友達料と逃亡生活   作:マイナルー

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6 『視界の歪み』

 ――――――――夢を見た。

 

 スバル。

 ねえ、スバル。

 私ね、スバルがいなくなって、すごーく寂しかったの。

 ううん、スバルは悪くないの。悪いのは私。ずっと『試練』に失敗ばかりしてるんだもの。自分のへっぽこさが嫌になっちゃう。

 スバル、また無茶しようとしてるんでしょ? 

 そのくらいわかってる。詳しいことは全然だけど、スバルがそういう人だってことは理解してるつもりだから。

 ただ、それが私のためだったりしたら嬉しいな。えへへ。

 スバル。本当は、私のために何かするより、私のそばにいてほしい。

 ううん、わかってるの。

 私がダメだから、スバルにすごーく迷惑かけてるから、スバルが頑張らなきゃいけなくなってるんだって。

 スバルはいつも私のことを思って、私のことを考えてくれてるのに。

 それをやめて、ずっとそばにいてほしいだなんて、わがままだよね。ごめんね。

 でも、それでも止められないの。

 スバルがいてくれたら、どんなに嬉しいかなって。そう思っちゃう。

 もしスバルがここにいてくれたら。そんな想像をするだけで、なんて言ったらいいのかな。胸がふわーって、どんどんあったかくなるの。

 スバルが私に言ってくれた『好き』って、こういうことなのかな。

 だとしたら私、スバルにすごーく酷いことしてたよね。

 こんなに一緒にいたいのに。

 私ったら、スバルを置いてけぼりにしたり。

 私がダメなせいで、スバルが遠くに行かなきゃならなくなるんだもの。

 

 スバル。

 スバル。

 ねえ、スバル。

 

 いつ、戻ってくるの?

 

 

 

 

 ――――――――目が醒めた。

 

 全身に気味の悪い感覚がまとわりついている。

 身体はまるで鉛を流し込まれたかのように、ただ重い。

 寝間着代わりに着たシャツは、べとついた汗で肌に張り付いていた。

「…………………気持ち悪い」

 つぶやきに若干の吐き気を感じ、手足の震えをこらえて立ち上がる。

 宿に備え付けの水を一杯飲み干して、意識の切り替えを試みるが、一向に気分の悪さは消えてくれない。

 窓を覗くと、東の空が白み始めているのが見えた。

 ゆんゆんとの待ち合わせには、まだまだ時間がある。

 さらに今日は、悪魔討伐の決行日だ。どんな危険があるかわからない以上、もう一度眠り直して肉体を休めておかなければならないだろう。

 理屈ではそうわかっていても、身体を横たえることはどうしてもできなかった。

 

『――――いつ、戻ってくるの?』

 

 肉体は就寝前よりも疲れ切っているというのに、精神が再度の睡眠を拒絶する。

 

『――――スバル』

 

 夢の続きを見てしまうのが怖い。

 彼女の姿を見るのが怖い。

 

『――――えへへ。うん、うん。好き。スバル……大好き』

 

 壊れた彼女を思い出すのが怖い。

 馬小屋から個室に寝床を変えた、初めての朝。

 ナツキ・スバルは、いつかの最愛の人(エミリア)を幻視した。

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 スバルとゆんゆんが報告を行い、冒険者たちの森への出入りが禁じられてから一週間。

 元凶である森の悪魔を消し去るべく、討伐隊の結成が正式に告知され、冒険者達の召集が行われていた。

 本日はその決行日となる。

 早朝、スバルとゆんゆんがゲームをしているギルドに姿を表したのは、一人の女性だった。

 黒と紫を基調としたローブに豊満な肉体を包み込み、その胸にかかるほどの、ウェーブのかかった長い茶色の髪を持っている。

 髪と同じ色をした瞳は柔和な雰囲気を持ち、病人のように真っ白な肌と合わせて、どことなく弱々しい印象を受ける。

 おそらくは二十歳程度の美女と言って差し支えない姿だが、どことなく幸薄そうに見えてしまうのはスバルの気のせいだろうか。

 

「すみません、ウィズ魔道具店です。本日は討伐隊を結成なさるということで、冒険者の方々に差し入れに……」

 その言葉とともに、女性の抱えた大きな箱がギルドの中に運び込まれる。

「ありったけのポーションをかき集めてきました。少しでもお役に立てればと思いまして……」

「これはこれはご丁寧に、ありがとうございます、店主さん。こちらの」

 ゆっくりと、中身を傷つけないように置かれた箱。職員が蓋を開けたその中には目一杯の瓶が詰め込まれており、相当な重量があったことを窺わせる。女性は一見すると温和で物腰の柔らかいタイプに感じられるが、その外見とは裏腹に、それなりに腕力はあるらしい。

 スバルの目の前のゆんゆんも同じことを思ったのか、駒を握った手を一旦止める。

「ナツキさん。あの女性(ヒト)、顔色悪いのにあんな重そうなもの持って大丈夫なんでしょうか?」

「仕事で重い物を運ぶ関係上、商人系は結構腕力あるらしいぜ。前に行商人やってた友達がそう言ってた」

「友達……ですか……」

 帽子をかぶった、灰色の髪の彼を思い返す。

 悪意の霧に包まれていた世界で、スバルの瞳の靄を取り払ってくれた。商売人である前に善人であってしまう男だ。

 彼が一行商人に戻れるかは、主に王選関係で自陣営に引きずり込もうとしたスバルのせいで、怪しい状態となっていたが。

 スバルはそんな彼を――――。

「すみません、お取り込み中申し訳ありませんが、ちょっとよろしいでしょうか」

「は、ひゃいっ! その、えっと、なんでしょうかっ!」

 ゆんゆんの慌てた声。思考に埋没していた意識が現実へと引き戻される。ゆんゆんの視線を追うと、先程の差し入れの女性が一枚の紙を差し出していた。

「はじめまして……。私、このアクセルで魔道具店を営んでおります、ウィズと申します。ウィズ魔道具店をよろしくお願いします、また赤字になりそうなんです……」

 そうして渡された紙を見ると、店の名前と場所、軽い紹介などが書かれていた。

 自腹を切って差し入れをしたついでに、自分の店の宣伝もしようということだろう。ポーション類の入った箱を遠目から見ても、かなりの量だ。あれだけの善意に対しての見返りとしては、この程度の宣伝は安いものだと思う。

「っていうか、赤字になりそうな状況であそこまで差し入れして大丈夫なのか? 差し入れしてもらう立場の俺が言うのも何だけどさ」

 スバルの口から出た率直な感想。それに対してウィズは口元を小さく笑みの形に変え、そのまま眼差しに儚げな影を宿した。

「大丈夫です。……しばらくパンの耳と砂糖水で生活すればなんとか」

「全然大丈夫じゃなかった! 寂しげな目つきでそういうこと言われると、あの差し入れ使いづらいよ!」

「いえ、せっかく用意したので是非使ってください。将来、立派な冒険者になった頃に買いに来ていただくための先行投資だと思っていただければ」

 ペコリと頭を下げて、ウィズはスバルたちから離れていった。

 立派な冒険者。

 この街は駆け出しが集まるところで、成長した冒険者たちは別の町に行くと聞くが、彼女の店に恩返しに来た人たちは多いのだろうか。

 答えは彼女の店が赤字という事実が物語っている気もする。

「そもそも宣伝目的なら、もっと人が集まってからのほうが効果的ですよね」

「こんな早朝から集まってるような物好きなんて、俺達以外はギルド職員とかしかいないからな……」

 後は酒場の人程度だが、彼らはそもそも魔道具店の客にはならないだろう。

「そういえば、ナツキさんは眠れなかったんですか? 凄く来るのが早かったみたいですけど。もしそうならごめんなさい」

「…………いや、寝床が快適すぎて、短時間で頭がすっきりしただけだよ。あと、俺が早いと思うなら、自分ももっと遅く来ることな」

 寝床を馬小屋から宿屋の一室に変えたのはゆんゆんの提案だ。討伐当日に備えて、昨日くらいはゆっくり眠ってほしいと思ったのだろう。その気遣いは冒頭の夢につながり、スバルの早朝覚醒という結果を招いたが、それを彼女に告げる気もない。

 結局寝直すこともできず、早々に宿を発つことにしたスバル。早朝から訪れたギルドにて、ゆんゆんは当たり前のように待っていた。

 冒険者は早寝早起きが基本とはいえ、いくらなんでも早すぎる。

「だってナツキさんとすれ違ったり、待たせたりしたら申し訳ないじゃないですか」

「初デートに来たヤンデレヒロインか」

 言葉とともに軽く頭に手刀を入れる。それを受けたゆんゆんは、その感触すら嬉しいのか、えへへと笑った。

 

 こういったやり取り自体、あまりしたことがないのかもしれない。

 友人を作りたいなら、今回の戦いが終わった後は、異様な気遣い癖も少しずつ直したほうが良さそうだった。

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 「来たぞ! 全員構えろ!」

 討伐隊の本隊が出立し、しばらく経過した頃。森から平原にモンスターの群れが姿を現した。

 その集団にはジャイアントトードや一撃ウサギといった、スバルの見たことのあるものも少なくない。

 平原にいた後方部隊は次々と剣を、槍を、杖を構え、モンスターたちに襲いかかる。

「『ブレード・オブ・ウインド』!」

 先陣を切ったのはゆんゆんだ。

 その言葉とともに手刀を振るい、生まれた風の刃は、突出してきた影に直撃。トカゲのようなモンスターは四肢の二本を切断され、まるで身動きが取れなくなる。

 スバルがそのトカゲにショートソードを突き刺した頃には、すでにゆんゆんは別の魔法を詠唱し終えている。

「『ファイアーボール』!」

 その言葉とともに杖から放った劫火は、二体のカエルを焼き尽くし、その息の根を止めた。

 周囲を見据え、森から飛び出してくるモンスターに警戒し、危険な状況を見れば、

「うわっ、スライムだ! 誰か魔法使――」

「『ライトニング』っ!」

 杖の持っていない方の手から雷撃を放ち、他の冒険者のフォローもしている。

 まさに獅子奮迅の働き。

 討伐隊の中で優秀な冒険者は、大抵本隊に加わっているかということもあり、後方部隊は全体的に戦闘力が低い。決してレベルが高いとは言えない冒険者が集まる中、寂しがり屋のアークウィザードの活躍は群を抜いていた。

 たまにいる見た目の怖いモンスターや、スライムの動きのキモさに涙目になったりはしているが、それはご愛嬌。

 スバルはゆんゆんの攻撃で瀕死のモンスターにとどめを刺すくらいしか役に立てていない。

 ちなみに彼女がとどめを刺していないのは、スバルの養殖狙いではなく、魔力節約と、半死半生の敵は任せて他を倒そうという防衛上の効率の問題である。

 大トカゲの肉を焼き、カエルの頭部を切断し、ウサギの群れを氷の彫像に変え、次々とモンスターたちを葬っていく。

 元より想定していた数よりも、かなり少ない敵だったこともあり――やがてゆんゆんを中心とした冒険者達の活躍により、森からやってくるモンスターの波は収まった。

 もちろん、この鎮静はあくまで一時的なものであろう。その間にポーションを使い、冒険者達は傷を癒やしていく。

 現在の戦況は極めて順調。冒険者達に未だ死者は一人も出ておらず、今後に関わるような重傷を負ったものもいない。

 多大な戦果を挙げてこの状況に貢献したゆんゆんは、他の冒険者達に囲まれていた。

「いや、すごいなあんた! その瞳、紅魔族っていう凄腕魔法使いの一族だろ? さすがだなあ」

「あなたのこと、この前ギルドの酒場で見かけた時から気になってたのよね。男の子とご飯食べてる姿が、凄く楽しそうだったから。ねえ、よかったら今度一緒にクエストしない?」

「おいおいそこの姐さん、抜け駆けはしないでくれよ。こんな優秀な魔法使い、どのパーティもほっとかないぜ! どうだい、うちに来るってのは」

「あ、あわ、私は、あのっ!」

 冒険者達に絶賛されると、ゆんゆんは挙動不審なほど視線を右往左往させ、顔を真っ赤にした。

 そのまま地面の方を向き、両手で杖を握りしめると。

「…………ごめんなさい、私はもうパーティを組んでいるので、その話は受けられません」

 そのまま、深々と頭を下げた。

「でも、私なんかを誘ってくれて本当にありがとうございます」

 そう付け加える。社交辞令にも聞こえかねない台詞だが、その言葉には心からの感謝と謝罪が含まれていた。

 誘いを断られた冒険者達は、笑って手を振り、気にするなという意思を示した。

「いやいや、仕方ないって! 一緒にご飯食べてる男の子でしょ? ま、あなたみたいな凄い子を誰もほっとかないわよね」

「おう、しょうがないしょうがない。残念だけど頑張れよ!」

 口々にそう言いながら、激励するようにゆんゆんの背中を張り、彼らは別れを告げた。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

「よ、お疲れ」

 心苦しくも冒険者達の誘いを断ったゆんゆんの前に、ねぎらいの言葉がかけられる。見ると、目の前には真新しい飲料水が差し出されていた。討伐隊用の支給物だろう。

「ナツキさん、ありがとうございます」

 ありがたく受け取り、そのままひとくち。爽やかな水の感触が、重なる呪文詠唱で酷使した喉を癒していく。

「こっちこそサンキューな。俺のこと考えて、さっきの話断ってくれたんだろ?」

「いえ、仲間を裏切らないなんて、当然のことですから」

 仲間。

 そう、仲間なのである。

 再度その言葉の響きを噛み締めて、ゆんゆんは幸福にひたる。

 他の冒険者達に誘われた先程は心から嬉しかった。誘いに乗りたいという気持ちがあったのも事実だ。だが、自分は今の仲間を捨てるような人間ではありたくない。

 賢い道とは言えないかもしれない。でも、これで良かったのだ。

「まあパーティ乗り換えないのはありがたいけど、それはともかくちょっと一緒にクエストするくらいは受けても良かったんじゃね? それをきっかけに友達になれるかもしれないしさ」

 ピシリ。

 スバルの言葉を聞いて、ゆんゆんの身体が石のように固まる。

「…………そこまで考えてなかったのか」

 こくこく。

 言葉ひとつ出てこない。なんとか首を縦に振ることで、スバルの言葉を肯定した。

 彼女にとってあの問は、スバルと共に続けるか、スバルを捨てて他の仲間を作るかにしか見えなかったのである。

 ゆんゆんはスバル――駆け出し最弱職の実力がどう評価されるか正しく理解している。スバルはせいぜい荷物持ち程度にしか扱われないことはわかっていた。

 そのうちレベル差が開き、荷物持ちすらこなせなくなり切り捨てられるのは目に見えている。そんなことになるくらいなら、スバルを捨てるくらいなら、二人だけの方がずっとマシだと考えたのだ。

 本格的にパーティを組まずとも一緒にクエストはできるし、それを通じて仲良くもなれる。完全に盲点だった。

 今から追いかけて、その話をするか。いや、自分にはそこまでの勇気はない。断っておいて今更、という表情をされたらと思うと、身体が動きそうになかった。

 悲しみと後悔で膝を抱えそうになるゆんゆん。瞳はどんよりと曇り始め、ただでさえ漂っていた申し訳無さが倍増する。

 そんな彼女を見て、スバルは気をそらすように話しだした。

「そういえば、あのめぐみんって娘は? 一度撃ったら倒れるんだし、後方でモンスターの群れに爆裂魔法当て逃げするかと思ってたんだけど」

「めぐみんは、本隊の方に行っちゃいました。あれだけの冒険者が集まってるんなら、後ろについていくだけでお金がもらえるおいしい仕事だって」

 本隊は膨大な数の冒険者達が集まっており、少なく見積もっても軽く五十は越えている。悪魔の討伐報酬に加え、自分たちの狩り場を取り戻すという切実な事情もあり、その士気も高い。

 だが、それでも勝てるという保証はないのだ。

 スバルの目撃情報を合わせ考えると、森の悪魔は一撃ウサギや初心者殺しを連携させたという。これは並大抵のものではない。

 ゆんゆんがこの街に来る前に戦った上位悪魔アーネスもモンスターを利用してはいたが、あれはあくまでモンスターを追い立てる程度だった。連携させるほど自由に操れるとなると、次元が違う。

 悪魔は知能と位が比例するというのが定説だ。森の悪魔はアーネスよりもはるかに強く狡猾だと思った方がいいだろう。

「あの娘、仲いいんだろ? 一緒にいなくても大丈夫なのか?」

「……めぐみんなら大丈夫ですよ。魔剣の勇者パーティとかの、高レベルの冒険者達もいるらしいですし」

 本音を言えば、ゆんゆんも本隊についていきたいという気持ちはないわけではなかった。

 もちろん森にいる悪魔は怖い。怖いが、めぐみんが死ぬのはもっと怖い。

 めぐみんが本隊に志願すると聞いた時には、自分もそちらに行くと言いかけたくらいだ。

 だが、今のゆんゆんは一人ではない。自分の行動にはスバルの命も関わってくるし。

(ナツキさんも、きっとまだあの怖さは抜けてないだろうし……)

 初心者殺しや悪魔をいち早く発見し、ウサギに追い回され、逃げ切った後は嘔吐していた彼の姿が自然と頭に浮かぶ。

 彼にきちんとした目的がなければ、冒険者稼業を引退していてもおかしくない経験だっただろう。

 自分から安全な後方を提案した手前、「やっぱり危険の大きい本隊へ行きませんか」とも言いづらく、今に至る。

「めぐみんは里の学校ではいつも誰にも負けない首席でしたし、どんな極限状況でもなんやかんやで生き抜けそうなタフさも持っていますし。ネタ魔法一つで邪神の下僕や上位悪魔を屠ったことは忘れられません」

 スバルの考えを払拭するため。そして、自分の中にある恐ろしさを消し去るために、自分の知るめぐみんについて語る。

「ただ、ほんのちょっぴりだけ。ちょっとだけ喧嘩っ早くて同行してる人たちとトラブルにならないかというのと、悪魔と会う前に爆裂魔法を撃ってしまったりしないかが心配なだけで何も問題ないです」

「もの凄い心配してるな!? すまん足手まといで!」

 何故かスバルに真意が伝わってしまった。

 はるか前に出発した本隊を追うことはできないため、今更そんなことを知られても何も得はないのだが……。

「ナツキさんには嘘は通じませんね」

「『想いが通じてる……これが仲間の絆か』みたいな顔してるけど、多分関係ないよこれ」

 と、このような与太話を続けているわけにもいかない。いずれ第二波はあると思ったほうがいいのだから、装備の確認程度はしておくべきだろう。

 スバルはショートソードについた血を拭い、痛み具合を確認。それを横目に見つつ、自分も服についた砂埃を払い、ローブにおかしなほつれや動きにくさがないかを見る。

 そしてもう一度周囲を見渡し――――。

 空間のわずかな震え、さらには目の前の空間の歪曲を感じた。

 ゆんゆんは視線を一点に集中させる。この感覚はテレポート。転移の前兆だ。

 最悪、悪魔が転移してきたという可能性を想定し、油断なく集中。

 その一点に四人の人間たちが転移してきた。

 一人はテレポート役であろう、男の魔法使い、一人は槍を持った戦士風の少女、一人は革鎧を着た少女。

 そして残る一人は、鎧を大きく破損させ、腹に大きな傷を作った男。

 先頭グループで悪魔と戦っているはずの、魔剣の勇者であった。

 すでに全てのポーションを使い切ったのか。二人の少女が布らしきもので強引に止血しているものの、その布が真っ赤に染まってしまっている。

 まるで内臓がこぼれてしまいそうな、深い裂傷。蒼い鎧のところどころが鮮血の赤に染まり、彼の命が危機に瀕していることを示していた。

「キョウヤ、キョウヤ! しっかりして!」

「バカ、変に揺するな! 誰か! キョウヤの傷の治療ができる人!」

 ゆんゆんは慌ててありったけのポーションを持っていき、スバルはプリーストを呼びに行く。

 魔剣の勇者の負傷。それは討伐隊本隊に相当な危機があったことを示していた。

 ゆんゆんの知る限り、彼は本隊の戦力の中心のはずだ。悪魔との戦いがどのような変遷を辿ったのかは不明だが、仮に彼があっさりやられたのだとすれば、本隊の戦況が芳しいとは思えない。先頭グループの全滅なら御の字、最悪の場合本隊全てが殺された可能性すら考えられる。

 やはりめぐみんを一人で行かせたのは失策だったのだろうか。まさかめぐみんは…………いや、そんなはずはない。

 だが自分がいれば、何かを変えられたのだろうか。

 頭の冷静な部分は自惚れだと叫ぶも、思考は悔いの感情が先行していく。

「プリーストを連れてきたぞ! なあ、一緒にいたならどうなってるかわかるだろ! 本隊に何があったんだ!?」

「魔剣の勇者が不意をつかれて負傷したんだ。彼は負傷しながらも反撃して、奴を撤退させてはくれたが、まだ悪魔はピンピンしてる。幸い、負傷者は彼だけだったし、モンスターともほとんど会わなかったから、パーティメンバーとともに連れ帰ってきたんだ」

 後悔の中に沈みそうになる思考を、耳に入ってきた会話で引き戻す。プリーストを連れてきたスバルと、テレポートしてきた魔法使いの声だ。

 どうやら、想像よりもはるかに軽度の被害で済んでいるらしい。

 魔剣の勇者の攻撃が相当な深手を与えたのか、それとも魔剣の勇者だけが負傷者というあたり、彼を倒すことこそが悪魔の狙いだったのだろうか。

 プリーストが手早く魔剣の勇者の治癒を進める中、ゆんゆんは頭脳を回転させ、現状の被害と状況から、今後の対応を検討していく。

「ナツキさん。魔剣の勇者の人がどの程度の攻撃をしたのかはわかりませんが、少なくとも悪魔はこちらを積極的に全滅させようって感じではなさそうです。森の中もあまりモンスターと出会っていないようですし、ここはしばらく待ちましょう」

「ああ……そうだな。皆にもゆんゆんからの提案だって伝えてくるよ」

 そして、時間だけがすぎていく。

 他の冒険者たちもあまり口を開くこともなく。

 魔剣の勇者の苦しみの声。彼を心配する少女たち。そして、彼女たちを落ち着かせる男たちの声だけが響き続け――。

 その時。

「――――――――っ!」

 瞬間。森の方から既知の感覚が、ゆんゆんの肌を走った。

 これは何度も体験した感触。目に見える膨大な魔力が空気を震わせ、こちらにすら影響を与えているのだ。

 プリーストに治癒される魔剣の勇者に背を向け、杖を構え直す。

 ここまでの影響が出るのなら、そう遠くはない。

「めぐみん……! そこで戦ってるの……!?」

 この現象を起こしている張本人。

 爆裂魔法の使い手に、届くことのない言葉を送った。

 

 

 ――――――――視界が歪む。

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 妙だ。

 めぐみんは数少ない戦闘経験から、その森の異様さに気づいていた。

 鬱蒼とした森。冒険者たちが踏み固めた道を、ただただ進む。

 あたりを警戒しながら、他の冒険者にからかわれたりしながらも、ただ進む。

 そう、進むだけ。戦いが起こらない。

 モンスターとまるで出会わないのである。

 平原に出現するモンスターが急激に減少した以上、モンスター達は森にいたものと考えられてきた。にも関わらず、相当な距離を歩いたにもかかわらず、その気配すら感じられない。

 もちろん、めぐみんの所属するグループが最後尾であるため、前の冒険者たちが片付けてしまったという可能性はあるが……それにしても、横あいから攻撃してくるモンスターがいても良さそうなものである。

「まさか、アーネスの時と同じ現象なのでしょうか……」

「なんだって?」

 つぶやきを聞きとがめ、男がめぐみんに声をかけてくる。鼻に引っかき傷を持った大剣の男、レックスだ。

「おいお子様魔道士、なにか心当たりでもあるのか?」

 イラッ。

 いちいち腹立たしいことを口にしてくる男だが、今余計な波風を立てるわけにはいかない。

 めぐみんは努めて冷静に、丁寧に説明することで怒りを忘れる。

「いえ、この街に来る前に悪魔を倒したのですがね。その時、ある程度の強さを持った悪魔は、格下のモンスターを追い立てることもあると話していまして」

 ちょむすけを追ってきたストーカー女悪魔は、めぐみんとゆんゆんに対して、巨大なミミズやゴブリンをけしかけるなど、ひどい嫌がらせをしてきたのだ。

「おい、悪魔を倒したとかマジかよ……。なら、とりあえずスライムでも出てきた時は頼んだぜ」

「……構いませんが、おすすめしませんよ。私の魔法を使えば、スライムがあちこちに飛び散ったり、仲間を巻き込んでしまうかもしれません」

 めぐみんの返答を聞き、強がりと受け取ったのか。レックスは呆れたように鼻を鳴らした。

 その時、先方から走ってきた冒険者から、悪いニュースが飛び込んできた。

「おい、ヤバいぞ! ありゃあダメだ、勝てる気しねえ! 突然悪魔が現れて、魔剣の勇者が不意打ちを食らって傷を負った! あの悪魔、上級魔法まで使いやがったんだ! ありゃあ魔王軍の幹部級だ! 撤退だっ!!」

 先行していた冒険者の一人が走ってきたと思うと、最後尾グループのめぐみん達に危機を伝える。

 その警告を聞いた後方のグループは、一転してパニックに陥る。

「魔王軍の幹部級だと!? いくらなんでも聞いてねえぞ!」

「おい、テレポートを使える魔法使いはいねえのか!?」

「こんな大勢運べるほどいるわけないだろ! 先頭グループの怪我人運ぶので精一杯だよ!」

 まるで森がひっくり返ったかのような大騒ぎ。その様子を見て、レックスは苛立たしげに悪態をつく。

「ちっ、情けねえ! 敵が強いなんてわかりきってたことじゃねえか。むしろ俺達が悪魔を倒しに行かないでどうする!」

 これはまずい。

 レックスはめぐみんに対して子供だの足手まといだの散々言ってくれた男だが、今は仲間だ。ましてや、レックスは魔剣の勇者に次ぐ討伐隊の中心人物でもある。ここでみすみす死なせるわけにもいかない。

 めぐみんはパニックに陥った冒険者たちの中、先走りそうになるレックスに相対した。

「落ち着いてください。元々、例の悪魔と遭遇したら取り囲むように散らばり、魔法を打ち込む予定だったでしょう? こんな状態ではとても無理です」

 周囲の冒険者たちは、戦意を失い逃げようとするもの、混乱してどうすればいいのかわからなくなっているものも少なくない。

 訓練された騎士団とは違うのだ。仮にこのまま戦っても、一糸乱れぬ連携はおろか、互いの動きを阻害してしまうのがオチだろう。

「うるせえ! 口だけ魔道士は引っ込んでろ!」

 なにおう!

 レックスの反射的に出たであろう罵声に、そうつかみかかりそうになるが、怒りの衝動をすんででこらえる。

「ちょっとやめなよレックス! その子の言うとおりだよ。不利な状況で襲われて、挙句犬死になんてごめんでしょ?」

 それを聞いていたレックスのパーティメンバー、鋭い目つきの女性もめぐみんに加勢してくれた。

「ソフィ…………ちっ、わかったよ!」

 なんのかんのいっても、レックスとて最近名の売れている冒険者だ。間違った判断に突き進むような脳筋ではない。頭を冷やせばその決断は早かった。

 混乱している冒険者たちを見回すと、よく通る声で宣言する。

「おいお前ら! 俺達が殿をやる! 無駄死にはごめんだ、全員でとっととずらかるぞ!」

 討伐隊の中心人物。その言葉に、集団が意志を統一し、陣形を組み直した。

 急ぎつつ、それでいて警戒を怠らない帰還。敵感知スキルがあれば、それは決して難しいことではない。

 そのまましばらく帰路を進んでいく。

 このグループに誰一人脱落者はなく、それどころかモンスターにも出会うことなく。

 そして森の出口が見えてきた頃。

「――――――――?」

 めぐみんは、不自然な感覚を覚え、ふと立ち止まった。

 集団がたどる退却の一路。最前列と最後列を、それぞれレックスのパーティの面々が守っている。

 彼らのパーティは全員が前衛だ。そうそう倒れはしないだろうし、彼女自身も心配はしていない。

 不自然なのは、道端に落ちていた光、割れた鏡に映った光景だ。

 先程からめぐみんたちはモンスターと出会っていない。

 まるで姿も見せていない。音一つ聞こえてはいない。

 聞こえるのは風の音くらいだ。

 風の音が聞こえているのに――――鏡の端に映る木々は、何故微動だにしないのだろう。

 肌に感じているはずの風は、何故木々に何の影響も与えていないのだろう。

 めぐみんは素早く振り向き、目の前の空間に意識を集中する。

 わずか――本当にわずかではあるが、何も見えないそこに魔力の動きを感じる。

 間違いなく、『何か』がいる。

「おい、どうした口だけ魔道士。お前の――――」

 レックスの言葉を無視して、そのまま詠唱を開始する。

「黒より黒く 闇より暗き漆黒に――――」

 一節一節ごとに、杖の先端に自分の魔力が集まっているのを感じる。同時に空気が振動し、心地の良い熱とともに白く眩い光が現出する。

 詠唱は続く。

 同時に周囲の冒険者たちはその異常な状況を察し、ある者は盾を構え、ある者は伏せ、ある者は呆然と事の成り行きを見守っていた。

「無行の歪みとなりて――――」

 その時。

 目の前の空間。

 いや、視界が歪み。

 

 ――――松葉色の鱗に身を包んだ、巨大なドラゴンが出現していた。

 


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