人生というのは、本当によく出来ている。
基本的に穴だらけの抜け道だらけなのに、一番イヤなことはどんなに遠回りしたって待ち構えているのだから。
「はぁ……」
ここ最近、すっかり耳にも口にも馴染んでしまったため息がまたうちの意思とは関係なしにこぼれ出た。
「あの、み、南ちゃん。ご飯、一緒に食べない?」
「あ、うん、食べよ食べよ」
遠慮がちにかけられた声に憂鬱を押し殺した笑顔で応じると、話しかけてきた本人たちの笑顔が引きつった。いや、そういう顔になるってわかってたけどさ。じゃあうちはなんて返事すればよかったのよ? 断ったら断ったで、微妙な顔されるのは実証済みなんだよ?
最近、昼休みはいつもこの調子だ。
居場所がないわけじゃない。無視されるわけでもないし、悪口を言われるわけでもない。だから多分、うちはいじめられているわけじゃないんだと思う。うちがアイツにしてたことと比べたら、こんなのなんてことない、普通のことなんだと思う。
それでも、嫌なものは嫌だし、辛いものは辛かった。
季節は秋から冬へ移り変わろうとする真っ最中。
高校生にとっては外せないイベントである文化祭、体育祭も(表向きは)無事に通り過ぎて、うちたちの学年にはひとまず平和な時間が流れているといっていいと思う。
目前に迫っている修学旅行に少し浮ついた空気はあるものの、文化祭のように事前準備で盛り上がるようなイベントってわけでもないし、うん、平常運転ってことでいいんじゃないかな。
そんな束の間の平穏。意外と少ない平凡な毎日。
本当ならうちだって、仲のいい友達で集まって、修学旅行でどこへ行きたい、何が見たい、なんて話で盛り上がっていたってよかったはずなのに。
うちは今、クラスで孤立している。
原因はいじめ、なんかじゃなくて、なんて言ったらいいのか。
多分、近い言葉を選ぶなら「遠慮」。
腫れ物に触るように、壊れ物を扱うように、うちに対するクラスメイトの対応はおっかなびっくりって感じ。
まぁ、いくらうちでもこうなった理由はわかってる。
あの体育祭だ。
うちがうちなりに苦しんだ文化祭を経て、何かを取り戻そうと藻掻いた体育祭。
責任から逃げ出して最後にはみっともなく泣いた文化祭、目の前で友達に拒絶される醜態を晒した体育祭。
結局、うちが委員長として強硬策を提示することでなんとか踏みとどまった体育祭。
その代償は「相模南は思い上がった勘違い女、追い詰められると何をしでかすかわからない」という風評だった。
追い詰められると……まぁ、そりゃ、確かにうちはメンタルは強い方じゃないかもしれない。
雪ノ下さんみたいに自分を貫くことも、ゆいちゃんみたいに上手に周囲に合わせることも、三浦さんみたいに自分に向けられる言葉を封殺することも出来ない。……アイツみたいに、素知らぬ顔で受け止めることも。
でも、だからって高2にもなって、そんな小さい子みたいに何でもかんでもヒスったりしないしっ!
だけど、とにかく文化祭でも、体育祭でも土壇場で、大勢の前でやらかしちゃったうちは、ちょっとの刺激で爆発する爆弾みたいに遠巻きに扱われるようになっちゃったわけで。
その結果が、仲間はずれにしたくないから声はかけるけど、とばっちりを受けたくないからあんまり関わりたくないな、みたいな、遠慮して気を遣って、薄膜で覆って距離をおいたクラスメイトの対応だったりする。
他のクラスに行けば居場所があるってわけでもない。むしろ、そういう変な遠慮を嫌う三浦さんや、みんなの和を大切にする葉山くんがいない他のクラスではうちなんて空気も同然。触らぬ神になんとやらって感じ。
結局、壊れ物にこわごわ触れるようなクラスメイトの対応に笑顔を作るくらいしか、うちに出来ることなんて無かった。
ちょっと前のうちなら、こんな扱いに憤慨していたと思う。
うちが文化祭で泣いちゃったのはアイツのせいだし、体育祭がめちゃくちゃになりかけたのは遥とゆっこが悪いんだって、開き直って悪口の一つや二つくらい言っていたはずだ。
それができないのは、気づいてしまったから。
文化祭も体育祭も、うちが醜態を晒す羽目になったのは、他ならぬうち自身が悪かったんだってことに。
出来ることなら気づきたくなかったけど、一度気づいてしまったらもう止まれない。
アイツのことも、奉仕部のことも、遥やゆっこのことも、恨む気になれない。
全部うちが悪かったのかな、なんて自己嫌悪に押しつぶされそうになる。
だってそれは、それを認めるのはとても、とてつもなく悔しくて腹立たしいことだけど。
もしもアイツや奉仕部や城廻先輩がいなくて、うちだけだったら。
うちはあんな辱めは受けなかったかもしれないけど、文化祭も体育祭も間違いなく失敗してた。
だとしたら、やっぱり一番悪いのってうちじゃん。
アイツに屋上で言われた言葉が、ここ最近ずっと頭を離れない。
『同じだよ。最底辺の世界の住人だ』
同じなんかじゃない、ってあの時言い返せなかったのは、きっと自分でも気づいてたからなんだ。
同じなんかじゃない、って今思うのは、アイツが本当は最底辺の住人なんかじゃないって知ってしまったからだ。
教室内にアイツの姿はない。いっつも昼休みになるとすぐどっか行っちゃうし。
ま、アイツが誰かと仲良くお弁当、っていうのも想像できないけど。
……あ、でも戸塚くんとか、いっつもお昼休みの練習から戻ってくるとアイツのこと気にしてたりするっけ。
あと、いっつも一人で美味しそうなお弁当食べてる川崎さんも、アイツの席とかちらちら見てたな。
なんか腹立つ。
居場所があるくせに、行き場がないとか言ってるアイツはずるい。
うちなんて、みんなが無理して作った囲いの中にしかいられないのに。
「はぁ」
一緒に机を囲む子たちに聞こえないように、押し殺したため息をつく。
いつになったら、うちは赦されるんだろう。
* * * *
そんなことを毎日考えていたから、ってわけでもないんだけど。
次の日、うちはクラスメイトからのお昼の誘いを断って、一人で教室を出た。
アイツを見習って、ってわけじゃ全然ないんだけど。
でもちょっと、一人になりたかった。
何より、うちが誘いを断った時にあの子達が見せた、隠しきれないほっとした顔を見てたら怒るどころか惨めになってきちゃったし……うう、明日からもあの子たちとはご飯食べられなくなっちゃったじゃん。
お母さんが作ってくれたお弁当を持って教室を出たはいいけれど、行くあてがあるわけでもなかった。
人が集まるところには行きたくないけど……どうしよう。
携帯で時間を確かめると、昼休みが始まってもう十分近くが経っていた。
この時間なら、購買の混雑も落ち着いてるかな?
あの辺だったら混雑時を過ぎれば人が少ないかも……。
ってことで、とりあえず購買方面に向かってみたんだけど。
大混雑ってほどじゃなかったけどそれなりに人はいるし、腰を落ち着けるところもなかった。
仕方無く廊下に戻って、中庭とかどうかなって窓の外に目をやったところで、思わずうちは立ち止まってしまった。
アイツだ。
見慣れた猫背に特徴的なアホ毛。最近休み時間の教室でいつも見ている背中だ。
そろそろ肌寒くなってくるこの時期に、わざわざ屋外に腰を下ろして一人でもそもそとパンか何かを食べているらしいその後姿を、うちが見間違うはずもない。
躊躇いは、思いの外短かった。
アイツと顔を合わせるのは今でも、今だからこそ、すっっっっごいムカつくけど。
でも多分、同じくらいうちはアイツと話したかった。
知りたいことがあったから。
うちが意を決してその丸まった背中に向かって踏み出すと、足音に気づいたのか俯きがちの頭がぴくっと反応した。
物音の正体を確かめるように緩慢に振り返った顔が、予想通り心底面倒くさそうに歪む。
「げ」
「は? げって何よ。うちがここに来ちゃ悪い?」
思いの外、言葉はスムーズに口から出てきた。偉いぞ、うち。
ここ最近愛想笑いしかしてなかったにしては滑らかな言葉の棘に満足する。
うちの明確に棘を含んだ物言いに、そいつ――比企谷八幡は面倒くさそうに、わざとらしいため息を付いてみせた。
本題に入る前ですが、ちょっと長いので分割。
次回までが第一話みたいなもんです。