デビュー曲が決まってから1週間、ダンスレッスンの内容は、以前よりぐっと簡単になったように思う。アタシ達は他のみんなよりもレッスンが進んでいたみたいで、デビュー曲の振り付けもそんなに難しくなかったから、ダンスレッスンは1時間に短縮して、短縮した分は歌のレッスンに充てられた。
アタシは、シューコちゃんやシキちゃんに比べたら、歌が苦手だ。ダンスは思うように体が動くのに、歌はノドが言うことを聞いてくれない。
「フレちゃんが、【ド】を出したいなーって思っても、ノドさんが【ミ】を出したいって言うから、結局【レ】が出ちゃうんだよねー」
なんて、トレーナーちゃん――青木明さん、ベテトレちゃんの妹なんだって!――に言ったら、彼女は頭を抱えていた。アタシにもよくわからないから、明さんがわからないのも当然だ。
ちなみにシキちゃんにこのことを言ったら、『わおっ、そんなことが! フレちゃんのノドにちっちゃいフレちゃんがいるのかなー?』と答えてくれた。その考えはなかった、とシキちゃんと一通りはしゃいで持っていた飴をあげたのは別の話。
そんなボイスレッスンもなんとか軌道に乗ってきて、アタシも集中すればアタシの中のフレちゃんに言うことを聞かせることができるようになった。だけど、そのかわりダンスの方が、知らず知らずのうちにおざなりになっていた。
最初はほんの少しのミスだった。曲の振り付けを入れてから2回目のダンスレッスン。これまで通り誰よりも先に振り付けを覚えたアタシは、どうやったら高いドのシャープの音をもっと綺麗に出せるかなんてのを考えていた。
「宮本! 振りが逆だ!」
ベテトレちゃんの怒号が飛んだのはそんな時だった。鏡を見ると明らかにアタシが間違えている。
「あ、ソーリー?」
いつもならこんな簡単な覚え違いなんてないはずなのに、と首をかしげた。結局その日はさほど気にすることなく、レッスンはその後順調に終わった。
本格的に違和感を感じ始めたのは次の日、ボイスレッスンで初めてトレーナーちゃんに褒められて、ウキウキでダンスレッスンに臨んだ時だ。
「あれ?」
「どうした、宮本?」
「……振り飛んじゃった」
前の日に指摘された箇所を越えた瞬間、そこを意識しすぎてしまったのか、体が止まってしまった。
「めずらしいね、フレちゃんが振り飛ばすなんて」
「フレちゃんはヘリコプターだからね!」
「馬鹿言ってないで振り思い出せ!」
「それに、ヘリコプターは飛ぶ方だにゃー」
「あ、そっか♪」
いつものような言動をしていても、内心は穏やかではなかった。昨日あんなに確認したのにどうして思い出せなかったんだろう。そんな思いがぐるぐると頭を回って、その後も何回も初歩的なミスを繰り返した。
次の日も、その次の日も、歌のレッスンはうまくいくのに、ダンスの方がうまくいかない。そんな状態で迎えた全体リハーサルは散々なものだった。
アタシ達が踊るのは正面から見て右側、あまり目立たないが画面のバランスの上で重要な役割を持つ場所であるのに、あっちへフラフラこっちへフラフラ、終いにはシューコちゃんにぶつかりそうになる始末。
他の子も見ている中、ベテトレちゃんに何回も怒られて、プロデューサーもなんだか呆れたようにこちらを見ている気がした。
リハーサルが終わると、プロデューサーは真っ先にアタシの所に来た。
「フレデリカ、大丈夫?」
「……ふふーん♪ 大丈夫だよー、そんな心配しないの♪」
まだ周りには他のアイドル達もいて、こちらを見ている子もいる。アタシは彼女の顔に泥を塗ったのだ。気丈に振る舞うことは出来ても、目を合わせることは出来なかった。
そして本番までもう10日に迫ったこの日、レッスンの内容は先日の全体リハーサルで見つかった問題点の改善。足元に赤いテープの目印が貼られ、できるだけそこから離れないようにという指示を受けた。
だけれども、引きずってきた気持ちはそう簡単に晴れるものでもない。簡単な振り付けなのに周りを見る余裕が無くて、やっぱりフラフラとしてしまう。そんな状況がもう30分も続けば、さすがのベテトレちゃんもイライラが抑えきれないようで、だんだんと声が大きくなっている。
「塩見!寄りすぎだ!」
「はい!」
「おい、宮本! ぶつかるぞ!」
「わおっ!」
「った!」
「塩見!大丈夫か!」
「あいたたた……」
アタシとシューコちゃんが同時にふらついて、引き合うようにぶつかってしまう。シューコちゃんがアタシの足に引っかかって軽く前に倒れた。ベテトレちゃんが駆け寄ってきて、そしてすぐにアタシを睨んだ。
「宮本、お前はちゃんと前を見ろ! 自分の位置を確認していればそんなことにはならない!」
「ま、まぁまぁ聖さん、落ち着いて。あたしは大丈夫だから」
「……はぁ。もう1回やるぞ」
「ごめんね、シューコちゃん」
「ん、へーき♪」
もう1度、曲の同じ場所を流す。今度はちゃんと前を見て……足元のテープを目印に……。
「宮本!止まってるぞ!」
「っ!」
ベテトレちゃんの声にハッとして足を動かすと、足がもつれて体が前に傾いた。
「危ない!」
受け身も取れない、と覚悟して目をつぶった瞬間、シキちゃんが手を引いてアタシを抱き寄せた。反動でシキちゃんが尻餅をつく。ベテトレちゃんがため息をついて、脱力したように椅子に座った。
「……にゃはは、フレちゃん、そんな引っ付かれたら照れちゃうにゃあ」
「……ごめん」
いつもなら『フレちゃん磁石だから、もうシキちゃんから離れませーん!』とかなんとか言えるんだろうけど、失敗続きで落ち込んでいるアタシは、そんなことを言っていられる余裕なんてなかった。焦りが玉の汗となって滴り落ちた。
シキちゃんは不思議そうにこちらを見て、それからベテトレちゃんに視線を送った。
「ベテトレちゃん」
「はぁ、わかった。少し休憩にしよう」
アタシ達はレッスン室の壁際に寄って、水分補給なんかをした。ベテトレちゃんは真剣な顔で考え事をしているようだ。ふと、シューコちゃんの白いくるぶし辺りが赤みがかっているのに気がついた。さっきぶつかった時に出来たのか、とそれを見ていると、シューコちゃんはソックスを伸ばしてそれを隠した。
「塩飴、いる?」
「シューコちゃん……ありがと」
そうやって、なんでもない風に振る舞うから、アタシはそれ以上何も言うことはできない。涙がこぼれたのはシューコちゃんがくれた塩飴がしょっぱいからだ。
「よしよし、フレちゃん」
「うう……」
1番年上なのに、本当なら色々声かけなきゃいけないのに、という囁きがアタシを責めた。いつも適当なことばかり言っているからか、言葉が出ない。2つ年下のシキちゃんに慰められて、余計に寂しくなった。
やっぱりあの日、2人がダウンした日に油断してしまったんだと思う。2人より少しばかり体力があったから、そして曲の振り付けが簡単だったから、アタシのダンスに対するスイッチが切れてしまったのだ。
一度切れたスイッチは鋼鉄のように動かない。本番までの時間がアタシを焦らせた。焦りがミスを誘い、ミスが焦りを生んだ。
「フレデリカ」
「ふぇ?」
不意に聞きなれた声がして顔を上げると、そこにはいつものスーツを着たプロデューサーがいた。涙を拭おうと腕を浮かせると、その腕をおもむろに掴まれた。
「ちょっと来て」
「え、ちょっと、待って」
彼女の力が強くて、小さな抵抗虚しく引きずられていく。そのまま更衣室まで連れ込まれると、彼女は更衣室の鍵を閉めた。
「……プロデューサー」
アタシが呟くと、彼女はこちらを向いて優しく微笑んだ。
「何かあったんでしょ、おいで」
そう言って手を広げた彼女はそれ以上何も言わなかった。男っぽい服装をしていても、雰囲気は優しいママのそれで、思わずアタシは彼女の胸に飛び込んで、声をあげて泣いてしまった。
「ごめんね、ごめんね」
よくわからない感情が、謝罪の言葉となって口から出てきた。何に対する謝罪だろうか、自分にもわからない。でもプロデューサーはただただアタシの背中を擦るだけだった。
塩飴がころりと舌を撫でた。どれくらいしただろうか、すっかりアタシの汗が彼女のスーツに染みついた頃、ようやく落ち着いてきたアタシは、自分からこれまでの経緯を話した。どうせならプロデューサーにも怒られて自分に発破をかけるつもりでいた。それなら固まったスイッチも動き出すだろうと。
だけど彼女はそうはしなかった。
一歩引いてアタシを体から離し、それからアタシの顔に右手を添えた。
「そっか、なら私がスイッチを動かしてあげるよ」
親指でアタシの涙を拭った彼女の自信ありげな顔は、それはそれは頼もしいものだった。