霧が掛かったような感覚だった。そして、それが晴れるには数年の時がかかった。自意識を獲得し、人格として自立をするには生まれたての頭脳はあまりにも未熟で、しばらくは何も分からない、何も感じられない、ただ欲求のままに言葉にならない声を上げ、だだをこねるように両手両足を振り回すことぐらいしかできなかった。
幼少を実際に追体験したというのに、その記憶はあまりにも曖昧で薄ボンヤリとしている。いや、取り立てて知りたいとも思わないのだが、俺という自意識がほとんど定着しつつある今としては、まるで記憶喪失のようにあいだの数年が抜けている状況というのは気分がいいものではなかった。
しかし、その数年間があったおかげなのか、俺は比較的すみやかに今の身体と今の家族を受け入れられたようにも思える。
今日もまた母親の作った弁当を鞄に入れて学校に行く。父は朝早くに会社に行って、俺が寝てしまった夜遅くに帰ってくる。時々本気で父親の顔を忘れてしまうときがあるのだが、それでも全てが普通と言えるような日常だった。
何の変化もない。生きるというのはおおよそ9割方このようなあたりまえのことが当たり前のように繰り返されていくだけなのだろうと思えるほど変哲もない毎日だった。
日常とは埋没するものだ。そして、日常とは水や空気のようなものともいえる。
数年前、今となっては随分と記憶からも薄れてしまった、俺をこの世界に生まれさせた存在の言葉。
ただの夢だとも思えてしまうほどボンヤリとしてしまったが、あれは確かに俺に普通ではない人生を歩んでもらいたいと言っていった。
しかし、蓋を開けてみればそこにあったのは普通以外には考えられない日常。あるいはこれが嵐の前の静けさと言うべきなのかどうかは、神ではない俺には想像することさえも出来ない。
バスの停留所で到着した送迎バスに乗り込み、姦しい雑談に満ちる車内の音を車窓の外に流れる風景を眺めながら耳に入れる。
随分慣れてしまったものだ。俺は窓ガラスに浮かぶ自分自身の表情を眺めながらため息のような呟きをもらした。
小さな身体に髪は黒く背中を覆い尽くすほどに長く、卵形の顔には小さな双眸が瞬きをしており、鼻先から口元に至るまでその造形はひどくバランスがよい。
美しいといえる表情だった。しかし、何一つ特徴のない表情としかいえないような、そんな奇妙な容貌の少女だった。
俺が生まれる前に会ったあれのことを覚えている一番の理由。あれが夢のようであったが夢ではないと確信できる一つの根拠。その夢の中に出てくるあれの表情が、今まさに現実に窓ガラスの中で息づいているのだから。
篠崎はるか、聖祥大学付属小学校一年生の女子。それが今の俺だった。