継続高校自動車部   作:skav

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敗北

「これより。大洗記念杯(仮名称)の会議を始める。」

大洗女学院の会議室にて、河嶋桃が代表して宣言をする。

「いやぁ、まさか本当に学園艦で大会が開けるとは思わなかったなー。」

桃の隣の椅子に座る、ナカジマが嬉しそうな表情で書類をめくる。他の自動車部の面々もうんうんと頷いていた。

「しかもあの黒森峰と共催かー。なんだか不思議な気分だな。」

「でも意外ですね、黒森峰が自動車部を発足するなんて。」

「だよねー、あのお堅い連中が丸くなったもんだよー。」

杏と柚子がそんな会話をしているのをよそに、桃はせっせとプロジェクターに資料を投影する。

「会長、これは大洗の知名度を上げるチャンスです。是が非でも成功させないといけません。」

廃校が免れたとはいえ大洗は知名度の低い小さな学校だ。それが廃校の原因になったのだから、放っておけばまた行政の役員たちが何を言い出すか分かったものじゃない。大きな大会を開くことができれば知名度も上がるだろう。

「そうは言ってもさー、戦車道とは違って全然ノウハウ無いじゃん。観客ゼロとか悲しいよ~?」

「抜かりはありません。既に近隣住民には回覧板や、掲示板での通達を行っています。住民の方から数件問い合わせがありました。」

うわー原始的だなーという杏の突っ込みをスルーし、大洗町全体の地図を映し出す。

「事前に自動車部にコースの選定をさせたところ、会場は戦車道の試合で使用される区画をそのまま利用することになりました。」

市街地を使った舗装路や、山の中の未舗装路など使えそうな区間は沢山ありそうであった。それに戦車道で封鎖した実績もあるので、近隣住民の理解も早く、コース準備もスムーズであろうと踏んでいた。

「今回我々戦車道履修者は、大会の運営の補助を頼まれています。極力無理のない役職を割り振るとのことです。」

「まーそりゃそうか。でも黒森峰は大丈夫なの?」

「黒森峰は全日本学生ラリー選手権が2回、そのほかに1度の運営経験があります。」

しかし黒森峰も一切補助が無い状態で大会を運営するのは初めてらしい。それを聞いて少しばかりの不安を感じる。

「それに加え、わが校の自動車部は選手として出場したいとのことです。」

「まあそれは仕方ないか。折角だからウチも選手として出ないとな。」

ありがとね、とナカジマは頭を下げる。その時会議室のドアがノックされる。どうやら黒森峰の生徒が到着したらしい。

「黒森峰女学園自動車部です。」

「入って良いよ~。」

カラカラとドアが開かれる。そこにはまほとエリカの姿があった。

「遅れてすみません、港が混雑して接岸に時間がかかりました。」

「とりあえず部長は河嶋の隣ね。」

はいとエリカは返事をして、桃の隣の椅子に座った。それを見て、桃が会議を再開する。

「今回は黒森峰が主体で運営、我々がその補助という形で間違いないか?」

「はい、間違いありません。コース予定地は事前に把握しています。本日の午後一時過ぎに継続高校から道具一式が届く予定です。」

ラリー当日までにするべき準備などを説明し、スケジュール表を手渡す。そこには大会当日までにやるべき準備がびっしりと書かれていた。

「当日の配置は戦車道のチームを鑑みてこちらである程度決めましたが、希望がありましたら調整します。」

「さすが黒森峰、マメだねー」

「時間は残されていませんが、事務処理はこちらで今の所問題なく処理をしています。本日は実際にコースに入り清掃、整備。それに無線の確認を行いましょう。」

書類の作成と整理を行うために大洗の生徒会の3人と小梅を残して他のメンバーはコース予定地に向かう。エリカとまほはコマ図の1番から順に道をたどり、実際の道路と差異が無いか確認していく。

「あそこの看板は見失いやすいな。」

「そうですね、一応注意書きはしておきます。」

ミスコース注意と書き込み、再び車を走らせる。最近舗装が新しくなった道路を渡り、那珂川へ向けて北上していく。人の通りが少なく、とても運転していて気持ちが良い。窓を開けると秋の空気が入り込んでくる。山のほうは紅葉が始まっていて、頂上から徐々に色づいているところだった。

「良いところだな。」

「はい。」

一度部活とか戦車道とか関係なく純粋に観光として来るのも悪くないかもしれない。気ままに車を走らせて、お腹がすいたら海鮮料理を食べて。また海沿いを走って。夕日でも眺めて。

……って、なんであいつの顔が出てくるのよ。

「春樹の事でも考えていたか?」

「すみません。」

「責めている訳じゃない。暇が出来たら誘ってみたらいい。」

そこまで読まれていたか。最近自分の思ったことが表情に出すぎじゃないだろうか?わかりやすすぎるのも考えものだと、少しだけ気を引き締める。

「そろそろコースだな。」

「……はい。」

しっかりと看板が立てられているかを確認してから山の中へ入る。すると戦車や草刈り機などのエンジンの音が少しずつ聞こえてきた。

「ふい~これで大方石はどかしたかな。」

「ちょっと鋸か鉈持ってきて、この木邪魔だから切っちゃうよ。」

「あいよ~」

コース予定に戦車を走らせて路面を踏み固め、その際に出てきた大きな石を手作業でどかしていく。また、スタート、ゴール、ラジオなどの予定地では草刈りも行われていた。

「武部さん聞こえるかしら?」

『少しノイズ交じりだけど、しっかり聞こえるよ!』

アマチュア無線の免許を持っている沙織は、マリンタワーで無線を飛ばしていた。そこからコース内でオフィシャルが待機している地点と連絡ができるかを確認する。

「了解、次は一番無線が届きにくい場所に移動するわ。」

「了解!」

更新が終了し、ゆっくりと車を発進させる。大きく下った道を下りきった場所に広場があった。そこが丁度SS区間の中間地点であり、ここからゴールまでは開けた場所が無いため、ここにラジオポイントを設置するしかないのだ。

「確かに繋がりにくそうだな。」

道の両脇は崖が聳え立ち、道は曲がりくねっている。まるで教科書に出てきそうなほど典型的な場所だ。

「到着したわ、聞こえるかしら?」

『ザザ……ます………ザザ』

酷いノイズのせいでまともに声を聞き取ることが出来ない。暫く移動するとまた声がはっきりと聞こえてくる。

「ここは対策をした方が良さそうだな。」

「そうですね……」

コース幅もかなり狭いため戦車を入れることは難しそうだ。ここは中継局を立てた方が良いかもしれない。無線機で沙織に別の無線機に切り替えるように伝える。これは、高校自動車連盟で管理している、設置型の無線局だ。車載タイプよりも出力が高く、電波も届きやすい。

「こちら×××、〇〇山登山口付近で交信。」

「こちら△△△、マリンタワーから交信。感度良好です。」

こちらの無線機は問題なく繋がるようだ。であれば沙織にはタワーにあるHQで無線の管理をしてもらおう。

「武部さんはそこでしばらく待機してて頂戴。最後に全体で無線の確認をするわ。」

「了解~。」

コース整備、無線の確認、そして当日通行止めになることを知らせる看板。準備は着々と進んでいる。

「コマ図のほうはどうだ?」

「細かい距離を修正すれば大丈夫です。」

準備のほうは問題ない。あとは当日のトラブルのシミュレーションを重ねていこう。過去に実際発生したトラブルの事例と解決方法をリスト化し、深刻のレベルに応じて色分けをする。持ち場での判断で対処して良いグリーン、ステージコマンダーに報告を必要とするイエロー。直ちに競技を中断しなければならないレッド。それらを細かくまとめたマニュアルを作成し、本番までに全員頭に入れてもらう。

「逸見さん、至急大洗学園まで戻っていただけませんか?」

学園内に残り書類作成を行っていた小梅から連絡が届く。すこし慌てた様子の声色だった。

「何かあったの?」

「エントラントで急にドライバーを変えたいという申請がありまして…。クラス区分も変わるみたいで…。」

「すぐに戻るわ。」

大なり小なりのトラブルはあるものの、大会前に判明するのは良いことだと割り切る。コース整備は自動車部に任せても大丈夫だ。無線のチェックは武部さん主体で、問題があったら連絡してもらう。事務処理を小梅から引き継ぎ、昼に予定していた継続高校からの機材の受け取りをまほに任せることにした。

マリンタワー周辺で看板の設置と無線の管理をしていたⅣ号戦車チームが先に学園に戻ってきたので、書類整理を手伝ってもらう。

「エリカ、資材の受け取りが完了した。」

「ありがとうございます。トラックは大洗学園で管理しますのでこちらへ戻ってきてください。」

「了解した。」

本日終える予定のチェックリストに印をつける。残るはコース整備だけだ。定期的に送られてくる写真を見ながら、問題がないかを確認する。それと同時にロードブックや、セーフティーマニュアル等の印刷と製本を進めていった。

「以上で本日のスケジュールは全て完了しました。各自トラブル対応のマニュアルはしっかり読み込んでおいてください。お疲れさまでした。」

コース清掃と事務作業はほとんど同じ時間に終了し、山に入っている組も学園に集合し解散となった。まほは本業の戦車道の方で仕事が発生したため、先に学園艦に戻っていた。最後まで残っていたエリカは日が傾いて、オレンジ色になった廊下を歩く。そして、大洗女学園の来客用玄関から外へ出ようとした時だった。

「お疲れ様、エリカさん。」

靴を履き替えたところでみほに呼び止められた。

「みほ……」

「これからみんなでご飯作るの。…良かったら一緒にどうかな?」

みほの後ろで様子を見ている彼女たちの表情は色々な感情が見え隠れしていた。無理もない、エリカと彼女たちが顔を合せたのは抽選会の後の戦車喫茶だけなのだから。その時の態度を考えるに彼女たちはエリカに対して良い感情を持っていないことは確かだ。しかしこれも自分が蒔いた種、いつかは解決しなければならない事なのは確かだった。

「分かったわ。」

エリカの返事にみほはほっと胸をなでおろした。

「それじゃあ私たちは食材買いに行ってるから。二人は先に行ってて良いよ。」

「うん、分かった。」

沙織たちと一度別れ、エリカはみほと一緒に帰り道を歩く。

「仲良いのね。」

「うん……。」

みほが黒森峰にいた時も練習後に3人で食堂で夕食を食べていた。戦車の話や授業の話、休日にどこへ行こうかなどとりとめのない会話をしていた気がする。きっと今のみほは彼女たちとそんなとりとめのない会話をして、学園生活を送っているのだろう。そう考えると、安心したような寂しいような気持になる。

「正直あなたたちが決勝戦まで上がってくるなんて思いもしなかった。」

「私も、ずっと必死で戦ってたから。全然余裕なんて無かった。そうだ、ずっと聞きたかったことがあるの。」

「何かしら?」

「最後にお姉ちゃんと一騎打ちをしたとき、エリカさん撃てたよね?」

その話か…とエリカはバツの悪そうな表情をする。いまでもアレのおおかげでOGから嫌みを言われることがあるのだ。それでもエリカはあの時撃たなくて良かったと今でも思う。

「あそこで撃てたら、わざわざ北海道まで助けになんて行かないわよ。」

その言葉を聞いてみほは嬉しそうにふにゃりとした笑顔を作る。この笑顔を見たことがある人間は意外と少ないのだ。本当に気を許した人でないと見せない笑い方だ。

「ありがとう、エリカさん。」

エリカは照れくさそうに腕を組んでそっぽを向く。

 

みほが住む部屋に入ると、真っ先に熊のぬいぐるみが目に入ってきた。確か…ボコという名前だったか。

「相変わらずへんてこな熊がはびこってるのね。うちにいた時より増えてない?」

包帯や絆創膏を貼り付けた熊が並べられている間に写真が並んでいた。大洗女子学園が優勝した時、大学戦車道チームに勝った時。そして黒森峰でまほとエリカと共にティーガーⅠの前で撮った写真。

「エリカさんの部屋は相変わらず何も無いの?」

「なによ、悪い?」

「ぜんぜん。」

しばらく黙々と部屋の中を片付けていると、インターホンが鳴る。カメラには先ほどの4人の姿があった。

「おじゃましまーす」

買い物袋をもった沙織たちが入ってくる。そのまま沙織は台所へ向かう。

「すぐに作るから待っててね。」

「私も手伝うわ。」

その時ぬっと何かをみほから差し出された。それは白色を基調としたフリルの着いた可愛らしいエプロンであった。どうやらこれを着ろということらしい。

「…着ないわよ。」

「……。」

「あぁ!泣かせた!」

「なんてことを…。」

「やはり黒森峰…。」

あっという間に風向きが悪くなる。言ってしまえばエリカは完全にアウェーであり、ここに来た時点で敗北は決まっていると言っても過言ではない。

「分かったわよ、着れば良いんでしょ?」

2,3回深呼吸をしてから意を決してフリフリのエプロンを付ける。その瞬間シャッターの音が聞こえ、エリカの表情がげんなりしたものに変わる。

「ふふふ、エリカさんフォルダーがまた増えちゃった。」

「他にも写真があるんですか!?」

なぜか優花里が興味津々でみほに詰め寄る。それに続いて、華と麻子もみほの携帯電話の画面をのぞき込む。

「うん、これが去年に撮ったエリカさんのパジャマ写真。」

「おぉ…これはイメージと違い可愛いらしいパジャマです。」

「わ、私も見ても良いでしょうか。」

あれよあれよの内にスライドショーが始まる。当の本人にとっては地獄しかないのだが、ああなってしまったみほは止められないことをエリカは良く知っていた。大きくため息をついてから台所へ向かう。

「献立は?」

「焼魚とコロッケと、味噌汁、ワカメサラダだよ。」

「それならコロッケは私がつくるから、お味噌汁は任せるわね。」

”お味噌汁”という単語にエリカの育ちの良さを感じつつ、沙織も料理を始める。

「わぁ逸見さん料理上手~」

沙織が魚を焼く横でエリカはじゃが芋の皮むきをしていた。この家にはピーラーが無いので仕方なく包丁で皮をむくしかなかっただけなのだが。

「別に普通でしょ?」

「そんなことないよ、こんな綺麗なじゃがいも見たことないもん。」

武部沙織という少女は褒め上手なのだろう。

「ありがとう。あなたは良いお嫁さんになりそうね。」

素直な感想を言ったつもりだが、沙織にはクリティカルヒットだったようだ。照れながらキャベツを高速で千切りするという器用なことをやりはじめた。

それにしてもコロッケか…。とある理由でリサーチしていたおかげで美味しく作る自信がある。蒸したじゃがいもをまんべんなくすり潰し、炒めた玉ねぎとひき肉とを混ぜる。ジャガイモとひき肉の比率は8:2、玉ねぎはアクセント程度。胡椒はしっかり効かせて塩は控えめに、具材はムラが無いようしっかりと混ぜる。

「こんなものかしらね…。」

手のひらで包み込める量を手に取り丸めて、油に投入。高めの温度で、さっと揚げる。…うん、上出来だ。

「さあできたよ~」

出来立てのコロッケが盛り付けられた光景を見て、華が目を輝かせた。揚げたてのコロッケは箸で割ると、湯気が立ち白い断面が顔をのぞかせる。ジャガイモは、まるでシチューのようにとろりと口の中で溶ける。ひき肉のコク、塩コショウが後から優しく主張し最後には消えてしまう。その味わい何ともいじらしく、何度でも口の中へ運んでしまう。まさに魔性のコロッケだった。

「そう言えばエリカさん、春樹君とはどうなの?」

コロッケを食べて思い出したのか、みほはエリカにそんなことを尋ねた。

「んぐっ!……けほっ、けほっ。」

突然のみほの質問でお茶が気管に入りむせる。

「それ、私も聞きたい!」

沙織も目を輝かせてエリカの顔を覗き込む。ほかの面々も大小さまざまだがエリカの方に視線を送っていることから、興味があるのだろう。

「大学選抜の時に継続の人来てたよね?もしかして本田君も来てたの?」

「ええ、私たちの戦車を整備するために。」

「あの時確か40両近くの戦車が来てくださいましたが、まさかその全てを整備するために!?」

「アイツが声を掛けて集めた腕利きらしいわよ。あの人、自動車部関係で顔が広いから。」

その言葉を聞いてやはりそうでしたか!と優花里が目を輝かせて反応する。

「それで、付き合うことにしたの?」

みほがド直球の質問を投げかける。エリカは「…ええ、まあ」と顔を赤くしながら肯定の意を示した。その瞬間わっと盛り上がった。

「黒森峰の次期隊長候補と継続の腕利きメカニックですよ。お似合いに決まってます!」

「よかったね、エリカさん。」

春樹自身から相談を受けていたみほは大体の事は知っているので、素直にエリカを祝福した。なにせ二人とも筋金入りの頑固者で天邪鬼で捻くれているのだ。ようやっと素直になったかと安堵もしている。

「あ、ありがとう…?」

「それで、どっちが折れたんだ?」

「………わたし。」

麻子の質問にエリカはぼそりととても小さな声で答えた。再び歓声が上がる。

「仕方がなかったのよ。本当に久しぶりに顔を合せて、舞い上がってたかたら…。」

「別に責めているわけじゃないよ。ただ意外だっただけ。…まさかエリカさんのほうから折れるなんて。」

むぅ、とエリカはどんどん出てくる言い訳をひっこめる。

「でも継続高校って、所在不明の幽霊艦って言われてるくらい神出鬼没でしたよね。それではあまりお会いできないのでは?」

確かに華の言う通り、2~3か月に一度会えれば上々というくらい継続高校は港に現れない。だからこそ、限りある時間を有効に使うため、整備のレクチャーなどに時間を使っている。個人的な用事に回す時間なんて皆無だった。

「戦車道が今は一番なのはかわらないわよ。アイツだって部活とか勉強が優先だって言ってたし」

「成程、花と同じく恋人の形も千差万別であり、十人十色、というわけですね。」

恋人と説明した方が春樹との関係を説明するのは手っ取り早い。それは確かだが、もはや人生をかけた目標を共にする相棒であり、戦友なのだ。今優先すべきことを間違えてしまったら支え合うことが出来ないことも理解している。

「ただ私がアイツの重荷になってしまうことだけはしたくない。」

「春樹君のことだから背負いがいがあるなんて言いそうだけどね。」

本当にそういいかねないから困るのよ。私は支えあいたいの。一方だけが寄りかかったままじゃ嫌だから。だから私も今できることを、やらなくてはいけないことを見極めて日々を積み重ねる。もしアイツが倒れそうになった時に支えられるように。

「逸見さん、私はあなたを誤解していました。」

「誤解を受けてもしょうがないわよ。あんなこと言われたら。…私こそ、失礼なことを言ってごめんなさい。」

エリカ自身ずっと解消したかったわだかまりだった。それが今日やっと解消することができたと言って良いだろう。夕食後、この時間を作ってくれたみほに礼を言って、エリカは学園艦に戻った。

 

そしてラリー本番当日。継続高校の搬入口前の待機所では、これからラリーに出場する競技車両たちがずらりと並んでいた、工具やタイヤを積んでいるサービス車両も、水色のカラーリングが施されている。

「ミカさんまだ帰ってきてないの?」

「ああ、大学選抜戦の時俺を置いて帰ってから連絡もない。」

「ミッコも今日出るはずだったのに、急遽ドライバー変更だよ。」

まったくどこで道草食ってるのやら。最近夕食がハムカツばかりで飽き飽きしてきたのだ。さっさと帰ってきて別のものが食いたいと心の中で悪態をつく。

「知ってるよ、最近ハムカツばっかりなんでしょ?ミカさんの大好きな。」

その言葉を聞いた瞬間春樹は、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべた。

「肉屋のおばちゃんがしゃべったのか?」

「口コミはときにインターネットを超えるのだよ春樹君。」

ちっちっちとユミは指を振る。

「意外とお姉さん思いなんだね。もしかしたらシスコンの才能あるかもよ。」

「やめろ、寒気がするわ。」

青ざめる春樹の顔を見てユミは腹を抱えて笑う。

『ゲート開きます。』

音声の案内と共に学園艦の搬入用のハッチが下ろされると、薄暗い搬入口に光が差し込んでくる。ゲートの信号が青になると一斉にエンジンをかけ始め、排気音がけたたましく反響する。

「はぁ……はぁ…。さて、サービスパークはマリンタワー周辺の駐車場らしいんだけど春樹君分かる?」

「…分かるよ。」

目に涙をためて尋ねるユミを横目で睨みつけながらランサーをゆっくり発進させる。大洗港には各校の学園艦が停泊していて、続々と色とりどりのラリーカーがゲートから現れる。

「ほら、あれが大会本部のマリンタワーだ。今回はあそこから無線飛ばすらしいぞ。」

「おおーそれなら良く聞こえそうだ。」

今回のサービスパークはあらかじめ学校によって場所が指定されていて、参加台数が一番多い継続高校は一番広い駐車場を与えられていた。

サービスカーからテントや発電機などを下ろしていき、着々と準備を進めていく。あっという間に駐車場の一角が水色一色になり、これから競技が始まるということを意識させる。

『おはようございます、レッキ受付は12時丁度からです。』

そんなアナウンスが会場に響く。この声は確か、赤星小梅だったか。まわりを観察してオフィシャルがちゃんと動いているか見守っていると、ユミに脇腹を小突かれた。

「春樹君ちゃんと大会に集中してよ?親心出したくなるのは分かるけど。」

ユミに痛い所を突かれた春樹は分かってると言わんばかりに、自分の車のボンネットを開く。

「最近戦車ばかりだったからな。お前も鬱憤が溜まってるだろ。」

「そうだぞー、挙句の果てに美人の彼女まで作りやがって。私なんか夏休みの課題と整備しかしてないよ。」

「それは健全で良いじゃねーか。」

「腑抜けてたら承知しないんだから!」

ユミはふふんと挑発的な笑みを浮かべていた。

「春樹さーん、ご無沙汰ですわー!」

隣のサービスパークは聖グロリアーナだったようだ。いつものように赤毛をぴょんぴょん跳ねさせながらローズヒップが駆け寄ってくる。

「おう、武者修行はどうだった?」

「良い感じに車の理解も進んできましたわ!」

今日こそは負けませんわよとローズヒップは気合十分の様子だった。ちらりとそのローズヒップが駆るWRX STIを見る。聖グロリアーナのイメージカラーである赤を基調としたボディは、おそらく今日出場するマシンの中で一番新しい型式だ。

「5ナンバーもだいぶ減ってきたな…。」

JH6クラスは4輪駆動のターボ車であるランサーや、インプレッサがメインとなっているのだが軒並み3ナンバーの大柄なボディを持つ車両がほとんで5ナンバーと言えば、春樹のランサーエボリューションⅣくらいであった。小柄できびきび動くメリットはあるが、タイヤのサイズを大きくすることが出来ないというデメリットもある。そのため舗装路でのラリーに関しては、年々タイム差が縮んできているのが悩みであった。

「せめて明日のレグ1は勝ちたいものですわ。」

今回のラリーは1日目が舗装路、2日目がダートと2種類のコースを使う予定らしい。ライバルたちは大方1日目のターマックラリーを重視している様子。そうすることでグラベルラリーを出来るだけ余裕を持った状態で進めようとする算段だ。今回のラリーに関しては追うラリーになりそうだ。

「あら、こちらは随分と余裕そうね。」

聖グロリアーナの豪華なテントの奥から、ダージリンが現れる。セッティングなどで慌ただしい聖グロとは違い、継続高校はコーヒーを飲んだりリラックスしている人間の方が多かった。

「聖グロの主催意外に顔を出すのは珍しいですね。」

「大洗女子学園の記念ですもの。顔を出すのは当たり前でしょう?」

大洗を廃校から救った影の功労者と言っても良いダージリンは、すっかり彼女たちを贔屓しているようだ。

「ああ、そうだ。あんたに渡したいものがあったんだ。」

春樹は車の中から木箱を取り出して、ダージリンに差し出す。見るからに高そうなものが入っていることが分かる雰囲気を出していた。

「これは?」

「まあ、こちらも世話になったので。」

木箱を受け取り、開けてみるとそこには小さな茶筒が一つ入っていた。そこには金色の文字で加賀棒ほうじ茶と書いてあった。ダージリンは目を見開いてからさっとその箱を閉じる。

「あら、お気に召しませんでしたか?座布団の方が良かったでしょうか?」

春樹の軽口を華麗に聞き流し、ダージリンは無言で近づきそっと耳打ちをする。

「こんな良いお茶…どこで手に入れたのです?」

「母方の祖父が職人らしくて、定期的に送られてくるんです。ウチじゃ飲み切れないので折角だから、好きな人の手に渡った方が良いと思いましてね。」

本当だったら飛び上がるほど喜びたい気持ちなのだが、今は聖グロリアーナの生徒という立場がある。ほうじ茶と言うとても日本的な贈り物で一喜一憂をすることは出来ない。

「とても素敵な贈り物ですわ春樹さん。おやりになりますわね」

「まあ三日間楽しんでいくと良いですよ。」

そのつもりですわと、ダージリンはテントの方へ戻っていった。そこにはオレンジペコとアッサムが紅茶を淹れて待機していた。彼女も難儀な立場にいるとほんの少しだけ気の毒に思う春樹だった。そっちの赤いのみたいにぴょんぴょん跳ね回っても良いだろうに。

「春樹君、そろそろレッキ受付だよ。」

「了解。」

必要な書類を持って受付がある本部へ行くと、忙しそうに小梅が指示を出していた。

「継続高校です。」

「澤さん、継続高校さんの書類セットを持ってきてください。」

「は、はい!」

梓が書類の入ったかごを持ってくる。

「ええと、RH6。本田さん、ユミさん。RH5が―」

運転免許証、競技ライセンス、ラリー保険証明など必要な書類を素早く確認しゼッケンを桂利奈が手渡す。

「頑張って下さーい!」

1年生たちは不慣れながらも一生懸命自分の仕事をこなしていた。

「アンタらもオフィシャルご苦労さま。大変だと思うけど、楽しむところは楽しんでな。ここからでも見えるだろうし。」

「「はい!」」

受け取ったゼッケンをテープで貼り付けてからエンジンを動かす。あと20分後にレッキ走行が始まる。

「準備できたか?そろそろ並ぶぞ。」

サービスパーク出口前に水色の車体に白色のラインが入ったカラーリングがクラス順で綺麗に並ぶ。これもまた一つの名物だった。

「13:30。よし、出発~!」

ユミの合図でランサーが走り出す。その後を続いてラリー車が隊列を組んで続々と出ていく。

「そういや海沿いでラリーするのって初めてだな。」

「まあ大体山の中とか学園艦とかだもんね。」

今回のラリーは大洗の町を丸々使ったステージになっている。普段から戦車道大会の方で使っている区間なので、近隣住民の理解が早いからという理由らしい。レッキのために街中を走っていると、家族連れだったりお年寄りだったり、広い年齢層の人たちから手を振られる。二人も窓から手を出してそれに応える。

「良いよね港町って。風も気持ち良いし、美味しい魚も沢山あるし。」

「よかったな、今夜は親睦会もあるらしいぞ。」

「やった!」

今回は宿泊施設をまるまる貸し切っているので、エントラントもオフィシャルも宿泊できるらしい。町おこしも兼ねているからなかなか派手なイベントになりそうだ。その辺は強かな大洗の会長が1枚噛んでいると思われる。

「…っと、ストッパーが見えてきたぞ。」

この先閉鎖中という看板の横に大洗の生徒と三式中戦車が待機していた。ここから先が競技区間だ。手を挙げて軽い挨拶をしながら横を通り過ぎる。

「普通に街中もSS区間なんだな。聖グロっぽい感じか?」

「そうだね、けどあっちよりも分かりやすい道で良かったよ。目印もいっぱいあるし。」

特に商店街の中を突っ切るステージはなかなか痺れる。普段は山道を走ることが多いのだが、このような街中を走ることが出来るのも戦車道が協力してくれているからこそだ。

「ここはコーション付けようか。スピード乗ったらリア浮くよ。」

「そうだな…落ちたら谷底だ。」

二日目に走るグラベルセクションは途中で舗装された道路も混ざっていて、なかなかスリリングなコースだった。舗装で乗りすぎたスピードをいかに最小限まで殺して、グラベルを走れるかそこが勝負どころとなりそうだ。

2度のレッキ走行を終えてサービスパークに戻り、細かいセッティングをしながら公式車検の準備をする。グラベル用は問題ないとしてターマック用のサスペンションを分解して、バネを取り出す。

「セッティングはどうするの?」

「路面も最近新しく舗装しなおしたらしいし、サスは結構固くして良いかもな。」

聖グロ戦で使うものと同じバネをサスペンションに組み付ける。あとは減衰で合わせていけば大丈夫だ。

「車高は落としても大丈夫そうだったか?」

「うん、少なくともSS区間は問題ないよ。」

「部長、SS3で少し聞きたいことが…。」

車のセッティングであったり、運転の仕方であったり春樹は様々な質問を受けながら自身の車の整備も進めていく。

『これより公式車検を行います。選手の方は準備をして待機していてください。』

ボンネットを開き、スーツやヘルメットを用意して待機しているとスズキが複数人を引連れてやってきた。

「準備はできてるかな?」

「継続は全車大丈夫です。」

「ありがとう、なら始めるよ。それじゃあ3班に分かれて下さーい。」

参加台数の多い継続高校は車検に来る人数も多めであった。スズキに書類を渡して車検を行ってもらう。

「車体番号E-CN9A……」

「OKです。」

何度も練習したのだろう、非常にスムーズにチェックしていく。

「ヘルメットの製造年も大丈夫です。」

最後に車検完了を示す大洗と黒森峰の校証をモチーフにしたステッカーをCピラーに貼る。

「随分こってますね。ウチじゃゼッケンにOKサインだけですよ。」

「折角だから作っちゃった。」

照れくさそうに笑いながらスズキは次の車検に向かっていった。凝り性な人間がいるのは良いことだ。公式車検が終了すれば、今日の日程は終了だ。あとはホテルで行われる親睦会に出席するだけだ。美味しい魚料理にありつけると考えるとそれだけでワクワクしてくる。

 

「それでは、大洗廃校撤回及び黒森峰自動車部発足を祝して…乾杯!」

「「かんぱーい!」」

その日の夜、旅館の中にある大広間にて盛大に宴会が開かれていた。オフィシャルもエントラントも関係なく、大規模の宴会で春樹は少なからず驚いた。

「本日は黒森峰女学院さんからノンアルコールビールを提供頂いています。」

「食事も沢山あるからじゃんじゃん食べて~」

春樹の手に握られているジョッキにもなみなみと注がれた金色の飲み物が入っていた。それを半分ほど一気に飲むと独特の苦みと、喉を抜ける爽快感を感じる。なるほど、これがビールというやつか…。

「こりゃ飯が止まんなくなるな。」

鍋で煮えているあん肝と一緒に流すとこれはこれで良く合うのだ。早々にジョッキの中身が空になる。それにこの生しらすの軍艦も絶品であった。

「うわ、春樹君おっさん臭い…。」

そんな春樹をみてユミはジトっとした視線を送る。

「はーい本田ちゃーん、飲んで飲んで~」

いつの間にか杏が現れ再び春樹のジョッキをビールで満たす。

「こりゃどうも。」

「良いって良いって、なんたって大学選抜戦の縁の下の力持ちだからね。」

ほらこれも美味いよ~と分厚いえんがわの刺身を差し出す。

「みほの居場所を守る手助けをしたら結果的にアンタらも助かった。それだけですよ。」

相変わらずツンケンしてるなーと杏が意に介さない様子でケラケラと笑う。

「ま、西住ちゃんと自動車部の4人を気にかけてくれてるだけでも嬉しいよ。別に私らを恨んでても良いからさ。だから今後ともよろしくね~。」

「…言われるまでも無いですよ。」

「こらー本田君、そんな端っこにいないでお姉さんたちの相手しろー!」

何故か顔を赤くしたナカジマがジョッキを片手に春樹の腕を組んで連行していく。

「ナイス、ナカジマ!」

どうやら雰囲気で酔っているのは彼女だけでは無かったらしい。大洗自動車部の4人は程度の差こそあれ全員目が座っていた。

「今度ね地元のでっかい電機の会社から先生が来てくれて、モーターの勉強会するんだ~春樹君も来る?」

「具体的にどんな勉強するんですか?」

「本格的にレオポンに三相モーターを付けるために、制御方法とか教えてもらおうかと。」

大学選抜との試合では低圧タップ制御と言う変圧器にかける電圧を変化させることで、速度制御を行っていた。これは黎明期の新幹線で使われていた技術だ。しかし急激に大電流を流すのは問題があるらしく、滑らかに制御をしたいらしい。三相モーターを正確に制御するためには、やはり専門的な知識が必要なのは明確であった。

「俺も丁度パワーエレクトロニクスの勉強をしたいと思ってたんですよ。」

「お、奇遇だね~それじゃあ本田君も数に入れとくよ。」

そうれはそうと、とツチヤが輪っかにした木枠を取り出す。いつの間にか針金からグレードアップしたらしい。しかし相変わらず「重要規格」のシールは貼ったままだった。春樹の額に冷や汗が浮かび上がる。

「あの、そんな物騒なものは収めて頂けると助かりますのですが」

「ふっふっふ、春樹君は知らないかもしれないけど女子高生はね……止められないのさ!」

シュバッとツチヤは素早い動きですべてのテーブルを回っていく。そして数分後春樹の前にみほ、華、そしてエリカが座っていた。

「あのこれは一体……。」

状況が分からないのは華だけで、みほとエリカは何となく察したのか棘のある視線を春樹に向ける。

「先ほど検査をしたところ、我々が調査した独自規格に合格したのがお三方なのです!」

華は先ほどツチヤが行った検査の様子を思い出し。自分の胸元を一瞥した瞬間耳まで顔を真っ赤にしてしまった。

「わ、私"そう言う"事は家で禁止されてますのでー!」

そう叫びながら宴会場を飛び出して行ってしまった。その様子を見守ったのちに、エリカはとても冷たい視線をこちらに送ってきた。身じろぎ一つできずに、心臓までえぐられるような…それはそれは鋭い眼光だった。

「あの…みほさん、後で彼女の誤解を解くお手伝いをして頂ければ幸いなのですが……。」

「もう…仕方ないな。」

自分で蒔いた種とは言えまさかこんなところで帰ってくるとは思わなかった春樹であった。

「いろんなとこに首突っ込むからでしょ。バカ。」

「返す言葉もございません…。」

柄にもなく青ざめた表情をする春樹を見て重いため息をつくエリカだった。

 

 

「あぁ…なんか疲れた…。」

部長が火消しに向かったあおりで早々に引き上げた継続高校は、副部長のユミが主導となって明日の打ち合わせをしてから自由時間に入る。遅れてきた春樹は、ユミに引継ぎを受けてから疲れを取るために風呂に入りに行くことにした。誰もいない大浴場で静かに湯船につかり、強張った筋肉をもみほぐす。そのときピリッとした痛みを感じた。

「いたた…どっか擦りむいたか。」

潮湯が体にできていた擦り傷に染みて春樹の顔が少しだけ歪む。しかし痛みは頭の隅に追いやって今日レッキで走ったコースを頭の中で思い浮かべ、全体的なペースを考える。

「舗装コースは走りやすい。最初から飛ばせる。」

問題は二日目のグラベルだ。スピードが乗りやすいわりにガードレールが無かったり、途中に舗装路があり滑りやすかったり。しかも初めて走るコースだ。そういう練習はしてきたつもりだが、やはり慣れというのは侮れない。おそらく大洗のインプレッサと競ることになるだろう。それに1日目のターマックは聖グロのVABが速いはずだ。来年の傾向を探るために、このラリーは重要だ。気合を入れなおすために水風呂に入り、もう一度湯船につかる。それを繰り返して30分ほど湯船につかってから、大浴場を出る。浴衣に着替えて脱衣所を出ると、ばったりと同じように浴衣を来た黒森峰の三名と鉢合わせになった。

「お三方も湯上りで?」

「そうよ、あんなことがあった後だものさっぱりしたいに決まってるでしょ。」

エリカがやれやれといった様子で近くのソファに腰を下ろす。その隣に必死に癖毛を直している小梅とまほが座った。

「いい加減諦めなさいよ。」

「だって~男の子の前でこんな髪型見せたくないよぉ。」

「普段と変わらないでしょ。」

「ひーどーいー。」

涙目になりながら小梅がエリカの肩をポカポカと叩く。エリカは面倒くさそうに小梅をあしらいながらコーヒー牛乳を飲んでいた。

「そういえばまほさんのそれも癖なんですか?」

西住姉妹の髪形はとてもそっくりで色を除けばほとんど瓜二つと言っても良いくらいだ。唯一の違いと言えばまほが少しだけ髪の毛が跳ねているところだった。

「ああ、そうだ。どうにもここだけ頑固なんだ。」

気恥ずかしくなったのかあまり見るなと両手で髪を隠す。その仕草が新鮮で少しだけドキリとする。

「良いなぁエリカさんの髪はサラサラで綺麗で。」

「そ、そんなことないわよ…。」

エリカは照れくさそうに自分の髪をいじる。確かに風呂上がりのエリカの髪はしっとり濡れていて照明で照らされるとまるで水晶のように光を反射していた。

「いや、お前髪は群を抜いて綺麗だと思うぞ。」

「あんたね…まあ良いわ。そう言うことにしておいてあげる。」

それはさておき、とまほは小さく咳払いをして春樹に頭を下げた。

「まずは改めて礼を言わせてくれ。最高の戦車を用意してくれてありがとう。春樹。」

「満足いただけたようで何よりです。」

「それとエリカのこともな…。大手を振って祝福できないのが心苦しいが。良かったな、二人とも。」

ほかでもないまほ自身が二人の接触を禁じたのだが、わだかまりが無くなった今は素直に祝福したいという気持ちだった。事情を知っている人間しかいない今のような状況じゃないといけないのが心苦しかった。

「黒森峰の中でも春樹を支持する声が上がっている。自分たちで戦車を管理することの大切さを実感したおかげだ。」

「はぁ…。」

「それに戦車道だけだった私に新しい世界を見せてくれたことにも感謝している。」

「まあ息抜きになっているならなによりですよ。」

「あら、こんなところで奇遇ですわね、一体……にゃあああ!?」

ローズヒップがひょこりと顔を出してそんな4人に近寄った瞬間、素っ頓狂な悲鳴を上げて物陰に隠れてしまった。

「いったいどうしたのかしら?ローズヒップ。」

「きょ…胸筋が…二の腕が…」

遅れてやってきたダージリンとオレンジペコが何を見たのかと曲がり角の奥を覗き込む。そこには浴衣姿の黒森峰の三人と、春樹の姿があった。

…なるほど、確かに刺激が強すぎるわね。

一番手前に座っている春樹は慣れない浴衣のせいか胸元が大きくはだけてしまっている。そして湯上りで熱いのか袖をまくりその逞しい腕やら胸元やらがチラリズムなのだ。日ごろ淑女として何があっても取り乱さないようにしているダージリンでさえも、内心心臓が飛び上がりそうなほどの光景だった。

「春樹さん、女性の前でむやみやたらに肌を見せてははしたないですわよ?」

緊張からかへんてこな言葉遣いで話していることにダージリンは気が付いていない。

「あぁ?そりゃ悪ぅございましたね。」

そう言って春樹は崩れていた浴衣をなおす。その時小さくまほが「あ……」と残念そうな声を出した。

「………。」

「あの、まほs」「私は何も言っていないぞ。」

春樹の言葉を遮るようにまほは口早にそう言う。春樹がじっと視線を送ると彼女は首を横に向け春樹から露骨に視線を逸らしていた。どうにもこの人にはムッツリスケベ的なモノがあるらしい。次からは警戒レベルを引き上げなければ。

「お待たせしました。いやー眼福、眼福。」

春樹が出てから20分ほど経過してから、タオルを肩にかけたユミが出てきた。

「相変わらず長風呂だなお前は。」

「ここの潮湯がねぇあったまるんだよぉ~、それに絶景だったしでつい長湯しちゃった。春樹君が烏の行水すぎなんですぅ。」

ユミも上がったことだし春樹は自室へ戻ることにする。明日に備えてペースノートの確認など、やることは沢山あるのだ。

「それでは明日はよろしくお願いします。ローズヒップ、夜更かしは厳禁だからな。」

「もっちろんですわ!明日は負けませんわよ!」

春樹たちや聖グロリアーナの面々がロビーからいなくなるのを確認してからエリカはまほにジト目を送る。

「隊長、あまりじろじろ人を見るのはマナー違反ですよ。」

「…すまない。」

「あれれ、エリカさん…もしかしてやきもち?」

小梅の発言が癪だったのか整い始めていた小梅の髪の毛を両手でわしゃわしゃと滅茶苦茶にする。

「いーやー!」

「こらこら、人に当たるな。」

自分が事の発端だというのにまほはどこ吹く風でエリカを注意する。

 

 

「じゃあここはロングで繋いだ方が良いかな。」

「ああ、その方が良いな。それともう一つ。1ステのSS1、5のフィニッシュの先。結構大きな穴があっただろう?」

PCを操作してレッキの時に撮影した車載動画を巻き戻す。フィニッシュ看板を過ぎて初めに来るコーナーの内側に、アスファルトがはがれて出来た穴があった。

「ああ、ここね思ったよりも深かったよね。…どうする?」

「ノートにコーションだけつけてくれれば大丈夫だ。足も固いし、ブラインドだけどこのコーナーも緩い。外側を走るよ。」

「ん、りょーかい。よし、こんなもんかな。」

春樹の言う通りに書き直したペースノートをぱたんと閉じて、ユミは大きく背伸びをしながら布団に倒れ込む。そしてそのまま寝息を立てはじめた。

「相変わらず寝つきの良いヤツ。」

他のグループも布団に入っているのをちらほら出てきた。ユミに布団をかけなおして、春樹も自分の部屋に戻る。

 

 

「これから無線の最終確認を行う。ガイドライン2-1に沿って各ポジション連絡してくれ。」

「SS入口、ストッパー感度良好です。」

「TC1問題ありません。」

競技区間の閉鎖や、役割の場所に人員が配置されているか、無線はきちんと通じているかなどの最終確認を行う。無線局の管理は沙織が担当していた。

「一部無線が繋がりにくい場所があります。こちらの声は届いているみたいですが…。」

事前に確認していた通りなので、まほは沙織に別の無線の電源を入れるように指示をする。

「HQからラジオ1へ。ラジオ2に予定通り無線を切り替えるように連絡をお願いします。」

「ラジオ1了解いたしました…。」

ザザッと雑音が聞こえてからしばらく経過する。

「こちらラジオ2。HQ無線取れますか?」

先ほどとは比べ物にならないほど鮮明に声が聞こえるようになる。

「ああ、問題ない。そこから他の場所との連絡はどうだ?」

「ステージ内のすべての無線取れます。問題ありません。」

「了解した。」

これですべての箇所との連絡は問題ない。あとはつつがなくセレモニアルスタートが行われるのを待つだけだ。

「審査委員長、時間です。」

「了解した。」

桃に連れられてセレモニアルスタートが行われるステージに着く。すでに観客席は一杯になっていることから、その注目度が伺える。地元のテレビ局も来ているようで、地方ラリーにしては注目されているようだ。

「それではお待たせいたしました。ただいまからセレモニースタートを行います。まずはゼッケン番号1号車。継続高校TCランサー、本田選手、ユミ選手!」

坂道を上がり水色の車体がステージに上がる。

「今回初めて行われる大会ですが、感触はいかがでしょうか?」

「そうですね…攻めがいがあり楽しいコースですよ。個人的には二日目のダートコースが楽しみですが。」

「後ろにはこわーいお嬢さんたちが控えてるのでね。必死に逃げようと思います」

まほが旗を揚げるとそれに合わせて春樹も車をスタートさせた。観客に手を振りながら駐車場を後にする。当たり前だが大洗の白い旗がダントツで多く、その次は聖グロの赤、あとはどっこいと言う感じだった。

「戦車道からしたらマイナーなんだな。うちの学校は。」

「それじゃあ今日はいっぱい見てもらおうね。」

この2日間は嫌でも水色の車をたくさん見ることになるのだ。名前くらいは憶えてくれるだろう。

 

「さてと、そろそろスタートかしらね。」

山頂から双眼鏡で下の様子を観察すると、色とりどりのラリーカーたちがまるでパレードでもするかのように道路を走っていた。もう少しで林道に入り、競技が始まる。

実際にラリーが行われる競技区間の全体を指揮するエリカは、もう一度エントラントリストを確認する。総勢40台もの車が今からこの山を走り出すと考えると、圧巻の一言に尽きる。それと同時に安全に2日を終えることが出来るのは現場を指揮するエリカにかかっていると実感する。少しずつ緊張感が高まってくる。トランスミッションのギアの音、タイヤが擦れる音、マフラーの排気音、次第に林道が非現実の世界へと塗り替えられていく。

「スタート、9時50分、0号車通過。」

大学自動車連盟から要請したランサーエボリューションⅨが勢いよくスタートする。スーパーチャージャー特有の甲高いノイズを響かせながら、曲がりくねった上りの勾配をすさまじいスピードで駆け上る。

「ラジオ1、0号車通過、」

スタートしたおよそ2分後に最初の中継地点で通過報告を受ける。スタートからラジオ1までおよそ2キロ。つまりは毎分1キロのペースで走っていることになる。あんな狭い道を…。

ヒュォォオオ…

タイヤのスキール音が次第に大きくなる。そして青色の車体が少しだけリアタイヤをスライドさせながら通過していく。蹴とばした砂利がここまで転がってきた。

「ラジオ2、0号車通過。」

…毛布を持ってきて正解だったわ。

ちらりと自分の車の方を見ると小石が毛布の上に乗っていた。もし毛布が無かったら多少の傷が入ってもおかしくない。

「フィニッシュ、0号車通過。」

これでいよいよ次からエントラントが出走だ。つかの間の静かな空気が山の中に流れる。これから非現実の世界に塗り替えられるとは思えないほどの穏やかな日差しを感じる。

「スタート、10:00。1号車通過。」

ヒュゥゥゥ……パァン、パァン!

春樹のランサーが山を駆け上る音が徐々に大きくなっていく。上空で何か音が聞こえてきたので見上げると、空撮用のドローンが待機していた。すぐそこまで車両が来ているらしい。先ほどの0号車よりも明らかにペースが速い。

パァン!…ドドドド……。

アンチラグの豪快な爆発音とともに水色のランサーが横っ跳びで現れる。僅かにリアタイヤを流しながら、舗装路と土の境界線をなぞるように消えていった。巻き上げられた砂利がガードレールにあたりゴォォン!と鈍い音が響いた。

「スタート、10:03。4号車通過。」

「ラジオ1、3号車通過」

「ラジオ2。通過無し。」

さあまだラリーは始まったばかりだ気を引き締めていかないと…。1分ごとに通過していく車両よりも気にすべきことは、無線からの通過報告だ。通過確認表と無線、ドローンからの映像を睨みつけるようにして見つめる。今の役割はコースの安全確保と円滑な運営だ。個人の成績を気にかけてる場合じゃない。

 

「…速いな。」

午前のセクションが終了し、春樹の順位は4位だった。ローズヒップがトップで次に大洗のGDB、サンダースのランサーエボリューションXと続いていた。流石に太いタイヤを履ける利点か、高速セクションは目に見えて差が開いている。午後は先ほどのセクションを一気に走り抜けるロングSSが控えている。午前以上の長い集中力と体力が必要とされる。こうなると一発の速さよりも、ロスのないアベレージスピードのほうが大切になってくる。

「バネを1キロ下げよう。タイヤは予定通りこのままでいく。」

「タイヤもつかなぁ…。」

ユミがタイヤハウスからのぞくターマック用のタイヤを心配そうに見つめる。

「もたせる。安心しろ。」

レギュレーションで使えるタイヤの本数は、今回のターマックと複合するときは12本までと定められている。明日のグラベルに備えて、今日はタイヤを交換しない作戦だった。そうすれば明日のグラベルステージで8本のタイヤを使うことができる。こういうラリーは初めてだが、不思議とおちついていた。大丈夫だ、まだ射程範囲内。やりようはいくらでもある。

 

 

「30/3L~4L ^ 6Rl」

1本目は出来るだけタイヤをセーブさせる走りを心がける。Vの字に走行ラインを描き、横のGを減らす。それでも、コーナーの入り口で勝手に車が外に逃げていく。

やっぱフロントがきつくなるよな…。

「キンクス50 4Rロング 20」

下りのセクションは出来るだけブレーキを踏まずに直線のラインを取る。

バサバサ…!

道路脇の茂みを掠めバサバサと音を立てる。

ガリガリガリ!

コンクリートの壁とホイールが掠れて嫌な音が響く。それでも臆することなくギリギリのラインを通る。

フィニッシュ。ストップでタイムカードを受け取り、ゆっくりと山道を下る。

「どうかな…?」

「タイムは変わらないだろうな。タイヤを入れ替えよう。」

「ん、了解。」

道路脇の広場で車を停めてタイヤ交換の準備を始める。

春樹がタイヤの摩耗を確認している間にユミがフロントとリアタイヤのホイールナットを緩め、ジャッキアップをする。右側の前後のタイヤが浮いたところですかさず、春樹がフロントタイヤを外す。ユミも同時にリアタイヤを外し、前後のタイヤを同時に入れ替えた。反対側も同じ要領で交換し、ジャッキを下ろす。

「終わった!」

「よし、行くぞ。」

再びランサーのエンジンに火が入る。その間わずか5分であった。それでも後続のローズヒップとツチヤに抜かされてしまった。

「次のスタートまで余裕はあるからあわてずにね。」

「おうよ。」

リエゾン区間を走り、次のTCにたどり着く。先についていた2組にタイヤはどうかを聞いてみると、やはり摩耗はきついらしい。2組は前の2本を新品に交換したようだ。

「よし、行こうか。」

タイムコントロールに侵入し、タイムカードを提出して次のスタート時刻を受け取る。

「14:40分予定。」

次のスタートまでの短い区間で軽くブレーキを踏みながら車を進める。そうすることで、ブレーキの熱を使いタイヤを出来るだけ温めておく作戦だ。

「40分で確定だよ。」

「了解。」

スタートラインまで車をゆっくりと進めて停車させる。シートベルトをもう一度確認。ゆっくりと深呼吸をしてからアンチラグのスイッチを入れる。その瞬間アイドリングが3000回まで上がり、車内に響く音が大きくなる。

「15秒前…」

クラッチを踏み込み1速に入れる。

ガキン!

「10秒前」

サイドブレーキを引きブレーキを放す。

「5,4,3,…」

アクセルを踏み込む。

「1、スタート」

フォォォオオ、パ、パ、パパン!

サイドブレーキを放す。最低限の半クラッチでタイヤを転がし、すぐさま完全にクラッチを繋ぐ。その瞬間暴力的なトラクションが襲い掛かってくる。

「L4~L3キープイン、R4カットイン、50」

後半きつくなる左コーナーをアウト、イン、インで駆け抜け、次の右コーナーを最短距離で駆け抜ける。出来るだけタイヤを温存しつつタイムを少しずつ上げていく。タイヤを入れ替えたおかげで、幾分かはましになってくれた。しかし、いつタイヤが終わってもおかしくない状況であることには変わらない。出来るだけ摩耗が少ないリアタイヤに仕事をさせる。

 

 

大洗駅前が最終SSのスタートだ。歩道には見物客が所狭しと集まっている。4輪ともタイヤはなんとかグリップしている感触は残っている。ギリギリ予定通りのペースでラリーが出来ていた。

「5,4,3,2,1、スタート!L4ストレート400」

最終SS、ここでタイヤを使い切る…!

先ほどよりも明らかに前後左右のGの変化が大きくなった。目の前を流れる景色も少しず狭まる。ユミも必死に春樹のペースに食らいついていた。ステアリングを切る量に対してタイヤが反応する速度が明らかに遅い。グリップする荷重を感じ取りタイヤの潰す量を加減する。そうすることでギリギリまでハイペースを維持していく。

そろそろ帰ってくるところか…。電波時計を見てからまほは窓の外を眺める。最終SSはマリンタワーでも見える区間を走る。大洗駅からきらめき通りを一気に下り、マリンタワー前の交差点に設置された巨大なパイロンをぐるりと一周する。イベントステージの方向へ駆け抜けてフィニッシュ。派手な破裂音とタイヤスモークを上げながらスピードを落とした。

「1号車、9分58秒38」

「10分を切ってきたか…。」

春樹たちが唯一10分を切ってフィニッシュをしていた。これでレグ1で3位に浮上するのだった。継続のエースが負けるかもしれないと、会場内がざわつきだした。見間違いではないかと大型スクリーンに視線があつまる。どこかの雑誌の取材だろうか、少しだけ春樹の車の周りに人だかりができる。

―途中でミスがありましたか?

「いえ、ミスは無いです。車の調子も良いので、単純に上が速いですね。」

―明日のグラベルが勝負ですか?

「ええ、久しぶりに砂利掃除から解放されますよ。」

飄々と答える春樹の表情は曇ることは無く、むしろ楽しそうでさえあった。day1が終了し各々明日のダートに備えて準備を始める。サスペンションを更換して、アンダーガードやマッドフラップを取り付け、春樹のランサーはECUも書き換える。

「春樹君、下回り終わったよ。」

「了解、こっちももう少しで終わる。買い出しは?」

「さっき帰ってきたよ。もう下ごしらえ始めてる。」

「……よし、これのテストが終わったら俺たちも手伝おう。」

セルモーターを始動させてECUがきちんと書き換わったかを確認する作業に移る。回転数を上げていき、A/F値を最適値に合わせる。

「こんなもんだな…。」

明日は得意なグラベルだ。今日の差をひっくり返すにはそれしかない。

…それにしても早くなったな。タイヤの幅の差とは考えられない。ローズヒップやツチヤは確実に早くなってきている。それがとても楽しみで仕方がなかった。しかし、負ける気はさらさらない。まずは腹ごしらえだ。

「部長、味見お願いします!」

「おう、任せとけ。」

既にテントの方からはカレーのいい匂いが漂っていた。小皿に入れられたカレーを味見する。

「贅沢を言うならもう少し野菜のコクが欲しいな。」

ビニル袋から見える野菜を吟味する。そして奥の方で姿を隠していたセロリを引っ張り出す。おそらくサラダ用に買ってきたのだろう。

「良いものあるじゃねーか。」

「え、それ入れるんですか?」

セロリが苦手な人も少なくないが、折角のカレーにあの独特な風味が足されてしまうのではないかと心配する声が上がる。

「大丈夫だ。匂いは煮込めば消えるから。」

訝し気な顔をする部員をよそに春樹はみじん切りにしたセロリを丸々1本分入れてしまった。それを煮込むこと10分少々、再び味見をする。

「良い感じだ。ほら、食ってみ。」

味見をさせると少しだけ驚いた顔をする。

「全然違いますね…。流石です。」

「米も炊けたんだろ、飯にするか。」

作業を中断させて全員ぞろぞろとカレーライスを受け取りに行く。

「春樹君日没が見えるよ!」

水平線に太陽が沈むところだった。じわりじわりと海面に写る太陽が水平線を境界に吸い込まれていく。オレンジ色に染まる空が徐々に紫色に代わり、濃い藍色へと移り変わる。

「こうしてちゃんと日没見るの初めてかも。」

「まあわざわざ学園艦の先端まで行く気にはならないよな。」

「明日勝てる?」

「勝つ。」

「強気だねぇ。」

笑いながらカレーを食べるが二人の内心は悔しさの炎が燃え上がっていた。必要であれば負けることも許容できるが、勝てる戦いで負けるのだけは絶対に嫌な二人である。ピリピリとした空気が次第に強くなり、気が付けば近くにいた部員たちはテントのほうへ移動していた。

「おかわり貰ってくる。」

「私も。」

二人の周辺に人気が無いのは決していい雰囲気で邪魔できないわけでは無く、ただ単に殺伐とした空気に誰も近づけないからである。だからカレーをよそう後輩の手が震えているのも仕方がないと言えよう。

 

 

 

reg2はreg1での順位でスタートする順番が決まるため、久しぶりに後ろからのスタートに新鮮さを感じた。目の前には赤色のWRXと白色のインプレッサがスタートを待っている。

「砂利欠きするのも飽きてきたからな。楽しませてっもらおうか。」

前を走るローズヒップとツチヤの走行ラインを見ながらアクセルを踏み込んでいく。前を走る二台は実に対照的な走行ラインを描いていて実に面白い。ツチヤは基本に忠実なアウトインミドルの走行ラインであり、ローズヒップは高速コーナーを重視した走行ラインで、時にはアウトに大きく膨らむこともあった。極力コーナー速度を落とさないように、と言うことだろう。

「舗装路では分かるが、砂利でこのライン取りするか普通…。」

一歩間違えればアウト側へ膨らんでコースアウトする可能性だってある。SS1終了後のタイムはローズヒップが1秒の僅差で勝っていた。相当な無茶をしてたたき出したタイムであると予想される。

SS2を走り切り、ストップでタイムカードを受け取ると、オフィシャルをしていた黒森峰の生徒の顔色が優れない様子だった。

「2号車がコース上で止まっていませんでしたか?」

コース上でマシンが停まっていたらすぐさまユミがノートにメモを取っているのだが、ユミも首を横に振る。

「いや、見てないな。」

「そうですか…ありがとうございます。」

次のSSのTC手前では大洗のインプレッサしか止まっていなかった。ツチヤとナカジマ曰く、最初から聖グロリアーナのWRXはいなかったらしい。途中で何らかのトラブルが起きてストップしているなら、すぐにオフィシャルに報告が出来る。しかしコース上でローズヒップたちの赤いWRXは止まっていなかった。嫌な予感がしてならなかった。しかし、選手としてできることが彼女たちの無事を祈るだけだった。

 

2号車が消えた。トラッキングをしていてそれはすぐに気が付いた。フィニッシュで2号車の通過報告を受けないまま後続である大洗の3号車が来たからだ。後続のフィニッシュ時刻を確認する。おおよそ1分ごとにタイムが刻まれいて、大幅に遅れている車両は無い。となるとコース上に邪魔にならない場所で止まっているのだろうか。

「山長からフィニッシュ、次の1号車に2号車は見ているか確認して頂戴。」

「こちらフィニッシュ、2号車の姿は確認できていないそうです。」

あらかじめ予想していた事態が実際に起こっていると感じ取る。

「こちらステージコマンダー。レッドアラートを宣言。繰り返します。レッドアラートを宣言します。」

レッドアラート。直ちに競技を中断し選手並びに、コースの安全確保を最優先にした行動をとることを意味する。コース内に待機しているオフィシャル達に緊張が走る。

「スタート、9号車のスタートを中断しました。レスキューいつでも出せます。」

もう一度通過確認表を見る。2号車はラジオ2までは来ている。となると、ここからフィニッシュの間でトラブルが起きているはずだ。

「ステージコマンダー了解。ラジオ2からフィニッシュの間で、少しでも異変を感じた方がいれば報告して下さい。」

「こちらメディアポイントストッパー。メディアの方が何かがぶつかる音が聞こえたそうです。」

その報告を受けて事前に調べたコースアウトの可能性があるポイントのリストを取り出す。メディアポイント周辺で該当するコーナーは2か所あった。

「こちらフィニッシュ、8号車通過。」

これでコース内に競技車はいなくなった。

「ステージコマンダーからHQへ一度競技を中断、2号車の捜索を行います。」

「了解した。SS3はキャンセル、新たなスタート予定時刻をすぐに用意する。」

まほのいるHQ内でもざわつき出した。ドローンを報告のあったエリア付近に移動させるが、木が生い茂っており上空からではよく見えない。この時点でHQからサポートできることはかなり限られてくる。今は現場にいるエリカの指示に任せた方が良い。まほの頬に冷たい汗が流れた。

「ステージコマンダーからレスキューへ。セーフティマニュアルの23ページ、T-4、およびT-5を重点的に探して下さい。」

「レスキュー了解。T-4およびT-5を重点的に捜索します。」

レスキュー車両をコースに入れて車両の捜索をさせる。しかし砂利道でタイヤの跡が確認しずらいこともありなかなか思うように進まない。エリカもレスキュー車から送られてくる映像を睨みつけ小さな痕跡も逃すまいとする。T-4は緩い高速コーナーの後に急に狭くなる複合コーナーだ。しかし、何かにぶつかったような痕跡は見つからない。T-5はクレスト(先の見えにくい上り坂)を含んだ右コーナーになっていて、直前がストレートであるので少しでも減速を誤ればコースアウトの可能性があるコーナーだ。

「こちらレスキュー、T-5に到着しました。」

一番外側のタイヤ痕を見つける。もしこれが内側のタイヤだったならば、外側のタイヤは土手に上がっているはずだ。

「こちら山長。レスキューへ、そこから10メートル後ろに下がって。脇にある木がえぐれてないかしら?」

「こちらレスキュー、確認しました。ガードレールにも僅かですが赤い塗料が付着しています。」

これらの少ない情報から出来るだけ高い可能性を導きだしていく。おそらくだがこの木とガードレールの間から落ちていったと考えるのだが妥当だろう。あまり考えられないことだが、消去法で考えればこれが一番妥当な可能性だった。

「ステージコマンダーからHQ,現在レスキューがいる位置にドローンを飛ばしてください。」

「HQ了解。」

エリカの指示の通りGPSでレスキュー者の位置を確認し、ドローンを飛ばす。同じように気が生い茂っているが、そこだけ不自然に木が倒れている場所があった。ドローンの高度を下げて、カメラをズームする。

「こちらHQ、2号車を確認。」

「レスキューからステージコマンダー。ドライバー2名を確認しました。OKサイン出してます。」

「そう…それなら選手だけ回収。フィニッシュからE1を使ってHQまで選手を輸送。」

レスキュー車の映像には木をつかみながら崖をよじ登るローズヒップとダンデリオンの姿が映っていた。レスキューがロープを投げて、補助をする。

「こちらレスキュー、ドライバーを回収しました。HQへ向かいます。」

映像を見る限り二人の体に異常はなさそうであった。ローズヒップの表情がかなり曇っていることから、精神的なダメージの方が大きそうであった。

「こちらフィニッシュ、レスキューが通過しました。」

00カーを走らせてコースに異常が無いかを確認する。

「HQ、競技を再開します。」

「HQ了解。SS3はキャンセル。TC4の通過時刻を新規に送信する。SS3ストップは手元の端末をよく確認してくれ。SS3スタートはストップで通過時刻を受け取ることを忘れないようにと、エントラントに指示をしてくれ。」

「SS3スタート了解です。」

「SS3ストップ了解しました。」

「TC4、先発の2号車と1号車に新しい通過時刻を報告してくれ。」

「TC4,了解です。

 

およそ30分が経過しただろうか、TC4のオフィシャルに競技を再開することと、新しい通過時刻を知らされる。事前にシミュレーションを入念にしていたようで、想像以上にスムーズに再開されたことに驚く。最悪このまま競技が終了することも覚悟していた。

「残念だな、いい勝負が出来ていたのに。」

昨日からローズヒップはかなり調子が良いようで、ターマックでは安定して速いタイムを刻んでいた。二日目のグラベルでもその調子を維持したまま来ることは予想で来ていた。だけどあのライン取りはあまりにも危険すぎる。聖グロリアーナは行儀のよい安全第一ライン取りが前提だったはずなのだが…。

「俺の真似でもしてたか…?」

春樹の走り方も安全に早くが心情になっている。だから今日のローズヒップのような走り方はよほど安全なコーナーでなければ絶対にしないのだが。今思えばそのことをちゃんと彼女たちに伝えていなかった。日に日に早くなっていく彼女たちが嬉しくて、大事なことを見えなくなっていた。だからこれは俺たちの責任でもある。そんなえ事をしているとユミに後ろから太腿をバインダーで叩かれた。

「ほら、切り替える。まだ終わってないんだからね。」

「おう。」

 

 

ステージ3を終えてツチヤとのタイムは15秒まで縮んでいた。

「とりあえずあいつらが無事でよかった。」

「あそこはスピード出しすぎるとジャンプするんだよね。だからコーションつけてあるんだけど。」

サービスパークへ向かう途中のリエゾン区間でそんな会話をする。

「ローズヒップのミスか?」

「それもあるけど…ダンデちゃんがまだ遠慮気味なのかもね。あのコーナーはちゃんとコーションマークが付いてたんだし、そこはコドラが制してあげないと。」

サービスパークへ戻ると、隣の聖グロのテントに二人の姿が見えた。

「セットはそのままで大丈夫だ。増し締めだけしっかりしてくれれば良い。」

春樹は冷えたスポーツドリンクを3本手に取って隣のテントに向かった。そこにはタオルを首にかけて俯くローズヒップの姿があった。

「おい」

春樹の声に顔を上げたローズヒップは今にも泣きだしそうな表情をしていた。スポーツドリンクを放り投げると慌てた様子でそれをキャッチする。

「体は無事か?」

「………。」

ペットボトルを両手に持ち、弱弱しく頷いた。

「すみません、心配おけしました。」

右手に包帯を巻いたダンデがテントに戻ってきた。

「その手はどうした?」

「中指と、薬指を骨折したらしいです。」

本人はあっけらかんとしているが、ローズヒップの顔がゆがむ。立ち上がってダンデリオンの前で深々と頭を下げた。

「ごめん…私がもっと冷静になってれば……。」

「あれだけ崖から落ちて、二人ともこれくらいの怪我で済んでよかった。車はまた直せばいいからって部長も言ってたよ。」

「ダンデをここに連れてきたのは私。その怪我の責任は全部私に―」

「これでやめるなんて言ったら私、あなたをここで蹴り飛ばすから。」

「………。」

ローズヒップの前にタイムカードを差し出す。

「見て、1日目は私たちがトップ。二日目も全然問題ないタイム差だった。」

「でも……師匠の方が早かった。何かしないと逆転されてたかもしれない。」

「今日のローズヒップは凄く調子が良かった。このままなら全然勝てるタイム差だったよ。でも…なんであんな無茶な走り方したの?」

諭すような言い方をするダンデリオンの肩をローズヒップが掴む、

「仕方ないでしょ!ああでもしないと勝てないんだ!昨日二人で約束したでしょ、今日二人で優勝するんだって!」

でも…と小さく呟きローズヒップは自分の肩いて小さく震えた。

「怖かったんだ…どんなに攻めても削られるタイム差が…。」

「確かに早かった。怖いくらいに。それでも肉薄するローズヒップはは凄かったよ。私じゃ釣り合わない気がしたもん。あそこで引かせられなかった私が自信なかったから。」

ローズヒップが自身の肩を握る手に力が籠められる。

「そんなこと言わないでよ…私の隣はダンデだけしかいないもん。」

ダンデリオンはローズヒップの頭を抱き寄せた。

「ありがとう。じゃあもっと早くなろう、二人で。もっと。」

「うん……うん…!」

小柄なダンデの腕の中でローズヒップは大粒の涙を流す。春樹はテーブルに端末を一つ置いてそっとテントを出ていく。

「どうだった?」

春樹は無言で頷くと、ユミは察したようで「良かった」と優しく笑った。そしてすぐに険しい顔に変わる。

「タイム差は15秒、2ステは全部で30キロ。0.5秒/Kmが最低条件。やれる?」

「ああ。」

給油を行い、4輪すべて新しいタイヤに履きなおす。1つの大会で使用できるタイヤの数は限られている。だからこのためにday1はタイヤを温存したのだ。

 

 

最終SSを前にして大洗インプレッサとの差は9秒まで短縮していた。着実に追いつてきている。

「よし、ちょっと気合い入れて走るか。」

「うん、任せて。」

互いに気合を入れなおして目の前の白いインプレッサを見つめる。地の利があるとはいえここまでグラベルで肉薄してくるのは、日ごろの彼女たちの練習のたまものだ。この二日間後ろからインプレッサを観察していたからわかる。ECUのセッティングもいい方向に煮詰められているようだ。彼女たちは全力で勝ちに来ている。だったらそれに全力で応えなければならない。

「5,4,3,2,1,スタート。」

スタート直前は軟質な砂利道で固い道を瞬時に判断しなければならない。今日一日でかなりの砂利が掻き上げられたのか、轍が見え隠れしている。春樹はコーナーの脱出で轍にタイヤを引っ掻けスピードを稼ぐ。轍の深さや形はコーナーによって多種多様で、使い方もその都度変えないといけない。春樹は地面の色から瞬時に轍の形を判断しなければならない。それに対してツチヤはどのコーナーの轍がどんな深さなのかを熟知している。そこがこのタイム差なのだろう。しかし最終SSは戦車の搬入で使われている専用道路であり、普段は自動車が入ることができない道だ。地の利のアドバンテージが薄れる、このSSでしか逆転のチャンスはない。ローズヒップは今日勝ちに来ていた。今日ここで壁を一つ越えようとしていた。しかしそれは目の前で崩れ落ちていった。乗り越えるべき壁を見失いかけている彼女たちのために、春樹たちは見せつけなければならない。

俺たちはここにいる。ここまでもう一度追いついてこい、と。セクションごとに送られてくるタイム差は常にマイナスを表示していた。

「これで最後のSS、どっちか勝つことやら…。」

初めに白色のインプレッサが走ってきた。コーナー手前からリアを流して次の直線では車体が真っすぐになるように調整する。そして豪快に土煙と上げながら加速していった。

続いて土煙を上げながら水色のランサーがこちらに突っ込んでくる。ブレーキでフロントが沈み込む。リアタイヤを流しながら限界までトラクションをかける。小石を飛ばしてリアサスペンションを沈めながらロケットのように加速する。あんなに綺麗だった水色のボディは土煙でくすんでいた。

僅かに違いがあるがこれが無数のコーナーで続くとあればタイム差が出るのも頷ける。しかしそれでも逆転するには足りない。今日の大洗の二人と車はそれほどまでばっちりはまっていた。タイム差は確かに縮み続けている。しかしそれでも足りない。最後のセクションでタイム差は0と表示される。

「まあ、仕方ないわね。」

エリカの呟いた言葉は大きなエンジン音にかき消されていった。

 

競技が終了し、道路封鎖を解除する。看板や備品はまとめてトラックで回収、撤収準備を終えたところから順送でHQへ向かう。マリンタワーでは表彰式の準備が進められていた。すでにギャラリーは白色の旗一色に染まっていた。どうも地元の人たちで溢れかえっている様子だった。

「備品全て回収が終了しました。」

「了解しました……。さて、後は閉会式ね。」

人手は足りているため、手伝いに行く必要はないのだが気にはなるので様子を見に行く。ちょうど春樹達のクラスが表彰されていた。

…アイツも負けることがあるのね。

いつも表彰台の一番上で笑っているところしか見たことがなかったから。というよりも春樹が負けるということをあまり考えたことがなかった。そりゃ負けることはあるだろうが、いつも自信に満ち溢れていて、勝つための知識や経験が豊富で努力を怠らない春樹が負けるなんてありえない、とまで思っていた。勝ち続けるということがどれだけ難しいことかはエリカもよくわかっているつもりだ。それでも春樹が負けることが新鮮だった。表彰台の上でいつも通り不敵な笑みを浮かべ、振り向いた瞬間だった。一瞬だけ浮かべた悔しそうな表情を見逃さなかった。エリカは無性にそれが嬉しくて仕方がなかった。

…いいもの見せてもらったわ。

 

 

「優勝は大洗鍛造インプレッサ、ツチヤ・ナカジマペア!0.5秒逃げ切り、待望の優勝です!」

大きな歓声に包まれながら白色のインプレッサがステージに上がる。

「やったぞおおおお!」

そして目じりに涙を浮かべたツチヤが喜びを全身で表現する。

「そして最後まで我々を楽しませてくれました、2位は継続高校TCランサー本田・ユミペア!」

続いて水色のランサーもステージに上がる。降りてきた春樹はツチヤ、ナカジマと握手を交わす。

「いやぁ終盤は冷や冷やしたよ。まさかあそこまでタイム差削られるとは思わなかったから。」

「もう一本SSがあったら負けてたね。」

よほど春樹たちに勝てたのが嬉しかったのか、ツチヤとナカジマは饒舌だった。

「学ラリで雪辱を果たします。」

大洗女子学園自動車部。悲願の初優勝を地元、大洗で果たす。全日本学生ラリー選手権大会で10連覇を果たした強豪、継続高校を抑えきり、廃校を免れた大洗女子学園にとって最初の朗報であった。結果的には一番良い収まり方だったのかもしれない。

「お、おめでとうございましゅ!」

盛大に噛みながら華が盾とメダルを春樹とユミに贈呈する。昨日のこともあってか、彼女の顔は真っ赤だった。

「そして副賞は、大洗女学園から干し芋とアンコウ鍋セットが贈られます。」

「後でクール便が届くから楽しみにしててね~。」

今回継続高校はJH2、3,4、6の4クラスで優勝した。優勝を逃したクラスも表彰台には上がれたので、全体の成績は悪くないと言えよう。

「くっそー!スイフトが速い!」

ミラージュでRH2クラスに出場していた生徒が悔しそうな表情を浮かべていた。軽量でターボエンジンを積んだZC33型のスイフトは、このクラスの台風の目になっていた。回転馬力よりもトルク、軽さよりもタイヤサイズが勝負を左右する。今はそんな時代だ。

「4G92もトルクはあるはずなんだけどなぁ」

二日目のグラベルでSS1からいきなり2秒差で負けたことを知った時、春樹は何とも言えない高揚感を覚えた。そうだ、これくらいじゃないと面白くない。やっと壊しがいのある壁がそびえたったような気がした。人間も車も限界まで追い込んだ熾烈なラリーが来年は待っているだろう。そんな予感がした。

 

 

表彰式も終了し、大会組織を解散。大洗から完全に撤収する準備を整える。ほかの学園の生徒たちも続々と学園艦へ車を運び込んでいた。マリンタワー内のテーブル席で、まほ、エリカ、春樹の三人で軽い話し合いをしていた。

「今回は大きなトラブルにも迅速に対応出来て、初開催ということを踏まえれば成功と言っても良いのではないでしょうか?」

「エリカの現場指揮とセーフティーマニュアルのおかげだな。」

「隊長も、迅速な判断と正確な情報の把握は見事でした。」

「今回は情けないところを見せてしまいましたね。勝ちたかったのですが。」

「負けることは決して悪いことではない。これを励みにするといい。」

「どうしても勝ちたかったんですがねぇ。」

「たまには情けないところも見せなさいよ。ていうか見てたわよ、後ろ向いた時の悔しそうな顔。」

その瞬間春樹は頬を引くつかせた。一番見られたくない人間に見られてしまったのは、やはり効くのだろう。エリカはとても満足そうな表情を浮かべた。

「今回は大半を画面越しで見ていたが、やはり近くで見たほうが迫力があるな。」

「現場は現場であまり見てる余裕は無いですよ。」

「まほさん、ラリーに興味持ちましたか?」

少しだけ、とまほは肯定する。

「何なら選手として出てみましょうよ。計算ラリーなら車の改造は必要ありませんし。」

「なんだそれは?」

「通過時間の正確さを競うラリーです。普通の改造していない車でも出られますよ。」

「そんなものもあるのか…。自動車競技の世界も奥が深いな。」

前向きに検討してみようとまほは真剣な表情で頷く。彼女も着々と自動車に興味を持ちつつあるようであった。

 

学園艦へ戻ってきて早々行方不明だったミカ達が帰ってきたという知らせを受けた。どうやら無人島に漂着し、そこで救助を待ち続けていたらしい。BT42の燃料とバッテリーを使い、不要な配線を引きずり出して無線機の出力を強化することで救難信号を発信し続けようやく救助されたと聞いた。

「ハル…ただいま…。」

家に入ると、まるで初めて会った時のようにやせ細り、ぼろぼろになった状態のミカが出迎えてくる。これには流石の春樹も驚いた。ゾンビのごとくよろよろと手を伸ばし、抱き着こうとするミカの頭を掴みなんとか制止する。

「とりあえず風呂に入ってこい。まずは栄養のある食べ物を食って、温かくして寝ろ。」

「ありがとう……愛してるよハル。」

よほど無人島生活がこたえたのか、ミカは意味不明なことをつぶやきながらふらふらと風呂場へと消えていった。その間に、野菜たっぷりの鍋とハムカツを準備するのだった。

「やっとハムカツ生活から解放される…。」

野菜を煮込みながら、安堵のため息をつく春樹だった。

 

場所が変わり、島田邸の大広間にて二人の親子が夕食を取っていた。母親の表情は、どこか焦っているようにも見える。対して娘の方は淡々とスープを口にしていた。

「ねえ愛里寿、本当にあの学校で良いのかしら?」

「あそこには春樹がいる。何かあったら彼に頼れば良いから。」

大洗女子学園での短期編入を途中で切り上げてしまったため、次の転入先をどこにしようかという話題だった。あの試合に参加していたBT42の動き方から、とても懐かしいものを感じていた。掴みどころのない動きからの鋭い攻め込み方。あの戦車乗りの正体を知らなければならない。だから確かめに行くんだ…。

「お母さんは聖グロリアーナが良いと思うんだけどなぁ。」

「あそこの隊長嫌い。何考えてるか分からないし。」

「それじゃあせめてサンダース…。」

「うるさいのは嫌い。」

それに…と愛里寿は母の顔をじっと見つめる。その眼は必ず自分の目的を達成しようとする、確固たる意志を感じる。

「これは…私の人生で大切なことだから。」

「……。」

そう言って、かつてこの場所にいた少女は去っていった。そして娘の愛里寿も同じ言葉を使う。

「分かったわ…。困ったことがあったら、すぐに彼を頼りなさい。」

「うん、ありがとう。お母さま。」

 

 


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