ワンピース 転生人語 作:百合根
偉大なる航路――それは世に数多在る海賊達の『憧れ』であり『登龍門』であり、そして『通過点』でもあり『拠点』でもある。海王類の巣窟であり、風の存在しない凪いだ海に挟まれた太い一本の航路。荒れ狂う磁場と海は天候を一定に留めることを許さず、それ故に島によっては独自の文化や生態系を保ったまま進化、あるいは停滞をしている。
そんな危険な海をものともせず、全世界に根を張り巡らせているのが『海軍』。引いては『世界政府』。大海賊時代の名の如く、海に跳梁跋扈する荒くれ者達を取り締まるべく日夜奮闘している組織だ。
海賊は名を馳せることを夢見て航海し、その大多数は海軍に――そして『海』に負け夢半ばに散ることを余儀なくされる。その過酷な試練を耐え抜き、懸賞金を掛けられ、恐れられるようになれば一端の海賊といえるだろう。しかしそんな猛者達ですら、時には『海軍』でも『海』でも、そして『同業者』ですらないものに道を挫かれることがある。
同じヤクザ者でありながら一応、公に認められている存在。略奪をしても許される――海賊限定だが――それどころか報奨金すら貰える荒事専門の金の亡者。
そう、『賞金稼ぎ』だ。
この世界、エリートといわれる階級で年収一千万ベリー程だろうか。それを一日で稼ぐことだって夢じゃない、素晴らしい職業といえるだろう。
勿論強さあってこそ、の話ではあるが。運だって必要だろう。自分に見合った懸賞金の海賊を狙うにしても、その額と強さがイコールなわけではないのだから。後々大海賊といわれるようになる新鋭に当たる不運もあるかもしれない。海軍に賄賂を渡して、わざと懸賞金の額を下げて目を付けられないようにしている狡賢い海賊もいるかもしれない。
それでも、彼等は一獲千金を夢見て海を渡る。故に金の亡者。あるいは旅をすることが目的で、路銀稼ぎに海賊を狩る不届きものだっているかもしれない。
――いや、少なくとも一人はいる。これはそんな男の御話なのだから。
「やあやあ! 君がかの『健脚』殿か! 名の通り快活な青年ではないか!」
「あ、はい……えーと、どちら様でしょうか」
「おっと失礼した。私はこの支部の局長を務めさせてもらってる者でな……有名な賞金稼ぎが現れたと聞いて少し」
「あー……なるほど、勧誘ですか」
「うむ! その実力を海軍で存分に振るってほしいのだ! 確かに賞金稼ぎの方が稼げるだろう、いい暮らしができるだろう、自由だろう。しかしこの大海賊時代、助けを求める弱き者が数え切れぬほど存在している。そんな者達を無視して食べる飯が美味かろうか! 機嫌よく酒が飲めるだろうか!」
「はあ」
「否! その強さは弱気を助け強きを挫くためにこそあるべきだと、私は思う。実力ある者は厚遇される。君に関しては一兵卒からということもないだろう。無論、最初に本部で教育は受けることになると思うが」
「はい」
「解ってくれるか!」
「御立派です」
「ということは!」
「申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」
とある海の海軍支部。懸賞金を得るために捕らえた海賊を届けにきた男は、トップ直々に勧誘を受けていた。とはいえ賞金稼ぎが海軍に誘われるのは珍しいことでもない。こんな時代故に、実力者はできるかぎり手の内に置いておきたいと考えるのは組織として健全とすらいえるだろう。
「すいません、まだまだ若造ですから見聞を拡げるためにも各地を周ってみたいんです。勿論海軍の方々の思想は素晴らしいと考えています。私も旅の途中で困っている方がいればできる限り力になりますし、海軍の方に助勢を請われれば否とは言いません」
「うむ……そうか…」
「いずれ旅が終わったのなら、その時は是非」
「了解した! その時が来ることを心待ちにしておこう!」
しかし青年にとっては海軍に属するなど時間の浪費でしかありえない。世界は広く、自分の寿命には限りがあるのだから。未知を探索し、道を探すのが彼にとっての至上。新しい何かを求めて彷徨うのは男の本懐。海にはロマンがあるのだから。
なにより、二回目の生は自由に謳歌すると決めているのだから。
「では、失礼致します」
「ああ、良い旅になるよう祈っておくよ」
「はは、ありがとうございます」
そういって青年は賞金を受け取った後、支部を後にした。遂に目標の金額が溜まったことに内心で歓喜し、ようやく偉大なる航路へと帰還できる嬉しさを噛みしめて。旅といえばこれ! そんな出で立ちをした青年の姿は、見たまま冒険家。ただし金を惜しまずに揃え、誂えた服と持ち物はどれも頑丈で壊れにくい一級品だ。全体を黒で纏めているのは汚れを目につきにくくするためか――あとは単なる中二病かもしれない。
そもそも海に冒険へ出ている時点でそのような一面があるのは否定できないだろう。とにもかくにも青年は食料を揃え、忘れ物がないかを確認して島を出た――その両脚『だけ』で。
彼の名は『ネーデルラント』。賞金稼ぎとして知られている名は『健脚』。ありとあらゆる場所をその脚のみで踏破する『歩き屋』。この最弱の海では珍しい『悪魔の実』の能力者である。
始まりと終わりの街『ローグタウン』 海賊王と謳われたゴールド・ロジャーが人生の終わりを迎えた地であり、そして大海賊時代の始まりを告げた地でもある。『始まり』という意味にはもう一つ――『偉大なる航路』へ夢を馳せ、海賊たちが『楽園』あるいは『海賊の墓場』への旅を始める街という意味がある。
東の海に存在する島でありながら、ここは海軍本部が直轄する特別扱いを受けている。それは前述したように海賊たちが偉大なる航路への旗揚げを目論む場所であるからこそだ。悪が成長する前にその芽を摘む。この島はそんな場所でもあるのだ。
「天気が悪いですね……それになんだか騒がしいというかなんというか」
そしてそんな島に先ほど身一つで到着したネーデルラント。荒れる前に島へ到着したことにほっと一息ついたのも束の間、同じ方向へ人々が駆けていくことに好奇心を覚える。『好奇心は猫を殺す』というが、そもそもそれが強くなければ冒険家などやっていないだろう。
「あ、そこのお嬢さん。この騒ぎはなにかあったんでしょうか」
「え? あ、えと……すいません、私もよく解らなくて。でもあまりいい雰囲気はしないので、行かない方がいいと思いますよ」
「御忠告感謝します。ですが貴女は向かっているようですが…」
「わ、私は海兵ですから。なにかあったなら向かうのが義務であり使命です」
「ああなるほど、御立派です。この島は確か本部大佐の方の管轄でしたっけ」
「よくご存じですね。ええ、スモーカーさんがこの島に派遣されてからというもの偉大なる航路へ向かう海賊の数が激減したんです! とても凄い人なんですよ!」
「へえ……あ、すいません。急いでいるのにお時間取らせました」
「いえそんな! では失礼しますね」
横を歩いていた人の好さそうな女性に何が起きているかを聞いてみたネーデルラント。しかし返ってきたのは『近付かない方がいい』という言葉。勿論彼は――当たり前のように広場へ向かう。野次馬根性丸出しなのは性分だ。彼にとって治しようもなければ治したくもない悪癖である。
「どれどれ……おお、あれが噂の処刑台……んん?」
「どうした兄ちゃん」
「ああいや、何が起きているのかな、と。海賊が……誰か処刑しようとしてるんですか?」
「どっちも海賊だぜ。はっはは、あの状態で『海賊王になる』なんて叫んでよ。よりにもよってこの街でだぜ?」
「へえ……お、あれは千五百万ベリーさん……じゃなかった『道化のバギー』か。なんて解りやすい容姿。もう一人は知りませんが……うーん」
「どしたい?」
「いえ、小遣い稼ぎのチャンスかなと」
「へ? お、おい!?」
広場の後方で野次馬に事情を教えてもらうネーデルラント。今から殺人が起こるというのに、広場に集まる民衆は何かを期待しているかのよう。まあ悪人によって、とはいえ悪人が滅ぶのだ。今はともかく、昔は海賊に煮え湯を飲まされ続けてきたこの街の人々だ。その鬱憤を考えれば仕方のないことかもしれないな、と彼は頭を掻く。
今にも刃を振りおろしかねない、道化のような海賊。それはネーデルラントが日々確認している手配書に記されていた顔であった。千五百万ベリーといえば大金だ。目の前の金をみすみす見逃す程彼は耄碌していないし、どの道処刑が終われば暴れ出すことも十分ありえる。
人々に被害が出る前に捕らえようというのは自然の成り行きだった。ついでに処刑されかけている方も賞金首かもしれないと、捕縛を視野にいれる。処刑台に向かおうとしている彼を見て驚く壮年の男性であったが、その肩を掴もうと手を出した時には既に遥か彼方。熱気を立ち昇らせている民衆の頭上を走り抜けていた。
「ん? あれは……三刀流…? ロロノア・ゾロか。まあ千五百万ベリーなら誰でも狙いますよね」
途中目に入る海賊を斬り飛ばして前進する剣士と、蹴り倒して進む青年。しかしそれを尻目に、彼は処刑台に辿り着く。なにせ障害物など何もないのだから、先を行けるのは彼にとって必然。騒ぐ海賊を我関せずと無視して、処刑台の『側面』を走る。
「ぎゃははははは! そこでじっくり見物しやがれっ! てめェらの船長はこれにて終了だぁ! …ぬぁ!?」
「『道化のバギー』捕縛しました。ついでに貴方もじっとしてくださいね」
「なんだなんだ!? うわっ! やめろお前ぇ!」
今まさに刃を振り上げ、天に掲げた道化のバギー。丁度その瞬間に処刑台の頂上に辿り着き、目にも止まらぬ早業で海賊を縛り上げるネーデルラント。戦いにもならなかったな、と手を払う彼は――しかしその海賊の能力を知らない。もはや動くこともままならない道化から視線を変え、もう一人の海賊を縛り上げようとした。
『道化のバギー』は悪魔の実の能力者だ。『バラバラの実』という名のそれは、『超人系』に分類される能力を得ることができ、名前通り『バラバラ』になることができる。剣士にとっては最悪の相性ともいえるだろう。斬っても斬っても意味がなく、そして自らの意志でも自由自在に切り離しができるのだから。
故に、彼を縄で縛ったところで大した意味はない。体のパーツを細分化すれば、抜け出すことなど造作もないからだ。『最弱の海』と呼ばれる『東の海』の海賊に大したものなどいない――そんな考えが彼を驕らせていたのだろう。実際にこの海に来てから苦戦というものを経験したことがなかったのも一因だろうか。
麦わら帽子の海賊を縛り上げ、意気揚々と振り返ったところで、凶刃が彼を襲った。
「おい! 後ろ!」
「はいはい、往生際が悪いですよ――え?」
「ぎゃははは! ハデに死ねぇ!」
既に目の前に振り下ろされている刃。彼は瞬時に思考を切り替え、とにかく致命傷だけは避けようと頭を振り、肩口に力を込める――が、神の悪戯か悪魔の巫山戯か、それとも他の誰かの運命だったのか。
その刃の切っ先に、天空から雷が撃ち落とされた。
「ぬあぁぁっ!」
「あばばばば!」
「ん?」
直撃した道化のバギーは叫び声上げながら炎に包まれた。すぐ傍にいたネーデルラントは側撃雷の効果で感電し、そしてもう一人。海賊『麦わらのルフィ』といえば――何事もなかったかのように、落雷で壊れた処刑台の足元に立っていた。いや、何事もなかったどころか雷のおかげで自らを縛っていた縄すら外れていたのだ。
「おお…? 生きてた! もうけっ」
「おいおい、どうなってんだこりゃ……っつーかこいつ誰だ」
「味方じゃねえだろ。さっさとこの町出るぞ。もう一騒動ありそうだ」
そして麦わらの一味は走り出す。この騒ぎで海兵が出張らない訳もなく、そしてどちらにせよ多数の海賊が自分達を取り巻いているのだから。今しがた起きた神の御業で呆けている今こそが逃げ出すチャンスでもあるだろう。
海賊が海賊を処刑しようとしている――そんな有難い騒動を見守っていた海兵達は、それが終了した時点で広場に駆け込む算段であった。しかし彼等も想像を超えた光景に一瞬我を忘れ、更には突然の大雨による火器の不能により行動が大幅に遅れた。
『海軍本部』大佐、『白猟のスモーカー』も然り。『健脚』の登場に良い顔こそしていなかったものの、海賊の捕縛自体は疑っていなかった。億越えの賞金首すら狩る彼が、大型新人とはいえ三千万と千五百万程度を取り逃すとは思っていなかったからだ。
天からの雷。突然の雨。逃げるには打ってつけの追い風。天命が『麦わら』を生かそうとでもしているかのような事態に驚きを露にし、動揺していたのだ。
しかし彼はこの町の頂点であり正義の象徴。自らを『正義』とは思っていなくとも海賊が『悪』であることを疑ってはいない。即座に迷いを振り払い、指示を出しつつ動き出す。
「コナクソーッ! だがまだだ! あの野郎も今頃自分の船が燃えていようとは思うまい! たたきのめして島を出るぞ野郎ども!」
「おおおお!!」
「さっさと行くよ! バギー、こいつら『本部』の海兵だ。大物が出てきたら分が悪い」
「ごほっ、ごほっ…! …私がそれをさせるとでも? おとなしく財布の中身になってください」
「ちいぃ! テメェ『健脚』! 生きてやがったのか! ハデに死んでりゃいいものを…!」
「なんだって? 『偉大なる航路』の賞金稼ぎがなんでこんなところに…!」
「“ホワイト・アウト”!!」
いまだ煙が立ち上る処刑台。雷が直撃したにもかかわらずピンピンしている道化のバギーは、部下を引き連れて麦わらを追わんと気勢を上げる。そして追随する『金棒のアルビダ』。どちらも『麦わらのルフィ』と因縁があり、故に協力体制を築いているのだ。
そんな彼等に、ボロボロになりながら対峙するネーデルラント。なんで直撃した奴の方がダメージが少ないんだと、ギャグ補正なるものに憤りを感じながら相対する。『道化のバギー』は海に関して情報通であり、それは『偉大なる航路』においてもだ。元海賊王のクルーというだけはあり、その実力はともかく強かさという点においては相当なものである。
故にネーデルラントが名の通った賞金稼ぎであり、今の状況がまずいことも感じていた。とはいえ落雷によってダメージを負っている今、好機でもあると。海賊は名が知れ渡ることに価値を見出す。名の通った賞金稼ぎを討ち取ったとなれば十二分に意味はあるだろう。
麦わらへの憎しみ、目の前の餌、そのメリットデメリット。そんな皮算用をしていたからこそ、横入りしてきた海兵の攻撃にあっけなく捕まってしまったのだろう。あるいは『海軍本部』大佐の――悪魔の実の、いわゆる当たり枠『自然系』の実力故か。
「おのれーーっ! スモーカーっ!」
「あー……どうも」
「無様だな『健脚』。悪いが賞金は出ねえ」
「はは、流石にそんな恥知らずな真似はしませんよ」
「そうか、ならこれ以上手も出すな。生憎おれは賞金稼ぎなんぞ信用してないんでな」
「所詮は海賊と同じ穴の狢……ですか? でも賞金掛けてるのは世界政府なのにな……というか私は冒険家であって賞金稼ぎではありませんよ。これは単なる小遣い稼ぎです」
「はっ、同じこった。おい! ビローアバイクを出せ!」
バイクで走り出すスモーカーを見て、ネーデルラントはため息をついた。年々名が上がっていくのは賞金稼ぎとしてばかり。稀代の冒険家『フィッシャー・タイガー』のようにそちらの方面で名を上げたいものだと頭を掻く。
「そういえば眼鏡のお嬢さんを知りませんか? 此処に向かうと仰っていた筈なんですが」
「? ああ……たしぎ曹長のことでしたら、先に向かいロロノアを討つと」
「ロロノアを? 何故賞金稼ぎを」
「いえ、麦わらの一味に入ったという情報がありまして――」
「おい! 部外者に情報を漏らすな!」
「はっ! す、すいません、つい…」
「あ、申し訳ありません。ついつい知りたがる癖がありまして……ついでにもう一つだけいいですか? 『偉大なる航路』へ向かう船があれば教えていただきたいのですが」
「はは、今時そんな酔狂な船はありませんよ。海賊船だってスモーカー大佐が目を光らせている限りまずあり得ません」
「ああ……やっぱりですか」
彼の力を使えば『赤い土の大陸』を登り、そこから『偉大なる航路』へ進むことも可能だ。しかし『その事実』が『世界政府』に知られた場合、少々面倒なことになる。故に彼はこの町から正規の手段で入る船を探そうとしていたのだ。ちなみに『凪の海』から入ろうとするのは彼といえど自殺行為である。
このままでは待てど暮らせど行けそうにないなと、もう見えなくなりそうなバイクを見つめ、彼は思案に耽る。
「うーん……ロロノア・ゾロが降った船長、か。それに今の『運』」
『偉大なる航路』で無事に航海をするには優秀な『航海士』、優秀な『船』、そして何より『運』が不可欠だ。先ほど見た天命。そしてもし『白猟のスモーカー』からも逃げられるようであれば、それは人知の及ばぬ何かが彼を生かそうとしている――それに疑いはなくなる。
「西の港――か」
海軍と民衆と海賊が入り雑じる喧騒。その中にいた青年は、いつのまにか煙のように消えていた。
『麦わらの一味』が帆船、『メリー号』。導きの灯を頼りに嵐の中を進むこの船の上で、五人の人間が進水式を執り行っていた。
「おれはオールブルーを見つけるために」
「おれは海賊王!」
「おれァ大剣豪に」
「私は世界地図を描くため!」
「お……お……おれは勇敢なる海の戦士になるためだ!」
樽の上部に足を一斉に振り下ろし、約束が交わされた。いざ『偉大なる航路』へ行かん、と。先は墓場か楽園か。それは多分に彼等次第。
第一に、入る手前で既に篩にかけられる。船と海流の機嫌次第では入り口で木っ端みじんになるのだから。知識が無ければ『凪の海』に入ってしまうかもしれない。そこは海の王者『海王類』の巣窟。ただの船が通るにはあまりにも博打が過ぎる。
――そう。今この瞬間のように、船の気配を感じて一斉に海王類が姿を現すこともあるのだから。
「い……いいな……とにかくこいつが海に帰っていく瞬間に思いっきり扱ぐんだ」
「お……おう!」
例え知識として知っていても、この海に足を踏み入れてしまうことだってある。その場合生きて帰れるかどうかは運次第だろう。少なくとも今海王類の頭に船が乗り、気付かれていないのは運が良い。
しかし、その海王類がくしゃみをして船を弾き飛ばしたのは運が悪い。
「ウソップが落ちたぁーーっ!」
「うおお!? カエルが跳んできたぞ!」
気配を消して船内に潜んでいた青年が、人選を誤ったと嘆いているのは露知らず。彼等は必死に船を漕ぎ『凪の海』から脱出する。しかしクルーの一人、勇敢な海の戦士を目指す男が船から投げ出され、その命を危機に晒す。『偉大なる航路』へ入り、最悪に荒れる最初の海を越えればさっさとおさらばしようと目論んでいたネーデルラント。
しかし先ほど見た進水式の様子からは海賊とは思えぬ輝きを魅せられ――そしてなによりも見殺しにするのは寝覚めが悪いと船を飛び出した。
「おいウソップ! 掴まれ――ん?」
「あ、出る必要なかったのか……腕伸びるって、んな馬鹿な」
「うおおお! 死ぬぅーー!?」
「おい誰だあいつ」
「さっきの島で見たような…」
「げ、あいつもしかして…」
宙を歩き、ウソップを手に掴んで巨大なカエルを蹴り飛ばすネーデルラント。まさか人間の腕が伸びるなどとは予想もしていなかった故に、姿を現したことを後悔した。まあ仕方ないかと伸ばされたままの腕を『歩いて』船に戻り、自分に集まる視線をどうしたものかと考える。
「…とにかく『凪の海』を出ませんか? このままじゃ死にますよ」
「――はっ! そうだった! あんたたち死ぬ気で漕ぎなさい!」
「はーい! ナミさん!」
「っち、しょうがねえ!」
「カエル怖いカエル怖いカエル怖い…」
「誰だお前!」
「いいから漕げぇ!」
死ぬ気で船を漕ぎ――そしてようやくただの大嵐に戻るメリー号。全員が息も絶え絶えで床に突っ伏す中、良かった良かったと船の端に腰を落ち着ける青年。
「あんた……『健脚』でしょ」
「よくご存じで」
「誰だ?」
「賞金稼ぎよ。それも『偉大なる航路』でも結構有名な! それがなんで私達の船に乗ってるわけ!?」
「おお! お前『偉大なる航路』に行ったことあんのか!」
「いえ、生まれがそっちなだけです。どちらかというと『帰る』というのが正しいですね」
「カエル怖いカエル怖い…」
「あ、すいません…」
『帰る』という言葉に反応してぶつぶつと何かを呟く青年に、ネーデルラントは冷や汗を掻いた。
「目的はなんだ? こいつの首が欲しいってんなら相手になるが」
「いえいえ、お金にならない事はしませんよ。『偉大なる航路』へ入りたかったのでこっそり忍び込ませていただきました。すいません」
「ああ? 三千万が目当てってわけじゃねえのか」
「えっ」
「ん?」
「…………イエ、違いますよ」
「おい今の」
「違いますとも」
最新の手配書がまだ届いていなかった。故に彼は『麦わらのルフィ』の首に三千万の賞金が掛けられているとは知らなかったのだ。一瞬だけ厭らしそうな目で――金の亡者的な意味で――ルフィを見たネーデルラントであったが、首を振って剣士の言葉を否定する。
「船長さん、最初の島に着くまでご一緒させていただけませんか? 未知の海の案内人という呈でも結構です」
「おう、いいぞ」
「おいおいおい! 待て待て! こいつ賞金稼ぎだぞ!? いつ寝首かかれるかも解らねえんだぞ!? おれは反対だ!」
「おれはこいつがいいってんならどうでもいい」
「そうなったら海に蹴りだしゃあいい話だろ?」
「私は反対。だけど確かに『偉大なる航路』を知ってるってのは……うーん…」
「一応、どこかの船に乗せてもらうつもりだったのでお金はあります。一千万ベリーでどうでしょうか」
「大・賛・成! ウソップ! あんた勇敢な海の戦士になるんだったらこのくらい気にしちゃ駄目よ!」
「おい」
4対1で彼の乗船は正式に認められ、仮の船員になった。金の力とはかくも恐ろしいものである。そしてそうこうしている内に遂に『偉大なる航路』の入り口――遡る運河が見え始める。
「なんじゃありゃ!?」
「はっ! 衝撃的なことが多すぎて忘れてた! やばいっ!」
激流がぶつかり合い、その勢いは運河をも逆流させる――つまり『不思議山』である。既に船は流れに乗り、後は運次第で入り口に入れるかどうかが決まるだろう。上手く入れなかった場合は海の藻屑。これが『入る前に半分死ぬ』といわれる所以である。
「あー、このままじゃ壁にぶつかりますね」
「言ってる場合か! あんたも舵取り手伝いなさいよ!」
「ええ、解りました」
「おい! 何してんだお前!?」
船員への説明も、納得の時間も覚悟の時間もとれず入口へ着いて『しまった』。完全に彼のせいである。激流で舵は思う様にきかず、このままではまずいと全員の心が一致した瞬間。青年は船の先端、メリー号の頭から海へ飛び降りる。
「な…っ! 海を走ってる!?」
「おお! すげえな!」
「『すげえな』で済ますあんたの方がすごいわ!」
「右足が沈む前に左足を出せばいけるんじゃねえか?」
「できるかっ!」
「突っ込むナミさんも可愛い…!」
激流に乗せられた船と同様の速度で走り、そして徐々に船の方向を力任せに変えていく。丁度いい具合かな、と判断したところで彼は船の『側面』を歩きながら戻った。
「あんた何者よ!?」
「すげーなお前! もしかして忍者か? 忍者なのか?」
「そういや忍者は『水面歩行の術』が使えると聞いたことがあるな」
「もしかして分身もできるのか!?」
中々の面白い反応に、ネーデルラントは苦笑した。悪魔の実の能力者は東の海では恐れられるばかりで、そうでなくても反応はありきたりであったからだ。船長に限らず器がでかい――そんな思いを彼は抱いた。
「はは……申し遅れました。私の名は『ネーデルラント』。通り名は『健脚』。職業は冒険家……兼賞金稼ぎ。ありとあらゆる場所を踏破する――『スタスタの実』を食べた『歩き屋』です」
中々楽しい旅になりそうだ。彼は内心でそう呟いた