ドイツ北西沿岸部。
そこにあった、デザイナーベビー製作工場についた。
とはいえ、もはや稼働はしておらず、人の居なくなった建物特有の空虚な雰囲気がありながら、どこか薄ら寒い感覚が背筋を凍らせる。
そんな建物に、俺はクソ兎と共に来ていた。
クロエは移動式ラボでお留守番。
そして俺は花束を3つ持ち、その前をずんずんとアリスにメカウサ耳をつけた篠ノ之束が、空虚で廃墟な工場へ向かっていた。
ていうか、突発的に拉致られたから退社カードのセキュリティチェックやってないし、今はまだ半日もたっていないからいいが、しばらくしても俺が戻らないとIS学園のセキュリティ、問題視されてヤバいんちゃう?
頭が痛くなるから考えないでおこう。そうしよう。
「そろそろ教えてくれても良いんじゃないか」
クソ兎にそう声をかけるも、こちらを振り返ることすらなく、いっそ清々しいくらいにシカトこいてやがる。
まったく、俺は未だに何処へ行くのか説明されていないというのに。
サービス精神のかけらも持ち合わせていないな、なんて考えていると、ふと頭が痛くなってきた。
まったく、俺に頭痛を覚えさせるほどの傍若無人っぷりには呆れてものも言えないーーー
まて。
そんなわけあるか。
他人にそこまで自分の精神が掻き回されることなんて、今生一度もなかった。
絶対にこの頭痛は別の要因がある。
そう、これはまるで、前世で行った長崎で、ずっと鈍痛が頭に来ていたあの時のような。
まるで、長崎のハウスなテンボスの川の側で窒息しかけた、あの背筋の凍る、不安と恐怖が突然襲ってきた時のような。
ふと見ると、クソ兎が目の前にいた。
半身になって、こちらの顔を、労るような、睨み付けるような、複雑な表情で見上げていた。
「気付いたか」
そう、言われるまで気付かなかった。
こいつが目の前にいたことも。いつの間にか、建物の入り口にいたことも。
そしてなにより。
さっきよりも確実に、空気が冷えこんでいることも。
ここが、このクソ兎が俺に見せたかった場所。
人工の強化人間製作工場だ。
電気が生きていた時には電子ロックで開いたであろう、金属扉を、こいつは思い切り両手で押し開いた。
多分、こういう自動ドア式のやつを素手で開けられるのはお前や織斑先生とかくらいだろうよ…。
まだ日が沈むには時間がある時間帯にも関わらず、中は真っ暗で全体どころかすぐ先すら見えない。
しかしクソ兎は、そんなことはお構い無しに進んでいく。
と、思ったら、少し進んだら止まり、こちらを振り向いた。
なるほど、ついてこい、ということらしい。
アンサートーカーで、いつ俺がこの花束をささげれば良いのか、常に頭のなかに問いを思い浮かべ続ける。
こうすれば、俺が後悔せずにすむ行動を、即座にとることができる。
しばらく進んでは新たな金属扉をちからづくでスライドさせ、進んでは開け、といったことを繰り返すうちに、大型の培養ポッドのようなものが林立しているフロアについた。
「ここは…」
なるほど、第一段階を突破し、安定して成長しはじめる可能性のある検体の育成場所、ってところか。
胸くそ悪い。虫酸が走る。おぞましい。そんな気持ちでいっぱいになるが、ふと、クソ兎がこちらを正面から見ていることに気が付いた。
「説明しろ、って言ってたよね」
どうやらクソ兎は、ようやく説明してくれるらしい。
返事も待たず、口を開く。
「ここはドイツ。
生体兵器、遺伝子強化試験体の製作工場跡。
今でこそ稼働していないけど、ここでは数千単位で試験管ベビーを、文字通り作っていた」
「デザイナーベビーってやつか…」
「そう。人を人と見ず、モルモットのように、いや、まるで粗悪品と規格合格の工業製品のように、命を作っては使い潰していた場所だ」
ふと、クソ兎が右を向く。
つられて俺も首を左に回すと、割れた培養ポッドがいくつも視界に入った。
「あれは培養ポッド。母親の胎内の代用品だ。
…ここにいた子達は、私が全員殺したよ。
勝手な都合で生み出され、実験体になるならいっそ、と思ってね」
「…その子達の、骨はあるか」
クソ兎が指差す先には、確かに部屋のすみに丁寧に梱包されたであろう、桐の箱が置いてあった。
アンサートーカーを使わなくても、嫌というほどわかる。
確かにこれは、花束の一つでも送らないと、一生後悔するだろうことは、想像に難くない。
俺はその桐の箱の前に跪き、そっと花束を置いた。
合掌。自分勝手な黙祷だが、自己満足だと罵られてでも、どうか安らかに眠ってほしかった。
わずかに痛む胸元をあえて無視して、また歩き始めたクソ兎に黙ってついていく。
今度のフロアは先ほどよりもポッドが少なく、簡単なパズルやアルファベットのナンバーズ(ナンプレ)が見える。
もっとも、プラスチックで出来ていたであろうアルファベットのオモチャらしきものは、大半が割れていたり、砕けていたが。
「ここは赤ん坊として取り上げたデザイナーベビー達が、どれだけの能力を持ち合わせているか、ヴォーダン・オージェーーーつまり、IS適合率上昇用デバイスにどれだけの適性があるか、IQテストの検査等が行われていた場所。
お前も知ってるだろ、ドイツの転入生。
あいつを越える完成品を生み出すために、ここは使われていた」
ここも、か。
正直先ほどの部屋よりも寒い。ここに居ることを、本能が拒否しているんじゃないかというくらいに、震えが止まらない。
きっと、今の俺の顔は、笑えるくらいに血の気がないんだろう。
ちくしょう、笑えねえ。真面目に寒い。
だが、ここで退いたら絶対に後悔する。
もはや確信をもって言える。
俺はきっと、今日この時に逃げ出したら、死ぬまで後悔し続ける。
ここまできたら、最後まで絶対に弔ってやる。
俺は逃げたりなどしない、軟弱者などではない!
「…そいつらは」
どこだ、と言い切る前に手を捕まれた。正直このクソ兎に対して好感など皆無だが、今この瞬間は素直に人の暖かさがありがたい。
そして連れてこられた先には、小さな鉄の十字架が立っていた。
さっきのフロアには小さいとはいえ骨壺があったが、そうか、こいつらは、残ることすらなかったか。
俺はもう一度花束を置き、何も言わず手を合わせた。
悲しいとか、そんな気持ちは出なかった。
ただ、涙が滲んだ。それだけだった。
更に手をひかれて連れられた先のフロアには、レントゲン台のような、平べったい台が、まるで祭壇のように少し高いところに位置していた。
さっきからずっとクソ兎が手を握ってくれているが、なぜだ、寒さが止まらない。
なぜだ。
なぜだ。
うまく頭がはたらかない。
どこだ。ここは。
ここはなんだ。
視界がボヤける。
なぜだ。
なんだ。
なぜ死んだ。
ああ。
気がつけば、俺は、ただ立っていた。振り向けば、台の上に花束が置かれている。
さっきまで俺は台の方を向いていなかったか?
わからない。
思い出そうとすると頭に靄がかかるようだ。
まあ、いいさ。
思い出せないということは多少気持ち悪いが、思い出せないなら思い出す必要はないんだろう。
俺たちは、この工場を立ち去った。
俺が感じていた寒さは、もう消えていた。
シリアスです。
※追記
感想で読み応えがないということだったので、2000字に挑戦。チカレタ…