5話・橙VSナズーリン
●裁かれるべき命
午前六時五十一分。人里から数百メートル離れた場所に生い茂る木々がある。
その内、とある木の根元を背にして、少女が蹲っていた。
彼女――小川まみは恐怖していた。気が付いた時には幻想郷という自分の知らない世界に連れてこられ、更にはこんなゲームに参加させられて。
彼女は、どうしてこうなってしまったかを考えていた。
――ここは何なの? 私はそれほど悪い事をしたわけではない。勉強もある程度頑張っているし、友達とも仲良くしている。中学生の頃は反抗期で、お母さんやお父さんに口答えばかりしていたけど、今はきちんと言う事を聞いている。なのに……どうして私がこんな目に……!
彼女はそう考えていて、ある一つの出来事を思い出す。
――まさか、私が妹を……。
「大丈夫?」
と、突然声を掛けられる。
顔を上げると、そこには中華風の衣服に身を包み、猫耳と猫の尻尾を二本生やした妖怪――橙が、彼女の顔を心配そうに覗き込んでいた。
「橙……ちゃん」
まみは涙を流していた。橙というパートナーがいなければ、恐怖のあまり狂ってしまいそうなほどに。
誰かが誰かを殺している現場を見たわけではないが、ゲーム開催者の八雲紫と、妖怪の一人であるルーミアの不思議な威圧感に、彼女の心はほとんど呑まれていた。
「橙ちゃん、私……どうしてこうなっちゃったのかなぁ。橙ちゃんは……何か知っているの?」
幻想郷に住んでいて、尚且つ紫の元でゲーム説明の進行助手を務めていた橙なら何か知っているかもしれない。そう思ってまみは橙に問いかける。
すると橙は、申し訳なさそうな顔でそれに答えた。
「紫様は、自分が興味を持った二十一人を連れてきたと言っていたわ。だからあなたは、他の人間とは違うような特技や思想、出来事を持っているんじゃないの?」
――出来事。
彼女の胸に突き刺さる言葉。しかし、まみはそのことを口に出したくはなかったし、思い出したくもなかった。それを思い出そうとする度、自分の心臓が締め付けられるような錯覚を覚える。
だから彼女は橙の問いに対し「言いたくない」と答え、首を横に振る。
しかし妖怪である橙の目から見ても、まみの怖がりようは異常だった。
外の世界と違い、妖怪などがいるため、人の死については割と茶飯事な幻想郷。その差が、橙にとって違和感を生んでいた。
とはいうものの、いつ敵が襲ってくるかわからない。橙はお互いの安全のためにも、まみを冷静にさせようと決める。
「ええと……まみ。突然こんなことに巻き込まれて怖いっていうのはわかるけど、ここは危険だよ。スタート地点から少し近すぎるし、何より屋外。せめて、私の住処の迷い家に行こうよ」
「迷い家?」
「ええ。もしかしたら、そこに藍様がいるかもしれないし」
まみは橙が言う、藍という名前に聞き覚えがあった。
「藍様って……あの狐の人?」
「そう。藍様は私という式神を生み出したすごい式神なのさ」
「……その藍って人も、式神なの?」
「ええ。私を生んだ藍様を生んだのが、紫様。幻想郷で一番強い妖怪よ」
幻想郷で一番強い。橙の言葉から新たに湧き上がった絶望感に、まみの心はまた押しつぶされそうになる。
「ちぇ……橙ちゃんと比べて、どのくらい強いの?」
そんなまみの雰囲気を読み取ったのか、橙も少し気落ちしながら言う。
「私だと恐らく……一分も持たないわ」
「そ、そうなの」
ゲーム説明の時になんとなく察しはついていた。紫の実力は、橙や藍より上だろうと。
更に気落ちするまみに対し、橙は彼女を元気づける言葉を用意していた。
「大丈夫。迷い家に行ってしばらく待ってたら、藍様が来てくれるから」
「え?」
八雲藍がゲームの参加者でないことはまみの印象にも残っている。だから橙が言った事の意味がわからなかった。
戸惑っているまみを見て、橙は目を細めて微笑みつつ口を開く。
「藍様は、このゲームに反対してるわ」
橙の言葉を聞いたまみは、思わず恐怖心が消えるほどに目を丸くする。
「え……。藍って人は、紫って人の家来……じゃなくて式神なんでしょ?」
「そうだよ」
「でもその式神が……え?」
まみが混乱していることに橙は気づき、詳しく説明することにした。
「藍様は、紫様が創ったこのゲームに反対しているの。『自分の道楽のために外の世界の人間を連れてくるのは、尊敬されることではない』って、珍しく紫様に反論したの。でも藍様は紫様の式神でしかなく、紫様も頑固なお方。困った藍様は、かつて紫様に勝ったことがある三人の人間に、ゲームに参加することをお願いしたのよ」
「そ……その三人って?」
突然のよくわからない吉報に戸惑いつつも、まみはこのタイミングで自分が問うべきことを尋ねた。それに橙は答える。
「博麗神社の巫女――博麗霊夢。魔法使い――霧雨魔理沙。紅魔館のメイド――十六夜咲夜」
巫女と魔法使いという言葉に、まみはすぐに霊夢と魔理沙を連想できたが、メイドという人間に見覚えがない。
「まぁ、三人目のメイドは、館の主に参加することを否認されたけど。それでも、霊夢と魔理沙がいる。あの二人なら、きっと紫様を何とかしてくれるはずだよ」
「あの巫女さんと魔法使いの人って、そんなに強いの?」
「うん。あの霊夢ってやつは、本当に強いよ。一対一で戦ったら、あの場にいた人達じゃあ、紫様含めて負けたことがない人は一人もいないよ」
予想外な霊夢の実力を知り、尚且つそれが人間であることに、まみは少しばかりの安心感を得る。
「それに藍様は、きっと私とまみの仲間になってくれるよ」
橙の言葉に、まみは首を傾げてしまう。
「でも、その人は確か参加者じゃないんだよね。じゃあその人は……」
そう言おうとして、まみは自分のしている勘違いに気付く。
――ゲームに参加していない者と協力してはいけない、なんてルールはない。
精神的に追い詰められるあまり、彼女は妙な勘違いをしていた。
「藍様は参加者じゃないけど、私達の仲間になることはできる」
「そ……そっか!」
しかし、まみは一つのことに疑問が浮かぶ。
「その……藍って人はどれくらい強いの?」
「藍様だってとっても強いさ。さっきの三人や紫様を除いたら、藍様が一番強いよ!」
「そ……そうなんだ!」
次第にまみの口から笑みが零れていく。彼女の頭の中では、八雲藍、博麗霊夢、霧雨魔理沙、そしてまだ見ぬ三人目が、八雲紫を圧倒している場面が浮かぶ。
彼女に先ほどのような恐怖心はほとんど無くなる。恐怖心よりは、藍達という強力な味方を得られる、という希望の方が大きかった。
「そ……それじゃあもう、その迷い家に向かった方がいいのかな?」
「うん。とりあえずはそうした方が安全だよ」
そう行って橙は数歩、歩いて先導する。
「さぁ行こう。大丈夫、いざとなったら私が戦うから」
まみにとって橙の姿は、まだよく接していない藍よりも頼もしく見えた。
「頼りにしてるよ、橙ちゃん」
彼女は橙が差し伸べてくれた手を握るため、腰を上げて近づく。
途端、草むらが揺れる。
「!」
まみと橙の視界に、突然一人の女性が現れた。
橙はまみを女性から遠ざけさせ、幻想郷住民の攻撃手段――弾幕を放とうとする。
「やめてっ!」
それが、突然現れた少女が放った第一声だった。その声に驚き、まみはともかく橙も怯んでしまう。
まみ達の前にいる背の低い女性は、腰が抜けたように尻餅をついた状態で、「やめて……やめて」と言いながら後ずさっていく。
まみと橙は互いに顔を見合わせ、彼女に敵意はないことを確認した。
「だ、大丈夫です。私も橙ちゃんも、人を殺す気はありません」と、まみの方から女性に話しかける。
「え?」
女性は後ずさることをやめ、まみ達を見据えた。
「ええと……ゲームに参加している人……ですよね?」というまみの問いに、彼女は頷く。
二人は突然の事態に混乱したが、質問を続けることにする。
「とりあえず……あなたのお名前は?」
しかし、まみの言葉は、橙の言葉によって流された。
「あなたは一体何から逃げてきたの? 見たところ、パートナーがいないようだけど」
橙の言葉を聞くや否や、女性は何かに脅える表情に戻る。
「そ、そうだ。助けて!」
彼女はまみの両袖を掴んで、慌てて立ち上がった。
「鼠……鼠の妖怪に追いかけられてきたの。助けて!」
彼女を追いかけている妖怪が誰なのか、橙はすぐに理解した。
ダウザーの鼠妖怪――ナズーリン。
しかし、もう一つの事実にも気が付く。橙は司会をしていた八雲紫の側にいて、藍の元でくじを引いていた人間全員を近距離で見ていた。だから彼女がナズーリンに追いかけられているということを聞いて、ある違和感に気付く。
「あなたのパートナーって、その鼠じゃあ……?」
瞬間、坂の上から何者かが草地を歩く音がする。三人の目は、音を鳴らした主に向けられた。
「おやおや、どこまで逃げたかと思えば。私の天敵である猫に助けを求めるなんて。人間も思ったより賢いじゃないか」
橙の予想通り、彼女達の前に現れたのはナズーリンだった。衣服や髪が鼠色で、鼠の耳と尻尾が生えているという。人の形をしているが、その姿はまさに鼠そのものである。
「あ、あいつ。あいつが私を狙ってるの!」
女性はナズーリンを指さして言う。
しかし、橙はあることに疑問を持つ。
「あ、あなたは、あいつのパートナーじゃないんですか」
「パートナーさ、でももうすぐ脱落する」
橙の問いに答えたのは、ナズーリンだった。
「私達命蓮寺組の参加選手は聖一人で十分だ。私はただ黙って、聖のために暗躍すればいいだけ。だから私が自由になるためには、その人間が邪魔なんだよ」
まるで悪びれもしないかのように、ナズーリンは話す。
その言葉に小柄な女性はより一層震え、まみは彼女を安心させようと強く抱きしめる。
橙はナズーリンの言葉に納得がいかなかった。
「じゃあ、何も殺すことはないじゃない。それに、自殺したら……」
自殺したらペナルティ。そう言おうとした橙はあることに気付く。
自分の仲間を殺した際について、八雲紫は何も言っていないことに。
「そう、プレイヤーが八雲紫からのペナルティを受けるのは、相方が自殺した場合のみ。つまり私がそいつを殺しても、脱落条件の一つ目を満たすのみ。八雲紫が言う、『スキマを使って脱落していない参加者を殺傷してはいけない』というのはおそらく、死ぬ以外の方法で脱落した者にペナルティを与えるため。そいつを殺した場合、私にペナルティは何もないはずさ」
自分とナズーリン。同じ妖怪同士なのに、ここまで思想が違うものかと橙は戦慄した。
彼女は八雲藍と同じく、紫の考えに反対する意でこのゲームに参加した。とにかく参加したかった。自分が参加することで八雲藍を行動させやすくするため。外界の者を護るため。参加者として直接紫を説得したいため。
橙は、このゲームに参加して良かったと思った。今目の前にいる極悪な妖怪から、人間を護ることができる。
「おや、何かなその目は。まさかそいつを護る気かい。非力な人間、しかも自分のパートナーですらない人間を一人護ったところで、君には何の得もない。それならいっそのこと……」
「五月蠅い!」
橙はナズーリンの言葉をかき消す勢いで叫んだ。
「まみ、その人を連れて今すぐ離れて」
「え……?」
「私は今から、本気でこの妖怪を殺す」
先程とは一変したような橙の様子に、まみは驚き、返事をすることを忘れてしまっていた。
「早くして。あなた達を巻き込んでしまう!」
それを聞き、まみはナズーリンのパートナーを連れて、橙から離れていった。
橙とナズーリンは、お互いに対峙する。
「せっかくだから、戦いの場を選ばせようか。ここか空。どちらがいい?」
「勘違いしないで」
橙はナズーリンの言葉に即答する。
その言葉の意味をにナズーリンが考えた瞬間、彼女の顔面めがけて赤く光る弾が飛んできた。彼女は身体を反らして弾幕を回避する。
「やるねぇ、先制攻撃とは。いや、『我慢がきかない』と言うべきか」
「黙れ」
ナズーリンの飄々とした言葉を橙はただ一括する。
「紫様やお前の言葉を借りるなら、これは殺し合い。弾幕ごっこじゃあない」
「何が『殺し合い』だよ。君は式神なんだろ? 君の主が死なない限り君はいくらでも復活するというのに。命を一方的に奪われるというのは、理不尽なものだ」
「さっき、あの人の命を奪おうとしたお前が何を言ってるんだ」
橙は怒りの中で、少しの悲しみが混ざっているのを感じた。主である八雲紫とナズーリンの、ゲームで人を遠慮なく殺すという思想が似ていたのだ。
「お前が住んでいるお寺の僧侶だって、元々は人間のはずだろ」
「ああそうだ。でも、それだけさ。聖は一度、人間の手によって封印されたことがある。彼女が助けようとした人間にだ」
ナズーリンの目が、少しだけ暗いものになったと橙は感じた。
「聖は人間を捨て、妖怪の側に立った。だから私は遠慮なく人間を殺せる。まぁそれでも聖はこのゲームでは恐らく、あの無表情な人間と協力してゲームに臨むと思うがね」
「それなら、お前もあの人間と……」
橙の言葉に対し、ナズーリンは右手を向けて制する。
「誤解されるかもしれないが、私だって真剣にこのゲームに臨んでいるさ」
「え?」
「私は聖やぬえと違って、他の参加者達と並ぶほどの実力は持っていない。なら私はここであの人間を殺し、ルールという束縛から解放され、聖の助力に励むことこそが私の仕事だと思っている」
「そんなの無責任じゃないか」
「ん?」
橙の言ったことが理解できない、というような態度のナズーリン。
「一緒に参加する人間に失礼じゃないか。あの人だって、外の世界に帰りたい一心で、あなたと協力しようとしているかもしれないのに」
「そう。人間は自分勝手に、帰りたいという一心で私達と組んでいる。まあ私達妖怪も、楽しみたいという理由だけでこのゲームに臨む者がほとんどだけどね」
言いつつ、ナズーリンは柔軟運動をするように首を回す。次第に橙も臨戦体勢になっていく。
お互いの動きが止まったかと思った時に、橙はすぐに攻撃を仕掛けた。ナズーリンに向けて、扇状に紫色の楔型弾幕を放つが、最小限の跳躍でそれをかわされてしまう。
橙はすぐに、手の平程の大きさがある小弾の弾幕をばら撒くように放つ。しかしナズーリンは、後ろに飛び上がって難なく回避する。
「……ん!」
弾幕の密度が薄れた時、ナズーリンは自分が認識していた場所に橙がいないことに気が付く。
一瞬辺りを見渡した後に、自分より上空から橙の声が聞こえてきた。
「仙符『鳳凰展翅 ―Lunatic―』!」
スペルカード宣言。幻想郷に住む妖怪などは弾幕や、それを強力な攻撃手段にした『スペルカード』で対決をする。
それを発動させた橙の周りには、輪っか状に並んでいる楔弾の列が出現する。
弾幕にナズーリンが一瞬怯んだ時、その楔弾一つ一つのが数倍に増え、縦横無尽に放たれる。
しかし速度は、目で追うのに難くはないので、ナズーリンは落ち着いて避けていく。
それでも橙は、第二陣、第三陣の楔団を放ち続ける。そこで、気が付く。
ナズーリンが、一切橙に攻撃を仕掛けてこない。
攻撃をしない――弾幕を撃たないということは、相手へダメージを与えることができない他に、自分の弾幕で相手の弾幕を消すこともできない。
故にこの場合、ナズーリンがする行為の意味はこうだ。
――お前の弾幕なんて、打ち消す必要がないくらい容易にかわせる。
ナズーリンの行為に対し橙は屈辱を覚える。スペルを発動して四十秒程経つと、弾幕は勝手に消滅していった。橙の、スペルを発動するための体力が尽きたのだ。
橙にとってこのことは予想外だった。自分が本来持つ力以上のスペルカードを使用したにも関わらず、ナズーリンは無傷である。
「そんな狂ったみたいに弾幕を撃っても、当たらなければなんの意味もない」
弾幕はこうやって撃つのさ。そう言ってナズーリンは、自分が両手に持っている巨大なダウジングロッドの内、右に持っている方を高く掲げた。
横一列に楔形弾幕が並び、三陣に分けて橙に襲いかかる。
それをかわしたが、自分がやったようにナズーリンはそれを何度も繰り返していく。
だが橙はナズーリンと違い、当たりそうになった弾幕には、きちんと弾幕を当てて打ち消す。
しかしそのせいで、ナズーリンの姿を見失ってしまう。
「あ……あれ」
途端、自分の真下から弾幕が放たれる音を聞いた。下を見ると、自分目がけて一つの楔弾が来ているので、それを避ける。
「!」
瞬間、彼女の前にナズーリンが現れる。直前まで弾幕を回避することに頭を使っていた橙に対しナズーリンがとった行動は弾幕攻撃ではなく、一発の前蹴りだった。その攻撃は隙だらけだった彼女の鳩尾に深く突き刺さる。
「く……くぐうぅっ……!」
あまりの苦しさで、ゆっくりと下降する橙にナズーリンは言う。
「君が言ったんじゃないか。『これは弾幕勝負ではなく殺し合い』だと。何をゆったり弾幕を避けてたんだい」
吐き気がこみ上げ、思考が途切れ途切れになっている橙にも、今の言葉は深く突き刺さる。
悔しさがこみ上げつつ、橙は地に足が着いたもののなんとか立ち上がる。一方ナズーリンは上空にいるままだ。
「さあどうした。かかってこないのか。それなら降参とみなして、私はあの人間を追いかけることにするぞ?」
彼女の言葉に、橙は苦しさを耐えて立ち上がる。自分は何の理由もなくあの鼠と戦っているわけではない。あの人間を護るために戦っている。
――相手チームの人間なのに?
自問自答する橙だったが、考えないことにした。
――それに、まみもいる。
橙は自分のパートナーであるまみにも危険が及ぶと理解し、何が何でもナズーリンに勝たなくてはいけないと思い、ゆっくりと空に浮かび上がる。
「まぁ、腐っても式神か。腹を貫くつもりで蹴ったのだがな……」
やれやれといった態度でもう一度ロッドを構えるナズーリン。
「うあぁぁぁぁぁぁ!」
突然声を上げたのは橙だった。
彼女の行動を不信に思い、ナズーリンは動きを止める。
橙は今の叫びで、色々な感情を初期に戻す。今は、ナズーリンを倒す。ただそれだけのために頭を使うことを決めた。
「童符『護法天童乱舞』!」
しかし、ナズーリンの態度は冷めていた。
「やれやれ、また力技か」
がっかりしたように、ナズーリンはロッドを構える。
先程は橙の弾幕を軽々と避けたものの、いささか危なかったとナズーリンは思っていた。次に来る弾幕は、恐らく先程のより強力なものだろう、と直感する。
スペルカードを発動した橙の足元に魔方陣が浮かび上がる。それを蹴り、身体を丸めながらナズーリンの真横を通り過ぎ、その軌跡上に設置していった楔弾幕で攻撃する。彼女がそれを回避している間に同じことを数回行い、次々と弾幕を放つ。
「これで……おわりだっ!」
よけるのに精一杯なナズーリン目がけて、橙は駄目押しの楔弾を飛ばした。
「おおっ!」
顔面目がけて飛んでくる弾幕をナズーリンは咄嗟に右手のロッドで弾き飛ばした。
「そんな……これも……!」
今発動したスペルの弾幕でも、ナズーリンに弾幕を撃たせることはできなかった。
「さぁどうした。もっと攻撃してこないのか。次やったら当たるかもしれないぞ?」
挑発をするナズーリン脳内では、先程の弾幕パターンを利用した反撃の方法が着々と浮かび上がっている。
「くそう!」
橙はもう一度魔方陣を蹴る。しかし今度は、ナズーリンの真横ではなく、真っ直ぐに突進する。
「いい判断だ。しかしそれにわざわざ当たりに行くほど、私も自信家ではないのでな」
ナズーリンが突進を横にかわした瞬間、橙が設置した弾幕は全て消滅した。
「!?」
そのことにナズーリンは一瞬怯み、気が付いた時には、橙は懐に入っていた。
――馬鹿な! 一番相手に有効な瞬間である、相手と近距離になった瞬間に、スペルカードをキャンセルしただと!
橙が発動していたスペルカードの弾幕は、魔方陣から魔方陣へ飛び移り、その軌跡に設置した弾幕をばら撒くというもの。なのでどうしても橙自身の行動パターンが直線的になりやすい。しかし彼女はそれを途中でやめることにより、欠点を補った。
彼女の腹部に橙はたった一発、掌に収まるような小さな弾幕を放った。
それはナズーリンの腹部に触れた瞬間、弾けた。彼女の身体は後方へ吹き飛び、木々に墜落していく。橙はそれを逃すことなく、追いかける。
ナズーリンの元に辿りつく。彼女は少し焼け焦げた様な跡がある腹部を抑えていた。
「いやいや……まさかあんな妙手を使ってくるとは……。ああいうずる賢さは、鼠の専売特許なのだがね」
多少ぼろぼろになりながらも、ナズーリンの口が減ることはない。
未だ強気な彼女にもう一発、橙は弾幕を放つ。それはナズーリンが防御した右腕に炸裂した。
「ぐ……く!」
「つ……次は顔面に当てる」
橙はナズーリンの顔面に向けて掌を構える。
「そうか……なら撃ってみればいいさ」
挑発するナズーリンに対し、橙はある交渉を持ちかけることにした。
「逃げてくれない?」
「……は?」
「あの人を殺す必要なんてない。ゲームに離脱したいなら。お前が自分から百メートル離れればいいだけ。それだけでゲームから脱落できるじゃないか」
しかし、ナズーリンは何も喋らない。
「今ここで私に……殺されるよりは、紫様のペナルティを喰らった方がいいじゃない。そのペナルティ自体も曖昧だけど」
『殺す』という言葉を言うことにさえ抵抗を覚えている橙を見て、ナズーリンは思わず笑った。
「やれやれ、言葉に怖気づいているようでは、到底このゲームで生き残れないぞ」
「う、うるさい。私は精一杯戦って、紫様の目を覚ますんだ」
「ん、どういうことだい。優勝する、ではなく、八雲紫の目を覚ます?」
「ええ。今紫様は、ちょっとだけ疲れてしまっているだけ。だから私や藍様、霊夢が紫様の目を覚まさせなければいけない」
「そうかな。私からしてみれば八雲紫は、ただ楽しみたい、というだけにしか見えないが」
その言葉に橙は、違う、と否定する。
「紫様はそんな軽い気持ちで人間を……」
だが、否定しきれなかった。
八雲紫はたまに、気まぐれで外界の人間を神隠しにしたりもする。
その度に霊夢や藍に注意されるが、今回は状況が違っていた。二十一人。八雲紫は短期間でこれだけの人間を幻想郷に連れ込んできた。
この事態に藍と霊夢は、様子を見るという行動になった。二人も紫がとった行動に怯んでしまっていた。彼女達でさえそんな風になる紫の思想は、橙にも理解する事はできない。
「だろう。今の八雲紫は何をしたいのかわからない。もしかしたら大したことない理由なのかもしれないし、この幻想郷か外の世界を滅ぼすための準備か何かで、こんなゲームを開いたのかもしれない」
橙はますます混乱してしまう。
自分の主は一体何を企んでいるのだろう。
「おいおい。そんなによそ見をしていていいのかい。……やはり君は、何かを殺すことは不得意なようだね。私を殺すなら、私を殺すまで決して油断しないことだと思うが」
指摘するナズーリンだったが、弾幕どころか攻撃する素振りすら見せない。
「さて、私達は一体何故殺し合いの最中に話し込んでいるのだったかな」
鼠のような鋭い目で、彼女は橙を見据える。
「ああそうだ。確か君が、私自ら失格になればいと諭しているんだったな。だがまぁ、そんな必要はどうやら無くなったようだ」
彼女の言葉に思わず問いかけようとした時、橙の後ろから何者かが近付いていることを察知する。後ろを振り向くとそこには、ナズーリンのパートナーである江藤しょうこがいた。
「棚からぼた餅とはこういうことかな」
ナズーリンはロッドを振り上げ、しょうこに向かって楔弾幕を放った。
「危ない!」
橙はしょうこに飛びかかって庇い、弾幕を受けてしまう。弾幕は背中で弾け、彼女だけを吹き飛ばした。
「ぐ……ああっ……」
背中に受けた激痛により、橙は蹲ってしまう。
「やれやれ、このお人よしめ。妖怪か式神かで、ここまで甘さが違うものなのか」
ナズーリンは先程のダメージが癒えてないのか、ゆっくりとした足取りで橙の元へ歩いていく。
「鼠が怖いのは、猫であるお前ならわかっているはずだろう? 鼠はいつだってわざと追い詰められて、窮鼠になって猫を噛む」
まぁこれで、こいつを護るものは誰もいない。ナズーリンはそう言って、ロッドをしょうこに向ける。
「うあ……や……やめ……ろ」
しかし、しばらくそのままじっとしているだけで、ナズーリンは弾幕を撃たない。どころか、先ほどと違いしょうこ自体、ナズーリンに恐れを抱いている様子がない。
橙がそのことに疑問を持った時、不意にナズーリンが笑い出す。
「どうした。私がこの人間を殺すとでも思ったのか。こいつは私のパートナーだぞ?」
ナズーリンはロッドを降ろして言う。それでも橙は、何が何だかわからない、といった表情をしていた。
「やれやれ、まだわからないのか……。それじゃあもっとわかりやすく言ってやろう。私のパートナーは、お前のパートナーと共に私から逃げた」
――なら、そのパートナーは何故、しょうこと一緒にいないんだ?
橙は、何かとても大きな違和感を覚えた。そして、とても嫌な予感も。
「まさか……まさか……」
恐る恐る問いただしている橙の視界に江藤しょうこは立ち、先程の怯えた表情とは違いにっこりとした表情で、懐から一本の小型両刃ナイフを取り出す。
所々拭き残したような赤い模様のついたナイフを持った彼女は、目を細めながら邪悪な笑みを浮かべた。
「私が殺しちゃった」
橙は、自分の心臓が掴まれるような衝撃を受け、冷や汗を吹き出す。
「私としょうこは、仲違いなんてしていなかったんだよ。最初からこういう作戦で行くつもりだったのさ。しょうこが私に襲われているように見せて、私は君と戦い、人間二人になる。あとはしょうこが君のパートナーを始末するだけ。結構穴がありそうだが、君みたいなお人よしには効果的な作戦さ」
ナズーリンの言葉を信じたくないという想いで、橙の思考は止まってしまっている。
「嘘だ……」
「嘘だと思うなら、君と人間が分かれた場所辺りに行ってみるといい。きっと彼女はいるはずだよ」
ナズーリンは、しょうこがこの場を離れたのを確認して、言葉を続けた。
「死体としてだが……ね」
「う……うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ナズーリンに向かって、一直線に向かっていく。
――殺してやる! お前も、あの人間も許さない! 今すぐお前たちの喉笛を掻き切ってやる!
「やれやれ、もう忘れたのかい。君が私にしたように、切り札の弾幕はたった一度でいいはずだ」
頭に血が昇っている橙にはナズーリンの言葉は届いていない。だから、次に行う彼女の行動を予想することもできなかった。
「視符『ナズーリンペンデュラム』」
スペルカードを宣言し、青色の巨大なひし形八面体が三つ現れ、彼女を中心に円を描く。
そのペンデュラムが、今襲いかかろうとした橙と激突したのは当然の事であり、数メートル吹き飛ばされた後、木にぶつかって動かなくなった。
「だが、まさか一太刀浴びせられるとは思っていなかったよ。それは褒めておこう。では、またどこかで会えるといいね」
手をひらひらと振り、ナズーリンは橙の元を去って行った。
数分して橙は起き上がった。実際彼女は瀕死であったが、彼女はまだ自分で確認していない。
小川まみの生死を確認していない。
ふらふらとした足取りで彼女を捜す。
もしかしたら怪我を負って動けないだけかもしれない。もしかしたら無事にあの人間から逃げることができて、ナズーリンのパートナーが嘘を吐いているだけかもしれない。
そうして歩くこと十数分。橙はパートナーの死体を見つけた。
「あ……ああ……」
膝から崩れ落ち、全身が震えだす橙の視線の先には、うつ伏せで死んでいる人間の姿があった。刃物で切られたのか、首元を中心に血で真っ赤に染まっており、致死量の出血だったと一目で分かるほどに、彼女が横たわっている草地は赤く染まっていた。
「ごめ……なさい。……ごめんなさい」
返事が返ってくるはずのない彼女に向かって、謝罪を始める橙。そして、ある物に気が付く。
彼女の左手にある、地図と一枚の写真。
写真には二人の幼女が写っていた。そして地図には、血文字でこう書かれていた。
『ちえちゃん、ごめんなさい』
その名前の人物が、橙の事をさすのか、それとも、幼少時に彼女が誤って崖から突き落とした妹――小川ちえのことをさすのかは、八雲紫以外、もう誰にも分からないことだった。そしてその罪悪感により、いつか死という形で償いをするべきだと彼女が思っていたことは、当然橙には知る由もなかった。
橙はそれを見て、涙を止めることができなくなる。自分が思っているより、彼女は何かに苦しんでいたのかもしれない。そしてもし、ゲームで生き残り続ければ、それをなんとかすることができたのかもしれない。直感とはいえ、そう思った。
「ごめんなさい……。まみ……ごめんなさい……」
「ここにいたのか、橙」
「……え」
悲しみにくれている橙が顔を上げると、彼女の主である式神――八雲藍がいた。
「ら……藍様……」
「ふむ……」
彼女は、橙とその場に横たわっている人間を見て、おおよそのことを理解した。
「死んでしまったのか」
「はい……。護れなかった。……鼠と戦えば、最悪でも時間が稼げると思ったのに……それなのに……」
震えた声を出す橙を見て、少し時間がいると藍は判断する。
「お前の心が落ち着くまで、休もう。お前の判断で出発することにする」
「え……?」
「……橙。お前の気持ちはわかる。でも、私達の最終目的は紫様の目を覚ますことだろう。このゲームを早く終わらせないと、また犠牲者が増えてしまうんだ」
藍に諭され、自分の目的を思い出す橙。しかし、それでも橙はまみを護れなかったことによる後悔で、今は涙を流すしかなかった。
「すみません……もう少しだけ……時間をください」
「ああ、待ってあげるさ。だからきちんと心を整えて、紫様の所へ行こう」
「はい……ごめんなさい」
そして彼女達は、橙の心が落ち着いた数十分後に、紫を捜しはじめることになる。
橙の提案でまみの遺体を埋葬することになり、土を被せる直前の彼女に向かい、橙は何度も謝っていた。
小川まみ・橙組:脱落
残り二十組