継続高校自動車部   作:skav

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愛憎

日が昇り始め、ガレージから差し込んだ光が部屋の中を照らす。

「ナカジマ!起きてよナカジマ!」

ツチヤの声で目を覚ましたナカジマはむくりと身を起こして、ゆっくりと寝袋から這い出す。

「ん~…どうしたのツチヤ?朝から元気だねぇ。」

「本当に朝弱いよね、ナカジマは。でも!これを見たらそんな眠気も一発で吹き飛ぶと思うよ!」

眠気眼を擦りながらツチヤに引き連れられ、別室になっている倉庫の扉を開ける。

そこには同じく寝袋に入って寝ている春樹の姿があった。彼には少し小さいようで恐らく寝袋の中では、小さく縮こまって寝ているようだ。

「さてさて、ナカジマは耐えられるかな~」

そう言ってツチヤはゆっくりと春樹の寝袋のファスナーを開いていく。

「ぐふぅ!」

それを見た瞬間ナカジマは変な声を上げて口元を抑えた。

「なになに?なにこれ?なんなの?めちゃくちゃ可愛いんですけど!?」

春樹の寝顔は普段からミカに「寝顔だけは幼い」と言われているほどだ。

「おぉ~やっぱりナカジマは良いリアクションしてくれるね~。」

「……全く本当にどこでも寝られるんだね。」

「寝つき良いよね~」

「ホントホント…って、うわぁ!?」

驚いた二人に目をくれることなく、いつの間にか水色の制服を着た女子生徒が春樹の顔を覗き込んでいた。

そして実に自然な動作で、膝の上に春樹の頭を乗せる。

「ど、どちら様ですか?」

その光景に圧倒されつつも、何とかナカジマは問いかける。

「名前なんてない。どうしても呼びたければミカと呼んでほしい。」

「ミカさんですか…。あの春樹君とはどのようなご関係で?」

「ハルかい?ハルとは同じ風を共にしている関係さ。」

「はぁ…。」

いまいち何を言っているのか理解が出来ていないようで、ナカジマは曖昧な返事を送る。

「……んん、ミカか?」

「おはようハル。どこでも君は寝坊助さんだね。」

「うるせー。」

寝袋から這い出し、背伸びをする。

「もう、連中も来てるのか?」

「日にちが変わるころには着いてたよ。」

「そうか…そんなら飯でも作っておいてやるか。ナカジマさん、ツチヤ、なにか朝食のリクエストはありますか?」

「お、おにぎりを…。」

「味噌汁が良いかな~。」

「了解」と一言だけ答え、春樹は昨日の残りの食材と調味料が置いてある場所に行ってしまった。

後に残された3人はただ黙っているだけだった。

「…この人も規格落ち。」

ツチヤがそんなことをぼそりと呟く。その呟きだけでミカは彼女が何を言わんとしているのかを察する。

「あの輪っかに意味はあるのかな?」

「いや、特に意味は無いんですけどね。ただ単に面白いからやってるだけですよ!」

ツチヤはそんなことを言ってけらけらと笑う。

「まぁ気になるのは気になるんですけどね。あんな子だからこそかえって。」

「ふふ、そうだね。」

春樹に遅れて、ナカジマたちも部室を出る。朝の大洗女子学園は異様な光景が広がっていた。継続高校の戦車を取り囲むようにテントがまばらに設営され、お腹を空かせた生徒たちが行列を作っている。その様はまるで、前線基地の炊き出しの様であった。

「わぁ、早起きだね継続高校の人って。」

「う、うん…。」

事情を知っているみほは曖昧な返事を送る。するとみほを見つけたミカがおにぎりを片手に5人に近づいてくる。

「やあ、2か月ぶりくらいかな?」

「は、はい。」

この二人が顔を合わせるのはエリカが継続高校の学園艦へ訪れた時以来だった。

「今日はよろしく。朝食を終えたら早速始めようか。」

美味しそうにおにぎりを食べ終えたミカは、振り返り自分の乗るBT-42に向かっていった。

「みほさん、あの方が継続高校の隊長さんですか?」

「うん、名前はミカさん。」

「なんだか不思議な感じの人だねー。」

いまいちミカの人となりが掴めないでいる華と沙織は首を傾げるだけだった。

「おいミカ!俺の分の飯食いやがったな!?」

突然の怒鳴り声にみほたちの肩がビクッと跳ねた。

エプロン姿の春樹がBT42の上でカンテレを弾くミカに向かって大声を上げていた。

「あっはっは、またやってるよ~」

見慣れた光景なのか、継続高校の面々は楽しそうに笑うだけだった。

「ほらほらそんな怒らないでさ、私の分食べていいから。」

そう言ってユミがおにぎりと豚汁の入った器を差し出した。

「いらん、むしろお前はちゃんと朝飯食え。午前中でバテても知らねーぞ。」

「えー…。」

「なんだか本田殿は、お父さんみたいですね」

「あ、あはは…。」

そんな和気藹々とした雰囲気もいざ練習会が始めるとなると、一気に引き締まったものに変化した。

「3号車行きまーす。」

走行訓練にて、水色の三号突撃砲がコース内に入る。大洗の生徒たちにとっては見慣れた戦車であったが、そのフォルムは自分たちが所有しているそれをは大きくかけ離れた外観となっている。動きは緩慢ではあるが、足を停めずに確実に傾斜を登っていく。

「あんなに重そうな砲塔を担いでいるのに…。」

「流石フィンランドは違うぜよ。」

重い車体が通れる道、ぬかるみ、幅などを瞬時に見極め最短距離でゴールまで車体を運ぶ。

「本当に操縦技術は群を抜いてますねー。」

「路面の見極めが上手い。」

走行訓練の様子を戦車の上から観察するあんこうチーム。特に操縦手である麻子は真剣な表情で見つめていた。

「うさぎさんチーム、ぬかるみにはまって動けません!」

「たーすけて!」

大洗の戦車の一台が、履帯を泥で真っ黒にしながらもがいていた。

「あー、曲がり切れずに流されちゃったかー。」

走行訓練の教官役を買って出たユミがKV1に救助の指示を出した。すぐさま牽引用のチェーンで二台が繋がれる。

「ごめんなさい…。」

操縦手の佳利奈が残念そうに肩を落とす。

「いーのいーの、失敗するための訓練だからね!…あれ、もしかして1年生かな?」

「は、はい…。」

「初々しいな~。よし、それならお姉さんが直々に教えてあげよう!」

ユミは佳利奈と操縦手を代わり、スタート地点に並ぶ。

「春樹くーん、車体は大丈夫?」

『問題ない。よそ様の戦車をぶっ壊すなよ。』

「はいはーい。」

春樹に点検をしてもらい、問題ないことを確認する。

「それじゃあ、行くよ!」

ゆっくりとM3中戦車を動かしていく。

「戦車の種類によって得意な路面、苦手な路面ていうのもあるからね。大体の悪路は通れちゃうから忘れがちだけど。」

その路面に適したアクセルの踏み方を心がければ、大体の悪路は走破できる。

「それでもダメな時は…。」

先ほどのぬかるんだ場所のギリギリを掠めるようにして、猛スピードで走り去っていった。

「迂回するか、複数台で強引に突破するか。かな?」

ユミはゆっくりと戦車を停車させて、操縦手を交代する。

 

「ほら!そこから踏んでいかないとまたライン外すよ!」

「あ、あいい!」

「コーション、ギャップR5!」

「な、なんの呪文ー!?」

つい癖でペースノートの用語を口走ってしまい、混乱した佳利奈が思い切り戦車を木に衝突させてしまった。

「KV1、悪いがまた救助頼む。」

その様子を見ていた春樹があきれ顔で無線機を握っていた。

「ごめんね、さっきのは完全に私が悪かったわ。」

「すまなかったなウチのバカが。けがは無かったか?」

春樹とユミは申し訳なさそうに頭を下げた。

「そ、そんな頭を上げてください!ケガもありませんでしたし、何より凄く勉強になりました。」

隊長の澤梓が顔と両手を勢いよく振る。

「午後の練習には間に合わせる。ちょっと休憩でもしてな。」

身内が原因で起こした故障だ。自動車部に修理をさせるわけにはいかない。足回りの点検をするためにM3をジャッキで持ち上げ、手際よく部品を外していく。

「ほぇ~。」

そんな様子を一年生ズは食い入るように見つめていた。

「いつもながら勉強になるねぇ…、いつの間にM3の整備書読んだの?」

「お前は手伝え。」

「ちぇ~。」

履帯が弾け飛んだため損傷は派手そうに見えたが中身の方は思いのほか程度が軽く、春樹は安堵のため息をついた。

「ここら辺は流石戦車だな。重要な所は壊れにくい。」

「だ、大丈夫そうですか?」

「ああ、これなら午後の練習に間に合うぞ。」

「良かったぁ…。」

佳利奈が安心したのか、ほっと胸をなでおろした。ただ一か所だけ溶接が必要な場所が見つかったため、自動車部から機材を借りる。

「火花は直視するなよ。」

遮光マスクを片手に持ち、春樹は溶接を始めた。アークの火花が激しく光り昼間なのにも関わらず、室内がさらに明るくなる。

バチバチバチ…。

「よし…こんなもんか。」

「見せて見せてー!」

いつの間にか様子を見ていた自動車部たちが、春樹が溶接した箇所を興味津々な様子で覗き込む。

「うわ、スッゴイ綺麗なビード!」

「ぶれなく一直線、その上幅も一定、溶け込みも十分。」

「そうそう、このラインを出すのが大変なんだよねぇ。」

「流石継続の職人…。」

四人は春樹の溶接がよほど気に入ったのか、写真まで取る始末だった。

「本田くん、溶接のやり方教えて!」

「午後の暇な時間で良いなら。」

「やった!」

整備士たちによるマニアックな会話についていけない一年生ズは、ただただ頭上に疑問符を浮かべるだけだった。

 

「全員行きわたったか?」

作業着から再びエプロン姿に戻った春樹が、大きな寸胴鍋の前で腕を組んでいた。ガレージ内には美味しそうなカレーの匂いが充満し、それだけでお腹が減ってくるようだった。

「おかわりはたくさんある、午後の練習に支障がない範囲で一杯食えよ!」

「「頂きまーす!」」

春樹お手製のシーフードカレーは、スープカレーをベースとしていて、具材が大きく実に食べ応えのあるものだった。

「美味しい…。」

久しぶりに食べる春樹の手料理。あの時のハンバーグも美味しかった。あぁ、あれはエリカさんが作ったんだっけ。それで、ソースが春樹君の担当で。そんなことをつい考えてしまう。そう言えばお姉ちゃんはカレーが好きだったなぁ。このカレー、お姉ちゃんが食べたらなんて言うかな?

「ハル、おかわり。」

「……。」

春樹は無言で器にご飯とカレーを遠慮なく盛り付ける。

「ハル、これは多すぎじゃないかな?」

「いつも二回おかわりすんだろ。」

「そうじゃない、そうじゃないよ…ハル。」

ミカはとても複雑な笑みを浮かべていた。

うん、春樹君それはいくら何でも駄目だと思う。野球部とか、ラグビー部とかじゃないんだから。

そんな思いを込めて春樹にじとーっと視線を送る。

「どうした西住妹、味に不満でも?」

「ううん、とても美味しいよ?」

なんで、特定ん人以外は鈍感と?

笑顔の下でついついそんなことを思ってしまう。隣では沙織が真剣な表情で何かを考えていた。

「共働きなら旦那も家事も出来た方が…良いよね。」

沙織さん、昨日から思考が二歩くらい踏みはずしてないかな?

「春樹さん、私もおかわりお願いします。」

「おう、いっぱい食え」

「大盛でお願いします。」

「お、おう。」

我がチームの砲手も通常運転であった。

気が付いたら、お皿のカレーがあっという間に消えていた。このカレーの魔力なのか、まだ食べられそうな感じではある。

…よし。それなら私も。

「お、なんだ珍しいな。」

「やっぱり春樹君の料理は美味しいね。」

その言葉が嬉しかったのか、前の二人と同じように大盛で盛りつけようとする。

「あ、普通で大丈夫だよ。」

「なんだ、残念。」

明らかにしゅんとした表情でカレーをみほに渡す。

「春樹君!私もおかわり!」

ユミに続いてぞろぞろとおかわりの列が出来上がる。

「おう、任せろ!」

春樹が嬉しそうにカレーを盛りつける。たくさん食べる子が好きなんだなぁ、春樹君は。そう言えばエリカさんも食堂のご飯はいつも大盛だったなぁ…。

「うぅ、どうしよう大食いな子って思われたら恥ずかしいし…。」

沙織さん、今に限ってはその葛藤はあまり意味がないと思うな…。

「大丈夫!春樹君はダイエットと称してろくに食べない子が許せない質だから!」

沙織の声が聞こえたらしく、ユミがそんなことを言う。

「てめーの事だろうが!」

「だって、車重が増えると困るでしょう?」

「んな下らない理由で、体調崩される方がよっぽど困るわ!」

本当にお父さんみたいだなぁ、春樹君は。

「了解!一杯食べて春樹君を悩殺してやるもんねー!」

「…ふっ」

「あー!今鼻で笑った!聞こえてんぞ脚フェチ野郎!!」

「んだと低CD値!」

何だろう、この雰囲気。どこの学校にも無いこう…野性的と言うか、おおらかと言うか。聖グロリアーナのような上品さや、黒森峰のような厳格さとは正反対と言っても良い。でも、嫌じゃない。そこには彼らじゃないと味わえない楽しさがある。

「みぽりん、あの喧嘩止めなくて良いの?」

「大丈夫、喧嘩じゃないから。」

あれはただじゃれているだけだ。例えばそう、犬同士で遊んでいるような。そんなこと本人に言ったら絶対怒るだろうけど。そんな時みほは胸のあたりで何かが当たるのを感じた。

「んん?これかなりいい感じじゃない?」

いつの間にか自動車部の四人がみほの胸に針金の輪っかを当てていた。何をしているの全く分からないみほは困惑するばかり。

「あ、あの…。」

「ナカジマー!かなりの有力候補がいたよ!」

そう言ってツチヤはみほに何の説明もせずに去って行ってしまった。

「何だったんだろう…?」

いまいち彼女たちが考えていることは分からない。同じ自動車部の春樹君だったら分かったりするのかな?…いや、今のは分かってほしくないかな。流石に。残念ながらこの一連の流れは8割がた春樹が原因であることをみほは知らない。

「さて、それじゃあ午後の練習を始めようか。」

ガレージの中にあるホワイトボードの前にミカが立つ。そこにはこれから行われる訓練の概要が書かれた紙が貼ってあった。ちなみにその紙は春樹のお手製だったりする。ミカの口頭での説明では分かりにくいという要望から、自作したのだ。

「これから二チームに分かれて鬼ごっこをしてもらうよ。細かいルールはここに書いてあるから。」

・各車両ペイント弾を装備すること。ただし、決められた白枠(紙製)に被弾したときのみ撃破判定となる。

・撃破判定を受けた車両は、敵陣地内に速やかに入ること。

・味方車両は撃破判定を受けた車両を敵陣地内で救助することが出来る。その際、白枠を新しく貼りなおす。

・制限時間内で相手の車両を多く撃破した方の勝利。もちろんすべての車両が撃破された時点で終了である。

 

 

ミカを隊長とした青チーム。みほが隊長の赤チームとして各学校が入り混じったチームで執り行われる。

「それじゃあ射程距離の長い三突は防衛をお願いします。」

「てことは足の速い私たちが攻撃隊?」

「はい、出来るだけ複数台で陣形を組んで確実に撃破してください。」

「OK、やっぱりちゃんと作戦立てるとやりやすいね~。」

ミカが隊長になって以来、作戦という作戦を立てたことが無い継続高校の人間にとっては新鮮なことだった。

「もしかして大会の時でも戦略は立てないのか?」

「ええ、まあ。」

「全く…それでよく黒森峰と善戦できるのかさっぱり分からないぞ。」

桃があきれた様子でため息をついた。

「統率が取れてない方が、逆に効果があるんじゃない?ウチ等も次やってみる?」

杏が愉快そうに干しイモをひらひらさせる。

「継続さんは個々の実力が高いから出来るんだと思います。私たちじゃまだそこまで…。」

「何だと西住!お前までそんなこと言うのか!?」

強豪校の一角であるサンダースを倒した今、大洗は勢いづいている。士気が高まるのは悪いことじゃない。一人一人の士気が低いと勝てる戦いも勝てなくなってしまう。しかし、今の桃はどちらかと言えば驕りの方が強く感じる。

「…おい。」

「ひぃ…っ…」

その様子を見ていた春樹が口を開いた瞬間、桃の肩がビクッと跳ねた。

「あんたらの隊長が技量不足を感じたから、今訓練してんだろ。」

「こーら、年上に向かってそんな言い方は無いでしょう?」

いつの柚子が春樹に詰め寄っていた。腰に手を当て、人差し指を春樹に向ける。

「敬ってほしいなら、それに見合った器ってものがあんだろ?言っておくが、俺は敬うべき相手なら年下だろうと敬語を使うぞ。」

「そういうことを言ってるんじゃありません。」

確かに昨日の桃ちゃんは目に余る言動が目立っていた。叱られるのも無理はない。だけどそれだからと言って、この態度を認めるわけにはいかない。私たちは生徒会だ。大洗女子学園の生徒の代表だ。他校の生徒から乱暴な言動を受けているところを見過ごすわけにはいかない。そもそもいったい誰?継続高校からくるアドバイザーが小さくて可愛い男の子だって言ったのは。内心楽しみにしていたのに。…それは置いておいて。この子は決して根っからの悪者じゃない。他人を思いやり、優しさを与えることが出来る人間だ。そんな子がどうしてこんなにも乱暴な言動をするのだろう?

「もしかして、西住さんの一件でずっと怒ってるの?」

「…だとしたら?」

やはりそうか。それがこの子がここまで怒る理由。私たちも去年の大会の事件は知っている。戦車道を再開するために色々調べたから。西住流は勝利のためには犠牲もやむなしとする流派だ。しかし彼女はそれに背き、落下した車両の救助をした。人道的には間違っていない。しかし、西住の人間がそれをやってしまったのがいけなかった。西住流の顔に泥を塗った。面汚し。そんな心無い言葉が次々と資料から浮かび上がっていった。西住さんが戦車道を避けたがるのも無理はない。そして大洗に転校してきた理由も初めから分かっていた。だけど、私たちはそれを利用せざるを得なかった。この学校を守るためには、”彼女を犠牲にするしかなかった”。それは西住さんを追い詰めた流派と同じ考えなのかもしれない。だから彼は激怒したのだ。そして、彼女の安息の地を荒らしてしまった私たちを恨んでいる。そうだ、やっぱりこの子は優しい子だ。他人のためにここまで怒れるのだから。ここまで人の事を思うことが出来るのだから。だけど、私たちはまだ謝れない。それは全てが終わってからだ。

「もう一度だけ…私たちにチャンスを貰えないかしら?」

我ながらずるいと思う。こんなことを言える立場じゃない癖に。

「…分かりました。他の生徒の眼もありますからね。」

心底自分が嫌になる。そんな彼の優しさに付け込む自分が。

柚子と桃は小さく息を吐いた。

「…まだ許した訳じゃないからな。」

誰にも聞こえないほどの小さな声で、そう呟いた。低く、獣の唸り声のようなそんなつぶやき。

彼の内に秘めた熱く、熱く燃えているエネルギーがゆっくりと漏れ出し柚子の脳髄を震わせる。

ゾクリ…。

それは恐怖だったのだろうか、それともまた別の何かか。体の中心を鷲掴みされたような…冷たく、そして熱い何かが彼女の背筋を走る。

何なのこの子…。

「はーるーきーくん?喧嘩するならよそでやって。」

「…スンマセン。」

みほに怒られた春樹は、バツの悪そうな顔でテントから出ていった。

「…はぁ。」

それから柚子は小さく息を吐いた。少しだけ足が震えている。助かった…。

「どうした小山?」

「いえ、何でもないです。」

杏の一言で少し冷静になる。誰にも悟られないように平静を装い静かに椅子に座った。

「えーそれじゃあ具体的な配置を―」

みほが再び作戦の内容を説明する。その間も、柚子は嫌な動悸が止まらなかった。そんな彼女の様子をユミは一人だけ面白そうに観察しているのだった。

「各自どう行動するかは任せるよ。」

ちなみに青チームの作戦会議はその一言だけで終了した。

あひるさんチーム、かばさんチームの面々は呆気にとられた様子だった。

「キャプテン、どうしましょう?」

「とりあえず声出して、根性で切り抜けるぞ!」

「「はい!」」

 

「よし、やるぞ。」

バチバチバチ…。

自動車部のガレージ内に再び溶接の火花が散っていた。

「おぉ~、機械みたい!」

遮光マスク越しに春樹の溶接を見学している四人が、楽しそうな声を上げる。

訓練中の暇になった時間に約束通り春樹が溶接を教えていたのだった。

「あながち間違ってないな。機械になりきるとそれなりに綺麗なビードが出来る。」

「成程~、それじゃあスズキ。本番行ってみようか。」

「はいはい。」

スズキがどこからかアンダーガードを担いで持ってきた。アンダーガードとは、ダートラリーなどでエンジンやトランスミッションを守るために取り付ける文字通り盾のような板の事だ。アルミ合金製で溶接するには技術がいる代物だ。

「こんな機会じゃないと出来ないからねぇ。」

「ここはひとつごご教授お願いします。」

この中で一番溶接に自信があるらしいスズキが、遮光マスクを被る。

「落ち着いて一定の速度を維持して、角度を意識…。」

深呼吸をして溶接機のスイッチを入れた。

「こんな良い溶接機どこから借りたんだ?」

「ふっふっふ~代々コツコツ部費を貯めてついに今年購入に至ったんだよ!」

確かに借りたにしては真新しさを感じる。

「それは良いな。これならボディ補強も出来る。」

「そうそう、いい加減補強してあげないと怖かったからね。ウチのインプちゃんは。」

外装の凹みや傷が目立つが、中の骨格の方もいよいよガタが来ているようだった。

「本田君の車も相当年式古いでしょ?」

「抜かりはない。ホワイトボディにして徹底的に補強してるからな。」

春樹が一年生の時、晴れて学生ラリーデビューするにあたって春樹のランサーは競技車として生まれ変わるべく一から作り直すことになった。

内装はガラスまで取り外され、徹底的にボディを補強。ロールバーも視認性を考慮して貫通式、直接ボディに溶接している。エンジンも一度すべての部品を分解洗浄し、一から組みなおした。ここまで出来る環境が揃っているのが継続高校の強みである。

「ホントやりすぎだと思うけど、ほかの学校は外部でやってることだしね。」

資金的に余裕のある学校は、専任のメンテナンスガレージを所有している。全日本選手権の車両を制作しているガレージでもあるため、その車両のレベルはトップクラスと言っても良い。

「それに勝っちゃう継続は凄いよ。」

「こんな良い溶接機があるんだ。良い車作って、良い勝負をしてもらわなくちゃ困る。」

「あははは、そうだね…ん?」

遠くで響いていた戦車の音が徐々に近づいてくる。そろそろ鬼ごっこが終わった頃か。エンジン音に紛れて「ガキ…ガキ…」という怪しい音も聞こえてくる。

「さて、ここからはメカニックの出番だ。」

一仕事を始めよう。目つきの変わった整備士の5人は自分のメカニックグローブをはめ、必要な工具を準備し始めた。

 

「全員、今日はご苦労だった。継続高校の有志達にも感謝の意を表したい。」

「こちらこそ。良い体験になったよ。」

「それでは西住、締めてくれ。」

「はい。…えーと、継続高校の皆さんは気を付けて帰って下さい。今日はお疲れさまでした。」

 

「ふぅ…。」

長いような、あっという間だったような継続高校との合同練習もようやく終わった。

38tをガレージに停車させて小さくため息をつく。

「あ、いたいた。」

そんな声が聞こえた方を見ると、水色の制服を着た生徒がこちらに駆け寄ってきていた。

「あなたは確か…ユミさんでしたか?私に何か用事が?」

「うん、ちょっと感想を伺いたいと思いまして。」

感想…。一体何についての感想だろう?そういえば午前中の指導は主に彼女がしていたっけ。それについての感想かな?

「小山さん、あの時春樹君に睨まれてどう感じました?」

―。

一瞬彼女が何を言っているのか分からなかった。

「し、質問の意味が良く…。」

「もう、手間がかかるなぁ。じゃああの時の状況を少しだけ思い出すだけで良いですから。」

あの時の彼の視線、そして低くうなるような言葉が勝手に脳裏で再生される。

ゾクリ…。

まただ、またあの感覚だ。なんなんだこの感じは。体の奥の方で何かが燃え上がる様な感覚。苦しくなって胸を抑える。

「そうそう、その顔!分かりますよ~。」

「彼は…本当に同じ高校生なの?」

「春樹君はエネルギーの塊ですからね。機械に対する情熱、そして人を思いやる愛情。あんなにもエネルギーをぶつけられる人そうそういませんよ。」

確かに彼女の言う通り今どき珍しいタイプなのは分かる。だけど、なぜ動悸がするのか意味が分からない。

「だいたい、春樹君に怒られると大概の人は怖くて青ざめるんだけどね。時々違う反応をする人もいるんですよね。」

背中に冷や汗が走る。彼女に何もかもを見透かされているような気分だ。

「私の知る限り、私と黒森峰のあの人ぐらいかな?ミカさんは例外として。」

特に黒森峰のあの人は群を抜いてるね~と、ユミは腕を組んで頷く。

「な、なに…が?」

「んー、小山先輩は人よりMっ気が強いんじゃないかなーと私は思うわけですよ。」

「な…っ」

羞恥心で顔から火が出そうだった。いや、まさかそんなこと…。

「最初は恥ずかしいですよねぇ。でも一回認めてしまえばそれはそれで楽しいものですよ。」

そんなこと言われても、すぐに飲み込めるわけじゃない。いきなり突き付けられた自分でも自覚できなかった根っこのところを指摘され戸惑っているところなのだから。

「例えば今日のお昼時…本田君が私に低CD値!って言いましたよね。あれは流体力学で空気抵抗を示す値でつまり私が…まあ、それは置いておくとして。そういう暴言は普段から私の事を見ていないと言えないわけですよ。それがちょっと嬉しいと言いますか。”私だけの暴言”って訳ですよ。」

そう考えると彼の言葉がもっと欲しくなる。他の人には決して出さない私だけに渡してくれる言葉。

「あなた…本田君の事が好きなの?」

「好きですよ、心から信頼もしています。尊敬もしています。でも、彼の好きは別の人に向けられているんです。」

だから私は違う特別が欲しい。暴言でも良い。それが私だけの特別なら。

「ね?ちょっとMっぽいでしょ。さて、先輩は―」

ユミがニヤっと笑う。すべてを見透かしたような表情から柚子は目が離せないでいた。逃げられない。本能でそう感じる。

春樹君のどんな特別が欲しいのかな?

 

継続高校の学園艦に着くやいなや、エリカから着信が来る。

…アイツはエスパーか何かか?

苦笑いをしながら通話ボタンを押す。

「もしもし?」

『どうだった?』

いきなりそれかい。…まあ、良いけどよ。

春樹はこの二日間の出来事をかいつまんで説明した。流石に大会前なので戦車道に直接関わることは話さなかった。エリカもそれは望んでいないことも春樹は分かっていた。

「いい友達に恵まれてるよアイツは。お前も含めてな。」

『そう…。』

このそう、は嬉しい時の言い方だ。ポイントとしては”そ”の発音が優しくなるところだ。

「そんでみほの住んでるマンションもしっかり管理されている感じだったぞ。防犯の観点から見て問題はない。」

『え…。な、なにやってんのよ!?』

ちょっと悲しそうな『え…』から、一転焦った様子で声が大きくなる。

「一応言っておくが、西住妹と同じ戦車に乗るメンバーもいたからな。」

『…分かってるわよ。』

「料理も自分でやってるみたいだ。ちゃんと栄養バランスも考えてる。」

魚の料理のレパートリーが少ないらしいので、いくつか献立を教えておいた。これで、もう少し魚を食べるようになるだろう。

『そこんとこは心配してないわよ。それでお昼はどうせあんたが作ったんでしょ?』

「良く分かったな。スープカレーベースの、シーフードカレー大洗スペシャルパッケージだ。」

大洗の海の幸をふんだんに使ったシーフードカレーは思いのほか大好評で、あっという間に鍋が空になったほどだ。

「今度黒森峰バージョンも作ってやるよ。」

『いらないわよ。大体カレーなんて学食で―』

「やっぱり作るならハンバーグカレーだよな。」

『コホン…。隊長がカレー好きだから、気長に待ってるわ。』

素直じゃねーな。いや、ここまであからさまだと逆に素直なのか?その時スピーカーの奥の方で「エリカ、呼んだか?」という声が聞こえた。西住の姉の方か。

『い、いえ…実は。』

エリカがまほに一連の通話の内容を伝える。

『彼が元副隊長の所へ合同練習会に…。』

『みほのところに?』

『あ、ちょっと待ってください。』

スピーカーフォンに切り替わったのか、先ほどよりも周りの音がはっきりと聞こえるようになった。

『これで通話が出来るのか?』

「聞こえてますよ。」

『…久しぶりだな春樹。変わりはないか?』

少し驚いた様子のまほの声が聞こえた。基本的に最新機器に疎いまほであった。

「ええ、油と煤にまみれる生活を送ってますよ。」

『そうか、体には気を付けるんだぞ。エリカが心配する。』

『な!?た、隊長!』

なるほど…これが以前エリカが言っていたまほの突拍子のない発言か。

「まあ、その時は飛んで来れば良いとして。妹さんの様子を報告しましょうか?」

『頼む。』

春樹はみほが良い仲間に恵まれて、毎日楽しそうに学校生活を送っていること。健康にも気を付けて食事もバランスよく食べていること。戦車道にも前向きに向き合うことが出来ていることなどを伝えた。

『そうか…。』

いつものきりっとした声ではなく、妹を心配する姉の声だった。

『そういえば、ある生徒によると継続高校整備科主席の自分と黒森峰隊長のまほさんはお似合の組み合わせらしいですよ。』

スピーカーの奥でそんなことを言う。

「ほう…なかなか興味深い話だな。」

「……。」

まほはちらりとエリカを流し見る。一見平静を装っているが、その目は寂しそうな悲しそうな色をしていた。…この男もなかなかに意地が悪い。

「だが、私の心は戦車道と共にある。それは誰の物にもならない。残念だったな。」

『そういうと思いましたよ。』

「少しは自分の発言に責任を持て。それで悲しむ人間もいるんだぞ?」

エリカはまるで捨てられた子犬のような表情になってしまっていた。こんな情けない顔初めて見る。なるほど、彼の気持ちも分からないでもない。

『肝に銘じておきます。』

「ん。では私は失礼する。すまないな、二人きりの時間を邪魔して。」

それからまほはエリカに向かって優しく微笑んだ後自室に戻っていった。スピーカーフォンから通常モードに切り替わる。周囲の音が小さくなり耳の奥から吐息の音が聞こえた。

『あれが時々出る様子のおかしい隊長ってやつか?』

「…そうよ。絶対からかって遊んでるわ。」

あの生真面目なまほが部下をからかって楽しんでいるなど、誰が信じるだろうか。

「これも全部あんたの責任よ。」

『それは悪うございましたね。』

「まあ、良いわ。もう遅いから切るわよ。」

時計を見ると黒森峰の消灯時間が近づいていた。

『おう、おやすみ。』

「ええ、おやすみなさい。」

通話を切る。声を聴けたという満足感と、少しだけ寂しさを残し二人はしばらく何も言わずに立ちすくんでいた。

 

 

 

 

合同演習のレポートをまとめ終わるころには、外はもう真っ暗になっていた。

「会長はまた学校に寝泊まりですか?」

「うん、ちょっとねー。」

「私ももう少し時間がかかりそうだ。」

桃はどこから見つけたのか、砲弾の軌道についての論文を読み漁っていた。

「それじゃあ、私はお先に失礼します。」

「ああ、お疲れ様。」

「お疲れー。」

暗い廊下を歩き、職員用の玄関から外に出て一人家路につく。町中から微かに漂う潮の香り。学園艦特有の香りだ。この匂いにもすっかり慣れてしまった。今日は雲があまり出てい無いようで、月が明るい。曲がり角の電柱を青白く照らす。

「はぁ…。」

今日何度目か分からないため息をつき、マンションの鍵を開けた。

「ただいま…。」

部屋の明かりをつけると、真っ先に湯船の蛇口をひねった。今はとにかくゆっくり湯船につかりたい。

「ふぅ…。」

お風呂は良い。一日の疲れが全部お湯に溶けていくようなこの感覚が好きだ。

 

春樹君のどんな特別が欲しいのかな?

 

彼の特別…私だけに向けている感情…。

少なくとも今の彼は私たちに対して良い感情は抱いていないだろう。

嫌われていると分かっていて良い気分はしない。これ以上嫌われたくない。気持ちは沈んでいく一方。

…そう、普通の人ならば。

「……っ。」

湯船の中でそっと自分を抱きしめる。

 

…まだ許した訳じゃないからな。

 

彼のあの燃えるような怒りの感情が、黒い瞳が私を捉えて離さない。そしてその奥に見えるのは温かくて、眩しくて、底なしの愛情。

愛情が欲しい…、憎しみが―

「だめ…だめよ……。」

こんな歪んだもの認めるわけにはいかない。他人の憎悪が心地よいだなんて…おかしすぎる。でも私たちは謝るわけにはいかない、止まるわけにはいかない。進むしかない…歪んだ感情を抱えたまま。

許されることは無い。

許されるわけにはいかない。

許されるはずがない。

 

「許されたく……ない。」

 




ちょっとドロッとした感じですが、昼ドラみたいにはならないのでご安心ください。

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