継続高校自動車部   作:skav

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始動

「海に行きたい。」

「行けばいいだろ。明日は寄港日だし。」

部活が終了し、RX8の整備を手伝っていた時ユミがポツリとつぶやいた。

「いやぁだって、来年は受験勉強とか就活とかでまともに夏休みないじゃん。つまりは高校生活を満喫できる最後の夏なわけだよ。」

ちゃんと前もって準備してりゃ遊ぶ時間くらい作れるだろ、と答えるとだまらっしゃいと制される。

「それなのにだよ、朝は戦車の整備。昼は部活、夕方は自分の車の整備と練習。私の青春は、ただ一度しか無い17歳の夏は鉄と油に染められようとしているんだよ。残酷だとは思わない?」

「部活に打ち込むのも立派な青しゅ―」

「彼女持ちは黙ってろコラ。」

今までに見たことがない迫力に春樹も黙り込む。ユミはどこからか持ってきた牛乳瓶のケースを裏返してその上に乗る。何事かと周りにいた部員たちもユミのほうを見つめる。

「諸君、この男は入学当初から機械いじりに明け暮れ、怪物級の先輩たちを押しのけ2年生で部長の座にのし上がった。根っからの車バカであり、技術オタクである!ストイックに勉学や整備に打ち込み、三度の飯より車に乗ることが好きなわが校の至宝!そんな男がこの夏彼女をこさえた。お相手は黒森峰女学園の逸見エリカ嬢だ!そしてあろうことか我々を残して温泉旅行、愛の空中ランデブーときた!」

ずるいぞ部長!と、おそらくその場のノリであろうが部員たちが一斉に立ち上がる。どこでその話が漏れたのか問いただす隙さえも無いほどの迫力だ。

「諸君、私は海水浴をして、バーベキューをして、花火をしたり、肝試しをしたり、枕投げをして、甘酸っぱい話題で夜を明かしたい。そう、すなわち…青春がしたい!」

静かに大きくうなずく。

「そこで私は、月末に予定されているラリー合宿の一部を変更することを部長に要求する。賛同するものは声をあげ、工具を掲げよ!」

おおおおおお!と一斉にそれぞれ手にしていたラチェットや、ハンマー、中には複数人で大型カッターを明一杯掲げる者もいた。

「さあ、部長。これを見て我々をラリー漬けにすると言うか!我々から青春を奪うつもりか!」

いつの間にか弾圧される側になってしまった春樹は、民主主義に勝てるわけもなく右手に持っていたトルクレンチを掲げた。

「……分かった。新しい計画書と予算案を週末までに出してくれ。部費の予算を超えるようなら、差額は個人持ち。建前も準備しておくこと。それで良いか?」

おおおおおお!と歓喜の声が上がる。テントを立ててバーベキューして雑魚寝なんてラリーでいくらでもやってるだろうに…。それに部活だって立派な青春だ。いまいち合点がいかない春樹であった。

「…というわけで、すまないがラリー合宿は急遽予定変更になった。」

「何それ楽しそう、行く行く絶対に行く。」

ローズヒップはむしろ乗り気だった。新しく用意するもの等を伝えているときの返事から、興奮が隠しきれていないことがありありと分かる。

「OK、ちゃんと用意する。…あ、これからダージリン様とお茶会の時間だった、ごめんあそばせ!」

釘を刺す暇もなくブツンと通話が切れた。とてもとても嫌な予感がする。絶対にろくなことにならない。肩を落とす背中をミカはじっと見つめていた。

 

「ダージリン様、お紅茶の準備が整いました。」

オレンジペコやアッサムが出迎える。そしていつもなら飛ぶようにして現れるローズヒップの姿が無い。彼女がここにいない理由はただ一つ、自動車部だ。最近はちゃんと学業や戦車道の方も成績を残しているので、大目に見ている。程なくして、いつもの騒がしい足音が聞こえてきたので安心する。

「ダージリン様~わたくし達、春樹さんとお泊りに行ってきますわ!」

パリンと近くで音が聞こえた。誰かがカップを割ってしまったらしい。それでも慌てず、落ち着いた表情を崩さない。カップの中のローズヒップティーはいつの間にか絨毯が飲み干してしまったようだ。あまりにも突拍子もないことを聞いたから、絨毯も落ち着きたい気分だったのだろう。それならば仕方がない。自分の分をもう一度頂けば良いのだ。あら、私のティーカップはどこにいってしまったのかしら?

「ダージリン様、新しいカップですよ。」

「ありがとう、ペコ。それと、座りなさい、ローズヒップ。」

ローズヒップはきょとんとした表情で向かいの椅子に座った。まずは詳しい状況を把握しましょう。

「それは…自動車部関係かしら?」

「はい!継続高校の自動車部の方々と合宿に行ってきますの!」

それならそうと言って欲しい。まったくこの子は大事なところをいつも省くんだから…。と、あふれ出てくる文句の一切合切を飲み込み小さくため息として吐き出す。

「ローズヒップ。あなたは聖グロリアーナの戦車道に必要な人材という自覚はあるのかしら?本来ならこのような部活動に現を抜かしている暇はないはず。それに…あんな大きな事故まで起こして、まだこりてないのね。」

「そ、それは……。」

ばつが悪そうにローズヒップは俯く。しかしながら、あの事故をきっかけに二人の意識が変わったのも事実。自動車を通じて変わろうとしているのは嫌というほど伝わる。

「ですが、ここまで熱心になれるものを取り上げる権利は私たちにはないわ。だから、スマートに勝てるよう、春樹さんの技術を学ぶこと。良いかしら?」

安全第一とは言わなかった。きっとそれが彼女の成長の足かせになってしまうと思ったから。その心中が伝わったかは分からないが、ローズヒップの表情が明るくなる。

「はい、ダージリン様!」

「良い返事よ、ロースヒップ。くれぐれも聖グロリアーナ女学園の生徒として、気品のある振る舞いを忘れないように。」

「もっちろんですわ!そうと決まれば、さっそく準備に取り掛からないと!まずは車探しから!」

ごめんあそばせ!と、閃光のごとくカップを空にしてから、部屋を飛び出していった。威勢のいい声と足音があっという間に遠のいていく。

「ダージリン、良いのかしら?いくら部活動とはいえ、殿方と宿泊なんて。」

「大丈夫よ。あの子、中身はしっかりしているもの。」

「それではなぜ浮かない表情をしてるのですか?」

男子生徒のいる環境で合宿をするのは特に心配していない。これをきっかけに彼女の心が戦車道から離れてしまうのが不安なのだ。…でも、彼女の生き方に口を出すのはそれはそれで憚れる。きっとあの子の根っこは私たちよりもしっかりしている。もしそうなってしまったら…彼女の意志を尊重するべきなのだろうか。あくまで手綱は放さずロングリードでつなぎとめておかないと、取り返しのつかないことになりそうだ。ここは一つ、カードを切らせて頂こうかしら。

「ペコ、サンダースとアンツィオに連絡を繋いで頂戴。」

 

 

金沢港から出発した水色の隊列は能登半島を目指す。

「あーつーいー」

ユミは少しでも外の風を取り入れるべく、助手席の窓を全開にして窓枠に肘をかけていた。そして右手にはどこから買ってきたのかチューブアイスが握られていた。それをパキンと半分に折る。

「はい、春樹君の分。」

そういって口の中にアイスを突っ込まれた。ひんやりとしたラムネ味が喉奥を冷やしていく。ランサーはアイスに負けないくらい爽やかな水色のカラーリングであるが、中身はエアコンレス仕様で、ルーフベンチレーターが唯一の換気装置となっている。今時レーシングカーにもエアコンが標準で付いてるというのに。ついでにラジエーターのパイプが車内を通っているため、さらに熱源が増えている。

「これだけサウナに入れば痩せるかな?」

二人とも汗でTシャツがぴったりと張り付いていた。そもそも薄い身体が強調されて、余計に心配になる。

「頼むからもっと肉付けてくれ。」

ただでさえ暑くて食欲が落ちる季節だと言うのに。このコドラは体重を落としたいとぬかしやがる。ロングSSを走り切れる体力をつけるためには、ダイエットなぞしている場合ではないのに。

「筋肉スタミナは増えてるんだけど、肝心なところが育ってくれないんだもん。」

不満げな様子で自分の腕を触る。助手席のシートベルトはその体を離さないように、ぴったりと張り付いているのを見て、そういえばミカの時はベルトが埋まってたなーと余計なことを考えてしまう。

「大きすぎず、小さすぎずが好みって一番残酷だと思うよ。キミ。おい、キサマ、聞いてるのか。ふともも星人。ほーれほーれ。」

そんな邪な考えが伝わったのか、食べ終わったアイスのチューブで頬をぐりぐりされる。ちょっと湿ってるのがキモチワルイ。そんな感じでやさぐれる助手席の主のサンドバックになっていると、目的地までの距離を示す大きな看板が頭上を通過する。

「えー継続高校自動車部御一行様、間もなく目的地でございます。お忘れ物ございませんよう、今一度お手回り品をご確認下さりやがりませー。」

無線に語りかけるユミの声はどこかとげとげしく、また部長がなにかやったと部員たちは車内でため息をついた。駐車場に車を止め、荷物を降ろしていると、複数人の人影がこちらに近づいてくるのを見つけた。宿泊施設の関係者かと思ったが、やけにでかい帽子をかぶっているところから違うと直感する。そして後ろにはベースボールキャップとチューリップハットが見えた。本能で車内へ逃げようとする足を必死に食い止めて、大きな帽子の主と顔を合わせる。

「あら春樹さん、ごきげんよう。」

お嬢様御一行の正体はダージリン率いる聖グロリアーナ女学園のいつもの3名となぜかサンダース大学付属高校のケイがいた。

「聖グロリアーナからはローズヒップとダンデリオンの2名と聞いていましたが。」

「あら、わたくしたちは能登半島を観光しに来ただけよ。ええ、”たまたま”宿泊施設が同じ自動車部さんにはご挨拶をしないといけませんもの。ローズヒップたちがお世話になります。」

「ハルキ!夜はBBQするんでしょう?いっぱいお肉持ってきたから期待しててね!」

絶対に故意にバッティングさせたのだろうが、春樹は面倒なのでそれ以上の追及をあきらめる。それに食材が増えるのは大歓迎だ。サンダースはでかい肉をいつも用意してくれるから大好きだ。

「師匠ぉ~!」

ほどなくしてワゴン車が到着し、助手席からローズヒップが顔を出す。ワゴン車の後ろには白い車を積載したトレーラーが牽引されていた。

「随分と速かったな。ちゃんと寝たのか?」

「もっちろんですわ!休息はばっちりですのよ!」

得意げにローズヒップが胸を張る。

「嘘は駄目だよ、ずっと隣で寝てたくせに。昨日の夜興奮して寝てなかったでしょ。」

運転席のダンデがじとーっとした視線を送を送る。

「今日は車に乗らないからな。ダンデ、よく見張っててくれよ。」

「えー…」

「えーじゃない。事故られたらこっちも困るの。」

「まーまー、それならちょっと寝とくと良いよ。海で遊ぶ時間もあるからさ。眠気も覚めるよ、きっと。」

そんな会話を聞きながら雲一つない空を眺めると、強い日差しで目がくらむ。そのせいで一瞬意識が緩んだのが原因だろうか、腰に回される腕に反応するのが一瞬遅れた。その隙を逃さず、まるで蛇のような素早さで春樹の背中に密着する。慣れ親しんだ感触だが、いささか想定外であった。

「なんでお前がいるんだ?」

「今日はただの水先案内人だよ。」

先ほどのダンデと同じようにジトっとした視線を主犯に送る。ミカがあちらについてしまっては、付け焼刃の対策は意味をなさないだろう。

「ふふふ、言ったでしょう?私たちはあくまでプライベート。素敵なガイドさんも一緒に楽しみましょう。」

春樹の部屋にはユミ、ローズヒップ、ダンデリオンが入ることになっている。さすがに春樹一人で使うほど予算が余っていないので、仕方がない。いつも通り通路側の隅に荷物を広げる。

「おぉー良い眺めー!」

山の中にある宿泊施設なので、窓を開けると土と木の香りが風と共に入ってくる。群馬の旅館を思い出すが、口には出さないでおこう。

「みっずぎ~みっずぎ~!」

ローズヒップがウキウキしながらカバンから着替えや下着などを無造作に放り出し、最後に赤い水着を取り出す。その瞬間「ローズヒップ、おやめなさい。」と入り口から声が聞こえた。いつの間にかダージリンが部屋に上がろうとしているところだった。まるでさび付いたかのようなぎこちない動きで、ローズヒップは振り返る。「俺は別にきにしねーけど」と言うと、「そういう問題ではありません」と怒られた。

「聖グロリアーナの生徒として、節度を持った振る舞いを忘れないで頂戴。」

「俺としてはのびのび楽しんで貰う方が良いんだがな。普段は堅苦しいとこにいるんだし。」

「大丈夫です春樹さん!わたくし、この合宿は淑女として全力で楽しみますわ!」

先ほどの荷下ろしでタイヤを運んでいるときについたらしい、黒い汚れが付いた顔で笑う彼女を見て、ダージリンはやれやれと額に手を当てていた。

「それとミカさん、あなたの部屋はこちらよ。」

どさくさに紛れて春樹の隣を占拠しようとしていたミカを引きずって、ダージリンは奥の部屋へ消えていった。

 

座布団で作った簡易布団でローズヒップを仮眠させていたら、昼食の時間を迎えていた。昼はバイキング形式でいくら食べても良いのだが、泳ぐことを考えたら食べすぎはよくないだろう。それじゃあポイントを押さえたセレクトを…とトレイと皿を取った時だった。

「ドゥーチェ!このホタルイカの和え物めっちゃ旨いっす!」

「ドゥーチェ、お味噌汁のおかわりは如何ですか?」

「お前ら少し落ち着け…あぁ、こら!そんなに持ってきて食べ残したらどうするんだ!」

昼食会場の隅でそんなバカ騒ぎをしている連中を発見。ひとまずは泳がせておくことにした。それよりもお腹がすいていて仕方がなかった。バイキング形式で好きなものを取っていく。このバイキングというのがどうにも苦手だった。どれも美味しそうで手を伸ばしていくと、すぐに取りすぎてしまう。ここら辺は貧乏性が出てしまうのだろうか。小食のユミはすでにダンデと一緒にテーブルで春樹たちを待っていた。

「ローズヒップと春樹さん、たくさん食べるんですね…。」

「…全種類食べないともったいない気がしてな。」

ローズヒップも強くうなずく。彼女も春樹と同じ性分らしい。仲間がいてよかった。二人は早々に1巡目を食べ終わり2巡目に入る。今度は和食を攻めようかと、海鮮コーナーを物色している時だった。アンチョビがおずおずと声をかけてくる。

「こ、こんなところで奇遇だな。」

「日本海まで来てどうしましたか?利根川は太平洋ですよ?」

馬鹿にするな!と怒られる。

「そんなことはどうでも良い。今日はダージリンに誘われたんだ。」

「どうせ午後の海水浴にもついてくるんでしょう?」

ティーエスプレッソをアンチョビに差し出す。ついでにアメリカンで最高に甘そうなチョコレートも。

「そ、それはどうかなぁ?」

あくまでも白を切るつもりらしい。俺だけ堤防で釣りでもしてたほうが良いんじゃないだろうか。そこまで考える春樹だった。車の鍵をユミに取り上げられてしまったので、出かけることも出来ない。肩を落として普段は入れないガムシロップを1つカップに入れる。今回ほとんど貸し切りの状態で施設を借りることが出来たのは、ダージリンの息がかかってるからだ。流石に自動車部単体ではここまで豪華には出来ない。その点で言えば協力してくれた3校の隊長には感謝しているのだが…。ダージリン、ケイ、アンツィオの3人と数が少ないのが少し気になる。それにほかの学園の隊長がいないのは、どんな意図があるのだろうか。サンダースに至ってはケイしか参加していない。

「ミカ、お前水着はどうした?」

ミカは継続のジャージを上に着た状態で上半身をきっちりガードしていた。しかもこのジャージ、春樹のもののようで袖がかなり余っている。まるで何かを隠しているかのようであった。

「……肥えたか。」

その瞬間冷たい水を勢いよく浴びせられた。

「君のバランスのいい食事のおかげで、体重は維持してるよ。」

それは何よりだ。やはり過熱蒸気で揚げ物をするあの機械は効果があったらしい。

「それともはっきり言葉にしないとわからないかい?君の好みからは少々逸脱してしまっているようだけど。満足してくれるように努力はするよ。」

ミカは恥ずかしそうにジャージのジッパーに手を伸ばす。ゆっくり降ろされた隙間からは学校指定の水着の生地が見えた。

「いや、もういい分かった。俺が悪かった。」

ミカは少々拗ねてしまったようで、カンテレの音もマイナー調になっていた。

「ミカさーん、食べられる貝の選別をお願いしますー!」

「捕まえて今夜のバーベキューにするっすー!」

ペパロニ達に連れられて、ミカはジャージのまま岩場のほうへ行ってしまう。

「相変わらずいい大胸筋してるね~もしかして私より大きいんじゃないの~」

そう言いながらユミは春樹の胸をぺしぺしと叩く。そして少しずつ顔が引きつった笑いへと変わっていく。

「う、うそだよね……男子に負けるなんて…。」

「……。」

「うわーん!」

涙目になりながらそれはそれは鋭いローキックが春樹の太もも裏に炸裂し、鞭で打たれたような衝撃に流石の春樹も顔をゆがめた。これを理不尽と呼ばずしてなんと呼ぼうか。すっかり意気消沈してしまった春樹は荷物番を引き受け、日陰で腰を下ろした。春樹にとって娯楽とは専門書を読み漁ったり、機械いじりをすることだった。なので、今日のように車や戦車から離れたら途端に何をすればいいのか分からなくなってしまう。こんなこともあろうかと保険で持ってきたパワーエレクトロニクスの教科書を引っ張り出そうと、カバンに手を伸ばした時、ダージリンに声をかけられた。

「あら春樹さん、お暇でしたらお茶でもいかがかしら?」

隣でパラソルやらテーブルやらを広げて、いつものティータイムの準備を完了させたダージリンが声をかけてくる。なんともタイミングのよろしいことで。アンチョビとケイも同席していた。

「それじゃあ、お言葉に甘えて…。」

クーラーボックスから氷の入ったグラスが出てきて、アッサムがそこに濃い目の紅茶を注ぐ。新鮮なレモンの皮を擦り、マドラーでひと回ししてからソーサーに置いた。

「ビーチで飲むのだから、こちらの方がよろしいかと思いまして。」

ストローから伝ってくる冷たい液体。最初に感じたのはアールグレイの爽やかな茶葉の香り。その次にレモンの酸味を感じる。ガムシロップの甘さもちょっとしたアクセントだ。確かに海を見ながら飲むにはうってつけだろう。テーブルの中心には凍らせたフルーツが盛られていた。

「ダージリンにしては随分と自由にさせているようね。」

ケイが浜辺ではしゃいでいるローズヒップを見る。今はビーチフラッグの順番決めをしているようでじゃんけんをする声が聞こえる。寝不足を感じさせないはしゃぎっぷりだ。ダージリンはそうかしら?とあくまで白を切る。

「てっきり今回は止めさせるもんだと思ってたけど。」

そんなことしないわ。とダージリンは笑う。

「あの子は私にできないことを平然とやってしまうの。我が校の伝統やしきたりを壊してしまうくらいに。」

「その割には嬉しそうなのはなんで?」

「ふふ、壊してくれることを望んでいるから…かしら?」

新しい風を吹き込むためには、淀んだ空気を入れ替える必要がある。そのためには壁を取り払うような暴風が必要だ。

「てっきりそういうかしこまって面倒なのが好きなものとばかり思ってた。」

「あら、私はカードを沢山持っていたいだけよ。捨てるのはもったいないわ。」

手札を持ちすぎて落とさないようにね、とケイは笑う。どうやら彼女も今の戦車道に思うところがあるらしい。少しだけダージリンに対する評価を改めなければならないのかもしれない。

「それはそうとハルキ、私と腕相撲しない?勝ったらスペシャルなステーキを御馳走するわよ。」

いきなり妙な提案をしてくる。いったい何が目的だ…?ちらりとダージリンを見ると、いつもの柔和な笑みを浮かべていた。こういう時は変に逆らうと後で大変な目に合うのだ。

「……良いでしょう。」

「ずるいぞ、次は私だ!」

アンチョビのその一言ですべてに合点が付いた。しかし今は手持無沙汰なので、御姉様方の接待で時間が潰せるのなら、まあ良しとしよう。

海水浴から引き上げて、夕食を食べた後に1時間ほど明日からの練習に関するミーティングをして本日は自由時間となった。まだ体力が余っている連中は、近くの森林へ肝試しに行くらしい。ユミも我先にと張り切って部屋を出て行った。精神的に疲れていた春樹は部屋で留守番を選んだ。早めに湯船につかり、あとはゆっくり布団で横になろうと浴場を出たタイミングで、ローズヒップを引きずるダンデを見つけた。

流石に電池が切れたようで、湯船で気絶をしたらしい。何とか寝巻に着替えさせて運ぼうとしたが、流石にダンデ一人では無理だったようだ。ラリーのレスキュー講習を思い出し、気持ちよさそうに寝ているローズヒップを肩で担ぐ、いわゆるファイアーマンズキャリーで部屋まで運ぶことにした。

「ありがとうございます・・・助かりました。」

「良いってことよ。肝試しは行かなくて良いのか?」

「夜に外出をしたら、ダージリン様に怒られてしまいます。」

当の本人はケイに無理やり連れていかれたことは黙っておこう。ローズヒップを布団に寝かせて一息つくと、二人分のお茶が差し出された。黄色味を帯びたお茶は、タンポポコーヒーと香りが似ていた。

「タンポポ茶です。」

「ありがとう、気が利くな。」

「これぐらい、当然です。」

以前その辺に生えているタンポポでお茶を淹れてみたが、草の味が強くて飲めたものではなかった。しかし、彼女が用意してくれたものは微かに苦みを感じるだけで、芳醇な花のような甘みが広がる。適当な仕事ではこの味は出せない。ダンデが上品に背筋を伸ばして正座をする横で、大の字でぐーすか寝ている対比が面白い。

「普段もこんな感じなのか?」

「いえ、学校にいる時よりも自然体ですよ。今のほうが。」

「そんな気はしてた。」

今でこそ裏表のない性格でみんなに慕われている彼女だが、入学当時、ローズヒップと言えば問題児の代表格だった。授業に出席しない、制服を着ない、髪の毛は粗雑に後ろで縛っているだけ。これでよくもまあ聖グロリアーナに受かったものだと思っていた。そんな彼女をよく思うクラスメイトなどいるはずもなく、彼女は一瞬にして孤立した。表面上取り繕ってはいたがみんな腫物を扱う様子だった。良くも悪くもお嬢様学校なのだ、我が学び舎は。さらに戦車道の成績が良いためか、無下にもできない。戦車道、そう聖グロリアーナの戦車道と言えば優雅で可憐、華々しい成績を誇る存在であり、戦車道を志す女子高生の憧れの場だ。ダンデ自身そのために必死に受験勉強をしてきたというのに、あろうことかローズヒップが車長を務めるクルセイダーの操縦主に当たってしまった。砲手兼通信主に当たった生徒は早々に辞退し、他の戦車に移っていった。学園はこの問題児をどうするのかと静観していたが、退学させるつもりも無いらしい。むしろ、なんとか打ち解けて学園生活に馴染めるように生徒で解決して欲しいなどと、おっしゃる始末だった。地方出身の一般入試組という、同じ立場である私に押し付ける気満々な様子が嫌でも伝わる。最初は基礎訓練で操縦がメインだから問題ないが、このままでは自分の成績に影響が出てしまう。何かしら手を打たないといけない。このままでは村総出で送り出してくれたみんなに示しがつかない。

「はい、訓練終了。あとよろしく。」

訓練が終わると、ローズヒップはいつも足早にどこかへ姿を消していた。整備くらいしちょってもバチは当たらんけん、手伝わんかー!と文句の一つも言ってやりたいが、先輩たちがいる手前喉元で我慢をする。一人車内で大きなため息をつき、ドックに戦車を停める。このクルセイダー、ガバナーに改造が施してあり他の個体よりもピーキーで壊れやすいのが悩みの種だった。次いつ壊れるかも分からない戦車に乗っているのもかなりストレスになる。私ばっかなんでこんな目に合うと?

何度目かわからないため息をつき、いつも通りドックを後にしようとしたときだった―

ガシャン!…ガランガラン!

何か金属が落ちる大きな音が聞こえた。もしけが人がいたら大ごとだ。寮に向かう足を、音の聞こえた方に向ける。

「・・・・・・!」

少しずつ人の声が聞こえてきた。何かすごい剣幕で怒鳴っているようだ。声は小さな倉庫から聞こえる。ゆっくり覗き込むと、ちょうど一人の人影がこちらに向かって来ていた。慌てて扉の後ろに隠れると、一人の男性が出てきた。先生にしては若い。同じ高校生だろうか…それにしても迫力がある。男性は足早にどこかへ姿を消してしまったが、倉庫の中にはまだ人影があった。案の定というか、やはりローズヒップだった。

「何しに来たの・・・、ダンディー・レオン」

クラスメイトの名前を忘れるとは、失礼なやっちゃ。

「私の名前はダンデリオン。同じチームなんだから覚えて下さい。それで、すごい音がしたけど何があったの?」

「ああ、さっきの人突き飛ばしたら、色々散らかしちゃった。」

あっけらかんと野性的な返答が返ってくる。本当にこの人は聖グロリアーナの生徒という自覚はあるのだろうか。

「・・・手伝う。」

「ホント?ありがとう。」

しばらく黙々と散らばった工具や、ペール缶からこぼれたオイルを掃除する。そうしていると、倉庫の中心にある赤い車のような物体が気になってきた。棚の上の写真が、元の姿だろうか。今どきの車よりもずいぶんと古い。まるでおもちゃみたいに可愛らしい印象を受けた。

「可愛い車。」

「コレ、じいちゃんの形見なんだ。動かないけど。」

「直せるの?」

「私じゃ無理。だけどさっきの人がさ、直せるっていきなり言い出してね。もう、他に頼るものもないし。賭けてみようかなって。」

「直ったら、授業出てくれるの?」

「・・・そりゃあ、いい加減出席しないと追い出されそうだし。ダンディ…ダンデに迷惑かかりそうだし。」

「アンタが授業に出とらんけん、私が迷惑しちょるんよ。服もちゃんと制服に着替えて。髪もきれいにして。乱暴な話し方も…ぜーんぶ、アンタが悪いけんね!分かっちょる!?」

ずいっと詰め寄る小柄な淑女の迫力に押されて、何も言い返すことができない。

「分かった、分かったから・・・。」

観念した様子でローズヒップは両手を上げる。まったく、この子は。まるで村の悪ガキじゃないか。せっかく都会のお洒落な学校に入学したのに、野生児の子守をしないといけないなんて…。

 

その後ダンデがクラスメイトを説得したり、自動車部の生徒にも協力してもらったりすることで、なんとか彼女の愛車は再び息を吹き返すことになった。その縁もあってかそのまま自動車部にも入部し、現在に至るというわけだ。今の砲手も自動車部の部員だ。ここまでの話を春樹は愉快そうに聞いていた。

「戦車道とラリーで立場が変わるんだな。」

「言われてみれば、そうですね。」

何度か車長を代わったことはあったが、並行して処理をしないといけないタスクが多すぎてすぐに根を上げた。納得はいかないが、ローズヒップはそこら辺の頭の使い方が上手だった。

「コドラとは勝手が全然違います。」

「そういえばユミの奴も戦車道では操縦主だったな。」

彼女に関しては春樹の整備した戦車に乗りたいという別の理由もあるのだが、それは本人しか知らない事情である。

「春樹さんは1年生から速かったんですか?」

「いや、初めはユミのほうが速かった。」

そうだったんですか!とダンデは目を丸くする。あんなにすごい運転をする人にもそんな時期があったなんて。思いもよらない告白に興味が湧いてくる。

「もう少し詳しく聞かせてください。」

 

 

「おっそい、下手くそ」

不機嫌そうに腕を組んでそう呟くユミの姿が、今でもたまに夢に出てくる。彼女とコンビを組んだ当初、常に眉間に皺を寄せて助手席に座っていた。ユミだって自動車免許をとって間もないはずなのに、なぜこんなに偉そうなのか。そう思って、じゃあお前が運転しろと言って彼女に運転をさせせてみた。すると、初めて乗る車だと言うのにとんでもない速さで狭い道をかっ飛ばしはじめた。同じように車をスライドさせて横を向いているのに加速が段違いで、コーナーを抜けるたびに差が開く。

「もう、お前が運転しろよ。」

「やだ、つまんないもん。」

そういって彼女は頑なにコ・ドライバーを譲らない。確かに運転している彼女の表情は常時無表情で、退屈そうであった。あとで父親から教えてもらったのだが、ユミは幼い時から英才教育を受けていて、1年生ながら全日本ラリーでドライバーに推薦されるほどの実力者だったらしい。舗装でも砂利でも雪でも雨でも、視界が悪かろうが路面が滑ろうが関係なく速い。ラリーという競技において、彼女は天才肌だった。そんな彼女から見れば、当時の春樹の運転は未熟に感じるのも無理はない。

「どんなに走りこんでもタイム上がらないから、ここが私の限界。でも君はもっと早くなるよ。」

「その根拠は?」

「あっという間に私の走り方トレースしたと思ったら、ブラッシュアップして良いところだけ残したでしょ。私、ああいうの出来ないからさ。」

それに加えてメカニックのこともよく理解している。技術と才能と知識は現時点で最高と言ってもいい。だがしかし、体力が圧倒的に足りていない。これでは過酷ならラリーを完走できない。だったら、私が育てれば良いんだ。

「春樹君のせいでドラ辞めたんだから、責任取ってよね。」

いろいろと言いたいことはあるが、愛車が他人の運転で自分よりも速いという事実に一番腹が立つ。こいつの鼻っ柱をへし折るには速くなるしかない…。

思えばその悔しさが力になり、厳しいユミのラリートレーニングに耐え抜くことができたのだろう。筋トレに始まり、走り込み、水泳、マラソン…毎日が筋肉痛との戦いだった。

「ラリーは体力だよ!飯食え!今どき草食系のショタは流行らないよ!」

タンパク質と野菜の山盛りが机の上にそびえ立つ。まさか食事トレーニングをされるとは思わなんだ。涙目になりながら、味気ない栄養を体に詰め込む。正直これが一番つらかった。飯くらい美味しく食べさせてくれと、心の中で何度叫んだことか。しかし、そのおかげで身長が伸びたのもまた事実。そして体力の向上とともに集中力が上がり、この時期からタイムのバラつきが減ってきた気がする。瞬間的なタイムではまだ負けることもあるが、今は全体のタイムで春樹のほうが上回っている。

「あいつがいなかったら、メカニックとして高校生活を過ごしてた。間違いない。」

初心忘るべからず。春樹のスマホには1年生の時の写真が壁紙になっている。

「良いことを聞きました。明日から頑張ります。ね、ローズヒップ。」

気が付いたら豪快な寝息が静まり、じっとこちらの話に耳を傾けて頷いていた。

 

一夜明け、いよいよ本格的なラリー練習の始まりだ。彼女たちが今回用意したのはスバルのインプレッサで、俗にいうGC8型の2ドア仕様と言われている車だ。長年放置されていたせいか塗装も剥げていて、錆や苔が浮いている個所も見える。一応年式で言えば春樹のランサーと変わらないのだがそれ以上に古い車に見える。

「5ナンバーか。」

インプレッサは次のGDB型からボディが大きくなり、3ナンバーになる。春樹のランサーも最後の5ナンバー車両であることから、親近感を感じていた。

「新車を廃車にした以上、流石に新しい車には乗れないからね。」

「またこんな古いタマどこで引っ張り出してきたんだ?」

「車庫の一番奥で眠ってたものをとりあえず動かせるようにして持って来たんです。」

自動車部も保管スペースが空くのは嬉しいらしく、二つ返事で譲ってくれたそうだ。リジットトラックに乗せられたインプレッサを下から覗いてみる。足回りの錆が少し気になるが、これくらいであれば金ブラシで落としてシャシーコートを吹けば問題ないだろうし、どうせぶつけて曲げたら交換するのだ。問題は中身(メカ)の方だ。エンジンルームは油で固まった埃で黒くなり、アイドリングはお世辞にも元気が良い音とは言えない。軽くスロットルをひねると、スーパーチャージャーのようなノイズがタービンから聞こえる。おそらくベアリングからの音だろう。

「…オイル類は?」

「エンジン、ブレーキ、クラッチ、パワステ、クーラント…あとトランスミッションとデフか。交換できるところは全部やってある。エンジンは…ちょっと点火系が弱ってるかも。付け焼刃でコードだけ新品にしてある。」

「水平対向だから、プラグ回りの整備に時間が割けなかったんです。一応イグニッションコイルの予備はあります。タービンは来月届きます。」

このくらいの車の方が思い切り飛ばせるし、ぶつけても気にならない。これはこれで練習にはうってつけだろう。春樹たちも自分の車の所へ戻り、出発の準備を始める。この合宿で走る山は合計で五つ。およそ2大会分のコースを5日間かけて走り込む予定だ。

「よし、準備OKだ。」

「はい出発。出口を左折して、500m直進。右折レーンに入って。」

ユミの読み上げで正しい道順を走っていく。継続高校の慣例で、まずは計算ラリーから始める。計算ラリーとは、今の主流であるスペシャルステージラリーとは異なり、正確にチェックポイントを通過する時刻を競うラリーだ。コドライバーであるユミが指示書とラリーコンピューターを操作して、どいう風に運転をすればいいのか指示をする。

「はい、ここでチェック。30㎞/hね。」

アクセルに気を配り、出来るだけ指示された速度を維持して走る。今日は道路もあまり渋滞していないので、そこまで気を配る必要は無い。…はずだったのだが。

「プラス3分10秒…11秒…」

このままではチェックポイントまで3分以上速く到着してしまう計算だ。おそらく赤信号に捕まらずに来た誤差が原因だろう。交差点を右折後、公園に入る。よほど意地が悪くなければここの敷地内にチェックポイントがあるはずだ。しばらく待機して時間を調整する。

「オンタイム…ゼロ、プラ1、プラ1…」

ラリーコンピューターで計算した誤差を読み上げる。その声を聴きながら速度を調節しつつ、公園の敷地内を走行する。そして突然笛の音が聞こえたと同時にユミがラリーコンピューターのボタンを押した。

「はい、チェック。」

公園内の駐車場に1台の車が停まっていたので、その隣に駐車する。すると、オフィシャルのビブスを付けた地元の人がチェックカードを渡してくれた。

「お二人さん随分と早く来たな。」

「夏休みなのに道が空いてたの。運がいいのか悪いのか全部青信号だったしー。」

「公園も全然人が来なくて退屈だよ。」

「よく言うよ、コーヒーセットとラジオなんか出してご機嫌な休日じゃん。」

出来立てのコーヒーを分けてもらい、暫く世間話をしてから公園を後にする。

「よし、減点なしっと。次もローアベ、そんで白臼入り口でハイアベね。」

「了解。」

暫くドライブを楽しんでいると、少しずつ遠くの山が近づいてくる。2つ目のチェックポイントで安全装備を付ける指示を受けた。道路を閉鎖していることを伝える看板を過ぎると、ここから先はクローズコースとなる。タイムカードの指示速度は60㎞/h。つまりは曲がりくねった林道を平均60㎞/hで走ることを意味し、これは殆ど全力で走れと言うに等しい。タイムコントロールを通過した後、指示通りヘルメットを被り、6点式のシートベルトで体を固定する。そしてスタートラインで待機する。

「5,4,3,2,1、スタート!」

タイヤを空転させないようにアクセルを踏み込んでコーナーへ突っ込む。ブレーキはやや手前から、サイドブレーキで姿勢を調整をしながらコーナーを抜け、半分だけアクセルを踏み込む。ハイアベレージと言っても、所詮は60km/h。一心不乱に踏み込んだら早着になってしまう。そしていやらしいのは路面がグラベルということだ。当然タイヤを空転させてしまったら、誤差が広がってしまう。しかし、ゆっくり走ってしまうと遅れてしまう。そのため、空転ギリギリの絶妙なアクセルコントロールが必要になる。それでも誤差が埋まらない場合はペースを上げるしかないが、出来るだけそれは避けたいところだ。

「オンタイム、L3ミドルオープンタイト、50、マイナス1秒」

ノートを読みながら予定通過時刻と差が無いかをきっちり監視する。計算ラリーはコ・ドライバーが主役のラリー。ドライバーはあくまでも指示通りに車を動かす役割に徹する。この経験が普段のスペシャル・ステージラリーでも生きてくるのだ。

「ハイチェック。まあ、上出来でしょう!ほめてあげよう。」

「ありがとさん。」

この後はまたローアベレージ区間が連続で続き、山の景色を楽しみなが宿泊場所に戻ってきた。明日は舗装路を走るので、それに合わせてサスペンションを交換する作業に入る。全員が戻ってきたところで、オフィシャルの報告が始まった。

「1日目のトップは減点3で、部長チームです。最下位は300点でローズヒップさんチーム。」

1組だけとんでもない減点で帰ってきた。計算ラリーにいまいち慣れないのか、どこの区間でも大幅に早い時刻で通過したのが原因らしい。

「ぐぬぬ、最後は師匠のタイムを逆転したと思ったのに…。」

「逆転してどうする。指示通りの速度で走れ。」

「でも……!」

ローズヒップは納得いかない顔で俯く。

「こんなの合宿に来た意味ない…速くならないといけないのに…。」

計算ラリーでストレスが溜まっているのか、ローズヒップは春樹に食い下がる。

「確かに速さは重要だ。でもな、その前に完走しなくちゃ意味がない。それはもう分かってるだろ。」

「ぐぅ……」

ラリーは二人でやるものだ。特にコ・ドライバーの役割はとても重要だ。立場的にはコ・ドライバーが上と言うこともある。コ・ドライバーがペースをコントロールし、ラリーを支配をすることで、ドライバーは安心してアクセルを踏むことが出来る。一人で走るよりも速いタイムを出すことが出来る。

「折角聖グロの呪縛から解き放たれたんだ。次のステップに進んでも良いだろう?」

「次のステップ?」

「それが出来るようになればもっと強く、早くなれる。」

「強く、早く……。」

そのためには何が必要なのかローズヒップは既に知っている。走り込みだ。遅い速度、早い速度、舗装、ダート、色々な条件で走りこむ。そんな地道な反復練習の積み重ねでしか獲得できない技術だ。

「明日からきつくなるぞ。休めるときにしっかり休むのも重要だ。」

「……はい。」

2日目はスペシャルステージラリーに切り替わる。計算ラリーの感覚でコドライバーの声に集中しすぎると、だんだんとペースが悪くなってくる。そんなときにコドライバーがしっかりコントロールをすると、ドライバーは安心して速いペースを作ることが出来るようになる。その感覚をしっかり定着させることが、この合宿の狙いであるのだ。

夕方ローズヒップのインプレッサが右側のドアを大きく凹ませて帰ってきた。一応ストライカーは無事らしく、歪んだドアを開けて青い顔をしたローズヒップが出てきた。

「ごめん苔に乗った。」

「私アウトスリップって言った筈だよ?」

「ちゃんと頭に入れてたけど……急に車が変な動き方をして。そのまま横を向いて…。」

車から降りるなり正座をしてダンデにお説教を受けていた。その横を食材がたくさん入った籠を持った春樹が通りかかる。

「お前ら直すまで飯食えねーぞ。」

「そんなぁ……」

うなだれながらローズヒップは車をピットエリアまで移動させる。彼女以外にも大小様々、車にダメージを受けた部員たちが整備をしていた。

「あちゃー、アーム曲がってる。」

リジットトラックに乗せて下回りを覗き込むとくの字に曲がったアームが顔を覗かせていた。変な挙動の原因はこれだったか…。そういえばインカットやりすぎて、車が跳ねたところがあった。岩にでもぶつけたのだろう。

「アームだけで何とかなりそう?」

「うん、大丈夫そう。よかった大きい方じゃなくて。まずはドアからね。」

ダンデがボディの外側に木を押さえつけ、ローズヒップが車内からハンマーを打ち付ける。ドン、ドン、ドンと景気のいい音がピットに響く。

「愛車のボディと一緒に自分の心も鍛造!私たち最高にラリー屋だよ、ダンデ!」

「こんなの!全然!嬉しくっ・・・ない!!」

テンションの上がったローズヒップの容赦ない打撃のおかげで、あんなに大きかった凹みもどんどん小さくなっていく。その間ずっと衝撃に耐えていたダンデは作業が終わるころにはフラフラだった。間髪入れずに足回りの修理に取り掛かる。アームを外しやすいようにサスペンションを手で支える。アームの交換が終わったらアライメントの調整だ。ただでさえ体が疲れているというのに、細かい計算をしなければならず、頭の回転も鈍くなっていく。修理が終わったらすぐにでも横になって眠りたい気分だ。しかし明日もハードな一日が待っているので食べないわけにはいかない。手足は棒のようだがお腹は飯を食わせろとがなり立てていた。

「お疲れさん、今日の夕食はカレーだ。」

春樹の作るカレーは一度は食べてみたいグルメとして、聖グロリアーナの自動車部でも有名だ。食欲をそそる香りにすぐにでもありつきたいのだが、如何せん体が言う事を聞いてくれない。なんどもスプーンを落とす姿を見たユミが心配そうな様子で隣に座る。

「ダンデちゃん、食べないの?」

「手に力が入らないんです…。」

「よし、それならお姉さんが食べさせてあげよう!」

ユミにカレーを食べさせてもらうことで、何とか食事をとることができた。ああ、人にお世話をしてもらうのってこんなに楽なのか…。真向いで大盛りのカレーをものすごい速さで平らげるローズヒップに生暖かい視線を送るダンデであった。

「ユミさん、この後ペースノート見てもらえますか?」

「うん、もちろん。」

 

夕食を食べ終えて就寝まで少しだけ時間があるので、春樹はローズヒップを助手席に乗せてコースを走ることにした。

「なんだか久しぶりだな、お前が横に乗るのは。」

「本格的に競技をするようになってからは全然だったもんね。」

車をぶつけてダンデにも怒られ、少々空回りをしていた彼女を見るに見かねて連れだしたのだった。

「私の走り方と全然違う…。」

全てのコーナーをギリギリまで攻めるわけではない。時にはイン側を余らせて次のコーナーに侵入しやすいように姿勢を作る。責めるコーナーと捨てるコーナーの見極めが完ぺきだった。たしかにこれなら安全で速いのも納得だ。

「勉強になったか?」

「うん、かなり。」

「明日は…お、いい天気になりそうだな。」

天気予報では明後日からは雨が降り、夜には霧が出るらしい。

「予定変更だ。明日は整備日に当てる。そんで明後日は夕方からブラインドトレーニングをするぞ。しっかりノートの復習をしておけよ。」

 

 

 

予報通り山の上を雨雲がすっぽりと包み込んでいた。周辺も真っ白な霧が立ち込め、目隠して走るのと大して変わらない。

「本当にあんなところを走るの?」

「もちろんだ。ここをハイペースで走り切るのがこの合宿最後の課題にする。」

ローズヒップはもう一度ペースノートを開く。春樹の言葉で途端に自分のペースノートが信じられなくなってくる。本当にこのコーナーはロングでつなげて良いのだろうか?ストレートは間違いなく50だろうか?滑りやすい場所はチェックしていただろうか?疑心暗鬼になっている時だった。

「落ち着いて。大丈夫だから。」

ダンデが温かいココアを持ってきてくれた。それを一口飲むと、緊張や不安が少しだけほぐれていく。

「最初は大変かもしれないけれど、私を信じて。あなたの目になる。」

昨夜ブレークスルーを受けたのはローズヒップだけじゃない。ダンデもユミのペースノートを見て、驚愕していた。リアルタイムでペースノートを更新し、ドライバーの認識よりも早く情報を伝達する。目よりも早く、認識をさせる。予測運転が不要なくらいに正確に。

コ・ドライバーはドライバーの目の代わりではなく、新しい目だ。このコンディションはそれが出来るようになる最高のコンディションだ。

「うん、頼りにしてるよ。相棒。」

スタートの地点ですでに白い霧が立ち込めてきていた。赤いグローブと、指ぬき手袋の握り拳がぶつかる。水色のランサーがスタートし、自分の順番が回ってくる。

「3,2,1,スタート」

ダンデのカウントでスタートを切る。いつもは空転するタイヤが今日は空転しない。ブレーキもかなり手前からかけている。自分でもわかるくらいペースが悪い。去年の学生ラリー選手権はこんな最悪のコンディションに怖気づいてしまい、ペースが上がらず、大差をつけられて負けたのだ。来年勝つためにはここで練習をしないと、また負けてしまう。

「3ライトロング、オープン、100」

無理やり闘争心に火をつけ、コーナーを抜けた先でアクセルペダルを踏み込もうとしたその時―

「……ッ!」

目の前に真っ白な壁が現れた。ヘッドライトの光も、わずかに絞り出した勇気も全て無慈悲に跳ね返される。右足に入れた力が抜け、ブースト計の針が下がる。

「踏み込め!ブレーキは効くんだからビビらない!」

ダンデの掛け声にはっとする。そして、昨日の春樹の走り方を思い出した。最速のラインよりも、不測の事態に対応しやすいラインどりを考える。全開ペースの8割を意識して、タイヤのグリップに意識を集中する。フロントのグリップが抜けてアンダーステアが出たらサイドブレーキを引く。スバル独特のトランスミッションだから急な操作でもちゃんと応えてくれる。暫くすると、耳から入ってくるノートの情報だけで走れるようになっていた。目で見るて予測するよりも早く、耳からの情報で認識できる。これなら視界が悪くても関係ない。路面は濡れて、上り坂。フロントのグリップが低いが、リアタイヤのグリップはまだ使える。曲がりにくいなら、オーバーステアを作ればいい。少し長めの直線で、センターデフの効き具合をリア側に調整する。アクセルで車を曲げることを意識した瞬間、何かがカチリとはまった感覚があった。ペースノートの情報と路面のぬれ方から、その先の状況が推察できる。あとはそれに合わせてあらかじめ車の姿勢を作ればいい。これによって無駄な操作が無くなる。無駄な操作が減ると、認識に余裕が生まれてくる。

「ワンテンポノート早めて。」

思考に余裕が出来た分、ペースノートからの情報を増やせる。把握できる道路の情報が増えたら、今度はラインどりを攻められる。そうすれば、ペースを上げずにタイムが上がる。

「その調子!いいペースだよ!」

どうして、こんなに簡単なことが今までできなかったんだろう?まるで車を外から俯瞰で見ているような感覚だ。もっと、もっと走りたいという欲がこみ上げる。そして、あっという間にフィニッシュを示す赤い看板が見えた。その瞬間安堵ではなく、終わってしまう寂しさを強く感じた。それでも迷いなくアクセルを全開で踏み込んだ。ゴール後のタイムを受け取ったダンデは一瞬怪訝そうな表情を浮かべる。タイムが良くなかったのかと、ローズヒップは委縮する。

「ベストタイムだよ。よく頑張ったね、ローズヒップ。」

しかし、出てきた言葉は彼女をねぎらうものだった。この合宿で初めて褒められた。春樹にじゃなく、彼女に褒められるのがこんなに嬉しいなんて。

「ダンデ~!」

「ちょ、車内で抱き着かないで、コラ!」

バインダーで頭をひっぱたかれる鈍い音が車内に響いた。結局は怒られるローズヒップだった。

 

最後の車がフィニッシュしたことを確認して一息つく。このコンディションで全車リタイアなく完走出来るとは思わなかった。予想よりも部員たちのレベルアップが果たされているらしい。この調子でしっかり鍛え上げていこう。次は夜の雪道にしようか。

「はい、みんなのタイム表。」

真っ先にローズヒップのタイムを確認する。どのSSもおよそ10~20秒くらいのタイム差が開いていたが、一番霧が濃かった最終SSだけ2.5秒まで縮んでいた。どうやら何かコツを掴んだらしい。

「一皮むけたようだな。」

ねぎらいの意味を込めて、最終日は浜辺で打ち上げをすることにした。肉の焼ける音と楽しそうな笑い声が青紫色の空に響く。

「ダージリン様、お肉が焼けましたわ~!」

ローズヒップが串に刺した肉と野菜をこれでもかと皿に盛ってくる。

「ありがとうローズヒップ。でも、こんなに食べたらお腹が破裂してしまうわ。」

「大丈夫です、残ったら私が全部食べますわ!これでも食べ盛りですのよ!」

そういうや否や美味しそうに肉を頬張る。幼少期から培われた早食いという癖はなかなか治らないらしい。

「こら、ローズヒップ。お行儀が悪いわよ。ちゃんと小皿に分けて…ああ、もう!お口にソースが…。」

見かねたアッサムがローズヒップの口を拭く。それを見ながらダージリンは楽しそうに牛肉を口に運ぶ。少し焦げて苦いのもまたご愛敬。

「たまにはこういうのも悪くないでしょう?」

「煙でお洋服が匂ってしまいませんか?」

「しっかりクリーニングに出せば大丈夫よ。そんなことより、ペコも食べなさい?」

「はい…いただきます。」

遠慮がちに食べ始める中、どこからともなく陽気な音楽が流れだし、歌うものもいれば踊るものもいた。誰かが持ち込んだ吹き出し花火が浜辺のステージを演出する。その中にはダンデとローズヒップの姿があった。食事は静かに座ってするもの。それが聖グロリアーナの常識だった。しかし、どうにもこれを悪くないと思っている自分がいる。確かに騒がしいのだが、なにより楽しい。言ってしまえば普段の食事と比べたら上品とはかけ離れている。だがしかし、この楽しさは何よりのスパイスであった。

「炭火で焼いただけなのに…美味しいです。」

「その時に合った食べ方や楽しみ方をする。それもマナーよ、オレンジペコ。」

ダージリンがオレンジペコに視線で促す。すると、彼女も遠慮がちにローズヒップに混ざり音楽に合わせて踊り始めた。見様見真似で、腕を振りステップを踏む。

「いいのかしら、ダージリン?」

「学園によって色々な習慣、文化がある。あの子たちにはそれにたくさん触れてほしいの。」

派閥争いには目もくれず他校との交流に重きを置いたダージリン。そこには彼女なりの思惑があってのことだろう。聖グロリアーナのしきたりをぶち壊してくれるのは、彼女なのかもしれない。いや、彼女じゃないと出来ないことだ。そしてこの自動車部の活動は、そのために必要なファクターだと今日理解することが出来た。それならもう、こちらからは水を差してはいけない。見守るだけだ。

「春樹さん、鍵盤の楽器はあるかしら?」

「これならありますよ。」

そういって差し出したのはコンサーティーナという小さなアコーディオンのような楽器だった。

「十分ね、お借りするわ。」

少しだけ音階の確認をしてから、ものの数分で完璧に「カントリーロード」を演奏して見せる。様々な国で歌われ、なじみ深い曲だ。輪唱をするように楽器で続いたり、いろいろな言語で歌ったりと少しずつ音が重なっていく。様々な国の楽器、言葉が一つの曲として交わり彩りを作り上げていく。少しだけ彼女の思惑が分かったような気がした。

 

 

「ローズヒップ、どうしたの?こんなところで。」

かつてローズヒップがシビックを修理していた小さな作業場で再び彼女は難しい顔をして立っていた。

「来年、この車で走ろうと思うんだ。」

そう言ってローズヒップはこの合宿を共にしたインプレッサを指さす。自動車部からは新しい車両を用意すると言ってくれているのだが、早々に断った。その代わり廃車にしたWRXの部品を譲ってくれることになっている。

「わざわざ古い車に乗るの?使えるタイヤも細くなるし、エンジンだって…。」

ダンデの言葉に彼女は首を横に振る。

「それでもアドバンテージはある。現に師匠はそれで勝ってるから。」

古い規格故の小柄で軽量なボディではあるが、最新の電子デバイスなんて一切装備されていない。しかし、それでも大きなメリットがある。車と人との間で情報がダイレクトに伝わる分、全ての操作が早く、正確になる。

「確かにVABじゃ、今日みたいなタイムは出なかった。だからこの車が良いの?」

ローズヒップは強くうなずく。春樹のランサーがどんな状況でも抜群の加速を見せるのは彼の荷重移動の技術がとてつもなく秀でているからだ。荷重移動の技術はタイヤの使い方に直結する。少なくともそれが彼の速さの秘訣の一つであるのは確かだ。そしてそれを実現しているのが、古い車故のインフォメーションの強さなのだろう。今ならそれが分かる。

「出来るの?」

「出来る出来ないじゃない。やるんだ。」

くたびれたエンジンやトランスミッションは廃車になったVABからごっそり乗せ換えればいい。配線類から引き直さなくてはならないが、どうせ一度補強のためにホワイトボディにする予定なのだ。さほど問題ではないだろう。

ボディの軽量化や、補強、駆動系、そしてエンジン。やることは山ほどある。…でも、ワクワクが止まらない。

「無理しちゃだめだよ。ローズヒップ。」

「大丈夫!馬鹿は風邪ひかないから!」

そういう意味じゃないんだけどな、とため息をつく。

 

場所が変わり、島田邸の大広間にて二人の親子が夕食を取っていた。母親の表情は、どこか焦っているようにも見える。対して娘の方は淡々とスープを口にしていた。

「ねえ愛里寿、本当にあの学校で良いのかしら?」

「あそこには春樹がいる。何かあったら彼に頼れば良いから。」

大洗女子学園での短期編入を途中で切り上げてしまったため、次の転入先をどこにしようかという話題だった。あの試合に参加していたBT42の動き方から、とても懐かしいものを感じていた。掴みどころのない動きからの鋭い攻め込み方。あの戦車乗りの正体を知らなければならない。だから確かめに行くんだ…。

「お母さんは聖グロリアーナが良いと思うんだけどなぁ。」

「あそこの隊長嫌い。何考えてるか分からないし。」

「それじゃあせめてサンダース…。」

「うるさいのは嫌い。」

それに…と愛里寿は母の顔をじっと見つめる。その眼は必ず自分の目的を達成しようとする、確固たる意志を感じる。

「これは…私の人生で大切なことだから。」

「……。」

そう言って、かつてこの場所にいた少女は去っていった。そして娘の愛里寿も同じ言葉を使う。

「分かったわ…。困ったことがあったら、すぐに彼を頼りなさい。」

「うん、ありがとう。お母さま。」

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