラリーをする気満々であった。
「とりあえず顔を出すくらいなら。」
「やった!約束だよ!」
しかし一つだけ懸念がある。
本当に好きなもの、熱中したいものを部活で選んでしまっては思いもよらない制約が発生するかもしれない。そしていつの日か好きなものが苦痛へ変わってしまうかもしれない。
そんな不安が春樹の胸中をよぎる。
それは本当に意味があることなのかい?
そんな言葉が脳裏に響く。誰の声なのかははっきりとわからない。男なのか、女なのか、子供なのか老人なのか。誰とも分からない声が。
しかしそれも目で見なければ分からない事だった。春樹は基本的にやってみる、見てみるなど体験第一主義だった。
「それでは今日は一般的な工具の種類と、その使用方法を―」
とりあえず自動車部の部室に行ってみよう。ラチェットをギチギチしながら春樹はこの後の予定を組み立てていた。
継続高校自動車部。フィンランドが由来のこの高校は、その名に恥じぬ車のラインナップだった。
メーカーにばらつきはあるものの、そこにある車は全てラリー仕様のものばかりだった。
ちなみにフィンランドはラリーが盛んに行われていて草野球感覚でラリーが開かれている。それ故、数多くのドライバーをWRCに送っている。最近ではF1の世界で活躍する選手も増えてきているようだ。
「こ、これは…!」
不覚にも春樹はぐらっと来てしまった。小さいころから憧れていたあの名車たちが今、目の前にあるのだから。
「あれー?もしかして新入生?しかも男の子もいる!うわー珍しいね!」
部室の中からわらわらと部員たちが出てきた。
「なになに?新入部員?」
「じゃあ早速山に連れて行かないとね!」
「好きなラリードライバーはいる?キミ・ライコネンとかロバート・クビサとか。」
「アンタそれ微妙な立ち位置の有名選手あげるねー。それよかカルロス・サインツとかペター・ソルベルグとかいるでしょ?」
「良いじゃん好きなんだからー。」
あはははと和気あいあいとした雰囲気が漂う。
「あのーここのメインはやはりラリーですか?」
「もちろん!全国学生ラリー大会、通称学ラリじゃあ9連覇中なんだから!」
ちらりとピットを見る。車を持ち上げるリフト、大容量のコンプレッサー、各種ジャッキ、大きな工具棚。設備としてはこれ以上ないものが揃っているようだ。
悪くない。それが春樹の第一印象だった。
そんな時まるで空気を揺らすような大きな音が近づいてきた。まるで金属そのものが唸るような独特な音。それは、昔から聞きなれたディーゼルエンジンの音だった。
「…重機?」
キャタピラの音から察するに相当な重量の重機のはずだが、その姿は予想以上に車体が低い。長い車体に小柄な”砲塔”いわゆる戦車というものだった。
「ちょっと見て欲しんだけどー!」
操縦席から顔を出した女生徒が親しげに自動車部員に話しかけてきた。
「まーたどこかから持ってきたの?性懲りもなく。」
「しょうがないでしょーお金ないんだからさー。」
「よく言うよ、文部省から予算が来てるくせに。」
「それでもクロモリとかプラウダとかセイグロに比べたら厳しいんだけどねー。」
春樹はそんな会話を聞きながらこの学校の財政状況や、謎の単語について考えていた。少なくともクロモリとはクロームモリブデンの事だろうと合点した。
プラウダはNGKの親戚だろうか、セイグロ…新しく開発されたグリス?
そんな思考がとんでもなく見当違いであることをのちに春樹は知ることとなる。
「自動車部は戦車道の車両の整備も?」
「ああ、整備以外に改造もしてるよ。そのおかげで学校からちょっとだけ補助金が出たり、こうして備品が整ったり。ギブアンドテイクってやつ?」
なるほど…ここなら俺の知識も役に立つかもしれない。それに…ここの設備は正直言って魅力的だ。ラリーもできる。これ以上の条件は無いだろう。
「……俺、自動車部に入ります。」
かくして継続高校自動車部発足から初の男子部員が誕生した瞬間だった。
「なかなか良い道具が揃ってたよ。あれならお前も良い仕上がりになるはずだ。もしかしたら…エンジンもOHできるかもな。」
山小屋の隣にある車庫にて春樹は愛車に向かって独り言をつぶやいていた。
「君は機械と会話する趣味でもあるのかい?」
どこからともなくあの声が聞こえてきた。
「別に、俺がそうしたいからそうしてるだけ。で、また飯たかりにきたのか?」
「風に流れてきたのさ。」
「そーかい、美味そうな匂いにつられてやってきたわけだ。」
今日は近くの農家の方から頂いたチーズと、肉屋で安売りしていたベーコンを焼いてパンで挟んだものだった。
「レイパユースとは普通ジャムと食べるものなんだけどね。」
「そーかい。ちゃんとした食べ方じゃなくて悪かったな。」
「いや、これはこれで美味しいよ。」
「あっそ。」
床下収納からつけ瓶を取り出して中の液体を水で割った。
「飲むか?」
「ありがとう。」
瓶の中身は本田家直伝の梅ジュースだった。甘酸っぱい飲み物とたき火とで食後のゆったりとした時間を過ごす。
「そういえばお前毎日来てるよな。…まさか根無し草とは言わないよな?」
「違うよ、風に身を任せているだけさ。」
「変わんねーだろ。」
どこに住んでいるのか、どこ生まれなのか、ミカはそんな質問をすると決まってはぐらかす。
春樹も面倒くさくなってあまり深く考えないことにした。いちいち相手にしていたら疲れるだけだからだ。
数日でコイツの扱い方が何となく分かってきた気がする。やりたいようにする。それが一番疲れないし、春樹もこの時間を楽しめるようになってきた。
その時ミカがじーっと春樹の顔を覗き込んでいることに気付いた。
「ハル、少し顔色が優れないね。疲れでも溜まっているのかい?」
「毎晩アンタと会話してりゃ疲れもそりゃ溜―」
その時猛烈な吐き気が春樹を襲った。慌てて口元を抑えて草むらでうずくまる。先ほど食べたものが全て逆流してきてしまった。
「はぁ…はぁ…。」
ひとしきり吐いた後には軽いめまいと、体の震えが残った。特に足の震えが顕著だった。
なんだいきなり…風邪ってわけでもなさそうだし。何が起きてるんだ?
自分の身に起きた異変に戸惑う春樹の背中に何かが当たる感触がした。
「別に戸惑うことは無いさ。誰でも環境が変わったらそうなるものだよ。人間の適応力も限度というものがあるんだよ。」
そう言ってミカが背中をさすると徐々に体が楽になっていく。
「明日は休日だ。今日はゆっくりと休んだ方が良い。」
「もとから…そのつもり…だったよ。」
「それだけ憎まれ口を言えるなら大丈夫そうだね。」
そう言ってミカはいつものように音もなく姿を消した。
「あーくそ、気持ち悪ぃ…。」
喉の奥の酸味を洗い流そうと、春樹は水道へよろよろと足を運んだ。
「さて、今日はこの車両の整備をするよ!」
そう言って自動車部の部長、ミミはいつもの部室ではなくもっと広い整備場で声高々に宣言した。
彼女の視線の先には、ボロボロの戦車が一両鎮座していた。
「まるでゴミ捨て場から拾ってきたみたいだな。」
「その通り、ゴミ捨て場から拾ってきたのさ。」
春樹にとって聞きなれた声が耳に響く。
「あ、ミカさん。お疲れ様です!」
そんな彼女に向かってミミが偉く丁寧なあいさつをしていた。
…てことはコイツ三年か?
「先輩に敬語を使われるのも慣れないね。」
「いやいや、危うかった戦車道の存続もミカさんのおかげで持ち直したようなものだし。」
…なんだ、二年か。およそ敬意というものをミカに対しては全く持ち合わせていない春樹だった。
「それで、そこにいる彼は新入生かな?」
「はい!我が部始まって以来の男子部員ですよ。それに久しぶりに出た特待生でもあるんです。」
「なかなか優秀そうだね。よろしく。」
そう言ってミカは春樹に右手を差し出した。
「……。」
春樹は何も言わずにその手を握る。その瞬間、ミカは思いもよらない力で春樹の手を握ってきた。それに対して春樹も力いっぱい握り返す。
「随分な挨拶だなミカ。」
「おや、なかなか良い力じゃないかハル。」
突如飛び散った火花に、ミミは目を白黒させた。
「え、本田君ミカさんと知り合い?」
「夕飯を盗まれた。」
「介抱したよ。」
「……えーっと、本田君の夕ご飯をミカさんが盗んで、盗まれた本田君をミカさんが介抱したの?」
おおよそ大局的な説明にミミは少々頭が混乱気味になっていた。語弊がありまくりだが、説明するのが面倒な春樹と、訂正する気がないミカは「まあ、そんな感じ。」と少々雑に答えた。
「まあ、いいや。二人が知り合いなら話は早い。本田君、君にはあの戦車の改修をしてほしんだ。」
「俺が…戦車を?」
「うん、正確には外装じゃなくてメカの方だけどね。エンジンもディーゼルだし大丈夫でしょ!」
そんな無責任なことを言いながらミミは春樹をガラクタのところへ連れて行った。
エンジンやトランスミッションがむき出しで、本来はどこに収まるべきなのか現状では不明だった。
「動力系と駆動系を見れば良いんですね?」
「うん、人材は優先的に回してあげるから何か必要なものがあったら言ってね。私たちも勉強させてもらうから!」
まずは何をすべきだろうかと、春樹は戦車の前で座り込む。
「まずは…エンジンですね。下ろしましょう。」
そういうな否や、どこからともなくクレーンとハンガーが用意される。
エンジンと車体とが固定されているボルト類を外していく。しかし、ミッションとエンジンが固着し、思うように外れない。
「ちょっとハンマー持ってきてください。」
やはり活躍する場面が多いのか、だいぶ使い込まれたハンマーが手渡される。それを使って、宙づりになったエンジンとトランスミッションが切り離された。
春樹には見慣れたV12ディーゼルエンジンが姿を現した。
「で、具体的にどこか悪いとかあるんですか?」
「なんだか全体的にトルクが無くて、いくつか気筒が死んでるくさいし…たぶん全然圧縮されてないんじゃないかなー?」
圧縮抜けか。もし本当ならこればかりはエンジンを分解してみないと分からない。早速下ろしたエンジンをばらし始めた。
その流れるような手つきに、いつの間にか春樹の周りに人が集まっていた。
「やっぱり特待生は凄いなー。全然迷いがない。」
「知識というのは時に力よりも優れているものだよ。どんなに屈強な勇者であっても優れた賢人の前では赤子同然さ。」
「相変わらず面倒くさい言い回しですなー。珍しく顔出したのはもしかしてあの子が来たから?」
「彼は戦車道に必要だからね。」
「あら?珍しく素直だね。」
「そういうときもあるさ。」
ポロロ~ン♪
カンテレの音色が優しく響いた。
「改修と言ってもどこまでやって良いもんなんです?競技車両ですからその辺面倒なんじゃ…。」
「大丈夫大丈夫~型式が違うエンジンには乗せ換えちゃダメだけど、いじっちゃダメって書いてないからね~。それにエンジンをいじれる高校生なんてそうはいないからさ。」
まあそれもそうかと春樹は納得した。
そうホイホイエンジンをメカチューンできる学生がいてたまるか。
それは幼少期から培ってきた技術と知識を持った者のプライドなのかもしれない。
エンジンヘッドを外すと、真っ黒なピストンが姿を現した。
「見事に焼き付いてるな…。」
これは気合い入れてやるかと、ポケットから黒を基調としたまるでトランプの箱のようなものを取り出した。その箱から出てきた黒い粒を一つ口に含む。
「ウソ…、あの子サルミアッキを平気で食べてる!?」
サルミアッキとはフィンランドで作られている飴でその独特な味からフィンランド以外の国ではあまり消費されてないと言われている。
「美味しいじゃないか、サルミアッキ。」
「えー絶対龍角散の方が美味しいってー。」
そんなサルミアッキ談義を交わしながら春樹の作業を二人は見つめていた。
「よし、大体バラしたかな。」
作業手袋で汗を拭い、洗油に使う軽油が貯められている桶に部品を持っていく。そしてどす黒い部品たちを人海戦術で洗っていく。
「そういえばミカはまだ野宿なの?」
「……。」
「はぁ、詳しくは分からないけどさ。いい加減寮でも良いから住む場所決めないと。何をそんなに意固地になってるの?」
そう言ってミミはミカの少しごわごわした髪にそっと触れた。
「一応三年の私が部長やってるけどさ、三年は私だけ。実質ここの戦車道を引っ張ってるのは間違いなくミカなんだよ?公の場にだって出ることもあるんだから今のうちにしっかりしてくれると嬉しいんだけどな。」
「説教に聞く耳は持たないね。」
「あ、ちょっとミカ!?」
そう言ってミカは整備場から姿を消してしまった。
「……。」
そんな様子を春樹は作業中に横目で見ていた。
まさか本当に根無し草だとは。アイツは本当に訳が分からない。そこにいるはずなのに、いないような感覚。まさに雲をつかむような存在だ。
「部長、このあと時間ありますか?」
それをはっきりさせるために、まずは少しでも情報を集める必要があるようだ。
部品の洗浄を終わらせたころには外はすっかり暗くなっていた。
春樹とミミは近くのファミレスに立ち寄り、話をすることにした。
「コーヒーくらいなら奢ってあげるよ。」
「じゃあ、お言葉に甘えて。」
コーヒーが二つ届き、一口飲んで一息つく。
「本田君が何を聞きたいのかは分かってる。その前に一つ聞かせてくれる?」
「何でしょうか?」
「ここ最近ミカの顔の血色が少しだけ良くなっている気がするの。本田君がミカにご飯食べさせてあげてるの?」
「…はい。」
部長の話し方から察するに、ミカは殆ど食事をとらない生活が続いているようだ。
「本田君は寮暮らし?」
「いえ、山小屋に一人暮らしです。」
「山小屋って、もしかしてあの山にある小屋?」
部長が指さす先にはまさしく春樹が住んでいる山だった。
「そうですけど。」
やっぱり…とミミは小さくつぶやいた。
「あそこ、ミカが去年住み着いてたところなの。」
春樹があの小屋を最初に見た印象では、おおよそ人が住むような場所ではなかった。
「…あんな汚い所に?」
「私もね、せめて寝るところだけでも綺麗にしろって言ったんだけど。必要ないって聞かなくて。」
だとしても寝るだけで下手したら病気にかかる心配もある。それほどあそこの衛生状況は劣悪だった。
「ミカのおかげでウチの戦車道もやっと試合ができるレベルまで立ち直ったの。それだけで私は満足。私の唯一の心残りは…あの子だけ。」
そう言ってミミはコーヒーカップを両手で包みながら揺らぐ液面を見つめる。
「戦車道で成績を残せば文科省から補助金が降りる。だから学校もミカの不登校は大目に見てる節がある。あの子頭も良いし。だから今日久しぶりに顔を出してくれてすっごく嬉しかったなぁ。」
そう言ってミミは微笑む。その笑顔には様々な感情が見え隠れしていた。
「俺が知りたいことは大体聞きました。最後に一つ質問良いですか?」
「うん、なにかな?」
街頭もない真っ暗な山道を春樹は無言で歩き続ける。頼りになるのは星と月の明かりだけだった。
「…はぁ。」
そんな月明りに照らされながら、丸太の上で一人カンテレを弾く女の姿が視界に入り春樹はため息をついた。
「やあ、遅かったじゃないか。」
「お前なぁ…。何をそんなに意固地になってんだよ。」
「…何の事かな?」
「部長から聞いた。お前最近野宿続きらしいな。ここの家主が現れたせいで。」
そう言って春樹は寝袋を一式引っ張り出してきた。
「それと寝袋と何が関係があるんだい?」
ミカの質問を無視して、その隣に今日の夕食が入ったビニル袋を置く。
「……。」
ミカの質問に答えず春樹はじっと黙る。そしてミカもじっと春樹の瞳を見据えた。
「…分かった。じゃあ君のところに居候させてもらうよ。」
やがて観念したのかミカがフッと笑った。ところで、とミカは言葉をつづける。
「今日の夕ご飯はとても素敵なもののようだね。」
ビニル袋から顔を出しているのは、春樹がいつもの肉屋で買ってきたハムカツだった。それとスーパーで安売りしていた食パンで挟む。
「何とも庶民臭い食べ物が好物なんて意外だな。」
「何を言うんだい?好物に庶民も金持ちも関係ないよ。」
「それで、食うのか?食わないのか?」
「頂くよ。」
いつものようにたき火を焚いてから、二人はハムカツを食べ始めた。ただ、今日の夕食は少しだけ温かく感じた。
「おーらい、おーらい!そのまま下ろしてー!」
ジャッキがゆっくりと降ろされ、エンジンとトランスミッションが噛み合う。
「よし、入った!あとはマウントしっかり止めてねー。」
「「はい!」」
戦車の改修を始めて1か月が経過し、エンジンが車体に収まったことでおおよその作業が終了した。
最後のボルトを締め終わると、何とも言えない達成感が漂う。
「みんなお疲れさま、じゃあちょっと試走に行ってくる。」
ミミは数名を引き連れて戦車に乗り込んだ。エンジンを始動させると、まず最初に驚いたのは振動の少なさだった。
始めにこれを動かしたときは、まるでその振動で体がミンチになるのではないかと思ったほどであった。
改修後の振動は確かに大きいが、これならば長時間運転していても問題がない。
ギアレバーを掴んで1速に入れる。予想以上に軽く入り思わずニュートラルに戻してもう一度1速に入れたほどだった。
「良い仕事したな~。」
この場にはいない一番の功労者の顔を思い浮かべながら、ミミはゆっくりと戦車を進めた。…これはウチの財産になるぞ。
「そういえば春樹さんはどこに行ったんでしょうか?」
すっかり戦車道履修者たちにも顔を覚えられた春樹は、同級生にも敬語を使われる程立場が上がっていた。
「ああ、彼なら今免許センターにいるよ。」
「大特ですか?」
「いや、普通だよ。大特はたぶんもう持ってるはずだから。」
「なんでわざわざ普通を?戦車に乗れば普段の足は困らないはずじゃ。」
その言葉でやっぱり戦車道履修者だなとミミは思った。自動車部部長でもある彼女は普通自動車免許も取得している。
「自動車部は自動車に乗らなきゃね。」
戦車の方も大切だが、10連覇がかかっている学ラリの方も期日が迫っていた。
「あーやっと終わった。」
免許センターからやつれた顔の春樹が出てきた。適性検査と学科試験に加え、抽出試験に選ばれてしまった春樹はほぼ一日中免許センターに拘束されていた。
「あのジジィ男に当たったからつって難癖つけやがって。いつかラリータイヤで顔面そぎ落としてやる…。」
助手席に乗っていた教官に顔を思い浮かべながら春樹はブツブツと悪態をついていた。
「おや、随分時間がかかったね。」
「おかげで疲れた。腹減った。眠い。早く帰って何か食いたい。そして寝たい。お前は?なんか用事でもあんのか?」
「ご名答。もう少し時間がかかりそうだ。先に帰ってて構わないよ。今日はカレーが良いな。」
「はいはい…。」
ミカに悪態をつく元気も無くなった春樹は素直に返事をして、バス停に向かった。
「よーっし!ドライブ行くか!」
そんな疲れも今日から愛車に乗れると気づいたとき、すべて吹き飛んでいった。
運転席に乗り込み、セルモーターを回す。
ブオォォン…。
タービンが回転するヒョォォォという高い音とアイドリングの低い音が合わさる。
「さぁて、ちょいとグラベルと行きますか!」
獣の雄たけびのような音を響かせて、白いランサーは砂利道を颯爽と走り抜けていった。
しばらく走っていると、ちょっとした広場に見覚えのある車が集まっていた。
「どうしたんですか?部長さんたち。」
「そりゃあんなど派手に砂利飛ばしてたら疼くに決まってるじゃん。ラリー屋だもの。」
ミミは自分の愛車である、三菱ランサーエボリューションⅨのボンネットを撫でる。
「戦車道も大切だけど、やっぱり自動車も楽しいしね。隣、乗ってみる?」
「是非。」
ささやかながら春樹の免許取得記念ダート走行会が始められた。
そして完全に夕飯の事を忘れて帰ってきた春樹は、空腹でうつ伏せに倒れるミカを発見したのだった。
「練習試合ですか?」
「うん、今週の日曜日。相手は黒森峰女学園だよ。」
対戦相手の学校の名前が出ると、一同がざわついた。
「そんなに強豪なんですか?」
「うん、戦車道大会では9連勝してる強豪校よ。それに―」
「今年は西住姉妹があちらにいる。」
どこからともなくミカが現れた。
「そんなに有名なのか?」
「西住流戦車道は由緒正しい流派の一つ。そして黒森峰の戦車道でもあるのさ。つまりは。」
「本家の人間が二人いるってことか。」
そんな鬼に金棒な強豪校相手に勝算はあるのか、そんな不安が漂う中ミカだけは余裕の表情を浮かべていた。
「余裕のミカさんは何か作戦でもあるの?」
「ふふ、勝てば良いってものでもないんだよ?」
つまりは勝ち負けよりも別の目的があるのだろうか。しかし、ミミが聞いてもミカはそれ以上教えてはくれなかった。
「継続と練習試合ですか?」
「ああ、以前はウチとも交流があったらしいが。情報が古すぎて参考にならないな。」
「殆どが二年生、一年生…。」
黒森峰の隊長である西住まほ、副隊長の西住みほ、それに逸見エリカが今週行われる練習試合の要項を見ながら会議をしていた。
「しばらく練習試合も行っていなかったようですが…。」
「何にしても古豪の久しぶりの申し出だ。光栄だが遠慮はいらない、徹底的にやるぞ。」
「う、うん…。」
これで手を抜いて今の高校戦車道を舐められてもらっては困る。やるからには手加減はしない。
それが西住流であり、黒森峰の戦車道だ。
「ほぉ…流石にでかいな。」
継続高校に比べて黒森峰女学園の学園艦は比べ物にならないほど巨大だった。
「それにちゃんと町として栄えているし…経済的にも余裕があるんだな。」
それよりもと、春樹はミカにジトっとした目を送る。
「おや、九州の梅雨はやはり早いみたいだね。」
「まだ5月だ。なんで俺まで連れてこられてんだよ。俺は自動車部だぞ、戦車道履修者じゃない。」
「試合が終わった後の車両整備は誰がやると思ってるんだい?」
「んなもん応急処置で終わるだろ。それに終わるまでどうしてろってんだよ。」
「見るのも有意義な体験だとは思わないかい?」
一概に否定できないため春樹はふて寝をすることにした。
今回の試合は黒森峰所有の演習場で執り行われる。比較的森林が多く、見晴らしの良い丘陵地を中心とした地形となっている。
各陣営が陣形を組み、試合開始の合図を待つ。
今回はフラッグ車を撃破したほうが勝つフラッグ戦で、高校戦車道大会でも取られている方式だ。
相手側のデータが一切ない黒森峰陣営は出てくる戦車だけで相手方の戦略を予測しなければならない。
「相手の車両はBT-42が4両BT-7、KV-1が一両ずつね。」
「たぶん足の速い5両が主格になって、KV-1が攻撃の要になりそうだけど。」
「試合開始と同時に陣形を維持し前進、一気に叩くぞ。」
試合開始の合図と同時に彼女たちの眼に予想もしないことが起こった。
「なっ!?」
「逃げ…た?」
エリカとみほが驚きの声を上げる。継続側の戦車たちが一目散に森林の中へと後退していったのだ。しかもバラバラに。およそ彼女たちが考え付かない行動に黒森峰陣営は混乱する。
「落ち着け、散らばったなら好都合。各個撃破を狙うぞ。」
しかし隊長のまほは落ち着いた様子で指示を出す。
陣形を維持したまま黒森峰は前進を始めた。戦車軍が森林に入る。
日光が遮られ薄暗い。
身体を乗り出し、周囲を警戒するとエンジン音が絶えず鳴り響くがその姿が一切見えないという不気味な空間が広がっていた。
やがて一つの音が徐々に近づいてくる。
「来ます、3時方向!」
みほが叫ぶと同時にBT-7が飛び出してきた。
「砲撃、伏兵に注意しろ。」
BT-7に砲撃が集中し始めるころ、横から伏兵が…来なかった。
先ほどの一台が飛び出してきただけで、これきりだった。再び不気味な時間が過ぎ去ろうとしていた。
「みほ、エリカ、分かれるぞ。連絡を密に取れ。」
「「了解!」」
3つの小隊に分けて、各個撃破に入る。
そんな試合の様子を春樹は大型モニターで見つめる。
黒森峰はお手本のような隊列行進をしているなか、対する継続高校はものの見事にバラバラに行動していた。
「まあ普段からそんな感じだもんな。」
今回は個々の実力がどれだけ通用するかを確かめる事が目的らしい。そのため団体での作戦会議は一切行っていない。ついでに通信機も準備していない。
「あっぶね!」
案の定KV-1が放った砲弾が味方の車両をかすめる。そして跳弾した砲弾が相手の車体に直撃した。
「硬いな…あっちの装甲は。」
ドイツ戦車特有の分厚い装甲は跳弾した砲弾では全く効果が無いようだ。
すぐさまKV-1が後退し砲撃を避けながら森の中へ消えていく。この素早い変速操作はもとの状態じゃ絶対にできないことだった。なにせ変速操作にハンマーが必要とまで言わしめた戦車なのだから。
人の少ない観戦席で一人ふんぞり返る春樹だったが。
『継続高校KV-1走行不能。』
冷酷な放送が響く。慌てて見つめた画面には履帯が吹っ飛び、動輪が外れた戦車が写っていた。
「あれ直すの面倒なんだぞ…。」
『BT-7、BT-422両走行不能。』
次々と走行不能となっていく継続高校の車両たち。
「アイツは応急処置は必要ないな…問題は…。」
いつの間にか応援から、試合後の戦車をどうするかという思考に変わっていた。
そんな中黒森峰側に気になる一台があった。周りの戦車たちに指示を出している銀髪の女生徒が乗っている戦車。それが動き出す際にチリチリ…ジジジ…という音が聞こえた。
「なんかノッキング起こしてんな…あの戦車。」
出来ればエンジンに負荷はかけて欲しくないが、それは難しそうだった。
試合の結果は継続高校の惜敗だった。惨敗ではなく一応惜敗だ。ミカ車の奇襲でフラッグ車の懐にもぐりこんだのは良いものの、エンジンに負荷をかけすぎてブローしてしまったのだ。
砲弾を打つよりも先に走行不能になってしまい、ミカ車がフラッグ車でもあったためこちらの負けが決定したのだ。
「フラッグ車が自滅ってどうよ。」
「でも今回は目的は勝ち負けじゃないからね。得たものは大きいはずだよ。」
「それじゃあ壊れたエンジンはどーすんだよ。」
「波が運んできてくれるさ。」
春樹はため息をついた。
とりあえず動けるので引っ張るとして、さっさと用事を済ませよう。
「ちょっとあっちの方へ行ってきます。」
壊れたものは仕方がないといして壊れそうなものは放っておけない性分だった。
「ちょっと失礼。継続の者ですが。えっと…ティーガーⅡの車長はいますか?」
突然現れた男に怪訝な顔をする黒森峰の生徒たち。継続高校とは違う厳格な雰囲気に春樹は圧倒されそうだった。
「ウチの戦車に何か?」
その中から身長の高い女生徒が出てきた。余談だが春樹の身長は155㎝。同年代の女子と大差ない高さだ。
「あの戦車、ノッキングを起こしているから早いうちにOHしなければ壊れますよ。」
「はぁ?そんな暇ないわよまた次の試合が待ってるんだから。」
「代わりの戦車で出るというのは…。」
「無理ね、その代わりの戦車が今整備に出してるし。そもそも普通に動くじゃない。何の問題があるの?」
コイツ、人が下手に出てるからっていい気になりやがってしかもこいつ…俺よりでかい…俺よりでかい…俺より…。
相手の物理的にも態度的にも見下してくる発言に春樹は少しづつイライラし始めていた。
「それで、必中の距離でましてやKV-1に砲弾を避けられた気分はいかがでしたか?」
「な…っ!」
「アレ直すのも随分苦労しましたよ。エンジンもミッションも全部ばらして、今じゃスコスコ変速できますよ。えぇ、えぇ暇ですからちゃーんと整備できるんですよー。」
売り言葉に買い言葉、春樹がまくしたてるとその顔がみるみる赤くなっていった。
「エリカ、なんの騒ぎだ。」
その時落ち着いた声がドック内に響いた。女生徒たちの中から出てきたのは、いかにもな風格を漂わせるこれまた春樹よりも長身の女生徒、西住まほだった。
「いえ、すみません。隊長の手を煩わせるほどでは…。」
「おたくの戦車が調子悪そうだからお知らせに来たんですよ。」
「それは本当か?」
「ええ、近いうちにエンジン壊れますよ。今日はそれを言いに来ただけです。」
そう言って春樹は帰ろうとする。
「もしかしてあのKV-1を整備したのは君か?」
しかしまほがそれを引き留める。
「…だったら?」
「いや、あそこまで機敏な動きをするKV-1を初めて見たのでな。…良い仕事だ。ウチには無い技術だ。」
「そりゃどーも。」
また銀髪の女生徒が癇癪を起しかけてるので、春樹はさっさと退散することにした。
「お帰り。どうだった?あちらの様子は。」
「固ッ苦しいのは苦手だ。疲れる。…それより、代わりのエンジンを探さないと。」
最悪ほかの車体のエンジンを使うことも視野に入れなければならなそうだった。
重いため息が春樹の口から吐き出された。
「それ…本気で言ってる?」
黒森峰との試合から2週間が経ち、継続高校の下にある”通達”が届いた。
「三号突撃砲と引き換えにハルが黒森峰に”特別講師”として1か月滞在する。そんな交渉を吹っかけてきたんだ。」
「それで、返事は?」
ミカは何も言わずにカンテレを弾いた。それだけで何となく答えが分かってしまった。
「おい。」
「仕方がないだろう?結局1台潰れてしまったんだから、代わりの戦車が欲しい所。それに黒森峰印だ。決して悪くない条件だろう?」
「俺の人権は…。」
「ちなみに自家用車も持って行っていいそうだよ。宿も用意してくれるそうだ。」
「引き受けよう。」
春樹の不安材料だった1月車に乗れないという事態が解消され、春樹の迷いがなくなった。財布から福沢諭吉を一枚出し、ミカに渡す。
「じゃあ頑張って食いつないでくれ。」
「1か月は長かったかな?」
ミカは放っておいても大丈夫だろう。もしものことがあればミミが何とかしてくれるはずだ。
それよりもあの時危うくケンカになりそうだったエリカという女は要注意だ。
出来るだけ関わらないようにしようと春樹は心に決めた。
「明日熊本港に到着する予定だから、ハルはそこから黒森峰と合流してほしい。」
「分かった。それじゃあ来月まで野たれ死ぬなよ。」
そして翌朝、予定通り熊本港に到着した春樹とランサーはお迎えの船を待つ。
「あっちに自動車部は…無いだろうな。」
しかし調べたところ峠道のようなうねった道がたくさんあるようで、夜中に走るのは非常に楽しみだった。
「せめてタイヤは売ってるだろうな…無かったら泣くぞ。」
「良かったわね、ちゃんとタイヤもガソリンも売ってるわよ。」
今一番聞きたくない声が背後から聞こえた。春樹はなんとか笑顔を作ろうとするが、完全に引き攣っていた。
「そいつは良い。そんじゃあ案内してくれ。」
「ちっ…こんなことのために船舶免許を取ったわけでは無いのに…!」
「聞こえてるぞー。」
もうエリカも隠す気は無いようだった。初めから不満と敵対心むき出しだとむしろ清々しいくらいだった。船に車を乗せ、手早く出航させる。
「あんたなんで車まで持ってきたのよ。無ければ泳いで来させたのに。」
「コイツがいねーと落ち着かないんだよ。エンジンの音、オイルの匂い、ステアリングの感触。どれを欠いても成立しない至高の一台だ。」
「……変態。」
「お前らが言うな。」
「なによ…貧乏学校のくせに。」
エリカの口調に以前のような威勢が無いことに春樹が気が付く。そこから考えられることは一つだけだった。
…壊したな。
黒森峰女学園に到着すると、船ごと学園艦に収容される。船から艦へ車を移動させる。
「このまま案内表示通りに行けば学校に着くはずよ。」
「お前は?」
「迎えを呼ぶから大丈夫よ。」
「どうせお前も学校に戻るんだろ?二度手間になるから乗れよ。カーナビ替わりになるしな。」
「……。」
エリカは何も言わずに助手席に乗り込んだ。
立体駐車場のような道をしばらく進むと、先が明るくなってくる。
トンネルを抜けると、暗闇に慣れた目が日差しで目がくらむ。徐々に目が慣れてくると、黒森峰の学園艦の全容が見えてきた。
演習場、学校、住宅地、商店街と均等に分けられた区間を主要道路で結んでいた。実に分かりやすいレイアウトだった。
「ここらへんで車の通りの少ない峠道とか知ってるか?」
「演習場の周辺。」
ちらりと演習場の周りと見てみると、細いくねくねとした道が無数に伸びていた。実に攻めがいのありそうな道だった。
「ちょっと寄り道。」
「ふざけないで。」
エリカににらまれ、渋々学校へまっすぐ向かうのだった。
「わざわざすまない。エリカも送ってもらって。」
「いえ、ついでですから。それで、講師って何をすれば?」
「ついてきてくれ。まずはドックに案内する。」
まほに入校許可証を渡され、それを胸につける。そのまま彼女の後ろを付いて歩く。
やはり女子高に男がいるのが珍しいのか、妙な視線を感じた。はっきり言って非常に落ち着かない。
「ここが私たちの整備場だ。」
広い体育館のような場所に戦車がずらりと並んでいた。その片隅にカバーをかけられた戦車が一台。
「君の忠告を真摯に受け止めたつもりだったのだが…。すまない、エンジンに詳しい生徒が卒業してしまったんだ。」
「思ったより早く壊れましたね。まあ大方坂道でべた踏みするよう指示したんだと思いますけど。」
「うぐ…。」
春樹の後ろでエリカが顔色を悪くする。まさにその通りなので返す言葉もなかった。
「そのための講師ですか…。事情は分かりました。丁度いい教材もあるようですし、実りのあるひと月になりそうです。」
「すまない。恩に着る。しかし、君は意地が悪いな。」
「そういう性分なもんで。」
「これが明日からのスケジュールだ。君の宿泊先の地図と住所も。それとこれが私の寮部屋の連絡先だ。分からないことがあればいつでも聞くと良い。」
書類がまとめられたファイルを渡される。きっちりとジャンル別に分けられ、分かりにくそうなところは付箋で補足されていた。
「今日は休日で生徒も少ない。自由に学園を見てもらって構わないが…どうする?」
「遠慮しておきます。ドックの設備だけ分かれば良いので。その代わりですが、道具を見ても良いですか?」
「ああ、構わない。私はこれで失礼する。エリカ、あとを頼む。」
「はい、お任せください!」
まほはそう言ってドックを後にした。彼女の姿が消えた瞬間エリカの目がどんどん濁っていく。
「あからさまに態度が変わるなお前。」
「何か文句ある?」
「いや、べつに。変に愛想笑いされるよりかは全然良い。」
春樹は工具が収納されている棚を開ける。そこには整然と整理された工具類が、きっちり並べられていた。
「良い工具が揃ってるな。」
「当たり前でしょう?ここをどこだと思ってるのよ。」
「クロームモリブデン鋼鉱」
「どこの鉱山よ!?」
思いのほか良いツッコミが帰ってきて、春樹もご満悦だった。
「いや、ホントにクロモリってそう意味かと思ってたんだけど。」
「どこまでも失礼な男ね。だから私は反対だったのよ…。」
重いため息をつくエリカはあからさまに帰りたそうな顔をしていた。
「別に先に帰っても良いんだぞ?」
「出来るわけないでしょ、アンタが帰ったら隊長に報告しないといけないんだから。」
私情よりも公務を優先する。実にまじめな答えが返ってきた。
「でも帰りたいんだろ?」
「当たり前でしょ、だからさっさと用事を終わらせて。」
「へーへー分かりやしたよ。」
他人の時間を拘束するのも申し訳ないので、早々に切り上げて春樹は宿泊先に向かうことにした。
「ホントにここでひと月生活するのか…?」
学生寮と言うよりは、どちらかというと旅館と言った方がしっくりくる施設だった。
「すみません…ここって…。」
「継続高校から来た生徒さんですか?」
「ええ、はい。」
「お話は伺っております。さあ、ご案内いたしますよ。」
言われるがままに付いていくが、案の定畳張りの旅館のような部屋に案内された。
「それではごゆっくり。」
慌てて西住まほから受け取ったファイルを鞄から抜き出し、宿泊先についてのページを探り当てる。
なお、宿泊先についてだが、生徒は女性のみということもあり学生寮の使用は不可である。
そこで特例として西住家と関係のある宿泊施設を用意させてもらった。
「すげーな…西住家。どれだけクロモリと関係が深いんだよ…。」
驚愕するのと同時に申し訳なく感じていた。
「それでは早速エンジンをばらしていこうと思います。」
エリカが壊したエンジンとはまた別のエンジンを練習用として用意してもらい、実際に整備を始める。今回は各車長がレクチャーを受け、それを他の生徒に教えるという計画だ。
流石強豪校と呼ばれるだけあり、ましてや車長を任されている生徒たちは、機構の理解や知識はむしろ春樹よりも優れているほどであった。
しかし―
「違う違う、ある程度緩めたらラチェット使うんだって。そうしないといくら時間があっても足らないぞ。」
「ヘッドが固着して外れません。」
「ハンマーでぶん殴れ」
「しかし、それでは傷が…。」
「いつまでたっても取れねーぞ。」
分解すると文面では簡単に言うが、実際には様々なコツや技術を要するのだ。
頭で理解していても実際にやってみるのとは案外違うものである。
黒森峰の生徒たちも戸惑いの色を隠せないでいた。
「おらそこ、もっと腰を入れて叩けや。」
未だにミッションからエンジンを切り離す作業で止まっているエリカに春樹が激を飛ばした。
「こんな狭くちゃ自由が利かないのよ。」
「一方向から叩いてちゃ一生外れねーぞ。」
春樹からのアドバイスで上下左右に少しずつ衝撃を加えると、徐々に隙間が広がっていき、やがてガコッと外れた。
「……ちっ」
「よーし、ヘッドばらせたら今日は終わり。隊長、後お願いします。」
「分かった。よし、準備ができたものから走行訓練を開始する。」
「「はい!」」
少しずつガレージから人が減っていき、最後にはエリカのみが残った。
「……。」
「何よ、笑いたければ笑ったらどう?」
「お前、休日とか何やってんだ?」
いつもなら嫌みの一つや二つであしらったが、今回は焦りと精神的疲労により素直に口が開いてしまった。
「報告書をまとめたり、本を読んだり、ネットを見たり、そんな感じよ。」
「外に出てねーじゃん。」
「悪い?」
「なんだかなぁ…。」
普段からアウトドアな生活を送っている春樹にとっては考えられない生活だった。しかし他人のプライベートをどうこう言う資格は無いことも春樹は理解していた。
「戦車漬けも良いけどよ、たまには他のことするのも良いんじゃないか?」
「そういうアンタはどうなのよ?整備整備で他のことしてないんじゃないの?」
「生憎炊事洗濯掃除という趣味があってだな…。」
「随分と素敵な趣味ね。」
軽蔑というよりも同情のような不思議な視線を春樹に送る。
「ほれ、外れにくいなら油させ。無理にやるとナメるぞ。」
「わ、分かってるわよ!」
手が止まりそうになるエリカを牽制しながら作業を進めるが、終わるころには訓練が終了していた。
「くっ……!」
思い切りエリカに睨まれたことは言うまでもない。
「……ん。」
すっと目を覚ます。時計を見ると朝の六時。いつも通りの時間だ。
身だしなみを整えてから、朝食をとる。コーヒーを飲みながら今日の予定を考える。
本も全部読み終わった。雨が降ってるし外に出る気分じゃない。それに連日の”講習”のおかげで肉体的にも精神的にも疲労が来ていた。
新しい報告書もないし…今日は一日ネットして過ごそうかな。
予定を立てながら着替えをすまし、寮の食堂へと向かう。
朝食を食べていると、ふといつもの二人の姿が無いことに気が付いた。
「そういえば隊長は?」
「副隊長と共に外出するらしいです。」
またあの子か…。最近良くないことがたくさん起こる。休日ぐらいは何も考えない時間を過ごしたい。朝なのにもう疲労感を感じている。
「た、大変です!寮の玄関前で!」
注意して耳をすますと、何やらエンジンの音のようなものが聞こえてきた。
今は隊長も副隊長もいないし、実質この場で出るべき人間は逸見エリカ以外にはいなかった。
「お、出てきた。」
「……。」
エリカの疲労の元凶が白い悪魔と共に玄関前で立っていた。
頭痛がしてきたエリカは無言で寮に戻ろうとする。
「ちょっと待った。お前これから腐った休日を過ごそうとしてるだろ。」
「関係ないでしょ。」
「大好きな隊長は妹さんと休日を謳歌しようとしているのに?」
隊長の単語でエリカの肩がピクッと反応した。
「良いのよ…どうせ私はおつむだけのナンバースリー…要領悪いし、不器用だし…指示するだけで体を動かさない駄目車長…。」
駄目な方向へスイッチが入ってしまったようで、エリかは死んだ魚のような目でブツブツと何かつぶやき始めた。
「あー分かった!ホント済みませんでしたー!」
そんな言葉と共に、春樹はエリカを助手席へ放り込んだ。
「隊長たちはあのでかいモールにいるらしいぞ。」
「…だからなに?」
「あの二人が休日どんなことしてるか気にならないか?」
「……。」
エリカはそっぽを向いて、外の景色を見る。それを肯定と受け取り、春樹は真っすぐショッピングモールへ向かった。
目的地に着き、とりあえず二人は西住姉妹を探すことにした。
「あの二人が行きそうなところって?」
「とりあえず本屋かしら。」
とはいっても複数の本屋があるらしく、一件ずつ回るしかないようだ。
「おぉ!これはまさかラリー速報の最新号じゃないか!ウチじゃ必ず一週間遅れで出るのに流石でかい学園艦は違うな!」
愛読書が発売日当日に並んでいることに気づき、春樹のテンションは鰻登り状態だった。
「ふん、子供じゃないんだからそれくらいではしゃがないで。こっちが恥ずかしいわ。」
「この週刊戦車道って雑誌国際強化選手特集だってよ。表紙に隊長が―」
「渡しなさい。」
光のような速さで春樹の手から雑誌を奪取したエリカはそのまま速足でレジへと向かった。
「んふふ~買っちゃった~」
とあるショップから顔立ちの似た二人が出てきた。
一人は今にもスキップをしそうな様子で、満面の笑顔である人形を抱きしめていた。
ボコられ熊のボコ。その全身に包帯を巻いた姿と、救われない設定から巷では静かな人気を誇っているとかいないとか。
「前も似たようなのを買わなかったか?」
「違うよ、この子は放課後の体育館裏バージョンだもん。」
「…そうか。」
姉であるまほは、そんなみほの様子を見て微かに口元をほころばせていた。
「あれ?お姉ちゃん、あそこの二人…。」
みほの視線の先には、見知った二人の顔があった。
「は、たかが数年席巻したからって調子に乗らないでよ。戦車でもラリーでもドイツが一番優秀なのは変わらないんだから。」
「それだって日本メーカーに負けてる時期だってあるだろうが。ラリーはランエボだ!」
「いいえ、S4クワトロよ!」
そんな不毛な言い合いが耳に入ってきた。
「ど、どうしよう…止めた方が良いかな?」
「いや、放っておいても大丈夫だろう。それよりみほ、何か食べないか?」
「だから世界で唯一ピストンエンジン以外のエンジンが優勝したってことが大切なんだろう?」
「もう少しレギュレーションが厳しかったらC1が勝ったのに…。でも、エンジンなら今のメルセデスは優秀よ。F1でもそれが証明されている。」
「…く、それを言われると言い返せない…。」
偶然同じレストランに入ってきた二人は、相も変わらずドイツと日本の議論を交わしていた。
「まだやってるよあの二人。」
「……」
「あ、お姉ちゃん?」
まほは妹の制止を聞かずに、二人の下へ向かった。
「お前たち、何をしている?」
「た、隊長…!」
「あ、まほさんこんにちはです。」
狼狽するエリカに対して春樹は朗らかな笑顔を浮かべていた。
「お前たちが休日どう過ごしていようが構わないが、やるならその恰好以外で頼む。」
「「…あ。」」
二人は互いの格好を確認して声を漏らした。エリカは黒森峰の制服、春樹は継続高校の作業着姿だった。
確かにこれでは目立ってしょうがない。
「はぁ、とりあえず一緒に食事でもどうだ?」
こっそり西住姉妹の休日を覗くと言う計画は、早くも頓挫してしまうのであった。
もう隠れる必要のなくなった二人は西住姉妹と共に昼食をとることにした。
「春樹は自動車部だったな。免許もあるということはあの大会に出るのか?」
「はい、そのつもりです。」
あの大会とは全日本学生ラリー大会の事だろう。なにせ日本中の学園艦が集まって、ラリー会場になるのだからその規模は戦車道大会にも引けを取らないレベルだ。
「あれは年に一度の祭りみたいなものだからな。楽しみにしている。」
「ウチは10連勝が掛かってますからね。お宅と同じですよ。」
「そうか、それは負けられないな。」
黒森峰女学園には自動車部が存在しない。優秀な操縦技術がある生徒は戦車道に集中する傾向があることが原因のようだ。
何よりも戦車道の名門校に入学してくるくらいだ、最初から戦車道を目指して来る生徒たちが大半なのだろう。
それ故操縦や、砲撃、戦略の技術は一級品だが、肝心の足元(整備などの縁の下の力持ち)が近年弱くなりつつあるらしい。
特に壊れやすいティーガー戦車は本番のために温存することも珍しくはない。
どんな相手でも全力で挑むのが黒森峰の信条だが、それが叶わないのが近年の彼女たちの悩みらしい。
そのためにわざわざ戦車一台を譲渡までして春樹を特別講師として呼んだのだ。
「春樹から見て現状の私たちはどう思う?」
「必要な知識は十分あるようですし。後は経験を積めば問題ないと思います。」
「そうか…それを聞いて安心した。」
「はい、なのでたくさん壊してたくさん直してください。どこかの誰かさんみたいに。」
まほとみほ、春樹は同時にエリカの方を見た。
「…ぐぅ。」
まほがいる手前春樹に対して強気に出ることができないエリカは、悔しそうに目の前の春樹を睨むのだった。
「すまないなわざわざ。」
「いえいえ、折角の5人乗りですからね~。」
帰り道は春樹の車で全員を送ることになった。
で、なんでまた助手席にいるんだよ?
仕方ないでしょう、隊長をアンタの横に乗せるなんて私が許さないわよ!
ああ、そうかい…。
そこでみほを助手席に乗せて、まほと隣同士になるという選択肢は取らないあたりエリカも遠慮はしているようだ。
「エリカさんと春樹さん、いつの間に仲良くなったの?」
赤信号にて無言で睨み合う二人を見てみほがそんなことを聞いた。
「どこがだ!?」「どこがよ!?」
「やっぱり仲が良い…。」
息ぴったりな全力の否定が帰ってきて、みほは苦笑いを浮かべるしかなかった。
三人を送り返した後、春樹は一人ずっと気になっていた峠道に行ってみた。
この学園艦にはアウトバーンを模した速度無制限の高速道路がありそればかりに目が行きがちだが、この峠道も某有名なサーキットを模して造られているようだ。
「上下左右のブラインド、中低高速コーナーの複合。長い直線。これぞニュル!来てよかったー!」
未舗装の道が多い継続高校とは違い綺麗に舗装された山道はまた違った面白さがあった。
キィィィィ!
ターボが過給する甲高い音とタイヤのスキール音が山に響いていた。
「うーん…やっぱりラグが気になるし…動きが重い…。」
免許こそ取ったばかりであるが、さんざん私有地で乗り回した愛車の動きに春樹は少しずつ物足りなさを感じ始めていた。
「部長のランサーは速かったな…。うらやましい。」
ミミのランサーエボリューションⅨは、スーパーチャージャーやクロスミッションが搭載された完全な競技仕様で、先日横に乗った時に大きな戦力差を自覚した。
「やるからには…勝ちたい…。」
春樹の中にも確実のラリーストの血が流れていたのだった。
「ちゃんと締める順番確認しろよ。」
「分かってるわよ。」
いよいよエリカたちが壊したエンジンを修理する過程に移り、日がたつにつれ整備能力が上達していったエリカは春樹の協力の下今までの遅れを取り戻すような驚きの速さで修理した部品を組み上げていた。
「ほら、ジャッキ上げるから手伝って。」
「おう。」
エンジンヘッドを取り付け、いよいよ車体に戻す作業に入る。ジャッキで釣り上げられたエンジンは、ゆっくりと元の場所に戻ろうとしていた。
「あと5センチ…4、3,2,1…オッケーそのまま。ボルト締めるぞ。」
「じゃあ、ハーネスは私がやるわ。」
スムーズな分担作業であっという間に戦車の心臓が返ってきたのだった。
「よーしエンジンかけろー。」
エリカの操作でエンジンスターターを動かすが、一向にエンジンがかかる様子が無い。
「なんで!なんでよ!」
焦るエリカは何度もスターターを作動させる。それに春樹が待ったをかけた。
「落ち着け、電圧が下がる。それよりも原因を探るぞ。ちょっと給油口開けて耳当ててろ。」
場所を入れ替えて今度は春樹がスターターを操作する。
「スターター以外の音は聞こえたか?」
「…モーターみたいな音は聞こえたわ。」
「よし、燃ポンは無事だな。そんじゃ次は点火系だ。」
もう一度エンジンから点火プラグを引き抜くと、べっとりと燃料が付着していた。
「あーあー不用意に燃料送りまくるからー。」
「わ、悪かったわよ…それでどうすればいいの?」
「12本全部掃除だ。」
「ちっ…これだからガソリンエンジンは…。」
「誰が悪いのかなー?」
もう一度エリカは不機嫌そうに舌打ちをして、春樹の指導でプラグの掃除を始めた。
「よし、次はアクセルを少し開けて始動してみ。」
春樹の言う通りにエリカはアクセルペダルを少しだけ踏みながらスターターを操作した。しかし今度はスターターが動かなくなってしまった。
「あちゃーバッテリー上がったか…。」
「く……っ」
「なに泣きそうな顔してんだよ。まだ方法はあるだろ。」
今にも泣きだしそうなエリカの背中を叩き、最後の方法を試すことにした。
そう、古き良き手動スターターだ。
「めちゃくちゃ重いからな。覚悟しとけよ。」
春樹は作業着の上を脱いで、Tシャツ姿になる。エリカもそれに倣い上着を一枚脱いだ。
二人はクランクに直結しているロッドを握りしめ、力いっぱい回し始めた。
「ふん…!」
「ぬぐぅ…。」
その重いクランクは少しずつゆっくりと、回りだした。
「力抜くな!まだ回せ!」
回りだしたクランクは二人の力で徐々に早く回りだした。いつしか二人の体は完全に密着していたが、互いに気が付くことは無かった。
ヒュィィィィィィ!
クランクが回る甲高い音が大きくなり、春樹は即座にエンジンを始動させる。
ド…ド…ドドッ…ドドドッ…
マフラーから白い煙が排出され、僅かながら燃料が点火されていることが確認できる。
「「動け!」」
ドドッ…ドドドド…ドドドドドドド―
二人の声に答えるようについにエンジンはアイドリングを刻み始めた。12気筒全てがしっかりと点火され、非常にスムーズな鼓動を刻む。
エリカはここで初めて自分の戦車が重症だったと言うことを痛感した。そして春樹の整備能力の高さも認めざるを得なかった。
委託先の整備でもここまで快調な状態までは修復することはできなかったのだから。
「油圧…OK…ふぅ。」
計器類を確認して問題が無いことを確認した春樹は、キューポラから顔を出した。
「どうだ、試運転に行かないか?」
春樹の運転で二人は演習場へ向かった。
「良いのか?勝手に使って。」
「ちゃんと許可取ったわよ失礼ね。」
「へーへー。」
丘の上に停車させ、春樹は青々と茂る草原に寝転んだ。
「あーやっと終わった~。」
「良かったわねやっと面倒ごとから解放されて。」
エリカは春樹の横で体育座りをしながら疲れた顔で遠くを見つめていた。
「なーに捻くれたこと言ってるんだよ。俺が嫌々修理したと思ってんのか?」
「思ってないわよ。はぁ…良いわねアンタは知識も…技術もあって。」
それに対して私なんて…とエリカは長いため息をついた。
「言っておくけどな。お前素質あるぞ。」
春樹はそう言ってエリカの顔を指さした。
「顔真っ黒にしたまま平気でいられるんだ。それだけで十分。」
「~~~~~!」
慌ててエリカは袖で顔を拭いた。しかし全く見当違いなところを拭っているのをあえて春樹は黙っておいた。
「それで、お前は楽しかったか?」
「まぁ…悪くは無かったわ。」
素直じゃねーなと春樹は苦笑いをした。それを見たエリカはまた不機嫌そうに舌打ちをするのだった。
「ミミさん、ちょっと俺のランサーについて相談が。」
「うん良いよ。」
黒森峰の出張から帰ると、継続高校自動車部は学ラリの準備に明け暮れていた。
春樹も黒森峰の峠道で感じていた要項を部長のミミに相談してみた。
「確かに私のランサーはバリバリ仕様だし…本田君の車も今の状態じゃ勝負にならないし……あ、そうだ!」
ミミは春樹をドックの奥へと引っ張る。そこにはブルーシートがかけられた車らしきものが無造作に置いてあった。
「…これは?」
「これねー去年先輩が優勝した車なんだけど、最終SSでゴールと同時にスピン。そのまま崖にゴロン。中の人は無事だったけど、車は完全にオシャカになっちゃってね。中は無事だったから私のドナーになってたんだけど。」
ブルーシートをめくるとフロントガラスが割れ、ボディが歪んだ水色の車体が現れた。
「エボⅣ…?」
「うん、けどエンジンはOHしてあるしミッションもドグのシーケンシャルだし…多分手を入れる場所は全部やってあったんだよ。」
「うわ、もったいない…。」
そんな戦闘力のある車が一瞬にしてこんな姿になってしまうのがラリーである。
「それで本田君…やっちゃう?」
「やっちゃいますか。」
素敵な提案…もとい、悪魔の囁きによって春樹のエボⅣ改造計画が開始された。
「こうして学園艦が並ぶと壮観だよね~。」
「やっぱりウチの船小さいな…。」
全日本学生ラリー選手権の当日、春樹たちは総本部が設置してある横須賀港の赤レンガ倉庫で受付をしていた。
これから1か月に渡り、学園艦を舞台にしたラリー大会が始まる。
ノートを作るためのコース下見であるレッキ走行で1日。本番走行で三日。休息と修理のために三日で一週間。
それを抽選で選ばれた学園艦がコースとして使われる。
「去年はどんな感じだったんですか?」
「アンツィオは早いよ。整備能力はちょっと悪いけど、車を動かす技術は凄い。他には聖グロとサンダース。この二校は単純に財力かな?壊してもすぐ直して来るし。そもそも車が速い。」
それと…とミミはある場所を見つめた。
そこにはテントと一台の車が置いてある区間があった。”大洗女子学園”とそのテントには書いてあった。
「あの学校は一台だけのエントリーだから総合点で下位なんだけど、侮れないよ。ドライバーもメカニックも。」
白いボディに緑色のラインが入ったスバル・インプレッサ。すこし歪んだボディは鍛えられた歴戦の戦士のようにも見える。
「…GDBってことは俺らと同じSH6ですか。」
学生ラリーは最も排気量が大きく、改造範囲の広いSH6クラスをトップとして6つのクラスに分けられる。そして各クラスのポイントの総合によって、順位が確定する。
ちなみに継続高校は昨年全てのクラスにおいてトップをかっさらい、文字通りの完全勝利を飾っている。
「本田君の車も立派な継続カラーだね!」
継続高校から参加する車はカラーリングが統一されている。水色のボディにユニオンジャックのような白のライン。俗にいうKジャックは学ラリのシンボルとなっている。
「あ、それと今回はスペシャルステージでクロモリの学園艦も走るんだよ、知ってた?」
「あそこって自動車部無いんじゃ…。」
「自動車部と戦車道って繋がりが強いから、そのまま連盟同士も仲が良いんだよ。それに毎年学園艦自体は来てるんだしもったいないじゃない?」
「ああ、それで…。」
春樹にとってこれはラッキーかもしれない。おそらく黒森峰の峠道を走りこんだのは春樹だけだ。これは大きなアドバンテージになる。
『これよりドライバーズブリーフィングを開始します。』
「さて、ここから先はライバル同士。だよ。」
「はい、全力で走ります。」
ミミの眼が先輩の眼から1ドライバーのそれへと変わっていた。
「ラリー…ですか。」
「そうだ。それでウチの演習場の一角を貸し出すことになった。学生証があればウチの生徒は出入り自由らしい。」
「そこにメリットがあるとは思えないのですが…。」
「本当か?」
「うっ…。」
まほの問いにエリカは言葉を詰まらせた。この一か月で整備の大切さを十二分に痛感したエリカは、毎日のように整備書を読みふけていた。そして今回も一人でこっそり見学に行くつもりだった。
同じ戦車に乗る生徒や春樹の講義を受けた車長たちに一緒に見に行こうと誘われたのだが―
べつに、興味ないわ。
元来の天邪鬼のせいもあり、他の生徒と一緒に見に行くという選択肢が取れないエリカはついついそんなことを言ってしまう。
「……行くか?」
それは何気ない一言かまほの気遣いか定かではいが、エリカにとって願ってもないチャンスが巡ってきた。
「は、はい!副隊長を呼んできましょうか?」
「ああ、頼んだ。」
結果的に隊長のまほ、副隊長のみほ、そしてエリカのいつもの三人で視察に向かうのであった。
「随分と人が集まってるな。」
ギャラリースタンドには所狭しと観客で埋め尽くされていて、まるで戦車道大会の様相だった。
『1号車がスタートしました。前回大会の総合二位を飾った継続高校のミミ選手。今年の優勝候補筆頭です!』
スーパーチャージャーの独特な機械音を響かせて、ギャラリーステージを駆け抜ける。
「すごーい!戦車とは違った迫力があるんだね。」
初めて見る光景にみほは夢中になっているようだった。
大型スクリーンには現在の順位表と走行中の車両の様子が映し出されている。
「彼は4位か…。エリカ、これは良いのか?」
「良いのではないですか?」
正直そこまでラリーについて詳しくないエリカはまほの質問に曖昧に答えた。
『ただいまスタートしましたのは6号車…一年生ですか。おや、男子生徒とは珍しいですね!えっとなになに…?「昨年の横転優勝車から部品をぶんどりました。」ってあはは流石は継続高校ですね!まさに不死鳥!』
ブオオォォォ…バン!バン!
「すごい音だね…まるで銃声みたい。」
「あれは…あの車だな。色は違うがナンバーが同じだ。」
まほの言うとおり今目の前を火を噴き、轟音を轟かせながら過ぎ去っていったのはあの白い車だった。
「随分と様変わりしたわね…。」
あんな楽しそうに動かして…羨ましいわ。
まるではしゃいでいるような挙動は、今の春樹の心情をそのまま映し出しているようだった。
『本田選手今フィニッシュを通過しました。おぉ、二番手に浮上ですか。やりますねぇ、これは同胞対決になりそうな予感です。』
春樹のフィニッシュを見届けてから三人はギャラリースタンドからサービスパークへ場所を移した。
ラリーには競技の間に車両を整備するサービスという時間がある。限られた時間内に車両のトラブルを的確に判断して迅速な整備が必要だ。
そのため、その技術は戦車道に直結する場合もあるのだ。
「ちょっとラジエーターに穴空いてるよー!」
「タイラップ!タイラップ持ってきて!」
「ミラーの替えって持ってきたよねー?」
慌ただしげな声がそこら中から聞こえてくる。グラベル走行の影響で泥まみれになった車体と格闘しながら整備を進める姿を見て、戦車道を履修している彼女たちは親近感がわいて来る。
「お茶欲しい人ー。」
「はーい。部長、この後のSSは舗装ですよね?」
「そうだねー。」
それと比較して継続高校のテントはとてもリラックスした雰囲気だった。
「おや、黒森峰の皆さんじゃないですか。先日は貴重な戦車をどうもありがとうございます。」
「こちらこそ、良い人材教育になった。感謝している。」
ミミとまほが握手している横で、ちらちらとあたりを見渡す二人の姿を春樹は見つけた。
「ここに来ても勉強か、精が出るな。」
「あ、春樹さん。お久しぶりです。」
「ギャラリーからここまで地味に距離があっただろうに。」
「あんな派手な運転してて私たちが見えたの?」
エリカは驚いた顔をしていた。
「たまたま目に入っただけだよ。道も開けてたし。」
「それはそうと随分中も変わったのね。」
エリカの言う通り、春樹の車は大きく車内が変わっていた。後部座席が取り払われ、代わりに無数の鉄の棒が張り巡らされていた。
「凄い…まるでレーシングカーみたい。でも…これ道路走って大丈夫なの?」
「一応な。それが最低条件だし。」
普段から戦車を乗り回している彼女たちに言えた話ではないが、確かに競技車というものは普段見ることはないから珍しいのだろう。継続ではさほど珍しくはないが。
「春樹くん、そろそろサービスアウトの時間だよ。」
「りょーかい。」
ブオオォン…ドドドッ…ドドドッ…
アンチラグシステムの独特なリズムのアイドリングがテント内に響く。
「ギャラリーのおすすめは演習場の丘陵地頂上だ。あそこなら良く見える。関係者も入ってこられないだろ?」
「しばらく訓練は休止だからな。…戦車道履修者全員で応援をさせてくれ。」
「それは…ありがたいです。部長、下手な運転はできませんね。」
「そうだね、これは頑張らないと!」
『さあ本日最後のSSです、各クラス上位は継続高校が独占しております。そして注目はなんといってもSH6クラスの二人ですね。』
スタート地点手前では水色の車二台が止まっていた。
ニャァァァァァ!
猫の鳴き声のような機械音を響かせてミミのランサーが飛び出していった。
ヒュゴオオオオ!バン!ヒュゴオオオ!
その一分後に恐竜の息吹のような吸気音と、銃声のような爆発音を響かせて春樹のランサーが発進する。
空撮ヘリと改良型ドローン、そして固定カメラによって逐一現在の映像が中継される。
『こうしてみると両者対照的な運転ですね。ミミ選手は極力車を横に流さない走り方、対する本田選手はまさにラリーのドリフト走行。それでもタイムは変わらないのは面白いですよね!』
「春樹さん頑張って…!」
黒森峰の面々は仕方がないかもしれないが、春樹を応援する生徒が大多数だった。
『一号車フィニッシュ…さあ、本田選手のタイムはどうなるでしょうか!?』
バン!バン!パパパパパ…
ミミに続いて春樹のランサーが火を噴きながらフィニッシュを通過していった。
「1号車のタイムを教えてください。」
コ・ドライバーがストップのオフィシャルにミミのタイムを聞く。
「10秒7です。」
「俺らは?」
「40秒1だね。」
そこまで大差がついたかと春樹は落ち込んだ。
「結構踏んだつもりだったんだけどなぁ…。」
「…?あぁ、いやいやこっちがトップだよ。あっちが10分でこっちが9分。凄いね、部長に対してこんなに差がつくなんて。」
「……ほー。」
『なんとここで番狂わせです!本田選手大差をつけてフィニッシュです!』
やったー!と黒森峰の生徒から歓声が沸き起こった。
「あの道って結構狭かったよね?」
「そうね…間違ってもあんなに振り回して無事に走り切れる道ではないのだけど。…そういえばアイツ峠道がどうとか言ってた気が…。」
「…やるな。」
サービスパークに戻ると悔しそうな顔をしたミミが出迎えていた。
「むー走り込んだなー運のいい奴め!」
「たまたまですよ。まあ、ラリーするならここしかないですしね。」
「まあ良いよ。このラリーは一日で終わる短いラリーだからね。本番は次のサンダースからよ!」
「はい。」
車両の整備を終え、継続高校の面々は宿泊先に撤収していった。
『さあ、ステージはサンダース大付属高校に移りました。ここの名物はなんといっても全SSが高速道路なところです!そしてサンダースのアメ車軍団が最も輝くステージでもあります。』
SSを3本消化した段階で、トップはサンダースの車両が独占していた。
『後輪駆動でありながらその排気量のせいでSH6クラスになってしまったアメ車勢!ここで稼ぐだけ稼いで後は耐え忍ぶ姿はもう様式美のようなものを感じますね!そして今回継続は2台エントリーしてますから、今年は辛いですね~』
広い高速道路をV型8気筒、OHVの野太い音が駆け抜ける。
「早いな、流石直線番長。」
「うちらはクロスミッションだからね。最高速が伸びないのはしょうがないよ。」
延々と続く直線を走りながら春樹はコドラのユミと世間話をしていた。
「はーい次はR10。踏みっぱね。」
「りょーかい。」
「ほい、ストレート300~。」
「かったるいな…。」
Day1,Day2が終了した時点でトップのサンダース軍団と1分差、ミミとは過給機の違いからか10秒ほど差が広がっていた。
「さあさあここからは私たちの出番だよ!次の聖グロまでの三日でピッカピカにするよ!」
終始全開区間の多いコースだったため、必然的にエンジンや駆動系の負担が大きい。できるならば一度下ろして点検をしたいところだ。
「クリーンルームOKです!」
「発電機問題ありません!」
「クレーン、ジャッキいつでも使えます!」
ミミは報告一つ一つ頷いて、作業手袋を装着する。
「よし、取り掛かるよ!」
「「はい!」」
そしてそれを実行してしまうのが継続高校。サンダース戦名物のマシンガンOHの始まりだった。
「噂には聞いていたが…凄まじいな。」
「…はい。」
継続高校の生徒たちの息ぴったりの作業や、目にも止まらない工具さばきは神業の領域だった。
「バックにあの集団がいれば、それは侮れないだろう。…どうしたエリカ?」
「……。」
エリカは自分のエンジンを点検している春樹の作業を熱心に観察していた。それこそまほの声が届かないほどに。普段のエリカであればそんなことは絶対にないのに。
「……ふ。」
そんなエリカの横でまほは小さく、微笑ましそうに笑っていた。
『聖グロリアーナの学園艦は相変わらず綺麗な街並みですね。よそ見しそうです。』
ロンドンの街中をイメージした古風な街中をラリーカーが颯爽と走り抜ける姿は、アンマッチでありながら不思議な魅力があった。
『おぉっとアンツィオ高校、曲がり切れずにコースオフ。やはりここはコドラ泣かせですね~似たような道ばかりですから。』
ランチアデルタが派手なサイドターンをしてから元の道に戻っていった。
『あぁ~やってしまった!SH2クラス継続高校のHT81スイフトがクラッシュ!右後ろを激しくヒットさせた模様です。』
画面には車体を傾けてゆっくりと進む車が映し出されていた。タイヤがあらぬ方向を向いていて、バンパーが取れかけている。
『これはサスペンション周りが逝ってしまいましたかね?ここはメカニックの腕の見せ所ですよ。』
「オーライ、オーライ!よし、上げて!まずはサス外すよ!」
すぐさまジャッキで上げられ、ウマに乗せられたスイフトはタイヤを外され、下回りを確認する。
「下は大丈夫よ、ガードを残しておいて正解だったわ。」
「サス持ってきて!それと右のローターとパッドも換えて!」
折れ曲がったサスペンションを交換すると同時に、ブレーキ回りも新しいものに交換する。
「あと何分!?」
「5分!」
「よし、終わったわ!タイヤ付けて!」
目にも止まらない速さでタイヤが装着され、地面に降ろされる。
『いや~相変わらず素早い的確な作業ですね。素晴らしいです。しかも昨日まで全車OHしてたんですよ?信じられませんよね~。』
修復されたスイフトを見送る彼女たちの顔は達成感に満ちていた。
Day1,Day2終了時点でトップと30秒差縮まり、ミミには20秒差まで縮められていた。
「うぅ~ごめん。あそこでロストしなければ…。今日はコドラの差ね。」
「いや…俺も踏み切れなかった。あの歩道はヒヤヒヤする…。」
峠道や高速道路には無い”歩道”が春樹を苦しめた。視界に入りにくいが、歩道の縁石にぶつけたら確実に車が飛ぶ。
その恐怖とずっと戦う必要があり、コースに集中できなかったのが要因だと春樹は考えていた。
「次のアンツィオはどんなコースなんですか?イタリアだから石畳とか。それとも栃木の山道風?」
「両方よ。」
「両方?…うわぁ。」
つまりは峠道の様な急こう配と急カーブにデコボコした石が敷き詰められたコースと言うわけだ。
「サンダースはもともと足がふわふわだし問題ない。心配なのは聖グロのホンダ車勢ですか。」
「type-Rはただでさえ足固いからねぇ…。」
聖グロの主力はSH5クラスのインテグラやシビック勢だ。
なにも各学校のモチーフになった国の車だけしか乗っているわけでは無い。むしろ日本の学校なのだから日本車が多いのは当たり前なのだ。
ちなみにアンツィオ高校はランチアやアバルトが走っているものの、主力はトヨタ車だった。
頑なにアメ車にこだわるサンダースはむしろ異端だと言える。
「そういえば大洗のインプはどうですか?」
「私の一個下で20秒差。良いね~こうじゃなくちゃ面白くない!」
春樹は参加選手リストを眺める。
「ドライバー…一年なんですね。」
「本田君と一緒だね。」
結構速いのか…と春樹は静かに燃えていた。
「さーって、さっさと全車の足回り交換を始めますか!」
『今回の大会で最も車にダメージが大きいステージに差し掛かりました。あの石畳は嫌ですね~でも飛ばさないと勝てませんからね~』
画面に映し出されたトップを走るサンダースのアメ車勢は軒並みペースが下がっていった。
『ここはブレーキに厳しいコースですからね…。重いエンジンを載せた車はブレーキをいたわる運転が強いられます。』
対する継続、大洗の車は柔らかいサスペンションの恩恵でペースを大きく落とすことなくタイムを刻む。
『相変わらずミミ選手はこのコース速いですね~!一台だけ動きが違いますよ。』
ミミは石が比較的フラットな場所をペースノートに書き込み、そこを狙って走行ラインを組み立てているのだ。
「6号車のタイム教えてください。」
「22秒0です。」
「ウチは?」
「15秒5だから…6,5マイナス。あと3秒!」
「よっし、待ってろよー、一年坊主!」
最終SSは栃木県のいろは坂を元にした、急カーブが続く区間だ。
ここだけ路面は普通のアスファルトで、春樹にとってはここが正念場だ。
「R1・50/ΛL6・R3~1!」
「これじゃあまるでジムカーナだな!」
「集中する、はいすぐカットインR1!」
迫りくる連続急カーブの影響で徐々にタイヤの食いつきが悪くなってくるのを感じる。
「石畳で空転させすぎたか?これじゃペース上げるのは無理だぞ。」
「落ち着いて、ミスしない運転で。」
ユミの言葉で落ち着きを取り戻す。一定のペースでタイヤを最後まで持たせる運転に切り替える。
「R5・L5/30L6ll!はいここだよ!」
コーナーの緩い区間に入り、アクセルを足に力を込める。
長いロングコーナー途中にあるフィニッシュを全開で駆け抜ける。
「6号車のタイムは?」
「3秒2です。」
「ウチが0秒2…あぁ~抜けなかったか~。」
「やるねぇ…本田君。ここ一番の踏ん張りを見せたわね。」
そう言うが、ミミは悔しそうにハンドルを軽くたたいた。
たまには戦車以外もと思って見てみたけれど、案外面白いのね。
聖グロリアーナ女学院のダージリンは一人、山頂の駐車場でラリーの様子を見ていた。
私たちの学園がイギリス車を使わない理由が何となく分かりましたわ。
サンダースは別として、勝つためにはやはり日本車じゃないと色々不便なのは確かだ。
ただ少しだけ…ほんの少しだけイギリス車が活躍するところを見てみたいものである。
「それにしても…。」
継続高校の彼…なかなか興味深いわね。
聞けば黒森峰は彼を呼んで生徒の整備能力向上を図ったらしい。
聖グロの整備は専門の学科を設置しているためわざわざ彼を呼ぶ必要はない。ただ、春樹に多少興味を抱いたダージリンはどのようにして春樹を招くか思案する。
「ふふ…楽しみですわ。」
ダージリンは楽しそうに紅茶をすすった。
『さあ、全日本学生ラリー選手権もついに最終ステージの継続高校に参りました!現在接戦なのはSH3クラスの継続・スイフトとアンツィオ・ヴィッツ対決。SH5クラスの継続・ミラージュ、聖グロ・インテグラ、アンツィオ・アバルトの三つ巴。最後にSH6クラス継続・ランサー同校の二台対決です!なんとこの時点でタイム差は0秒!目が離せません!!』
この時点で継続高校の総合優勝はほぼ確定していて、それ以下が接戦という状況だった。
しかしこの二人にとってはそんなことはどうでもよかった。
どちらが一番早いか、ただそれだけだった。
「SS前半はグラベルコースだね。ミミさんが砂利かいてくれるから多少は走りやすいよ、石だけには注意して。」
「ああ、了解。」
「5,4,3,2,1、Go!」
走りなれたはずの道なのに、今日はまるで始めて走る道のように感じる。ジャンプをしながら高速で曲がるコーナーで少し躊躇する。
「ほらもっと踏めるよ!はいインカットR4l!」
ユミの叱咤に押されてアクセルを踏みぬきながらジャンプをする。着地で少しぶれるがハンドルで修正。すぐに加速体勢に入る。
バン!ババン!
いつもよりアフターファイアの数が多く感じた。
ss1 -0秒4
ss2 +1秒0
ss3 -0秒2
ss4 -1秒0
ss5 +1秒2
前半が終わって春樹はついに逆転され、0秒6の差をつけられていた。
1秒以内の完全なる接戦。まだ勝負の先は分からない。
「次はSS何本だっけ?」
「3本だね。ここから赤レンガまでで一本。赤レンガのスペシャルステージで一本。最後に黒森峰の学園艦に上がる道で一本。」
この中で一番長いのは最終SSだ。そうなるとどこまでタイヤを温存させるかが鍵になる。
「……。」
「……。」
継続高校のテント内は糸をピンと張ったような緊張が走っていた。
「ここから降りるスロープは速度制限があるから注意して、できるだけスピードを維持して。」
「了解。」
-0秒5
「赤レンガSSS。路面ミューが低いから注意してね。短いからこそ油断しないこと!」
「結構人がいるな…。」
+0秒0
『今とんでもないことが起きようとしています何と最終SS前で両者のタイム差はコンマ1秒!全く差が無いと言って良いでしょう!』
「……。」
エリカは一人ギャラリースタンドではなく、ストップのある場所でじっと様子を見ていた。
ここから丁度学園艦内誘導路の出入り口が見える。そこから車が飛び出してきてすぐにフィニッシュが待っている。
《スタート13時01分1号車通過。》
《ラジオ1通過なし》
ストップの無線から音声が聞こえてくる。それと遠くから聞こえてくるアナウンスとタブレットの映像で状況を確認する。
『さあ、颯爽とスタートを決めたミミ選手。ギャラリーセクションを抜けたらすぐに学園艦内に入っていきます。』
《スタート13時02分、6号車通過》
春樹の車がスタートすると、丁度ミミのランサーとすれ違う。外から見てもバチバチに火花が飛び交っているのが分かる。
『良いですね~これぞ最終SSにふさわしいですよ!思わずしゃべるのを忘れてしまいそうです。』
ミミのランサーが学園艦に突入する。それと同時にフォグランプを点灯させた。
「ここから照明を落として疑似的なナイトラリーになります!暗闇とライトとラリーカーが幻想的ですね~。」
続いて春樹も突入。コーナーのブラインドの奥が徐々に明るくなり、タイヤのスキール音と同時にランサーが横っ飛びで飛び出す。
『暗いとアフターファイアもよく見えますね~トンネルだから相当うるさいはずですよ、恐ろしいですね~!』
「やっぱりアイツ頭おかしいわ…。」
エリカはあきれ顔でタブレットに映る春樹の車を見ていた。
一歩間違えてスピンなどしたりしたら。いや、壁に接触するだけでも弾き飛ばされて壁に激突するだろう。
『これこそドライバーとコ・ドライバーの信頼があってこそですね!おっと、ここで中間タイムですかああ~差が開いてる…現在1秒差です!』
「…くっ」
あんなに切れた走り方をしても離されるのか…。継続の連中は馬鹿ばかりなのだろうか?
《ラジオ4、13時09分1号車通過》
キィィィ…
トンネル出口から徐々に音が聞こえ始めていた。
パァン…パァン…
そして微かにあの爆発音も聞こえる。
バオォォォォ!!
トンネルから飛び出してきたミミの車がフィニッシュラインを通過した。最短距離を直線的に。ミスのない完璧な走りだった。
これ以上どう走れば差が埋まるのだろうか…。
「まだ、まだ終わりじゃ…!」
しかし、願わずにはいられなかった。
「R4・L3~4l/200」
コーナーを抜けて直線に入る。すると真っ白に光る出口が待っていた。
「後は、任せた。思い切りふみっぱで!」
「任せろ!」
出口が迫る―
ブオオオオ!バン!パパパ…ブオオオオ!バン!
「来た…!」
爆音を響かせて春樹のランサーが勢いよく飛び出てきた。
緩いコーナーを抜けてフィニッシュラインを抜ける。スローダウンをしてストップで止まる。
「1号車のタイムを教えてください。」
「8分12秒7です」
コドライバーがタイムカードを受け取る。そして隣の春樹に何かを伝えた。
それを聞いた春樹が疲れたようにハンドルにもたれかかってから、すぐに車を発進させた。
「どっち…どっちが勝ったのよ…!」
『ただいま速報が届きました1号車8分12秒7。6号車は8分じゅう……1秒0!!』
「……はは。」
それを聞いたエリカは乾いた笑いを漏らしてから力が抜けたように柵に寄りかかった。
『トンネル出口付近の最高速度を計測しましたところ、1号車が100km/hに対して6号車は130km/h。つまり本田選手は目がくらんだ状況でもアクセル殆ど戻してないってことですね!』
そうか…そういえばアイツここに来たとき眩しそうにしてたわね。それが勝負を分けたってこと…?
しっかりと対策を練り、それを実行する自信があってこそのあの走り。
エリカの中で電気のようなものが走った。
「何よ…チビのクセに格好いいじゃない。」
「……さて、続いては劇的な最後になりましたSH6クラスの表彰です。3位は大洗ボコボコGDBのツチヤ選手、スズキ選手ペア、2位は継続SCランサーのミミ選手、サヤ選手ペア。そして1位は劇的逆転優勝を遂げました、継続TCランサー本田選手、ユミ選手ペア~!」
表彰台に上がった内、1年生が二人という事実に将来を期待せざるを得ない。
「あの出口が勝敗を分けましたね。目がくらむ状況で…あそこは全開ですか?」
「はい、踏みっぱです。」
「怖くは無かったんですか?」
「自信あったので。」
「これは大物発言が来ましたよ!こりゃ将来は安心ですねミミ選手!」
「はい、ウチも10連覇を達成して…優秀な子が入ってきて…本当に、安心…です」
徐々に言葉を詰まらせ、ミミはうつむいて涙を拭う。
それは悔し涙でもあり、うれし涙でもあった。
「今度は負けないと二年間言い続けてましたけど、今年も言います。次は、次こそは負けません!」
ミミの声が高く高く青空に響いた。
「お疲れさまツチヤ。惜しかったね。」
「全然惜しくないよ~やっぱ継続は別格だね~。」
表彰式から帰ってきたツチヤは大洗自動車部の面々に出迎えられる。
「ウチの車もミスファイア着けて戦闘力上げたつもりだったんだけどな…。」
ナカジマが残念そうに肩をすくめる。
「なー仕方ないよね、でも来年こそは勝つ!帰ったら練習しよう。」
「その前に反省会ね。オンボードで振り返りしようか。」
「ツチヤ、ドリフトで振り回すのは良いけど全然前に進んでなかったよ?」
コ・ドライバーのスズキがペシッとツチヤの頭をはたいた。
「あう…。」
冒頭で春樹が嘔吐したシーンですが、実際に体験したことから書いてみました。
遠方に引っ越して普通に生活して”慣れてきたな”と感じた矢先の事でした。
知らずのうちに様々なストレスが溜まっていたんでしょうね。