継続高校自動車部   作:skav

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激昂

『みなさま、一年ぶりです!さぁ、始まりました全日本学生ラリー大会!今年はどんなドラマが生まれるのか、継続高校の11連覇を止められるのか、楽しみですね~!』

今回の激戦区であるSH6クラスのエントリー台数は5台。そのうち新車を導入したのは聖グロとアンツィオの二校。サンダースは古いアメ車を改造した物々しい雰囲気のマシンを出してきた。

ボンネットから突き出るスーパーチャージャー、ほとんどむき出しのタイヤ。彼女たちの思惑がその車から滲み出ていた。

「随分と下品な車出してきたね。あそこはラリーがなんだか分かっているのかな?」

ユミの眼にはあまり好意的には映っていないようだった。

「まあ気にするな。あんなにバランスの悪い車で走ったら何が起こるかは明確だろう?」

「それもそうか…。」

今年のサンダースは脅威ではないな…。

得意なコースで速くなるためにパワーを出すことは悪くない考えだ。ただそれがラリーとなっては話は別。絶えず変化する環境に適応するためにはバランスのとれた車が必要不可欠。ラリー車はいつでも、どこでも早くなくてはいけないのだ。

「春樹君、SS10のコース脇にあった石はどうする?」

「そうだな…キープインにしておこう。コーション付きで。」

「了解。」

記念すべき最初のステージはアンツィオ高校だ。昨年のような石畳のコースに加え、市街地も競技区間に含まれている。終盤には長い下りの直線から、右に直角に曲がるコーナーが待ち構えている。そこが今回の勝負所になりそうだ。

「レッキした感じでは路面は綺麗だったな。」

「うん、足は固くして良いかもね。」

「そうだな。」

前半の石畳のコースと後半の市街地のコースは走り方も車のセットも丸々変えないといけないようだ。

「足回りはCセットで大丈夫ですか?」

「ああ、それで良い。」

メカニック担当の後輩がダート用のサスペンションを改造して造ったアンツィオスペシャルの足回りを取り付け始めた。初期動作は柔らかく、奥の方でしっかり踏ん張る仕様だ。

「こんにちはー!」

継続高校のテントに大洗のツチヤとナカジマが現れた。

「お久しぶりです、車は仕上がりましたか?」

「うん、だいぶ燃調の使い方も分かってきたよ。ありがとう、本田君。」

「いえいえ、良い勝負をしましょう。」

ナカジマと春樹が握手を交わす。

「あー!探しましたわ春樹さん!」

そんな時に赤いレーシングスーツを着たローズヒップが手を振りながらこちらに駆け寄ってきた。その後ろをダンデが必死に追いかけている。

「新車に乗った気分はどうだ?」

「とにかく早くて、横に向けても前に進んでエンジンも最高ですわ!」

「それは楽しみだ。はしゃぎすぎて刺さるなよ。」

「それは大丈夫です。ちゃんとコントロールするので。」

ダンデはこの数戦を通して自信がついてきたのであろう、以前のようなオドオドした雰囲気はなくなっていた。今から仕事に燃える目はまるでユミの様であった。恐らくこの二校の車が今回のライバルになりそうだ。アンツィオは少し開発が遅れているらしい。メカニックが新車に対応できていないようで、少しだけ整備にもたつきが見られる。それはラリーにとっては致命的だ。モータースポーツは全てが完璧でないと勝てない競技だ。ドライバー、メカニック、サポート、どれが一つ欠けてはいけないのだ。

「あら?雨ですわ!」

上空の雲が徐々に黒く染まり、ポツポツと雨粒が落ちてきた。

「雨用のセットに変えておいてくれ。」

「分かりました!」

メカニックたちが早速セッティングを変更し始めた。

「それじゃあ私たちも行くね。」

「負けませんわよー!」

大洗と聖グロの面々も自分たちのテントに戻っていった。

 

「わーけっこ降ってきたね…。」

競技区間に向かう途中の車内に雨が車を叩く音が響いていた。風も少し強くなってきている。

「オフィシャルは大変だね…」

「ああ、その分いい走りを見せないと。」

タイムコントロールでスタート時間を伝えられ、スタート地点に向かう。

「10時00分スタートです。」

「ありがとうございます。」

タイム票を受け取り、窓を閉める。雨合羽を着て雨風をしのぐ彼女たちの眼は自分の職務を全うしようと、燃えていた。

「30秒前!」

ランプが赤く光りだす。

「15秒前!」

ガコン!

1速にギアを入れる。

「10秒前!」

油圧サイドブレーキを引き、スタート姿勢を作る。

「5,4,3,…」

ユミの声に合わせてアクセルを踏み込む。

ブォォオオオ!バンバンバン!

「1、GO!」

サイドブレーキを放すと同時にクラッチを繋ぎアクセルを踏み込む。エンジンから生まれた動力がトランスミッションを介してドライブシャフトへ、そして4つのタイヤに動力が叩きつけられる。

雨で路面が濡れているが、空転は最小限に抑えられていた。猛然と加速し、シートが体を押し出す。

「50/R4~2!」

緩いコーナーからきつく回り込むコーナーをアクセルコントロールで抜けていく。

『さあ始まりました学生ラリー選手権!相変わらずの銃声のような音を響かせながらスタートしたのは昨年SH6クラス優勝の本田・ユミペア!昨年と同じマシン、同じペアでの出場です。』

「L4l/30/L5アウトスリップ!」

アウト側の路面に生えた苔に後輪を乗せながら左コーナーを抜ける。若干ハンドルが取られるが、気にせずにアクセルを踏み込む。

『第一戦目から生憎の雨になってしまいましたが、選手たちはそんなこと関係ありません!皆さん全力で走ってくれてますね~。』

「はいここから石畳だよ!気合い入れる!」

「おう!」

ガガガガガガ!

凹凸を捉えたサスペンションがスムーズに衝撃を吸収する。雨で濡れた苔のせいで余計に滑る状況が続く。しかし、もともと滑らせながらコーナーを抜ける春樹にとってはあまり関係のないことだった。この雨ならタイヤが減ることは無いな…なら思い切り走れる!

「ペース上げるぞ!」

「了解!」

ジムカーナのようなヘアピンカーブが続く区間に入る。サイドブレーキとアクセルを駆使して車を横に向けて、滑らせる。

『おおっと!?早速クラッシュした車両があった模様です。…アンツィオ高校のヴィッツですね。あぁこれは激しい。おそらくデイリタイヤでしょう。』

「ツチヤ、ここから離されないようにね!」

「分かった!」

1分後、大洗のインプレッサも石畳の区間に飛び込む。バネが柔らかすぎたようで、車が踏ん張ってくれない。

「くぅ…やっぱダート足じゃ辛いかぁ…。」

サスペンションが底付きをして、コース外に飛び出しそうになる車を必死に押さえつける。

「踏めるところはきっちりね!」

そしてその1分後に聖グロのWRX-STIが。勢いよく飛び込み、リアタイヤが滑る。斜めを向きながら、直ドリ状態でコーナーに侵入していった。コーナー出口でアクセルを踏み込むと、再びリアタイヤが滑り、あらぬ方向を向く。

「ひぁ、滑りますわ!?」

「大丈夫車を信じて。ローズヒップなら行ける。」

滑る路面と跳ねる車に躊躇するローズヒップをダンデが叱咤する。それに応えるようにステアリング操作に集中し、アクセルを踏む足に力を入れる。

『さあさあ第一ステージが終了しました!トップはやはり継続TCランサー、次いで聖グロリアーナWRXです。その差は5秒。まだまだこれからですよ!』

「ふぅ…やっぱ疲れるな。雨は。」

「でも春樹君だいぶ安定感出てきたね。去年と同タイムだよ。雨なのに。」

「車が横向いてもちゃんと前に進むからな。安心して踏める。やっぱり専用の脚をもってきて正解だったな。」

セッティングがばっちり決まったようで、春樹は自身に満ちた顔だった。

「春樹さん、2ステはAセットで良いですか?」

「ああ、減衰は緩めからの前が3戻し後ろが2戻しで。」

「分かりました。」

春樹の担当のメカニックが迅速な作業で足回りを交換していく。

ザァアアア…

「また雨脚が強くなってきたな…。」

「来週のステージはウチだからね…これは雪になりそう。」

「ま、それはそれとして今は次のSSに集中だ。」

新しい水を車内に乗せ、レーシングスーツを着なおす。

「さて、次も行くぞ。」

『さあ、今回一番の見どころとなる市街地コースへと参りました!何と言っても注目なのは、長い下り坂からの直角コーナーですね~。最高速からのフルブレーキングは普段ラリーには無いシチュエーションですからね。』

「100/R3・R3/900!」

連続の直角コーナーを抜けて長いストレートが姿を現す。 2速、3速と加速していく。今までで一番の体感スピードだった。

「400…300…200…150、100!」

横の景色があっという間に過ぎ去っていく。ついに5速まで入れる。

「50…今!」

あらかじめ決めておいた目印が過ぎたと同時にブレーキを踏み込む。強烈な減速Gで体が飛ばされそうになりながらも、必死に踏ん張る。ブレーキローターが真っ赤に赤熱し、限界近くであることを告げる。あと1㎝ブレーキを踏み込んだら、確実にタイヤがロックする。そこまで攻め込んだブレーキングだった。

「R3/70/L4~3」

理想的なラインを描き水色のランサーが過ぎ去っていった。

『いやぁ…上手ですね本田選手は。まるでレーシングカーみたいなブレーキでした。それにほぼ初めて走る道ですよ?コ・ドライバーのユミ選手の指示も的確な証拠ですよ!』

後続の車たちは濡れた路面ということもありブレーキをかなり手前から行っていた。中には我慢をする者もいたが、大体はコースアウトをしてしまい、かえってタイムロスになっていた。

「あちゃぁ…やっちゃったぁ~。」

溝にタイヤを落とし、足回りが曲がってしまったインプレッサを見てツチヤは肩を落とす。

「やっちゃったのは仕方がないよ。次のステージに備えて切り替えていけばいいだけ。」

ナカジマはそんなツチヤの背中を叩き、励ますように言った。

 

『先週のアンツィオ戦に続いて今回の継続戦も天候が崩れてしまいました。完全なスノーラリーとなりそうです。これは継続陣営の圧倒的有利なのではないでしょうか?』

「なんだか申し訳ない気がしてきた…ただでさえ難しいコースなのに…。」

「これもスポーツだ。勝てるときに勝つのも戦略の内。気にすることは無い。」

ユミのいう通り、普段から雪道のラリーに慣れているのは継続高校だけで車のセッティングや乗り方のノウハウに圧倒的なアドバンテージがあった。

「わぁ止まりませんわ!」

「もっと早く車を横に向けて。ブレーキだけは丁寧に!」

「は、はいでございますわ!」

案の定全クラスでデイリタイアが続出。完走した車もいたが、継続高校とはかなりの大差が生まれてしまった。

 

「やっと晴れたね!しばらく天気が良いみたいだよ。」

「それは良かった。…だけど今週はサンダース戦だもんなぁ。」

ドドドドドド…バウン!バウン!バウン!

スーパーチャージャーのご機嫌なレーシング音が会場内に響く。心なしか今日は観客が多いような気がした。

「でも二戦で随分と差が開いたね…。春樹君の予想が当たったわけだ。」

前の二戦で築きあげたタイム差は、今日だけで挽回できるようなものでは無かった。

馬力を上げすぎて悪路に対して車がピーキーになりすぎた結果だ。

「これなら無理に回転上げる必要は無いな。」

ただでさえエンジンに負担をかけやすいコースなのだ。無理をする必要がないなら車に優しい運転を心がけるべきだろう。

 

「あーあー6速勢は良いな~スピードが出て。」

タイムカードを受け取ったユミがぼやく。

大洗と聖グロは6速まで使えるトランスミッションを搭載している。春樹たちの5速までしかない車に比べて、低い回転数で速度が出せる。SSを消化していくにつれて縮まっていくタイム差に、少しだけ焦りを感じる。しかし、どうにもできないので諦めるしかない。

「次の聖グロ戦は挽回するぞ。」

「うん!」

 

 

『さあさあ舞台もいよいよ後半戦!この聖グロステージを生き残るのは一体何台でしょうか!?』

「ギャップR2/10/R3/キープインL3!」

建物で見えないコーナーをユミの読み上げを頼りに攻めていく。

昨年のような失敗は犯さない。車体感覚は完璧に掴んでいる。歩道の端にホイールを擦りつけるようにして針の穴に糸を通すように車をコントロールする。ユミも春樹の運転を信じ、前を見ずにノートを凝視していた。

「フィニッシュ/30・R7」

最後のノートを読み終わり、ちらりと前を見る。今まさにとんでもないスピードで歩道の横を通り過ぎようとするところだった。助手席に座っているから、なおさら近くに感じる。

「ひぁ!?」

左前のタイヤが歩道に迫る。こんな速度で当たろうものなら、あっという間に吹き飛ばされてしまう。

ジャッ!

ホイールが歩道を擦る感触がやけに大きく感じた。腰を抜かす暇もなく、あっという間にフィニッシュ看板を通り過ぎる。

「…っ、はぁ…びっくりした。」

「なんだ、前見てなかったのか?」

「だって必要ないもん。あーあ、見なきゃよかった。」

今も少しだけ背筋に嫌な汗が伝っていた。やっぱりこの人はどこか頭のネジがぶっ飛んでいる。躊躇なく車をギリギリのラインに乗せてくるのだから。こんなこと私には出来ない。だからこそこの人のコ・ドラにいたいと思うのだ。

 

『ここで速報タイムです!何と聖グロリアーナのローズヒップ、ダンデペアがトップタイム!現在1位の本田・ユミペアに1分差まで詰めてきました。これはもしかしたら…あるかもしれませんねぇ。』

 

聖グロ戦が終わり、数日間のインターバルに入る。

この間、各校はテントを黒森峰に移設し、車の整備に入る。

継続高校はもっぱら下のクラスの車両整備に追われていた。

車による優劣が付きにくい下位クラスはその分攻め込まないとタイム差が出にくい。そのため車にも人間にも負担がかかりやすいのだ。連日の疲れもあり、休んだらすぐに眠るだろうと思っていたがなぜか眼が冴えて眠れない。

「ちょっと外出てくる。」

気晴らしに夜の学園艦を歩いてみる。流石黒森峰ということもあり、船の上にいる感覚は無く。街の中にいるようだった。空を見ると海辺なのにも関わらず雲一つなく、星空が広がっていた。ランサーに乗り、近場で一番高い山を目指す。窓を開け、夜風に当たりながらゆっくりと車を進める。山を登っていくにつれて窓越しに見える星が増えていくようだった。

「なんだ、先客がいたのか。」

見覚えのある黒い車の隣に止め、持ち主に話しかける。

「整備は良いのかしら?」

「手は足りてるからな。それになんだか今日は目が冴えて眠れねーんだよ。」

そう言って木の下に座り込む。この高台からは港の様子もはっきりと見える。港町はまだ眠らないようで、街灯や車の光で賑わっていた。空には無数の星。地上には無数の光。横になるとそれを一度に見ることができた。

「お前も横になってみろよ、なかなか良い景色だぞ。」

エリカは少しだけ迷ってから、ゆっくりと春樹の隣で横になった。

「あれはアンツィオの学園艦だな…ここからでも騒いでるのが分かる。」

夜の観光客を呼び込むためか、はたまた何かを催しているのか軽快な音楽が微かに聞こえてくる。さすが抜け目ない。

「……。」

「大して聖グロの方は静かだな。流石お嬢様学校…。」

「ねえ。」

「?」

突然呼びかけられ、エリカの方を向く。彼女はじっと星空を見つめていた。

「なんで自分がここにいるのかって、考えたことある?」

「……。」

春樹も同じように星空を見つめる。大きかったり、小さかったり、赤かったり、青かったり、いろいろな星たちが自らを主張するかのように瞬く。

「私は西住流に憧れて戦車道を始めた。私にとって戦車道が全て。勝つためなら何を犠牲にしたって良い。」

でも、とエリカはぎゅっと拳を強く握る。

「隊長と同じ土俵に立って改めて西住流の大きさを実感した。それで時々考えることがあるの、自分の戦車道は目指す先に何があるのだろうか、そもそも私が目指す戦車道は何かって。」

名実ともに高校戦車道の頂点に立つ西住まほ。幼少からの英才教育と自らの努力によって勝利を重ねてきた彼女の背中はあまりにも大きい。そして妹の西住みほも姉の存在に埋もれず、持ち前の研ぎ澄まされたセンスを持っている。そんな二人に比べて自分は見劣りはしないだろうか?西住の隣に立つに相応しいのだろうか?弱弱しく光る名前も知らない星の一つに過ぎないのではないだろうか?

「贅沢な悩みだな。」

「え…?」

「自分の好きなものをやれて、自分の目標がすぐ近くにあって、自分の実力を示すチャンスがあって…それって、凄く恵まれた環境だと思わないか?」

「……でも。」

「でもじゃねーよ。」

コツンと拳をエリカの頭に当てる。

「まずは行動。自信なんてものは後からついてくるもんだ。失敗して折れるほど弱くないだろ。お前の場合。」

拳を開いてエリカの頭を掴み、大雑把に揺らす。いつもなら文句の一つでもいいながら、飛び上がるところだが、今日だけはこの大きな手のひらに身を委ねていたかった。

 

「まさかあの二人がここまでやるとはね。」

「ああ、車もだけど二人の成長度合いが恐ろしいな。」

ここまでのタイム差を分析していくと、SSを消化していくたびにどんどんタイム差が減っていった。そして聖グロリアーナ戦ではこちらよりも速いタイムを刻んで見せたのだ。

「けどまだ1分差。それに追われるラリーは得意なんでしょ?」

「そうだな。」

気分的にはとても落ち着いていた。焦る必要は無い。相手とのタイム差をコントロールすれば良い。

 

『1号車14時10分スタート通過。』

コース内のラジオポイントでエリカは待機していた。今回の役割は1分ごとに車両の通過報告をする、トラッキングだ。

『スタート、3号車通過』

『ラジオ1、2号車通過』

『ラジオ2、1号車通過』

「ラジオ3通過なし」

『フィニッシュ通過なし』

このSS区間を後2本通れば今年の学生ラリーは終了する。多少の波乱はあったものの、今年も継続高校の連覇は間違いない。後は個人の戦いだ。まあ、それも彼らにとっては問題のないことだろうが。

パァン……パァン…

微かにあの爆発音が聞こえてくる。そして一分ごとに山の中がだんだんと騒がしくなっていく。

タイヤの音、トランスミッションの音、アフターファイアの破裂音。山奥の静寂が失われていく。

バンバン!ブオオオオ!

目の前を横っ飛びで水色の車が過ぎ去っていく。

「ラジオ3、1号車通過。」

腕時計を確認する。

59…60…1…2

ヒュルルル…ブオオオ!

「ラジオ3、2号車通過。」

1号車が通過しておよそ1分3秒が経過したので、二台の間に3秒差が開いたことになる。ただでさえ余裕があるのに、後続を引き離しにかかっている。

「相変わらず、容赦ないわね…。」

誰から見ても分かる盤石の態勢。揺るがぬ優勢。まさに王者の走り。次々と車両が通過していくのを見送って、報告する。

 

ガァン!

 

そんな音が聞こえたのは最後の車両が通過しようとする時だった。

「ラジオ3、41号車通過。」

最後の車両の通過を報告し、追い上げ車も通過していく。

「今の音は…。」

ここに来るまでの道で、一か所だけ深く路面がうねった場所があった。おそらくそこで出た音だろう。

問題はあの音の正体だ。車のどこかをぶつけたのは明白だった。しばらくして00カーが通過するが、特に問題がある様子では無かった。

『こちらスタート、0号車通過。』

しかし、エリカは嫌な予感を拭えずにいられなかった。

サイレンを鳴らしながら0号車が通過する。車を横に向けながら、カウンターを当てずに駆け抜ける。路面にブラックマークが描かれ、タイヤの焦げた匂いが漂う。

「あれ、タイヤの跡よね…。」

路面に描かれた無数のタイヤ痕。柔らかいコンパウンドのためか、それははっきりと見ることができた。その中の一本。一番奥に描かれた黒い線。

”あれは本当にタイヤの痕なのか?”

違う、あれはオイルだ。

あの音は恐らくオイルパンを路面に当てて出たもの。そしてオイルパンが割れてオイルが漏れだしたのだ。アレの上に乗ったら曲がることも、止まることも出来ない。最悪崖の下に落下してしまう。

『スタート、1号車通過。』

「こ、こちらラジオ3.コース上にオイルを確認。一番アウト側よ。」

報告を入れたのは、春樹たちがスタートした直後だった。

『走行ライン上ですか?』

「いえ、走行ラインからはそれているわ。けど、ラジオ3ではイン側キープと指示して。」

『了解しました。オイルフラッグを掲示してくください。』

同じ持ち場にいた生徒がすぐさま路面にオイルがあることを知らせる旗を用意する。

パァン…パァン…

「お願い…気づいて…。」

こうなってしまっては願うしかなかった。無事に通過してくれと。

ヒュオオオオ…バン!パパパパ…

「ラジオ3通過なし。」

淡々と報告するが、その胸中は緊張と不安で一杯だった。音はすぐそこまで来ている。

ブオオオオ!

奥のコーナーから水色の車体が横っ飛びで飛び出してきた。左側のリアタイヤがオイルに迫る。

50センチ、20センチ、10センチ…。

「踏むな!!」

たまらずエリカは叫んだ。その時、ランサーが大きなフェイントをかけた。わざとらしく大げさにドリフトをしながらエリカの前を通りずぎる。春樹と目が合う。その目は…笑っていた。白煙を上げながらオイルラインを掠めるようにしてランサーは過ぎ去っていった。

「ら、ラジオ3…1号車通過。」

力が抜けそうになる足を踏ん張って後続の車の報告を続けた。

 

「お疲れさまでした、オイルはこちらで処理しますのであとは撤収してください。」

「了解。」

連盟の学生にオイルの処理を任せて、エリカはポロに乗りSS区間を逆走して戻る。改めてそのコーナーを見る。そこは長い直線から続く高速コーナーで、もしオイルに乗ってしまったら大事故は免れなそうだった。ガードレールの先は崖だ。もし、高速でガードレールに突っ込んで崖から落ちでもしたら…。その先は考えたくもなかった。本部テントに戻ると、丁度春樹たちが本部長と話をしていた。

「結構手前からオイルが出てて、はい。一目で分かりましたよ。光ってたので。」

「そうですか…本当に申し訳ない。報告が遅れて。」

「いやいや、2号車以降はちゃんと伝わったのでしょう?おかげで全車無事に通過できたんですから。」

悪びれもせずそんなことをいう春樹の襟元を気が付けば掴んでいた。

パン!

甲高い音がテント内に響いた。真っ赤になった左頬を春樹は抑える。右手がじんじん痛む。…ああ、私がやったのか。でも、止められなかった。

「なんでアンタは!自分の事が頭に入ってないのよ!?」

「いや、だから気が付いてたんだって。」

「だったら!なんで安全に通過しないのよ!?1分以上の差があったのに!」

春樹の腕ならギリギリのところを通過するだろうと言う確信はあった。そして彼の性格から、そこを通るだろうと予想もしていた。しかし、それを実際に目の当たりにしたらそんなことはどうでもよくなるくらいに怖くなったのだ。

「この馬鹿!命知らず!少しはこっちの事も考えなさいよ!!」

春樹の分厚い胸板を何度も拳で叩く。春樹は何も言わずにそれを受け止めていた。あんな怖い思いは二度と御免だ。安全が確保された戦車道に比べて、自動車競技はあまりにも脆く、速い。

「お願いだから…もう少し自分を大切にして…お願い。」

いつの間にか目から涙が溢れ、こぼれ落ちていた。彼を叩く手もいつの間にか弱弱しくなっていた。

「あーあー、春樹君が泣ーかした。」

「う…。」

ユミのジト目が春樹を貫き、彼の背中に冷や汗が流れる。

「あー…その、ごめん悪かった。もうやらない。」

「…二度とやらないで。」

「うん、二度としない。」

この年の表彰式は何とも気まずい雰囲気が漂うなか執り行われたのであった。

 

「まったく!何なのよアイツは!」

学ラリの後始末を終わらせ、自分の寮部屋に戻る。ベッドに倒れ込み、天井を睨みつける。まただ、また心臓が激しく脈打っている。日を増すごとにそれは強く、速くなっていくような気さえした。

「来月には大切な大会があるのに…。」

コンコン…

「エリカ、いるか?」

「は、はい!」

まほの声が聞こえたと同時にベッドから跳ね起き、身なりを整える。

静かに扉を開けると、まほが立っていた。

「シャワー室が開いたことを伝えに来たんだが…何かあったか?」

「実は…。」

一人で悩んでいても仕方がない。誰かに打ち明けて少しでもこのもやもやを解消したかった。

 

「―ということなんですが。」

「ふむ…すまないがこの案件を解決する術を私は持ち合わせていない。」

「そう…ですか。」

エリカは残念そうに肩を落とした。

「シャワーでも浴びてすっきりしてこい。明日から訓練も追い込みが始まる。」

「はい。」

身支度をして、部屋を出る。

「それでは、良い夜を。隊長。」

「ああ。」

挨拶を交わしてまほを別れる。

 

「素直になれエリカ。きっと上手くいく。」

 

「…え?」

別れ際に聞こえたまほの言葉がやけにはっきりと耳に残っていた。

 


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