魔法少女リリカルなのは~the worst~   作:柳沢紀雪

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プロローグ

プロローグ

 

 目が覚めたらそこは何もない空間だった。

 

 下もなく上もない。まるで宇宙にただ一人浮かんでいるような感触で、見上げる空と思われるところには星もなく太陽もなく月もない。光の一切見えない世界でありながら、どういう訳かその空間の広がりだけは知覚することができた。

 

 世界が終わればこのような世界が訪れるかもしれない。あるいは虚無の世界と言うべきなのだろうか。ともかく、宇宙の始まりの状態、時間さえもまだ生まれていない状態を感覚しているといえるのかもしれない。

 

 つまりは訳の分からない状態と言ってもいい。

 

『思ったより冷静なんだね』

 

 声が振ってきた。

 

 そう、振ってきたとしか思えないような声が聞こえた。

 

「誰だ?」

 

 俺はそう聞き返した。声は出ているのだろうか。自分の声を聞くことができたということは少なくともそれらしいことができているのだろうと思われるが、残念なことにこの深い、深すぎるほどの闇の中では自分自身の姿形さえも視認することはできず、果たして自分は自分という形を保っているのかどうかさえ曖昧になってしまう。

 ここはどこなのだろうか。自分はいったいどうしてしまったのか。

 記憶がひどく曖昧で、自分という存在そのものが薄く揺らいでしまっているようにも思えて仕方がない。

 

 ひどく恐ろしく思った。

 

 自分という存在を感覚することはできても、その感覚を裏付ける情報を得ることが一切できない。これは幼い頃、自分が見ているこの世界は夢幻なのではないかと妄想したときのような恐ろしさに近いと思う。

 

『まあ、そんなに怖がる必要はないよ……といっても無理かな……。ちょっとまって、今なんとかするから』

 

 意識の中に響くその声はとても冷静で落ち着きのある子供のように思えた。冷静な声を聞くと、それにつられて自分も冷静になってしまうのだろうか。ともかく俺はその言葉に幾分か恐怖心が揺らぎ。何とかすると言われた言葉を信じてみようかとも思う程度には冷静になれた。

 

『次元レベルを下げて……と、まあ、風景は君の記憶から抽出させてもらおうかな……おまたせ、ちょっと驚くかもしれないけど、安心していいからね』

 

 冷静にはなれたが、安心できるかどうかは分からない。しかし、それはすぐに訪れ、夜よりもなお深い闇の中心に一握の光が生まれ、それは刹那の時に一気に膨張し、俺を包み込んだ。

 

『光あれ!』

 

 闇の次に現れたのは真っ白な光の空間だった。光に満ちあふれているにもかかわらずまばゆさに目を痛めることもなく、ただ漫然と広がる光は優しくもなく厳しくもない。ただ光という概念だけが存在するようだった。

 

『君よ、あれ!』

 

 その言葉に呼応するように、俺を包み込む光に一つの輪郭が生まれ、それは徐々に俺が認識する俺という形を形成し始めた。

 最初に見えたのは五本の指を伴った大きくもなく小さくもなくちょうど良い程度の二本の腕。そしてそれはそこを芯にして拡大するように胴体と下半身、足を形成していく。

 正直気持ちが悪い。

 見慣れたとはいえ、まるで作り物のように傷もシミの一つもない体はひどく違和感がある。

 

 中肉中背としかいえないような体を衣服が包み込み、手を伸ばせば頭には髪と顔にはめがねのようなものができあがっていた。

 

『上と下よあれ』

 

 言葉に従うように俺の体は下へと引き寄せられ、いつの間にか生じていた大地にゆっくりと足をおろした。

 見上げればそこには何もない真っ白な空と見おろせばそこには何もない真っ白な大地が広がっている。

 空と大地の狭間には一切の万物は存在していない。空と大地の区別のない世界からそれらが存在する世界へと生まれ変わった。

 

『さてと、まあ、こんなものかな……じゃあ、最後に私よあれ!』

 

 この世界では言葉によってすべてが生み出されるのだろうか。それはまるで、旧約聖書の天地創造の神と同じだと俺は思った。

 

 言葉により生まれたのは空間のひずみだった。光がねじ曲がりそれは一つの輪郭を形成していき、先ほどの俺の創造のようにそれは徐々に人の姿を現していく。

 

「うん、まあ、うまくいったかな。どう? 少しは落ち着いた?」

 

 そこに立っていたのはひどく小さな少女だった。髪は黒く背中を覆い尽くすほどに長く、卵形の顔には小さな双眸が瞬きをしており、鼻先から口元に至るまでその造形はひどくバランスがよい。

 美しいといえる表情だった。しかし、何一つ特徴のない表情としかいえないような、そんな奇妙な容貌の少女だった。

 

「とりあえず座る場所ができたな」

 

 俺はそう言って膝を折り、わざと不機嫌な様子を見せながら地面に腰を下ろした。

 

「そう、よかった」

 

 耳に響く声は凛としていて、まるで鈴をならしたような音だった。

 満面の笑みを浮かべ、それは俺と同じように腰を下ろし、改めて俺たちは向き合うこととなった。

 

「まず最初に、君が聞きたそうなことから説明するね」

 

 耳にかかる長い髪をゆったりとした仕草で後ろに寄せながら、それは静かに声を上げた。

 俺は何も言わず、それを聞くこととした。

 おそらく、これは俺の聞きたいことの全てをすでに知っているのだろう。疑問も不安も何もかも。そうでなければ、このような空間を用意したりはせず、また、俺の記憶にある俺自身の姿形を俺に与えることもしなかったはずだ。

 

「すでに分かっていると思うけど、君はもう生きていない。といっても、これは君たちが認識する生死の上での話で、私たちからしてみればよく分からないことなんだけど……まあ、これはいいか。ともかく君は君が認識する死というものの先にいるといってもいい。そのときの状況は……まあ、説明しなくても分かるよね?」

 

 俺は声を出さすただ頷いて答えを返した。そのときのこと、おそらく俺の最後の瞬間といえるときのことは情報として認識できている。

 何の他愛もないことだ。横断歩道を歩いていると、信号無視の暴走トラックにはねとばされ意識を失った。つまりは、どこにでもあるようなくだらない交通事故に巻き込まれてしまったということなのだろう。

 

 死んだいう事実はひどく現実味を欠いていた。なぜなら、今の俺はここにこうして存在していて、こうしてこれと言葉を交わしていている。いや、会話なんて成立していないから、ただ漫然とこれの言葉を聞いているだけと言うべきか。ともかく、そんなありふれた、何でもないようなことが眼前で繰り広げられているからには、そこから死を連想することも自覚することも不可能といえるだろう。

 仮にここで第三者の視点から俺が死んだ時の状況をすべてみせられ、トラックに押しつぶされ肢体はバラバラになり肉と血を飛び散らせて、地面のシミになりはてた自分自身を眺めたとすれば、流石に冷静を保っていられる自信はない。

 

「別にそうしてもいいんだけど……なだめるのに骨を折りそうだから割愛するよ。まあ、とにかく君は死んでいまここにいる。なんで君が茲にいるのかは……残念だけど分からない。君がここにきてしまったのはある意味イレギュラーで、私たちもこれからそれを入念に調べる予定をしているから、分かったら教えて上げてもいいけど……べつに知りたくないよね?」

 

 俺はもう一度首を縦に振った。

 

「君の今の状態を君にわかりやすく言うと、魂の状態になってることに近い状態といえるんだ。君が君たちの概念上死亡したとき。あるいは君たちの概念上生まれる前の状態とも言ってもいい。肉体から解放され自由になったといってもいいけど。それはまあどうでもいいか」

 

「一つ、質問いいか?」

 

「うん? なに?」

 

「俺以外にここに来たやつは?」

 

「いるよ。だけど、君みたいに一つの個人としての情報を完璧に備えた状態は珍しいね。たいていの場合はそれらが全て拡散して、個人を特定し得ない、個人が自分を知覚できない状態でしかこないはずなんだ。言ってしまえば……純粋な魂っていうのかな? 生命活動を行うための情報体の基本構造体として、個であって全、私たちがコスモゾーンというような完全な全体の一つの要素としてしかここにはいられないはずなんだけど。どういう訳か君は全体の一つになろうとせず、完全に個を保ったままずいぶん長い時間そうしていたんだ。最初はそれを全体に同化させて事なきを得ようとしたんだけど。どういう訳か、君は全体の中に混じり合わせても、気がつけば君の要素だけがまた集合してしまって全体から孤立してしまう状況が何度も繰り返されたんだ。いつまでたってもそんなだから、しまいにはみんな君を見限ってしまってね。私は放置しておくこともできなかったから、仲間と話し合って君を覚醒させたってわけ」

 

 訳の分からない説明だった。しかし、それは自分の説明に小首をかしげるばかりで、実際のところこちらに理解させる意図はないのだろう。

 

「それで……俺にどうさせるつもりだ?」

 

「そう。そこが問題なんだ。君は今の君から変化させることができない。全部バラバラにしてもいずれまた一つに集まってしまう。だから、君は一つの個としてもう一度誕生させて、次に死んだときにどうなるかを観測しようという話になってね。それで普通と同じようになるなら、無限大の中のただ一つのバグだったってだけで話を終わらせてもうこのことは追求しない。それでもまた君が個としてあり続けるなら今度こそ時間をかけて調べることになる」

 

「ずいぶん……気の長い話だな……100年はかかるぞ」

 

「それは君たちの概念だよ。ここには時間なんて存在しないから。私たちにとっては……そうだね、君からしてみれば水を濾過してしたたり落ちてきた水は元の水とどの程度違うのかって程度の感覚に過ぎないよ」

 

「はっ! 俺は水か。ずいぶんな話だな」

 

「ひどいことを言ってるって自覚はあるよ。まあ、それだけだけどね……というわけで、今から私があなたに何をさせたいのか理解してくれた?」

 

「理解も何も決定事項なんだろう? だったら、さっさとしてくれ。ここはどうも落ち着かない」

 

「じゃあ、手続きをとろうか。今から君はもう一度人間として生まれ変わる。生まれ変わった後は君の自由にしてくれていいよ。私たちは観測するだけで何も手を加えない。いわば、水である君を世界というフィルターに落として、最終的にそこからしたたり落ちてくる君がどうなっているかを知りたいだけだからね」

 

「また、俺に生まれ直すのか?」

 

「それは意味がないよ。それじゃあまた同じことの繰り返しになるかもしれないから。君は、君としてではなく違う君として生まれ変わるんだ。全く違うプロセスを通ってくれないと私たちにとって実験にならない」

 

「……誰に?」

 

「誰ということじゃないよ。普通と同じ。君をどこかに送り込んで、君はどこかの誰かとして生まれる。それだけ。ただし、君が生きてきた世界とは全く別の世界。少しは交わりがあるかもしれないけど、その中身は全く異なる。君にとって未知の世界に送り込む。本来ならランダムに送り込むところを、今回は意図的にフィルターを選ばせてもらうよ。君の要望も聞いておくけど? なにか希望は?」

 

「……お前達の希望通りでいい。どうせ、どこでも同じだ」

 

「結構違うんだけどな……。じゃあ、君にはなるべく普通じゃない経験をしてもらうよ。あくまで君が今まで生きてきた人生として普通じゃないということだけど。その方が対照実験になりやすいから」

 

「どうにでもしてくれ。おまえの顔を見るのも飽きた」

 

「美人は三日で飽きるってことかな? それじゃあ、早速だけどさせてもらうね……目を閉じて、私の存在にすべてをゆだねるように。心は殻に。体が全部溶けて無くなる感覚がすると思うけど、あわてないで。全部任せてくれればそれでいいから」

 

「ああ。もう会わないといいな」

 

「………………まあ、その方がお互いのためだね……じゃあ、お休みなさい。良い現を……」

 

――――そして俺は夢から覚めた。

 

 

 

 

 

 

 

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