友達料と逃亡生活   作:マイナルー

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16 『義務と意志』

 並び立つ建物と建物、その間に張られた紐には、洗濯された衣類が吊られて陽光を全身に浴びていた。

 異世界と言えどもやはり街、道には平坦な長方形の石を敷き詰められて舗装されており、人々は苦もなくカツカツとその道を歩いてゆく。

 駆け出し冒険者の街、アクセル。

 その中でも、人通りが少なくなる路地裏の一角に、その建物は佇んでいた。

 魔法使いを(かたど)った飾り付けとともに、”ウィズ魔道具店”と書かれた小さな看板がその建物の意義を示している。

 ナツキ・スバルは、緑を基調とした扉を押し開き、その店を訪れた。

「いらっしゃいませー」

 扉に備え付けられていた涼やかな鈴音、続いてまるで争いとは無縁のような、おっとりのんびりとした声が店内に響く。

 そんな鷹揚な声色の持ち主は、妙齢の女性だ。

 外見から推測できる年齢は、おそらく二十歳前後。ウェーブのかかった茶色い髪を長く伸ばし、黒や紫といった暗色のローブに、豊満な身体を包み込んでいる。

 露出している部分の肌は、ローブの暗色とは対照的に、その白さは以前よりも磨きがかかっていた。

 透き通るようなという比喩を通り越し、まるで向こうの光景が見えるようだ。

 美女といって差し支えない店主の容貌だったが、スバルはそんな彼女に小さく頭を下げるだけで、すぐに店の商品を物色しにかかる。

 もっとも、物色と言っても目当てのものは決まっているのだが。

「あ、お客さん。そちらのポーションは強い衝撃を与えると爆発しますから、気をつけてくださいね」

「ああ、わかってる」

 普通に運ぶ程度の衝撃では爆発が起きないことは確認済だ。

 ウィズの忠告を聞き流しつつ、スバルはその棚にあるポーションをはじめとして、必要なものを商品カゴに入れていく。

 時間も予算も有限だ。買うものは最初から決めてある。

 やがてスバルの足は、店内の隅へと向けられた。

「あっ…………お客さん。そっちの商品は…………」

 彼女の言いかけたその言葉を無視して、スバルは店内の隅にある、『中古・欠陥品』という札の貼られた樽から品物を引っ張り出していく。

 その魔道具には、他の商品と比較しても明らかに格安と言える値札がつけられていた。

「これください」

 店内で選びとったいくつかの商品を並べたスバルは、淡々とした言葉をかける。

「えーと、ですね…………」

 店主のウィズは、困ったように視線を彷徨わせると、

「実はこの商品は、あまり良くないものなんです」

 意を決したように、申し訳なさそうに話し始めた。

「私自身、この商品を使って盛大に失敗してしまったことがありまして。あちらの樽の商品が安いのは、そういった機能に欠陥がある商品を集めているからなんです。ですから、一応置いてはいるものの、とてもおすすめできるものでは……」

 そういった彼女の忠告に、スバルは苦笑する。

 この店主は顧客である冒険者に対して、基本的に誠実だとスバルは感じている。

 スバルが『かつて』訪れた際には、逐一それぞれの商品についての説明を求めるスバルに、面倒がらずに付き合ってくれたし、おすすめの商品というものをいくつも教えてくれた。

 もっとも、スバルが幾多のループで彼女と接したのは、所詮店主と客の関係でしかない。

 どんなに回数を重ねても浅い関係でしかない以上、それだけで相手を推し量るというのは傲慢なのかもしれないが――どうせなら前向きに受け取っていこう。

 彼女の言葉は店の評判云々の損得勘定ではなく。

 自身が不利益を被ってでも、冒険者に誠実であろうという姿勢からの発言なのだと考えていこう。 

 スバルは気が進まなそうなウィズへと代金を支払うと、選んだ品物を受け取り、店を後にした。

 

 

 ちなみに、ウィズの『おすすめ』を使って何度も死んだスバルの経験から一つ言うならば。

 彼女の問題は、自分の店の商品の多くが、少なからず"機能に欠陥がある商品"であることに気づいていない点である。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

「よう、スバル」

 夕食時というには、時間帯がやや早い頃。一人で栄養補給をしているスバルに、低くて太い声がかけられる。

 

 誰かと思って顔をあげると、このループで何度も何度も顔を合わせたトンチンカン二号たちの姿があった。

 三人はスバルが何か言う前に勝手に同じテーブルに腰掛ける。

 彼らの顔にはどこか隠せぬ満悦感があり、自然と顔をほころばせていた。

 このタイミングで三人が接触してくるというのはとても珍しい――というより、これまでのループでなかったことである。

「なんだよ、妙にニヤニヤして。なんかいいことでもあったのか?」

「どちらかというと、これからあると言うべきだな」

 そう言って、彼らのうちの一人がスバルの隣へと椅子ごと寄ってきた。

「なんだよ、気持ちわりぃな。要件があるならさっさと言ってくれ。今は、あんま与太話とかしていたくねえんだ」

「まあそう言うなって。今回はお前もいたおかげで、結構儲かったからな。礼といっちゃなんだが、お前にもいい話を持ってきたんだよ」

 男はきょろきょろと周囲を見回し、自分たちの近くに人がいないことを確認してから、そっとスバルの耳元に口を寄せる。

 

「この街に、サキュバスが隠れて経営してる店があるのを知ってるか?」

「……………………サキュバス?」

 彼の声につられて、スバル自身も声量が小さくなる。

 サキュバスといえば、確か人間の男性の精気を吸う悪魔だったはずだ。

 人を操ったり、人の見る夢を自由に操ったりすることができるとのことで、冒険者にとっては討伐対象のはずだが。

 何故討伐しないのか、というスバルの疑問を理解したのか、耳元で男は言葉を続ける。

 どうでもいいが、正直男に顔を寄せられ続けるのは気持ちが悪い。

「この街のサキュバス達は、俺達男性冒険者と共存共栄の関係を築いていてな。精気を吸うのも、自主的に提供する男から、支障がない程度にちょこっとだけだ」

 その説明に、スバルは得心する。

 ここは駆け出し冒険者の街とはいえ、被害が広がれば、いつかは他の街から応援が来る。

 サキュバス側としても、下手に被害を広げて討伐されるよりは、細々と生きていたほうがいいというわけだ。

 

「ま、それ自体は重要じゃないんだ。大したことじゃねえ。本題はここからだ。…………サキュバスがどんな能力を持ってるか、お前も知ってるだろ?」

「確か……好きな夢を見せることができるんだっけ?」

 エンシェントドラゴン等には関係のない、遠い記憶を探ってのスバルの答えに、男はにっかりと笑みを浮かべる。

 それは微笑ましいものではなく、いやらしさを隠せない下卑たものだった。

「そう…………精気を提供した人間は、好きな夢を見せてもらえるサービスがあるんだよ」

 そのまま得意げに、早口になりながら男は語る。

 

「夢の中では現実と同じように感覚があるし、起きても全部覚えていられる。さらに、相手も状況も選びたい放題ってわけだ。どんな高嶺の花でも、その辺を歩いてる相手でも、遠い記憶の彼方の初恋の相手でも、好きなだけやりたい放題できるんだぜ?」

 これが、サキュバスの店の真の秘密。

 このサービスによって、サキュバスが三大欲求の一つを完全に握っている限り、この街の冒険者は血の結束で彼女たちを守るだろう。

 

「ただ、口が堅い冒険者だけの、秘密の店だ。お前をそこに案内するにはまだ信頼が足りない。お前がチクったりして女どもにバレて、俺達の憩いの場を壊されようもんなら、この街の男性冒険者全員は、人生の楽しみを失うようなもんだ。そこで、だ」

 そして、男は文字一つ書いていない紙を差し出してきた。

「この紙に泊まる場所と、見たい夢の内容を書きな。俺が店に行って、代筆で依頼してきてやるよ。大体三時間コースにするとして……そうだな。店の代金と手数料合わせて、三万エリスでいいぜ」

 ちなみに通常、秘密の店(サキュバスサービス)の代金は三時間で五千エリスである。

 この話を持ちかけてきた男は、手数料と称して追加で五倍もの代金をせしめようとするセコいことを企んでいるのだが、スバルは当然そんなことには気が付かない。

 話を聞かされたスバルの精神は、そんなくだらない奸計に思索が及ぶほど、余裕のある状態ではない。

 

 今のスバルが、考える事、それは。

「どんな、夢でも…………誰が、相手でも…………?」

 唇から漏れた声。

 それを自覚しないまま、スバルはひったくるように男から紙を取り、自身から湧き出る衝動のままに片手で持った紙にペンを走らせ――――。

 

 

 ――――自分の考えの、あまりの愚かしさに気がついた。

 

 怒り。羞恥。自嘲。嫌悪。そして罪悪感。

 様々な感情が脳内を駆け巡り、自分の顔を痛めつけたくなる。

 言葉を紡げぬまま、その怒りの情動のままに、力いっぱい紙を握りしめ、真っ二つに引きちぎった。

 

「あっ! 人の親切になんてことしやがる!」

「…………悪い」

 男の抗議の声に、謝罪の言葉を喉の奥から絞り出す。

 その一言が精一杯で、そのままスバルは自分の頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

 料理の入っていた皿に顔をぶつけなかった幸運に、感謝する余裕もなかった。

 男たちが、ある者はつまらなそうに、ある者はどうでもよさそうに、ある者は心配そうに去っていくのも気づかなかった。

 スバルの握りしめた二つの紙片に書かれているのは、たった一文。

 

 

 

 

 

      "――――レムに会いたい"

 

 

 

 

 

 出してはいけない考えだった。

 考えることすら許されない甘えだった。

 自分の愚かさに打ちのめされたスバルは、その内心をただただ自分への怒りで塗りつぶす。

 

 隔てた世界を超えてなお遠く、ただひたすらに愛おしい彼女に会いたい。

 親愛と熱情の込められた、彼女の声を聴きたい。

 スバルが唯一弱いところを見せられる彼女に。

 スバルが最も格好いいところを見せたい彼女に。

 甘やかに言葉を交わすことができたなら、スバルはどれだけ救われることだろう。

 たとえそれが一夜の幻であっても、どれだけの力を与えてくれることだろう。

 ――――恥を知れ。

 どの面を下げてそんな甘えを言えるのか。

 今のスバルに、彼女と向き合う資格などない。

 まして、幻の彼女に助けてもらおうなど――――自分のような罪人に、自分のような咎人に、許されるはずがあるものか。

 スバルがもっとしっかりとしていたら、何もかもうまくいくやり方を見つけていれば、レムは今でもスバルの隣にいた。

 スバルが何もかも一人で救えるほど力があったなら、そもそもこの世界に来ることなく、エミリアの道を支えていた。

 そんな理想から程遠い現実(いま)

 忘れるな。

 自分が世界を重ねてなお誰も救えず、醜態を晒し続け、果ては他所の世界にすら嘆きを生み、更なる死を生み出した大罪人であると。

 罪深き悪逆の徒に、安息など許されないことを。

 まして、幻で大切な人を冒涜するなど、あってはならないことなのだと。

「――――――――こんなこと、してる場合じゃねえ…………。できるだけ今日中に準備、しとかねえと…………」 

 スバルは後片付けを済ませると、自虐と怒りの熱に冒された頭をふらつかせながら、酒場を後にした。

 

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 同日宿屋。

「こんばんは、ゆんゆん。…………またそれですか」

 夜も更けたころ、相変わらず酒場で落ち込んでいるゆんゆんを見て、めぐみんは言葉もなく嘆息する。

 今は悪魔騒動の影響で、森への出入りをするパーティはほとんどいない。せいぜいが、特別に許可をもらった実力者を含む一部のパーティくらいだろう。

 めぐみん自身、手持ち無沙汰となるこの期間に、他のパーティに入れてもらおうという交渉は何度か行っている。その結果は芳しいとは言えないが、少なくともその機会はいくらでもあるはずだ。

 皆が暇を持て余しているのだから、ゆんゆんも勇気を出して話しかけるくらいしてみせろというのだ。

 そう考えながら隣の席についためぐみんに、ぼっち娘は鼻をすすりながら

「めぐみん…………ここ何日か、ナツキさんに何が悪かったか聞こうとしてたの」

 ほう。

 声にこそ出さないものの、めぐみんは少しだけ感心する。

 さすがに一人でずっといたわけではなく、ゆんゆんなりに頑張ろうとはしていたらしい。

「でも結局声をかける勇気が出なくって」

 ゆんゆんらしいといえばらしい話だ。

 知らない人に声をかけることと、一度拒絶された相手に声をかけること。

 どちらのハードルが高いかは知らないが、少なくとも彼女にとってはどちらも容易いことではあるまい。

「だからそのまま何度かナツキさんの後をつけたりしてみたんだけど」

 おい。

「何をやっているのですかあなたは! 元恋人とかならまだしも、ただの冒険仲間のストーカーになるなんて、族長が聞いたら泣きますよ!」

 頭のおかしい迷惑行為を告白するライバルの姿に、頭のおかしな爆裂娘は頭を抱える。

「ストーカーじゃないわよ! だって仕方ないじゃない。話しかけたいけど、どうしても勇気が出ないんだもの」

「だからって見てるだけでは何も変わりませんよ! 一人で何をバカなことをやっているのですか!」

 どうしてこの娘は、大事なところでズレた行動を始めるのか。

「そんなだから、今日もそこの酔っ払いに絡まれるハメになるんですよ。聞きましたよ、私の知らない数日の間に、いつもその酔っぱらいにたかられているそうじゃないですか」

 そう言って、ゆんゆんの横で眠りこける酔っ払いを指差す。妙な布を被っていて顔は見えないが、これが件の相手であることは間違いないだろう。

「た、たかられてなんてないわよ。だってこの人、凄くいい人なのよ。友達作る天才なんだっていうし、色々教えてくれるんだもの。でもお金ないっていうから、話するためにお酒や帰りのお土産をつい奢っちゃって……。だ、大体、めぐみんだってどこかのアクシズ教徒に絡まれてるっていうじゃない」

 ゆんゆんの言葉に、めぐみんは痛いところを突かれたとばかりに、眉をしかめた。

 そのまま小さくため息を一つ。頭に手を当てて、ゆんゆんに向かってその噂について説明をするべく口を開く。

「ええ、ええ。確かにその通りです、認めましょう。ですがこちらにも言い分がありま――――」

「やっほーめぐみんさん! 今日もお勤め頑張ってきたわよ! こんなに連続してお仕事頑張るなんていったいどれだけぶりかしら! ご褒美にめぐみんさんがロリまくらになってくれてもいいわよ!」

 説明を始めようとした途端、当の本人が後ろから現れた。

 逃れようとするこちらの身体に、彼女は素早く両腕を巻きつけ、あっという間に拘束する。

「せ、セシリーさん……?」

 めぐみんの身体を思い切り抱きしめるセシリー、そのまま肩越しにゆんゆんを見つけ、明るく声をかける。

「あら。ゆんゆんさん、お久しぶり!」

「は、はい…………何日かぶりです。えっと…………ひょっとして噂のアクシズ教徒って……」

 うまく声にならなかったゆんゆんの問いに、めぐみんはその意を引き取って答える。

「ええ、ええ。私に絡んでいるアクシズ教徒というのはこの人のことです。いったいどこから嗅ぎつけたのか、疲れて帰ってきた私を、勝手に部屋で待っていたんですよ」

 そんなめぐみんの嫌そうな声に、何故かセシリーは目を輝かせた。

「なぁに? めぐみんさんったら、お姉さんのことが知りたいの? お姉さんもめぐみんさんには興味津々だから、相思相愛ね! せっかくだからセシリーって呼んでいいわよ! さあ、なんでも聞いてちょうだい!」

「私が知りたいのはあの宿のセキュリティと、私の部屋をどこで知ったかくらいですよ! 今ゆんゆんと大切な話をしていたのですから、入ってこないてください!」

 そう言いながら、なんとかセシリーの身体を引き剥がす。

 拒絶を受けてもセシリーは気にすることもなく、笑ってメニューを眺めている。 

「それでね、私も毎日見てるわけじゃないんだけど。ナツキさんは一人で森に入ってはボロボロになって帰って来るの」

「森…………ですか」

 めぐみんの記憶では、確か森への出入りは規制がかかっていたはずだ。なんでも、森にいるのが上位悪魔である可能性が非常に高く、特別許可を得た人間以外は出入り禁止になっていたはずである。そしてその許可証は、相当な強さを持ったパーティでなければ渡されない。

 スバルはベテランパーティに入れてもらって一緒に許可証を受け取ったか、あるいは横流しされた許可証を何らかの手段で手に入れたといったところか。

 ギルドの通行規制は、許可証さえ持ってくれば一人でも通行させる程度のものである。

 これは単純にチェックがザルというよりも、冒険者の命は最終的には自己責任という考え方からくるものなのだろう。

 ギルドは弱者を通さないという保護活動はしている。本来戦力を揃えられるにも関わらず単身行動したり、不正入手してまで危険に突っ込むような人間まで、ギルドに守る義務はないというわけだ。

 ボロボロになっているというからには、少なくとも隠れた実力者という可能性はない。一体その男は、何を考えているのやら。

「そんな戦いを毎日続けていたら、身体が持たないでしょう。そもそもそんな傷、そのスバルという男は誰に治療してもらっているのか……」

「はーい」

 ん?

 何故か見当違いの方向から声がして、めぐみんは首をひねってそちらを確認する。

 見ると、注文を済ませたらしいセシリーがニコニコしながら、相好を崩し顔をほころばせながら、自身の顔を指差していた。

「なんですか、お姉さん」

「だから、私よ私。男の子の治療したの、私。まあ、今日は森に行ってないらしくって、まだ残ってた傷を治療しただけだけど」

 身体が治りきってないのに毎日無茶されたら、相手するこっちも困るものねえ。

 そう笑って告げるセシリーに、めぐみんは頭が痛くなるのを感じた。

「…………あまり聞きたくありませんが、一体どんな縁で知り合ったのですか? まさか彼もアクシズ教徒だったなんてことは……」

「んーん? この街にやってきたら声かけられたのよ。ぶっちゃけイケメンでもないし、大してお金持ってそうにも見えなかったから、お姉さんとしてはナンパはお断りしたんだけど」

 そこで一拍起き、

「なんと、しばらくの間治療するだけで、めぐみんさんが泊まってる部屋を教えてくれるっていうのよ!? これはもう受けるっきゃないじゃない!」

 ナツキ・スバル。

 犯人はお前か。

 めぐみんは自分に面倒(セシリー)を差し向けたスバルを小さく呪い、そのまま少しの間、目蓋を閉じた。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 ――ゆんゆんは、思考に埋没する。

 己の過ちを知るために。

 己のやるべきことを考えるために。

 ゆんゆんはベルゼルグ王国、紅魔の里の族長の娘として生を受けた。

 紅魔族は生来高い知力と魔力を併せ持ち、その全てが能力の高いアークウィザードとして成長する、特殊な種族である。特にその種としての集団戦闘力は凄まじく、魔王軍ですら容易に相手をすることはできない。

 必然的に、紅魔族の長にはそれらをまとめるための責任と実力が要求される。

 ゆんゆんは族長の娘として、将来紅魔族の長となることを自覚していたし、『家柄だけの人間』と言わせないために努力だって重ねてきた。

 だが、それでも何もかもが足りなかった。

 まるで迫害されぬ異端のようだった

 里の皆と少しズレた感性。

 うまく合わせる道も選べず、人と噛み合わない会話。

 そして、どれだけ研鑽を重ねても届かない、最強のライバル。

 決してすべてを否定するつもりはないが、すべてを肯定できる日々でもなかった。

 もっと誰かと一緒にいたかった。

 独りは、嫌だ。

 

『別に――――誰でも良かったのでしょう?』

 

 ライバルの言葉が頭をよぎる。

 独りは嫌だ。

 だから、誰かと一緒にいたかった。

 それはつまり、自分は彼個人を見ていなかったということなのだろうか。

 

 整理しよう。

 自分にとってナツキ・スバルは、めぐみんのように特別な存在と言えるだろうか。

 否。

 ゆんゆんにとってナツキ・スバルは、それほど特別な存在ではなかったはずだ。

 かの少年と出会い、パーティとして行動を共にしたのはわずか数日。

 交わした言葉も、決して多くはない。

 彼のこともよく知らない。知れるはずがあるはずもない。

 お互いが特別な存在となれるような関係を築くには、あまりにも時間も会話も少なすぎる。

 魔王を倒そうという、あまりにも不相応な野望を抱く、無力な少年。

 一緒にいてくれる誰かと楽しくやりたかった、それだけの小さな願いを抱えた、力持つ少女。

 

 少女にとって少年は特別な存在ではなかったし。

 少年にとって少女は特別な存在ではなかった。

 あまりにも違う両者は、あくまで一時の間だけ行動を共にした、ただそれだけの関係。

 めぐみんの言うとおり、特別なことでもないのかもしれない。

 悲しむほどのことでもないのかもしれない。

 

 ――――ならば。

 何かが突き刺さったような、この胸の痛みはなんなのだろう。

 

 親友に見放されたわけでもない。

 恋人に捨てられたわけでもない。

 誰でもいいような誰かにそっぽを向かれるなんて、自分にとってはいつものことではないか。

 紅魔の里からずっとあった、当たり前のことで――――。

 

「そっか――――私、何かが始まると思ってたんだ」

 

 きっと、この街で新しい自分が始まると思っていた。

 ”誰か”が、ナツキ・スバルが声をかけたあの時から、きっと新しい毎日が始まると思っていた。

 ナツキ・スバルが特別な誰かではなくても。

 ナツキ・スバルとの出会いは、特別な出会いだと思っていたのだ。

 独りぼっちでなくなると、そう感じていたのだ。

 お互いを必要とする仲間であれば、きっと信頼を築いていけるとそう考えていた。

「だけど、何も変わらなかった……」

 何がいけなかったのか、わからない。

 どうしてこうなったのか、わからない。

 スバルは今、毎日ボロボロになるような生活をしている。

 自分が一緒にいれば、きっとそんな風にはしていない。

 傷だらけになってまで、自分と一緒にいたくなかったというのか。

 

『彼から離れたほうがいい。――――あれは、死の淵で生き、進んで死に向かう狂人の目だよ』

 

 スバルを見ている間に声をかけてきた、盗賊の言葉を思い出す。

 短い銀髪を揺らし、疑念と警戒、そして一握りの困惑を持って語った彼女は、スバルを異常だと評した。

 自分たちの道は交わるべきじゃなかったと、スバルは言っていた。

 最初から自分は何かを間違えていたのだろうか。

 異端のようだった自分は、正常からも異常からも外れた、半端な存在なのだろうか。

 自分は必要とされていると思っていた。それは傲慢な考えだったのだろうか。

 わざわざ声をかけてくれたスバルにすら必要とされないのなら、誰も自分を必要としないのではないだろうか。

「私、もう、どうすればいいのかわかんないよ…………」

 思考がどんどん悪い方向に沈んでいく中、頭を抱える。

 そんなゆんゆんの目の前に、白く、しなやかな指が差し出された。

 見ると、中指が親指によって支えられて、張り詰めたようにピンと伸びている。

 その指に込められた力がどんどん強くなり、やがて限界を超えたように、親指は支えの役目を放棄する。

 必然的に、支えを失った中指は勢いよく手のひらに衝突し、空気の弾けるような音が空間に響いた。

「ひゃんっ!?」

 目の前で行われた指パッチン(フィンガースナップ)、その音に共鳴するように、その手の中から大きな花が現れる。

 突然の現象に不意をつかれ、ゆんゆんは小さく驚愕の声を上げた。

 驚愕を生んだ下手人、それはここ数日で見慣れた顔。

 今日も隣で酔い潰れて、顔から突っ伏していた酔客だ。

 彼女は、驚きで気の抜けたゆんゆんを見返して、ゆっくりと口角を上げる。

「どう? すごいでしょ」

 神々しさすら漂うその美貌に、子供のような人好きのする笑顔を浮かべて、えっへんとその芸に胸を張った。

 それから、ゆっくりとゆんゆんの瞳を覗き込んできた。

「ねえ、ゆんゆん。私達が知り合ってから、ずっとあれこれ悩んでいるみたいだけど。きっとそれは全部、違うと思うの」

「ち、違うって…………!」

 何が違うというのか。

 今、自分はどうすればいいのか。

 スバルは本当に一人でいいというのか。

 毎日傷ついて、苦しんでいるのではないか。

 誰かに頼りたいと、縋りたいと思っているのではないか。

 自分に何かできるのではないか。また拒絶されるのではないか。

 そもそも、自分を取り巻く考えは、感情は何なのか。

 どれも、自分がするべき何かを見つけるために大切なことなのに。

「わ、私は、私なりに何をするべきか考えてるんです……! そんな、軽い気持ちで否定しないでください……!」

 自分の思索を、自分の苦しみをすべて否定されたような気持ちになり、キッと酔客を睨みつける。

 だが、睨みつけられた当の彼女はまるで意に介さない。

 癇癪を起こした子供を見つめる親のように、ただ優しく首を横に振ってみせた。

「――――――――ええ、違うのよ」

 彼女から初めて聞く、凛とした声色。その言葉そのものはゆんゆんの悩みを否定しながらも、ただ慈悲深さに満ちている。

 それに驚くのはゆんゆんだけではない。

 横で聞いていたらしいめぐみんは、酔っぱらいから聖女のようになった少女の変貌に驚き、セシリーはいつの間にか、最大級の敬意を表するように膝を折っている。

 酔客は頭にかかっていたベールのような薄い衣を取り払い、赤くなった顔を覗かせた。

 その女性らしい身体の起伏は、艶やかでありつつも極端にならない、絶妙なバランスで保たれている。

 大海原を凝縮したような、深い蒼の宝玉がはめ込まれた双眸。その慈愛に満ちた瞳は、まっすぐとこちらを見つめていて、まるでこちらの心が引き込まれるようだった。

 まさに、美の化身というのに相応しい相貌。

 そんな人とは思えぬ美貌を持ちながら、何故か自然と親しみを抱かせる、不思議な少女だった。

「さっきからあなたは勘違いをしているわ。あなたが考えるのはどうすればいいか、じゃないの。あなたが何をしたいのか。それですべてを決めるべきなのよ」

「何を、したいか…………」

 絹糸のように艷やかな、柔らかに伸ばした水色の髪が、小さく揺れたのが見える。

 たったそれだけの動きなのに、人の視線を掴んで離さない。

「何かに悩むのならば、ただ今を楽しく生きなさい。相手のことを気にするよりも、自分の生き方を貫きなさい」

 そう言って、こちらに向けて、優しく手が差し伸べられる。

 繊細さの映る指先は、キメ細やかな肌とあいまって、思わずうっとりと見とれてしまいそうな神々しさがあった。

「あなたが明日笑っているか、それは神にすらわからない。ならば、今だけでも笑える人生を送りなさい。心のままに、後悔のしない生涯を送りなさい」

 ここ数日何度も顔を合わせ、話し相手になってもらった酔っぱらいが。

「孤独に泣いて、毎日苦しんで。それでも自分だけを責めていた、孤独なる魔女ゆんゆん」

 薄青の髪と羽衣を抱いた、水を司るアクシズ教の御神体が。

「それが犯罪でなく、心の源泉に従ったものであるのなら。水の女神アクアの名において、この私が許します。気遣いを続けて苦しむくらいなら、ただ心のままに――――生きたい人と、生きたいように生きなさい」

 女神アクアが、慈愛の視線を向けていた。


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