継続高校自動車部   作:skav

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不安

山中キャンプも無事終了し、研修は残すところあと一日。明日にはフェリーに乗り各々の学校へ帰ることになる。

研修らしい研修はもう無いようで、朝の食堂はゆっくりとした時間が流れていた。

「お前、朝なのに良く食うな…。」

「朝だから食べるのよ。」

エリカの前には山盛りの野菜、大きな焼き魚、味噌汁など数々の料理が並んでいた。

対する春樹はカレーであるが、これも山のようにご飯が盛られている。

「まあ日中あれだけ騒がしいからな。」

「…誰のせいだと思ってるのよ。」

ジトっとした視線を目の前の春樹に向ける。

「ん?ってことは、山ん中の飯は足りなかったってことか。悪かったな。」

「良いわよ、昨日は別の理由でご飯が喉を通らなかったから。主にあんたのせいで。」

「…それは悪うござんしたね。」

それはそうと、と春樹は周りの様子を伺う。初日は各校の生徒が固まって行動している事が多かったのだが、今日は生徒の組み合わせもほとんどバラバラだった。

現に春樹も今日はミカではなく、エリカと朝食を取っている。ミカはと言えば、まほと一緒にコーヒーを飲んでいた。

「みんな、研修お疲れ様!この数日で、friendshipを結んでいたみたいだけど、残念ながら明日は寄港日。」

元々ステージ用に高くなっている場所に、長い金髪をなびかせた少女が立っていた。

「あれ、サンダースの隊長だよな。…たしかケイって名前の。」

「そうね。あの顔、何か企んでるわね。」

「そこで提案なんだけど、今日は全員で海に行かない?ランチはバーベキューなんてどうかしら?」

バーベキュー=肉が食えるという簡単な等式が春樹の頭の中で完成する。それに外は朝だというのに、気温が既に上がり始めている。

冷たい海で泳ぐのも悪くは無い。

しかしここには女子高に所属している生徒が大半だ。男の前で肌をさらすことに抵抗がある生徒も多いはずだ。

「…行かないの?折角バーベキューを楽しめる機会なのに。」

「食い物目当てで針の筵に自ら飛び込むのは馬鹿らしいからな。」

「あ、ボーイズは強制参加だからね!逃げるのは許さないから!」

そう言ってケイは春樹に向かって指をさした。

「針のむしろの前に蟻地獄にはまったようね。」

「…っち。」

今日はゆっくりと北海道の山道を楽しもうと思っていたのに、と春樹は少しだけ落ち込んだ。

「可愛い女の子の水着が見られるんだ、ハルは嬉しくないのかい?」

いつの間にかミカとまほが二人のテーブルに来ていた。

「まぁ…そうだな。」

「…ふん。」

春樹の正直な返答に、エリカは少しだけ不愉快そうな顔をした。

やっぱり男なんてそんなもんよね…。単純なんだから。

「俺としてはもう一回お前の水着が見てみたいけどな。あんときは無駄に競争して余裕なかったし。」

途端にエリカの顔がカッと赤くなる。まさかの直球な言葉で、一切想像もしていなかったからだ。

「な、なに言ってんのよ…!ば、馬鹿な事言わないで。」

「良かったじゃないかエリカ。」

「た、隊長まで…。」

見事に退路をふさがれたエリカは、何も言わずに食事を再開するという方法で誤魔化すことにした。

 

ケイの提案は受けが良かったのか、瞬く間に人が集まった。そしてついには連盟のバスを出すまでに至った。

「各学校の代表とは言っても、中身は普通の高校生だからね。みんな本当は遊びたいんじゃないかな?」

バーベキュー用の道具が詰め込まれたランサーの車内は日差しの強さも相まってまるで蒸し焼き器のようであった。

「こうも暑いと汗を拭くのも億劫になるね。」

既にミカの体も汗ばみ、半そでのワイシャツを透かせていた。

「嫌ならバスに乗れば良かっただろ?」

「嫌とは言ってないさ。」

窓は全開にしてあるが、今日は入ってくる風があまり涼しくない。車内と言えど、こまめな水分補給は必須だ。

「ほら、水飲んどけ。それにシャツの時は黒は止めろって言っただろ。」

後ろのクーラーボックスから冷えた水を取り出しミカに放り投げる。

綺麗な放物線を描いてそれはミカの胸元へ着地する。春樹の言う通り汗とペットボトルの水滴でうっすらとミカの下着が透けていた。

「……ハルのえっち。」

「不可抗力だ。」

全く意に介さない春樹の反応に少しだけむっとしたのか、ミカはチューリップハットを深くかぶりなおし横を向いて外を見る。

「…たまにはこっちを見てくれても良いじゃないか。」

「言いたいことあるならはっきりしゃべれよなー。」

「…何でもないよ。」

ミカは「ハルのバカ…」と小さく呟いてから窓際に肘を置き、頬杖をついて何も話さなくなってしまった。

今日の同居人は少しご機嫌斜めの様であった。

 

「道具はこれで全部?」

「ああ、ありがとうな、手伝ってくれて。」

「これくらいどうってことないよ。男は準備が早いんだし。」

海に到着し、手早く着替えた春樹と由治は持ってきたバーべーキュー用コンロや日よけ用のパラソルなどを設営していた。

「これって男手がいるから連れてこられた訳じゃねーよな?」

「疑いすぎじゃないかな?まあ多少の雑用は大目に見ようよ。こんないい機会なかなかないよ。」

心なしか由治は浮足立っているようだ。

「だったら準備をさっさと終わらせないとな。」

「そうだね。」

荷物置き場用のテントの準備が終わったころに、賑やかな声が聞こえてきた。

「おっ待たせー!」

ケイを先頭に続々と女生徒たちが現れる。成程、この光景が見られるのであれば確かに労働力を提供するのも悪くは無い。

「12時くらいになったら焼く準備を始める予定です。」

「それまで自由時間で良いな?」

「OK!問題ないわ!」

一刻も早く海に入りたいのか、そういうなり大きなサメの浮輪を持って波打ち際へ走っていった。

「ユージ!何をぼさっとしてるの、早く泳ぎましょ!」

カチューシャとノンナが由治を呼ぶ。

「カチューシャ、はしゃぐのは良いけど準備運動を忘れずにね。」

「由治の言う通りです。泳いでいる途中に足がつってしまったら、溺れてしまう可能性もありますから。」

「分かってるわよ!」

そう言って三人も海の方へ歩いていった。

「…もう少し荷物番やってるか。」

 

変わって海水浴場に設置されている更衣室にて、未だ制服を着ている生徒が一人いた。

他の生徒たちはとうに着替え終わり、更衣室には彼女一人しかいなかった。

「……むぅ。」

エリカは今回二種類の水着を用意していた。運動用の競泳水着と、普通のビキニタイプの水着だ。競泳用に比べて布面積が圧倒的に少ない、こちらの水着は少し抵抗がある。

しかも今回は男子生徒がいる場でだ。

ならばやはり競泳用で良いだろう。黒森峰は風紀を乱すような真似はしない。

 

「俺としてはもう一回お前の水着が見てみたいけどな。あんときは無駄に争って余裕なかったし。」

 

そんな言葉がフラッシュバックする。そうだ、アイツはあんなことを言っていた。だったらむしろこっちの水着で行った方が、良いのではないだろうか?

期待外れの水着で、あいつのがっかりする顔が目に浮かぶ。

そうだ、そうに違いない。

エリカはニヤリと笑うと、競泳水着を鞄にしまった。

 

「その水着、なかなか似合ってるね。」

「…おかしい所は無いか?」

「おかしい所なんて一つもないさ、やっぱり黒は女性を引き立てるからね。」

「…褒めても何も出ないぞ。」

そんな会話を交わしながら、ミカとまほは一人荷物番をする春樹を見つけた。

「すまないな、雑用ばかり押し付けてしまって。」

「お気になさらず。しばらくしたら誰かに押し付けるんで。」

まあどうせしばらくしたらはしゃぎすぎて疲れた連中がこちらに来るだろう。

「ん?ミカ、その水着どうした?」

ミカは水色を基調としたものを着ている。それは今まで春樹が一度も見たことが無いものだった。

「アキとミッコが選んでくれたんだ。」

アキとミッコとは今年からミカと同じ戦車に乗る生徒の名前だ。普段から一緒にいることが多く、今回の水着も一緒に買いに行ったようだ。

「なかなか似合ってるな。お前黙ってれば美人だからなぁ…。」

「そ、それは褒めてるのかい?」

思ってもみない褒め言葉が出たのか、ミカは恥ずかしそうにチューリップハットを深くかぶる。

「コラ、それで海行ったら洗濯が大変だろうが。」

そう言って春樹はミカの帽子を取り上げてしまう。その時春樹は少し驚いた顔をした。

ミカが今まで見たことのない顔をしていたからだ。恥ずかしさと、嬉しさで顔が赤面し眼は潤み、口はニヤついている。

これは駄目だと春樹は、再びミカに帽子を戻す。その瞬間、両手でこれでもかとチューリップハットを深くかぶり顔を隠してしまった。

こうなってしまってはしばらく、正常な行動はとれないだろう。

「ほら、日陰で休んでろポンコツ隊長。」

「ずるいよハルは…。」

「はぁ、何か飲み物買ってくるんでここお願いしても良いでしょうか?」

「ああ、分かった。」

まほに荷物とミカを任せて近くの自動販売機に向かった。

 

 

「くそ、補充くらいしとけよな。」

一番近くの自動販売機は、ミカの好きな右衛門だけが売り切れだった。仕方なく、こうなったら、売店の方で買った方が確実だろうと春樹は売店で目当てのお茶を数本買う。

「水ぐらいクーラーボックスに入ってるでしょ?」

「ミカがあの水は苦手なんだと。」

エリカの声がしたので、そんな会話を交えつつ振り返る。

案の定少しあきれ顔をしたエリカがそこに立っていた。しかし、彼女の格好は予想を遥かに超えていた。

「―。」

言葉を失うというのは、まさにこの状況を表したものだろう。放心状態の春樹の腕から、ペットボトルが落ちる。

「何やってんのよ。ほら、ちゃんと持ってなさい。」

落ちたペットボトルを拾い春樹に渡す。

「あ、ああ…すまん。」

「なによ、私の顔に何か変なものでも付いてた?」

「いや…何というかその…。」

「煮え切らないわね、いつもみたいに嫌みの一つでも言いたくなったかしら?」

…今日くらいは素直になってみるか。

「正直見惚れてた。なんだよ、別の水着も持ってきてたんじゃねーか。」

「ふーん、やけに素直じゃない。まあ、ありがとう。」

腕を組み強がって見せるが、内心口が緩みそうになるのを必死で我慢していた。

「お前の所の隊長は、あそこで涼んでるぞ。」

「そう、分かったわ。ほら、半分渡しなさい。どうせあんたの所の隊長もいるんでしょ?」

春樹からペットボトルを2本受け取り、二人はミカとまほがいる場所へ戻る。

「エリカ、随分と遅かったな。」

「途中で彼と会ったので、手伝いを。」

「二人とも、お茶で良いっすか?」

ミカとまほは礼を言って、春樹からペットボトルを受け取る。

「そう言えば、二人はフェリーのプールで競争をしていたそうじゃないか。」

「競争と言いますか…。」

「無駄な争いだったことははっきりしてる。」

「いや、互いに切磋琢磨し合うことは決して無駄ではないだろう?」

反発し合い、競うことはあるかもしれないが、結果的には二人にとっていい影響となっていることは間違いない。体力の向上であれ、知識の共有であれ―

そして蓄積していったエリカの知識や体力は少なからず黒森峰に新しい風を吹き込んでいる。

黒森峰はどちらかと言えば戦車の性能を主体として、火力で押していくスタイルだ。そのためにはどうすれば良いのか。もちろん砲撃手の技能もあるだろう。

しかし、戦車そのものの質が左右していることも事実だ。

継続高校の戦車の性能を限界まで引き出す戦法。そして、黒森峰の乗務員のスキルを最大限に活用した戦法。

エリカは今その両者を会得しようとしている。それこそが、今黒森峰に必要としているモノだ。

「エリカは将来黒森峰…いや、西住流という型では小さすぎるほどの人間になる。そんな気がするんだ。」

「か、買いかぶりすぎです…私は、西住流に憧れて…。」

「ふふ、今はそれで良い。エリカの型は生まれたばかりだ。故に、柔軟にそして貪欲に様々なものを吸収すれば良い。」

まほは姿勢を正し、春樹の顔をまっすぐ見つめる。

「今後とも、ウチのエリカをよろしく頼む。」

そして、ゆっくりと頭を下げた。

「えっと、西住さん。何か意味合いが変わってきませんか?」

「?」

まほは頭上に疑問符を浮かべて、首を傾げる。

「エリカを任せられるのは春樹、君しかいないという意味で言ったのだが。」

「まるでお見合い終盤の父親みたいな言葉だね。」

エリカは今の状況が整理できていないらしく、わなわなと震えながら顔を赤くしていた。

「ま、それじゃあ後は若いものでってことで。西住さん、あそこの岩場まで行ってみないかい?」

「…良いだろう。」

そんな彼女を放置するように、二人は海の方へ歩いて行ってしまった。

「…そこ、日が当たるだろ。日陰入れよ。」

まほを優先して。自分は端っこにいたためか、エリカが座っている場所は半分日が差していて暑そうだった。このままでは羞恥と日差しでエリカの体が蒸発しそうだ、

「……。」

エリカは俯いたまま日陰に入る。春樹と出来るだけ離れた場所に座る。

「それじゃ、あんま変わんねーだろ。」

「~~~~~!!」

もうどうにでもなれ。今のエリカの心境だった。

勢いに身を任せて春樹の隣に移動した。

「お前の隊長、あんなこと言う性格だったか?」

「最近あんな感じの事を時々言うのよ。どうやらあんたはかなりの隊長のお気に入りみたいね。」

「手のかかる後輩は面白いからな。」

自動車部にも去年の春樹に負けず劣らずの変わり者が沢山入ってきた。手が掛かればかかるほど愛着も沸くし、世話も焼きたくなるのだ。

恐らく彼女も春樹に対して似たような感情を抱いているに違いない。

「やっぱり私、隊長にとって手にかかる後輩なのかしら…。」

「それは知らん。ただ、気にかけている事だけは確かだな。」

「そう、やっぱり…。」

例の事件の当事者であるエリカに対して、表立ってはいないが心配をしているのは確かだろう。エリカはみほに負けず劣らずの才能があり、努力を欠かさないひたむきさも併せ持っているのだ。しかし、西住という名前が彼女に挫折の気持ちを与えたのも事実。

そして西住の名がみほを傷つけたのも事実。この二人は今、異なる方法でそれを乗り越えようとしている。一方は己の戦車道を探し求めるために、もう一方は自分の戦車道を貫き通すために。

「私…ずっと迷っていた。隊長の背中を追い続けることが本当に正しい選択なのかって。」

入学したばかりの頃のエリカは必至で西住流の背中を追っていた。憧れだから、それが自分の目指す道であるとかつての自分は信じていたから。

西住流という大きすぎる重圧を背負うために努力し、勝利を重ねるまほの背中は大きく遠い。しかしその道は彼女だけのものだ。追いついたとしても、抜くことはできない。

それに気が付いたのは、春樹との交流が始まってからだ。戦車道という”方法”ではなく戦車そのものに向き合うこと。鉄の骨格。複合素材でできた肌。部品という名の臓器。血液のように巡るオイル。

戦車はただの試合のための大きな機械ではない。鉄と油で生かされている鈍重な獣。そんな彼らに向き合えば戦略の効率が上がり、かつ合理性が増す。一度相手の戦車を見つければ、音や挙動でどこが弱いのか相手が何をしようとしているかが手に取るように分かる。

それが正しいのかは分からない。しかし、確実に実践で通用し始めていた。そしてこれは今まで黒森峰では全く前例のない試みだった。

撃てば必中守りは堅く、進む姿に乱れ無し

それが黒森峰が目指す戦車道。伝統に反するものは爪はじきにされる。そう、去年のみほのように。

しかしエリカはそれを結果で示し、煩い奴らを黙らせてきた。初めは同じ戦車の乗組員を、次に分隊を。

きっと今の自分は腫物のように扱われているのだろう。でもそんなものは関係ない。私が望むもののためならば、嫌われたって構わない。

胸を張って隊長の隣に立てるように。元副隊長と戦えるように。私はもっと強くなならないといけない。

「私に足りないものをあなたが持っている。だから…今の私には本田春樹、あなたが必要なのよ。」

春樹が持っている知識や技術を少しでも多く吸収することができれば、エリカが目指す目標に近づくことが出来る。

「分かった。出来る限りのことはする。…それで、最終的にお前はどうしたいんだ?」

そんなの決まっている。あの人と肩を並べられるようになるために、あの子の肩の荷を少しでも軽くするために、私の道のために―

「この私が、逸見エリカが黒森峰の伝統を西住流を…ぶっ壊してやるのよ。」

エリカの瞳にはもう迷いは無かった。あるのは熱く、青く燃える強い意志のみだった。

二人の口元が不敵に笑う。

「ま、話し込むのはこれくらいするとして…。」

すっとエリカが立ち上がり、軽くストレッチをする。

「あそこまで競争なんてどうかしら?」

エリカが遊泳エリアの目印を指さす。

「○ーゲンダッツでどうだ?」

「あら、良いのかしら?容赦しないわよ。」

準備運動を終え、二人は海の方へ歩き出した。

 

「どうやら良い方向へ解決したようだね。」

「ああ、やはり彼に任せて正解だった。」

ミカとまほはしっかりと二人の様子を観察していた。浮輪でぷかぷか浮きながら。

ミカは海の上にも関わらず愛用のカンテレを持ったままだった。

「ハルもこれから忙しくなりそうだね。」

波の音のリズムに合わせてカンテレを爪弾く。その旋律はどこまでも楽しそうだった。

 

 

 

北海道から帰ってきた春樹は、早くも戦車道からの要望に追われていた。細かなものは他の部員に任せ、本人は最も面倒であり重要な仕事に取り組んでいる。

三号突撃砲のエンジンの改造と、新な砲塔の搭載だ。エンジンは既に見た目はオリジナルと全く同じに作られた、ほとんど非合法なチューニングが施されたものになっている。

今日は後者の聖グロリアーナから譲り受けていた巨砲を取り付ける作業を行っていた。

「オーライオーライ!」

クレーンでゆっくりと17ポンド砲が降ろされていく。

ガコン…

物々しい音と共に砲塔と車体が接触、少し浮かせた状態でボルトの穴を合わせて仮止めする。

「はい、下ろしてー!」

ガイド代わりのボルトに沿って降りていき、やがて砲塔を吊っていたチェーンが緩んだ。

ラチェットでボルトを締め込んでいき、最後にトルクレンチで増し締めを行う。

カチカチッ…

「増し締め終わりました!」

「おう、ご苦労様。ふぅ…なんとか間に合ったな。」

「お疲れ様、ハル。」

背後からカンテレの音色が聞こえ、すぐにミカがいることが分かった。

「エンジンも見た目だけコピーして、中身は完全な別物。砲塔もバカでかいやつが乗ったし。よく連盟が許したな。」

「砲塔は問題なかったさ。あちらの協力もあったしね。エンジンはハルのおかげだよ。」

恐らくエンジン本体を切り離して部品をばらさない限り、偽物だとは気が付かないほど精巧につくられたエンジンは春樹の技術の賜物だった。見た目も大きく変わり、一般的によく見る三号突撃砲の外見とはかけ離れたものになっていた。

「研修から帰ったと思えばこれだ…。負けたら飯抜くぞ。」

「それは困るね。本番は頑張らないと。」

「エンジンかけまーす!」

ヒュオン!ガラガラガラガラ…「よし、それじゃあ練習を始めようか。」

ミカのBT-42を先頭に戦車たちがそのあとに続いてガレージを出ていった。

どの戦車も調子良さそうにエンジンを回し、土煙を勢いよく上げていた。

「……。」

しかし、春樹にはもう一つ気にかけなければならないことがあった。

 

「珍しいねハルが偵察についてくるなんて。やっぱりあの子が気になるのかい?」

「……。」

確かにエリカが気になるのも大きな要因の一つだった。しかし、それよりも黒森峰がちゃんと機能を取り戻しているのかということの方が一番だった。

黒森峰と知波単学園とのカードだ。ちなみにこの試合の勝者が継続高校と当たることになる。

「継続は黒森と縁があるな…。」

「おや、彼女たちが必ず勝つとは限らないんじゃないかな?」

勝負は時の運とはよく誰かが言う言葉だが、春樹はそうは思っていない。

全ての歯車がかみ合ったところが勝つ。その歯車は運なのではなく、実力や経験で噛み合わせることができる。

少なくと黒森峰はその歯車を合わせることができる学校だ。

「アイツ等はお前の言う風を呼び込める。」

「それは楽しみだね。」

間もなく試合が始まる。黒森峰は綺麗な隊列を組んで、相手チームの真正面に進んでいく。戦車の消耗を抑えるためにすぐに決着をつける考えのようだ。

稜線を超えて両チームが相対する。まさか一直線で突っ込んでくると予想していなかったのか、相手チームの隊列はまばらだった。

黒森峰チームが分散して3両の小隊に別れる。まるで複数の戦車が一つの生き物のように動く。

完璧に統率された動き、それに完璧に合わせることができる熟練した腕。そして戦車。

「ミカ、確かにお前の言う通り勝負事に絶対は無い。だがな。」

大きなエンジンがまるで精巧につくられた時計のように動き出す。

 

相手の隊列を分散させ、最低限の動きで最低限の砲撃で確実にフラッグ車を追い込んでいく。

「油断しない。準備を怠らない。全力で挑む。実力のある連中が普通にやって、普通に勝つのも勝負の世界じゃザラなんだ。」

そして完全に包囲されたフラッグ車は抵抗むなしく、あっさりと撃破されてしまった。

「黒森峰女学院の勝利!」

黒森峰側に撃破された車両は無く、被弾した戦車も2両のみだった。対するはまさに玉砕という表現が的確な様子だった。特にフラッグ車を守っていた車両は大きな被害を受けていた。

面白みのないコールドゲーム。まさに王者の試合だった。

「…まったく、ハルはどちらの味方なんだい?」

ミカは小さくため息をついて、カンテレを鳴らした。

「ま、どちらが勝とうが俺がやることは変わらないからな。」

そう言って春樹は立ち上がり、どこかへ行ってしまった。

 

「搬入作業終了しました。」

「ご苦労様。各自ホテルに戻って頂戴。明日の起床は6時。それでは、解散。」

「「お疲れさまでした!」」

挨拶を終え解散をする。

「ふぅ…。」

同じチームの生徒たちの背中を見送りながら、小さく息をつく。

今回のエリカのチームの撃破率は7割と、ほとんどの戦車をエリカたちが撃破したことになる。

まほが主に陽動を行ったとは言え、ほかの生徒たちの連度の差が顕著であった。

「まだまだね…。」

一つが秀でていても勝てるはずがない。戦車道はそんなに甘くはない。次は継続高校と当たる。そこの隊長がそれを見逃すはずはない。

「よう、お疲れ。」

その声が聞こえた瞬間、一歩距離を取り、その声の主の方へ体を向ける。そして一瞬にして顔からつま先までを観察し、変わりがないことにほっと息を付きながら顔を赤くする。

「な、なんでここにいるのよ!?」

声を認識して、その台詞が出るまで僅か0.8秒。そして春樹はエリカの百面相をしっかりと見ていた。

「次の対戦相手の偵察…。は口実として、お前らの様子見にな。」

「そ、そう…。」

「エリカのところはだいぶ良くなったな。副隊長として十分やっていける。だけど、他の奴らがだめだな。まだ戦車の理解が足りない。」

相変わらず知識と経験の差が大きく、頭でっかちな生徒が多いようだ。

「訓練の成績は良いのだけれど…。」

「模擬戦やらせろ。そんでボコボコにしてやりゃ良い。アイツ等なら負けただけ学んで反省する。」

「…そういうものかしら。」

「そういうもんだ。現にお前がそうだろ。」

春樹に精神的にボコボコにされようともエリカはめげずに付いていき、最後にはエンジン交換までやってのけたのだ。少なくとも黒森峰は負けん気が強い生徒が多い。

「…分かったわ。」

そうなれば早速隊長と模擬戦のスケジュールを調整しないといけない。その前に、今日の試合の報告書をまとめないと…。

「これから時間あるかしら?」

「…まあ、あるにはあるな。」

「少し付き合いなさい。」

春樹の手を引き、自分の愛車に押し込む。

「夕食はまだでしょ?」

「そうだけど…。」

「前にご馳走になった分よ、今日は私が奢るわ。」

エリカの性格からして、貸しを作ってばかりでは気が収まらないらしい。

「美味い店にでも連れてってくれるのか?」

「ええ、楽しみにしてなさい。」

エリカのポロGTIに乗り込み、学園艦から降りてみなとまちを走る。石造りの建物が並ぶ市街地がゆっくりと過ぎ去る。街灯は少なく、家の明かりがうっすらと道路を照らしていた。

市街地を抜けると、なだらかな丘が続いていた。暫く砂利で出来た一本道を進むと、潮の香りが強くなってきた。岩肌を叩く音が微かに聞こえる。

「ここよ。」

エリカはレンガ造りの小さな建物の横に車を止めた。車から降りると、丁度水平線の向こう側へ日が沈んでいるところだった。海風も少しだけ温度が低く感じる。

「こんにちは。」

木の扉を開くと料理をしているのだろう、美味しそうな香りが鼻をくすぐった。

「いらっしゃい、エリちゃん。丁度来る頃かと思ってたのよ。」

キッチンから柔らかく笑う婦人が顔を出した。

「お邪魔します、伯母さん。」

家の中は店というよりも小さな民家と言った方がしっくりくる。原木の質感をそのまま残したテーブルに会い向かいで座る。

「まずはこれ、食前酒よ。」

そう言って透明な液体が入ったグラスが出てくる。

「あの、俺たちまだ未成年で…。」

「分かってるわよ。安心して、ただのお水だから。気分だけでも、ね。」

それを聞いて安心しつつ、念のためグラスを揺らして香りを確認する。

確かにほのかにレモンのような香りがするだけで、アルコールの匂いはしなかった。

グラスを傾けて透明の液体を少しだけ口に含む。最初に感じたのは微かに炭酸がはじける刺激。そのあとにレモンの透き通るような香りが鼻を通る。

冷たい炭酸水が胃にまで達すると小さな炭酸が胃を刺激し、空腹を煽る。これを飲むと余計にお腹が減ってきた。確かに食前酒にはもってこいだ。

「今日は新鮮な鶏レバーとすっごく美味しいイチジクが手に入ったから是非サラダで食べてみて。」

イチジクの赤、レバーの茶色、チーズの白、サラダの緑、様々な食材と色が一つのさらにまとまった見るだけでも楽しい料理が出てきた。

「レバーは苦手かしら?」

「いや、大丈夫です。」

エリカは自分の小皿に取り分け、優雅な手つきで口に運ぶ。

「エリちゃんずっとレバーが食べられなかったんだけど、これを作ってからレバーを克服したのよね。」

「…ほう。」

エリカは知らぬ顔でレバーのサラダを食べているが、少しだけ顔を赤くしていた。

確かにこのレバーはいわゆるクセがほとんどなく、とても食べやすい。それにサラダにすることで得られるコリっとした触感も新しい。あっという間に食べきってしまった。

「あら、気持ちがいいわね。食べさせがいがあるお客さんは大歓迎よ。」

春樹の食べっぷりが気に入ったのか、張りきった様子でキッチンに入る。

「レバー苦手だったのか?」

「レバーが好きな小学生の方が珍しいわよ。」

「まあ、それもそうか。」

室内にスパイスやニンニクトマト等が複雑に絡み合った香りが漂う。

「はい、ブルゴーニュ風牛の煮込みスープよ。」

大きな肉の塊、ニンジンやジャガイモといった野菜がゴロゴロと入ったスープとバゲットが並べられる。

ひとまずスプーンでスープを一口。口に広がるのは玉ねぎによって引き出された優しい甘みとコク、そしてトマトと赤ワインの酸味がアクセントとなる。

最後に絶妙なバランスで整えられたハーブやスパイスによって複雑な余韻を残す。

たった一口。それだけでスプーンを持つ手が止まらない。長時間煮込まれた牛すね肉はスプーンを軽く当てるだけでスッと崩れる。スープに絡めて切り分けられたバゲットに乗せる。

パリッと堅めのバゲットがはじけると同時にバターと小麦粉の香りが鼻腔をくすぐる。一回噛むごとにバゲット、スープ、牛肉の旨みが互いを引き立て合う。それなのに個々の味ははっきりと伝わり一つとして埋もれることは無い。

「…美味しい。」

「美味い。」

まるで息をするように、無意識のうちに二人の口からそんな言葉が漏れる。

「ありがとう、まだまだ沢山あるからいくらでもおかわりしてちょうだい!」

フランス料理と聞いて、お堅いシェフが厳格なマナーに沿って”こだわりの料理”を出すものだと思っていた。

しかし、それは春樹の思い違いだった。

今までこんなに美味しい料理を食べたことは無かった。こんなに家庭的で、歓迎の気持ちが込められた料理を知らなかった。

特別な材料も、調理法もいらない。あるのは美味しい料理を食べさせたいという作り手の気持ち。

継続高校の学園艦にあるあのコーヒー屋も来る人を歓迎し、楽しませるという信念がある。ここの店もそう言った志を感じ取ることが出来た。

「おかわりお願いします。」

「もちろんよ、バゲットは?」

「はい、お願いします。」

一皿、二皿と春樹は夢中になってスープとパンを食べたのであった。

 

「ぐふっ…食べすぎた。」

「何やってんのよ…あれだけ食べ続けたらそうなるに決まってるじゃない。」

シートベルトが食い込んで苦しいのか春樹はいつものように憎まれ口も叩けなかった。

「……えい。」

赤信号で止まっているときにエリカが春樹の腹を突く。

「フギュイ!」

苦しさと、くすぐったさと、驚きで変な声が喉から漏れる。

「ぷっ…何なのよその変な声。」

腹いせにそのニヤついている頬を引き延ばしてやろうと画策するが、今この時はエリカの方が一枚上手であった。青信号になった瞬間に少しだけ強めにアクセルペダルを踏み込む。

「むぐ…おい、コラ。分かっててやってんだろ?」

「ふふん、何の事かしら?」

普段であれば最後の最後で打ちのめされているところだが、今日に限って春樹にそれが出来るほど余裕は無かった。それを分かっているから、エリカは大きな優越感を感じていた。

「偶には主導権くらい渡しなさいよ。」

「…くそ、覚えてろよ。」

 

知波単学園と黒森峰の試合を観戦していたのは、何も春樹たちだけではなかった。

ミリタリージャケットで身を包んだ秋山優花里は興奮気味で帰りの電車に乗っていた。

「やっぱり余裕の試合展開でしたね西住殿!」

「…うん。」

同じく優花里と共に試合を見ていたみほは真剣な表情で何かを考えていたらしく、彼女の問いかけに曖昧な返事を送る。

「西住殿?」

「あ、ごめんね…。ちょっと考え事しちゃってて。」

「何か今日の試合で引っかかることでも?」

優花里の言う通り今日の試合は実に黒森峰らしい戦い方だった。圧倒的な戦力と技量で反撃の余地を与えぬまま相手を蹂躙する。

いつもと変わらない戦い方、故に付け入る隙があると思っていた。

ただ一両を除いては。

「今日の黒森峰の撃破、ほとんどあのティーガーⅡでしたね。」

あの戦車の車長は間違いなくあの人だ。けど、私が知っている戦車の動かし方じゃない…。

まるで相手の動きが全て目に見えているような回避行動、そして針に糸を通すような正確な射撃。

壊れやすいティーガー系と言えど、あのような運用を行えば決勝まで難なく戦えるだろう。

恐らく…いや間違いなく春樹君が関わっている。

彼は一体どんなことをあの人に教えたのだろう。去年と今年ではまるっきり雰囲気が違う。

前は単にいがみ合っているようにしか見えなかったのに、今は同士と表現した方が近いかもしれない。

「私たちももっと練習が必要ですね!」

「うん、だけど私だけじゃ教えるのも限界があるし…。」

蝶野さんはなんと言うか…その、説明が直感的すぎるというか。今はもっと具体的な指示をアドバイスを出してくれる指導者が欲しい。

だとすると…。

「春樹君にお願いしてみる。」

「本当ですか!?あの本田殿のご指導があれば、私たちのスキルアップも間違いなしです!」

こうなったら善は急げだ。携帯電話を取り出し、デッキまで出る。

一度鳴り、二度鳴り、三回目で呼び出し音が止まる。

「はい…もしもしっ…。」

気のせいだろうか、いつもの覇気のある声ではなくどこか苦しそうな声が聞こえた。

「もしもし…大丈夫?苦しそうだけど。」

「ああ、ちょっと食いすぎただけ…ぐふ。」

それなら安心だ。しかし大食いの彼が食べすぎるなんて珍しい。よっぽど嬉しいことがあったのか、はたまた美味しくて夢中になりすぎたのか。

「あ、あはは…。えっとね、ちょっとお願いが。」

「なんだ?戦車の整備か?」

「できればそれもお願いしたいんだけど…。みんなの戦車の”触り方”を見てもらいたくて。」

「なるほどな、今日の試合を見て不安になったわけだ。」

どうやらこちらの意図は筒抜けのようだ。本当に、この人には敵わない。

「でも、春樹君の所も試合が近いよね?無理しなくても…。」

「ばか野郎、誰が行かないつったよ。こちとら大仕事が終わって、やっと肩の荷が下りたところだ。息抜きがてら邪魔するよ。」

「…ごめんね、春樹くん。」

「謝罪されるくらいなら行かねーぞ。」

やっぱりこの人は意地悪だ。

「ありがとう。」

「おうよ。」

だけどそれ以上に優くて、とても頼れる。お姉ちゃんが一目置いているのも分かる。

エリカさんも…。

だから、ほんの少しだけ嫉妬してしまうのだ。あの二人から逃げ出した私の代わりに、いつの間にか彼が立っているのだから。だけど今更戻りたいとは思わない。私にも今は大切な友達がいるから。仲間が出来たから。

大切な場所が出来たから。

「それじゃあよろしくね。」

「任せろ、じゃあな。」

そのためには出来る限りのことをやろう。私が打てる精一杯のカードを用意しないと。


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