友達料と逃亡生活   作:マイナルー

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5 『平穏』

「『エクスプロージョン』ッ!」

 

 少女の叫びとともに、杖の先から眩い閃光がほとばしり、空中の一点に集中する。そこを中心とした巨大な空間を爆風がかき乱し衝撃波に支配された。

 おそらくは範囲も完全に把握した上で撃ったのであろう。それは空に向けての魔法にも関わらず、その破壊は地上のカエルを八匹も巻き込んで、地面に小さなクレーターを作りだす。

「ふふふ……やはり爆裂魔法は、最高、です」

 たった今爆裂魔法を放った眼帯の魔法使いは、小さく口角を上げた。

 それはまさに会心の笑顔。ただ喜びの感情だけが前に出たものであり、何の裏表も感じられない。

 そんな少女に、食って掛かる姿があった。

「ふふふじゃないでしょ! 何考えてるのよめぐみん!」

「冒険者が寝静まる夜を越した早朝なら、カエルも油断してそこそこ集まっていると考えていました……獲物の少ない今、八キルはなかなかの戦果でしょう」

 時は早朝。スバルとゆんゆんが狩りを始めようとした時に颯爽と現れ、そのままカエルの群れを消し飛ばした少女――――めぐみんは身体を横にしたままそう言った。

「そういう話じゃないわよ! ああいう迷惑がかかることはするなって言ったでしょ!」

 ゆんゆんはクレーターを指差して、眉をつり上げる。

 その顔はめぐみんの行為に対する単純な怒りだけではなく、多くの親しさと少量の呆れを含んでいた。はっきり言ってじゃれ合いのレベルで、本気で怒ってるようには見えない。

 決して自分に見せることのない表情に、こんなゆんゆんも新鮮だな、とスバルは場違いに思った。

「ですが、うまくまとめて倒せたので、これにてクエスト完了です。私達のような金欠の新人は、こうして無理をしてでも稼がなくてはなりません。私の魔法は本来強敵に向けるべきもの。皆が森に入らない以上、そんな状況も出てきませんから」

「私達ってなに!? 私別に金欠じゃないんだけど」

 そうやって話し込む二人の近くに、スバルも近づいた。

「よう。俺はゆんゆんのパーティメンバーのものだ。めぐみん……でいいんだったか?」

「その通り……挨拶が遅れましたね」

 めぐみんはそう言って、自らの杖を支えに立ち上がる。震える左手で杖を地面につきつつ、動かすのもやっとのような右手を、自分の被るとんがり帽子に当ててみせた。

 全身に疲れが充満しているにも関わらず、その瞳の意志は消えていない。

 実にかっこいいポーズだ。

「我が名はめぐみん! アークウィザードにして、爆裂魔法を操るもの!」

 杖をついた左手がぷるぷる震えている。

 立っているのもやっとなのだろう。

 こんな状態でもこのように丁寧な礼を尽くされたなら、自分も応えないわけにはなるまい。

「我が名はナツキ・スバル! 無知蒙昧の冒険者にして、やがて魔王を倒す英雄となるもの!」

 以前のゆんゆんを意識して、両腕を交差させながら自己紹介をしてみせた。

「これはこれはご丁寧に……ぐふっ」

 スバルの自己紹介を見届けたところで力尽きたのか、めぐみんの身体は崩れ落ち、そのままうつぶせになって倒れた。

「……魔王を倒すものですか。しかし、その願いは叶いませんね。なぜなら魔王を倒して新たな魔王となるのはこの私ですから」

 倒れたままそんな大言を吐けるのだから大したものだ。

「ゆんゆん、こいつが新たな魔王だってよ! ちょうどいいからここで世界を救おうぜ」

 スバルは意地悪く笑いながら、ショートソードの鞘で背中をグリグリしてやる。

「ああっ、背中が! やめ……やめろおっ!」

 魔力を使い果たし、身動きの取れないめぐみんは、そのままされるがままでいるしかない。

「ゆんゆんのぼっち結界を突破したのですから、普通ではないと思っていました。が、予想外なほど無礼な男ですねまったく」

「まあゆんゆんは張ってもいないATフィールドで人よけしてそうな感じあるけどさ」

「ぼ、ぼっち結界…………」

 言われた軽口にしょげるゆんゆん。

 一方、スバルは悪ノリしすぎたかと鞘に入れたショートソードをどける。

 そのままめぐみんの頭から靴までを軽く見回して、誰にともなくつぶやいた。

「嫌われちったかな。俺は昔からガキンチョに好かれる性質なんだけどなあ。ゆんゆんならともかくめぐみんくらいなら、自然と懐かれると思ってたんだけど」

「おい、ゆんゆんがダメで私なら行けると思った理由、存分に聞かせてもらおうじゃないか!」

 倒れたまま身体を怒りに震わせ、そのまま歯をむき出しにしてスバルを威嚇するめぐみん。

 スバルがそう判断した理由はともかく、その態度はまだまだ子供であった。

 ちなみに彼女たちはどちらも十三歳。前の世界でスバルに懐いていたロリメイドは十二歳なので、スバルの性質が通用するかは微妙なところだ。

 そんなスバルを他所に、ゆんゆんは膝を折る。そのままめぐみんと目を合わせて、不思議そうな顔で問いかける。

「ところで、なんでお金ないの? めぐみんも商隊のリーダーさんから礼金受け取ってたじゃない。仕事しなくても当分はなくならな……あ、杖か何かを新調したとか?」

 自分で答えを出したゆんゆん。ぽんと手を打ちながらのその言葉に、めぐみんは何故か目線をそらし、小さく笑う。

 その表情は、まるで何かを悟った賢者のように見えた。

「私は爆裂魔法を操るだけではなく、爆裂魔法を愛するものでもあります。そして、自分の愛するものが引き起こした責任は、自分で引き受ける。それが人としての道ではないでしょうか」

 つまり要約すると。

「どっかで爆裂魔法をぶっぱなしたら、壊したものの弁償代でお金がふっとんだってとこか?」

「平たく言うとその通りです。……ところでできれば、起こしてもらえるとありがたいのですが」

 スバルの問いにめぐみんは肯定と要望で返し、ゆんゆんは呆れた顔でため息一つ。そのまま素早く爆裂娘を抱き起こす。

 そして、周囲を見回して、ぽつりとつぶやいた。

「それにしても、爆裂魔法の轟音はモンスターを呼び寄せるって学校で習ったのに……むしろいなくなっちゃったね」

「森で巨大なスライムを倒した時はその後モンスターが寄ってきたりもしましたから、授業はウソではありませんよ。単に、またやってきた冒険者を恐れただけでしょうね。ま、そのうち戻ってくるでしょう」

 肩を借りためぐみんが、そのつぶやきに解説する。

 めぐみんが爆裂魔法をぶっ放したあとは、平原に残っていたモンスターたちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 ただ、森には森で例の悪魔がいる。本来森の奥深くにいる一撃ウサギ等が、街の近くでも見られるということは、モンスターも悪魔を恐れて生活圏を変えているということに他ならない。

 森の方に逃げ込んだところで、生存競争に負け、すぐに平原に戻ってくるであろう。

 

 

 

 

 

 

 戻ってこなかった。

 

 

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 一撃ウサギに追われたスバルたちが報告したあと。早速ギルドから通達が出され、一部のパーティ以外は森への出入りを禁止されていた。

 その期間中、スバルとゆんゆんが出した結論は、しばらくは平穏な日々を送るしかない、というものだ。

 朝早くに平原に出て、他の人に気を遣ってモンスターを狩り、そそくさと退散する。後は街でゆったり過ごし、余裕があればクエスト報酬で少しずつ資金を貯める。

 スバルとしては、時間がもったいないという気持ちもあったが、さりとてギルドや他の冒険者と揉め事を起こすわけにもいかない。まして、自分は弱いのだ。

 森の問題が解決するまでは、こうしてひっそりと目立たず過ごし、問題が終わってから狩りを再開するしかないだろう。という考えだ。

 そうして、その禁止令が出てから数日が経過したころ。

 スバルとゆんゆんが冒険者ギルドの酒場で食事を終えると、受付にくってかかる盗賊風の少女を見かけた。

「お願いだから許可を出してってば!」

「駄目です、冒険者の安全のためですから」

「私だってそれはわかってる。でも森に悪魔が出たっていうなら、生かしておくわけにはいかないんだよ! 悪魔殺すべし!」

「よほどの冒険者以外は絶対に通すなと厳命されています。相当な強さの上級職。それが出入り許可が降りるパーティの最低ラインと思ってください」

 盗賊風の少女は、以前魔道具店で見かけた銀髪の娘だ。頬に傷があることからも他人の空似ではあるまい。

 めぐみんの散らしたモンスターに限らず、何故か森から平原に出てくるモンスターの数が激減しているという話はスバルも聞いている。

 それによって思うように狩りができず、口惜しい思いをしているのは、もちろんスバルだけに限らない。

 森には入れず、平原に湧く僅かなモンスターを取り合う日々では、さすがにギルドの冒険者たちも鬱憤が溜まっている。

 加えて、相手は悪魔。国教であるエリス教(と、有名なカルト宗教のアクシズ教)が『悪魔殺すべし』と定めている宿敵だ。冒険者たちの怒りもより大きくなっているのだろう。

「同じエリス教徒としてクリスさんのお気持ちはわかりますが、こらえてくださいよ。おそらく、討伐隊を募ることになるので、その時にその怒りをぶつけてください」

 冒険者達の声に応え、ギルドは討伐隊を結成する方向で動いているようだ。

 しぶしぶといった様子で矛を収めた少女――クリスは踵を返すと、ちょうどスバルたちを見かけたらしく、そのまま駆け寄ってくる。

「キミ、この前買い物であった子だよね。久しぶり! そっちの女の子も、あたし達の会話をじーっと見てた娘かな?」

「ひうぅっ! や、あのあのそのぅ、すみませんすみません悪気はなかったんです!」

 ほぼ初対面の相手に声をかけられ、ゆんゆんは動揺してペコペコ頭を下げ始めた。

 その様子を見たクリスはおかしそうに笑い、

「あっはっは! 何にも悪いことしてないのに謝るなんて、面白い娘だねぇ。そういえば、自己紹介がまだだったね。あたしはクリス! 盗賊職をやってて……」

 スバルの方を見て突然言葉を止めた。そのまま言葉を発することなく、スバルの瞳を覗きこんだり、子犬を思わせる仕草でにおいをクンクンと嗅いでくる。

「な、なによ? 俺なんか変?」

「いや…………ちょっぴり…………ねえ、最近おかしなのと会ったりした? 悪魔とか」

 おかしなの。

「森に行って、悪魔やら初心者殺しやらウサギやらの報告をしたのが俺達だけど」

「あー、キミがそうなのか。納得納得」

 クリスはスバルの返答に満足したらしく、うんうんと頷いた。そのままスバルとゆんゆんを交互に見ると、興味深げに目を細めてくる。

 厳密には悪魔と初心者殺しを見たのは前回の周回だが、そこまで見抜かれることはないだろう。

「ちなみにキミ……えーと、二人はなんて名前なんだっけ?」

 そういえば前回も名乗っていなかった。

 クリスの言葉に、スバルは姿勢を正し、つられるようにゆんゆんも座り直した。

「俺はナツキ・スバル。無知蒙昧にして最弱の冒険者だよ」

「申し遅れました私はゆんゆんと申しますっ! 一応アークウィザードの端くれをやらせていただいてまふっ!」

 大声で噛んだ。

 周囲の冒険者達からは微笑ましいものを見る目で眺められ、ゆんゆんは顔を真っ赤にしてうつむく。

 正式な名乗りは緊張で忘れたのか、それとも恥ずかしいからしなかったのか。そこまではさすがに読み取れない。

 クリスはゆんゆんの返答にケラケラと笑い、それから少し考えるようにして、傷のある頬をポリポリ掻く。

 そして、声を潜めてこう言ってきた。

「アークウィザードか…………ねえねえ、キミたち、これから森に悪魔退治と洒落込まない?」

「嫌だよ! 何言ってんの!?」

 スバルの否定に、ゆんゆんも無言でブンブン首を振って同調する。

 ついこの前、一撃ウサギの群れを相手に死にかけた――どころか、一度は死んだのだ。

 それをはるかに上回る悪魔に挑むというのは、いくらなんでも自殺行為としか思えない。

 スバルは必要ならば『死』を厭わないが、戦力を揃えた討伐隊が組まれるというのに、今それをやる必要はないだろう。

 声で身体で否定を表現する二人を前に、クリスは残念半分予想通り半分といった表情で、小さく苦笑する。

「うーん……やっぱダメか。上級職が二人いるパーティなら、入れてもらえるかと思ったんだけどねえ」

 現状で森に入る許可を得ているのは、マツルギだかカツラギだかという魔剣の勇者のパーティと、レックスという男を中心にした前衛職固めのパーティらしい。どちらも討伐隊に参加して確実に悪魔を討つ気らしく、早々に先走る気はないようだ。

 他にも高レベルの冒険者パーティは許可を得ているらしいが、悪魔に怯えて討伐隊の参加も辞退しているらしいので論外。

 クリスは一緒に先走る協力者が欲しかったようだが、それに同調するような者はそうそういるまい。

「っていうか、急がなくても、どうせ討伐隊は編成されるのに。高レベル冒険者と一緒に討伐隊に戦った方がよくね?」

 スバルの率直な感想に、クリスは拳を振り上げて、

「悪魔っていうのは、人を苦しめて楽しむ害虫以下の存在なんだから、そんな悠長にしてられないよ。今もこうしているうちにも悪魔のせいで多くの人が苦しめられているんだよ? 一刻も早く悪魔殺すべし!」

 一言一言、全身に溢れる思いを込めるように力説。その勢いにクリスの短い銀髪が揺れ、スバルも見えない圧力に押されるような思いだった。

 過激なまでの悪魔への敵意にスバルが内心引いていると、ゆんゆんが袖を引き、こっそり耳打ちしてくる。

「典型的なエリス教徒の人ですね。忌むべきもの――悪魔やアンデッドへの敵意は、アクシズ教徒にも負けないはずです」

 なるほど、彼女を見ているとゆんゆんの言葉も頷ける。ただ「国教で敵とされている」と聞いただけでは、その熱量は伝わらないものだ。

 言葉の一つ一つに、隣人愛とそれ故の怒りが込められている。固く握られた拳は、グローブがなければ血がにじみそうにも見え、瞳には焔が宿るようだった。

「ま。そんなわけで襲撃したいと思って、ギルドから許可もらえるような仲間が欲しかったのさ」

「流石に無理だろ。俺達のレベルいくつだと思ってるんだよ。この道ウン十年のベテランに見るのは、流石にこの美少女に失礼ってもんだぜ」

「あっはっは! 確かに、いかにもな初々しい駆け出しさんって感じだもんね。失礼失礼。ま、あたしもダメ元で頼んだだけだったし、今回は素直に討伐隊に参加することにするよ」

 頬を染めて黙ってしまったゆんゆんに視線を向けて、クリスは冗談で帰しながら楽しそうに笑った。

 それでも視線には口惜しさが混じり、可能ならばすぐにでも突撃したいという意思が見て取れる。

 スバルとしても彼女の気持ちはわからないでもない。あの悪魔が初心者殺しにどういう感情を向けていたのか知らないが、あの悪魔の行動はゆんゆんの凄惨な死に繋がった。

 どのような事情であれ、悪魔全体があのように人間を害する存在であるならば、許せないと思うのも当然であろう。

 エリス教の徹底した姿勢も、「魔女教徒は危険。見かけ次第殲滅せよ」という前の世界と変わらないだけかもしれない。

 だからといって、討伐隊に先走る無茶を支持する気もないが。

 クリスはふと興味が湧いたように、スバルとゆんゆんへ問いかける。

「ちなみにキミたちは討伐隊への参加はどうするの?」

「後方支援の方を手伝うつもりだけど」

 当日の森は、大量の冒険者がいくつかのグループに分かれて進軍するのだ。

 最近は、平原のモンスターが森に姿を消すことも多く、森の奥深くには大量のモンスターがいる可能性が高い。つまり、森への進軍によって、戦いを避けたモンスターが平原の方へ流れ出てくると考えられる。

 そこで生まれたのが、この水際作戦である。

 一定の戦力を平原に用意し、森からモンスターが出てきたところを叩き、街への被害を抑える。

 森で悪魔と直接対峙する部隊と比べれば報酬は落ちるものの、こちらも重要な役目だ。

「そっか。でも気をつけなよ? 本当なら熟練パーティが事前に掃除するはずだったけど、ダメになっちゃったらしいからねえ」

 アクセルは駆け出しにもかかわらず、高レベルの男性冒険者が何故か長々と滞在していることがある。スバルがバイト中に見かけた『トンチンカン二号』もそうだ。

 ギルドとしては、ああいった冒険者に討伐隊へ参加、あるいは事前に強力モンスターの退治をお願いしたかったらしいが、高度な知能を持つ悪魔と聞いて尻込みするものが多く、断念せざるを得なかったらしい。

「お、おお、お気遣いありが、ございますっ」

 これまでほとんど言葉を発さなかったゆんゆんの、引きつった、蚊の鳴くような声。

 クリスはそれにも笑顔で答え、ひらひら手を振りながら去っていった。

 彼女の背が遠くなり、入り口から出ていったあたりで、スバルは大きく両手を広げた。

「よーしよく頑張ったぞゆんゆん。ちょこっとだけでも他人とちゃんと話せた。もちっと声が大きくするのと、積極的に話せるようになるのが今後の課題だな。この調子この調子」

「は、はいっ。えへへ……」

 オーバーなアクションで褒めると、ゆんゆんは手を叩き、嬉しそうに目を輝かせる。そうやって頬をほころばせる姿は、まるで子供のようだった。

「いや、年齢的には俺から見ても割りと子供なんだけどな……」

 子供らしい笑顔とは裏腹に、成人女性と比べても見劣りしない体つきをした目の前の少女。

 それと比べられるように、めぐみんという、平坦――もとい、まだまだ起伏の少ない発展途上な体を持った少女の姿を思い浮かべた。

 この二人が同い年だったと知った時は驚いたものだ。

 もっとも、スバルの親しい相手には、明らかに成長の違う双子の姉妹もいるし、他にも約百歳と推定される美少女ハーフエルフや、四百年生きる金髪ロリだって頭に浮かぶ。

 紅魔族は通常よりも成長差が激しいのかもしれない。通常よりも魔力が高いという種族特性もあることだしその影響で――――。

 腕を組み、いつしかたった二例をもとに思索にふけるスバル。

 そんなスバルの前で、ゆんゆんはいそいそと何かを取り出し、食器の下げられたテーブルに置いた。

「ナツキさんナツキさん。今日はもう狩りをできるわけじゃないんですし、もしよかったら、これで一緒に遊んでもらえないでしょうか……」

 見ると、正方形の板状の物体のようだ。方眼状の面に白と黒が交互に敷き詰められた模様をしている。

 さらにゆんゆんはセットになっていた黒い駒、白い駒をどんどん並べていった。

 先端の部分には、正八面体や、幅の狭い円柱を横に倒したような飾りがついていて、それぞれ別の役割を持った駒だということがわかる。

 一見すると地球のチェスを思い起こさせるものだ。

「……………………これは?」

「知りませんか? 割りとポピュラーな対戦用のボードゲームですよ。一人で暇つぶしするのにいいので、私故郷では結構やってました」

 対戦用のゲームなのに一人での暇つぶしに使うという矛盾に、ゆんゆんの悲しい過去を垣間見て、思わず目頭を抑えそうになった。

「その、もしよかったら、せっかくなので、ナツキさんと一緒に……」

「よしやろう今やろうすぐやろう。あ、でもルール知らないから手取り足取り懇切丁寧に教えてくれよ」

 そしてこの日。ナツキ・スバルは、トレーニング以外の時間の大半をゆんゆんとの時間に使うことと決める。

 スバルはルールを学び、時に笑い、時に盤を丸ごとひっくり返し。ゆんゆんもまた、時にハンデを覆して勝ち、時に王を盤外に避難させる。

 そんな二人の時間は、夜遅くまで続いたのだった。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 宿へ向かう帰り道。

「今日はめぐみんのせいでダメでしたけど、討伐が始まる前に少しでも、ナツキさんの養殖頑張りましょうね」

「なんやかんやで全然戦えてないからな、俺」

 初心者殺しを倒した経験は、『死に戻り』のおかげで清算されている以上、スバルのレベルはまるで上がっていない。

 水際作戦に挑む後方支援部隊は、森に突入する本隊よりは楽だと思われるが、今のスバルではその戦いでも命の危険は小さくないだろう。

「大丈夫です。ナツキさんは死にません、私が守るので!」

「攻撃と守りで役割分担してるならともかく、一方的に頼るだけなら俺カッコ悪いだけだよ!?」

「今のままレベルが低くても、こうしてずっと話し相手になってくれるだけで、私はとても嬉しいですから」

「本気で感謝してるのかもしれないけど、色々心に刺さるよ! 段々と遠慮がなくなってきたな!」

 互いに笑顔を交わしながら進む道中。

 

「――――そこの男。あなた、ずいぶんと苦しい過去を背負っていますね」

 

 どこかで聞いたことのあるような、美しい声が響いた。

 スバルが声の方を見ると、そこには一人の女性らしき姿が見える。

 椅子にかけた腰のラインは美しく、前にある机には水晶玉のような透明の球体。

 透明の球体を両手で包み込み、頭と顔をベールのようなもので隠している。

 鼻から下も髪の毛も、外界との接触を拒絶し、わずかに露出した肌と水色の瞳を見せるのみ。だが、そのわずかな部分だけでも、彼女の美貌を予感させるには十分だった。

 ひょっとしたら、日本の典型的占い師をイメージしているのかもしれないが、ベールっぽい衣を適当に巻いているだけなので、それっぽくなっていない。むしろ顔の部分だけなら忍者っぽい。

 そんなちょっとした滑稽さも、彼女の持つ不思議な存在感を損なうことはなかった。

 彼女はただスバルの方向をじっと見つめると、

「私にはわかります。あなたは幾度となく死地を歩き続けてきた。辛い選択肢を強いられ続けてきた。そのたびにあなたは安全な幸福から背を向け、困難な道を選んできましたね。逃亡の先に小さな幸せが待っていても、あなたはそれを選べない人なのです」

 その言葉に。

 気がつけば、スバルの歩みは自然と止まっていた。占い師の言葉は不思議と相手の心を見通し、浸透させるかのような力がある。

 死地。前の世界でスバルの歩んできた道は、まさにそれだ。その先にある未来を掴みたくて、地獄を何度も何度も乗り越えてきた。

「そんなあなたが初めて安全な道を選んだ。それがたとえ、先にさらなる困難が待ち受ける道であろうとも、あなたは選んだ――――私のくもりなきまなこには、それが見通せます」

 スバルの足は動かない。スバルの心は、占い師の言葉に魅入られつつある。

 ゆんゆんが手を引き、歩みを促すのにすら気づかないほどに。

「あなたは今回、初めて正しい選択をしました」

 正しい選択。

 正しかったのだろうか。

 今のスバルは――――。

「大切なのは遠い未来ではなく、目先の幸せですから」

 ……………………ん?

「人が悩む時、どちらの道を歩んでも、必ず後悔が待っています。なら、今が楽ちんな方を選んだほうが精神的にいいものなのです。これからもそうやって、嫌なことから逃げ続ける人生を――――」

「それ完全にダメなやつじゃん!」

 いつの間にか展開されていたダメ人間養成アドバイスに、思わず大声でツッコんでしまう。

 しかし占い師は悪びれることもなく、右の手のひらを上に向けてスバルの方へと差し出した。

「支払って。私も頑張って占ってあげるから、代金三千エリス支払って!」

「発言のおかしさに定評のある俺だけど、そんな俺から見ても変だよアンタ! さっきのダメアドバイス聞いて、払うやついないだろ!?」

 思わず溢れたスバルの本音に占い師は怒り心頭。彼女はわずかにのぞかせたその目を吊り上げて、スバルの服に掴みかかり抗議する。

「何よ! 水の女神アクア様の言葉に、何か文句でもあるっていうの!?」

「アク――!? な、ナツキさん、この人アクシズ教徒です! さっきのもアクシズ教徒の教えなんだと思います、関わったら何をされるかわかりませんよ!」

「あの女神サマの信者は皆こうなの!? 本当に約束守ってくれるんだろうなあの女!」

「ひょっとしてアクシズ教のことバカにしてる!? 謝って! うちの子たちのことバカにしたこと謝って!」

「おい、なにやってんだこの馬鹿!」

 揉め始めた最中、横合いに声がかけられた。声の方角を見ると、そこに見えるのは茶髪の少年だ。

 ところどころ薄汚れた、緑色のジャージを身にまとっており、その表情は驚きと怒りが見て取れる。

 というか、見覚えがある。確か、スバルがバイトしていた酒場で最終日に入った少年だ。日本と関わりがあるのかと気になっていたのに、クビになって話せなかった記憶がある。

 少年はつかみかかる占い師とスバルの間に割って入ると、占い師に向けて怒り顔を作った。

「『私にいい考えがあるわ。神秘的な私が占い師をやれば大行列よ、間違いないわ』とかいうから任せてみれば! 帰ってきたら客と喧嘩してるってバカかこのなんちゃってが!」

「誰がなんちゃってよ! 私は悪くないのよ! 足を止めて話に聞き入ってた時点で、私の超凄い占いを受けるつもりだったのは明らかじゃない! なのに占いの代金要求しただけでバカにされたんだから、むしろ私は被害者よ!」

 堂々と無罪を主張する彼女に、少年は目を合わせて、

「ほう。で、凄腕占い師様。その商売態度で、今日一日いくら金稼いできたんだよ」

「……………………」

 問う声に、少女は明後日の方向を向いた。額には汗が浮き、かすれた笑いが唇から漏れている。

「おい、目をそらすな」

「…………あ、あの人達が最初のお客様です」

 ようやくその言葉を絞り出し、空っぽの財布を開けてみせた。

 その水色の瞳に宿るのは少年への恐怖か、それとも後ろめたさか。

「よし今すぐ脱げ。もしくはその頭のやつ取れ。その羽衣でも売ればちったぁ金になるだろ。ちょっと高級っぽいしな」

 少年は冷徹な言葉とともに手を差し出した。その眼光は、まるで獲物を狙う魔獣のように、情けも容赦も見られない。

 初対面のスバルですら、やると言ったらやるのだと確信できる声だった。

「い、いやよ! この羽衣は私のアイデンティティみたいなものなんだから!」

「このままじゃいつか飢えて死ぬって言ってんだよ! 都合良く誰かに奢ってもらえるとか、そう何度もあると思ってんの? パンの耳にだって限りがあるんだから、文句があったら少しは金稼げ!」

 少年は占い師の頭の布を引っ張ろうとするが、彼女は懸命に抵抗。決して離すまいという強い意志がそこに存在していた。

「あんたこそ今日の稼ぎはどうしたのよー!」

「おまっ、この占い道具揃えたの誰だと思ってんだ! お前が絶対稼げるって言うから、今日寝て過ごすの覚悟で徹夜で集めてきたんだろうが!」

 そのまま喧嘩を始める二人。占い師は少年の頬を、少年は占い師の露出した耳を引っ張って、お互いに譲る様子を見せない。

 スバルは無言で財布を取り出すと、ゆんゆんもそれに続いた。

「あー、占い一回、頼んだ」

「わ、私も……」

 並んだ計六千エリスを前にすると、少年と占い師は即座に手を離す。そのまま二度三度目をこすり、目の前で起きたことが現実かどうか確認。

 そして、スバルたちの前に正座して並ぶと、深々と頭を下げた。

 

「「ありがとうございます」」

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 ちなみに、占いの結果は。

 

「あなたはアクシズ教徒が向いてそうな気がするわね。相手がハーフエルフだろうとロリだろうとハーレムだろうと、悪魔っ娘とアンデッド以外で犯罪でないならどんな愛で方をしても許されるわ。それから、これから何か苦しいことがあっても大抵は自分のせいじゃないんだから、自分を責めず他人に――あいたぁっ! 何するの、痛いじゃない! もっと私を敬って優しくしてよ!」

「せっかくのお客さんにおかしな宗教勧誘してないで、真面目にやれ!」

「勧誘じゃなくって大真面目なアドバイスよ! 私のくもりなきまなこには、この人は恋愛沙汰が人外とか二股とかになりそうだから、変に常識に縛られない方が幸せになれると思っただけ!」

 スバルはダメ人間養成アドバイスを受けながら、微妙に真実を言い当てられたり。

 

「友達が大勢欲しい? うーん……多分無理ね。今の数少ない友達を大事にしなさい。喧嘩したら、相手のことをしっかり見て、相手の気持ちを考えて接するの。あなたは友達がほぼできない宿命的ぼっちだから、せめて今いる友達を――」

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああんっ!」

 ゆんゆんが絶望的な宣告をされて、泣きながら走り去ったりもした。

 彼女を追ったスバルは、結局ジャージの少年とまともな会話ができなかったが、それはまあ余談である。

 


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