継続高校自動車部   作:skav

13 / 19
慟哭

目覚まし時計のアラームで目を覚ます。起床時間だ。

カーテンを開けると外は今にも雨が降りそうなほど黒い雲が広がっていた。。

「まったく…今日も良い天気ね。」

無意識に天気に向かって嫌みを言ってしまう。制服に着替えてホテルの食堂に向かう。…まだ誰もいないようだ。

「早いな。」

「おはようございます。隊長。」

少し遅れてまほが現れた。少し心配そうな表情でエリカの顔を伺う。

「…いけるか?」

「はい。問題ありません。」

あれからしばらくは自分でも荒れていたと思う。回りには悟らせないように我慢していたが、夜一人でベッドに入っているとズンと体が重くなるのだ。そして延々と自分を責め続け、起きているのか寝ているのか定かでない浅い眠りの時間を繰り返す毎日だった。そんな生活が一週間続き、流石にこれでは周りに迷惑が掛かると気持ちを無理やり切り替えた。今は余計なことは考えずに目の前のことに集中しよう。割り切ってしまえば生活リズムを取り戻すのはあっという間だった。そうだ、個人的な問題など後回しだ。これ以上の敗北は許されない。隊長の顔に泥を塗るわけにはいかないのだ。

黒森峰は…王者は負けられない。

朝食はバイキング形式で、温く美味しそうな料理が並べられている。それを見ただけで自然とお腹もすいてきた。食欲もやっと元の通り食べられるようになってきた。…今日は日本食にしようかな。白米、味噌汁、焼き魚、漬物。それと生卵。

最後は濃い目のコーヒーが良い。

 

 

「これより、聖グロリアーナ女学院対黒森峰女学園の試合を始めます。」

高校戦車道大会の準決勝が始まった。

前回の継続高校との一戦はどちらも見事と言う他なかった。自分たちのスタイルを利用し、相手の思考の隙を突いたた奇襲作戦はダージリンも予想外で、目から鱗だった。

しかしそれ以上に驚いたのは逸見エリカという女子生徒だった。昨年は西住姉妹の陰に隠れてあまり目立つような存在ではなかった。しかし、ここ数か月の彼女の活躍は凄まじいの一言に尽きる。黒森峰の試合を全て観戦したダージリンは、真っ先に逸見エリカを警戒していた。

練習試合でも被弾は少なく、損傷も軽微。そして、撃破率も高い。間違いなく無視することが出来ない存在だ。マスコミや他の学校は彼女の恐ろしさにまだ気が付いていない。それもそうだ、彼女は言ってしまえばまだ蕾のままだ。これから経験値を増やし、その一輪の花が開花しようものなら誰も手に負えなくなる。

だから…今のうちに。

「さて…あちらさんはどう出るかしら。」

まずはいつもの通りに様子見と、ダージリンは紅茶を啜る。

『ローズヒップさん、あまり先に行かないでください!』

『ごめんあそばせ~』

今のところクルセイダー部隊の無線が一番賑やかだった。彼女たちの仕事は、相手の偵察と部隊の攪乱。賑やかなのも当たり前か。

「聖グロリアーナ女学園マチルダⅡ走行不能。」

無線から早速強襲があったという報告が入ってくる。

「あちらの車両は?」

「ティーガーⅡ、ヤークトティーガー、パンターGが2両の計4両です。」

いつもの遊撃兼偵察の小隊ね…分隊長はあの子。やはり長引くと厄介だわ。

「それでは各車予定通りのルートを通りなさい。」

それではこちらも今までやったことのないことをやってみようかしら。

「そうね…スターゲイジ作戦と名付けようかしら?」

「お言葉ですが…その作戦名は問題があるかと…。」

イギリスで有名な料理であるが、オレンジペコはあまり好きではない様だ。

「あら、好き嫌いは駄目よ?」

「見た目の問題です…。」

誰が悲しくて魚の頭が突き出たパイを好きで食べなければいけないのか。それに遭遇したオレンジペコは人生で初めて料理を食べて悲しい気持ちになったとか。

 

接敵から20分が経過した。あれから1台も捕捉をしていない。

おかしい…。聖グロリアーナはここまで隠密を主体とする学校だったろうか?

特にダージリンの乗るチャーチルは防御力と登坂能力に優れた戦車だ。それを利用した強襲など優雅な学校のイメージとは裏腹に、狡猾で荒い戦い方が彼女たちの特徴だ。

いや、前回の継続戦の事もある。相手は柔軟な思考を持つダージリンだ。油断は出来ない。

まほの本体と合流したエリカは何時ものように耳に神経を集中させた。微かにエンジン音が聞こえる。双眼鏡を取り出し、音のした方向をくまなく探す。

いた―

『前方複数の車両を確認。』

渓谷を挟んで反対側の森林に隠れるようにして複数の戦車が見えた。すべての車両が森林に溶け込むように迷彩柄が施してある。フラッグ車は見つからない。もっと後方で隠れているようだ。

『砲撃開始。』

まほの合図から一糸乱れぬ砲撃が聖グロリアーナの車両に襲い掛かる。その中の一台に直撃弾があり炎上を確認した。確実に大破判定の状態。しかし、運営の報告が出なかった。

それはおかしい。撃破判定をされれば即座にアナウンスが入るはずなのだが…。

双眼鏡で大破した車両を確認する。相手の戦車は確実に装甲が吹き飛び、中にはかなり損傷したものもある。”壊れすぎなくらいに壊れていた”

少し離れた場所に落ちている装甲版が燃えている、まるで木製の材料のような燃え方だった。

「まさか…。」

『敵戦車発見、後方からです!』

エリカの懐疑的な呟きと、味方の報告がほぼ同時に入ってきた。

こちらの本隊を追うようにして聖グロリアーナの本部隊がぞろぞろと現れる。恐らく挟撃をするつもりだろう。

なるほど…あれはデコイだ。

それは今年アンツィオ高校が大洗戦で披露した奇襲作戦と同じものだった。唯一異なるとすれば、そのデコイは木の板に書かれた絵ではなく精巧に作られた模型であったことだ。壊れ方を見るにあそこにいるほとんどがデコイのようだ。

『全車後退…体制を立て直す。』

幸いにもまだ損害は出ていない。このまま後退しながら隙を伺えばいい。先頭にいたエリカも方向を転換させて後退準備を始めようとした。

ガタッ

その瞬間、ティーガーⅡが突然傾き始めた。

「…っ、何が!?」

「榴弾です!榴弾で地面が…!」

デコイ群の中に一台だけ砲塔から煙を上げるマチルダⅡがいた。恐らくその戦車の砲弾が、足元の地面をえぐったのだろう。

車体の自重で地面がどんどん崩壊していき、ずるずると谷に引きずり込まれる。幸いにもエリカが最後尾であったため、後退に大きな支障は無い。

「隊長行ってください!」

全ては勝利のために。そのためには自身を犠牲にするのもいとわない。大いなる勝利のためには犠牲もやむなし。

『くっ…武運を祈る。』

まほは一瞬迷うが、後退の指示を継続する。聖グロリアーナの増援を牽制しつつ黒森峰の戦車部隊は後退した。

そしてエリカの戦車だけが取り残される。

「榴弾装填。」

先ほどまで自分たちがいた場所に砲弾を打ち込み完全に道を崩落させる。これで本体を追うには迂回を余儀なくされる。後は―

「出来るだけここで数を減らすわよ!」

まずは装甲の薄いクルセイダーからだ。崖に引きずり込む必要もない。一撃で終わらせる。

「feuer!」

照準が合わされた砲弾が吸い込まれるようにクルセイダーのどてっぱらに直撃する。装甲を抜き、ボディまで到達したのか白旗がシュパっと上がる。

「装填急いで…ぐ!」

背後にいるマチルダⅡの砲撃が当たる。どんどん距離を詰めてくることから、必殺の距離まで詰める算段なのだろう。

「履帯破損!」

「構うな!」

今は上の連中を減らすことが先決だ。後ろに構っている暇はない。どうせここで駄目なら最大限あがいてやる。

装填完了…砲撃。マチルダの履帯に当たるが撃破には至らない。

「次で仰角限界です!」

次を逃せば後は遠ざかっていくだけ、これが最後の砲撃のチャンス。せめてもう一台の動きを止めないと。

ガン!

衝撃と共に車体が傾く。足回りが打ち抜かれたようだ。

こちらは動けない…良い的だ。だけど砲撃の手を止めるわけにはいかない。気張りなさい装填手。ここが正念場よ。

「聖グロリアーナ女学院クルセイダーMk.Ⅲ行動不能。」

あと一つ。目標はさっきから後ろでうるさいヤツ。よくもやってくれたな。

「いけるわね?」

「問題ありません。」

砲塔を旋回させる間にもこちらへの砲撃は続く。後ろから一台、上から複数。数えるのも面倒だ。あちらは確実に撃破する方向に切り替えたようで砲弾が雨のように降り注いでくる。それで良い。こちらに集中すれば時間が稼げる。

ガン…ガン…ガガガガ…

装甲がむしられる。部品がはじけ飛ぶ。ギシギシと戦車が悲鳴を上げる。ズキンとエリカの胸に痛みが走った。

お願い…もう少しだけ踏ん張って。

ガキッ…ギシギシ…

サブフレームが割れて車体が自重で軋みだした。ティーガーの悲鳴が耳に響く。

「砲撃可能です。」

「…撃って。」

「はい…。」

砲塔内で爆発的なエネルギーが生み出され、砲弾が押し出される。

……グシャァッ!。

自身の砲撃による衝撃でついにメインフレームが折れた。撃破判定だ。

シュパっと白旗が上がる。

放たれた砲弾は吸い込まれるようにして最後の目標に命中した。

そしてエリカの乗る巨大な鉄の猛獣は静かにその鼓動を止めたのだった。

 

偶には人の真似も良いものね。

あまり優雅とは言えない作戦だが、これも勝利のため。五月蠅いOBは終わった後に上手く言いくるめば良い。

それはそうと予想以上にあの戦車はしぶとい。いくら”撃破をしないように”指示をしていても限界はあるはずなのだ。それがあの戦車からは感じられない。

見かねた本隊が再び戻ってくるまで砲撃を続けるつもりだったが、流石西住まほという人間は一筋縄ではいかない。時には残酷になれる覚悟もある。それでこそ西住流を体現するに値する人物だ。

であれば、このままでは時間だけが過ぎるだけ。

「仕方ありませんわ…あら?」

しびれを切らしたダージリンが撃破の指示を出そうとした時、ティーガーⅡから白旗が上がった。

「黒森峰女学園ティーガーⅡ行動不能。」

恐らく自身の砲撃の衝撃によって自壊したのだろう。やっとあちらの隠し玉を潰せた。その間にこちらの戦車は3両やられ、おそらくあちらの本隊はとっくに体制を整えているころだ。やはり彼女は脅威だ。こうして早いうちに潰しておいて正解だった。

しかし予想以上に時間と戦力を失い、作戦を根本的なところから練り直す必要がある。どちらかと言えばこちらが不利な状況。作戦が裏目に出てしまった。

逸見エリカを警戒しすぎたか…。いやこれは彼女の粘り勝ちだ。

「まったく、まほさんも意地が悪いわ。こんな隠し玉を用意していただなんて。」

しかし、今日の彼女は少し精彩を欠いていた気がする。あの模型は見た目こそ精巧に作られているが、木製である限りどうしても粗は出てしまう。その最たる例が木目だ。彼女であればもう少し早く気が付くと算段していたのに、拍子抜けなほど囮がうまく機能してしまった。…そのあとは予想外だったが。

『敵戦車部隊再び捕捉しました。』

はぁ、これで彼には嫌われてしまうでしょうね。

二兎を追う者は一兎をも得ず。だから仕方のないこと…。個人的な感情など今この場には必要ない。ダージリンは凛とした表情でいつものように淡々と指示を出す。

カップの中の最後の一口は既に冷たく、そして渋く苦い。きっと温かい紅茶を飲めば、この手の震えも収まるだろう。

 

 

車内はしばらく沈黙が漂っていた。久しぶりの撃破判定でみんな呆然としているのかもしれない。

「お疲れ様。後は隊長が何とかしてくれる。…よくやったわ。」

それだけ言い残して車外へ出る。いつの間にか外は本ぶりの雨だった。構わず地面に足を付く。

「……っ。」

車体の損害は想像以上にひどいものだった。装甲は黒く焦げて一部は無くなっていた。

履帯は両側とも吹き飛ばされ、動輪がかなり離れたところで落ちている。

さっきまでのティーガーの悲鳴がエリカの耳の奥で生々しく繰り返されていた。

「よく頑張ったわ。」

そう語りかけて油汚れを拭う。雨に濡れた装甲は既にひんやりと冷たい。凹んだ装甲、削れた車体、くまなく目を通す。

「…痛かったわよね。」

大丈夫だ、たかが車体が壊れただけ。また修理をすれば良い。どんなに時間がかかってもまた、戦える。

代わりだってたくさんある。戦車が壊れるのなんて日常茶飯事、大破だって当たり前じゃないか。

「……。」

戦車なんて道具のうちに過ぎないはずだ。戦車道をするためのただの道具。そう、道具だ。

「…うぅ…っ…。」

それなのになんで…なんでこんなに胸が締め付けられるのだろうか。

「……なさい」

壊れたところを一つ一つ見るたびにどんどん溢れてくるものが、頬を伝い雨と一緒に流されていく。

「ごめんなさい…ごめんなさい…。」

いつからだろうか、ティーガーⅡという車両にこんな感情を持ち始めたのは。この戦車で試合をするのが楽しくて仕方が無かった。勝利を重ねるのが嬉しくて、誇らしかった。失敗したときは車内で何度もイメージトレーニングをした。

何もかもみんなアイツのせいだ。アイツのせいで余計な感情を抱くようになってしまった。こんなにも、脆い人間になってしまった。

こんなにつらいならいっそ―

胸を締め付けるような痛みに耐えきれず両手で抑えてうずくまる。情けない…自分が情けなくて仕方が無かった。

 

 

「……。」

無線の奥でエリカの慟哭が響く。その泣き声は悲しく、弱弱しく、どこか美しさを感じるものだった。

「二号車通信手、回収車以外との通信は切っておけ。」

『…はい。』

まほは静かにエリカとの個人無線から全体用の周波数に切り替えさせる。

「全車停止。ここで迎え撃つ。」

やってくれたなダージリン。

まほの中で静かな火が燃え上がる。どこまでも冷たく彼女の心を燃やす。

一台も残すものか。

「…行くぞ。」

見ていろエリカ。これが西住流だ。これが王者の戦いだ。

まほの口から可憐な花園を踏みにじるべく言葉が紡がれる。

「Panzer vor」

 

 

そこからの試合展開はまさに蹂躙という表現が一番適していた。

目の前に咲く薔薇が蹂躙される。根元から引きちぎり、棘を一本ずつもぎ取り、そして最後に残った一輪には88㎜の雨が降る。

一糸乱れぬ隊列から繰り出される正確無比な砲撃によって、一台また一台と英国戦車たちが撃破されていく。

 

撃てば必中 

守りは堅く 

進む姿に乱れ無し

 

 

「聖グロリアーナ女学院。フラッグ車行動不能。よって黒森峰女学園の勝利!」

最終的には全ての戦車が撃破されていたのだった。

まさに王者の戦い。西住流の戦車道そのものだった。

 

所属 黒森峰女学園

二号車 ティーガーⅡ

車長 逸見エリカ

損害評価 大破

ほぼすべての箇所に被弾を受けた模様であり、欠損、及び破断が随所に認められる。

その中でもメインフレームの破断が深刻であり、修復は困難であると言わざるを得ない状態である。

「あの英国淑女、いつも以上に容赦無かったな…。」

ノートを閉じ、春樹は小さく息を吐いた。

 

 

準決勝を勝利で飾り、残すはあと一戦のみ。相手はプラウダか大洗のどちらか勝った方だ。客観的に見ればプラウダの勝利が濃厚だろう。

プラウダは強豪だ。ビギナーズラックで勝てるような相手ではない。素人だった彼女たちが準決勝まで勝ち上がってきただけでも称賛に値するし、それだけでもちょっとした事件なのだ。

彼女たちは一戦を超えるごとに着実に強くなっている。相手の予想もつかない動きは油断を誘い、時には大胆な作戦で勝利に導く。

油断はできない、正直どちらが勝ちあがってもおかしくは無いだろう。…カチューシャが慢心さえしなければだが。今の私たちが勝つには100%に近い戦力が必要だ。そのためには―

「…酷くやられたものだな。」

夜のガレージにまほの声が小さく反響した。

「…隊長?」

ティーガーⅡのキューポラからエリカが顔を出した。その目にははっきりと隈が出来ていて、髪の毛も少し跳ねていた。黒森峰に戻ってからエリカはティーガーⅡの状態を事細かく記録していた。破損個所の断面を写真に残し、気になる点や改良すべき点を事細かく記録していく。次の修復に備えて。

「酷い顔だぞ。しっかり休養は取っているのか?」

「……いえ。」

エリカは静かに首を横に振った。こんな状態で嘘をついてもすぐに分かると踏んだのだろう。

「残念だがエリカ、この車両は廃棄されることが決まった。」

「……!」

エリカの眼が揺れる。動揺を隠せずに歪んだ顔がまほの方を向く。

「修復をするにも出来る設備も人間もいない。仮に外部に回したとしても決勝には間に合わない。コストと時間が掛かりすぎるからな。」

それに、とまほはティーガーを見渡してから、エリカの眼を見据えた。

「お前自身が一番分かっているだろう?」

エリカが悔しそうに俯き歯ぎしりをした。エリカ自身も頭では理解していた。この戦車を修復するよりも新しく用意した方が合理的だという事を。いくら技術的な知識を増やしたところで、自分で修理をするなど到底かなわない。素人の付け焼刃でどうにかできる範囲を超えすぎている。

しかし、心のどこかでそれを拒む自分がいた。この鉄臭い車体の匂い、お世辞にも良いとは言えない乗り心地、体の芯を鷲掴みにされたように揺さぶる砲撃。どれもかもが好きだった。

出来る事なら―

「……理解はしています。」

ここまで落ち込む彼女を見たことが無い。何とか気持ちを切り替えさせなければ今の黒森峰では勝てない。だからエリカに言葉をかけなければ…次にやるべきことに思考を切り替えさせなければならない。

「明日から別の車両で訓練を行う。反省するのは構わないが、準備を怠るな。」

エリカは今にも泣きだしそうだった。

違うんだエリカ、お前を責めるつまりは一片も無いむしろ良くやってくれた。お前の頑張りが無ければここまで黒森峰は”軽い損害で”勝ち上がれなかった。

そんなことを言ってしまえば確実にエリカの心は折れてしまう。

「分かりました…。」

エリカの表情は変わらず暗い。今は誰とも話したくない。そんな雰囲気が感じ取れた。

ショックだった。自分はこんなにも後輩に対して無力だったのか…。

自室に戻りベッドの腰を掛ける。

「くっ……。」

無意識に両ひざの上に乗せていた手に力がこもっていた。

「どうして…私は……いつもこうなんだ…。」

もっと最適な言葉があった筈なのにそれが思い浮かばない。エリカを立ち直らせるような一言が、今の彼女にかけるべき言葉があったはずなのに。

これでは以前彼に言われた通りじゃないか。国際強化選手?次期西住流家元?ふざけるな、こんな未熟者に務まる肩書じゃない。

ふっとまほは自虐的に笑う。

彼ならば…本田春樹なら今のエリカをどうにか出来るのだろうか?

…いや、二人を遠ざけたのは私だ。そんな虫のいい話があって良いはずがない。だけど、私にはもうどうすることも出来ない…。

「…どうすれば。」

両手で顔を覆い呟く。

そんな時、滅多に鳴ることのない携帯電話から音が出る。

誰だこんな時間に…安斎か?

画面を開くと見たことのない番号が表示されていた。

少しだけ迷ってから通話ボタンを押し込む。

「……。」

『…もしもし?』

一瞬自分の耳を疑った。

だってそうだろう?こんな時間に、こんなタイミングで今一番頼りたい人の声が聞こえてくるのだから。これでは神様の存在を信じたくなってしまうではないか。

「春樹か?」

『はい、お久しぶりですまほさん。』

機械越しに聞こえてくる春樹の声は少しだけ緊張で震えている様子だった。無理もない。あれ以来顔すら合わせることも無かったのだから。

「どうした。」

『ええ、実はですね―』

ああ、奇跡というヤツはきっとこのようなことを言うのだろう。

春樹は何時ものように淡々と恐ろしいほど簡単そうに、こちらの予想もしない提案を出す。

しかし不思議と彼ならば必ずやり遂げるだろうという確信もあった。

『以上がこちらの要求です。あなた方にも悪くは無い話でしょう?』

悪いどころの話ではない、それどころか春樹にとって全くメリットが無い話だった。

「なぜ、そこまでする?」

『なに、自分の腕を試す良い機会だと思いましてね。それにアイツの悔しそうな顔もまた見たいので。』

そんなことを言うが、まほもはっきりと分かっていた。

エリカのために

単純な行動原理だ。しかし万人がそう簡単に移せるものじゃない。それを理解したまほは体に熱いものが流れたような気がした。

「またそんなことを言うのか。」

『それで、黒森峰の隊長さんの返答は?』

彼の真っ直ぐな気持ちが心地よい。素直に格好いいと思ってしまう。

「エリカには黙っていた方が良いな?」

『良く分かっていらっしゃる。』

「…頼む春樹。今の私にはエリカを救う手立てがないんだ…。」

滅多に、いや恐らく誰も聞いたことが無いであろうまほの弱弱しい声に春樹は声が詰まった。

「頼む…助けてくれ…。」

今にも消えりそうな声だった。

『もちろん。アンタに言われるまでもない。俺は自分のためにアンタらを利用する。そっちも俺を利用する。それでいいでしょう?』

ああ、そうだった。本田春樹はこういうやつだった。

頑固で、意地が悪く、言葉が乱暴で、不器用。だけどそれ以上に優しく、とても頼りがいのある生意気な後輩。

今の私には解決する手段がない。情けないがこれは覆りようがない事実だ。今の私が未熟故に招いた結果であり、重く反省しなければならない。だからこれは貸しだ。いつか彼がどうしようもなくなった時、真っ先に手を差し伸べられる人間になろう。

何時までも情けない姿ばかり見せるわけにはいかない。見ていろ春樹、次はお前が情けない姿を私に晒す番だ。

だから今は頼らせてもらう。

「ありがとう。春樹。」

普段の私であればこんな情けない姿は誰にも見せたくない。だけど、不思議と彼が相手だと弱い部分を見せてしまう。

成程、これが魅力というものか。

良い相手に恵まれたな、エリカ。こいつは本物だぞ。

 

 

「お疲れさまでした!」

部活動の時間を終える挨拶をしてから、春樹は自分の車のボンネットをおもむろに開けた。回りの連中も各々自分の車をいじりだす。

活動時間が終わったとしてもすぐに帰る人間は殆どいない。みんな車をいじりたくて仕方がない、生粋の車馬鹿の集まりが自動車部という場所だ。

「ねーねー春樹君、最近ミカさんって見た?」

三年生の女子部員が春樹にそう尋ねた。

「なんだ、まだ顔出してねーのかアイツ。」

最近ミカの様子がおかしい。食事の時間以外は殆ど出かけていて、学校にすら姿を現していないようだ。

そのくせ深夜に春樹が眠る布団に潜りこもうとするので、毎回寝袋に押し込むのが最近の日課だった。

「まぁ戦車道終わってミカも引退だからね。進路指導の先生が次見かけたらGPSを付けるって息巻いてたって。」

「…何やってんだか。」

タイヤを舗装用からダート用の物に付け替えながら春樹はため息をついた。

「お、今日はダート練?おぉ、良いタイヤ!」

RX-8のプラグを交換していたユミが目を輝かせてタイヤを撫でていた。

「硬質ダートのパターンをな、新しく出たヤツを試しに。」

「おのれ~今日が家事等番じゃなかったら行ったのにぃいい…。」

「また今度連れていく。舗装とダートの混合の練習もしたいしな。」

「おっけー!楽しみにしてるよ~。」

タイヤを付け終えて車に乗り込む。

「…行くか。」

エンジンを始動させてしばらく暖気した後に、ゆっくりと水色のランサーは動き出した。

 

コンビニでコーヒーを買ってから、いつもの練習場に向かう。他の学園艦に比べて森林の比率が大きい継続高校は、少し道を外れるだけであっという間に狭い林道に入る。

「……?」

夜も更けこんな道を通る車は自分以外いないはずなのだが、後ろから白塗りのクラウンがぴったりと付いてきていた。

わざとスピードに変化をつけても一定の距離を保っている。

「……いい気分じゃねーな。」

何か意図があるのかは知らないが、さっきからハイビームで照らされておるので眩しくてしょうがない。

春樹はナイトラリー用のフォグランプのスイッチを入れた。途端に視界が一気に明るくなる。

アンチラグは必要ないな…。

「よし、着いてこい!」

アクセルを踏み込む。強力なトルクがタイヤを介して地面にたたき込まれる。一気に加速したランサーを追うようにクラウンもV6エンジンを静かに唸らせながらスピードを上げる。

「50・R4~7、キープイン。」

ここは比較的道幅も広くカーブも緩やかだ。ぴたりと後を付いてくる。どうやらクラウンのドライバーも心得はある様子。しかしライン取りに迷いがあることから、この道は全く知らないようだ。いつガードレールにぶつけてもおかしくない。

「事故る前に諦めた方が良いぞ。」

この先はどんどん道幅が狭くなる。

「…ダートイン。」

舗装路も無くなり石や砂利がむき出しの路面に入る。車高を上げ、アンダーガードを付け、サスペンションも交換しなければまともに走るのも難しい。

ガン!

案の定クラウンから嫌な音が聞こえる。そして急激にスピードを落とし始めた。

「マフラーだと良いが…オイルパンだったら最悪だな。」

今日はもうやめだ。集中力もモチベーションも駄々下がりの一方でろくな練習になりやしない。

「金沢ナンバーか…」

一応明日部員にナンバーと車種を共有して注意するように伝えておこう。まあ、こんな狭い学園艦じゃ金沢ナンバーなんてすぐに顔が割れるだろうが。

「飯食って今日はさっさと寝よう。」

幸いにもカレーの作り置きがあるので変に疲れた状態で料理をする必要は無い。

家に着くとまた白いクラウンが止まっていた。さっきのアレとはまた別のナンバーだった。

…共有する必要な無さそうだな。

明らかにこのクラウンの目的は個人なので少しだけ春樹は安心した。家には既に明かりがついていて、人の気配がある。

「意外に早かったわね。」

聞いたことのない女の声が聞こえて春樹は一気に警戒心を高める。そこには銀髪の女性が立っていた。表情は柔和で物腰が柔らかそうな婦人と言った印象を受ける。しかし、その目から感じ取れる圧力はただ物ではなかった。直感的に腹を空かしたミカに似ていると感じた。

「…どちら様でしょう?」

「あら、ごめんなさい。申し遅れました。私は島田流家元、島田千代という者です。初めまして、本田春樹君。」

「どうぞ座って下さい、コーヒーでも如何でしょう?」

じゃあ、お言葉に甘えようかしら、と島田千代と名乗る女性は椅子に座った。

「随分と落ち着いているのね。」

「…サプライズには慣れているもので。」

二人分のコーヒーを用意して春樹も椅子に座る。

「あなた、ここに一人暮らしなのかしら?」

「ええ、まあ。」

牽制を込めてはぐらかしながらコーヒーを啜る。

「…という事は女装して通学する趣味でもあるのかしら?」

そう言って千代は窓の外を見る。

…しまった。

外にはミカの制服が干されていた。そんな動かぬ証拠があっては下手に嘘など付けない。だがしかし、ここで女装趣味の変質者に成り下がるつもりは毛頭も無い。

「実は姉と二人暮らしでして…。」

「あら、学校へ問い合わせたらあなた姉弟はいないはずではないかしら?」

成程、島田流とはそこまで権力があるのか…。高校戦車道では西住の名前が大きすぎるためか気にも留めていなかったのだが。

「はぁ…。こんな一男子高校生に家元様が何の用ですか?」

観念したように春樹は椅子に座る姿勢を崩した。

「あなた、ミカという子のことを良く知っているでしょう?」

有無を言わさない質問だった。尋問と言った方が近いくらいの。

「…アイツがどうかしたんですか?まさか食い逃げ…いや、それとも…。」

今度は千代が小さくため息をついた。

「まさか娘を食い逃げ呼ばわりされる日が来るとは思わなかったわ。」

「…娘?妹の間違いでは?」

少なくとも今目の前似る女性は高校三年生の娘がいる程の年齢を重ねているようには見えない。

「あら、ありがとう。…そうね、あなたが”協力”していただければその事情をお話しても良いわ。」

 

「ただいまハル。」

 

どうやらミカが返ってきたようだ。いつも通りにカンテレを持って。いつも通りに制服に小枝を刺し、土ぼこりを付け。

しかし、彼女の眼は鋭く暗く島田千代を睨みつけていた。

「あら、お帰りなさい。」

「なぜあなたがここに…。」

「あの子が私の跡を継ぐことが正式に決まったわ。」

ミカの肩が微かに反応した。あの子と言うのが誰を刺すのか分からないが、ミカにとって無視できない存在であることは明白だった。

「それとあなたがここにいる理由と何が関係があると?」

「あの子が格として相応しい人間になるため、そして島田流のため、そのために彼が必要なの。」

千代と春樹の目が合う。今の眼前にいる人間の意図はまだ分からない。言いようのない威圧感が春樹を包むだけ。

「下らない…そんな理由のためにハルを連れて行かせない。」

ミカは春樹を千代から遠ざけるように間に割って入る。

「…要件は戦車の整備ですか?」

「ええ、あなたに整備してほしい戦車があるの。あなたにしか出来ない仕事よ。見返りは出来る範囲で応えさせて頂きます。」

最後のコーヒーを啜り、腕を組む。

島田流と言えば西住流に並ぶ由緒正しい流派の一つだ。そこの戦車を任されるとなればこれほど名誉なことはない。普通であれば二つ返事で了承するところだが…。

「ハル……。」

目の前にいるミカが終始暗い表情でいることが春樹は気になっていた。島田千代はミカを肉親だと名乗った。しかしミカは今まで島田の人間だと伏せている節があった。

名前なんてない―

つまりミカにとって島田流とは伏せたい存在であり、避けていたい名前だったに違いない。

「分かりました。やるからにはきっちりやらせて頂きます。」

ミカとは長い間生活を共にしてきた。それでも根本的なところは何も分からないでいた。そんな時に現れたミカの肉親と名乗る島田千代の出会いは、一つの転換期なのかもしれない。

ミカの事について知らなければならない時期が来た。春樹はそう感じていた。

 

 

「ごめんね…ハル。」

移動中の車の中でミカはそう呟いた。

「無理して付いてくる必要も無かったんだぞ?」

これは春樹に課せられた仕事であり、行ってしまえばミカはこの件に関しては部外者だ。いつものように食事代だけ渡してお留守番でも良かったのだが、今回に関しては着いていくと言って譲らなかったのだ。

ミカは春樹の右腕にそっと寄り添う。いつもよりも体重のかけ方が重いことから、ひどく疲れている様子が窺い知れる。

「今日の準決勝は見たかい?」

今は違う話題で会話をした方が彼女にも良いだろう。そう判断し、春樹はミカの問いかけに頷いた。

「…ああ。」

戦車道大会の様子は規模の小さい学園艦でも生中継されている。

「…きっとふさぎ込んでいるだろうね。」

「そうだな…。」

春樹はあの光景を目を閉じて思い出す。初戦からエリカの調子はとても良かった。回りは西住まほばかり注目していたようだったが、勘の良い奴らは気付いているようだ。

その中にダージリン。今回の出来事の主犯がいたわけだ。

あの光景を見て居ても立っても居られなくなって春樹は、真っ先にまほに連絡を取った。スピーカーの奥の声は弱弱しく、いつもの覇気が無かった。

それでも春樹がある提案をすると、少しずつ調子を取り戻していった。

ティーガーⅡを引き取らせてほしい。

戦車道で廃車になった車両は一度連盟に引き取られるか、そのまま車庫の隅で置物になるかが多い。継続高校のような解体所巡りをする学校は殆どいないので、よほどのことが無ければ最終的には解体される。少し前に整備したKV-1は連盟に引き取られたものを譲り受けたパターンだ。

そして今回は双方の了承が得られたため、直接引き渡しになるパターンだった。

「直せるのかい?」

「正直厳しいな。」

外から見た損害でも普段であれば首を横に振るのだが、今回は意地でも直すと決めていた。どんなに時間が掛かっても。

「ハルなら出来るさ。」

「…そーかい。」

すると突然右腕にかかる荷重が重くなった。

「すぅ…すぅ…。」

ミカが小さく寝息を立てはじめる。

「本当に自由だお前は…。」

自由奔放で神出鬼没な居候はこんな時でも未だ謎な存在なのであった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。