●性善説
午前七時十六分。人里からある程度の距離が離れた場所にある、魔法の森。
広大な森の一部分にいる二人はそれぞれ切り株に腰を掛けていた。
一方は、紫のゲームに猛抗議した細目の少女――松井みゆき。
もう一方は、青いワンピースの上に白いケープを羽織り、金髪をカチューシャで止めている少女――アリス・マーガトロイド。七色の人形使いという異名を持つ魔法使いである。
彼女達は、先程まで言い争いをしていた。このゲームに乗るか、他の者達で協力し合うか。
このゲームは、現在参加者でもある八雲紫が開催したもの。それならば、紫さえ倒してしまえばこのゲームは終わる。それがみゆきの言い分である。
一方アリスの言い分は、ただ一つの事象を言うだけ。
――紫を倒してもゲームは終わらない。他の妖怪達がゲームを続けようとする。下手をすれば、元の世界に帰ることを強く望む人間も。
しかし、アリスの言葉にみゆきは反論した。
――人間はそんなに自分勝手な生き物ではない。あの妖怪を倒せば元の世界に帰れる、と伝えれば、きっと協力し合える。
しかし、アリスは一つの質問をした。
八雲紫を倒せば元の世界に戻れる。その根拠は?
みゆきは、『誰だって死ぬのは惜しい。追い詰められて殺されるくらいなら、いくらこの世界で最強の妖怪であっても、強く脅せば自分達を解放する』と言ったが、アリスはそれを否定した。
八雲紫や幻想郷に住む妖怪達は、そんなことで約束やルールを反故にするような存在ではない。外界の人間がどのような文化を持っていようが、幻想郷の人間よりは、妖怪は嘘を吐かない。アリスはそう教える。
そこでようやく、お互いに場の雰囲気が悪くなっていることに気付き、『まぁ、元々妖怪の性格はひねくれているから』とアリスがフォローを入れ、会話は終わった。
それから二人は黙ったまま、こうして時間を潰している。
その中でみゆきは、ある疑問をアリスに問いかけた。
「アリスさんは、このゲームに賛成なの?」
その問いに、数秒ほど考えた後に答える。
「わからない。勝ちたいという気持ちはあるけど、自分から進んで誰かを殺そうという気は起きないわ。このゲームに参加している幻想郷側の人達は、人間を含めていずれも実力者。だからターゲットにするなら絶対に、外の世界から来た人間の方。でも、私は人を殺すことには抵抗があるわ」
彼女の言葉に、みゆきは少しだけ安堵する。
――この人はゲームに乗っている側ではない。それなら、まだ説得の余地がある。
薄々ながらもみゆきは、このゲームの平和的解決を考えている。彼女はアリスから、霊夢は紫に勝ったことがある、という話を聞かされていた。
博麗霊夢と自分達が手を組み、八雲紫を倒して他の人間を救う、という作戦。
少々楽観的すぎるかもしれないが、いつ乗り気の妖怪に襲われるか分からないので、積極的に行った方がいい。そうみゆきは思う。
その際、彼女が最も重要な点だと思っているのは、パートナーであるアリスである。
このゲームでは、パートナーと百メートル以上離れてはいけない。もし離れれば、スキマの制限が無くなった八雲紫に殺傷される可能性がある(と、彼女はアリスから忠告された)。
一刻も早く霊夢の元に向かいたいみゆきだったが、まずはアリスを立ち上がらせなければいけない。だが、彼女にとってそれは難しいことだった。
アリスとの会話を経て彼女は、人間と妖怪という種族による思想の違いが。中々に離れていることを思い知らされてしまう。そこをどうにかして解決しようとするみゆきだったが、中々いい案が思いつかないでいた。
「……?」
何気なく辺りを見渡した時に、木々の奥から一人の人間がみゆきの視界に入った。
「どうしたの?」と尋ねてくるアリスの問いに答えるように、みゆきは女性の方を指差す。
アリスが女性に気付いた瞬間、その女性もこちら側に気付いたようで、木の陰に姿を隠した。
「今の……誰ですかね?」
「さぁ。でも私が知る限りでは、あの人はそこまで見覚えがないわ。外の世界側の人じゃない?」
「…………」
みゆきは唐突に、ある策が思い浮かぶ。他の参加者と接触する事を渋っているアリス。それなら、自分から仲間を作ってしまえばいい。
あくまで『百メートル以上離れてはいけない』というルールがあるだけで、作戦の指揮は全て幻想郷参加者の一存などというルールはない。そう思ったみゆきは声をかけようとするが、先程アリスに言われた言葉がよみがえる。
――下手をすれば、元の世界に帰ることを強く望む人間も。
しかし、みゆきはそれを頭の中で否定した。それこそが思う壺。そういう疑心暗鬼を利用して参加者同士で組ませないため。だから開催者の八雲紫はこんなルールにした。そう思いみゆきは立ち上がるが、「待ちなさい」とアリスに釘を刺されてしまう。
「止めないでアリスさん。私やっぱり、殺し合いなんて認めたくないの」
みゆきの言葉に対し「勘違いしないで」とアリスは言って、人形を渡す。二十センチくらいの小さな人形。服装は、アリスの衣服にエプロンをつけた感じである。
「それを抱きしめていなさい、護ってくれるから」
みゆきはアリスの言葉に多少疑問を持ったが、何か意味があるのだろうと思い、素直に受け取る。
「ありがとうございます。でも、そんな心配は入りませんよ。確かにあなたの言う通り、妖怪さん達はこのゲームに乗っているかもしれません。でも人間ならきっと、話し合えば分かりあえるはずです。その人の心が悪くても、それはきっとその人なりの良い心が、自分を過剰に守ろうとしているだけですから」
みゆきは人形を抱きかかえ、女性が隠れた木の方を振り向いた。
「安心してください! 私はあなたに危害を加えるつもりはありません!」
叫ぶみゆきに対し、アリスの頭にはある不安が過ぎっていた。
――問題はその人間が誰かではなく、パートナーは誰か。もし妖怪であれば、戦いになる可能性は否めない。
「私は、あなたや他の人達と協力してゲームを終わらせたいと思っています。だからもしあなたが私達と協力したいと思ったなら――!」
言い終わる前に、木々の向こうで隠れていた女性は姿を見せた。その瞬間、みゆきもアリスも彼女が何者だったかを思い出す。
紺色のセーラー服を着た長身の黒髪少女――稲田あやか。
彼女を認識したみゆきとアリスは、それぞれ思った。
――確かパートナーは、人間の聖白蓮さん。
――確かパートナーは、聖白蓮!
アリスは辺りを確認するが聖の姿は見当たらない。
一方みゆきは、あやかのパートナーが幻想郷の人間であることに一安心し、彼女に近づいていく。
それに気付いた彼女も近づいて来る。
――ああ、間違いない。この人は私達に協力してくれるはずだ。だって、この人の目には悪意が感じられ……。
そこでみゆきの思考は止まった。彼女はあやかの目を見て、言い知れぬ不安を感じた。
みゆきの見た印象は、あやかの目には悪意が感じられない。だが、自分と協力しようという目も全くしていなかった。
あくまでも真っ直ぐ向かってくるあやかに対し、みゆきは途中で足を止める。
お互いの距離が五メートルほどになった瞬間、あやかは右手に隠し持っていた何かを飛ばす動作を行う。事実、彼女は実際にあるものを持っていて、それをみゆきに向けて放った。
それは綺麗にみゆきの心臓目掛けて放たれ、突き刺さる――
「咒詛『魔彩光の上海人形 ―Hard―』!」
アリスが叫んだ瞬間、みゆきが抱きかかえていた人形が動きだし、庇う。
地に落ちた人形を見て、みゆきは戦慄する。人形の胸には、刃渡り十五センチは推定される両刃ナイフが深々と突き刺さっていた。
一方アリスは、瞬時に判断する。
――あいつは敵だ!
「みゆき、そいつから離れなさい!」
彼女は叫び、何かを操るように両手の指を操作する。すると稲田あやかの頭上から別の人形が現れ、人間の手の平サイズの弾幕を数発放つ。
それをあやかは横に跳んで回避した。
弾幕を人間に回避されたことに驚くアリスだったが、まだ策は余るほどあった。
――弾幕が駄目なら、直接攻撃で!
両指を動かすし、最初に稲田あやかが歩いてきた後方から、剃刀を持った三体目の人形が現れ、あやかに向かって飛んでいく。
しかし人形が首元に近づくと、彼女はそれに気付き攻撃を回避した。そしてすぐさま右のハイキックを繰り出す。人形は腹部を中心に砕け散った。
敵が自分達に近づいてきた時のために、アリスは人形を予め設置していた。その内二体があっさりと破壊され、アリスにも少し動揺の色を見せるが、すぐに二体目の人形を動かす。
二体目の人形を操り、楔弾幕の追撃をするが、あやかはまたも素早い動きで回避し、懐に忍ばせていた別のナイフを投擲する。もちろんアリスも、人形とはいえそれを回避させる。
ふと、みゆきはどこに行ったか目で捜すと、彼女は腰を抜かした様に先ほどの場所でへたり込んでいた。
「みゆき! はやく立ち上がりなさい!」
アリスが叫び、あやかの方に向き直ると、彼女を見失っていた。
数秒後、木の裏から飛び出してきたナイフが人形の胸に突き刺さる。その木からゆっくりと姿を現す稲田あやか。
ただの人間が三体の人形を倒したことに、アリスは内心狼狽える。
あやかは三体目の上海人形に突き刺さったナイフを抜き、みゆきに近づいていく。彼女は、まだ立ち上がることさえできない。
それでもアリスは冷静に両手指を動かす。人形はあと二体潜ませていたのだ。
二体目の人形を出した木の上。そこにはまだ四体目、五体目の人形が隠れていた。
――ごめんなさい、みゆき。でも、あとあいつが数十センチ近づけば!
あやかがみゆきに近づき、人形が隠れている地点の真下までくる。その瞬間、アリスは両指を動かし――
「隙だらけですよ、アリスさん」
自分の体から冷や汗が噴き出すのをアリスは感じる。
人形も出しそびれ、恐る恐る後ろを振り向くと、彼女の後ろに一人の人間がいた。
――聖白蓮。
認識した瞬間に彼女の背中で何かが破裂した。前方に吹き飛びながら、弾幕を撃たれたとアリスは認識する。
「ア、アリスさん!」
弾幕を受けたアリスの元に、ようやく自分の身体を動かすことができるようになったみゆきが駆け寄る。
「ぐ……つうっ……」
「ア……アリスさん……」
みゆきは、弾幕を受けて血がにじみ出つつあるアリスの背中に触れる。
「逃げて……みゆき」
アリスの言葉も届かず、みゆきは一言、本音を漏らす。
「どうして……こんなことを……」
みゆきの前後は、ナイフを構えた稲田あやかと、紫から金へのグラデーションが掛かった髪が特徴的な魔法使い――聖白蓮に挟まれる。
先ほどの言葉に答えるように、稲田あやかは口を開いた。
「これはゲーム。それに乗っ取っただけ」
彼女の一言だけで、みゆきは恐怖を抱く。無表情で話すこと自体にもいくらかの恐れを抱いたが、彼女は殺し合いではなく『ゲーム』と言った。
「あなたは……この戦いを……ゲームとしか思っていないの?」
「ええ。あの司会者も言っていた。これはゲームと」
「でも……あなたは私を殺そうとした」
「それがルールだから」
「でも、脱落させるなら、他にも方法はあるはず……」
「これが一番手っ取り早いから」
みゆきの全身は震えだす。側で倒れ伏しているアリスでさえ、あやかが言った言葉の異常性には驚きを隠せなかった。
「あなた達の内どちらかを殺せばあなた達は脱落する。だから殺す」
淡々と言葉を発して、あやかは少しづつみゆき達に近づいていく。
――このままじゃ、殺される!
恐怖に慄くみゆきだったが、足元に何かが当てられていることを感じることはできた。
見ると、アリスが自分に向けて、あやか達に気付かれずにナイフを渡そうとしていた。
それは、みゆきが抱きかかえていた人形が攻撃を庇った時のナイフ。
アリスは魔力を込めた糸を介して人形を操っている。一体目の人形がナイフからみゆきを庇った後、アリスは糸を手繰り寄せ、ナイフを回収していた。
――お願い。
アリスのとても小さな言葉を聞き、みゆきはナイフを受け取る。
ナイフで相手の何処を突けばいいか、みゆきは一瞬の時間で思案する。頭、喉、心臓、腹。
聖白蓮が一定の距離でその様子を見ている半面、あやかは徐々に近づいていく。
――やらなければ。自分が殺さなければいけない。もし私がこの人を殺さないと、アリスさんも殺される。
しかし、みゆきは咄嗟に、パニックのあまり自分がしていた勘違いに気が付く。
――組は、どちらかが死んだ時点で脱落する。
それは、アリスを護るために戦おうとする彼女にとって、人を殺す理由がなくなるものであった。
みゆきは失敗したリスクを想定し息を呑むが、最も平和的に解決するにはこの方法しかないと思い、行動に出る。
「……え!?」
みゆきがとった行動――自分が先程まで持っていたナイフを誰もいない方向の草原に投げ捨てたことに、アリスは驚きを隠せない。
それでも彼女は自分の信念を貫き通したかった。
人間に百パーセントの悪人はいない。もし何か悪いことをしようとしている者がいても、それはきっと、そうしないと自分の大切な何かが無くなってしまうから。
――きっとこの人だって、何か訳があるはず。
みゆきは立ち上がり、稲田あやかと目を合わせる。
「私達は……あなたの味方です」
白蓮だけでなく、味方であるアリスも驚く。あやかも動きを止めた。
「私達は、あなた達を傷つけるつもりはありません。私は人間同士で殺し合うことには反対です。先程アリスさんがあなたを攻撃しようとしたのは、あくまで私を護るためにとった行動です。でも、私はもちろん、アリスさんも誰かに危害を加えるつもりはないんです」
突然の説得を、あやかと白蓮は黙って聞き続ける。
「だから、それでも私達を脱落させたいというのなら……私だけを殺してください」
「わかったわ」
みゆきは目を丸くする。自分の必死の説得が、即答という形で流されたのだ。
あやかは、また近づき始める。それにみゆきは言い知れようのない恐ろしさを感じ、胃の中にあるものを吐き出しそうになる。全身が震え、涙があふれ出す。
自分は今から殺される。本能的にそう感じるが、それでも逃げない。
――きっと……きっと自分の思いは伝わるはず。
頑固にそう思い続ける自尊心と、怪我をしているアリスを庇うため、彼女は逃げることができない。
「アリスさん、ごめんなさい」
「……馬鹿。あなた……本当に……」
みゆきは覚悟を決め、目を瞑った。
あやかはそんな彼女の心臓目がけて、ナイフを突き刺す――
「あやかさん。結構です」
ぴたりと、稲田あやかの動きは止まった。
声を掛けたのは、彼女のパートナーである聖白蓮だった。
「……え」
戸惑うみゆきを和ませるように、笑顔を浮かべて「安心してください。あなたのお気持ちはわかりました。あなたやアリスさんに危害は加えません」と白蓮は言った。
「……あ」
聖の言葉を聞いたみゆきは、途端に腰を抜かし、膝から崩れ落ちる。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい……なんとか」
「そう、よかった」
白蓮はそう言って、みゆき達に近づく。気が抜けたとはいえ、彼女は少しだけ身を強張らせる。
しかし白蓮はにこやかな表情で、彼女達の前に小瓶を差し出した。
「傷薬です、アリスさんの背中に塗ってあげてください」
「あ……は、はい」
みゆきに小瓶を渡した白蓮は、あやかの方を向く。
「行きましょう、あやかさん。この方達は、手をかける必要はないようです」
あやかはそれでもみゆきとアリスをじっと見据えたが、唐突に武器であるナイフをスカートに仕舞い込んだ。
「申し訳ありませんでした。ええと、みゆきさん、でしたか?」
「はい……」
「あなたは凄いお方です。殺されると解っていながら、立ち向かいも逃げもせず、説得という道をとるなんて。中々できることではありませんよ」
「え……はい」
「では、私達はこれで失礼します。もし他に残っている組が私やあなた達だけになった場合、命蓮寺というお寺に来てください。外界に帰る事などについて、一度お話ししましょう」
「は、はぁ」
「では、失礼します」
みゆき達に一礼した白蓮は、あやかと共に森の外へ消えていった。
しばらくその場から動くことができず、数分後にアリスが立ち上がれるようになってようやく彼女も思考が回るようになり、立ち上がることができた。
「私達……助かったんですか?」
「どうやらそのようね」
よかった。と、みゆきは胸を撫で下ろす。
「すごいわね、あなた」
「え?」
アリスの言った言葉の理由がわからず、みゆきはきょとんとする。
「私も、あなたは殺されると思っていたわ。まさかあの時、聖白蓮の方が思い直すなんて……」
「正直、私も怖かったです。私と同じ世界なのに、あんな人がいるなんて……。でも……終わりよければ全てよし、かな」
「そうね」
アリスは口元を押えて小さく笑い、それを見て、みゆきも笑顔になった。
「良かったです……本当に」
「どうして?」
「人間の中に、完全に悪い人はいない。私の考えが正しい結果になって、本当に良かったです」
みゆきの笑顔を見て、アリスからも自然と笑みがこぼれる。
そして、彼女は撃たれた。
「……え?」
その瞬間が、アリスの目にはスローモーションのように映った。
視界の左上から現れた青い光が、みゆきの心臓を背中から貫き、それは最後に地面を少し焦がして、消える。
みゆきは自分の胸から飛び出した、光が消えた地点の地面を見ようとして、前のめりに倒れた。
「……みゆき?」
アリスはみゆきを抱えようとし、その手は血で真っ赤に染まる。
「みゆきっ!」
大声で叫び、それに彼女は目を開くが、もう意識は遠いものだった。
「あれ……急に……ねむい……」
「みゆき、しっかりして!」
「ごめん、ちょっと安心したから……かな。ちょっと……おやすみ……」
「何言ってるのよ! あなた、撃たれ……!」
――ありがとう、アリスさん。
それを最後の言葉として、みゆきはゆっくりと身体の力を失っていった。
「…………」
混乱の最中、木の上から、一人の少女がゆっくりと飛び降りてきた。
「あーあ。あんなに追い詰めて結局殺さないなんて。やっぱり聖も人間だなぁ」
アリスは顔を上げ、声の主の方を向く。そこにいたのは、黒が基調の衣服に身を包み、青い悪魔の尻尾を模した左羽根と、赤く歪に曲がり先端が尖った右羽根を持つ少女――封獣ぬえ。
「まぁ、元は人間だからしょうがないか。お前はどう思う?」
放心しているアリスに話しかける封獣ぬえ。
彼女からの返事が返ってこないので、ぬえはため息を吐いてその場から立ち去るように歩き出す。
「待って」と、ようやくアリスが口を開いた。
「なんだい。人を待たせているんだ。できれば簡潔にしてくれよ」
「みゆきを撃ったのは……あなたなの」
「ああ、そうさ」
「どうして……」
「どうして? おかしな質問をするなぁ」
――ゲームのルールに乗った、それだけさ。
「……ふざけるな!」
自分でそう叫んだことに、アリス自身驚きを隠せなかった。本来、彼女にそれほどの興味は持っていなかった。しかし彼女の、人間を信じる心に、妖怪である自らの心でさえ幾ばくか突き動かされたのだ。白蓮が自分達を見逃させた時、彼女のことをもっと知りたいと思った。もっと話がしたいと思った。
それをぬえは、一瞬で奪った。
「私は……あなたを――」
「五月蠅い」
ぬえが右手に持っていた槍をアリスに向けてかざすと、そこから夥しい量の札型弾幕が放たれていった。
アリスは懐に忍ばせていた小型人形のレーザーで弾幕をかき消す。
「あ……」
しかし、ぬえは既に姿を消していた。
アリスはしばらくぬえの攻撃を警戒したが、気配がしないことを悟り、思い出したように人間の方を見る。
死体は心臓の部分に穴があいていて、もう動くことはない。
「どうして……」
あまりに様々な情報がアリスの頭の中で駆け巡る。彼女はその場に立ちつくし、歯を食いしばって涙を流すことしかできなかった。
魔法の森の一部分。一人の女性が木に背中を預け、立っている。
封獣ぬえが彼女の前に現れ、声を掛けた。
「おわったよー。りこ」
「そう、じゃあ行きましょう」
女性が歩き出した方向を見て、ぬえはやれやれといった態度で呼びかける。
「おいおい、本当に命蓮寺に来ないのか? あそこなら幾らか安全だよ?」
「冗談言わないで、私はキリシタン。他宗派の本拠地は抵抗あるのよ」
「ふぅん、そういうものか……」
腕を組み、首を傾げるぬえを見て、女性は一つのことを問いだす。
「で、誰か殺したの?」
「もちろん」
「私達の世界の人間?」
「ああ」
「そう」
会話を終え、また歩き出す彼女を見て、今度はぬえが話しかける。
「やはり嫌な気分か、同じ人間が殺されたというのは?」
どうかしら。と女性は手を顎に当てた後、別の質問をぬえに言った。
「その人、どんな人だった?」
問いに答えようとしたぬえは、突然笑い出した。
「いや、それがねぇ。そいつ、他の奴らに殺される直前でも、自分を殺そうとしている人間を説得しようとしてたんだよ。人間ならお互い分かり合える。そう言ってたよ」
――だから私が殺してあげたよ。
ぬえは邪悪な笑みを浮かべていた。しかし、それを見ても女性は何も驚かない。彼女は既に、妖怪とはそういうものと認識していた。
「さあ行こう、りこ。聖のためにも、私達やナズーリンで他の奴らを殺していこうよ」
「……そうね」
黒縁眼鏡をかけたおかっぱの女性――野田りこは、ぬえの言う人間の話などまるで興味がないような表情でいる。
尚も微笑み続けるぬえの後をりこは付いて行き、二人は魔法の森から放れていった。
松井みゆき・アリス組:脱落
残り十九組