死から生に切り替わる瞬間は、何度繰り返しても慣れるものではない。
十をゆうに超える回数分、『死に戻り』を繰り返してきたスバルだが、この意見は変わらない。腹部が、胸部が、左腕が、頭蓋が、臓腑が、血管が筋肉が皮膚が――欠損した肉体が0秒単位で再構成され、失われた血が通い始めるのだ。
それは言うなれば、テレビのチャンネルを切り替えるのに似ている。
『死』の事実。それは脳に――否、魂に明確に刻まれているというのに。『チャンネル』が切り替わった瞬間、すべてを失った感覚だけをそのままに、突如として正常な状態へと引き戻されるのだ。
喰い殺されたのは何度目か、確か三度目だったか。連中には大兎ほどの食欲こそなかったが、それでもろくな感触ではないことに変わりはない。
「――ナツキさん? どうしました、急にぼうっとして」
その言葉の主は側に。その愛らしい瞳も、声を紡いだ器官も、一度は停止した呼吸も、ゆんゆんの全てが戻っている。あの悪魔と獣共によって引き起こされた、無惨な光景の片鱗も見当たらない。その事実にスバルは心から安堵して泣きそうになる。
そして、ゆんゆんの放った言葉を認識すると同時に我に返り、現在の状況に気づいた。
手に伝わるは、石か岩のようなゴツゴツとした感触。腕の中には小さな漆黒の毛皮。側にいるのは紅目の魔道士。そして、眼前に見えるのは、今にも起き出しそうな、どこか光って見える精巧な竜の彫像。
舞い戻ってきた先は、一撃ウサギに襲撃される直前の場面だ。先程まで火を背景とした暗い森の中だったせいか、どことなく像の光も眩しく思える。
「……………………嘘だろ」
この光景に心がざわついた。続いて思考は自然と『死に戻り』への疑問へと行き着く。
何故『今』なのだ。
これまでの『死に戻り』は、スバルの体験した『死』まで数時間、あるいは数日の猶予が与えられていたというのに、今回はわずかな時間しか与えてくれていない。
スバルとゆんゆんが一撃ウサギの群れから必死で逃げ続けた時間、正確に把握しているわけもない。だが、少なくとも戦闘と逃走を何時間とし続けていたということはないだろう。
――まさか、世界を移動したことで、『死に戻り』が弱体化したのか。
思考が絶望的な方向へと流れそうになるが、頭を振ってそれを振り払った。それは今考えるべきことではない。
今もその辺りの茂みには、憎き白の怪物の群れが隠れている。このままでは先の惨劇が再現されるだけだ。
答えが出もしない疑問を追っている余裕はない。
ゆんゆんの『死』の光景は、スバルの魂に消えない傷を刻んでいる。だが今、その魂の正常化を待っている余裕はない。
意識的に先の光景をシャットアウトして、自分を目の前の光景に切り替える。
あの惨劇を繰り返さないために、即座に決断しなくてはならない。
「ナツキさん、嘘って……?」
「――――ゆんゆん、そのままよく聞いてくれ。今、初心者殺しの姿を見た」
「――――!」
幼い顔が一瞬で緊張に染まる。
端的に、かつ具体的な危険を伝えること。スバルの最初の選択はこうだった。
スバルがこれまでに経験してきた『死に戻り』は、当然ながら、常にスバルが生き残る可能性を残した上でのものだった。
命よりも大事な何かを取りこぼしても、スバルにだけは生存の機会を与える。それが残酷な『死に戻り』の性質だ。
逆に考えるならば、わずかな時間しかない今回のループ。その突破自体は難しくはないはずだ。
与えられたこれだけの時間でできる、小さな機転で突破できるようなレベルということになる。
そのはずだ。
そうでなければならない。
経験から推測できる仮定を前提にした思考。
スバルは急速に回転させた頭で内容をまとめると、小声で語りかける。
「初心者殺しと一緒に、ウサギの群れの姿も見た。おそらく、ギルドの人が言ってた肉食のウサギだ。初心者殺しは、そのウサギを利用して俺達を狩るつもりなんだと思う」
初心者殺しは通常、ゴブリンやコボルトといったモンスターの群れを利用する。それを狩る冒険者を獲物とする、狡猾で悪辣な知性を持つ。
今回はゴブリンなどではなく、一撃ウサギの群れを追い立てに利用し、狩りを行っていた。
獲物――スバルたちが弱ければ、捕まったところでウサギどもを追い払って横取りしてもいいし、逃げるところを不意打ちしてもいい。
逆に一撃ウサギが相手にならないほど強くとも、不意打ちの利を活かして命を刈り取る道か、一撃ウサギを囮にして逃走する道か、その選択権は初心者殺しにあるというわけだ。
今回の初心者殺しの戦法。その恐ろしさをすぐに理解したらしいゆんゆんは、端的に必要事項のみを聞いてくる。
「敵の数と方向は?」
「初心者殺しは森の奥側だ。ウサギには多分、遠巻きに囲まれつつあると思う」
「初心者殺しへと誘導すると考えたら、逆方向の街側は敵の層が分厚くなってるでしょうけど……そっちを強引に突破したほうが良さそうですね」
さすが紅魔族、頭の回転が早い。不意打ちならともかく、冷静な状況ならば的確に対応できるようだ。
「後は例の悪魔型モンスターのことだ……」
激昂した黒い悪魔の姿を思い出す、初心者殺しの死体を見て、頭に血を上らせ、スバルたちが死ぬ原因を作った敵だ。
スバルの肉体から、原理もわからないまま這い出てきた『見えざる手』――初心者殺しを奇跡的に仕留めるに至ったそれも、あの悪魔に通じるとは思えない。
あれは見るからに、魔王城とかそういうところに住んでおくべき危険なやつだった。
奴の詳細はわからないが、初心者殺しとつながりがある可能性が高い以上、これも告げておかなければならない。
「もし悪魔が人里に用があるなら、とっくに来ているでしょうから。きっと森の奥にでも行かなければ会いませんよ」
「さっき微妙に初心者殺し以外に黒い影が見え隠れしてたけど、悪魔じゃなければいいな」
「そういうのはもっと早く言ってくださいよぅ…………もしそうなら、泣きながら逃げましょう」
先の推測は自信ありげに、後の作戦は消え入りそうな声でゆんゆんは告げた。
スバルはそんなゆんゆんの心をほぐすように、小さく笑う。
「ウサギはぱっと見めちゃくちゃ可愛いらしいけど、容赦しないでくれよ」
「い、いくら可愛くても食べられるなんてごめんです。可愛い顔して悪辣な敵なら、むしろ許せませんよ」
言いながらゆんゆんは杖を取り出す。
「悪いが戦闘自体は超お前頼りだ。――最悪、山火事覚悟で燃やすくらいのつもりで頼む」
「本当に最悪の場合ですね……。では、振り向いてから一気に来た道を戻ります。道はなんとしても切り開きますから、ちょむすけをお願いしますね」
手短に打ち合わせを終えると、スバルはちょむすけを逃さないよう、しっかりと抱き直した。
そして、がさり、という音を背中で聞いた時。
「『ライトニング』ッ!」
振り向きざまに魔法を解き放ち、二人は全力で地を蹴って駆け出した。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
ゆんゆんにとっては初の、スバルにとっては二度目の一撃ウサギからの撤退戦。
スバルはかつて、桃色の少女と共に逃走した経験を思い起こしながら、獣道を駆ける。
「『ライトニング』ッ!」
黒髪の少女が放った雷撃は、目の前の白い獣の塊を巻き込み、そのまま消し炭に変える。
一撃ウサギの白い波、そこに間隙ができた。スバルとゆんゆんはすかさず身体を滑り込ませ、雷撃にひるんだウサギたちから一気に距離を取る。あとはそのまま逃走の一手だ。
飛び出した木の根を全力で踏み込み、飛び上がるようにさらに一歩。少しでも酸素を求めて、スバルは口を開閉させる。
自身は風を切るように走っているつもりでも、追走する魔獣たちを振り切れていないのを背中で感じる。きゅうきゅうという、悲痛を思い起こす鳴き声がどこからか聞こえてきた。
「『ブレード・オブ・ウインド』ーッ!」
ゆんゆんは振り向き様に手刀を一閃。手刀とともに生まれた風の刃は、そのまま群れから突出した白い魔獣を両断していった。
彼女は風の刃が消えるまで確認することもなく、そのまま前を向き直して疾走を継続。同時に酸素の補給に移る。
走りながらにも関わらず、この呪文の詠唱速度。さらに瞬時に適切な魔法を選択する判断力や、振り向きざまに一瞬で放った魔法の命中精度。単純な魔法の威力や魔力量だけでなく、様々な角度から見ても卓越した能力を有していると、素人目にも見て取れた。
だがそんな彼女を持ってしても全てを殲滅するのは難し――――。
スバルたちが目指す森の出口、遠くに見えるその近辺の様子が変わった。
空気の振動がこちらにも伝わり、茂る草木すら貫通する強い光が瞳に差し込んでくる。
「めぐ……っ!」
同時に、並走するゆんゆんが、使用する呪文を変更したのがわかった。
彼女はスバルに身を寄せつつ、早口で詠唱を開始する。
一瞬の時間も無駄にできないが、絶対に制御にも失敗できない。そのギリギリの綱を渡りきる覚悟が、その紅い目に宿っていた。
瞬間。
――――――――『エクスプロージョン』ッ!
声が響き渡ると同時。
はるか前方の空間が、破滅の爆焔に支配された。
光に遅れて轟音が鳴り響き、前方の木々が吹き飛ばされ、衝撃波は吹き飛ばされた枝を、石を、幹を矢に変えて、二次的な破壊を撒き散らす。
当然その破壊の矢はスバルたちにも――
「『ウインドカーテン』!」
特殊な制御をしているのか、本来パーティの全身を包み込むはずの風は、前方に多重の壁となって展開する。
目の前に幾重にも展開された風の壁は、破壊の方向をわずかに逸らした。
それで十分。
二人に直撃するはずの破壊は、後方に展開していた一撃ウサギの群れに突き刺さり、白い波に赤い花を咲かせた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
これまでのナツキ・スバルの『死』は、向こうから強い意志で、スバルの大切なものを狙ってくることばかりだった。
スバルの大切な少女エミリアの徽章、あるいは命が奪われる腸狩りのケース。知り合った子ども達ともども呪い殺された、魔獣騒ぎのケース。エミリアを領地の人々ごと皆殺しにされた、魔女教のケースなどなど。
ループ中にスバルが対応を間違え、別の原因で殺されたこともあるが、基本的にはスバルが根本的な解決に動かなければ、大切な人々が奪われるものだ。
しかしそういったケースと違い、今回はたまたまいたスバルたちを獣たちが狙っただけ。チンピラに絡まれて殺された例のようなものだ。
群れの一部を殲滅してしまえば、敵も執拗に追ってくるほどの執着はないだろう。
「にしても、ぜえ、しんどかったけどな、ぜえ、ぜえ……」
「はあ……はあ……こ、怖かった……。あんな可愛いウサギたちが、群れをなして殺しに来るなんて……わかってなかったらトラウマになってたかも……」
息を切らし、泣きそうな表情。魔法を連発し、最後には全力で壁を展開したせいか、青褪めた顔でゆんゆんがつぶやいた。
スバルも呼吸が辛い。心肺が酷使に対して全力で抗議をあげているのが理解できる。
腕の中のちょむすけだけが、のん気に欠伸をしていた。
場所はすでに街近くの平原にまで戻ってきている。日も暮れて冒険者の数も少なく、ギルド職員が、カエルの屍骸の移送作業をしているのが見えた。
「スー…………ハー……………………ふぅ。でも無事でよかったですね、ナツキさん」
ゆんゆんは息を整え、その端正な顔に笑みを浮かべる。
警戒のない、無垢で優しげな光を宿したぱっちりとした瞳をスバルは見る。
その、血よりもなお紅い眼を。
欠けていない眼孔を。
牙。
血。
肉片。
口元から落ちた――――。
「う……うぶぇっ……」
「ナツキさん!?」
咄嗟に手を口に当てるも間に合わず、スバルは猛烈な嘔吐感を抑えきれず、土の上にぶちまけた。
彼女の死に様が脳裡を急速にかけめぐった。
命の危機の真っ只中、同じ死を繰り返さないという使命感で麻痺させていた記憶が、今になって再生されていく。
自分の死など何度も経験している。全身を牙に陵辱される死に様だって、これが初めてではない。
近しい人間の死を直視したこともある。大切な少女が、自分を助けるため全身を捻り潰されたことは、とても忘れられる光景ではない。
だが、あのような経験は。少しでも守りたいと思った相手が、目の前で牙を突き立てられ、咀嚼され、殺され壊されたのは初めての経験だ。
嘔吐感は一向におさまらず、腹の筋肉が一斉に胃の内容物を押し出して行く。朝に昼に食べた肉が、野菜が、穀物が混じり合い、見るに耐えないスープ状の何かになって吐き出されていく。
「げ、げぁ、げぼ、げぼ…………がふぁっ!」
激しい運動からの嘔吐に、食道が悲鳴を上げ始めた頃。
「……………………」
そっと。
寒気の止まらない背に、そっと小さな手が当てられた。
手はそのまま動くことはなく、ただスバルの背に熱を感じさせるだけ。
何かしなければと思っているが、どの程度まで踏み込んでいいかわからず戸惑っている。そんな距離感の熱だ。
普通に撫でりさするよりは少し遠い、そんな距離。
それでも、存在を感じさせてくれる、そんな距離。
そこにゆんゆんがいて、自分を気遣ってくれている、という事実はありがたかった。
――――大丈夫。
少なくとも、『死に戻り』はできる。失ったゆんゆんも取り戻せた。
前回使った『見えざる手』。あの感覚を掴めたことを考えれば、むしろプラスである。
傷を負ったのはスバルの精神だけ。
ならばきっと、何も問題はない。
誰も何も失っていない。取り返しのつかないことになっていない。
スバルは胃の内容物を全て吐き出してから、ようやくそこまで考えることができた。
「悪い。情けない所見せちゃったな」
汚れた口元を袖で拭いながら小さく謝罪する。
「い、いえ。一応何度か戦ったことのある私でも物凄く怖かったですし。このくらい当たり前ですよ」
ゆんゆんもそう言いながら右手を綺麗な地面に置いた。
「『クリエイト・アースゴーレム』」
大地の土を均等に吸い上げ、瞬きするうちに土人形が誕生。位置を調節した後、それを解除することで、大量の土が吐瀉物の上に生まれていた。
「クリエイト・アースならもっとうまくいくんですけど……私、中級しか使えなくて」
すみません、と大量の土を前にして頭を下げる。
その程度で謝られると、同じ駆け出し、それも年下の女の子にフォローしてもらい、あまつさえ吐瀉の後始末までしてもらっているスバルの立場がないのでやめてもらいたい。
せめてもの償いとして、用意してもらった土をならして完全に埋める作業は自分一人で行うことにする。大量に余った土は、何故か近くにあったクレーターへ流し込んだ。
「助かったけど、なんでこんなところにクレーターがあるんだ? 行きはなかったのに」
ちょっとやそっとの大穴ではない。軽く二十メートルほどの大きさはあるだろう。上級魔法こそ使えないとはいえ、優秀なアークウィザードであるゆんゆんが使う魔法でも、こんなクレーターを作ろうと思ったら何発も何発も魔法を打ち込み続けなければならないだろう。
こんなことをできる冒険者がいるとすれば立派で頼もしいことだが、平原にいるのは基本的に弱いモンスターのはずである。たとえ森の強力なモンスターがやってきたとしても、ここまでやる必要はないだろう。
「そういえば、さっき最後にものすごいのがあったな。あれが原因か。あんな魔法、一体誰が何のために…………」
腑に落ちないスバルはスッキリしない顔で首を傾げる。
「ま、まあそれはいいじゃないですか! それよりナツキさん、体調が戻ったなら、冒険者ギルドに行きましょうよ。初心者殺しに悪魔らしい影、ドラゴンの彫像と報告することがいっぱいです! ウサギを倒した分、報酬がもらえるかもしれませんし!」
何故か慌てたように話を変えるゆんゆん。スバルは少し気になったが、提案に反対する理由もない。
二人はそのまま冒険者ギルドへと向かった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
残念ながら一撃ウサギの報酬はもらえなかった。
「元々一撃ウサギは森の奥で出没するタイプだから、被害がなくって、討伐依頼は出ていないのよ」
ただ、最近は目撃情報が増えているため、討伐の対象になるかもしれないと、受付嬢は続けた。
そんな受付嬢にゆんゆんは、おずおずと声をかける
「あの、報告で……。その一撃ウサギの群れに初心者殺しがついていたみたいなんです」
初心者殺しの名を聞き、受付嬢の顔色が変わった。
「初心者殺しと一撃ウサギの連携……ですか? 通常初心者殺しはゴブリンやコボルトの群れを利用するものですし、普段はここいらの地域には出没することもないのですが……」
そこにスバルは、
「それからこれは未確定ですけど、例の悪魔型モンスターのような影も見えました。ひょっとしたら、何か繋がりがあるのかもしれません」
と付け加える。
一度殺された時は、スバルも消耗していたし、割りとすぐに死んだし、衝撃的なこともあったしということで、ほとんど情報を持ち帰れていない。
スバルから伝えられる情報はこの程度である。
悪魔という言葉を聞き、受付嬢はますます顔色を変える。
「悪魔が初心者殺しと他のモンスターを連携させている……? その知能からすれば上位悪魔であることは間違いなさそうですね。とにかく、これは由々しき事態です。調査が終わるまで、一部の人間以外は森の完全立入禁止となるかもしれません。…………一撃ウサギや初心者殺しと遭遇したのは森のどのあたりかわかりますか?」
地理に詳しくないし、行きはちょむすけを追いかけていっただけ。帰りは無我夢中で逃げ帰っただけなので、正確な位置など把握しているはずもない。
もちろん。目印となるものがなければの話であるが。
「えー、森の中にある、でかいドラゴンの像のあたりです」
「……………………………………はい?」
たっぷり七秒間、動きを静止させた受付嬢は首を傾げて問い返す。
「いや、だからあるでしょ? 石像だかなんだか知らないけど、めちゃくちゃでかい像が。多分そこまで奥じゃないと思うんですけど」
慌てて弁解するように言葉を継ぐが、受付嬢は何を言っているのかわからない、という顔でこちらを見返してくる。
「あの森は冒険者達が入るようになって長いですが、そんな像があるなんて話は聞いたことがありませんけど……」
振り返り、傍らのゆんゆんを見るが、彼女も受付嬢の言葉を信じられないといった面持ちで両手を口元に当てていた。
「どういうことだ……?」
「わかりません……確かにあったのに……」
誰かに問いかけるというよりは、思わず出た言葉だったが、ゆんゆんも素直に答えを返してきた。
「俺達の見間違いか、それとも突然現れたってのか……」
「ひょっとして、誰かがドラゴン型のゴーレムでも作ったんでしょうか? それこそあの悪魔とかが……」
「悪魔があんなもの作る必要ってあるか? ……って、ここで話すことでもないか」
あれこれ話しても、どれだけ思考に埋没しようとも、この場で答えは出ることはない。これ以上の会話は受付業務の邪魔になるだけだろう。
「ではスバルさんにゆんゆんさん。貴重な情報に感謝します。今後は高レベルパーティへ調査を依頼することになるでしょう。その結果次第で、ギルド全体での対応も変わってくることと思います。それまで森には無用に近づかないよう、お願いしますね」
受付嬢はこの場での会話をそう締めくくった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
その宿屋に併設された酒場は、ギルドの酒場とはまた違った構造をしていた。
一階の半分以上を占める広間スペースは、テーブルが並んだごく普通の食堂兼酒場。
そして残りのスペースには、数部屋個室がある。
基本は大勢でも騒げるように。個室は、酒場の喧騒を遠く味わいつつ、ゆっくりと食事を楽しみたい人のために分かれているのだろう。
そんな酒場の一席にて、グッタリと上半身をうつ伏せにしながら、ジュースを片手に持つ少女がいた。
普段頭にあるとんがり帽子はそっと置かれ。眼帯のない紅い瞳には、悔しさと迷いの光を浮かべている。
少女の名はめぐみん。紅魔族のアークウィザードにして、爆裂魔法を操るもの。
この宿に泊っている彼女は、心中穏やかとは言えない状況にあった。
彼女のライバルにして――当人には滅多に言わないが――親友であるゆんゆんが。あの、コミュ障ぼっちで名を馳せたゆんゆんが、僅か二日でパーティを結成したというのである。
初日死んだような目をしていた彼女からは信じられなかった。
ギルドにも宿屋にも彼女の姿が見えなかった時は、最初は悪い男に騙されどこぞに連れ込まれたのかと心配したものだ。そして、ゆんゆんが見知らぬ若い男と祝杯をあげているのを見た夜は忘れられない。
宿に帰ってからゆんゆんに話を聞くと、男はややウザそうだし、実力も弱っちいようだったが、別に悪人という印象もなかった。
もちろん、それ自体は祝福するべき事実である。相手がゆんゆんの身体目当ての変態なら、こっそり闇討ち爆裂でもしてやるが、実力目当てで仲間となっただけなら何も問題はない。ゆんゆんとしても、相手に足を引っ張られる程度は想定済みだろう。
これが悩ましいことになってしまう原因は、むしろ自分サイドにある。
今日、三度目のパーティ追い出され経験をしたことが、めぐみんの心を苛ませていた。
最強の攻撃魔法、爆裂魔法。絶大な威力は、周囲の地形を変えるほどで、威力に比例する轟音は新たな敵を呼び寄せる。
そして絶大な消費魔力故、天才と謳われためぐみんですら一度撃てばぶっ倒れる。
魔王軍幹部や、機動要塞デストロイヤーでも現れてくれたなら、一度きりの超兵器として重宝するだろうが、この駆け出し冒険者の街でそんなものが現れるはずもなく。
現状は一発撃って足手まといになるだけのネタ魔法使いである。
カッコよさを重視する紅魔族も、実用性を度外視するわけではない。
爆裂魔法はネタ魔法。戦うためなら上級魔法があればそれでいい。
それが紅魔族での常識。
そんなことはわかっていた。わかっていてこの道を選んだ。
強い魔法使いになるために爆裂魔法を選んだわけではない。
爆裂魔法以外ではダメだからこそ、この道を選んだのだ。
だが。
「私はいらない子なのでしょうか……?」
誰にも聞かれぬよう、口の中で自問する。
爆裂魔法しか使えない魔法使いはお呼びではない。オブラートに包んではいたが、そう言って皆めぐみんを拒絶した。
あのゆんゆんですら、コミュ障を乗り越えて仲間を作ったというのに。
天才と言われたこの私がいらない子。
ゆんゆんに代わり、ノーフレンドキングのボッチーになれというのか。
この私が。
「この私があああああああっ!」
そうやって全身で怒りと苦しみと悲しみを表現し始めたとき。
「ほらほら、皆ちゅうもーく! 私の超すごい芸を今から見せてあげるわ!」
突然、めぐみんの背後、大勢の人だかりの中心からそんな声が聞こえた。振り返り目をやると、水色の髪と淡い紫の衣を纏った少女が、赤い顔をして空になったジョッキ片手に叫んでいる。
彼女はジョッキを置くと、どこからともなくハンカチを取り出すと、大きく振り回し、種も仕掛けもない一枚のハンカチであることを示した。
「さあいくわよ!」
突如としてその中から、赤・青・黄など、様々な色のハンカチが溢れ出てきた。
そのままそのハンカチをテーブルに並んだ空の皿やジョッキに被せると。
「きえろー、きえろー、それーっ!」
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
色とりどりの布が消え去った時、残っていたのはテーブルのみであった。
一瞬にしてあったはずのものが消え去った事実に、めぐみんも他の客たちも驚きを隠せない。
「ほら、まだまだ続くわよー! 次はねえ――」
と、水色髪の芸人が次の芸を披露しようとした時、彼女の肩が男に叩かれる。
めぐみんも世話になっているこの宿の従業員だ。
「消した食器を出せ? 消したんだから出せるわけ――えぇっ!? 困ります、私そんなお金ないから!」
どうやら勝手に使った皿代の弁償を求められたようだ。
突然の事態に周囲の客達へと縋るような視線を向けるも、次々と目を逸らされて、水色の瞳に大粒の涙を溜める。
美人がこういう表情をすれば美しい絵になりそうなものだが、何故かコミカルに感じてしまうのは、彼女の人柄か、それとも天性の芸人の才能だろうか。
個室に向かって「助けてヒキニート!」と走っていくその姿も、どことなく愉快であった。
「わー……なんかすごいね」
そんな様子を観察しているうちに、ゆんゆんが目の前の席についた。既に食事を済ませていたのか、軽い飲み物のみをおずおずと注文する。
今日のクエストは激戦だったのか、ローブのあちこちが切れているように見える。抱えたちょむすけで隠れて見えないが、ひょっとすると胸の部分もやぶれほつれがあるのかもしれない。
「まあ、ゆんゆんはそのうち、見知らぬ男の『大きな胸を強調した服を着たら友達ができるよ』とかの冗談を真に受けそうですしね。その時に備えて、今のうちに無駄にエロい格好に慣れておくといいでしょう」
「何の話!? いきなり皮肉ってなんなの!? 私何かした!?」
露骨にため息をついてみせると、ゆんゆんは心外という顔で抗議してきた。
もちろん冗談である。一人で酒場にぽつんと残されてた時ならともかく、さすがに連れがいる状況でそんなことを言ってくるやつはいないだろう。
「そのローブ……木々や草の中を強引に突破したという感じですが、ひょっとして森に入ったのですか? 相方は腕利きではないということなので、もっと慎重にいくと思っていましたが」
「あ、うん。私達もそのつもりだったんだけど、この子が森に入るところを見ちゃったの」
と、胸の中のちょむすけを差し出すゆんゆん。たゆん、と揺れた気がしてイラッと来たものの、ここは素直にちょむすけを受け取った。
「なるほど、ちょむすけを保護していてくれましたか。ありがとうございます、帰ってこないので心配していたのですよ」
「それは全然いいんだけど……ねえ、放し飼いにしてるのってやっぱり危ないんじゃないかなあ」
「アルカンレティアではどこからか餌を見つけてきたので、ある程度はそのほうがいいのかと思っていましたが……それもそうかもしれませんね」
紅魔の里、アルカンレティア、そしてこの街までの道中とちょむすけを狙ってきた女悪魔は、めぐみんの爆裂魔法によって退治された。
それによって、もうちょむすけを執拗に狙うストーカーはいないと考えていた。が、安心しすぎていたきらいがあるかもしれない。
必死で追いかけたのに手に入れられなかったちょむすけを、その辺のモンスターに食べられました、ではあの女悪魔も哀れである。
「わかりました。今後はちょむすけを自分の部屋に閉じ込めてから外出することにしましょう」
「まあ、それなら。今は長いクエストになりそうもないもんね。そのくらいならこの子も寂しくないだろうし」
と、そこまで言ったところでゆんゆんが何かを思い出したような顔をした。
「あ、めぐみん。あの平原のクレーターってめぐみんの仕業でしょ」
「クレーター? …………ああ、あれですか。今日組んだパーティは慎重派で、とりあえず何かできるのか知りたいと言ってきたのですよ。なので一発ぶちかましてみました」
ちょうど森から平原にモンスターが出てきたので、とりあえずぶっぱなしてみたのだ。
「ぶちかましてみましたじゃないでしょ!? あんな街の近くでおっきなクレーター作って、何考えてるの!?」
「ですかその威力に、パーティの皆も驚いていましたよ」
「でしょうねえ! だからってやっていい理由にはならないでしょう! 後始末の工事の人が大変だし、色々危ないじゃない!」
「ついかっとなってやった。スカッとした。またやりたい」
「反省しなさいよおおおおおお!」
めぐみんの爆裂魔法の披露は、その威力に驚嘆され、これ一発しか魔法が使えないことを知って落胆され、パーティからやんわりと追放されるまでがセットだ。
「まあ、そのパーティとも別れてしまったのですがね。私のように、強大な敵と戦うつもりはないそうです。私としても、意識の低いパーティで腕を腐らせるつもりはないので、これでいいのですが」
もちろんゆんゆんにそこまで悟らせるつもりは毛頭ない。あくまでお互いの価値観が合わなかったという方向で流しておく。
「そっか……。まあ、やりたいことが全く合わない相手と組んでも、仕方ないもんね」
「その通りです。コミュ障でろくに人と話さないゆんゆんは知らないでしょうけど、私の顔はすでにギルドでもそこそこ知られていますからね。そのうち良い相手を見つけますよ」
あえて余裕ぶった表情を見せると、ゆんゆんはむっとした顔で反論してくる。
「確かに知らなかったけど、昨日も今日もいっぱい人と話したし、私だって進歩してるんだからね」
「ほほう……パーティメンバー以外で誰と?」
「う…………受付の人」
まあ、これも進歩だろう。パーティメンバーだろうと、色々と話せる仲になっているようなら大きな一歩だ。
ろくに話もせず、怪しい奴らに声をかけられるのに比べれば、雲泥の差である。
「まあ、さっきは怒っておいてなんだけど、今回はめぐみんのめちゃくちゃに助けられたんだけどね……」
「ほう。詳しく」
ゆんゆんの口から興味深い話を耳にして、続きを促した。
「詳しくっていうか……ちょうどモンスターに追い回されてたの。凄く可愛い顔してるのに、群れをなして殺しにくる殺人ウサギ。ナツキさんに警告されてなかったら、トラウマになるところだったわ」
思い出しただけで嫌な気分になったのか、話すうちに顔を青ざめさせていった。
確かに話を聞くだけで恐ろしい。その辺の猫が突然攻撃してきたら、自分としてもトラウマになるだろう。
「そんな中、私の爆裂魔法の光がウサギの群れを消し飛ばしたというわけですか。もっと感謝していいですよ」
「うん。ウサギだけでなく私たちにも飛んできたけど、それで助かったんだから物凄く感謝してるわ。お礼に、ここの料金は私が持つから」
何とはなしに出たであろうその言葉に、めぐみんの紅い瞳がキラリと光る。
「すみません。まずは特製高級カモネギ料理を追加で私に」
ウエイトレスを呼び止めて、メニューの中で一番高い特別料理を注文した。
「まずは!? まさか昔みたいに、歩けなくなるまで食べる気じゃないでしょうね!?」
「安心してください、昔とは違います。――――ちゃんと消化してから席を立ちますから」
自信満々に宣言すると、ゆんゆんはため息をついて飲み物をひと口。視線をめぐみん……の背後へと向ける。
視線を追ってみると、弁償問題をどう解決したのか、先程の芸人少女が芸を再開していた。屈託なく笑い、おそらく大半は初対面であろう人々と、楽しそうに盃を交わしている。
自分の悩み苦しみなど、些細なことなのではないか、そう思わせてくれる、心から人生を楽しむような笑顔。
誰とでも自然に笑い合える、天性の才能。
「ゆんゆん」
その才能はきっと、ゆんゆんが何よりも憧れてきたもので。
「あなたの言う通り。きっと、あなたは進歩しています。だから、いつかあんな風にもなれますよ」
ゆんゆんは彼女なりに努力して、一つの人間関係を築いたのだ。自分から声をかけたのであっても、相手に声をかけられたのであっても、それは変わらない。
――――だから、自分は彼女に頼らない。
自分の現状を知れば、ゆんゆんは自分に手を貸そうとしてくるだろう。『めぐみんをパーティに入れてほしい』『ダメなところは私がフォローする』と、今の仲間に頼むかもしれない。
だが、それは違う。互いに孤独なまま協力するならともかく、彼女が努力して築いた人間関係に、後から踏み込んでいくつもりはない。
何もできないまま、魔物に襲われたあの時とは違うのだ。
自分の今の状況はわかっていた。わかっていて爆裂魔法と共に在る道を選んだ。
今回も彼女に縋るのなら。
自分はもう、爆裂魔法を愛するものは名乗れはしない。
そして逆の立場であれば、ゆんゆんも自分に縋ろうとはしないだろう。たとえ、孤独を貫いてでも。
ならば彼女のライバルとして、越えてはならない一線は守りたい。
そう思うのだ。
クリエイト・アースゴーレムが中級魔法であるという描写はなかったと思うけど、とりあえず本作ではゆんゆんは使えるということで。