友達料と逃亡生活   作:マイナルー

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――――――――3周目


8 『疑念』

 かつての時間へ舞い戻る。そこに意識が宿った瞬間、肉体は前後のバランスを失い、大きく後ろに尻餅をついた。

「ナツキさん!? 大丈夫ですか?」

 幸い、腕の中のちょむすけは、とっさに両手で抱え込んだため、怪我をさせるようなことはない。

 尻と地面が盛大に衝突したため、臀部にはそれなりの痛みがあるが、そんなことはどうでもよかった。

「ど、どうしました? 大丈夫ですか、ナツキさん」

 ゆんゆんの心配の情を帯びた声も、耳に届かない。

 スバルの意識は一点、目の前にある竜の彫像にあった。

 森で突然現れたドラゴンと、以前は森になかったという竜の彫像。

「どう考えても、何もないなんてことはねぇよな……」

 関わりがないはずがない。こんなわかりやすい符号の一致を偶然で流すような神経を、スバルは持ち合わせていないし、仮にそんな神経の持ち主でも、ここは念のために調べておく場面だろう。

 スバルは警戒しながら、竜の彫像の周囲を回り込む。ただ見ている分には特別おかしなところは見られない。見られないが――――見れば見るほど、『前回』最後に見たあのドラゴンとあまりにも似通っていることが確認できる。サイズとしてはあの時のドラゴンと比べ、幾分小さいように見えるが、だからといって油断はできない。

 いっそここはひとつ、ゆんゆんに頼んでこの彫像をぶち壊してしまうのはどうだろうか――――。

 と、そこまで考えたところで、自分の間抜けさに血の気が引いた。

 『今』が『ここ』というのが、どれだけ危険な状況にあるかを思い出して。

 慌てて元の場所の方へと目を向ける。

「ゆんゆん、ちょっと――――」

「ナツキさん、これ見てください。ウサギですよ、ウサギ! もの凄く可愛いです!」

 像の向こう側では、角を生やしたウサギを見て目を輝かせるゆんゆんの姿があった。

 まずい。

 いくら精神を混濁させた死の直後で、さらにその原因、解決の糸口が目の前にあったとはいえ。

 目の前のことに意識をとられて、この憎き毛玉の出現時間を失念しているとは。

 スバルは自分の愚かさを呪い、全力でゆんゆんのもとに駆け戻ろうとする。

 だが、その時間はウサギが無防備な少女を騙し撃つのには十分だ。

 瞬間。白い毛玉の紅い瞳がギラリと光った、そんな気がした。

 詳しい説明をしている暇はない。初心者殺しの存在を先に告げ、冷静に納得させた前周とは違うのだ。理解と納得までにわずかな空白が発生する。その一手二手の遅れは、この場合致命的な隙になりかねない。

 故に、口にするのは端的な一言。

「伏せろ――――!」

 ゆんゆんは。つい先程まで彼女の頭があった空間を白い影が猛烈な勢いで通り過ぎ、そのまま影は竜の彫像に直撃した。

 一角ウサギの名に相応しい鋭い角が彫像に刺さり、角一本でその体重を支えている。大した強度である。

「こんな可愛い顔で愛らしいふりをしておいて不意打ち!? なんて悪辣なモンスターなの!」

 いつか見たような怯えと怒りが入り交じった顔でゆんゆんは叫び、遅れて辿り着いたスバルはそれを諌める。

「言ってる場合じゃねえよ! こういうのは絶対一匹じゃない、早く逃……げ……?」

 叫ぶゆんゆんに対して向けたスバルの言葉は途中で停止し、中空に消えた。

 次々新手が出てくると思っていたウサギ達は、草むらに影こそ見えるものの、警戒しているのかこちらに向かって来る様子はない。

 いや、警戒というよりも、それは。まるで、怯えているかのようで。

 スバルがウサギの群れから注意を逸らさないまま視線を追うと、先程のウサギが変わらず彫像に刺さっていた。

 ――――否、刺さっていると思っていた。

 よくその姿を観察すると、角が刺さっているように見える像の部分は、わずかに蠢動している。その角は刺さっているのではなく、まるで優しく受け止められているかのよう。

 角が徐々に短く――いや、角が徐々に彫像へと吸い込まれているように見えるのは、錯覚ではない。

 角が完全に像の中に埋まって彫像とウサギが接した瞬間、その肉体は溶けるように崩れ始めた。

「ぎゅっ……………………!」

 先程まできゅうきゅうと鳴いていたウサギは、もがくように脚をバタバタさせる。だが、肉体そのものが崩れているのに、そんな悪あがきでどうにかできるわけもなく。

 その声が小さな断末魔へと変わるのに、時間はかからなかった。

 一度は自分たちを殺した相手だ。スバルとしても別に同情などをする気はないが、突然の異様な事態に息を呑んでしまった時――。

「『ライトニング』っ!」

 雷撃とともに響いたのは、一度もウサギの群れから目をそらさなかったゆんゆんの声。

 仲間の死か彫像にか、本能的な恐怖を抱いていたらしいウサギの群れは、その一条の雷撃に一部を焼かれる。残った個体も大きく戦意を削がれたように後ずさった。

「ナツキさん! よくわかりませんが、今のうちに逃げましょう!」

「あ、ああ。でも街の方にな、森の奥はまずい!」

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 ゆんゆんの奇襲が功を奏したのか。

 前回よりも若干追撃の緩やかなウサギの群れから逃げ、ついでに爆裂魔法の二次被害から身を守り、街に戻ってきたスバル達。

 彼女がお花摘みに行っている間に、スバルは前回のループ、さらに『死に戻り』について、色々と情報を整理する。

 足先を見ながら最初に考えることは、『死』から『戻って』きた場合戻される地点――セーブポイントについてだ。

 以前、『強欲の魔女』エキドナは茶会において、『死に戻り』のセーブポイントのことについてこう推測した。

 何か理由があって戻される場所ではなく。

 その地点を乗り越える理由を得たからこそ、セーブポイントが更新される。

 つまり、『死』を持ってしか乗り越えられない状況、運命を越えた時にこそ、セーブポイントが更新されるのだろう、と。

「もっとも、『死』を突破した直後にセーブされるとは限らねえんだがな……今回もそれか」

 まず、『死に戻り』直後のウサギの突破自体は見えている。以前生き残ったパターンを踏襲すればいい。

 今回はスバルのミスで危ういところだったが、ゆんゆんの油断と動揺、それにスバルのミスさえなければウサギの群れを突破できるというのは実証済みだ。

 だが、ウサギの突破はあくまで突破、敵の全滅ではない。生存には森を脱出することが不可欠となる。

 そうなると、エンシェントドラゴンと関わりのあるであろう、あの彫像と相対する時間があまりにも少ない。

「一度は突破したウサギどもが、こんな形で厄介な障害になるなんてな……とことんクソだ」

 そう言って、足元の小石を小さく蹴った。

 ウサギを突破した後にでも、セーブポイントを設置してくれたほうがまだマシだ。『嫉妬の魔女』が狙ってセッティングしたわけではないのだろうが、それでも目に見える手の届かない位置に餌が置いてある状況とは、意地が悪すぎる。

 確か記憶では、現時点ですでに平原のモンスターがほとんど見えなくなった後。多くの冒険者が狩りを終えているはずだ。

 今日のうちに応援を連れて、再度森に入り、竜の彫像の調査をするというのは厳しい。

 というより、他の冒険者たちとのコネのないスバルは、素直にギルドに報告して調査を依頼したほうがマシなのかもしれない。

 一旦そこでひと呼吸置き、次の思考に移る。

 とにかく、惨劇を繰り返さないために必要なものを整理しよう。

 まずエキドナのいう、今越えるべき運命――つまり、悲劇を引き起こす障害とはなんなのか。

 それはスバルを殺したあのドラゴンか、それともあの悪魔だろうか。いや、スバルの経験からいって、両方と考えておくべきだろう。

「と、すると、こっちで取れる対策はなんだ……?」

 悪魔を相手にするため集められた討伐隊は、残念ながら失敗していた。駆け出しの冒険者が集まるこの街において、あれ以上の戦力を用意するのは難しいだろう。

 もっとも、あの魔剣の勇者は不意打ちで負傷したということだったので、単なる戦力で負けているとは断言できないが……あのドラゴンまで相手にしなければならないとなると、話は別だ。

 この街にいる戦力でどうこうできないなら、他の街から応援を呼ぶというのが、もっとも有効な選択に思える。

 となると、この街の戦力のみで挑む危険性を訴えて、他の街から応援を呼んでもらう策を考えるべきか。

 だが、ここで問題となるのは、スバルにはドラゴンの出現を予言する根拠がないということだ。

 ドラゴンの彫像の話は聞いてもらえても、それですぐに「怪しい像がある、悪魔のこともあるし他の街から応援を」という話になるかはかなり怪しい。

 エンシェントドラゴンの襲来を予言するには、この街に来たばかりのスバルでは、信頼が足りなさすぎるだろう。

「ナツキさん、お待たせしました」

 スバルの思考が移り変わっていくうちに、控えめながら声が聞こえた。

 それに従い顔をあげると、手を綺麗に洗ったゆんゆんが、スバルのもとへと駆けてくる。

 そのまま、少し迷うように愛らしい瞳を泳がせ、上目遣いで提案してきた。

「えーと、ギルドにドラゴンの像の報告に行ったら、気分を直すためにもそのままご飯食べませんか? 一人は寂しいですし、その、一緒に」

「ん……オッケーオッケー。じゃ、行くとするか」

 スバルはその提案に頷き、共にギルドへの道を歩み始める。

「ナツキさん」

 並び歩く二人。

「ん?」

 指一本触れることなく。

「あんまりうつむかないでくださいね。前の私みたいになっちゃいますから」

 それでも同じ方向へと、ただただ歩いていった。

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

「ゆんゆん。エンシェントドラゴン……って知ってるか?」

 ギルドでの報告を終え、そのまま酒場での食事を終えたスバルは、同じく口元を拭いているゆんゆんにそう問いかける。

 スバルの頭にあったのは、魔剣使いの仲間である、少女の言葉だった。

『あれは――――伝説のエンシェントドラゴン……!?』

 間に衝撃的出来事こそあれ、スバルの主観時間では、そう古い記憶ではない。

 確かにそう言っていたはずだ。

 伝説の存在。

 具体的な定義はさておき、はるか昔から語り継がれてきたもの、という解釈で、この世界でも間違いないだろう。

 例えば元の世界では、英雄オリオンが思い上がって大口を叩いた結果、嫌がらせで派遣されたサソリに刺し殺されて、星になったなんて伝説がある。

 前の世界でも、数百年前に世界の半分を飲み込んだ『魔女』の名が、その恐怖と共に語り継がれていた。

 この世界において、エンシェントドラゴンが今も生きる伝説とされる存在ならば、その名と共に、きっと何かが語り継がれているはずだ。

 行動を推測できる何かがあるのなら、スバルがエンシェントドラゴンの出現を予言する根拠となるものも見つけられるかもしれない。

 かつて、剣鬼ヴィルヘルムが『白鯨』の出現法則を掴んだように。

「エンシェントドラゴン、ですか……」

 ゆんゆんは可愛らしく小首をかしげ、何故そんなことを問うのかわからない、と言いたげな顔をする。

「名前くらいは知ってますけど……あんまり。詳しく知りたいなら、本や記録を調べたほうがいいと思いますよ?」

「そりゃそっか。いや、ちょっと気になることがあって――――っ!」

 そう返答したところで、銀髪の少女が目の端に映り、スバルは言葉を止めた。

 スバルは今回、ギルドに悪魔や初心者殺しについての報告をしていない。『死に戻り』直後にゆんゆんに知らせて逃走に移った前回のループとは違うのだ。「初心者殺しや悪魔を目撃した」と主張すれば、さすがにゆんゆんからツッコミが入るだろう。

 元々悪魔の目撃情報はあり、狩りが平原に集中していたのだから、たとえ全面禁止にならなくても、迂闊に森に入る冒険者はそうそういないはずだ。

 しかしここに例外がいる。

 銀の髪を短く切り揃え、スレンダーな肢体を盗賊風の服で包んだ少女、クリスである。

 前回、森の出入りの全面禁止を聞いた上で、なんとか襲撃できないか考えていた、悪魔にひどく好戦的な彼女だ。

 全面禁止のない今回のループでは、彼女が悪魔のことを知れば、即座に準備を整えて襲撃を実行するだろう。

 そんな無茶をさせるわけにはいかない。彼女自身の身の危険もそうだが、下手に悪魔を刺激して、街を襲撃されたりすると洒落にならない。

 未だに、あの悪魔とドラゴンの関連性すらはっきりしていないのだから。

「悪い。ちょっとあの女の子に話しかけてこようと思う」

「? えっと……ナンパですか?」

 彼女にしてみれば唐突すぎるスバルの言葉。ゆんゆんもスバルの視線を追い、クリスを見つけてその言葉をこぼす。

 さすがに知能が高い紅魔族といえどその意図は理解できなかったらしく、ぽかんとした表情をするばかりだった。

 そして一拍遅れて、何かに気づいたように立ち上がり、

「ひょ、ひょっとして新しいパーティメンバーに加えたいんですか!? 確かに、盗賊はいると助かるって聞きますし、気配を消す潜伏スキルや、敵感知スキルなんかがあれば今日ももっと楽だったかもしれませんね。えとえと、でもあの、いきなり言われてもどうしたらいいかわからないっていうか……お茶菓子とか買ってきたほうがいいですかね!?」

「どうどう、とりあえず落ち着け」

 動揺するゆんゆんを手で制しつつ、スバルは自分の行動を思い返す。

 ちょむすけを追ってからの森での行動はともかく、いきなりエンシェントドラゴンについて調べようと言い出して、そのまま流れるように他の女に声をかけようとする。

 確かにつながりが一切見られない。

「悪い、今のは完全に俺が悪かったわ」

 とりあえずゆんゆんにも納得のいくように説明をする必要がある。そもそも、第三者の彼女を納得させられないようでは、本人を納得させるなど到底できるはずもないだろう。

 そこまで考えた上で、前回のループでのクリスの情報を思い返してから、話し始めた。

「えっと……あのクリスって子は、敬虔なエリス信者らしいんだよ。エリス信者って言ったら、悪魔を許さないっていうし」

 ふんふん、とスバルの言葉に頷くゆんゆんへ向けて、何とか話を組み立てる。

 ゆんゆんの膝の上に乗るちょむすけは、なんだかかったるそうな顔つきで身体を丸くしていた。

「それに、魔道具店で会った時に手にとってたのが、バインド用の高そうなワイヤーだった。俺もあの手の道具を知ってるわけじゃねえけど、この駆け出し冒険者の街で、わざわざあんなもの買うか? 買うとするなら、それは……」

「森の悪魔の討伐を狙ってるって言いたいんですか?」

 ゆんゆんはスバルの言葉の先を読み取り、的確に答えを出した。しかし、その表情はあまり良いものとは言えない。

「ナツキさん……それでその人を止めようというのは、ちょっと早計じゃないですか? この街でも、悪魔関係なく森の奥に行けば割りと強力なモンスターが出るみたいですから、対策に装備を整えていたのかもしれません」

 遠慮しがちにスバルの反応を窺いながらも、言葉は続く。

「それに、仮に挑むとしても、悪魔に挑むからにはよほど強力な仲間がいるとかかもしれませんし……その、大きなお世話って思われちゃうんじゃないかなって」

 当然というべきか、付け焼き刃の理論武装はあっさりと否定される。クリスを止めること自体、つい先程思い立っただけのものだ。スバル自身も、理由付けが稚拙なものだった感は否めない。

 かの『強欲の魔女』のような知識や口のうまさがあれば別かも知れないが、今のスバルにはそんなものはない。

 目の前の可愛らしい少女すら、説得できそうにないようだ。

「それでもあのクリスって子を悪魔のところにいかせるわけにもいかないんだよ。だって……」

「『だって』、なんなのかなぁ?」

 耳に入る、高い声。

 同時に肩にやわらかい五指が食い込む感触があった。

「うわあああっ!」

「ひゃあぁぁっ!」

 突然肩に置かれた手に、スバルはおろか向かいで見えていたはずのゆんゆんまで驚きの声を上げる。その声に驚いたのか、ちょむすけはゆんゆんの膝の上から逃げていった。

 盗賊の『潜伏』スキルでも使っていたのか。何の気配もなく出現した彼女は、その顔に小さな笑みを浮かべていた。

「いやー、あたしの噂話が聞こえたんでね。えっと……キミは名前、なんだったかな」

 そう言って、スバルが振り返る前に肩に腕を回して、ギュッと掴んだ。

「お、俺はナツキ・スバル、だ」

「わ、私はゆんゆんと申しますっ!」

 二人の名乗りを聞き、クリスは大仰に首を縦に振り、もう一度ニッコリと笑った。

「そっかそっか。あたしはクリス。さて、話があるなら聞くよ?」

 その言葉を聞き、スバルは一度ゆんゆんと目を合わせる。

 確かに、クリスの説得は必要だと考えていたスバルには願ったり叶ったりかもしれないが、今彼女を説得するだけの材料は薄い。

 ゆんゆんに言われたとおり、大きなお世話だと一蹴される可能性は十分考えられる。ここで話したところで無為に終わるのではないか。

「と、ひょっとしたら込み入った話かな? それならここで話するのはよくないよね。あたしいい場所知ってるから、そっちにしよう」

 迷いを抱いたスバルを他所に、クリスはどんどん話を進めてしまう。人の良さそうな笑顔を浮かべているが、グイグイとスバルをひっぱる姿勢はかなり強引だ。

「ちょ、待ってってそんないきなり……」

「いいからいいから、ほらこっちこっち」

 肩に手を回されている体勢といえば、親密な関係の人間同士がする体勢であるが、同時に相手の力が伝わりやすい体勢でもある。判断に困ったスバルの身体は、どんどんクリスによって連れて行かれてしまい。

「ま、待ってください。私も、私も行きますっ!」

 ゆんゆんもそれに続くように、慌てて席を立った。

 

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 

 たどり着いたのは、この街にあるエリス教の教会、その中の一室だった。

 同じエリス教徒同士親しいのか、クリスは教会に残っていたシスターになにやら声をかけ、席を外してもらっていた。

「もともと今日のこの時間は、近くの孤児院で炊き出しをする予定だったからね。今は人が少ないんだよ」

 そう言ってクリスは自分は立ったまま、スバルとゆんゆんに席を勧めた。

 二人は言われるままに腰を落ち着けて、スバルは一度深呼吸。

 二つの椅子が、椅子の背同士で接合されたような席だ。必然的に、スバルとゆんゆんは背中合わせのような姿勢になる。

 同じように席について挙動不審げにキョロキョロしているゆんゆんを振り返り見て、気を落ち着ける。

 そして、先程ゆんゆんにしたものと同じ、クリスが悪魔討伐を考えていると思った根拠をあげていく。

「――――というわけで、俺としてはクリスさんが先走って悪魔に挑むのを止めておきたい。戦うなら、それこそ戦力を集めて――他の街から応援を呼ぶくらいの方がいいんじゃないかと思ってるんだ」

「ふうん……なるほどねえ…………」

 クリスはスバルの話を聞いて、興味深げに何度か頷く。そして部屋の外周を回るかのようにぐるりと歩き、同じ場所に戻ってくる――途中でスバルの背中越しにいる、ゆんゆんの椅子に触れた。

「ねえ、キミも同じ意見なのかな?」

「え、えっと、私は…………」

 ゆんゆんは突然自分に話が振られたことに加え、実質的に初対面の相手との会話に戸惑っているようで、目を泳がせている。

 それでも、自分の方に目を向けたスバルのほうを見ると、何か決意めいた目つきをして唇を開き――――不意に、その口をテープのようなもので塞がれた。

「んんっ!?」

 発するつもりの声が口の中に逆流し、目を白黒させるゆんゆん。

「ゆんゆん!?」

 背中越しの異変。クリスの突然の豹変に、スバルは慌てて立ち上がりながら、身体全体を反転させ――。

「『バインド』ッ!」

 そのまま椅子の背に抱きつくような体勢で、椅子ごとロープで拘束される。完全に手足が動かず、まるで蓑虫になったかのような気分だ。

「もひとつ『バインド』ッ!」

 同様に、平静を取り戻す前にゆんゆんの身体も即座に拘束される。スキルによる拘束であるためか、そのロープには結び目もまるで見当たらない。

 彼女の口に貼ったテープは、魔法スキルの詠唱を防ぐためだろうか。

 あっさりとスバル達を拘束したクリスは、そのままスバルの身体をまさぐると、スバルの冒険者カードを取り出した。

「ふんふん。取得スキルはなし、と」

「おい、どういうつもりだ! いくら俺が空気読めない男だからって、さすがにこの仕打ちはないだろうよ!」

 あまりにも手際の良い拘束。ここに誘った時点でこちらに敵対するつもりだったのは間違いないだろう。

 だが、どのタイミングでそれを決めたのか。

 前回のループではクリスは自分たちに敵対的だったとは思えない。

 まさかエリス教では、悪魔襲撃を止めようとするものは全て敵、というルールでもあるのだろうか。

 スバルの怒りの声に対してクリスは鼻を鳴らし、そのままスバルと視線を合わせる。

「どういうつもりだ、はないでしょ? ねえ、素直に全部吐いちゃいなよ」

 その目は、憐れな動物を見るかのようなものでもあり。

 同時に、何よりも憎む仇敵を見るかのような目でもあった。

「そんなにプンプン臭いを漂わせて、ごまかせるとでも思った? 悪魔さん」

 

 

 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

 

 

 女神アクアは、スバルをこの世界に送り込む前に、こう言った。

『ちょ、近いって。っていうか臭っ! 何あんた悪魔かなにかなわけ!?』

 女神アクアは、スバルの心臓に魔女の手が触れた時、こう言った。

『ちょっとー。説明するとかいって、いきなり止まらないでよ。しかもなんか臭くなったんですけどー。エンガチョよエンガチョ!』

 そしてクリスは、前回のループでこう言った。

『いや…………ちょっぴり…………ねえ、最近おかしなのと会ったりした? 悪魔とか』

 まるで子犬を思わせるように、クンクンと嗅いだ上の言葉。

 これはつまり、この世界の悪魔の臭いと、『前の世界』の魔女の残り香は酷似しているということ。

 そして、クリスはレムのように、その臭いを嗅ぎ取る力を持った体質だということを示している。

「嘘だろ…………?」

 スバルは喉から声を絞り出す。そこに込められた感情は、己のあまりの運の無さを呪っていた。

 魔女の残り香。

 かつてレムがスバルを疑い、一度は殺害、一度は拷問にまで行動を発展させた原因。

 かつてガーフィールがスバルを疑い、幾度となく行動を妨害し、惨劇を起こすに至った瘴気。

 それは『死に戻り』や、スバルへの魔女の罰ごとにその濃度を強めていく――はずだ。

 はずというのは、スバル自身はその臭いを感じ取れず、あくまで伝聞からの推測にすぎないためである。

 とにかくまずい。

 スバルの経験上、魔女の残り香によって相手に生まれる疑いは、相当根強い。

 これが原因でスバルが悪魔の一味だと疑われたとすれば、当分の間拘束が続くおそれはある。

 このままスバルは拘束され続けるなら、ゆんゆんも失った街に悪魔とエンシェントドラゴンの脅威が襲いかかり、未来は変えられず惨劇が繰り返されるということになる。

 ――いや、まだ諦めるのは早い。

 ナツキ・スバルは諦めるわけにはいかない。

 このクリスという少女は、悪魔への憎しみこそあれど、決して話の分からない相手ではないと思う。

 前回のループでも、悪魔の襲撃を我慢して、討伐隊に参加する道を選んでくれたのだ。

 なんとか話の糸口を見つけることさえできれば。

「さてさて、とりあえずキリキリ吐いてもらおうかな。キミは何を企んであたしの邪魔をしようとしたのか――知能の高い悪魔にしては、こんなにあっさりと捕まるのは奇妙といえば奇妙なんだよね」

「何も、企んでなんてねえよ……!」

「モガモガ……」

 拘束のせいで椅子の背に胸を強引に圧迫され、息苦しい思いがする。

 さらに口まで封じられているゆんゆんはもっと大変だろう。スバルの位置からは彼女の顔は見えないが、スバルの巻き添えでこんな目に遭うのがあまりに申し訳ない。

「悪いけど、それは信じられないねえ。嘘は良くない」

「嘘じゃ、ねえんだよな……これが」

 圧迫感に息も絶え絶え、なんとか返答するも、クリスの反応は芳しいとは言えなかった。

「そんなに悪魔の臭いを漂わせた相手から、悪魔を襲うのをやめてくださいって言われて、信じられると思うの?」

 スバルの耳元に囁きかけるようにして、クリスは淡々とスバルの返答を切り捨てる。

 まるで聞く耳を持ってもらえそうにない。

 だが、すべてを洗いざらい話してわかってもらえるものか。

 苦し紛れの嘘だと断じられるのが関の山なのでは。

 ……………………。

 ―――――――――いや、違う。ここは話しておくべきだ。

 たとえ信じてもらえなくても、きっとそれが道につながる。

「ドラゴン、だ」

「ドラゴン?」

 ただスバルは言葉を重ねていく。

「ああ、ドラゴンだ。この街を近々、エンシェントドラゴンってのが襲う。俺は、それを止めたい」

「ふーん……………………?」

「まあ、いきなり言われても信じられねえわな……」

 エンシェントドラゴンの襲来、その言葉を受けてもクリスは眉をひそめるばかりで、まるで信じていない顔だ。

 当然といえば当然だろう。

 前回のループでも、報告した竜の彫像の調査はしてくれたはずだ。それでも冒険者ギルドからドラゴンについての警告は何も通告されなかった。

 組織単位で調査した上で、そういった兆候を掴めなかったということになる。ただの一冒険者のクリスには、まさに寝耳に水だろう。

 だが。

「この前会った時に見つけた、あの嘘発見器を持ってきてくれよ。下手に尋問するより、そっちのほうがよっぽど手っ取り早いし確実だろ?」

 エンシェントドラゴンの襲来については根拠を提示することはできない。ドラゴン襲来の妄想にとりつかれた、ただの阿呆扱いされる可能性もありうる。

 だが、少なくともスバルが嘘を言っていない、ということは証明できるだろう。

 悪魔やその手先ではなく、ただ善意で動いていた人間だとわかってもらえれば、ここからの解放も――――。

 コンコン、コンコン。

 その時、部屋のドアをゆっくりと叩く音が響いた。

 クリスはスバルから警戒を解かないまま、ドアを開いて来訪者を迎え入れる。

「や、ダクネス。ナイスタイミング」

「シスターから呼ばれて、指示通り持って来たが……なっ!? なんだこれは!?」

 姿を見せたのは、以前魔道具店で見た女騎士。

 髪は絹の糸のように滑らかで、その色は金。きめ細やかな白い肌と相まって、まるで輝いているように見える。その緑がかった青色の瞳を驚愕に見開き、椅子に拘束されたスバルたちを指差した。

 事情を聞かされていなければ、彼女のその態度は当然の反応といえる。

「なぜ見ず知らずの二人が、こんな羨ま……もとい、ひどい目に遭っている! このような振る舞い、返答次第ではクリスといえど容赦はできないぞ」

 訂正。当然の反応ではなかった。

 そういえば、この女騎士は自分の首を絞めるチョーカーを喜んで購入するヤバイ人だったとスバルは思い出す。

 一度は彼女の奇行を見ているはずのゆんゆんは、聞きたくないものを聞いてしまった、といいたげな、なんとも言えない表情をしていた。

「………ところで前衛職として、そのバインドは一度試しておきたい。欲を言えばもっとダメそうな男や鬼畜そうな男のほうが燃え……いや、仮想敵として相応しいのだが、今回はクリスで我慢しよう」

「もう、我慢しようじゃないってば。今はそれより」

 と、クリスは女騎士――ダクネスの持っている鞄を指差した。

 ダクネスがその鞄を開けると中からは、先程スバルが要求した嘘発見ベルが姿を見せる。

 クリスはそれを手のひらの上に乗せると、これ見よがしにスバルの前へと突きつける。

「さて……キミはこれをご所望だったよね」

 そう問いかける青碧の瞳は、意外な感情の色をしていた。

 てっきり疑いの目で見られるだけだと思っていたのに、そこに浮かんでいたのは疑念でもなければ、ましてや信用でもなく。

 まるで、わかりきった死刑判決を告げる裁判官のようで。

「あ、ああ……話が早くて助かる。それで無実が証明できれば、願ったり叶ったりだ」

 自分の心を理解しているスバルですら、一抹の不安を胸に抱えずにはいられなかった。

「はい。じゃ、ポチッとな」

 そう言って、嘘発見ベルのスイッチをオンにして、スバルの前に差し出す。

「キミのさっきの話は本当かな?」

「ああ、本当だ。信じてもらえなくても仕方ないけど、この街は近々――」

 チリーン。

 スバルの声を遮るように、甲高い音が鳴り響く。

「はぁ!? なんで鳴るんだ!?」

 チリーン。

 続くスバルの驚愕の声。それに対してすら、そのベルは嘘を指摘する音を奏でた。

「まあ、こうなるよねえ……」

 誰にともなくつぶやくクリスの言葉も聞こえない。

 スバルの思考は一時混乱し、その混乱は当然疑念へと変化する。

「…………俺は男だ」

 チリーン。

 確認するようにつぶやいた一言、それにすらベルは否定の声を上げた。

 背中しか見えないゆんゆんに一瞬動揺する気配を感じたが、今はそれはどうでもいい。

「なあ……このベル、壊れてるんじゃね? いくらなんでもめちゃくちゃだろ。俺が男装の麗人にでも見えるかよ?」

 このベルの”嘘”の定義がどうなっているのかは知らないが、スバルは体も心もれっきとした男性である。女装したことこそあるが、それで男であるということを否定されるのはいくらなんでもあんまりというものだ。

 スバルの当然の疑念に、クリスは残念そうな表情で頭を振ると、

「このベルは、人が嘘をつく時の邪な気を感知して鳴るって仕組みなんだ」

 そう言いつつ、手の中のベルを弄ぶ。そして「あたしは女」などと言ってみせて、ベルが鳴らない――故障していないことを示してみせた。

「この仕組みが曲者でねえ。もちろん、普通の人間が使う場合なら問題ないんだけど、例えば神様のような清らかな存在がこれを使った場合、そんな邪気は浄化されちゃうから、嘘がわからないんだよ」

 もし神様が仮の身体を使ってるとかなら話は別なんだけどね、と特に意味があるとは思えない補足を付け加えた。

 ……ちょっと待て。

 二、三度瞬きし、盗賊の少女の言葉を咀嚼する。

 今こんな話をしたということは、当然今のスバルに深く関わってくる話ということになる。

 清らかな存在ならば、邪気が浄化され感知できなくなる。

 なら、逆の場合はどうなるのか。

「キミはひょっとしたら、本当のことを言ってるつもりなのかもしれない。でも、それをそのまま信じるってわけにはいかないんだ」

 悪臭。瘴気。

「俺の身に纏っているっていう……」

「そう。その悪臭が、キミの言葉を染めている。真実か嘘かなんて、関係ないくらいにね」

 魔女の抱擁に包まれ、幾度となく蘇生してきたナツキ・スバル。

 それが人であっても。魔道具であっても。

 今、彼の言葉を信じさせる根拠は、どこにもなかった。


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