継続高校自動車部   作:skav

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9連覇編
敗北


「やあお帰り。」

家に帰るとミカがベッドの上でカンテレを弾いていた。

「今日も早いな帰りが。」

「ハルはむしろ遅かったんじゃないかな?」

「いつも通りだよ。」

はぁ…。とため息をついて春樹は買ってきた食材を冷蔵庫に押し込む。

最近ミカの帰りが早い。黒森峰の出張はミカが殆ど無理やり仕向けたことだが、学生ラリーと被ったことは頭になかったようだ。

実質2か月の間ミカは食事関係を自前で調達しなければならなかった。追加の食費を渡したので問題は無いはずだった。しかし食料の調達はできても調理ができないミカにとっては不便な生活が続いた。

春樹が帰ってきたとき若干やつれたミカを見て慌てたことは言うまでもなかった。

昨日作っておいたカレーを温めているといつの間にかミカが春樹の後ろに立っていた。

「まーだトラウマ引きずってんのかよ。」

「人間は食べなければ死んでしまう生き物だからね。」

「…つーかこの構図普通男女逆だろ。」

「遠目に見れば違和感ないんじゃないのかな?」

「それ暗に馬鹿にしてるな?」

ミカはそんなこと無いさと言って再びカンテレを弾き始めた。

 

学ラリが終われば、次の継続高校の話題は戦車道に移る。

黒森峰から送られた三号突撃砲がある。今年こそは行けるのではないかと、彼女たちは期待に満ち溢れていた。

「ええ!初戦から黒森峰と当たるんですか!?」

そんな声が響き渡った。

「いやぁ私も驚いたんだけどね…面目ない。」

ミミが申し訳なさそうに肩を落とした。

前人未到の10連勝が掛かっている黒森峰は格下相手だろうと全力でかかってくるだろう。

それこそ前回の練習試合よりも確実に容赦なく。

「問題は三突をどう使うかだよね…みんなはどうしたい?」

「出力は犠牲にしても良いのでもっと低く、もっと射撃の精度を高くしたいです。」

「お、それ良いね!じゃあ早速改造に取り掛かろうか、本田くーん!」

「へいへい。」

呼ばれることが分かっていた春樹は、既に作業着に着替えていた。

「実はね聖グロから17ポンド砲が送られてきてね。」

ゾクッと春樹の背中に寒気が走った。嫌な予感がした。

「へ、へ~そうなんですか…それは感謝ですね。」

「つきましては戦車道大会が終わった翌月に、本田君には聖グロに行ってもらうわ。」

またかと春樹は肩を落とした。

ウチが貧乏なのも分かっているし、悪くない条件なのも頷ける。しかし、なぜまた自分なのだろうかと愚痴をこぼす。

それほどまでに戦車道の整備力は落ちて行ってるのだろうか。それで本当に戦車道は成立するのか?

まあ良い、今度も思う存分練習させてもらうまでだと気持ちを立て直す。

「ただでさえ普段どこにいるのかわからないって言われてるんだから、交流して知名度上げなきゃ!」

「今度は極力期間短くしてくださいよ…。」

また一か月なんて言われたら今度は同居人が野たれ死ぬかもしれない。

「分かってるって、今回も車持って行って良いって!」

「そりゃどーも。」

そうでなければ絶対に行かないからなと春樹は呟いた。

 

 

「まさか初戦で継続高校と戦うことになるなんて…。」

「直接彼と戦う訳じゃない。変に気負うことは無い。」

綺麗な陣形を保ちながら黒森峰陣は高原を進行していた。

あの試合の様子から考えて継続はあまり陣形を取らずに個々の能力に任せた行動が多いようだ。

黒森峰の集団で一気に叩く戦法とは真逆の作戦だ。遠方に継続の戦車たちが見える。

「また森林に入れられたら厄介だな…。エリカ、足止めを頼むぞ。」

「はい!」

エリカの隊が前進し、砲撃を始める。

あちらも気が付いたのか、まるで蜘蛛の子を散らすように散開していく。

「くそ、厄介な!」

こうも散らばられては狙いが定めにくい。こうなったら包囲網を狭めるしかないと、エリカが指示を出そうとした時だった―

『青小隊一両大破!』

まほが率いる小隊の内一両が撃破されたという無線が入ってきた。

「何ですって!?…ぐぅ!」

慌てたエリカが注意をそらした瞬間、車内を衝撃が襲う。

「報告!」

「3両履帯破損、森に逃げられました!」

「ちっ、すぐに修復するわよ。」

あちらの状況が気になるが、まずはすぐに復帰する方が最優先だった。

 

『三突、一両撃破しました。』

「よし、まずは上々ね」

無事森林に隠れることができた俊足勢を見送る。

「よし、あっちの中隊が動けないうちにフラッグ車を狙うわ。長引かせればウチが不利なんだから!」

『じゃ、先行くよ。』

ミカが車長を務めるBT-42が真っ先に森を飛び出した。

 

「3時方向、BT-42が4両接近!」

森の中から飛び出してきた相手の車両が真っすぐこちらへ向かってきた。

「短時間で勝負を決めるつもりか…みほ、迎え撃つぞ。」

「了解!」

総勢7両の戦車たちが一斉に砲を向ける。その瞬間ジグザグに不規則な軌道に変わる。

「feuer!」

雷鳴のような砲撃音が轟く。一台に命中。尚も真っすぐこちらへ突っ込んでくる。

ガン!

「くっ…!」

エリカの足を止めたものと同じと思われる砲撃がまほの乗るティーガーⅠの履帯に直撃した。

「履帯損傷!修復間に合いません!」

キューポラから頭を出し、相手フラッグ車を探す。こちらへ来るBT-42の中にはいない。

「こちらエリカです、相手フラッグ車発見!」

こちらが身動きが取れない今、エリカに任せるしかない。

「エリカ、頼む。」

「はい!」

 

まほからの通信を切り、エリカは目の前の三両を睨みつける。

旗をつけた三号突撃砲をKV-1とBT-7が取り囲んでいる。

機動性の高い戦車と防護力と砲撃力に優れる戦車を同時に相手にしなければならないのだ。

「恐らく戦車の状態と操縦技術はこちらより上…。」

そして読めない相手の戦術。しかし、このまま立往生をしていてはまほが撃破されてしまうかもしれない。

「…いや、このまま行くか。」

確かにあちらの操縦技術は優れているのかもしれない。だが、それだけだ。

戦車の運用に必要なのは何も操縦技術や整備技術だけではない。

「ちょっとエンジンに負荷駆けるわよ、計器にも気を配って。」

「了解!」

「二番、BTの後ろの木を狙って!三番、砲撃と同時にKVの背後に回って。プラウダのKVよりも俊敏なことも頭に入れておいて!」

「了解!」

三両はまだこちらに気付く様子はない。狙うなら今だ。

「feuer!」

パンターG型から放たれた砲撃は木のやや右側をかすめる。その影響でで左側に倒れた巨木は真っすぐBT-7の方に直撃した。

シュパッ

走行不能を告げる白旗が上がる。

突然の攻撃に慌てたKV-1が応戦するためにこちらへ砲口を向けるが、すでにその背後にはもう一両のパンターがいた。

砲撃。しかし、装甲が厚いせいで一発では致命傷には至らなかったようだ。

そしてエリカのティーガーⅡは真っすぐ三突の方へ向かう。

それに気が付いたKV-1が自身を盾にするためかエリカの進路を遮ろうとする。

「遅い!」

限界ギリギリまでエンジンに負荷をかけたおかげか、寸でのところでKV-1をやり過ごす。

「もらったわ!」

超至近距離からエンジンルームを打ち抜いた。

 

「継続高校フラッグ車走行不能、よって黒森峰女学園の勝利!」

 

「ふぅ…終わったか。」

無事に終わった安心感から、春樹の口からほっと息が漏れた。

気が付けば残った車両はミカのBT-42とミミのKV-1だけだった。

「また…修理する日々か…。」

特にエンジンルームのど真ん中をやられた三突は面倒くさそうだった。あれは応急処置でどうにかできるものでもない。

「KV-1で引っ張れば良いか…。」

それ以外の車両は連盟の応急処置でとりあえずは走れるだろう。

 

「礼!」

「「ありがとうございました!」」

 

挨拶を終え、継続高校は帰りの支度を始める。

集合時間まで時間があるため、春樹は戦車の搬入作業をぼーっと見つめていた。

「……っ」

「はぁ…三突はもう少し早くならねーのか?」

「……っと!」

「こうなりゃもうエンジンも換えるか?バレないようにするには…。」

「ちょっと!」

突如背後から肩を掴まれる。

「…あぁ?なんだよ逸見エリカ。」

「気づいてるならさっさと返事しなさいよ本田春樹!」

「それはそうと、良い整備だったな。ちゃんと想定馬力がでているようだし。大したもんだ。」

「へ!?あ、あぁ…ありがと。」

威勢よく突っかかってきたエリカだったが、春樹の思いもよらない言葉に歯切れが悪くなる。

「で、わざわざ後片付を任せてそれなりの距離を車も使わず走ってきたからには何か用事があるんだろうな?」

「な、なんで分かるのよ!」

挨拶が終わって間もない。そこそこ融通が利く立場。そして上気した顔と荒く上下する肩で推測はできるだろう。

確証は本人の口から得たわけだが。

「お前、本当に体力ねーな。少しは鍛えろよ。」

「あんたこそ…もう少し、はぁ…身長伸ばしたら?」

二言目には暴言が飛ぶこの会話にも慣れたものだった。

「悪かったわね今日は。面倒なとこ打ち抜いて。」

「勝負だから仕方ないだろ。ま、改造する機会ができて良かったんじゃねーの。…でも、やっぱ黒森峰は強いな。」

「操縦だけじゃ勝てないってことよ。」

当然でしょ?とエリカは腕組みをしてしたり顔をする。

「はいはい、じゃあ次も頑張れよー。」

カンテレの音色が聞こえてきたので、急ぎ足で集合場所へ向かった。

「あっ……。!?」

思わず漏れてしまった落胆の声にエリカは自分自身で驚いていた。

 

 

初戦で敗退した継続高校は比較的ゆっくりとした時間を過ごしていた。

戦車の整備をしなければならないのだが、大会の最中であるため試合の予定もなく急ぐ理由も無い。

「あっちは雨か…。」

春樹とミカは家のテレビで決勝戦を見ていた。

カードは黒森峰女学園とプラウダ高校。どちらも強豪校だ。

現在黒森峰は二つの舞台に別れ、エリカとみほが率いる中隊は崖のような狭い道を進んでいた。

「おいおい…あんなところ進ませるのか?」

土壌がむき出しの道は雨が降って余計に崩れやすいはずだ。

「理にはかなってるんじゃないかな?あそこを進めば背後を取れるはずだから。」

「だからって…。」

先頭にはエリカが、その後方にはフラッグ車のみほという隊列でゆっくりと戦車が前進していく。

その時だった―

エリカがのるティーガーⅡの足場が崩れだした。

「まずい!」

後ろのみほ車はなんとかとどまったが、エリカ車は川に転落してしまった。

「救援隊は…間に合うのか?」

「この雨じゃヘリコプターも難しいだろうね。」

「…くそ!」

ティーガーⅡはどんどん沈んでいく。このままでは車内に水が侵入してくるのも時間の問題だ。それにあれでは水圧の影響で中から開けることは困難だろう。

黒森峰は西住流の影響を強く受けた学校だ。”この程度”では進軍を指示するだろう。

何よりフラッグ車は西住流の生まれである西住みほである。

「…風が変わったね。」

「……?」

ミカは何か確信めいた発言で画面を見つめていた。

そこには車外から降りたみほの姿があった。そして迷わず濁流の中へと飛び込んでいった。

そしてロープで生徒たちを救出していく。

「何やってるんだあいつは?」

「だから変わったんだよ。風がね。」

最後にエリカと共に車外から出てきたところで

「黒森峰フラッグ車走行不能。プラウダ高校の勝利!」

正面から現れたプラウダの車両に撃破されてしまったのだった。

これで黒森峰の10連覇は無くなった。西住流の顔に泥を塗ったのが、西住家の人間だったのは予想外だったが。

「……はぁ。」

しかし、春樹は安堵の息を漏らした。

「良かったと言って良いのか?」

「良いんじゃないかな?少なくともハルにとってはね。」

「まあ、そうだけどな。」

だがこれから西住姉妹は苦難の道が待っているだろう。それに―

「アイツも苦しむだろうな。」

画面上には雨に打たれながら俯くまほの姿があった。

 

 

「ごきげんよう。本田春樹さん。今日から一週間よろしくお願いします。」

「ええ、こちらこそ。ダージリンさん。」

「お顔が優れませんが、どうかなさいました?」

「いえ、大丈夫です。」

戦車道大会が終わって一か月後、春樹は聖グロリアーナ女学院に来ていた。

黒森峰のようなピンと張り詰めた雰囲気は無く、どこか落ち着いた空気が流れていた。

「あなたに会わせたい方がいるの。着いてきて頂戴。」

「……はあ。」

全くダージリンの考えが分からない春樹は黙って彼女の後ろを歩く。

そして倉庫のような場所の片隅で、立ち止まった。

「あの子です。」

そこには薄暗い空間で一人黙々と何か作業をしている人影があった。まるで亡霊のように赤い髪が揺れている。

 

「何なんですか、彼女は?」

「あの子も戦車道履修者なの。けれども一度クルセイダーを動かしただけでそれっきり。ずっとあの状態…。」

はぁ…とダージリンはため息を一つ付き紅茶を飲む。

「アッサム。」

「はい。彼女はローズヒップ。学年は一年。車長適正は同学年でトップレベルですが、現在授業にも出席せずあそこにいるみたいです。」

そしてアッサムと呼ばれた少女が一枚の写真を差し出した。そこには古い車の写真があった。

「それが、いま彼女が熱心になっているものと同じ車の写真です。流通ルートは…彼女のご実家からですね。」

「成程…ダージリンさんが呼んだのはこれですか。」

「ええ、お願いできるかしら?」

「もちろんですよ。」

そういう話なら二つ返事で引き受ける春樹だった。

 

春樹はもう一度あの倉庫へ行ってみた。今度は誰もいないようで、散らばった工具と赤い車体が鎮座していた。

「……なるほどな。」

エンジンが下ろされ、中の状態が確認できることから確実に言える。このエンジンはもうだめだと。

「誰だ!」

急に照明が付き、入り口に振り返ると怒りの形相を浮かべたあの生徒が立っていた。

「いや、俺は―」

「それに触るなぁあ!」

ローズヒップは勢いよく駆け出し、春樹を突き飛ばした。姿勢を崩した場所が悪く工具が飛び散る。

「ちょっと落ち着け。俺はダージリンさんから頼まれてきた。継続高校の人間だ。」

「継続高校?よそ者が何の用でここにいる?」

「そのシビックの修理を手伝うためだよ。」

「修理?こいつを?…ははは、冗談は止めてよ。これをどう修理するって!?」

ローズヒップは見事に焼き付いたピストンを指さして叫んだ。

「どこに持って行っても古い車だのポンコツだのさんざん言って投げ出して!何が修理屋だ!職人のプライドだ!ふざけんな!」

まあそれもそうかと春樹は肩をすくめた。いまそこにある車が製造されたのは70年代だ。それにディーゼルエンジンよりもはるかに精密で、まるで時計のようなエンジンが載っているのだ。

万が一ミスをして壊しでもしたらという不安が走るのは当然のこと。同情はする。

「情けねーな…そこの整備屋は。」

しかし、同意はしない。普段は、この車よりもはるかに昔の戦車をいじっているのだ。たかが40年前の車を直せないなんて絶対に言わない。

「言っておくぞ、俺はこの車を直す。そんでさっさと帰らせてもらうぞ。」

春樹はそう言って、部屋を後にした。

「随分と見栄を張るのね。」

入り口の近くでアッサムが立っていた。どうやら立ち聞きしていたようだった。

悪趣味と思いつつも、春樹は口にはしなかった。

「なーに事実を言ったまでですよ。見栄かどうかなんてすぐに分かります。」

「そう…まあ良いわ。あなたに一つお願いがあるの。」

そう言ってアッサムは折りたたんだ紙を手渡す。

「明日の朝から一週間、ダージリンを迎えに行っては頂けませんか?」

「…なぜ俺が。」

「少しお灸をすえないとあの悪癖は治らなそうなので。」

「…はあ。」

悪癖というのが気になるが、アッサムの言いようのない威圧感に負けて春樹を了承してしまった。

 

 

「……ここ、だよな。」

聖グロリアーナ女学院の生徒の住む家だから相当な大きな家だと想像していたが、そこには木造の何とも風情のある日本家屋が建っていた。

まさかここに本当にあの英国淑女が住んでいるのだろうか?

もしかしたらアッサムの嫌がらせなのではないだろうか?

そんなことを考えながら恐る恐る玄関の呼び鈴を鳴らす。

「ふわぁい…今日は早いのねアッサム……。」

カラカラ…と戸が開けられる。そこには赤いどてらを羽織ったダージリンの姿が。

「……は?」

優雅な手つきで紅茶をたしなみ、したり顔で話しかける昨日の姿とは想像もできない姿がそこにあった。

「なぜ立ったままなのアッサム?…お茶くらい淹…れ…る…。」

ようやく目の前にいるのがアッサムでないと気が付いたダージリンは、ふにゃっとした笑顔のままどんどん青ざめていった。

カラカラカラ…。

無言で戸を閉め、そのまま30分ほど経過した。

カラカラカラ…。

「英国淑女は男性を30分直立させるのがマナーなんですか?」

「いいから来なさい。」

着替え終わったダージリンは顔を真っ赤にして俯いたまま、春樹を引っ張っていく。

「車で来てます。」

そしてそこにさらに追い打ちをかける春樹だった。

「いやぁまさかとは思いましたけど、本当に的中するとは。」

「……なにが?」

「ダージリンさんってちょっとおばあちゃんっぽいなーと感じたんですが。まさかその通りだったなんてね。」

「おば…!女性に向かって失礼でしょう?」

「はははは、そうですね~。」

完全におばあちゃんと話す孫の口調だった。

「……もう、アッサムの仕業ね。」

 

 

「…ということが朝にあった。」

「あの人、凄い豪邸に住んでいるのかと。」

朝一から整備をしているローズヒップに世間話がてら、今朝の出来事を話した。

「一応口止めされてるから誰にも言うなよ。」

「さーってね、私口が軽いからなー。」

「…おい。」

躊躇なくエンジンをばらし始めたところから、春樹が本気で直そうとしていることを感じたらしい。昨日とは打って変わってローズヒップは大人しかった。

「ここが副燃焼室。普通のガソリンエンジンには無い部分だな。」

副燃焼室で一度燃料を燃やし、その炎を燃焼室に吹き込むことによって理想の燃焼状態を作りだっす。一見手間がかかるように思えるが、当時のガソリンエンジンではこの方が燃焼効率が良かったのだ。

「今思うとかなり強引な方法だよな~。」

「…言えてる。」

そんな談義を交えながら作業を進めていると、いつの間にか二人は打ち解けていた。

この車は長年細かな丁寧な整備を受けてきたおかげで、エンジン以外の部品はとても調子が良かった。もしローズヒップにエンジンを整備する知識があったのならば、もしかしたら春樹は呼び出されなかったのかもしれない。

「それで、お前がこれを直す理由ってなんだ?」

「それは…。」

ローズヒップは18人の大家族の生まれで、忙しい両親に変わってよく曾祖父母が世話をしていたらしい。その中でも一番彼女を可愛がっていたのが曾祖父で、彼女が泣いてはよくあのシビックに乗せてドライブに出かけた。不思議とシビックに乗ると泣き止み、幼いローズヒップにとっては一番大好きな場所だったらしい。そしてそんな曾祖父が先月亡くなり、時同じくしてシビックも突然動かなくなった。修理を依頼するも、「古すぎる」「部品が無い」などと理由を付けことあるごとに門前払いを受けた。ついに廃車にしてしまおうかと言うときに、ローズヒップが直すと譲らずに半ば強引に車を学園艦に持ってきたのだった。何とか修理を試みるも、中途半端な知識では歯が立たず彼女も焦りと苛立ちを覚え始めていたようだ。

「そうか…それじゃあしっかり直さないとな。」

こういう古い車に乗る人間は大なり小なり、物語があるものだ。その物語を聞き、持ち主の心に寄り添い、一切妥協しない仕事をする。それが春樹の父の教えだ。

「おそらくあと数日で直ると思います。」

「あら、随分と順調なのね。」

「彼女の素質は目を見張るものがあります。戦車道に置いておくのがもったいないくらいですよ。」

「それは駄目よ。彼女に最初に目を付けたのは私なんだから。」

フフンと得意げに笑いながらダージリンは紅茶を味わう。

「それは悪かったな。昨晩彼女をスピードの世界へ誘ったばかりだ。」

学ラリの様子をテレビで見ていたローズヒップは、ラリーに少し興味を持ったようで春樹の車の横に乗せて欲しいと言ってきた。それを二つ返事で了承した春樹は、ランサーで”ちょっと”出かけることにした。そしてすっかりスピードの虜になったローズヒップは終始興奮気味だった。

「自動車部へ入部するのは時間の問題かな。」

「くっ…油断したわ。」

まさか聖グロリアーナの生徒が夜中に出かけるなどという行動をするはずがないと思っていたダージリンにとっては、予想していなかった事態だったようだ。

「彼女、ここの生徒っぽい雰囲気じゃなかったから、もしかしたらと思ってね。」

「真夜中に殿方と外出だなんて…教育が必要かしら?」

やれやれとダージリンは肩をすくめた。

 

春樹が聖グロリアーナに来て5日が経過した。

「お前が運転しなくて良いのか?」

無事エンジンの修復が完了し、今日は試運転の日だった。

「普通車免許持ってないし。」

さらりととんでもないことをいうローズヒップだったが、その表情はどこか強張っている。

「さっさと取れよ、戦車道受講してんだしすぐだろ。」

そう言ってセルモーターを回す。

キュルキュルキュル…ブオォォォ…。

「……かかった。」

聞きなれたアイドリング音に包まれ、彼女の表情が和らぐ。

「よっし、行くぞ。」

丁寧にクラッチを繋ぎ、赤い車体をゆっくりと進めた。ギシギシと車体が歪む音が聞こえる。いわゆる旧車はお世辞にも今の車に比べて馬力もないし、音も煩い。サスペンションも未成熟で、乗り心地も良くはない。

「この音…揺れ方…匂い…懐かしい…。あの時と変わってない…。」

しかし、そんなことは大した問題ではない。本当に好きだから、短所も個性と受け入れ仕方がないと笑い飛ばすことができるのだ。街中を抜け、山道に入る。窓を開けると涼しい風と共に、心地のいいエンジン音が入ってくる。

「昔のエンジンだってのに、よく回る。さすがホンダ製…。」

そう呟いて助手席の方を見る。

「すぅ…すぅ…。」

大人しいと思っていたらいつの間にか眠っていたようだ。長い間不安と焦燥に駆られ、重労働を重ねた体は安心した瞬間どっと疲労が押し寄せてきたらしい。

そしてその頬には涙の痕が―

「お前も幸せ者だな。」

春樹はそんな言葉を車に向かってそっと呟いた。

 

「短い期間でよく、こなしましたわ。あの子も戦車道に戻ることができる。」

「大したことなくて良かった。これでローズヒップも自動車の世界の仲間入りだな。」

「そうはさせませんわ。あの子には我が聖グロリアーナの戦車道に必要なの。」

「そーかい。」

学園艦から降りた春樹は石川港から出港する彼女たちの船を見送る。

「……?」

遠ざかる学園艦の艦首近くにその車体と同じように赤い髪の人影があった。その身を乗り出すようにして帽子を高々と振っていた。

「落ちるなよー。」

誰かに聞かせるわけでも無くそう言って春樹も手を振り返した。

ブオオォォ!バン!バンバン!

そしてあいさつ代わりのアフターファイア。これは確実に彼女の耳にも届いただろう。時同じくして継続高校の学園艦が入港してくる。

「そろそろスノーラリーの季節だな。」

冬の訪れが早い継続高校の学園艦は、雪が降り積もるのも早い。そのため毎月ラリーが開かれている。ラリー屋にとってはオフシーズンという言葉は存在しないのである。

そんな時春樹の携帯電話が鳴る。発信先は春樹の家だった。

「もしもし?」

「ああ、ハルかい?ちょっと買い物を頼まれてくれないかな。」

「今目の前に学園艦が迫ってきてるんだけど?」

「ああ、だから急ぎのお買い物だ。ハルの車なら出来るだろう?」

春樹はがっくりと肩を落とし、そして愛車に乗り込んだ。

「相変わらず分かりやすい音だね。」

「うるせー。…切るぞ。」

手早く買い物リストを頭の中に作成し、アクセルを踏み込んだ。

 

 

「黒森峰に行きたい?女子高に転校したいのかい?」

「馬鹿な事行ってねーで、許可してくれ。」

珍しく余裕のなさそうな春樹はミカにいつもよりも強めに詰め寄る。そんな彼の様子で緊急性を察したのか、ミカはため息をつく。

「仕方がないね。表面上は故障車修理の補助。本音は黒森峰の偵察ってことにしておけば誰も文句は言わないだろう。」

戦車道も代替わりを迎え、案の定ミカが隊長に任命された。そして今回の春樹の黒森峰行きの判子を押すことが、ミカの初仕事になった。

「出来るだけ早く帰ってくるが、日持ちのする料理を作り置きしておくから。」

「それはありがたいね。」

定期的に春樹はエリカの携帯電話へ嫌がらせを兼ねた電話をしているのだが、最近律儀に出てくるエリカが出なくなったのだ。今黒森峰では何かが起きている。そう感じた春樹は今回の黒森峰行きをミカに頼んだのだった。冬季前メンテナンスで金沢港に入港するタイミングで、春樹は学園艦から降りる。そして高速道路を使って熊本港へ急いだ。熊本港へ到着とほぼ同じタイミングで、黒森峰の学園艦が見えてきたところだった。

「早着か…ペナルティだな。」

そんなことを言いながら、少しばかりの仮眠をとった。1時間ほどで米粒ほどだった学園艦が、目の前に停泊していた。搬入口から上がり、来客用の駐車場に車を停める。駐車場には心配そうな表情のまほとエリカが待っていた。

「わざわざ金沢から来たのか?」

「時間的に間に合いそうになかったので。」

殆ど不眠不休で高速道路を飛ばしてきた春樹は目の下にクマができていた。

「急な知らせで何も準備はできてない。とりあえず私の部屋で休め。」

「いいえ隊長、私の部屋で休ませます。」

「そうか、なら任せる。」

少しずつ意識が薄れ始め、二人がどんな会話をしているのかさえまともに理解できないでいた。

「……ん。」

少しずつ覚醒し始めた頭を無理やり働かせ、自分がいまどこにいるのかを思い出す。

「ここは…クロモリ鋼鉱か。」

「じゃあ、早速だけど入坑してもらおうかしら。」

薄暗い部屋から聞き覚えのある声が聞こえる。

「ありがとうなわざわざ。部屋暗いままじゃ何もできなかっただろ?」

先ほどの会話を思い出す。おそらく春樹に気を遣って部屋の電気を付けずにどこかで時間を潰していたのだろう。

「気づいても言わなくて良いわよ。性悪男。」

「うるせー捻くれ女。」

「…で、何しに来たの?」

挨拶代わりの悪態を交わし、本題に入る。

「お前のティーガー、水吸って壊れただろ?その修復だ。」

「はぁ?別にアンタの手借りなくても―」

「という表向きだがな、本題は西住の妹の方だ。」

「……ああ。」

春樹の意図を察したエリカはため息とも言えそうな声を漏らした。その表情からありありと現状が把握できる。

「そんなにひどいのか?」

「ええ。あの一件以来あの子完全に塞ぎこんで。…今自主休学中よ。」

「他の生徒は?」

「あの子の責任の言及をほぼ毎日隊長に。OBも騒いでる。」

そこまで酷いのかと、春樹はため息をついた。そんなに西住流は大切なものなのだろうか?

「…腹減ったな。どこか食い行こうぜ、食堂はもうやってないだろ?」

既に日は沈んでいて、律儀なエリカは食事もとらず春樹を見張っていたのだろう。

「別に…一人で行ってきなさいよ。」

「好きなもの奢るぞ?」

エリカの眉間の皺が少しだけ和らいだ。

「和風ハンバーグのお客様。」

「こっちよ。」

ジュウジュウと油が跳ねる音と、醤油ベースのソースが焼ける香ばしい香りが漂う。

「お前ハンバーグが好きなのか?」

「悪い?」

「いや、別に。」

期待に満ちた目でハンバーグを見つめるエリカを見てるのが辛くなり、先に食べて良いと伝えた。

「明日から作業始めるからな。」

「分かったわ。…けど、覚悟はしておいた方が良いわよ。」

次の日、春樹はエリカの言葉を嫌と言うほど痛感することになった。

「失礼、西住みほさんは?」

「現在体調不良で、休学中でして…。」

「……逃げたのね?はぁ…西住の人間として恥ずかしくないのかしら…。」

整備をしている最中に、何度も同じような会話を耳にしていた。

OBが来るたびにその対応に追われているまほは、ひどく疲れた顔をしている。

「…正直アンタが来てくれて助かったわ。今週にサンダースと試合があるのよ。」

昨日必要ないと言っていたのは、彼女の強がりだったのだろう。エンジンの状態を見ると、確かに間に合うかどうかギリギリと言ったところだった。

「これが駄目でも予備の車両があるだろう?」

そういうとエリカはキッと春樹を睨みつけた。それは初めて彼女と会った時とは全く違った反応だった。少しずつ自分の道具に愛着を持ち始めている。それは決して悪くない兆候だった。

「はは、そんなに怒るなって。ちゃんと直してやるから。」

「当たり前でしょ?今回は立場が違うんだから。」

エリカの言う通り、今回春樹は”来させてもらっている”立場。前回とは違って、立場はエリカの方が上なのだ。

「それにしても、ホントに空気悪いな。これで試合勝てるのか?」

声が響かないよう小声で尋ねると、エリカは無言で首を横に振った。

「無理ね、ただでさえ副隊長がいない状態で戦力が低下してるのにこんな士気じゃ絶対に勝てないわ。」

対してエリカはこの空間中に響くようにはっきりとした声で答えた。それを聞いた生徒たちが一斉にエリカを見つめる。その目は決して良いとは言えないものだった。

「お前…凄いな。」

「ふん、文句があるなら言い返せば良いのよ。馴れ合いなんて最初からする気は無いわ。」

勝つためには手段を選ばない。勝つためには何でもやる。ただし正々堂々と。汚いことは一切やらない。そんな彼女の信条が垣間見える。

「まぁお前のその一本気な性格は好きだけどよ…。ちゃんと息抜きもしてるんだろーな?」

「もちろん。最近ジムに通い始めたわ。案外ストレス発散になるわ。」

運動でストレスを発散して尚且つ体力向上に繋がれば、これほど嬉しいことは無いだろう。ただどんなものでもやりすぎは良くない。彼女の性格からしてそれだけが心配だった。

 

「ごめんね春樹君…わざわざ休日に。」

「謝ることはねーだろ。俺は好きで運転してるんだから。」

「う、うん…。」

黒森峰学園艦で過ごす何度目かの休日。春樹は助手席にみほを乗せて街中を走っていた。エリカはジムへ行って捕まらず、まほも学校へ行っているため寮部屋の隅で引きこもっていたみほを連れ出したのだ。

「たまには外に出ねーと精神衛生上良くないだろ。」

「わ、私は別に…。」

「……。」

あえて春樹は何も言わずに運転に集中することにした。車内に沈黙が流れ、気まずい雰囲気が漂う。

「うう……。」

それに耐えきれずみほは俯いてうめき声をあげる。

「ほら、外に出てないから身体の調子が悪くなる。」

「い、今のは春樹君のせいだよ…。」

そう言い返すと同時に、みほは自分の声が出にくくなっていることに気が付く。一番最後に人と話したのはいつだったろうか?それさえも思い出せないほど長い時間が経っていたようだ。

「どこか行きたいところとかあるか?」

「じゃ、じゃあ…春樹君が走ってた…。」

「ラリーのコース?」

「うん…。」

久しぶりに外に出て感じる外の空気に少しだけ気持ちが高まる。ただ休日に街に出て他の生徒に合うのは気まずい。今は誰にも合わないような場所に行きたかった。

「りょーかい!」

交差点を左折し、山道へ続く道路を進む。そして少しづつ道が狭くなってくる。

「春樹君こんな道をあんなにものすごいスピードで走ったんだね。」

「この道は楽しいぞ、そこそこ踏めるしコーナーも攻めがいがあるんだ。」

少しだけ早いペースで山道を登っていくと、少し開けた小さな駐車場が現れた。そこに車を止めて車から降りる。みほもロールバーに苦戦しながら遅れて出てくる。車に酔った様子はない所は流石、西住流と言ったところか。もう少しで年が変わる月だと言うのに、黒森峰は未だ心地よい風が吹いている。

「お前休学してるのにあの寮にいて気まずくないの?」

「うん…家のほうが居づらいし…。」

それもそうかと春樹は呟いた。西住流は身内だろうと容赦はしないはずだ。図太い人間であれば平気だろうが、生憎みほは繊細な人間だった。

「それで、これからどうするか決めあぐねてると。」

「う、うん…。」

「それなら、よその学校に行けば良いだろ?戦車道のない学校にさ。」

それを聞いたみほははっとした様子で顔を上げた。その表情から今まで考えもしなかったようだ。

「戦車道だけが全てじゃないだろ?」

「で、でも…そんなことしたら何を言われるか…。」

「構やしねーよ。ちゃんと分かってるやつは何も言わない。気にするな。」

しかしみほはまだ悩んでいるようで、再び俯いてしまった。

春樹は「はぁ…」と小さく息を吐く。

「まあそれは置いといてだ。俺はあの時お前が逸見エリカを救助して心底安心した。下手したら手遅れになる可能性もあったからな。」

だからお前には感謝していると春樹ははっきりと言葉にした。

「やっちまったもんはしょうがねーよ。けじめのつけ方は自分で考えろ。ただあんまり自分を追い込むな。あれは正しい判断だった。それだけは忘れるなよ。」

「うん…分かった。ごめんね、春樹くん。」

みほはそう言ってぎこちなく笑って見せた。今はそれが彼女の精いっぱいの笑顔なのだろう。

「…おう。」

その笑顔がとても痛々しく、春樹は直視することができなかった。

 

そしてその一か月後。春樹の下に戦車道の無い学校へ転校することを報告するメールが届いた。文章の最後には「ありがとう」の一言が添えられていた。少なくとも最低限の気持ちの整理はできたようだった。


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