「最終チェックします。」
「分かったわ。」
大会前の最終点検日は、この日ばかりは遅くまで残り自分たちの戦車を点検するチームがほとんどだ。全寮制という事もあり、遅く残ることに抵抗のない黒森峰の生徒たちは整備に時間を惜しみなくかけられる。戦車に乗り込み、自分の持ち場を触りながら確認する。真新しい座席に腰を下ろし、車内を見渡す。
「異常は無いわね?」
「「はい。」」
「よし、エンジンかけて。」
操縦手に合図を送ると即座にエンジンが始動した。大きな揺れと共にティーガーⅡが唸り声を上げる。クリップボードを取り出し、点検を行った箇所にチェックを入れていく。
「少し回してみて。」
エンジン回転数がゆっくりと上昇していくと、ある個所でカラカラ…という音が聞こえた。エリカの眉が微かに動く。…後で下回りを確認しないと。
「砲塔回せ」
「はい。」
ゆっくりと砲塔が旋回し、一周してからぴたりと元の位置に戻る。もう一度今度は逆回転。速度を速めながら同じ動作を繰り返す。
「異音なし、旋回もスムーズね。油圧は?」
「正常値です。」
「そう、分かったわ。」
全てのチェック項目に印を入れて、おもむろに車外へ出る。
「下回りを見るわ。穴へ移動して頂戴。」
重い車体がゆっくりと移動し、ドッグの隅にある点検用の穴の上に戦車を移動させた。穴の中へ降り、備え付けの工具棚からハンマーを取り出す。
「確かここあたりから…。」
カンカンカン…
サスペンションと動輪のつなぎ目を叩きながら注意深く耳を凝らす。
カンカン…コンコン…カンカン…
「ここね…。」
音が変化した箇所には泥で隠れたボルトの頭があった。クリーナーで清掃し、今度はボルトの頭を強めに叩く。すると、残った砂利と共にボルトが少し回った。
「十番の棚からボルトナットを持ってきて。それとトルクレンチ。」
「はい!」
工具棚からレンチとラチェット、コマを取り出して件のボルトナットを外す。
またここか…。
本来ならばここはナットが溶接されていて、ちょっとの衝撃では外れないようになっているはずなのだ。しかし、エリカが乗り始める前からここだけ溶接が剥がれ、ボルトナットで固定されていたのだ。そのため本番を想定した衝撃を加え続けると少しずつ緩みだしてしまうのだ。
「前のはしっかりと付いてたのに…。」
そんなことをつい呟いてしまう。
「持ってきました。」
「ありがとう、それじゃ取り付けをお願いできるかしら?他の所を確認したいから。」
「分かりました。」
組みつけを任せてエリカはトルクレンチを手に取り、他のサスペンションのボルトがしっかりと付いているかを確認する。
カチカチッ……カチカチッ……
「相変わらず副隊長のトルクレンチは小刻みな音がしますね。」
「そう?他の子と変わらないわよ?」
「いやいや、他の人間がやったらぜったいカッチン…カッチンって言いますから。何かコツでもあるんですか?」
「私だって見様見真似で覚えたからコツなんて無いわよ。ただ…そうね、何となくここで鳴るって思った時に力を維持する。規定トルクは覚えているでしょう?」
「そりゃ覚えてますけど、体でトルクが分かったら苦労しませんよ。」
「まあ、そうね。」
そんなことを話しながら、すべての増し締めを確認し最終チェックに印をつけサインをする。
「よし、これで見るところは終了よ。各自部屋に戻って休んで頂戴。」
「「お疲れさまでした!」」
「ええ、お疲れ様。」
エリカのチームがいち早く解散を宣言する。隊長車のティーガーⅠは些か手間取っているようで、まほが忙しそうに指示を出していた。
「隊長、何か問題が?」
「少々部品の交換に手間取っていたが先ほど終了した。こちらはさほど問題ではない。他のチームを見回ってくれないか?」
「分かりました。」
エリカは真っ先に1台のパンターG型戦車の方へ向かった。恐らくこの黒森峰の中で一番調子が悪いと危惧しているからだ。
「チェック項目は問題は無いかしら?」
この戦車の車長である小梅が少しだけ顔色を暗くする。
「油圧が規定値より低いみたいで…。」
「ちょっと見せて。」
エンジンを始動させて車内の油圧計を確認する。確かに針が示す数字は目に見えて低い値を示している。
「最近どれくらいまでエンジンを回した?」
「限界値付近まで…。」
「…そう。」
このパンターGのエンジンには回転数に応じて点火時期を調節が出来るガバナーが付いているのだが、おそらくそれがちゃんと機能していないのだろう。しかし替えの部品が今は手元には無い。エリカがガバナーを調整して何とか騙しだまし使っていたが、今になって限界が近づいてきているようだ。
「とりあえずオイルは交換しましょう。粘度は一番高いのにしときなさい。それと本番は絶対にエンジンを回しすぎちゃ駄目よ。」
こうなってしまっては仕方がない。今出来ることをやって切り抜けるしかないのだ。サインペンで回転数の数字に印をつけた。ここまでが許容範囲だ。燃料カットができればもっと良いのだが、あいにくその手の改造は専門外だ。
「それでどうにかなりそう?」
「分からないわ。だけど何もしないよりはまだマシね。大丈夫、ちゃんと見てればそうそう壊れたりしないわよ。」
「…ありがとう。逸見さん。」
不安で少しだけ目に涙を浮かべ、小梅は感謝の言葉を口にした。
「ふん、試合が終わったらちゃんとOHに出すのよ。」
そんなことを口走ってしまうのも照れ隠しであることは、しっかり小梅も分かっていた。
「…明日みほさんにちゃんとお礼を言おうと思うの。」
じっと小梅はエリカの眼を見る。エリカも彼女と顔を合わせた。あの事故から丸々一年。二人は同じ罪悪感を抱えて戦車道と向き合っていた。あの時私がミスをしなければ。”あの子たち”が退学をすることも、副隊長も糾弾されることも無かった。きっと今年も同じように姉の横に立ち、普段の頼りない雰囲気とは正反対のあの表情で職を全うしていただろう。責任感に押しつぶされ黒森峰を去っていった彼女たちを責めようとは思わない。だけど、それがかえってみほを傷つけることになってしまった。あの子が優しすぎるから…。だから私と小梅は決めたのだ。ここに残り、意地でも食らいついていくんだと。
小梅はみほがしたことが正しかったと証明するために。
私は西住流が全てでは無いことを見せつけるために。
私たちの考えはきっと今の黒森峰には受け入れられないだろう。だけどいつか必ず分からせてやるんだ。みほは遠い関東の地で、無名の学校へ行ってもこうして黒森峰に真正面から戦いを挑もうとしている。だから私たちもそれに全力で応えなければならない。
「小梅、あなたはちゃんと言いたいことを伝えなさい。」
「逸見さんは?」
「私は…まだそんな立場じゃないから。」
エリカはこの約半年間を、敵役として徹した。それが功を奏したのか黒森峰はかつてのような団結力を示すようになった。それを引き換えにエリカは周りから距離を置かれるようになってしまったが。それは百も承知のことだった。
「じゃあ、私も…。」
「駄目よ。そうじゃないとみほが全力で戦えない。それにあなただけがここに残ったのは何のため?」
小梅は悩むように俯き、一度だけエリカを見てから小さくため息をついた。
「……分かった。だけど試合は全力で挑むから。」
「当然よ、邪道は叩き潰してやるわ。」
「ふふ、そういう逸見さんだって今や黒森峰一の異端児だよ?」
「うっさいわね…良いからさっさと作業終わらせなさい。」
「はーい。それじゃあ逸見さんの言った通りにオイル交換をしましょう。」
小梅の手を叩く音を合図に各員が作業に移った。エリカも一通りすべてのチームを見回ってから自室に戻ることにした。シャワーを浴びて部屋着に着替える。寝る前にコーヒーを一杯用意して、椅子に腰を掛けた。読書灯を付けると写真立てが一緒に照らされる。ティーガーⅠをバックにまほを挟むようにしてみほとエリカが立っていた。みほが副隊長に任命されて間もないころの写真だった。
「全く、こんな仏頂面させて。何が面白くなかったんだか。」
そう言って写真の自分を人差し指で押した。カタンと小さく写真立てが揺れる。
「私とあなた、いったいどちらが邪道なのかしらね…。」
コーヒーを一口啜る。ハーブのような香りと、深いコクがゆっくりと体の中へ流れていった。
「これより決勝戦。黒森峰女学院対大洗女子学園の試合を始めます。」
昨年は目の前にはプラウダの連中がずらりと整列していた。しかし、今年は違う。紺色のタンカースジャケットを着た大洗の生徒はプラウダのような統率感は無く、バラバラの印象を受けた。
しかしここまで勝ち上がってきた事実は覆らない。もはや彼女たちは素人集団ではない。れっきとした戦車道に人間であると認めざるを得ない。
そんな彼女たちを育て上げ、引っ張ってきたのはあの子だ。
だから、思い知らせてやろう。高校戦車道の王者は黒森峰なのだと。
「一同、礼!」
見てなさい。完膚なきまで叩きのめしてあげるわ。
頭を上げてきびつを返し、隊列へ戻る。その時小梅と目が合う。
行きなさい。
アイコンタクトで彼女を促すと、小梅は小さくうなずいてみほの下へ走っていった。
「あの!」
みほの驚いたような顔を見届けてから、エリカはゆっくりと歩みを進めた。
「行かないのか?」
隣でまほはそう尋ねるが、エリカはゆっくりと首を横に振った。
「この試合が終わるまで私はあの子に何も言う資格はありません。」
「…そうか。」
程なくして小梅が駆け足で戻ってきた。緊張からか少し息が上がっている。
「ちゃんと伝えられたかしら?」
「うん。全部伝えた。だから…もう大丈夫。」
目を閉じ小さく深呼吸をし、再び目を開けた彼女の眼はもう戦う乙女のものに変わっていた。
「気合い入れなさい。あんなポンコツ戦車たちなんて一瞬で蹴散らしてやる。」
「はい!」
乙女たちの戦いが始まる。持てる力のすべてをぶつけた戦いが―
「始まったようだね。」
「…そうだな。」
高校戦車道大会の決勝戦の様子を春樹たちはテレビ中継で見守っていた。本当だったら現地に行って彼女に声をかけてやりたい。会場の空気と一体になって応援したい。しかしそれは今は敵わない。春樹にはやるべき仕事が残っているからだ。
「二人とも、麦茶でもいかがかしら?」
氷が浮かぶ麦茶を持った使用人を連れて千代がリビングに現れた。
「ありがとうございます。」
「頂くよ。」
春樹とミカが座るソファの向かい側に千代が腰を下ろす。程なくして三人分のグラスに麦茶が注がれた。
「さて、あなたたちはどちらが勝つと思う?」
「黒森峰ですね。」
「黒森峰だろうね。」
迷いなく二人はそう答えた。それはそうだ、黒森峰の重戦車たちは火力も装甲も桁違いだ。それに加え生徒一人一人の練度も高い。客観的に見ても戦力差は明らかだ。
「あら、随分と普通な意見なのね。それじゃつまらないじゃない。」
確かに普通な意見だ。しかし春樹たちはもう一つ重大な要素があることを知っていた。
逸見エリカ
彼女というピースがしっかりと機能している限り黒森峰の勝利は濃厚だろう。
「確かに今年の成績は優秀ね…けれどそこまで目立つような人物なのかしら。」
「どういう意味でしょう?」
「西住の次女…あの子が消えてくれたから彼女は副隊長になれたのでしょう?それ以前の経歴は良くて副隊長止まり。どんな色眼鏡で見ているか知らないけれど、所詮よくある一生徒に過ぎないわ。」
それを聞いて春樹は自分の拳をぎちっと握りしめた。そうでもしなければ怒りと悔しさで爆発しそうだったからだ。お前こそアイツの何が分かる。アイツは沢山後悔して、沢山悩んで、沢山泣いて、それ以上に沢山努力しているんだ。頑張ってるんだ。たった数戦のデータだけで決めつけられてたまるか。
「ハル、黒森峰が早速仕掛けるよ。」
ミカの言葉でハッと春樹は我に返った。いつの間にかミカが春樹の拳をなだめるようにそっと手を乗せていた。冷静になった春樹はゆっくりと拳を開く。
「早いな。大洗に真っすぐ突っ込んでいったか。」
わざわざ長引かせる必要もないのだろう。重戦車たちの暴力的な火力に圧倒された大洗の戦車たちはひるんだ様子でその場に張り付けられている。やがて指示が出たのか、反撃をしつつ撤退を始めた。その背後を狙うものがいることに気付かずに。
「あら、本当にもう終わってしまうの?」
千代は呆気にとられた様子で口に手を当てた。
「目標、Ⅳ号戦車。」
前方の砲撃に気を取られているのか、こちらの気配を察知する様子は無い。まったく、ここまで勝ち上がってきたのはただのラッキーだったのね。
「装填完了、いつでも撃てます。」
「よし、撃て!」
砲撃手が引き金を引く。砲塔から放たれた徹甲弾は吸い込まれるようにしてⅣ号戦車の背後に飛んでいく。回避行動を取ろうともしない。完璧な不意打ちだ。命中した砲弾が相手の装甲をむしりとり、炎を上げる。確実に撃破した手ごたえがあった。
「大洗女子学園三式戦車行動不能!」
「なっ…!」
黒煙が晴れると目の前に現れたのはⅣ号戦車ではなく、今回新しく出場していた戦車だった。突然後退しだした三式戦車が偶然フラッグ車を守る形になったのだ。エリカの戦車に気が付いたのかあわてて全車両が射線を外しながら撤退していった。
「…くそ、ミスったか。」
「今のは仕方ないですよ。まあ運があちらに向いたんでしょうね。」
「そうね…隊長と合流するわよ。」
戦車を前進させ、隊列へ戻ろうとする。その際に三式戦車の隣に一度停車させた。その行動が良く分からないのか、中にいた生徒たちがエリカを見上げている。
「偶然だったかもしれないけど、いい仕事だったわ。…もっと練習しなさい。」
そう言ってエリカは再び戦車を動かす。奇抜な格好をした大洗の生徒たちはきょとんとした顔でティーガーⅡを見送った。
「あら、残念。決勝戦なのにこんなこともあるのね。」
「見たことない連中だな…。ビギナーズラックってやつか。」
初出場であるのにも関わらず早々に終わってしまって可哀そうだが、これで大洗がピンチから救われた。きっとこんな奇跡に近い幸運を何度も拾って彼女たちは勝ち続けてきたんだろう。そして彼女たちの強みはまだある。
「…ハル、アレは一体なんだい?」
大洗の後続車が何か白い煙のようなものを出してジグザグに走り出した。それはまるで曲芸飛行で使う煙幕の様だった。煙幕にすっぽりと包まれたため、黒森峰は相手の戦車の姿を把握できない。
「目くらましだな。あれで意表を突こうとしてるんだろう。」
思いもよらない作戦を繰り出し、少しだけ黒森峰の陣形が崩れる。このトリッキーさがもう一つの強みだ。でもそれは諸刃の剣でもある。詳細な配置は分からないでも、確実にそこにいるという事を知らせてしまうのだから。
「煙幕?…鬱陶しいわね。」
双眼鏡を手に煙幕の方を観察する。煙の切れ目や、薄くなっている部分からちらりと戦車の姿が見える。
「隊長、あの煙幕の中にフラッグ車を含め複数台隠れているみたいです。」
「足の遅いティーガーがいる。狙えそうか?」
「はい、曳光弾を撃ちます。目印にしてください。」
装填手に曳光弾の装填を指示し、もう一度双眼鏡を除く。
「砲手、前方の一番高い木は見える?」
「ギリギリ確認できます。」
「ティーガーのスピードならあそこから20m左の場所にいるはずよ。」
「はい。」
ティーガーⅡから赤色に輝く砲弾が放たれ白い煙幕の中に吸い込まれる。しかし曳光弾は空を切ったようだ。
「な…!?」
なぜだ、これよりも速い速度で移動するのは出力と車重を考えても不可能なはず。手っ取り早いのはティーガーを置いて行くことだが、そんなことあの子が考えるはずもない。これに関しては確信めいたものがある。
「前方、晴れてきました。」
砲手の報告で目の前の丘を睨みつける。そこにはしっかりとティーガーの姿があった。ワイヤーで繋がれ、重い戦車を複数台で必死に引っ張っているようだ。
「…成程、その手があったか。」
あの煙幕は目くらましと、ティーガーの弱点を利用した錯覚を起こさせるためだったのか。
「砲撃開始。」
まほの指示で一斉に放たれた砲弾は白い煙の中に吸い込まれ、内側から黒煙で塗り替える。すると大洗の戦車たち耐え切れずにわらわらと出てきた。砲撃の窪みや地形が隆起している場所に隠れて黒森峰と相対する。数秒と待たずに激しい打ち合いが始まった。
有利な立ち位置を利用したⅣ号戦車が黒森峰の車両を一台、また一台と撃破していく。
「前進しつつ砲撃。一気に詰めるぞ。」
まほの指示でヤークトティーガーが前に出る。その分厚い装甲はいともたやすく砲弾を弾き、強大な砲撃の前では大洗の中・軽戦車達の装甲は紙っぺら同然であった。そして後方の重戦車たちがじりじりと距離を詰め、砲撃を重ねる。防御と攻撃を兼ねた確実に相手の息の根を止めようという恐ろしい陣形だった。
「榴弾装填、隠れたいならお望みどおりにしてあげる。」
放たれた榴弾が土煙を上げ大洗の戦車の視界を阻む。砲撃の精度が大きく落ち始めた。ここが勝負どころだ。しかしエリカの脳裏で一つの警告が出ていた。
「…ねえ、ヘッツァーもどきは確認できるかしら?」
「いえ、どこにも…。」
あそこまで車体が小さいと他の戦車の陰に隠れて見つけにくい。あの戦車は大洗の奇襲の要だから警戒していたのだが…。
『て、敵戦車確認!よ、横にいます!』
慌てた声が無線機越しに聞こえてくる。どうやら危惧していたことが現実になったようだ。
「…ちっ、面倒な。」
いつの間にか亀のステッカーが施されたヘッツァー(38t)が味方の戦車の真横にぴたりと付いていた。事前に予想していたが本当に実行してくるとは思いもしなかった。
「落ち着きなさい。装甲はこちらが厚いことを忘れないで。同士討ちなんて馬鹿な真似は―」
その時だった、ヘッツァーを撃破しようと展開した一台がすきを突かれて撃破されてしまった。それをきっかけに部隊は大混乱だった。ヘッツァーかフラッグ車か、優先順位を付けられずにバラバラに行動を始めてしまった。右側、エリカとまほのいた場所とは反対側の陣形の乱れが最も顕著だった。案の定その乱れた陣形を見逃さず、山頂にいたすべての戦車が煙幕をたきながら逃げてしまった。
「すみません、取り逃がしました!」
「何やってんのよ!急いでフラッグ車を追うわよ!」
いち早く追撃の準備をしていたエリカが大洗の戦車たちを追う。逃げる戦車たちは射線を外すようにジグザグに蛇行しながら逃げる。
ガクン!
「……く!?」
車内が左に大きく傾き徐々に速度を落とす。
…やっぱり無茶だったか。
ティーガーⅡの車重や負荷運動が原因で足回りが悲鳴を上げたようだった。
「急いで修復作業をするわよ!」
やはり伊達に黒森峰の副隊長をしていない。みほはこちらの弱点を確実についてきた。それを克服していない私たちの負けだ。ジャッキで持ち上げ損傷個所を覗いてみると案の定あのボルトが外れていた。
「あぁもう!なんでウチには溶接機が無いのよ!」
「あっても誰も使えませんよ。」
「分かってるわよそんなこと!」
やり場のない怒りを地面と砲手にぶつけるエリカだった。
「はっはっは!慌ててやがるな~あいつら。」
一連の様子を見ていた春樹は愉快そうに笑っていた。
「イレギュラーに弱いのは相変わらずね。」
千代は小さくため息をついた。
「西住流もそんな感じなんですか?」
「ええ、意表を突くのは難しいけれど、上手に欺いて崩れたら弱いのは西住流の弱点ね。」
「島田流はその逆に個々の戦力に依存する傾向があり、決定打に欠ける。そうだろう?」
「ええ、そうよ。だから高校戦車道には島田流は合わないの。」
確実に砲撃を避け、確実に相手を仕留める戦車との組み合わせこそ島田流の真骨頂だ。
「高校戦車道はどちらかと言えば装甲が厚い戦車が多いですからね。」
「ええ、それに全体としての練度は高いけれど個々の技術は平均的ね。大学戦車道ではその”個”の力がとても必要になってくるの。もちろん戦車の”質”も。」
ことりとグラスを置くと、中に入っている氷がカランと音を立てた。姿勢を正して春樹を見つめる様子は静かな威圧感さえも感じる程凛々しいものだった。
「本田春樹君。将来島田流の正式な整備士として仕事をするつもりはないかしら?」
「…っ!」
その言葉にいち早く反応したのは春樹ではなく、ミカだった。
「言った筈だ。ハルはそんなもののために動く人じゃないと。」
「ええ、だから本人に尋ねてるの。部外者は口を挟まないで頂戴。」
ミカは悔しそうに口元をぎゅっと結んだ。そして不安そうに春樹をちらりと見る。春樹は返答の言葉を探っているのか目を閉じてゆっくり呼吸をしていた。
「…正直な話ですが、あの戦車は整備していてとても面白いですよ。それに計算通りの性能を引き出せたのは間違いなくここの設備が最高レベルだからです。こんなにやりがいのある環境は貴重です。」
「そう、気に入ってくれたのね。」
千代は嬉しそうに口元を緩める。しかし、その目は一切の隙も逃さない鋭く冷たいものだった。今まさに島田千代という人物に品定めをされているという事実が嫌でも突き付けられる。
「モータースポーツは金がかかります。タイヤ、ガソリン、サスペンション、オイル、ブレーキ…他にも手を付けるところは沢山ある。正直収入が良いならそれにこしたことはありませんからね。その点島田流は仕事に見合った報酬をきっちり払っていただけそうだ。」
「ええ、あなたはそれに相応しい技能を持っている。あなたが欲しいものは出来るだけ与えましょう。」
きっと今この首を縦に振れば安定した将来を約束されたも同然なのだろう。整備士としての自分の技術には自信と誇りを持っている。それを評価されると言うならば、これ以上嬉しいことは無い。
「でも俺はその提案には乗れません。」
春樹の答えはノーだった。
「…理由を聞かせて頂戴。」
「流派にこだわることがそこまで大切なこととは俺には到底思えないんですよ。」
「少なくとも日本戦車道がここまで発展したのは流派があればこそと、私は思っているわ。型が無ければ技を磨き、伝統が無ければ道を継ぐことも出来ない。武道というものはそういうものよ。」
「俺は流派によって傷ついた奴らを知っています。」
今隣にいるミカも流派という大きなものによって傷ついた人間だ。もし春樹が一つの流派に縛られるようになってしまったらきっとエリカやミカはきっと失望するだろう。
「それは彼女たちが弱いからではないかしら?」
「…そうかもしれません。弱いから傷つき。弱いから負ける。だけど、俺はその弱さが好きなんです。彼女たちの弱さの裏にはいつもそれ以上に大きな強さがありますから。」
流派は弱さを許さない。認めるのは強さのみ。春樹にはそれが酷く歪なものに見えて仕方が無かった。
「傷のなめ合いがそんなに大事なのかしら?」
「今はそう見えてもしょうがないと思います。僕らはまだ子供ですから。…でもいつか、そう言ったことを後悔させて差し上げますよ。」
自分の弱さを受け入れるということ。弱いからこそ強くあることが出来る。一人で駄目でも二人なら…それでも駄目ならみんなで。少なくとも西住流や島田流には無い考え方だ。
「…はぁ。分かったわ。あなたの志は思って以上に固いのね。でもそれは長く持たせるのは難しいものよ、大切にしなさい。」
千代は出来るだけ春樹から距離を置いてチューリップハットを深く被り首筋まで真っ赤にしたミカに優しい表情を送った。
「ミカ、良い人に出会ったわね。」
「……はい。」
静かな空間でなかったら全く聞こえないほどの小さい声でミカは答えた。
「それはそうと、今回の報酬は考えてくれたかしら?そろそろ完成でしょう?」
「そうですね。ではしばらくここの設備をお借りしたいです。」
「構わないわ。いくらでも使って頂戴。」
ここの設備であのティーガーⅡをレストアすることが出来たならば、きっと最高の一台に仕上げることが出来るだろう。少しだけぬるくなっている麦茶を飲み、テレビの方へ目を向ける。あちらの試合もそろそろ決着が付きそうな様子だった。
「くそ、しぶといわね…ポンコツ戦車のクセに。」
「それ言ったら世のポルシェをみんな敵に回しますよー。うちにもエレファントがいますし。」
入り口を塞ぐように大洗のポルシェ・ティーガーが立ちすくんでいる。決勝戦になって投入してきた希少な重戦車。まさか自分たちがその重装甲と火力に手間取ることになるとは。
「砲塔周辺を狙って。まずはあいつの牙を抜くわよ!」
まずは武装を無力化してそれから撃破を狙う。時間はかけたくないが仕方が無かった。このままではこちらに被害が出かねない。
砲撃が砲塔と車体の隙間に一発命中する。
「ターレットリング破損。もう少しです。」
「よし、側面装甲を集中砲撃。急ぎなさい!」
砲塔が回らなくなり、装甲が薄い側面を狙うことができる。
ガン…ガンガン!!
目に見えてダメージを与えていることが分かる。これならあと数発で撃破することが出来るだろう。
「隊長、もう少しで合流できます!」
無線機で呼びかけるが返事が無い。
「隊長は!?」
「現在敵フラッグ車と交戦している模様。」
隊長が遅れを取るはずはない。しかしエリカは嫌な予感が拭えないでいた。
『大洗ポルシェ・ティーガー行動不能。』
「ティーガー撃破しました!」
「よし、全車ワイヤーを出しなさい!引っ張り出すわよ!」
黒森峰の戦車からわらわらと生徒が出てきてワイヤーを片手にポルシェ・ティーガーに近づく。
「あれー、引っ張ってくれるの?」
「救護車待ってたら時間がかかるのよ。」
「ちぇー狙ってたのに。」
でもまあ、てこずるだろうから時間稼ぎにはなるかな。折れかけてるフレームとかあるし。ナカジマはそんなことを考えながら黒森峰の作業を見守る。
「ここの転輪はまだ生きてるわ。それと…」
エリカは素早くティーガーの下に潜りこんで無事なフレームにワイヤーをかけた。
「二台このワイヤーをお願い。一気に引っ張り出すわよ!」
エリカは再びティーガーⅡに乗り込み手で合図を送る。
ズズズズズ…
ものの数秒で入り口を塞いでいたポルシェ・ティーガーが撤去され、重戦車が軽々通れるほどの空間が出来上がった。
「嘘…なんでそんなに手慣れてるのさ!」
「水色のエボ4。そういえば分かるでしょう?」
「え……?」
そう言い捨てエリカは去っていった。
「……。」
ナカジマは無言で車内に戻り、椅子に座り込んだ。
「どうしたのナカジマ?」
ぼーっとするナカジマを3人が不思議そうに見る。
「んーん、何でもないよ。」
首を横に振り、ナカジマは一人優しく微笑んだ。
そっか…あの子だったんだ。
「隊長!今行きます!」
必死に無線で呼びかけるが全く返答が無いことにエリカは焦っていた。
なぜ返事が無い?通信機の故障か。それとも隊長が…いつも冷静なあの隊長が夢中になっている?
相手はフラッグ車のみ。対してこちらは複数台残っている。客観的にみてもここは一度距離をとってこちらと合流すべきだろう。
常に勝利の事を考えていたあの隊長が、勝利よりも勝負を選んでいるというのか。
西住に逃げると言う選択肢は無い。ここで撤退をするならば、真正面からぶつかることを選ぶ。
つまりはそういう事なのだろうか…。
「敵フラッグ車捕捉!」
「照準急いで!」
砲塔が真っすぐみほの乗るⅣ号戦車を捉える。今撃てば側面装甲をいともたやすく打ち抜き、撃破することが出来る。
「…いつでも撃てます!」
「……―!」
目の前に広がる光景を見たエリカは突如喉の奥で言葉が詰まる。まるで金縛りにでもあったかのようだった。
お互いが睨み合い、接近し、必殺の間合いを狙う。時間が永遠にも感じるような2台だけの光景がとても神々しく感じたからだ。
「…副隊長?」
砲手がエリカの方に振り向く。なぜ砲撃の指示を出さないのかと。この引き金を引けとあのⅣ号を撃破するための一撃を放てと命令しないのかと。そう言いたいような表情だった。
「…だめ。」
「どうしたんですか?」
「私には出来ない…。なんで…なんでよ…今まで頑張ってきたのは今日のためじゃない…。黒森峰は、西住流は勝たないといけないのに…なんで…?」
エリカは頭を抱え焦点の合わない目で床を見つめる。無性に体が震える。全身の血が凍り付くような感覚を覚える。
全ては勝利のために
その言葉がエリカの中で今、跡形もなく崩れ去ろうとしていた。呪いに近い自己暗示が消え去ろうとていることから感じる恐怖なのだろうか。
「逸見さん。もう良いんだよ。」
先頭の様子がおかしいことにいち早く気が付いた小梅がティーガーⅡのキューポラを覗き込んでいた。
「…小梅?」
そして車内に乗り込みそっとエリカを抱きしめた。
「なに…やってるの…試合中よ?」
「この決着はあの二人で決めないとだめだよ。だから私たちの試合はここでおしまい。」
小梅の言葉にエリカは反論したかった。何を馬鹿なことを言ってるんだ。今すぐに隊長を援護しないといけないのに。しかし、小梅の言葉は何の抵抗も無くストンとエリカの中に落ちてしまう。納得してしまったのだ。そして少しずつ体の震えが収まっていった。
『黒森峰フラッグ車行動不能。よって、大洗女子学園の勝利!』
そんなアナウンスと共に歓声が遠くで聞こえる。
「…負けたの?」
「うん。みほさんが勝ったよ。」
「そう…みほが。」
今年もまた負けてしまったのか…。もし撃つことが出来たなら勝敗は違ったのかもしれない。きっとまた私のせいだ。私の弱さのせいで…。
「違うよ逸見さん。私だって撃てたもん、あなただけの責任じゃない。それにきっと隊長は一騎打ちをしたかったんだよ。」
あの時砲撃を指示してみほを撃破したら、隊長はどう思っただろう?勝利に導いた私を讃えただろうか?西住流としての立場だったらきっとそうする。よくやったとそう言うに違いない。だけどその目は絶対に笑っていない筈だ。そして西住流としての立場と姉としての立場で苦しむ結果になってしまったと思う。そして決して埋まることのない大きな溝が生まれてしまう。
…だからこれで良かったのだろう。
「なによ…小梅のクセに生意気よ。」
「あれーそんなこと言っちゃう?さっきから私の服をぎゅっとして泣いてる逸見さんが?」
「うっさい…。」
こんなみっともない顔を隊長に見せるわけにはいかない。だからしばらくはこうさせて貰おう。
土埃と火薬と鉄と油の匂いがする小梅の制服にエリカは顔を埋めた。
閉会式が終わり撤収の準備化完了したころ、元副隊長が顔を出してきた。隊長と話をする彼女の表情は満面の笑顔だった。久しぶりに見るみほの笑顔は相変わらず締まりのない緩いものだった。だけど、嫌ではなかった。ちょっと前はあんなに憎たらしいと思っていたのが嘘のようだった。
「みほ、次こそは負けないわよ。」
「うん!」
みほと会話をしたのはアイツの家に行ったとき以来。会話と呼ぶにはあまりにも短すぎるものだったが、今はこれで良い。きっと次に会うときはもう少し話せるようになっているだろう。
学園艦に撤収し各々が自分の部屋に戻るころ、エリカはまほの部屋を訪ねた。そこで今日の通信について聞いてみる。
「すまない。戦闘に集中して気が付かなかったんだ。」
やっぱりそこまでみほとの勝負に集中していたのか。
「あのときエリカは砲撃が可能だったか?」
可能であったし、一発で確実に撃破できるタイミングであった。しかしそれが指示できる精神状態で無かったのも事実だ。
「…いえ。」
散々迷ったあげくエリカは否定の言葉を口にした。
「そうか…。」
「…隊長、あの時私は撃つべきだったのでしょうか?」
まほは考えるように手を口に当て、エリカの眼をじっと見つめる。その目はだんだん優しいものに変わっていった。
「きっと撃っていたら我々の有利な状況に持って行けただろう。それにエリカであれば撃破もできたんじゃないか?」
「それは……。」
このあとどう答えればいいのか分からずに口を閉ざして俯いてしまう。そんなエリカの頭をまほは優しく撫でた。
「すまない。私が未熟なばかりに皆を勝利に導くことが出来なかった。」
「そんな…!隊長の責任ではありません!」
まほはゆっくりと首を横に振る。
「……少し、独り言を聞いてくれるか?」
「…はい。」
まほはゆっくりと目を閉じてから小さく深呼吸をして、言葉がこぼれるように呟く。
私が西住流を継ぐと決めたのはみほのためだった。彼女には西住に囚われない自由な生き方をして欲しかった。…だが結果的にみほを苦しませることになってしまった。それにエリカや、沢山の生徒たちに迷惑をかけることになってしまった。西住に、勝利に拘れば拘るほど皆を傷つける。それが苦しかった。でもなエリカ、お前のおかげで皆を再びまとめ上げることが出来た。西住流じゃない、エリカのやりかたでな。だからこれからの黒森峰は大丈夫だ。西住流は万能じゃない。黒森峰はもっと強くなる。彼女たちを傷つけた事実は消えない。これからも私はそれを背負っていく。そのために私ももっと強くなる。
「だから…黒森峰を頼んだぞ。エリカ。」
いつの間にかまほはエリカの頭を胸に抱いていた。エリカも小さな嗚咽を漏らして震えていた。
「隊長…私は…隊長と…優勝がしたかったです…。」
「…私も皆と、エリカと勝ちたかった。」
「はい……はい……!」
「まったく、次期の隊長が泣くものじゃない。」
優しく背中を撫でてくれるまほの胸の中でエリカは決心した。絶対に来年は強くなると。私の力で黒森峰を強くして見せると。そして今度は私がみほと一騎打ちをして勝ってやるんだと。そう心に誓う。