未来とは、いずれ来るものだ。それは生きている限りありとあらゆる生命体に共通する。悲観と楽観。予測と測定。方向性は違えど、人間の感情などに時間の流れは頓着しない。
だからこそ、未来とは不確定でありながら確定であると言える。例え私が死んだとしても次がある。私の大願は私に続く者が果たす。そう信じたからこそ、マキリ・ゾォルケンという蟲の使役魔術の業を続ける一家に生まれた男はその生き方を肯定したし、そうあるように邁進してきた。
魔術の総本山の一つたる【時計塔】に入学し、自らの家の魔術である蟲の使役をより研鑽するべく召喚・降霊に関する魔術学科に在籍した。言語に少しばかり困ったものであるが、元来の勤勉さで克服し、克己し、最大限の努力をした。
数年の時が過ぎた頃。声が聞こえるようになった。当初はノイズがかったようなもの。幻聴の類だろうと一笑に付してしまうようなものであったし、事実無視した。しかし、その声は徐々に声を耳に馴染ませていった。
―――我が名はソロモンの血肉を分けた魔神、バルバトス。人理を焼却する者。先に歩む者。汝、我が血肉をわけし同胞よ。我が大願成就に力を貸せ。
ソロモンという名は知っていた。イスラエルの王朝の第二代の王。羊飼いであったダビデ王の次代を担い、最初にソロモン72の悪魔と呼ばれる魔神を使役したとされる男だ。その魔術は今でも形を変えて残っているほど魔術史としても偉大な存在でもある。自分がその存在の子孫であるということはまだいい。ただ、人理を焼却するというのはどういうことか。人類史の消滅。それは私の成すべきことを成せなくなることを意味する。次に続く者が現れないことを意味してしまう。
―――ふむ。未来に希望を見出すか。なら、これを見るが良い。
私が心内で考えたことに反応したのか、バルバトスは面白がったような口調で、私の精神に投影を行った。
それは私自身であった。今より老い、杖をついているものの、それが私自身であることに疑いの余地はなかった。景色から察するに、倫敦や、私が生を受けたキエフではない。どこか東洋の趣がある土地。そしてその身はうぞうぞとした音とともに変異した。幾重にも束ねられた蟲で姿を擬態しているらしい。
男の目の前にはぐちゃぐちゃになった肉塊から生まれ出でた黒尽くめの男が立っていた。髑髏の仮面のみがその顔に貼り付けられ、右腕は異様に長い。その威圧は人間のそれではなかった。
「――魔術師。その思想は理解の果てなれど、我はそれに従おう。なれば、共に永遠を目指すとしよう」
髑髏の男はそう述べ、姿を消す。永遠。彼はそう言っていた。共に。そして彼と共にあったのは蟲を蠢かす老人を模した存在――自分のみ。
――これはどういうことだ。
どういうこともなにも、と魔神は答えた。
――これは未来の汝だ。最も、分岐がある未来の一つと言えばそうだが、編纂事象の多くがこの未来へと収束する。未来の結束点の一つだ。そして、汝が望むことは未来においては叶わない」
「そんなこと、あるはずがないだろう!」
こんな未来はありえない。そう声高に否定する。しかし、自身の直感が、魔術師としての本能が、魔術刻印が告げていた。この絵図が真実たりうるものであることを。
――汝、未来を望むか。
あぁ、と魔術師は肯定する。マキリ・ゾォルケンの意志。それは続くこと。どのような手段を用いてでも続くことに他ならない。未来の己は続くことを諦めた。自らの血が限界であることを理解していようと、マキリ・ゾォルケンは止まれない。
――なれば我が主の計画に賛同し、加担せよ。これは大願である。これは大望である。我ら72柱の魔神による人類の焼却。そしてそのエネルギーを■■■■―――」
その声と共にゾォルケンの手に委ねられたのは、金色に光り輝く杯。即ち、聖杯。魔力の結晶たる万能の願望器である。
聖杯に最初に願ったことは、自らの力の前借りであった。マキリ・ゾォルケンが未来に得るであろう知識・技術を現在の現時点において習得する。聖杯を用いたとしても不可能なことは不可能だ。聖杯は万能の願望器ではあるが、あくまで人類や個人が可能な範囲の事柄の結果だけを引き寄せるという代物にすぎない。それにこの後の計画を考えると、余り聖杯の魔力を消費しすぎない方が得策であった。
「祖に石と契約の大公。四方の門は閉じ■■■■――」
【時計塔】、降霊課(ユリフィス)に存在する実験室の一つにおいて、とある実験が行われていた。【英霊召喚実験】。ビーストと呼ばれる人類悪を滅するためにアラヤ側に残された手段、【決戦術式・英霊召喚】を簡易化したものである。今回英霊召喚の触媒としたものは、大英博物館から借り受けたチャールズ・バベッジの脳である。勿論呼び出す者は蒸気機関や階差機関の発明で知られる学者、チャールズ・バベッジ。比較的近代に近い英霊であり、危険性が薄いと判断された存在でもある。
ゾォルケンの周囲に観客は僅かではあるが存在していた。ゾォルケンと同じく、降霊課の門を叩いた同輩である。誰もがその様子を注視していた。
「答えよ、汝が我が召喚者か」
そして現れた存在を見て絶句した。鈍い輝きを放つ機械鎧。動くたびにギチギチと歯車の音が響き、右手には巨大な槌が握られていた。その様は人間ではなかった。
「あぁ。マキリ・ゾォルケン。魔術師だ」
しかし、ゾォルケンはそうした様子に動揺した様子が全くなかった。
「君がチャールズ・バベッジで間違いないかね」
「相違ない。我が名はチャールズ・バベッジである」
合成音に似たくぐもった、それでいて威厳がある声が響く。その声と同時に、周囲からほう、という声が漏れた。それは召喚の成功を意味した。
「早速ではあるが、君の宝具を聞いてもよろしいか、バベッジ卿」
「我が宝具は我が肉体であり、我が夢想の具現である。【絢爛なりし灰燼世界】である」
それを聞いてゾォルケンは黙考した。彼の姿は固有結界の一種であると判断した。おそらく生前とは異なる姿で召喚されている。しかし、好都合だ、とゾォルケンは理解した。
「その宝具は具体的にはどういったものか」
「我が宝具は夢想であり、蒸気機関を持って成し得る機械の生成、及びその使役、またそれに付随する霧の発生、我が肉体である」
「令呪を持って、マキリ・ゾォルケンが命ずる――」
その声と共に右手に刻まれた令呪が光を発する。未来の己の知識の前借によって実現されたそれは通常の聖杯戦争における預託令呪のシステムを採用したため、通常の三画のみならず複数刻まれている。
「何を、命ずるつもりだ魔術師」
「――この時計塔、ひいてはロンドンの人類を無力化することに賛同せよ」
「……魔術師!」
「重ねて令呪を持って命ずる。その宝具を持って、時計塔の私を除く魔術師を一掃せよ」
「――ゾォルケン、お前!」
後ろで喚く声が聞こえるが、ゾォルケンは無視した。未来のための犠牲は惜しまない。何かを得るためには代償が必要だ。
――あぁ。それが。自らの悲願の完遂、及び自らに続く者の実現のためならば、人類など、惜しくはない。
それが人としての倫理の欠落であろうと、魔術師としての破戒であろうと、ことさらの愚行であろうと分かっていても、マキリ・ゾォルケンは止まらない。
「重ねて、令呪を持って命ずる。その宝具が持つ【霧】でもってこのロンドンを覆い、人理廃滅に手を貸すことに賛同せよ」
「…………貴殿の命令を受諾した。命令を執行する」
無機質な声が響き、ゾォルケンの走狗となった機械鎧が駆動する。その銃は彼の同輩に向けられた。
時計塔の蹂躙は数時間を持って完了した。元々ゴーストライナーと呼ばれる英霊に対しては現代の魔術は余程の強度でない限り通用しない。そして、本来戦闘に魔術を用いることを職分としない魔術師の多い【時計塔】において、そこまで高いステータスではないとはいえ、英霊を敵に回して生きて居られる者は数少なかった。中には生き延びた者もいたが、そうした者は捨て置いた。
「我がサーヴァントよ。アングルポダを起動しろ」
「了解した、マスター」
チャールズ・バベッジの持つ宝具【絢爛なりし灰燼世界】によって発生した霧。それに聖杯による高濃度の魔力粒子を流し込み、混ぜた上で大気中に流す。現代における人間は高濃度の魔力には耐えられるようにはできていない。比較的魔術的素養の高い魔術師はあるいは生き残るかもしれないが、ほとんどの魔術師は息絶える。この時代は時代の結節点。ここまでの人類殺戮を起こせば、確実に歴史上の特異点の一つとなる。
「いくら誰に恨まれようが構いはしない。私は私の悲願を果たす。そしてそれに一致したからこそ、貴様の口車にも乗ろう。魔神、バルバトス」
――自らの理の元、我が手駒となるのなら是非もなし。我に離反することは不可能な以上、合理的な解である。人間でありながらその解に至ったこと、称賛に価する。
「計画名、マキリ。人理を破壊してでも私は私の次を望む」
その計画名は宣誓であった。霧によってロンドンの街を蹂躙し、人類を虐げ、滅ぼし、それでもって自らの願いの成就の足掛かりとする。
「邪魔をする者は私と私の使役する英霊を持って始末する」
傍らには白衣に似た装束を身に纏った長髪の青年と機械鎧。両名ともに令呪によって行動を縛っていた。例え過去の英雄を唾棄しようと、ゾォルケンは一切気にも留めない。大願の前に些末事である。
これこそが後に第4特異点と呼称される魔霧都市ロンドンのハジマリの欠片であった。