彼女は実に明るくなった。というより、それこそ彼女の本来の姿なのだろう。やはり、人間とは人の間に生きるしかものなのだろう。人は他人がいなければ自分自身を定義することができないように、その他人もまた自身を定義するために他者を必要とし、それが延々とどこまでも続いていく。
その中にあって自分自身とはどこにあるのかを考え始めれば、おそらく思考のループに陥るだろうと言うほど、人は独立して存在し得ないのだろうとも思える。
彼女が友人を得て、そろそろ一年がたとうとしている。俺も、二回目の小学三年生を迎え、背も少しだけ高くなった。というより、最近では買う服が端からきつくなっていくため、どうしてもぶかぶかの服を着なくてはいけなくなってしまっている。おかげで動きにくくて仕方がない。
俺も周りの少年少女と同じように、そろそろ年齢が一桁である最後の年であるため、このあたりで何か騒動があるかもしれないと予感していたが、果たしてそれはやってきた。
前振りはこれで終わり。そろそろ本題に入ろうか。
4.飼いたくても飼えないジレンマ
いきなりだが俺は動物が好きだ。特に猫が好きだ。犬はあまり大きくない種類がいい。できれば部屋の中で飼えるぐらいに小型であれば好ましい。
しかし、悲しいことに俺の母上殿、篠崎なつきは大の動物嫌いであるらしい。その理由を詳しく聞けたことはないが、ポロッともれた一言によると、嫌な過去を思い出すというのだ。
俺の父上殿、篠崎秋雄と一緒になる前はどこかの軍隊の特殊空挺部隊に所属していたという豪傑な我が母上に苦手なものがあると知ったときには純粋な驚きを感じたものだ。
前振りが長くなったが、俺は腕で抱きかかえられるぐらいの大きさの、ふさふさとした毛並みを持つ小動物がこの上なく好きであるということだ。そして問題は、それが今現に俺の目の前、足もとで気を失っているのだった。
俺はとりあえず、毎日下校するときに買って食べるたこ焼きの最後の一玉を咀嚼し飲み込むと、スカートの裾を気にしつつゆっくりと膝を曲げ、その愛くるしい小動物の首筋をゆっくりと撫でた。
「返事がないが――ただの屍でもなさそうだ」
小動物の首元にキラリと光る宝石がまるでこちらを覗き込んでいるようだ。見るとその赤い宝石は紐によって小動物――おそらくイタチかなにか――の首輪のようになっているようだ。
ということは、飼いイタチなのだろうと俺は推測するが、その首輪の宝石は全く何も書かれていない。せめて首輪には持ち主の名前と住所を書いていて欲しいと思う。
とりあえず俺は自慢の長い黒髪の先端を指でまとめて、そのイタチの鼻をくすぐってみた。くしゃみと共に起きてくれれば、飼い主の元へ言ってくれるだろうという安易な期待であるが――
「ちょっとあんた! なにしてんの!?」
というけたたましい、甲高い少女の声に思わず振り向いた。
見ると、日本人にしては珍しい、鮮やかな金髪をした少女が随分と厳しい眼差しをこちらに向けているようだった。よく見れば、この少女は去年まで同じクラスだった少女――アリサ・バニングスのようだった。
「その姿容貌はまるで悪鬼羅刹、魑魅魍魎、妖怪変化、金色夜叉――」
「やかましい!」
うん、まるで竹を割ったようにまっすぐと出てくるこのツッコミは非常に心地が良い。ボケた甲斐があるとはまさにこのことだ。
「しみじみ……」
思わず口に出してしまうほど和んでしまった。金髪のバニングスを始め、その連れの二人の少女はまるで憐れむような、生暖かな視線をこちらに送ってくるが、まあ気にすることはない。気にした者が負けなのだ。
「ところで、君らはどうしてここに?」
とりあえずいつまでも悦に浸ってるわけにも行かず、俺は昏々と眠り続けるイタチらしき動物の首筋をつまみ上げながら連中に首を向けた。
なるほど、こいつはオスだったか。よいことだ。俺には無いモノをもっているということは、今になっては羨ましいことと思える。
「あたしらは塾に行くとこ。あんたはどうなのよ?」
俺の手の中でプラプラと揺れるイタチみたいな動物を注目しながら金髪のバニングスは腰に手を当て、猛々しく平たい胸を張った。
なぜにこう敵対的なのだろうか。とはいえ、一時期を思い出してみるとヤクザキックをカマされなくなっただけましであるとはいえる。あれはなかなかキレがあって見事な蹴りだったのだが、やはり見目麗しい淑女がしているとなると、オヤジクサイ説教が口から漏れだしてしまいそうになっていやだったので今では助かっている。
「俺は、たこ焼き食いながら家に帰る途中。んで、これを拾った」
といって俺はもう一度つまみ上げたイタチのような動物をプラプラとさせた。
金髪のバニングスの後ろの二人はそんな俺に妙な視線を送るのは、ひょっとして俺がこれをいじめているように見えたのだろうか。
「ひょっとして、この子、君らのペット?」
と聞いてみるが、長い藍髪の少女も両端をお下げにした栗毛の少女もふるふると首を振った。
となれば……と、俺は金髪のバニングスにも目をやってみるが、彼女もまた首を振ってNOという答えを俺に返した。
「じゃあ、仕方がないか……」
俺はそうつぶやくとイタチのようにも見える蜂蜜の毛色の動物を改めて胸に抱え直し踵を返そうとした。
「あ、あの! どこ、いくの?」
おずおずという言葉が似つかわしい様子でそれまで沈黙を保っていた栗色のお下げの少女――高町が立ち去る俺の足を止める。
「保健所――というのは冗談で、この辺に動物の病院がないか探しに行くだけだよ」
保健所の下りを聞いて顔を青くした栗毛の高町に俺は冗談をやめてしっかりと答えを返した。相手が金髪のバニングスならここで挨拶代わりの鉄拳がとんでくるので楽なのだが、この少女にはそのあたりが通じないようだ。
今後は気をつけよう。
「そ、それだったら、私、知ってる……」
こちらもまた栗毛の高町と同じように、おどおどとした様子で藍髪の少女――月村が手を挙げた。
「素晴らしい、じゃあ、案内してくれ」
「う、うん」
そう言って藍髪の月村はいつの間にか前を歩いていた金髪のバニングスの陰に隠れるように歩き出し、それに栗毛の高町が慌てたように追従した。
元のクラスでも今のクラスでも怖がられている自覚はあるが、ここまであからさまだと少し傷つくなぁと俺は胸に抱いたイタチかもしれない動物の背中をコリコリとかいた。
――どうでもいいけど、この子、本当にイタチなのかな――
眠りながらヒクヒクと動く謎の動物の鼻先を指の先でサワサワと撫でながら俺は真っ赤に染まった空のもと、短く溜息を吐いた。