継続高校自動車部   作:skav

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再開

「まったくあの子は…大体アンタのせいでしょう?大洗に行けなんて言ったのは。」

「戦車道のない学校とは言ったが、大洗に行けとは言ってないぞ?」

「ふん!どうだかっ。」

エリカはコーヒーを飲み干してから心底気に入らないと言ったような顔をした。

「戦車道大会で優勝したら廃校撤回か…。」

「本当かどうかも怪しいわよ。こんな話。」

「それでも信じるしかないよなぁ…。お代わりいるか?」

「もらうわ。」

大洗女子学園が廃校の危機から救うために戦車道を復活させる。そしてそこには西住みほがいる。

ーわざわざ無名校に転校してまで戦車道を続ける意味は?

ー”あの事故”との関係性は?

戦車道を行っている全国の学校では、この話題で持ちきりだった。

「回りがどう騒ごうがウチのやり方は変わらないわ。ただ打ち倒すのみよ。」

「でも良かったな。アイツ、戦車道続ける気になって。」

「………そうね。」

二杯目のコーヒーが注がれる。今度は柑橘系のような匂いが広がった。おそらくケニアだ。

「毎回違うコーヒーが来るの?」

「おもしろいだろ?」

「悪くないわね。」

エリカはドライフルーツを一口食べてから、コーヒーを啜る。

「それでお前のとこは?」

「帰省する子もいるから自主練習にしてあるわ。隊長もそうだし。」

世間はゴールデンウィーク中のため、継続高校の学園艦も燃料や物資の補給を兼ねて母港に入っていた。

「それで副隊長はプチ旅行か。」

「息抜きしろって言ったのは誰よ?」

エリカからこちらへ来るという連絡を受けて、とりあえず行きつけのコーヒー屋へ連れてきたのである。

「まぁ言ったけどよ…。なんで俺のとこに来たんだよ。」

「なによ、嫌だったの?」

「いや、嬉しいけどさ。」

「そ、そう…。」

思いのほか素直な返答でバツが悪くなり、エリカはドライフルーツをまた口に運ぶと、口の中に甘酸っぱさが広がっていく。

「ま、いくらでも息抜きしてくれ。」

「…それで、そこの窓にへばりついてるのは知り合い?」

エリカが横目で見る。その先には店の大きな窓ガラスに手をついてこちらを睨みつけるユミの姿があった。今にも歯ぎしりの音と「ぐぬぬ…」という声が聞こえてきそうであった。手招きをすると、鬼の形相で店の中に入ってきた。

「なにさ…全然その手の話を聞かないと思ったら黒森峰の副隊長とそんな関係だったなんて…。」

コーヒーとケーキを注文してから、ユミは春樹とエリカを隣に座らせ、尋問するように春樹を見つめる。

「おいユミ、別に俺とエリカはお前の想像してるような―」

「ただの知り合いがわざわざ長期休暇中に熊本から金沢に来るかー!」

ムキャー!と良く分からない奇声を上げて両腕を振りまわす。

「この子、去年アンタのナビだった子?」

「ナビじゃないですぅ!コドラ!コ・ドライバーですぅ!それに今年もですぅ!」

「的確な指示、絶えず変化する条件に臨機応変に対応する能力、熱い車内でも冷静さを保つ集中力。コ・ドライバーの適性って、戦車道の車長にも通じるところがあると思わない?」

「…どういう意味?」

「あなたのコ・ドライバーとしての力は素晴らしいわ。だからこそ彼も信頼して運転できる。」

エリカは曇りのない真っすぐな瞳でユミを見つめる。

「私、あなたの能力をとても羨ましいと思ってる。」

「…!そ、そんなおだてには乗らないわよ…!」

ユミは緩みそうになる口を必死に押さえつけてエリカに指をさす。

「ま、まだあなたと春樹君の関係を聞いてないわ!さあ、はっきり答えなさい!」

エリカはミルクを注いでスプーンでかき混ぜる。そして頬杖をついて恥ずかしそうに眼をそらした。

「アンタが言いなさいよ。」

テーブルの下でエリカの足が、春樹の脛を軽く蹴る。

「りょーかい。」

春樹は組んでいた足を解き、姿勢を正す。その時エリカの足のつま先を踏みつけるのを忘れない。

「去年の戦車道大会で起きた事故の事は知ってるよな?」

「え?ああ、うん。ある程度は。確か落ちた戦車をフラッグ車の人が助けたんだよね?」

「その落ちた戦車の車長がここにいる逸見エリカだ。救助をした西住みほは周りからバッシングを受けた。そしてエリカと西住みほは互いに信頼し合う良い仲間だった。」

「私と春樹君みたいな?」

春樹は無言で頷き、話を続ける。

「初めてこいつと会った時はくっそ生意気な女がいるもんだと思ったよ。ろくに整備もしないのに戦車ばかりに負担をかけて、挙句の果てにぶっ壊して。」

「あーそれ春樹君が一番嫌いなタイプの人だ。」

「…ぐぅ。」

「まあそれも少し経ったら誤解だと気が付いたんだけどな。分からないことは自分で調べて、だけど天邪鬼だから人には聞けない。だから自分で解決しようとする。ただ不器用なんだよコイツ。」

貯め込んだストレスは発散しないといけない。だから春樹がそのはけ口になろうと決めた。

「まあ要は相談相手って訳だ。」

「…良いなぁ。」

いつの間にかユミは俯いて、足をふらふらと揺らしていた。

「いーなー!青春しててぇー!」

「おーいユミー?人の話聞いてたかー?…いっで!?おい、落ち着け!」

そのまま春樹の足を何度も蹴りつける。

「だって車しか興味がないと思ってた機械馬鹿が普通に青春してるんだもん、そんなのずーるーいー!私も青春したいのぉー!」

もう完全に駄々をこねる子供の様相そのままだった。

「ねえ、何とかしなさいよ。」

エリカが春樹の脇腹を突いて頬杖をついた手でユミを指さす。

「そうは言ってもだな…こいつの誤解とくのは面倒なんだよなぁ。」

「別にいいじゃない、案外その誤解が誤解じゃなくなる可能性だってあるんだし。」

「…まあ、否定はしない。」

「ふふ、アンタも十分天邪鬼だと思うけど?」

「うるせぇ捻くれ女。」

「なによ性悪男。」

バン!

ユミが机を叩き、大きな音が響いた。

「独り身の前でイチャコラすんなぁああ!!」

ついにユミは机に突っ伏して嗚咽を漏らし始めた。

「随分と賑やかだね。」

ポロロ~ン♪

どこからともなくやってきたミカがいつの間にかユミの隣に座っていた。

「そろそろハルの好きなコーヒーが切れるから買ってこようかと思ったら、どうやら先を越されてたみたいだ。」

「いや、お前ずっと寝てただろ。」

「休日の寝坊は人類が生み出した究極の贅沢なのさ。」

運ばれてきたコーヒーを啜り、春樹のドライフルーツを食べる。

「継続高校の…隊長?」

「その通り。ミカで良いよ。黒森峰女学園の副隊長、逸見エリカさん?」

それはそうと、とミカは春樹をじっと見つめる。その目にはほんの少し不満の色が混じっていた。

「最近魚介系の食事が多くないかい?たまにはお肉も食べたいな。」

「しばらく入港してなかったから仕方ないだろ。肉は貴重なんだ。」

「じゃあ、今日の夕食は久しぶりにお肉がいいな。」

「…分かったよ。」

食事ごとに関してはミカのリクエストに素直な春樹であった。

「…あんたたち、同居でもしてるの?」

「…まあな。」

エリカは「ふぅん…」とあまり残っていないカップにガムシロップを入れた。

「良ければ泊まっていくかい?」

新しく注がれた春樹のコーヒーを飲んで、ミカはそんな提案をした。

「わ、私は別に…。」

「宿も決めていないのに?」

「…うぅ。」

ミカの視線の先にはエリカの物であろう、大きめのスーツケースがあった。

「そうだ、今日のメニューはハルお手製のハンバーグにしようか。」

「泊まります。」

先ほどの迷いはどこへやらで、エリカははっきりとそう言った。

「良いのかそれで…。」

一連の会話を聞いていたユミが案の定閻魔のような顔をして春樹を見ていたのは言うまでもない。

 

「荷物はそこらへんに置いて、適当に寛いでろ。ちょっと洗濯物取り込んでくる。」

「…分かったわ。」

そうは言われても勝手がわからないエリカはとりあえずベッドに腰を掛けた。後から入ってきたミカは、手慣れた様子で暖炉に火をつけ木の椅子に腰を掛けた。

「……。」

「今どき暖炉なんて珍しいかい?」

「ええ、まあ…。」

「なかなか良いものだよ。温かいし、この音は心が安らぐしね。」

パチパチ…という音に合わせるようにミカはカンテレを弾く。

「ふぅ…乾いてて良かった。」

洗濯物の山を抱えて春樹が戻ってくる。そしてそれを一枚ずつたたみ始めた。

「手伝う。」

「お、ありがとな。」

手持無沙汰だったエリカは春樹の隣に座って服をたたみ始める。

「んん?ミカ、お前また藪かなにか変なとこに入っただろ。」

春樹はミカに向かってほつれたスカートを見せる。

「食べられそうな木の実を見つけてね。」

「…はぁ。」

どうやら日常茶飯事のようで春樹は再び洗濯物の山に向き合う。

「ちょ、ちょっとアンタ…それっ。」

驚くエリカの視線の先には女性ものの下着を持つ春樹がいた。

「…ミカの下着がどうかしたか?柄がおかしいとかそういうのは本人に言ってくれ。」

「そうじゃなくて!なんで平然と下着を手にしてるのよ!」

「なんでって持たなきゃ畳めねーだろ。」

確かに血縁関係でもない異性の下着を手にして平然としているのは、いささか不自然なのだろう。

エリカは目にも止まらぬ速さで春樹の手の中にある下着を奪い取り、手早くたたむ。

「…これとこれ、上と下が片方ずつ無いんだけど?」

「…またか。おいこらミカ、お前また上下違うやつを…まさか、今着てるのは…。」

「……。」

ミカは無言でカンテレを弾く。しかしそのテンポが若干乱れていた。

「女ってのはみんなこうじゃないよな?」

「当たり前でしょう!」

「…だよなぁ。」

基本的にミカは自分に対して無頓着、言ってしまえばだらしないの一言であった。

「アンタが女性に対して遠慮がない理由が分かったわ。」

「そーかよ。…よし、ちょっと買い物に行ってくるけど。手伝いを頼んでいいか?」

「同居人に頼めば…って、あの人は?」

ミカはまたいつの間にか姿を消していた。いつもの事なので春樹は気にしない。

「また飯の時間になれば帰ってくるよ。」

「…ネコかなにかなのかしら。」

呆れるエリカを引き連れていつもの商店街へ向かった。

 

「あらハルちゃん、綺麗な子ね。彼女さん?」

「さぁ、どうでしょう?今日のお勧めは?」

「もう、釣れないんだから。えっと…玉ねぎとほうれん草が安いわね。」

「じゃあ玉ねぎを4つと…大根下さい。」

「はいまいど。置いておくから最後に取りにおいで。それと、おまけでほうれん草持っていって。」

行きつけの八百屋のおばちゃんと世間話をしてから次の店へ向かう。

「よぉ、坊主良い蛤あんだが見ていかねーかい?」

「これは…大きいですね。ちなみにおいくら?」

「10個で3200円といいたいところだが…。」

魚屋の主人がエリカをちらりと見る。

「やり手な坊主に免じて5個で1000だ。どうだ?」

普通相場では10個で3000円は軽く超える代物だ。それを半額以下で売ってくれるという。それに折角の来客だ。できれば良いものを食べてほしい。

「よし買った!」

受け取った蛤は一粒一粒が大きく、見てるだけで美味しそうだった。

「いやぁお前がいてくれたおかげだわー。あのおっちゃんが値引きってかなり珍しいんだ。」

「そ、そう…?」

「……っあ、そうだそうだ。ひき肉買わなきゃ。」

本来の目的はハンバーグの材料だと言うことを、蛤を買った嬉しさで忘れていたのだった。目当ての行きつけの肉屋に向かう。

「ちょうど来ると思ってたよ。今日はねちょっと良い肉が入ってるよ。」

そう言って店の奥から肉の塊を持ってきた。色と言い、さしの入り方と言い見るからに美味しそうな肉だった。魚屋にしても今回は良い食材が手に入ったようだ。

「春樹君お得意さんだから残しておいたんだ。」

「じゃあ、ひき肉にして下さい。ハンバーグにします。」

「ハンバーグかぁ…うん美味しそうだ。すぐに用意するよ。」

「あ、それとアレ二つお願いします。」

間もなく肉を受け取る。そして別に熱を帯びた紙袋を二つ受け取った。その中にはアツアツのコロッケが入っていた。

「お肉屋さんのコロッケ…。」

「それじゃあ頂いていきます。」

エリカにコロッケを一つ手渡して肉屋を後にした。

「頂きます…。」

二人は並んで歩きながらコロッケを食べる。中身はじゃが芋とひき肉だけ。

「おいしい…。」

それだけなのに食べるだけで自然と笑顔がこぼれる。昔母親の買い物についていって同じようにコロッケを食べて帰ったことを思い出す。

「たまにはこういう買い食いも悪くないだろう?」

コロッケを食べながらエリカは小さく頷く。

「はふ、はふ…。」

どうやらこのコロッケを気に入ったようでエリカは夢中になって食べていた。八百屋で先ほどの野菜を受け取ってから車に戻る。

 

ヒョォォォォ…ガキン!、ガンガンガン…

「なんだか前よりも賑やかになったわね。」

数々の施された改造によって、もはや今のランサーエボリューションⅣはエリカの知っている車ではなかった。

「戦車よりかは大人しいだろ?」

「それはそうだけど…。」

普段から戦車に乗るエリカだから慣れるのが早いのであって、普通の人間だったら耐えられないレベルだろう。

「こんな車乗れるのは今のうちだろうな。」

何年かすれば人間側がいずれ悲鳴を上げてしまう。まあ、おそらくその時は社会的に独立しているだろうから2台持ちでもすればいい。

「お前も大特だけじゃなくて普通も取れよ。」

「…必要ないわよ。」

「そーかい。」

そんなことを話しながら家に着く。まだミカの姿はなく、春樹は気にするそぶりも見せずに料理を始める。

「砂抜きする?」

「頼む。」

長い髪を後ろに縛ってまとめ、エリカも料理を手伝う。

「ポニテも似合うな。」

「るっさい。」

照れ隠しで隣にいる春樹を腰で小突いた。身長差でそれは太腿に当たる。

「牛脂ってみじん切りで良いよな?」

「ええ、そのまま混ぜていいわよ。こっちはどうする?」

「そのまま塩ゆでで。」

ひき肉と玉ねぎ、牛脂などの材料を混ぜ合わせていく。

そこで仕事をバトンタッチ。春樹がソースを作る。

クリームソースをイメージして蛤の身と出汁を使う。蒸した蛤の身を取り出してペーストにしていく。

煮詰めただし汁に牛乳を入れて調味料で味を調える。

「ハル、今帰ったよ。」

「お、お邪魔します…。」

ミカの後ろでオドオドとみほが入ってきた。エリカと同じくスーツケースを持った。

「いらっしゃい。乗り換えは大丈夫だったか?」

「新幹線ですぐだったから。…大丈夫。」

「な、なんでいるの!?」

エリカが慌てた様子でハンバーグを練る作業を中断する。

「お前から連絡来た時に呼んだ。」

「そ、そういうことは早めに言いなさいよ!」

全くの予想外だったらしく春樹に詰め寄る。

「なんだか二人とも夫婦みたい。」

みほの呟きはエリカの耳にしっかりと届いたらしく「ば、馬鹿な事いってんじゃないわよ!」とハンバーグを練る作業を再開した。

「春樹君、私も手伝った方が良いかな?」

「いや、手は足りてるから座ってて良い。」

エリカが練り終わったハンバーグをフライパンに並べる。

ジュワァァ…

肉が焼ける良い匂いと音が部屋に広がる。

「ミカ、米。」

春樹がそういうなりミカは人数分の茶碗に白米を盛っていく。

「冷蔵庫にスープあるから持ってきて。」

冷蔵庫から出した鍋を持ってきてコンロに乗せる。

「よし、座ってろ。」

再び定位置に戻ってミカは二人の様子を眺めていた。

「いつもこんな感じなの?」

「最近レンジの使い方を覚えた。」

「そ、そう…。」

思いのほかミカが料理をできなくてエリカは半ば同情するような顔をしていた。

「出来たわ。この皿に乗せればいいの?」

「ん。」

皿にハンバーグを盛り付け、残った肉汁とソースを混ぜ合わせてそれをかける。最後に蛤の身を乗せて完成。

「よし、ちょっと手伝ってくれ。」

全員で料理を並べて椅子に座る。

「うわぁ…美味しそう!」

みほが目を輝かせて料理を見ていた。

四人は料理を食べ始めた。エリカとみほは半年ぶりの一緒に食事をとる機会だった。

「今日の目玉はエリカ先生直伝のハンバーグです。蛤のソースでお召し上がりください。」

「そ、そんなたいそうなことはしてないわよ。」

「でもすっごく美味しい。ソースもレストランのみたい!」

「あ、ありがと…。」

照れくさそうに俯きながら食事をする。

「たまには良いものだね。こうして大人数で食べるのも。」

「大人数って4人だぞ?」

「いつもの二倍じゃないか。十分大人数だよ。ね、西住さん?」

「はい!」

みほに関しては朝と夕食は一人で取ることがほとんどだ。そして久しぶりのエリカとの食事。いろいろと複雑な思いはあるが、やっぱり嬉しいという気持ちの方が大きかった。久しぶりにみほの笑顔を見てエリカは小さく微笑んでいた。

 

 

「空いたよハル」

「分かった。」

風呂から上がったミカと入れ違うように春樹は風呂場に消えていった。

先に風呂に入っていた二人は手持無沙汰な様子で暖炉の火を眺めていた。 

それを気にする様子もなくミカは定位置の椅子に座ってカンテレを弾く。

~~~~~♪

「向こうではちゃんとやってるの?」

「う、うん…。」

「そう…。」

 

~~~~~♪

「エリカさん、いつの間にあんなに春樹君と仲良くなったの?」

「な、なってない…わよ。」

「……なってるもん。」

「…なってない。」

 

~~~~~♪

「………このツンデレ。」

「何か言った?」

「…何も言ってないもん。」

カンテレの音色と共にそんな短い会話が交わされる。

 

「ふぃ~、さっぱりした。」

「生意気言うのはこの口かー!」

「ひゃふぇふぇよ~。」

風呂上がりの春樹が最初に見たのはみほの上にのしかかりその口を引き延ばすエリカの姿だった。

「とめろよミカ。」

「それは必要なことかい?」

まあ、別に良いかと春樹は冷蔵庫から牛乳を取り出した。

「ハルはまだ大きくなりたいのかい?」

ミカの言葉を聞いて、以前台所でやられた仕打ちを思い出した。

「ミカ、ちょっとここ立て。」

春樹に言われるがままミカは春樹の前に背中を向けて立った。

「大体去年の身長差ぐらいか?」

「そうだね。」

昔は春樹がミカの胸のあたりの高さだったが、今はミカの頭が春樹の胸のあたりにあった。

「…て、お前髪ぼっさぼさだぞ。風呂上がってそのままだったろ?」

「髪をとかす…それは本当に必―」

「必要だろうが、一応女として最低限は。」

「じゃあ、任せた。」

春樹はため息をついて、ドライヤーと櫛を持ってきた。

「俺がいなかったときは一人でやってただろ。」

「ハルにやってもらうのが良いのさ。」

「はいはい。」

慣れた手つきで長い髪に櫛を通していく。ミカは気持ちよさそうに目を細めてじっとしていた。

春樹もミカの綺麗な髪をとかすのは案外気に入っていたりする。

「お前素体は良いんだから、もう少し身だしなみ気を遣えよな。そこの二人みたいに。」

「必要ないさ。」

「ところでみほ、女子高生が上下違う下着着てるのはどう思う?」

「そ、それはちょっと…。」

みほは完全に引いた顔でそう答えた。そう、これが普通の女子としての反応だろう。

無頓着なミカと長い間過ごしているといろいろなものが麻痺しそうだ。

「ほら、終わったぞ。」

ミカはそのままずるずると下がっていき、春樹の腹を枕にする。

「すぅ…すぅ…。」

間もなく小さく寝息を立て始めた。

「ミカさんって本当に自由な人なんだね。」

「まあ、おかげで毎日ぐったりだよ。」

寝袋にミカを押し込んで、春樹も寝床の準備を始めた。

「二人はそこのベッドな。俺はソファで寝る。」

来客用の布団など持ち合わせていないので、少々狭い思いはさせてしまうが二人にはちゃんとした寝床を提供する。

寝る前に春樹は”日課”に行くことにした。

外に出て愛車に乗り込む。

「3,2,1、…スタート。50/LR3ロング…。」

目を瞑って頭の中に峠道をイメージする。

「ダートインR6/L5トリプルロング…くそ、ライン外した。」

頭で思い描いたラインが狂い、イメージが潰れる。

「もう一回。」

しっかりとイメージができるまで何度も空想上の峠道を走り込む。

アンツィオのラリーではなぜストーリアに勝てなかったのか。

前半で大きくタイム差を付けられて、それをタイヤの温存とギリギリの走行で後半に追い上げていった。

後半に行くにつれてタイム差が減っていくラリーは正直言って春樹は苦手だった。

前半から飛ばして、タイム差をコントロールしていくのが春樹のスタイルだった。

しかし苦手だからと言ってそれで負けてしまっては継続最速の名が泣いてしまう。

「ハンドルを切らずに…ブレーキを踏まずに…。」

タイヤの消費を極力抑えたスムーズな運転を心がける。そう、去年の部長のような。

「くそ、またアンダーが出た…。」

目を開いてため息をつくと、いつの間にかエリカが窓の横にいた。

キーをオンにして窓を下げる。

「あんた毎日そんなことやってるの?」

「まあな…二人は?」

「ぐっすりよ。反省するのは良いけど、ちゃんと次に生かせないと何の意味もないわよ。」

「じゃあ、今から見せてやるよ。」

そう言って春樹はセルモーターを回した。

キュルルルル……キュルル、ドドドド…ドドッドドッドドッ…

「乗れ。」

助手席にエリカを乗せてゆっくりと動き出した。

 

ザザザザ…パァン!パァン!

一台の車がとんでもないスピードで砂利道を駆け抜ける。

ガンガンガンガン!

巻き上げた砂利がガードレールにぶつかり激しい金属音を響かせる。

エンジンは獰猛に吠えたてるが、車は砂利にとられ前に進まない。そして絶えず横を向いたままだった。

しかしいつもより車が横を向いた時の角度は浅く。その分スムーズに、早くコーナーを抜ける。

その変化をエリカも感じ取っていた。ただ、ブレーキが終わり次の操作に移るとき少しだけぎくしゃくしているような気がした。

「あと5メートル前からブレーキしたら?」

「…なるほど。サンキュー!」

エリカのアドバイスで早めにブレーキを踏み、余裕をもった操作を行う。アクセルを踏む時間が長くなり、次のコーナーに侵入する速度が上がる。

「さすが車長。初めてラリー車に乗った気分は?」

当たり前だが戦車に比べて遥かに早い。想像したよりも景色が早く流れる。

「戦車の方が良い。」

「そーかい。」

「でも自動車も好き。」

どんな坂道でも登れるトルク、障害物も関係なしに突き進む強靭な装甲。火砲のはらわたをえぐる様な轟音。

確かに自動車は凄い。だが戦車ならではの迫力や魅力も沢山あることをエリカは良く分かっていた。

「なんだそりゃ。」

エリカの考えていることを何となく感じ取った春樹は小さく笑った。

「今日のところは感謝してあげる。…かなり驚いたけれど。」

それもそうだろう。みほを黒森峰から追い出したと思っているエリカは、彼女に対して負い目を感じている。

生まれた溝を少しでも埋めてやりたいと春樹は今回の事を提案したわけだ。

「根っこのところじゃ仲良いんだから、すぐだって。」

「そうだと良いのだけど…。」

いかんせん逸見エリカと言う人間は天邪鬼なのだ。それは彼女自身も自覚しているが、それはすぐに直りそうでも無かった。

「少しは素直になれよ。」

「……アンタもでしょ。」

ぼそりとエリカは呟くが、それはギアの鳴りによってかき消されたのだった。

満足するまで走った二人はふらふらとした足取りで家に帰ってきた。

結構夜遅くと言うこともあり、春樹の脳は半分寝ていた。

エリカも長い距離の移動も相まって、既に疲労がピークに達していた。

二人は同時に倒れるように眠りに落ちたのだった。

 

「ハル、ハル…、いい加減起きたらどうだい?」

身体を揺すられて春樹は目を覚ました。

「なんだミカ、珍しいなこんなに朝…は、や…く…?」

自分の脳が覚醒するにつれて、自分の身に起きている異変を感じ取った。

鼻腔をくすぐるまるで甘いミルクのような香り。耳に入ってくるのは微かな吐息。

そして全身に感じる人肌の温もり。

「随分幸せそうな寝顔だね。」

ミカはエリカの前髪を上げる。普段の勝気な雰囲気とは正反対の、無邪気な寝顔だった。

「おい、エリカ起きろ。いや、せめて離れろ!」

ソファとエリカに挟まれた春樹は全く身動きが取れない。彼女の肩を掴んで引き離そうとするが…。

「ん…やぁ…」

ぐずる様なしぐさで春樹の服を強く握りなおす。もしこのままエリカが起きたら、早朝から悲劇が起こること間違いなしだ。

「どうすれば…。」

「寝たふりすれば良いんじゃないかな?」

「……なるほど。」

このような状況を春樹が知っていることをエリカに知られない事が大切なのだ。それならばエリカが起きても春樹は寝ていて、何も知らないことにしてしまえばいい。

「それじゃあ頑張って。ついでに魚でも取ってこよう。」

そう言ってミカは静かに家を出ていった。

エリカが目を覚ますまで動けない春樹は取り合えずエリカの寝顔を観察する。

「本当に、黙ってれば美人なんだよなぁ…。」

下手をすれば黒森峰の中で一番美人なのではないだろうか?

ただし、それは中身を知らなければだが。

「……。」

自分の悪口を察したのかエリカは少しだけ不満そうな表情で春樹の両頬に手を伸ばした。

「むぐ。」

摘まんで軽く引き伸ばされ、春樹の口から変な声が漏れだした。

「んん……。」

エリカが目を覚ましかけていることを察した春樹は慌てて、目を閉じて静かに寝息をたてた。

「…え、な、なんで?」

慌ててエリカは飛び起きて、春樹から離れた。

「ま、まさか寝ぼけて一晩中…?」

信じられないと言った表情でエリカは少し乱れた服を直す。

そしてゆっくりと春樹に近づいて表情を確認する。

「…良かった、まだ寝ているようね。」

ほっと安堵の息を漏らす。

「はあ、普段から憎まれ口叩かなければ格好いいのに…。」

そう言ってそっと春樹の右頬を撫でた。くすぐったさから「ん…。」と春樹は声を漏らしてしまった。

…気づかれたか?

「ふふ、案外可愛い寝顔じゃない。」

散々もてあそんでから手を放す。

…ふぅ、やっと終わったか。

「……Ich liebe dich.…なんてね、寝てなきゃ言えないわよ。」

英語ではない、聞いたことのない発音の言葉だった。まあ、良い。そろそろ頃合いだろう。ゆっくりと目を開けてさも今起きたかのような仕草をする。

「ふぁ……お、早いな。」

「私もさっき起きたところよ。」

エリカは背中を向けて表情を伺うことができないが、その耳と首筋は赤く染まっていた。

「ほら、アンタもさっさと起きなさい。」

「う~ん…あと十分だけ…。」

「良いわけないでしょ!」

「ああ…毛布返して~…。」

照れた顔を隠すためなのか、少しだけみほに対してあたりが強いエリカだった。

 

 

黒森峰に帰ってから数日が経ったある日の学園内の食堂で、エリカはまほとばったり会った。

「た、隊長。帰っていたのですか?」

「ああ、丁度いい。明後日の射撃訓練について意見が欲しかったんだ。」

願ってもない申し出にエリカは二つ返事で了承した。

「制止後の射撃精度は上がっていますが、まだ満足できるレベルではないですね。」

「エリカのところの砲撃手はなかなか筋が良い。何か指導でもしているのか?」

「特に特別なことは…ただ風の方向や振動のブレを意識するようにとは…。」

「風はエリカが?」

「はい、必要な時に伝えています。ただ最近はその必要もなくなりつつあります。」

「…そうか。」

昨年自身の戦車のエンジンを壊して以来、エリカはメカニカルな部分の勉強も欠かさず行うようになった。

それが要因なのだろう、エリカの指示は日を追うごとに具体的に、且つ正確になっていった。

それはそのままエリカの乗る戦車のメンバーのレベルの底上げにもつながっていった。

「この連休中”彼”に会ってきたんだろう?元気だったか?」

「はい、相変わらずでした。」

「ふふ、それは何よりだ。」

まほは嬉しそうに目を細める。まるで我が子の成長を喜ぶ親のような顔で。

「ところで今年の学生ラリー選手権なんだが、正式に黒森峰が会場になることが決まった。」

「へえ、そうなんですか。」

一件平静を装っているように見えるが、よく見ると口角が上がるのを必死に抑えていた。

「なんだ、嬉しくないのか?」

あえてまほはそんな質問をする。

「そ、それは…その…。」

エリカが困るのを知っていてだ。

「ふふ、もう少し正直になるのも良いと思うぞ?」

どこかの誰かの癖が写ったのだろうか、最近少しだけエリカをイジメるのが好きになってしまった黒森峰の隊長だった。

「た、隊長…。」

まほの背中に一瞬だけ黒い羽が見えたような気がしたエリカだった。


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