継続高校の長い長い冬が終わり、季節は再び春に変わろうとしていた。
「おー本田君こっちこっち~。」
自分の名前を呼ばれた春樹は、4人の少女の方へ向かう。
「申し訳ないちょっと迷ってしまって。」
「いやこっちこそごめんね。戦車の整備で手が離せなくってさ~」
そう言うツチヤの作業着は真新しい汚れが付いていた。
現在彼女たちの学園艦は大洗港に入港しているため、春樹は彼女たちに大洗を案内してもらうことになっていた。
継続高校の学園艦もメンテナンスで入港しているため。ここまでの移動手段は車であった。
「大洗も戦車道復活でしたっけ?」
「うん!確か西住?っていう有名な流派の娘さんが転校してきてね~。」
聞き覚えのある名前が出てきて、春樹は驚きの顔をみせる。
「もしかして西住みほ?」
「あ、知ってるんだ。知り合い?」
「黒森峰とは個人的につながりがあるので。」
「へぇ、顔広いんだ。」
ホシノが意外そうな顔をしていた。
「ま、立ち話もなんだから移動しようか。ここの名物を御馳走しよう~。」
ツチヤ、ホシノ、スズキがソアラに、春樹のランサーにナカジマが乗り込み5人は大洗港を出発した。
「美味いな、アンコウってこんな味がするんですね。」
大洗名物のアンコウの濃厚な味に春樹は大満足だった。
「ちょっと多くなかった?大丈夫?」
基本的に食える時に食っとけのスタイルである春樹は、腹八分目という概念をあまり有していない。
「ちょっと…休憩…。」
「あはは、まあ時間はたっぷりあるから大丈夫だよ。」
スズキが人数分のお茶を用意した。
「ありがとうごさいます。」
「じゃあ、次はデザートでも食べる?本田君は別腹もお肉な人?」
「いえ、ちゃんとスイーツ用の別腹も持ってますよ。」
それなら良かったと、四人は安心した顔をする。どうやら、そこはお気に入りの場所のようだ。
食休みを終えて、次なる目的地へ向かうソアラの後ろを付いていく。
「本田君は普段もこの車に乗ってるの?」
「はい。」
「へ~好きなんだね。この子が。」
それだけで大方を理解したナカジマは納得したように頷いた。
「今年も負けませんよ。」
「言ったな~ウチだってツチヤが燃えてるんだから。」
笑いながらそんな会話を交わすが、小さく火花を散らしていた。
「戦車カフェ…って、凄い所があるんですね。」
乙女の嗜みである戦車道。その戦車をモチーフにした戦車カフェは案の定女性客が多い。
「男の子にはちょっと敷居が高かったかな?」
「いえ、曲がりなりにも戦車道に関わってる身ですからね。…まあ、多少は。」
注文したブルーベリーチーズケーキを一口食べると、春樹はちょっとだけ物足りなさそうな顔をした。
濃い目の味付けが好きな春樹はブルーベリーもその類ではないようである。
「まだ戦車道を続けているんだな。」
聞いたことのある声で顔をのぞかせると、西住まほと逸見エリカの姿があった。
そして彼女たちの視線の先には、大洗の制服を着た西住みほの姿が。
何やら会話をしているが、その様子から決してお茶会を楽しんでいる雰囲気ではなかった。
お互いの立場からそうせざるを得ないのは理解しているが、見ていて息がつまるような光景だった。
「せいぜい、無様な負け方で西住流の顔に泥を塗らない事ね。」
そうエリカが言い捨て、二人は離れた席に向かった。そして席に着くや否や重苦しい表情で黙り込む。
「……はぁ。すみません、今日はここで失礼しても良いですか?」
「ん?別に良いよ。明日が本番だからね。用事でもできた?」
「ええ、ちょっと。」
そう言って春樹は席を外し、あの二人の席へ向かった。
「どうも。お二人とも。10月以来ですか?」
久しぶりに顔を合わせた二人は不思議そうな表情をした。
「……失礼だが、あなたは?」
まほが首を傾げる。本当に目の前にいる男が誰だか分かっていない様子だった。
「確かに背が伸びましたけど、それは流石に傷つきますよ?」
「まさか、本田春樹?」
純粋に驚いた顔でそう聞いてくる。
「なんでそんなに驚くんだよ…。」
「随分と男らしくなったな。」
「それは喜んでいいんですよね?」
顔を引きつらせる春樹に、まほは座るように促す。
「なんで私の隣なのよ。」
「別に良いだろ。」
先ほどのことを引きずっているせいか、エリカは少し強めの口調だった。
「良かったですね。みほさんがまた戦車道始めたようで。」
「はぁ?あんた何言ってるの?戦車道から逃げ出したの。そんな言葉かける資格なんてないわ。」
「あの時の様子を知っててよくそんな言葉が吐けるな。」
「うぅ…。」
エリカは悔しそうに口を閉ざし、俯いた。
「君の言う通りだ。確かに私はあの時安心した。だが…前にも言った通りだ。一度逃げたものにかける言葉は無い。」
私は西住流そのものだ。
そうはっきりと言ったまほの言葉を春樹はまだ覚えていた。
そしてそんなまほの言動で惑い、苦しむ人間がいることも分かっていた。
「あなたは…確かに指揮官としては優秀だ。ただ…上司としては―」
まほはその優れた能力と西住流という肩書により生徒たちは彼女に対して壁のようなものを感じている。実力、名声、権力、その全てが彼女のどこか近寄りがたい雰囲気を漂わせている要素にもなっているのだ。
だからこそ彼女の妹であるみほの存在は貴重だったのだ。みほの人柄が周囲の人間を引き込むことで、周りの意見を集約しそれをに伝える。それ以外にもみほの朗らかな性格とまほの厳格な性格が良いバランスで調和することで訓練の効率が向上するというメリットもあったのだ。
みほが抜けた影響は彼女たちが考えているよりも大きい。
「随分な物言いだな。」
「…くっ。」
まほに対して強い言葉をかける春樹に反論したいが、口を開こうとするたびに迷いが生まれ、言葉にならない声を漏らす。
「はあ、ちょっとコイツ借ります。時間かかるんで落ち合う時間と場所だけ後で教えてください。」
そんなエリカを見かねて春樹は立ち上がる。
「…?分かった。」
「おら、行くぞ。」
強引にエリカの腕を掴んで持ち上げると、キッと睨まれた。
…随分と身長差ができたな。
180㎝と160㎝。立ち上がると改めて感じる身長差だった。
エリカを乗せて、春樹は人気のない海岸に車を止めた。
お互いに黙ったまま車を降りて、静かな海を見つめる。遠くに見える大洗と黒森峰の学園艦が、その巨体さ故まるで島の様だった。
「しばらく見ない間に美人になったな。ジムでなにやってるんだ?」
「……ボクシング。」
春樹に体力の貧弱さを指摘され、エリカはボクササイズを始めた。運動を初め、食事にも気を遣うようになり元々の素体が良い彼女の体系はまるでモデルの様になっていた。
「それじゃあ随分体力も付いたんだろうな。」
「アンタも身長伸びだのね。」
「180ってとこかな。」
横に並ぶとその身長差ははっきりと実感でき、今まで見下ろしていた顔が今や見上げる位置にあった。
「…ふん!」
「ぐふ!?」
突然エリカはそのどてっぱらに拳を叩きこんだ。まともに食らった春樹は膝をつき、息を整える。
「お、お前…何のつもりだ…?」
「うっさい…!」
ちらりと見えたエリカの眼に目尻に涙が溜まっていることに気が付いた。
今の副隊長はエリカだ。彼女はまほを尊敬するあまり自分の意見を伝えることをためらう節がある。みほの代わりが必要なことをエリカ自身理解していたが、彼女の代わりを務められる程エリカは器用ではなかった。
西住流は絶対。ならば西住まほも絶対的存在。
その西住流に反した行動で名前に傷をつけた西住みほは虐げられて当然。
しかし、そのみほに命を救われたことも事実。
彼女は悪くない。悪いのは私の方だ
そう言ってしまえばどんなに楽だろう。だがそれを口にしてしまえば黒森峰は間違いなく空中分解する。
勝利のためには自分を殺す。それが今の逸見エリカだった。
エリカは未だにみほに言いたいことを言えていない。何も言えないまま消えてしまったみほの損失を埋めるためにエリカは必死に努力した。
みほの代わりを務められるように、まほに認めてもらえるように。
しかし、エリカの想像以上に黒森峰の生徒たちの意思はバラバラだった。
まとまらない意見を自分の力不足と嘆き、さらに努力を重ねようとする。努力がやがて無理へと変わり、それは不安定として現れた。
西住まほはそのことを知らない。知るわけがない。教える人間がいないのだから。
そんなエリカを叱るのは見当違いにもほどがあるだろう。
そんな彼女のはけ口になる人間は誰もいない。だったら―
「エリカ。」
「なによ、気安く名前で呼ばないで。」
「…エリカ。」
春樹はエリカの両肩を掴んで、まっすぐその瞳を見つめる。
「お前、大丈夫か?」
「な、なに言ってるの?大丈夫に決まって―」
そういうエリカは俯いて視線をそらす。
「本当に、本当に大丈夫か?」
「………。」
見たこともない真剣な顔と表情に驚いたように顔を上げ、春樹の眼を見る。
「西住みほに対してお前が負い目を感じるのも分かってる。アイツの空白を埋めようと必死で努力しているのも分かってる。だけどお前無理してないか?」
「副隊長の私がしっかりしないといけないの…当然でしょ?」
エリカの眼が戸惑うように揺れた。
「確かにお前が嫌われ者になれば、丸く収まることもあるだろうよ。だけどな…。」
エリカの肩を掴む手に力が入る。
次に言おうと良している言葉を放ってしまえば春樹は他人事ではなくなってしまう。しかし、その言葉を言う覚悟は既にできていた。
「お前は…逸見エリカは嫌われ者になるには優しすぎる。」
エリカの眼が揺れ、何かをこらえるように細められる。
そうなのだ。逸見エリカという少女は根っこのところはとても気遣い屋で優しい人間なのだ。
そしてチームのためには自分を殺すことができる強い心も持っている。
だが、それも長い間続くとは限らない。
「…あ…ああ。」
エリカの小さく開いた口から、声が漏れだす。
「逸見エリカは十分頑張った。だから…一人で抱え込むな。相談…乗るから。」
すり減った心はどこかで発散しなければ壊れてしまう。春樹はそんな彼女のはけ口になろうと決心したのだった。
「ああ…あああ…。」
今にも崩れそうなエリカの顔を隠すように、春樹は思い切り胸に抱く。
やがて漏れ出した声が大きくなり、春樹の服の胸のあたりを固く握った。
「なんで、なんであの子だけ!!私のせいであの子は…!私が悪いのに!!なんで私だけ黒森峰に!!」
その叫びは響くことなく、春樹の中に吸い込まれる。
春樹はエリカの中に溜まったものを全て吐き出させ、受け止めた。
「ったく、いい加減機嫌直せ。」
「……。」
泣き止んだエリカを乗せてしばらく経つと、今度は不機嫌そうにそっぽを向き始めた。
「ハンバーグは○っくりドンキーと○スト、どっちがご所望だ?」
「…○スト。」
「了解。いくらでも奢ってやるよ。」
エリカの方がピクッと反応する。
好物に対しては素直な反応に、春樹は苦笑した。
「失礼します。」
黒森峰の学園艦に帰ったエリカは、まほの寮部屋に向かった。
「どうした?」
「隊長…私は元副隊長のようにはできないかもしれません。」
しかしとエリカはまほの顔をまっすぐ見据える。
「隊をまとめるために好かれる必要はありません。」
「……それで良いのか?」
「はい。」
まほはエリカの迷いのない瞳を見て、ゆっくりと頷いた。
「すまない…エリカ。」
「いえ…。それでは、失礼します。」
これで黒森峰がまとまるならば、勝つことができるならば、私は喜んで嫌われ者になろう。彼女たちの前では強くあれ、逸見エリカ。
…もし駄目そうになったときは、彼の胸を借りればいいのだから。