とあるIS学園の整備員さん   作:逸般ピーポー

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ほの暗い病室で

私達は全員身体検査を終え、重傷者が居ないことを確認されてから教官…いや、織斑先生に呼び出されていた。

場所はモニター管制室。当然シャルロットの姿はここにはない。

 

「さて、まずは今回。突発的な戦闘だったが、全員死ぬことなく帰ってきたことは大変喜ばしいことだ。…ラウラ・ボーデヴィッヒ!」

 

「はっ」

 

一歩前に出て敬礼する。…ああ、敬礼は不要だったか。まあいい。

 

「指揮官の役目を十分に果たし、被害は最低限に抑えられた。…良くやった」

 

「はっ」

 

確かに私は出来ることは全て果たした。…しかし、素直には喜べない。教官もそれが分かっているのだろう、常よりも僅かに眉間の皺が濃い。本当に僅かだが。私でもなければ気付かんだろう。

 

「…さて。戦闘行動中に問題行動を起こした(馬鹿)が、悲しいことにここには三人も居るな。

…織斑一夏!」

 

「はいっ!」

 

「凰鈴音!」

 

「はぁい…」

 

「篠ノ之箒!」

 

「…はい」

 

態度はまさに三者三様。真剣な表情のもの。気まずそうなもの。不貞腐れた態度のもの、だ。…篠ノ之、さすがにその態度はどうかと思うぞ。

そう思っていると、教官のこめかみに青筋が立っていた。そしてその手には出席簿。あ。

パァン!

 

「~~~っ!」

 

「篠ノ之。貴様、級友を命の危機に追いやったんだぞ?なんだその態度は?」

 

「す、すいません…」

 

「…ふん。まあいい。貴様ら三名には、反省文五十枚を書いてもらう。期限は来週だ。いいな!」

 

「「「はい!」」」

 

「ふん…。よし、では各自…解散!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

薄暗い病室。窓もカーテンも閉め切ってもらった。そんな中に少しだけ入る光が、僅かに病室の中をうすぼんやりと照らしている。

そんな薄暗い中で、僕はベッドの背もたれに身体を預けて、どこを見るでもなく宙空をぼんやりと見つめていた。

今日で僕が目を覚ましてから三日。後四日間はベッドの上で安静にしていないといけないらしい。はあ…。気分が重い。

僕はベッドに背を預けたままゆっくりと目を閉じて、ドクターとIS専門技師に言われたことを思い出していた。

 

『…ですから、やけどの類いはありません。しかしやはり、頭部への衝撃により脳にダメージがあることが考えられます。ですので、身体には大きなダメージは見られませんが、一週間は必ず安静にしていて下さいね。良いですか。それと…』

 

『えー、ラファール・リヴァイヴ・カスタムⅡの現在の状況についての報告です。現在、ダメージレベルDを記録していることが確認されました。そのため、少なくとも一ヶ月。長ければ三ヶ月程は使用禁止の措置と言うことです。自己回復機能が十全に働くまではパッケージの解除も禁止されます。また、内部コアの回復状況次第では、損傷した装備品を新しく交換することで、完全回復までの期間を縮められる可能性がある、とのことです。また、そのことについては…』

 

 

「はあ…」

 

思わずため息が出る。何のため息かも分からないけど。

チャリ…。

胸元のネックレス・トップを軽く手でつまむ。私を守ってくれた、リヴァイヴ。ごめんね…。

 

「はあ…」

 

何度目かも分からないため息。なんだか呼吸をするたびにため息をついている気がする。…ああ、なんかこう…嫌だなぁ…。この感じ。参ってしまう。

 

「はあ…」

 

何が嫌なのかも分からないまま、それでもため息が出る。もう、何だかさ。何もかもがどうでもいいんだ…。

全てを投げ出してしまいたい。まあ、投げ出すも何もないけれど。今私が出来ることなんて何もないんだし…。出来る事といえばせいぜい、ベッドの上で横になることか、こうやってため息をつくくらいのものだ。本当、嫌になる。

 

 

もたれているベッドから、僅かに首を傾けて病室のドアを見る。今日は誰か、来るのだろうか。

 

私が目を覚ましてドクターと技師の話を聞いた後。

その日は夕方になるまで誰も来なかった。ああ、あの時には、まだカーテンは開けてたっけ…。

だから夕方になって、紅くなった光が斜めに背中から当たっている中で入ってきたあの白衣は、はっきりと私の記憶に残った。鹿波さんだった。

病室に入ってきてからしばらく僕の方に視線を感じていた。その手には何か飲み物を持ってたような記憶がある。たしかポカリスエットか何かだったっけ…?その時に僕はぼーっとしてたから…もうあんまり、はっきりと覚えてはいないけど。

彼はゆっくりと僕の右側にある椅子に腰掛けて、手に持っていたペットボトルを見舞い台の上に置いてた、ような気がする。

その時私はぼんやり前を見ていたから、彼がどんな表情だったかはわからない。ただ、あのときの私はきっと、何を言われても嫌な思いしかしなかったと思う。だから、鹿波さんが何も言わずにそこに居てくれたのはとてもありがたかった。

外でサァッ…と風が吹く。それ以外には音のない、静寂な空間。そんな中で鹿波さんは、ずっとずっと、何も言わずに横に居てくれた。少しだけ鬱陶しいと感じたけど、きっとあのままずっと一人でいたら、私はどこかおかしくなってたと思う。だから正直、鹿波さんが居てくれて良かったんだと思う。

彼が立ち去った後には、一抹の寂しさを感じた。

彼は立ち去る前に、優しくゆっくりと言った。

 

「…ラウラから、伝言だ。

『明日、着替えやその他必要なものを持っていくつもりだ。欲しいものや必要なものがあれば考えておけ。』

…だそうだ」

 

彼がそう言った時に、何かしらの反応を返さなきゃ。心ではそう思っていても、私の喉は何の音も発してはくれなかった。だから正直、鹿波さんが返事も待たずに帰ってくれてほっとした。だって、私が何も返さなくても、私が悪い訳じゃない。そう、自分に言い訳できるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二日目に来てくれたのはラウラだった。いつもの様に力強い、堂々としたしぐさで病室のドアを開け、胸を張ったまま入ってきた。左手には大きな紙袋。…その堂々とした姿が、ちょっと羨ましい。

そのままラウラは私の右にある見舞い台の下に紙袋をドサッと置いた。そしてラウラの赤と金の瞳が、私の目を覗きこむようにじっ…と見つめてきた。

 

「…ふむ。だいぶ酷い顔をしているな。何か入る腹はあるか」

 

そう言って、いつもの真剣な顔つきで僕を見るラウラ。でも、僕は何か食べる気力も、そんな気も起きなかった。だから、首を小さく横に振った。

 

「…看護師から聞いたぞ。お前が目を覚ましてから何も食べていないとな。食わねば治るものも治らん。お前を守ったラファールのことを思うのならば、何か腹に入れておけ」

 

そう言いながら、僕の横で紙袋からリンゴを取り出したラウラは、器用な手つきでリンゴの皮をナイフで一度も切ることなくむいていく。

…すごいね。

ラウラの立つ姿はいつも通りに真っ直ぐで、僕はそんなラウラのことを、少しだけ疎ましく思った。そしてすぐ、そんな自分に自己嫌悪。怖気が走る。ああ、まったく嫌になる。

ラウラはリンゴをそのまま八等分して、一口でも食べやすいサイズに切ったリンゴを紙の皿の上に置き、僕の座っている隣に置いた。

 

「ほら」

 

そのうちのひとつをフォークで刺し、僕の口元にもってくる。

 

「あーん」

 

「あ、あーん…」

 

ちょっとだけ横を向いて、少しだけ口を開く。

いくらなんでも、さすがにこれはちょっと、恥ずかしい。どうせ僕の顔は、無表情なままだけど。

でも、僕の顔を屈んでじっ…と覗きこむラウラの顔は、とても真剣で。仕方なく、差し出されたリンゴに口を開ける。ぐっと押し込まれるリンゴの感触。

僕がリンゴを口に入れた瞬間に、口いっぱいに瑞々しさがに広がった。気づけば僕はゆっくりと無気力なまま、でも確かにしっかりと、リンゴを咀嚼していた。

…自分でも気付かなかったけど、僕はずいぶんと喉が渇いていたみたいだ。そんな僕の様子を見ていたラウラが、苦笑するように言った。

 

「ふ…。そんなに慌てなくともリンゴは逃げんぞ。ゆっくり落ち着いて食べれば良い」

 

そんな言われるほどがっついてないもん。そう言おうかと思ったけど、今の僕には口を開いて文句を言うだけの気力は無かった。ただひたすらに面倒くさい。

でも確かに、気が急いていた部分もある、かもしれない。なので、少しだけゆっくり食べることを意識した。別にそんなに慌ててなんか、いないけど。

ああ、うん、そうだっけ。食べ始めてから気付く。そう言えば昨日僕、何も食べてないや…。夕食が出たような気はするんだけど、ただずっとぼんやりとしていたから、あんまり覚えていない。食べ始めてからお腹が空く、なんて。ちょっと変な感じ。

 

「…ふむ。だいぶましにはなったか。

シャルロット。下着や着替え、タオルはとりあえず三日分程度持ってきた。この紙袋の中に入れてある。

…何か他に欲しいものはあるか」

 

…欲しいもの、か。…なんだろう。特にないかな。

 

「…そうか。ではな。また来るぞ」

 

そう言ってラウラはスタスタと病室を出て行った。…あれ。そういえば、今は授業の時間帯じゃなかったかな。…まあ、いいか。どうでも。僕の知ったことじゃない…。

 

その日はその後、誰も来なかった。…僕はこの時、篠ノ之さんに来て欲しかったのかもしれない。なんとなく、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして今日は、僕が意識を取り戻してから三日目。…朝の光が目に刺さる。鬱陶しい。苛ついて、僕は思わず顔をしかめた。

…とは言うものの、実際の僕の表情はきっと、全く変わらないまま、死んだような顔つきだったと思うけど。

鏡を見たら、やっぱりほら。ひどく目の下にクマを作っている僕がいた。うわ、本当に死んだような目をしてる。顔は無表情だし目の光はないし。まあ、それでもいいや。もういい。

日の光がチクチクと僕のささくれだった気持ちを刺激する。すぐに看護師さんに頼んでカーテンを閉めてもらった。

…うん。暗い中でじっとしていると、なんだか心が落ち着く気がする。ちょっとだけ、心が安らぐ。僕は目を閉じて、布団に小さくくるまった。ああ、これはいいや。

…こう、何も動くことも出来ないと気が滅入る。気分が沈んでいくのが分かる。ずぶずぶと、どろどろと。底なし沼に溺れるように。暗闇の中に引きずりこまれるように。ああ、まるで死人みたい。

 

「はあ…」

 

思い返すのはあの時の事。篠ノ之さんの背中を守り続けた。自分に出来る限りの事をやった。最後まで頑張り続けた。弾とミサイルの雨の中、必死に最後まで駆け抜けた。何度篠ノ之さんを守り、何度ミサイルを撃ち落としたことだろう。何度上下がひっくり返ったことだろう。ああ、パイルバンカーも撃ったっけ…。ねえシャルロット。あなた()は出来る限りのことをやったよね。

でも。それでも。やることを最後まで一生懸命やった。それでも。それでも…。

 

「はあ…」

 

ケガをして、動けなくなったのは僕なんだ。ただがむしゃらに敵に向かって行った篠ノ之さんではなくて僕なんだ。篠ノ之箒さんではなくて、僕なんだ。今、動けないのは僕なんだ。一人で突っ走って、まともに戦わないで、ふざけたことばっかり言っていた、篠ノ之さんじゃない。僕なんだ。なんでなのさ…。

 

「はあ…」

 

なんでさ。なんで。なんで。なんで。どうしてどうしてどうしてどうして僕なんだ。最後まで駆け抜けた。最後まで頑張った。最後までやりきったじゃないか!どれだけの弾を躱したと思ってるんだ。どれだけのミサイルを落としたと思ってるんだ。何回篠ノ之さんを盾で守ったと思ってるのさ。何回篠ノ之さんを庇ったと思ってるのさ!

でも。それでも。結局は。ケガをして、動けなくなったのは僕なんだ。篠ノ之さんではなくて。本当にまったく嫌になる。

 

「はあ…」

 

嫌になる。ああ、ああ、全部嫌だ。何もかも。どれもこれも。全て!全部!ああ嫌だ!嫌なんだ!

どうして僕なのさ!どうして僕なのさ!どうして!なんで!どうして!?どうしてなんだよ!

 

「はあ…」

 

これだけ感情が荒れ狂っているのに。こんなにも今、私は悲しいはずなのに。それでも僕の口から出てくるのはため息だけ。ため息しか出てこない。涙なんて出やしない。涙なんて枯れてしまったみたい。ああ、もう。嫌になる。嫌だ。本当に嫌なんだ。間違いなくそう思っているのに。本当にそう思っているのに。それでも涙は出ないんだ。まるで感情が死んでしまったように。まるで心が死んでしまったみたいだね。なんて。

いっそのこと、そのまま死んでしまえれば良かったのにね。ね?

 

 

 

 

 

 

コンコン。ノックの音がする。

でも知らない。無視した。お願いだから放っておいて。帰って。帰って。帰ってよ。

でもその思いは裏切られて。

 

カララッ…。ドアが開く。

せっかくの暗かった室内に光が入る。ねえ、やめて。やめてよ。放っておいて。永遠に。

ドアが閉まる。病室が暗闇に包まれた。本当にほんの少しだけだけ、私の心はほっとした。ああ、この安心感。冷たくって、素敵だね。

 

「し…失礼しまーす…」

 

「…」

 

緊張したような、驚いたような。そんなか細い男の子の声と、誰かもう一人の息遣い。ごめん、放っておいてくれるかな。君たちには悪いけど。誰の顔も見たくない。誰も。何も。何も。関わらないで。誰ひとり。

 

「ほら。箒…!」

 

「ぇ…。ぁ…。ぁ…」

 

なにか押し合いでもしてるような気配がする。けどそれもどうでもいい。本当にどうでもいいんだ。

だからさ。ならさ。今すぐさ。さっさと今すぐ出ていって。声からわかる。篠ノ之さんと、一夏でしょ。今すぐ早く、出ていって。私にまったく関わらないで。

篠ノ之さん、一夏に押されても抗っているみたいじゃない。見なくても分かるよ。そんなこと。そんなことしてる暇があるのなら、今すぐ早く、出ていって。とってもとっても邪魔なんだ。

 

「その…ごめんシャル」

 

はぁ…。一夏…。その気持ちはありがたいけどさ…。

正直やめてほしい。いちいち対応したくない。ほんと鬱陶しい。そう思う。黙って今すぐ出ていって。

首を上げて、前を見る。

やはりというか。そこには申し訳なさそうな顔をしてこっちを見ている一夏と、腕を組んでそっぽをむいている篠ノ之さんが並んで立っていた。

 

正直な話、僕が一夏に謝られても困る。別に一夏には僕は何もされていないんだし。

篠ノ之さん、謝るつもりがないなら来なくていいよ。ううん、そんなことなら、いっそ来ないでほしかった。どうしてあの時は私のことを気にもしなかったくせに、こういう時だけ気にするの。やめてよ。僕は本当に嫌なんだ。

 

胸の奥で、感情の渦が暴れてる。でもそれも、どこか遠くのことみたいで。ああ、目の奥はこんなに熱いのに。涙はまったく出て来ない。ああ、ああ、そうなのか。なんだ、そうだったんだ。もう僕は、そこまでいっていたんだね。簡単なことだった。あは。

 

「…一夏」

 

「あっ、ああ!」

 

仕方ないので一夏には震える声で呼びかける。一夏は緊張した様子でこっちの顔を見てるけど。あのね。泣きたいのは僕なんだ。お願いだから、帰ってよ。

 

「…一夏の気持ちは分かるけど…」

 

うん。一夏の気持ちは分かるよ。その気持ちは、きっと間違ってないことも。でもね、一夏。今僕は、それがすっごく嫌なんだ。ねえ一夏。

ありがた迷惑って知ってるかな。いらないお節介って分かるかな。ねえ一夏?

 

「やめて…」

 

そう私が言うと、顔を強ばらせた。ああ、ほら。また私が悪者みたいじゃないか。だから嫌だったのに。だから嫌だったのに。目を伏せた。涙が滲む。鹿波さんやラウラみたいに、何もしないで放っておいてくれれば良いのに。まったく嫌だよ、本当に。

ねえ、やめてよ。私に関わらないで。お願いだから、そっとしておいて。どうして聞いてくれないの?

 

「ごめん…」

 

ああ、ほら。そうやって。私が悪いみたいなこの感じ。

別に私は一夏に謝ってほしい訳じゃないんだよ?一夏に謝ってほしいなんて思ってない。お願いだから、一人にさせて。たったそれだけのことなのに。

 

「…箒さんを連れてくるのは、もう…やめて」

 

「ごめん…」

 

そう言って一夏は何度も

 

「ごめん…ごめんな…。ごめん…」

 

そう繰り返しながら出て行った。はあ。

本当にもう、どうでもいいのに。なんでさ。なんで。どうしてなの?どうして皆、私が一人になることすら邪魔するの。やめてよ。やめて。放っておいて。

 

「…一人にさせてくれないかな」

 

私がそう言うと、篠ノ之さんは何も言わずに帰っていった。真っ暗な部屋。戻ってきた静寂。おかえり。

 

「ハァ…」

 

私はベッドにドサッと体を預け、目を腕で覆った。やっぱり涙は出なかった。いっそこのまま、消えてしまえたらいいのにね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日から、篠ノ之さんは毎日昼と夕方に私の病室に来るようになった。…嫌がらせ、だろうか。

そう思うくらいに篠ノ之さんは、私の病室に来るくせに何も言わずにただ立っているだけ。

まあ、分かるよ。分かるんだ。謝るつもりで来ていても、謝れてないだけだって。でもさ。それさ。一体さ。私の気持ちはどこにあるの。私の気持ちはどこにあるの?私の気持ち、考えてはくれないの?

 

鹿波さんみたいに。鹿波さんみたいに。何も言わずにしばらく居て、さっさと帰れば良いじゃないか。ラウラみたいに、ラウラみたいに。必要なことをやってから、さっさと帰れば良いじゃない。なんでさ。なんで。なんでなのさ。

お願いだ。お願いだよ。僕を一人で居させてよ。

 

篠ノ之さんは謝りに来たんじゃないの?私にごめんねって、そう言いに来たんじゃないの?なのにさ、ならさ。それならさ。なんで、どうして、私の気持ちを無視するの?私に対して申し訳ないと思ってるんじゃないの?何がしたいの?教えてよ。

 

私に謝るのなら私の気持ちを考えてよ。何度も何度も貴女が何も言わずに来るだけでも、私はすっごく嫌なんだ。ほんとにほんとに嫌なんだ。私の気持ちを無視しないで。あなたの自己満足の謝罪なんていらない。そんな謝罪なんてなくていい。

謝るなら謝って。そうじゃないなら関わらないで。ただそれだけのことでしょう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日も。また今日も。そう思っていたけど、今日は違った。

いつものように病室に来た篠ノ之さんを、私はもう見ることすらしなかった。気にするだけ馬鹿らしい。私が疲れるだけだから。私が怪我人で、私が休みが必要なのに、健康で元凶の篠ノ之さんが私の休みの邪魔をする。ふざけないでくれるかな。

そう思っていたけど、今日はいつものようにのそのそと来るのではなかった。スタスタと私の正面に来て、気づけばその頭は床に付けられていた。

 

「シャルロット…。すまない。謝って許されることではないことは重々承知している。

しかし、私の行動は謝罪しなければならないものだった。すまない…!」

 

そう言って、じっと。ずっと頭を下げる篠ノ之さん。彼女を見ても、僕はもう何も思わなかった。死ねばいいとも、このくず女とも。なにも。

ずっと頭を下げ続ける彼女を見て、何分たっただろうか。このまま私が何も言わなかったら、一日じゅうずっと頭を下げてそう。

正直、面倒なんだけどな。

…ただ、やっぱり心のどこかでは、僕は篠ノ之さんに謝ってほしかったのかもしれない。本当に、気のせいくらいのごく僅かだけど。

ちらりと篠ノ之さんを見た。…まだ居るよ。このままだと本当に一日じゅう頭を下げ続けそう。ああ、もう、面倒だ。

 

「…顔、あげてよ」

 

そう言った僕の声は掠れていた。あれ?ああ、そっか。僕、これで一週間、ずっと声を出していないっけ。

篠ノ之さんがばっ、と顔を上げて僕の顔を見ている。その眼は確かな芯を感じさせる、強い意志を宿していた。

 

「…もう、いいよ。これで今回の話は終わり。わかった」

 

「ああ」

 

僕がそう言うと、神妙な顔で頷いた。

 

「では、失礼する」

 

そう言って篠ノ之さんは最後、病室を出て行く時に深々とお辞儀をして出て行った。

 

「…はあ」

 

…。終わった。終わったんだ。ようやくその実感がわく。ああ、ああ、全部。これで。

僕、もう、疲れたよ…。

そんな思いでベッドに体を預ける。腕で目頭を軽くおさえる。

やっと終わった。やっと。もうたくさんだ。こりごりだ。

鹿波さんが自分から人のお節介を焼かない理由がわかった気がする。自分で相手のために世話をして、自分が嫌な思いしてれば世話ないよ。絶対に僕、これからは、助けを求められてからしか助けないようにしよう。もうこんなの、本当にやっていられない。いや、助けを求められても、本当に助けてあげるべきかどうか考えてからにしよう。そうしよう。そうじゃなければバカを見る。

ああ、そう言えば今日で何日経ったっけ。ずっと同じように過ごしているから、時間の経過が分からない。もう一週間経ったかな?いや、でも僕が退院してないんだから五日か六日?よく分からない。頭の中はぐちゃぐちゃだ。

 

「イヤになっちゃうなぁ…もう…」

 

なんだか全部終わったんだと思うとまるで脱け殻みたいだ。生きる気力も何もない。でも僕の感情の渦は相変わらずぐるぐると渦巻いている。

あんなに嫌な思いをしたのに。もう関わらないでほしかったのに。私はもう、篠ノ之さんのことを許してしまった。ああ。ああ。もう嫌だ。何もかもが嫌なんだ。

僕はもう、疲れたよ…。

 

そうしてぼんやりしていたら、いつの間にか空は暗くなっていた。

日中もカーテンを閉めて薄暗かった病室は、もう夜だと思うくらいに暗くなっていた。ほんの僅かに赤い光が入ってきている。時刻は夕方くらいだろうか。

 

ガラッ。ドアが開けられる。そしてそこに浮かんだシルエットは大好きな人(鹿波さん)のもので。ぼんやりとした視界の中に、白衣が優しく自己主張するかのように目に入る。

 

「失礼するよ。…外そうか?」

 

そう言ってきたのはきっと、私が腕で自分の顔を覆っていたからだろう。

 

「うん…。いや…うん…。そうだね…。

少し、一人にしてくれるかな…」

 

「イヤなら外そう。だが…まあ、なんだ。一人で泣くのは辛かろう。お前が良ければ共に居る」

 

「…ずるいよ…」

 

僕がそう言うと、鹿波さんは黙って僕のすぐ横に、ベッドの上に腰掛けた。五センチとない距離。手を伸ばせば触れる距離。

本当に鹿波さんは、こういう時卑怯だと思う。普段は黙ってたりふざけてたりするくせに、こうやって慰めて欲しいときだけは絶対に側に居てくれるんだ。絶対に。

 

「鹿波さん…」

 

「ああ」

 

「ぼく…頑張ったよ」

 

「ああ」

 

「出来るだけ、頑張ったよ」

 

「ああ」

 

「やれることは全部やったんだ…!」

 

「ああ」

 

「なのになんでさ…!」

 

ああ、駄目だもう。言葉の奔流が止まらない。今の今まで我慢してきた言葉が、感情が溢れてくる。

 

「どうして私が怪我しなきゃいけないのさ…!!」

 

「…頑張ったな」

 

「うん…」

 

「大変だったな」

 

「うん…っ」

 

「辛かったな」

 

「うんっ…!」

 

「…お疲れ。シャルロット」

 

限界だった。涙が溢れて止まらない。目頭が熱い。視界が滲む。それでも、目の前の鹿波さんが優しく笑って腕を広げているのが分かった。

 

「…っあ、…あ…ああ…うああぁぁっ……!」

 

くいしばった歯の隙間から、我慢しきれず声が漏れる。最初の涙がこぼれると、後はもう止めようがなかった。ぽろぽろと涙がひとりでにこぼれ落ちる。

堪らず私は鹿波さんの胸にしがみついてわあわあと泣きじゃくった。思い切り鹿波さんの服を握る。目から涙が溢れてくる。感情が堰を切って溢れ出す。拭いても拭いても涙が止まらない。瞼を焼くように熱い涙が、鹿波さんの着ている服を次から次へと濡らしていく。じーんと鼻の奥が熱い。はらはらと両目から涙が流れる。もう私の顔は、涙でぐちゃぐちゃだった。

私は子どもみたいに顔を歪めて泣いていた。駄々っ子のように。親にすがる赤ん坊のように。

だけど、私の胸は暖かい気持ちでいっぱいだった。目の前に、私を思い切り抱き止めてくれる人がいるから。私を抱き締めて、慰めてくれる人がいるから。

しばらくずっと、私は泣いていた。生まれて初めて、我慢しきれずに流れた涙だった。

 

頬と目の縁にさっき泣いた痕跡がまだ残っている。きつく目を閉じると、湛えていた涙が頬を伝った。しばらく私はそうしていて。そのまま私は泣き疲れて、いつの間にか寝てしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「失礼するぞ…む?」

 

「しーっ」

 

シャルロットの見舞いに行くと、薄暗い室内でシャルロットがすやすやと寝ていた。そして隣には、シャルロットの右手を握っている(鹿波)の姿が。ふむ。

嫁がこちらを向いて、シャルロットの右手を握っていない方の手で人差し指を口に当ててきた。…静かにしろ、ということか。

 

「今ちょうど寝たとこだ。…シャルロットのこと、しばらく頼めるか?」

 

そう小声で話しかけてくる嫁。そしてシャルロットにシーツをかけ、立ち上がって出て行こうとする。別に構わんが…。

 

「どこか行くのか?」

 

「泣いた後は、水分補給だろ?」

 

そう言って嫁はこちらにニヤッと不敵な表情を向ける。まったく…。

 

「ああ、ラウラは何が飲みたい?」

 

「ミルクコーヒー」

 

「あー…カフェオレでいいか?」

 

「うむ」

 

「あいよ」

 

そう言ってそーっとドアを開けて、嫁は飲み物を買いに出て行った。…それにしても、大の大人が音をたてないようにこそこそとドアを開けて出て行く姿は微妙だな。まあ、それだけシャルロットの事が大切なのだろうが。

 

傍らで顔を泣き腫らしたシャルロットを見る。…一夏の奴からは、篠ノ之が許して貰えたとしか話を聞かなかったが…。加害者が被害者を泣かせた上に許して貰った、か…。しばらく、篠ノ之には注意して見ておくか。また私の親友(シャルロット)を泣かせたり、傷つけるようなら容赦はしない。篠ノ之箒…覚えておけよ。

 

カラッ…とわずかにドアが開く音。ゆっくり振り向くと、右手にペットボトルを2本、左手に缶を持った嫁がこちらに缶を差し出していた。…ふむ。もらおうか。

 

「すまんな」

 

「なに、構わんよ」

 

そう言ってプルタブをカシュッ、と開けて、カフェオレをごくごくと飲む。

…ふう。甘い。夏場は喉が渇くからな。助かったぞ、嫁よ。礼を言う。

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして、と」

 

そして嫁はそのまま机の上にペットボトルを一本置き、もう一本のふたを開けてそのままがばがばと飲み干した。…腎臓やら肝臓に悪いぞ、嫁よ。

 

「ラウラ」

 

ふと呼び掛けられたので嫁の方に視線を向ける。嫁はどうにも困ったような表情で話はじめた。

 

「今回の件な。シャルロットのこと、しばらくは見守ってあげて欲しいんだ」

 

「当然だ」

 

「サンキュ。あと、箒ちゃんなんだけどな…」

 

そう言って言い淀む。何だというんだ。

 

「…あんまりこういう言い方するのは好きじゃないんだけどな。あの子、どうも昔っから力に流されやすいといいうか…。中学の時の剣道の大会とかでも、憂さ晴らしというか、力に溺れたり暴力に走るみたいなんだ。それゆえに、自分を見失いやすい、そういうタイプの人間なんだということは、知っておいてほしい」

 

「…だから、シャルロットが嫌な思いをしても仕方ない。そう言いたいのか?」

 

もしそうなら、悪いが私はそれは聞けんぞ…?

 

「逆だ。ラウラ。お前も似たような経験があるだろう。VTシステムのな」

 

「…ああ」

 

確かにある。あれは私の中でも苦い記憶だ。力が欲しいと願った記憶。今も良く覚えている。

だが、逆とは一体どういうことだ?

 

「箒ちゃんは力を欲し、今や専用機という力を手にした。そしてその力に溺れて過ちを犯し、そして今、だ。ラウラには、シャルロットをこれ以上苦しめないためにも、箒ちゃんを見極めてほしいんだ。箒ちゃんが今回のことで、本当に自分の欠点を乗り越えて、成長しようとしてるのか。それとも今回のはその場しのぎの嘘で、また次も同じように力にながされたり力に溺れてしまうのか…。

 

あと、シャルロットは自分の感情を溜め込み過ぎるところがあるからな。シャルロットもシャルロットでこれからゆっくりとでも成長出来るといいんだが…今回はただ、頑張ったのにツラい目にあっただけだ。シャルロットに責はない。ゆっくりと、心の傷が癒えると良いんだが、な…」

 

「…そうだな」

 

なるほどな。嫁としては、私がシャルロットを隣で支えるだけでなく、篠ノ之箒を見極めてほしい、と。

そして篠ノ之がシャルロットを苦しめないように、だが篠ノ之が本当に自らの弱さを乗り越えようとしているなら、邪魔はしないように、という事か。

そしてシャルロットはシャルロットで、今回の心の傷を癒しつつ、シャルロットにも成長をしてほしい、と…。

ふん、嫁よ。まったくお前は優しすぎるぞ?

そう思ったので、ニヤリと笑って言ってやった。

 

「これほど甘やかしてくる()が居ると、ついつい甘え過ぎてしまうかもしれんな?」

 

そう言うと、嫁はきょとんとした顔でこう言った。

 

「…何の話だ?」

 

ふん、まったく。嫁は本当に、鈍感に過ぎる…。

 

「さてな」

 

そう言って、私はにやりと笑いながら、気分良く病室から出て行った。後ろから慌てて追ってくる、嫁の

 

「おい、本当にどういうことだよ!?」

 

と言う声は聞かなかったことにした。いい加減気付け、嫁よ。


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