友達料と逃亡生活   作:マイナルー

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21 『――――信じろ』

 

 ――竜、一頭の竜がいた。

 

 竜は生まれ出でたものではなく、作られたものであった。

 その身に親はなく、神の御力によって生み出された、竜の形をした神器。

 竜に与えられた使命は一つ。

 神の意思に従い、悪魔に滅びを与えること。

 その使命こそ、竜に与えられた最大の所有物。

 並大抵の敵を蹂躙する巨体、魔物や悪魔から力を奪う異能、下手な魔法など弾き返す強固な竜皮、その全てが使命のためにあった。

 誕生からそれほど時を置くことなく、竜は水の女神の手によって、ある男に託される。

 ニホンとかいう国から来たその男は、竜を見てキラキラと目を輝かせていた。

 平凡な男だった。

 力、知恵、才能、天運、全てが平凡。

 たまたま若いうちに死に、たまたま水の女神の目に留まり、たまたま竜を託された。

 ただそれだけの男。

 そんな彼を守りつつ戦う。

 男の魔王討伐に付き合い、戦いを重ねてデータを取り、男が途中で死ねば神のもとに帰る。

 ただそれだけの実証試験。

 それでも竜は彼を主と仰いだ。

 主は平凡だった。

 平凡な力で、平和という、誰もが願う平凡な願いを叶えようとした主。

 届くはずのない理想に手を貸したいと思った。

 そのために殺した。魔物を、悪魔を、立ち塞がる全ての敵を。

 その日が来るまでは。

 

 

 

 その日の戦いも、特に問題のないもののはずだった。

 魔物が何体来ようと、相手が力持つ悪魔であろうと、竜の敵ではない。

 敵の魔法を弾き、触れた相手の力を奪って、逃げる魔物の足場を奪い、ただひたすらに蹂躙する。

 魔物達を殺し、悪魔たちを早々に撤退に追い込んで、残ったのは死屍累々たる勝利の道。

 

 ――その道を通って、一人の女が歩いてきた。

 

 敵と焦る主を諌め、竜は戦闘態勢を解除した。

 女は竜の敵ではない。

 竜は頭を垂れ、攻撃の意志がないことを示した。

 彼女は敵ではない。

 ――――何故なら、彼女は神だったからだ。

 神に逆らってはならない。竜はそのために作られたから。

 何故か魔力を集中させているようだが、疑問に思ってはならない。

 神は敵ではない。神の意思に従って地上に降りた竜が、神の敵のはずがないから。

 無知無学ながら、竜なりに礼を尽くした姿勢が気に入ったのか。

 女神は、猫を思わせるような瞳をわずかに細めて、赤い髪を揺らす。

 そして、無防備な竜とその主に向けて、こう言った。

 

 

 

 

「『エクスプロージョン』」

 

 

 

 

 破滅の光は道を焼き、大地を灼き、一瞬にして主を消し去った。

 強固な竜皮は蹂躙され、巨体の大半は蒸発し。

 残ったのは女神と、竜であったもののみ。

 

 死を確認した女神は、配下らしき悪魔に事後処理を命じて、その場を離れる。

 肉の大半を失った身体は、その背を追うこともできず、わずかに残った意識で竜は思う。

 ――――何故だ。

 わからない。

 主はどこにいったのだろう。

 わからない。

 わからない。わからない。わからない。

 だから、わかることから、ひとつひとつ。

 

 自身に残された竜尾を伸ばし、近くにいた下位の悪魔を穿つ。

 一体、三体、五体、十体。

 その場にいる悪魔をまとめて穿ち、その力を吸い上げる。

 体力、魔力、――――――――そして、その身に纏う瘴気までも。

 本来奪うべきでないものまで、その場にある全てを自分の力へと変えた竜は、彫像と化して回復を待つ。

 ノイズが酷い。やつの顔も声も思い出せない。

 だが、やつの臭いと――何より、あの破滅の光を産んだ魔法は覚えている。

 主の死を感知したのか、天界からの帰還命令が送られてくるが、それを意識的に無視する。

 瘴気に侵された思考は、自身を裏切った”神”よりも。

 亡き主のための復讐を選んだ。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ――――かつて森であった場所は咆哮の嵐が荒れ狂い、原型を留めていなかった。

 木々の枝葉は切り裂かれ、根は凍りついている。

 人に踏まれながらも逞しく生きていた草花は、大地とともに焼かれてその躯を晒す。

 再度の咆哮。

 最古の竜の目の前に炎が現れ、スバル達冒険者を蹂躙するべく、その身を膨張させる。

「『フリーズ・ガスト』!」

 その炎が放たれる前に、ゆんゆんの声が割って入った。

 冷気を伴った白の霧が発生し、竜の鱗、さらには灼熱の業火を包み始め、突如炎と共にその姿を消した。

 敵が嫌ったのは冷気か、はたまた自身の魔法への干渉による暴発か。

 古竜は自分の生み出した炎ごと周囲の魔法を消失させる。

 直後。

 竜の眼が鋭く光り、その刃のような鋭利な爪を振り上げて、

「『デコイ』!」

 その矛先は突如方向を変える。

 向かった先には、クルセイダーの囮スキル(デコイ)を発動させたダクネスの姿。

 己の天賦の才と、その全てを防御に特化させた彼女は、古竜の一撃を真っ向からその身で受ける。

「――――――――っ!」

 鎧の一部が砕け、弾けるような金属音が嬌声を掻き消した。

「くぅっ……! さすがは伝説にも語られる、エンシェントドラゴン……。なかなか強烈なモノを持っている……! だが、私を倒そうというにはまだ足りんぞ! もっと、もっとだ!」

 幾度も繰り返された攻防。

 戦闘開始時は新品同然だった鎧に幾多もの傷が生まれているが、それでも彼女の目に絶望はなく、その足取りに揺らぎはない。

 むしろ攻撃を受けるたび、上気した顔はどこか生き生きとしたように、挑発を繰り返す。

 彼女とは対照的に、古竜はいたちごっこに嫌気がさしたのか、その場を離れるように翼を広げる。

「飛ばせるかよぉっ!」

 だが、そこに吠えたのはトンチンカン二号、その中の盗賊職の男だ。

 発動させたバインドスキルによって、まっすぐに飛んだ強固なワイヤーは、竜翼に絡みついて動きを阻害した。

 ――――決め手がない。

 ゆんゆんをはじめとした魔法使いたちは、エンシェントドラゴンの魔法を牽制し。

 ダクネスを筆頭とした前衛達が攻撃を受け、スバルや他の面々が相手の動きを阻害する。

 拮抗しているというと聞こえはいいが、そのうちこちらが力尽きるのは目に見えている。

 それに、幾度となく戦いを重ねたスバルにはわかる。

 エンシェントドラゴンは散発的な攻撃を見せてはいるが、意識は別の方に向いていた。 

 おそらくその対象はめぐみん。ダクネスをはじめとした冒険者たちの合流の際、すかさずカズマとともに身を隠した彼女を警戒しているのだろう。

「仮に、爆裂魔法の威力や範囲を正確に把握してるとしたら……俺がこいつの立場なら、冒険者達から一定以上の距離は取らねえ」

 スバルたちの存在は敵にとっては鬱陶しいだろうが、同時に爆裂魔法への壁にもなる。

 発見するまでは壁を利用しつつ、発見次第めぐみんへの攻撃に移るのだろう。

 エンシェントドラゴンは、全滅させない程度にこちらの数を減らしつつ、めぐみんの発見と殺害を目論んで。

 こちらは、敵の攻撃を必死でいなしつつ、必殺の一撃を叩き込むために必死になっている。

 そこまで思考した刹那、古竜の瞳がスバルの姿を捉え、同時に咆哮が鳴り響いた。

 スバルの中の『死の嗅覚』とも言うべき感覚が警鐘を鳴らし、懐の巻き物(スクロール)に思考が走り――その思考よりも先に、経験が身体を動かした。

 後方に反らした上体のすぐそばを、急激に伸びた竜尾が通り過ぎ、その先にいた鎧姿の男に突き刺さる。

「がはっ……!」

 自分が傷を負わせた相手のことなど意に介さぬように、古竜はそのまま足を振り上げ、一気にスバルの顔面を踏み潰しにきた。

「うぉっ…………!」

 スバルはバランスの崩れた上体から、そのまま身体を大地に倒して、ロールの要領で横方向に転がる。

 無様にも見える姿だが古竜の足は空を切り、即時の判断がスバルの命を救った。

 だが転がったスバルを、竜尾が更なる追撃を――――加えようとしたところで、剣の一閃が竜尾の先端部を切り落とす。

「――――ナツキさん!」

 続いてゆんゆんが防御魔法を展開しながら、スバルの隣に駆けつける。

 また、スバルの前方にもう一人、剣を手に油断なく古竜を見据える男が見えた。

 古竜は竜尾を伸縮させながら威嚇するように牙を見せ、

「――――――――――ぇ」

 音もなく足元から巻き起こった暴風に、スバルの身体は、二人と共に空高く舞い上がった。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 最前線から少し距離を置いた岩陰には、一組の男女の姿が見える。

 片方は潜伏スキルを発動させて必死で息を噛み殺すカズマ。

 そのカズマの腕の中には、共に身を隠すめぐみんの姿がある。

 下手にめぐみんが詠唱などしないように手で彼女の口を覆い。

 さらに、少しでも気づかれないようにと身を小さくした結果、少女の身体を抱きしめる形となっているが、カズマには柔らかさや温もりは感じられない。

 それは彼女の身体に起伏が乏しいためではなく、カズマの頭にそれを感じるだけの余裕がないためだ。

 拮抗状態にある戦況、その先は腕の中の少女が鍵を握っている。それはカズマも理解している。

 だが、敵は魔法を無効化する能力を持っている。

 つまり、相手に気づかれずに爆裂魔法を叩き込まなければならないということだ。

 魔力を集中させるだけで存在を教えかねない爆裂魔法を。

 使うためには味方を避難させなければならない爆裂魔法を。

「魔法を無効化するとかいうのが、魔力消費系とかならまだやりようはありそうなんだが……」

 相手の魔力を消耗させれば随分戦闘は楽になるだろうし、ひょっとしたら体力や魔力が尽きた敵が動けなくなるとかで、倒すチャンスも生まれるかもしれない。

 だが、トロい相手ならやりようもあるが、実際に敵の攻撃が屈強な冒険者達を打ち据えるのを見ると、とてもそんなことができる気がしない。

 やはり、ダクネスを中心とした盾職の方に頑張ってもらうしかないのだろうか。

「モガッ……ゲホッ! ゲホッ! ………カズマ、なんのつもりですか! さっきから絞め殺されそうな勢いなんですが!」

 手を口元から強引に退けられ、小さな驚きに目を向けると、そこにはめぐみんの怒りの瞳。

 小声で怒鳴るという器用なことをしながら、少女は抗議を始めていた。

 顔を伏せ、思案に暮れるあまり知らず知らずのうちに腕に力が入っていたらしい。

「悪い。ちょっと今、あいつにお前の必殺魔法をぶち込む方法を考えてたんだよ。なあ、お前だってこれまで警戒されて苦労したことくらいあるだろ? そういう場合はどうしてたんだよ」

 何かの参考になるかと、術者本人の経験談を聞いてみる。

 するとめぐみんは記憶を反芻するように、少し間を空けてから答えた。

「そうですね。ちょむ――――相手が私の使い魔の猫をほしがっていたので、空高く投げまして。キャッチしたところに猫ごとぶちかますべく詠唱を」

「よしわかった、じゃあ今回狙われてるお前を投げて、隙作ってみるか」

「や、やめてください。今私を死なせたら恐ろしいことになりますよ!」

 そう言いつつ、めぐみんは杖を抱いた両手に力を込める。わずかに生じる身体の震えは内心の怯えの証だ。

 そんな彼女を横目に、再びカズマが思考に戻ろうとした時。

「ん?」

 思考を大地に新しくできた影が中断する。徐々に大きさを増すそれに、カズマは何事かと視線を上に移すと。

 そこには、かなりの高度から落下してくる、三人の人影が見えた。

 大地に向かって加速する彼らを見て、頭で考えるより先にカズマの身体が動く。

「危ないっ!」

 三人分の身体を受け止めきれるかなどとは考えなかった。

 カズマは一人、全速力で足を動かし、落下予測地点に自分の体を投げ出すように飛び込んで――――。

「『ウインドカーテン』!」

 声とともに現れた風が、三人の身体を一気に減速させる。

 一方勢い余ったカズマは、大地と熱烈なキスをすることになった。

「し…………死ぬかと思ったぁ……」

「やっべえ…………ありがとな、ゆんゆん」

 一方、落下してきたゆんゆんは蒼白になった顔でワンドを握りしめ、スバルはそんな彼女に礼を言っており、カズマの状態に気づく様子はなかった。

「よ、よく無事でしたね、ゆんゆん」

「あ、めぐみん。うん、前にそけっとさんの例を見てたから、なんとかね」

「ああ、あの……ぶっころりーのアホな失敗が役に立つとは、世の中わからないものですね」

 どうやら暴力的なまでの上昇気流によって、ここまで吹き飛ばされてきたらしかった。

「いつも魔法の前に聞こえた咆哮が聞こえなかった――『サイレント』か。さすがに、消音のために一手使ってきたのは初めてだ…………そこまで回りくどいやり方でやる必要があったのか?」

「それだけ、君のことを警戒してるということだろうさ。なんせ、一度は君一人に翻弄され、傷を負わされて閉じ込められることになったんだからな」

 スバルのつぶやき、それに答えたのは一緒に飛ばされてきた三人目の男、御剣響夜。

 カズマやスバルと同じ日本出身にして、魔剣の勇者と讃えられていた転生者だった。

 冒険者ギルドでも一目置かれていた彼は、抜き身だった魔剣を一度鞘に納める。

 だがミツルギのそれは休息のためではなく、再び戦場に戻るための準備だ。

「こうしている時間はない。すぐに僕たちも戻って、戦闘に加勢することにしよう」

 そういってミツルギは踵を返し、

「ちょっと待った」

「ごふっ!」

 地面に転がったままのカズマに足首を掴まれ、バランスを崩して盛大に顔面を強打した。

 うっわ、という周囲からの声は右から左へ流し、カズマはそのまま前線の様子をそっと千里眼で確認する。

 問題なしとは言わないものの、即座に彼らを送らなければならないほどでもない。

 そう判断したところでスバル、ミツルギへと顔を向けて、

「このままじゃ、どの道ジリ貧だ。プランCでいこう」

 プランC。

 それは、戦える人数が少数になった時の単純明快な作戦である。

 スバルが使えるという無理解の魔法とやらは、どういう原理かかの無効化能力の中でも発動するらしい。

 それを用いてエンシェントドラゴンの認識能力を封じたあと、まともに動けなくなった相手をそのまま爆裂魔法で倒してやれ、というものである。

 だが、スバルはカズマの提案に首を振った。

「確かに、シャマクを使えば爆裂魔法を叩き込めるかもって言ったのは俺だけどさ。あれは、めぐみんの爆裂魔法を向こうが警戒してないって前提だったろ? 今使っても、成功する保証はねえ」

 五感を封じられた敵は、主に二つのタイプに分かれる。

 すなわち、ただ恐怖に立ちすくむか、当てずっぽうで攻撃してくるか。

 古竜は後者のタイプだが、めぐみんを警戒している以上、思考能力が残っていれば守りを固める可能性が高い。

 それでは意味がないと、スバルは語る。

 ふむ、つまり。

「要は、あいつが警戒する理由を奪ってやればいいんだよな。なら――――」

 カズマは情報を整理し、自分たちの手札と相手の特性を考慮した上で作戦にアレンジを加えた。

 その説明を受けたスバルは、

「ちっとばかし賭けの要素が強いな…………」

「やめといたほうがいいか?」

「いや――――生きるために命を賭けるなら、きっと上等だ」 

 一人で古竜に挑んだ大馬鹿者は、そう笑ってみせた。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 

 大剣を両手で握ったレックスは、重心を落として古竜の爪を受け、隣の男がレックスに支援魔法をかけ直す。

 スバル、ゆんゆん、ミツルギの三人が離脱した今、彼らの負担は決して軽くない。

 三方向からの、特製のワイヤーによるバインドで動きを阻害しているが、それもいつまで持つものか。

 咆哮が響き、戦斧を持った男の腹部から鮮血が舞った。

「テリー! 誰か、テリーを後ろに下げてくれ!」

 レックスは一歩前に出て、仲間への追撃を受け止めようと大剣をぶつける――――が、竜爪の勢いに負けて軌道を逸らすに留まった。

「『テレポート』!」

 その間にテレポート使いの男が負傷者たちを転送するが、一人が抜けるとその穴を埋めるためにひとりひとりの負担が増加する。

「こんなもんどうやりゃいいんだよ!」

「落ち着け! 冷静にならなきゃ死ぬぞ! こいつだって隙ぐらい…………」

 駆け出し冒険者の弱音に、年配の男が叱責する最中、大地が大きく上下に震動した。

 短時間の揺れは、老若男女、強者弱者を問わず、地に足をつけたあらゆる者に平等に襲いかかりそのバランスを崩す。

 そのうち、転倒した一人の男に、竜の手のひらが掴みかかり――――。

「させるかああああああああああああああっ!」

 金髪の女騎士は、男と竜の手の間に一片の躊躇もなく飛び込んだ。

 結果として男は難を逃れ、ダクネスは竜の手の中に拘束され、ミシミシと鎧が軋む音が鳴った。

「くうっ! しまったっ! まんまと敵の手の中に落ちてしまった! このままではっ……このドラゴンにまともな抵抗もできないまま蹂躙されてしまうっ!」

 両腕ごと掴まれた彼女は身をよじりつつも脱出できず、ただ紅潮した顔で叫ぶことしかできない。

「ああっ! ダクネスが身代わりに!」

「そんな! 俺をかばって!」

「畜生! みんな、なんとか助けるぞ!」

 これまで最も多くの攻撃をその一身に受け続けてきたダクネス。

 冒険者達はそんな彼女を救うべく、古竜の巨体へ立ち向かおうとする。

 しかし。

「みんな、私に構うなっ!」

 そんな冒険者たちを止めたのは、他ならぬダクネス自身だった。

「私に構うんじゃないっ! 私ごとやれ! 何も遠慮はいらないっ!」

 まっすぐ輝いた瞳で、彼女が一片の虚偽もない言葉を叫んだ時。

 

「『フォルスファイア』!」

 

 後方からの声が響いた。

 それに釣られたように、古竜の瞳がギョロリと動き、視線が遠方の大岩を向く。

 まるで、自分達冒険者への興味を失ったよう――そう感じてレックスも視線の先を追うと、そこには青い髪の女性がいた。

 彼女の手のひらから炎を出しているのを見て、レックスの心中に攻撃的な感情が生じる。

 その感情が敵意であると認識し、古竜も同じ――――否、それ以上の敵意を抱いていることに気づく。

 

 ――――敵寄せの神聖魔法。

 

 古竜は翼を広げる。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ――――古竜は大地に(たたず)み、自分に群がる人間たちを見据えていた。

 頭がどす黒い気持ちで満たされ、沸き起こる衝動が奴らを殺せと命じてくるが、古竜はそれを抑え込む。

 それは彼らを殺すべきではない、などという思考ではなく、古竜には何より優先して殺すべき存在があるためだ。

 木々が倒壊し、ずいぶんとすっきりした光景の中、ぽつんと残った巨大な岩。

 そして、そこに灯る青い炎に猛烈に敵意をかき立てられる。

「――――!」

 怒り。反感。害意。殺意。

 様々な色を持つはずの感情が一つの方向に纏められ、青の炎に、どこかで見たことのある青の少女に向けられそうになり、そのまま翼を広げた………が、そこで身体を停止させた。

 神器としての勝利への本能か。はたまた、小賢しい敵に釣られ、悪辣な罠を受けた経験によるものか。

 憎悪に塗り潰される思考を、殺意の衝動を古竜は抑え付けて、

 

 可視化するほどまでの膨大な魔力が、かつて見た破滅の光がそこにあった。

 

 空気の振動が、魔力の波動が、五感を痛いほど刺激してくる。

 自身を抑え込んでいた意識の枷を一瞬にして破壊し、咆哮を響かせて自身の周囲の人間たちを泥沼に落とす。

 広げた翼をはためかせ、身を宙に浮かせると、魔力の発生源――――青の少女のそばを捕捉した古竜は、そのまま憎悪にその身を委ねた。

 冒険者達を尻目に、高く遠くへ飛ぶのではなく、低く鋭く、ただ速く。

 ただ一直線に飛翔して、かの女との距離を詰めていく。

 あの破滅の光を防ぎきれないとは思わないが、わざわざ発動させてやるつもりもない。

 古竜は岩ごと魔女を葬り去るために、瘴気と憎悪に侵された思考で顎を開く。

 闇色の雷撃を生み出すべく咆哮をあげようと――――

「――――!」

 とっさに片手を自身の直下に置いた。

「にゃうんっ!」

 金属音と同時に、金髪の女の嬌声があたりに響く。

 古竜が体内の回路を駆動させると、つい先程まで意識の外に置いていた自身の眼下、何もない空間から三人の男女が姿を現すのが見えた。

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 めぐみんは紅い瞳を輝かせてその光景を目撃する。

 ――――巻き物(スクロール)による姿隠しの魔法と潜伏スキルの相乗、さらにスバルによる敵の射程把握から、ベストな攻撃位置の設定。

 そして、アクアの敵寄せの魔法とめぐみんを囮にして敵を直線的におびき寄せ、ミツルギの魔剣によって奇襲し、大ダメージを負わせる。

 後は合図を聞いて、爆裂魔法を叩き込んでトドメ。

 それが、めぐみんが聞かされている作戦の概要だ。

 そして今、めぐみんの瞳に映るのは三人の男女――スバル、ゆんゆん。そして、ギリギリのところで魔剣を止めたミツルギの姿だ。

 エンシェントドラゴンが攻撃態勢に移ったところを狙いすましたようだが、突然ダクネスを盾にされたことで、ミツルギの魔剣は寸止めにせざるを得なかったらしい。

 古竜は直感によって、不意の一撃を防いでみせた。

 姿隠しの魔法が消滅したことからも、すでに無効化能力は再発動されていると思われる。

 ――――ここからどうするのだろう。

 めぐみんは自身の中にある爆裂魔法の鼓動を感じつつ、そう疑問を抱く。

 不意打ちを外し、さらに無効化能力を再発動された今、次の一手をどう打つべきなのか。

 その疑問に対して、あった答えは、一つの行動だ。

 スバルがゆんゆんに視線を送り、それを受けたゆんゆんは彼の意思を汲んだように、頷き一つ。

 彼女は首から下げた小瓶に口をつけて、中身を飲み干した。

 何かのポーションだろうかと考えたのもつかの間、それを見たカズマはめぐみんに視線を送った。

「合図だ、やってくれ」

 冷静で、真剣な、だが予想外の声。その意外さに、めぐみんの聡明な頭脳が一瞬理解を拒んだ。

 ――――正気か。

 爆裂魔法の効果範囲は広く、その威力は絶大である。人が巻き込まれて生きていられるようなものではない。

 ゆんゆんはめぐみんの次にそれを知っているはずだ。

 なのに何故。

 めぐみんの思考に答えるものはいない。

 あるのは、巨大な竜を前にして、何かを信じるように待っているゆんゆんとスバルのみだ。

 まるで、めぐみんの次の一手を待っているように。

 めぐみんを、信じているように。

 高速で走る思考に脳が加熱。

 理性は無意味な行為だと、冷たい判断を下し。

 感情は撃たなければ、という思いを強くする。

 時間切れは許されない。そのせめぎあいに意識が判断を拒み、わずかな嘔吐感が――――。

 

 背中に、暖かな体温を感じた。

 振り向くとそこには、安心させるようにこちらの背中に手を当てたカズマの姿。

「信じてやれ。友達だろ?」 

 彼は短く、だがはっきりとこう言った。

 ――――。

「ええ、ええ。そうですね」

 彼女が自分を信じるというのなら、自分も彼女を信じよう。

 無謀と言われる道を行きながら、自分達を追う悪魔を退けたように。

 どんなに無謀に見えたとしても、ゆんゆんのこれには、きっと何かがあるのだから。

 だからこそ、めぐみんは口を開いた。

 自分の象徴となる、爆裂魔法を唱えるために。

 ゆんゆんの信頼に、応えるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「『ドレインタッチ』」

「『エクスプロージョ――――――ぎにゃああああああああああああああああああああああああああああっ!」

 

 

 刹那。

 背中に当てられたカズマの手は、一瞬にして少女から体力と魔力を奪う魔手へと変貌した。

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 少女の絶大なまでの魔力が容赦なく放たれるかと思いきや、突如絶叫と共に鳴りを潜める。

 破滅の光は姿を見せず、ただ叫びが風の中に消えるばかりだ。

 大魔法における魔力不足、それに付随した不発現象である。

「――――――――」

 追い詰められたこの状況で、場違いな失敗。あれだけの魔力を練り上げていたにも関わらずの不発。

 あまりにもありえないその現象に、エンシェントドラゴンは驚愕したように身を硬直させた。

 その硬直はわずか。

 だが、そのわずかな空白は、不発を考慮に入れた上で動いていたスバル達にとって、あまりにも大きい。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 体勢を立て直したミツルギはダクネスを押しのけ、古竜の虚を狙って、雄々しく吠えて魔剣を振るう。

「――――!」

 最古の竜もそれに気づいて竜尾を振るう。

 が、対処としてはわずかに遅い。

「――――!」

「がぁっ!」

 竜尾はミツルギの腹部を穿ち、その勢いのままにミツルギの身体を空中に大きく飛ばす。

 だが。

 その直前、死を覚悟して振るわれた魔剣グラムは、古竜の胴体を深々と薙いでいた。

「行くぞ! 信じろ、ゆんゆん!」

「はい! 信じてください、ナツキさん!」

 ミツルギの身を張った成果を確認したスバルは、ゆんゆんとふた手に分かれて走り出す。

 スバルの行き先は竜の頭部。そしてゆんゆんが向かうのは、ミツルギが傷をつけた胴体部だ。

 古竜は口を開き、猛々しい牙を持ってスバルの身を食い破ろうと襲いかかる。

 それよりも、何をするかわからないスバルへの対処を優先するつもりか。

 きっとその判断は正しい。

 魔法を無効化している今、魔法使い(ゆんゆん)がどうにかできるわけでもない。

 仮に魔法を使えたとしても爆裂魔法以外のものでは、殺し切ることなどできまい。

 牙はスバルの回避不能な軌道にあり、仮にかわしたとしても、ミツルギの血に濡れた竜尾が背後からスバルの脳を穿つことだろう。

 きっとその判断は正しい。

 だがエンシェントドラゴンは忘れている。

 お前が傷を負ったのは、最良の判断の外にある行動だったということを。 

 スバルは自身の器官(ゲート)を意識して、一言叫ぶ。

「――シャマァァァァク!!」

 スバルの声は自身の魂を削り、それと引き換えに世界に対して変容を起こす。

 古竜の牙がスバルに届く前に、黒煙が竜の顎を、鼻孔を、瞳を覆い尽くし、やがて最古の竜の頭部は無理解の闇に飲まれていった。

 その深淵の闇の中はスバル自身もよく知っている。

 視界は闇に落ち、聴覚は何一つ捉えられず、上下の感覚すら曖昧な絶無の空間だ。

 半生鍛えて二流超え。

 かつてそう断言される程度の、魔法の凡才が生み出した闇は実に小さい。

 その巨体を覆い尽くすなどできるはずもなく、ようやく頭部を覆える程度。

 古竜が数歩でも進もうものなら、無理解の闇など完全に抜けてしまうことだろう。

 ならば――――進めないように変えるだけだが。

 ゆんゆんは、胴体めがけてそのまま跳躍。

 宙に浮く古竜の胴体、ミツルギの魔剣によってつけられた大きな傷に、斜め下から腕を突っ込んで声を上げた。

 

「『パラライズ』ッ!」

 

 少女の全身全霊を込めた叫びに、古竜の肉体が時を止めたかのように硬直。

 ゆんゆんが飲んだのは、麻痺魔法『パラライズ』の効果を激しく上昇させ、さらに効果範囲を拡大するポーション。

 その効果は本物であり、ループ中に使った際には、スバルの魔力ですらエンシェントドラゴンの動きを酷く緩慢にする影響が見られた。

 まして、莫大な魔力を持つゆんゆんなら、その効果はまさに絶大。

 その反面、敵だけでなく周囲の人間、果ては術者自身にすら影響が出てしまう。

 その欠陥性からスバルが嫌った使う判断をしたのは、ゆんゆん自身だ。

 無理解の煙に頭部を囚われたエンシェントドラゴンは、無効化能力の及ばぬ体内からの魔法に、少女の全魔力を注いだそれに、肉体を停止させている。

 魔法の効果は古竜の体内で止まり、外部にいるスバルやミツルギに対しては、魔法無効化の作用で届いていない。

「よし、待ってろゆんゆん。すぐ行くから」

 後はスバルがゆんゆんを運び、彼女の麻痺を治癒して、とっとと距離を取るだけだ。

 足に地がつかず、エンシェントドラゴンの傷につっこんだ腕一本で身体を支えているゆんゆんの姿勢は、いかにも辛そうだ。

 魔法による黒煙、その残り時間はあとどれだけか。

 命の源(オド)を削ったことによる、スバルの倦怠感は決して小さくない。が、アクアによってゲートが治癒されただけマシというものだ。

 ミツルギが予想よりも負傷してしまったのは計算外だったが、それでもバインドを応用した移動法なら十分運搬可能だ。

 きっと間に合うはずだ。

 着地したスバルはそう思考して、ゆんゆんを引っ張り出すために動き出す。

 やっとたどり着いた勝利を手に入れる。

「――――――――」

 スバルの心に浮かんだそれはなんだったのだろうか。

 喜び。

 感謝。

 達成感。

 きっとどれも正しく、どれも正確ではない想いなのだと思う。

 あまりにも長い過程で、あまりにも苦しんできたスバルの心。

 目の前に現れた勝利を前に溢れるそれを、正確に表現できるものなんて、きっとない。

 ただそれでも強いて一つ挙げるなら、それは。

 油断。

 

 咆哮が鳴り響き。

 先程冒険者達が捕らえられたように、エンシェントドラゴンとゆんゆんの足元が沼に変わり果てた。

 先程との相違点は一つ。

 その沼を構成する物質は泥ではなく、魔力によって作り上げられた――――溶岩だということ。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「――――――――っ」

 自身の足元に生み出された溶岩に、橙色に輝く灼熱に、ゆんゆんは息を呑む。

 念のためかけられた防御魔法も、身を守るための自動発動型魔道具も、マグマに飲まれたらどれだけ期待できるものか。

「や、嘘、嘘嘘っ……!」

 悪いことは重なる。

 こんな時に限って少女の腕は竜の血でズルズルと滑り出し、ゆんゆんの身体を古竜の身体から引き離そうとしていた。

「ああああああああああああああああっ! インビジブル・プロヴィデンス――!!」

 そんな少女の身体を支えたのは、友達の叫びだ。

 見えない『何か』がゆんゆんの身体を押し留め、なんとか溶岩の沼への落下を防いでいる。

 しかし、スバルの額には体温調節のためではない、自身への負担による汗が浮かび、その『何か』がそう長くは持たないことを示していた。

 古竜は無理解の闇の中、ただ無我夢中で魔法を唱えたのか、溶岩の沼は決して大きくない。

 だが、肉体の硬直したゆんゆんが落下せずにいるには、あまりにも遠すぎる。

 身体は動かない。魔力は使い果たした。

 動かせるものは、先程からカタカタとうるさい口くらいのものだ。

 それでも諦めるわけにはいかない。

 何か、何か、何か。

 何か!

 見つからない答えを探し、ただ必死で頭を回した彼女に。

 声が、聞こえた。

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 溶岩の沼に躊躇なく足を踏み入れたのはミツルギでも、不可視の魔手でゆんゆんを支えるスバルでもない。

 それは、

「ダクネス――――!」

 古竜の肉体が硬直したことで、拘束から逃れた金色の女騎士だった。

 拘束から逃れた彼女は負傷したミツルギを放り投げるや否や、躊躇なくゆんゆんの救助へと向かった。

「くっ……あああああああああああぁっ!」

 右足を一歩、左足を一歩。

 灼熱とそれからなる苦痛に声を上げ、それでもダクネスは確実に溶岩の中を進んでいく。

「ダクネス、さ…………!」

「ああああああああああああああっ!」

 ダクネスは両足を焼かれる苦しみに耐え、そのままゆんゆんをつかむと、腕力に任せてゆんゆんを遠くに放り投げた。

 ゆんゆんと、そのゆんゆんに釣られたように一緒に飛んでいくスバルを見ながら。 

 ダクネスは小さく微笑んで、視線を後方へと向けた。

「約束通り――――頼んだぞ」 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

『すまない。爆裂魔法を使う紅魔族というのはどこにいるのだろうか? 少し話をしておきたいのだが』

『ああ、めぐみんなら、なんか魔力を抑えきれないとか寝言言ってさっきトイレにダッシュしてたけど。あなたは?』

『おっと、自己紹介が遅れたな。私はダクネス、今回の戦いでは盾役を志望しているものだ。ガンガンこき使って欲しい』

『俺はカズマ。よろしく、えっと……ダクネスさん』

『ダクネスで構わない』

『わかったよ、ダクネス。で、なんか伝えとくことがあるなら、俺からでよければ伝えとくけど?』

『うむ……そうだな。状況次第ではあなたが指示を送るかもしれないと言っていたし、あなたにも言っておくべきかもしれない。もし予定外のことがあり、エンシェントドラゴンをうまく倒せなかった時は……』

『時は?』

『私が盾になって時間を稼げるかもしれない。そうなったら、私ごと爆裂魔法で吹き飛ばしてほしいのだ』

『なっ…………お前ごと殺せって言うのか!? そんなバカなこと……』

『頼む』

『――――』

『理由は言えないが、私にはこの地の住人を守る義務がある。誰も気にしなくても、私は守らなければならないと思っている』

『でも…………』

『別に死ぬと決まったわけではない。むしろ、この街で唯一生き残れる可能性があるのは私だと思っている。だが、いざという時に撃てなければ、死ぬのは全てだ。全員生きるか、全員死ぬか。その時の勇気ある決断を――頼む』

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「めぐみん。やれ」

 ドレインタッチで一度奪った魔力を戻しながら、カズマはめぐみんに告げた。

 カズマとゆんゆん、それにミツルギの身体はこちらに戻ってきており、アクアのそばにいる。

 今爆裂魔法を使えば、硬直した古竜に直撃させられる。

 ただ一人、ダクネスを巻き込んで。

「無茶ですカズマ! あの人がいくら硬くても、無事には済みませんよ!」

 紅の瞳を恐怖に歪ませて、めぐみんは泣きそうな顔でそう返してきた。

 アクセルどころか、紅魔族でも自分以上の才能を持ったものはいないと豪語していた少女。

 そんな彼女もまだ子供で。

 共に戦ってきた仲間の命を奪うかもしれない、そのあまりに重い決断に、拒否するように小さく首を振る。

「お前もダクネスの気持ちは聞いただろ。今、やるしかない」

 溶岩の沼を作り出したことで、魔法無効化の効果は消えているはずだ。

 爆裂魔法の不発を見た古竜は、めぐみんに対して無警戒のはず。

 だが、古竜の顔の黒煙は徐々に薄れ始めている。あれが消えた時強制的な無理解の効果は消滅し、めぐみんの使う爆裂魔法は再び察知される。

 皆が戦い、皆が稼ぎ、皆が傷つき、ようやく築き上げたただひとつのチャンス。

 絶対に逃せない。

 ――――だから、自分がその決断を下す。

「全ての責任は俺にある。何があっても全部俺が悪いと言えばいい。だから――――信じろ! めぐみん!」

 

 

 そして。

 盛大な爆発音が、辺りに轟いた――――。

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 自分の身体が致命的な破壊を受けたことを、漠然と竜は悟った。

 初めてのことではない。

 主を失ってから何度も何度も経験してきたことだ。

 仮初の『死』は古竜を彫像に変え、時を経て徐々に再生を行っていく。

 だが、今回はあまりにも惜しかった。

 ――――ウォルバク。

 怠惰と暴虐を司る女神ウォルバク。

 主を奪ったあの女神。姿形こそ貧相なものに変わっていたが、あの女の臭いと、やつの放った光ははっきりと覚えている。

 奴を殺すまで、あと少しだったというのに。

 殺す。

 殺す。

 殺す。

 必ずすぐに復活し、力をつけて、奴を殺さなければ――――!

『――――その必要はありません』

 そう殺意のみで思考を塗りつぶした竜の前に。

 ある少女が、舞い降りた。

 

「えり、す――――さま?」

 

 竜の足元に出来たクレーターで、全身に火傷や傷を作ったダクネスは、薄れゆく意識で彼女の名を呼んだ。

 少女は――――女神エリスの絵姿にあまりにもよく似た彼女は、慈愛の笑みを浮かべて何事かつぶやくと、ダクネスの身体の傷が時間でも巻き戻ったかのように消え去った。

「な――――」

 言葉にできないのか、ダクネスは口をぱくぱくさせるばかりで、何も言うことができない。

 そんな彼女をニコニコと見ていたのは数秒、再び少女は死にゆく竜に顔を向ける。

 

『あなたはもう、ここにいる必要はありません。天界に帰り、再び必要とされる日まで眠りなさい』

 ――――そんなはずがあるか。奴の臭いがするのだ、奴がすぐそこにいるのだ。

 ――――嫌だ、嫌だ、嫌だ!

『――――』

 死にゆく竜は姿を消そうともがいていたが、少女が触れた途端その体は光に包まれる。

 やがて光は小さな炎のような形になり、少女の胸元へ。

『封印』

 まるで魂のようなそれを抱くと、少女の身体は浮遊し始め、そのままどんどん高度を上げていった。

 

「エリス様!」

「エリス様ーっ!」

「あ、あ、あああああっ!」

 

 叫びを上げるもの、祈るように手を合わせるもの、言葉にならない言葉を発するもの。

 様々な反応を見せながら、大地から天を仰ぐ冒険者たち、彼らに向けて少女は、誰もを魅了する微笑みを浮かべて。

 

「皆さん、心から御礼を言わせていただきます。あなたたちが今日、心から幸せでありますように――――『祝福を』!」

 

 そう言って。

 女神エリスは、天高くへと姿を消した。

 

 

 

 

 今日この日。

 ナツキ・スバルの、この度のループは収束を迎え。

 エンシェントドラゴンの伝説は、アクセルの地で終焉を迎えた。

 

 

 

 

 

 ちなみに。

 

「ちょっとちょっとーっ! 何いいとこ取りっぽいことしてんのよーっ! せっかく来たのにこの私に挨拶もないわけぇ!? 大体、来るんなら最初から来なさいよ怖かったんだから! 話があるからもっかい降りてきなさい! ねえ聞いてんの!? エリスーっ!」

 

 納得のいかない顔でアクアが天に向けて文句を言っていたが、それは些細な事である。


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