恋愛小説   作:まなぶおじさん

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一日遅れましたが、我慢できずに書きました。


誕生日企画
エンディング


 夕飯が出来上がるまで、すこし待ってくれ。

 

 母からそう言われて、私は何となくテレビを見てみる。ドラマの再放送、チャンネルを切り替える、地元特集、チャンネルを切り替える、『戦車道関連のニュースです。先週も、赤石、』

 テレビを消す。母の活躍はいの一番に知っているから、ニュースを見たところで何の足しにもならない。

 窓から射す夕日を浴びて、キッチンから伝わるナポリタンの匂いを嗅ぎながら、私は憂鬱げに「ひまだな」と呟く。リビングのテーブルの上で頬杖をついてみるものの、状況は当たり前のように変化しない。

 

 なんとなく、別のことをしてみようかな、と思った。

 だから、家の二階にまで上がっていった。

 二階は大まかに私の部屋、父、母の部屋、寝室と別れていて、特に大きく、重要な部屋はといえば寝室だ。

 寝室ということでベッドはもちろん、沢山の服がタンスにしまわれていたり、触ってはいけない両親の仕事道具がテーブルの上に置かれていたりする。決して少なくない仕事道具を目にするたびに、「プロも医者も大変なんだなあ」と、私は漠然に思う。

 なので私は、ベッドもタンスも仕事道具も素通りして、寝室の一角にある本棚の前に立った。

 

 ――ため息をつく。

 ほんとう、うちの両親ときたら、恋愛ものばっかり読むんだな。

 見れば見るほど、恋愛漫画とか、恋愛小説とか、そういったジャンルがどうしても目に付く。大体は活字が多くて、一度や二度くらいチャレンジしてみたものの、「ピン」とこなくてすぐに諦めてしまったものだ。

 

 けれど、母からはこう聞かされたことがある。

 恋愛小説のお陰で、私たちは出会えた、と。

 

 それが本当だとすれば、実にロマンチックで、ドラマっぽいと私は思う。いつか私にも、そんな機会が訪れたりするのだろうか。

 好きな人なんてまだいなくて、恋愛のれの字も知らなくて、学園艦にも乗り合わせたことがない、こんな子供の私でも。

 ――本棚から、適当に一冊を引き抜く。タイトルは「そして、自由に惹かれあった」、直感的に「いいタイトルだな」と思い、1ページ、2ページほど読んでみて――そっと、本棚へ本を戻した。まだ私は、恋愛へ惹かれてはいないらしい。

 

 夕飯までには、まだ時間がある。どうしたものかと、私は本棚のことを目で漁っていって――「お」と声に出た。

 本棚の一番上に、タイトルが書かれていない白い背表紙を見つけた。本の背の高さも恋愛小説より大きく、頭の中で「秘密の書類か何かか?」と期待する。夕暮れ時ではじめて口元が曲がり、溢れ出る好奇心にかられたままで、私は白い名無しの本めがけ手を伸ばして――椅子を持ってきて、何とか白い名無し本を手にすることができた。

 さあて。

 獲物を物色するかのように、白い名無し本を床の上にそっと置く。タイトルは金文字で、「ALBUM」ときっぱり描かれてあった。

 興味があるかといえば、めちゃくちゃある。母と父はいつだって仲良しだし、私に隠れてこっそり抱き合うなんて日常茶飯事。見られていないと思ってキスまでするから、私からすれば「仲いいなー」と羨ましかったりするのだ。

 だからこそ、母と父はどんな風に暮らしてきたのか、どうやって自由に惹かれあったのか、非常に関心があった。暇だったし。

 

 よーしいくぞと、手をこすり合わせる。そうしてアルバムをめくっていって、最初に目に飛び込んできたのは、軍服姿でピースサインをかます母親の姿だった。

 へーほーと、私はいやらしく笑ってしまう。いまの母はとても落ち着いていて、叱るべき時はちゃんと叱って、いつだって私のことを抱きしめてくれる、尊敬する女性そのものだというのに――母も、こんな頃があったんだと、私は安心する。

 髪型も、今のロングヘアとは違うものだ。名前は確か、ツインテールというやつ。外見も大きく変化していて、母への興味がいよいよもって高まった。

 

 写真を次から次へと見ていく。友人らしいおさげの女性と、金髪の女性の写真、知らない戦車の写真、賑やかな屋台の写真と、どれもこれもが実に賑やかだ。写真だからといって、ここまで笑顔中心なのはけっこう珍しい気がする。

 ――私のいた学園艦は、ノリと勢いだけがあって、最高だった。

 そんなことを、前の前に聞いた気がする。写真を見て、なるほどと、納得した。

 アルバムのページをめくるたび、たくさんの母の表情が、多彩なポーズが、キメキメのピースをする友人達が、隊列を組む戦車群が、母の居た学園艦が、写真を通じて私の前に広がっていく。まだ子供の身ではあるが、「いい暮らしができたんだね」と、なんとなく実感する。

 

 次のページをめくっていって、私の手がぴくりと止まる。

 ピースする母の隣に、「見たことのある」男がラザニアを食べている一枚。これはなんだと、少しばかり思考が躓いたが――「ああ」と気持ちを立て直した。

 揃ってヤンキーピースをキメる二人、「はい、あーん」の瞬間、父と母、おさげに金髪の四人が出そろった一枚、母の決め姿である指鉄砲の写真――この頃に開発されてたのか――、P40(母の愛車だから、この戦車だけは知ってる)の上に乗る父と母の場面などなど、私はひと息つく。

 

 ほんとう、愛し合っているんだ。

 

 この夕飯の匂いは、私と、母と、これから帰ってくる父のためのもの。それを考えると、わけもわからず、「そうなんだ」と感慨深く思う。

 父と母の感情が羨ましく思った時、私はきっと、恋愛小説に心惹かれ、すがるように読んでいるのだろう。何故だか強くそう想う、母と父の血を継いでいるからかもしれない。

 

 そしてわたしは、アルバムをページをめくり、

 ある一枚の写真に、わたしの両目はたやすくくぎ付けとなった。

 

 祭りの会場の中、P40の前で、母が泣きながらで指輪を指にはめていた――

 

――― 

 

 9月22日といえば、かったるい授業が行われる平日で、休日前でもあって、

 

「あ、総統。ちょっとこいつのこと、借りてきます」

「ん? あ、ああ、解った」

「え、何、俺何かした?」

「まだしてない」

 

 ボランティア部活動日で、

 

「――誕生日プレゼント、決めた?」

 

 アンツィオの有名人で、アイドルで、アンツィオ戦車道の英雄で、ポモドーロの恋人である、安斎千代美その人の誕生日前だった。

 

 ポンペイ巨大宮殿の柱に隠れながら、リコッタが深刻そうな顔で声をひっそり漏らす。真剣味が溢れ出ているからか、その声色は、周囲の喧騒よりも大きく聞こえた。

 そんなリコッタの質問に対し、ポモドーロは両腕を組まざるを得ない。リコッタからは、「まだなのぉ?」とため息をつかれた。

 

「もう。あなたが手渡さないで、誰が総統にプレゼントをあげるのよ」

「……沢山いるよね」

「まあいるけど、私も渡すけど。っていうかそうじゃなくて!」

「わかるわかる! リコッタの言いたいことは分かる! 絶対に、先輩にプレゼントは渡す、渡すから!」

 

 リコッタが「まったく」と、眼鏡のブリッジを押す。

 

「しかし、女性に対してのプレゼントなんてなぁ……わかんねえなあ。なんかある?」

「そーねぇ。総統の趣味は?」

 

 恋愛小説。その四文字が、まずは頭の中で思い起こされた。

 ――けれど、

 

「なんだろうなあ。戦車道、とか?」

「んー、戦車道関連はたぶん、履修者のみんなが手渡すだろうし」

「だよなぁ」

 

 あえて、それを口にはしなかった。

 誕生日会となれば、やはりどうしても大衆の前でプレゼントが明らかにされる。そうなれば、ポモドーロとアンチョビだけの「ヒミツ」が暴かれてしまい、ある一種の魔法が解けてしまうに違いなかった。

 

「じゃあ……そうね。アクセサリとかはどうかな?」

「アクセかー」

 

 少し考えてみる。首飾りを身に着けたアンチョビのことを、銀色のブレスレットをはめた先輩のことを、ノンホールピアスを着こなす千代美のことを――顔がにへらと歪む、プレゼント候補が爆発的に増える、一目散にアクセサリ店へ行かなくてはと思う、リコッタが悪そうに微笑む。

 

「いい顔してんじゃん」

「してた?」

「してた」

「だって先輩にアクセだぜ? 似合うしかないじゃん」

「うんうん思う思う。……ほーんと、総統ってヒロインだよね。性格いいし容姿抜群だし料理上手いし戦車道も一流だし。確か、大学への推薦も間違いなしなんだっけ?」

 

 ポモドーロが「らしいね」と両手を曲げて、

 

「遠い人になっていきますなぁ」

「馬鹿言わないの。一番総統に近い人は、あなたでしょ」

 

 リコッタの、そんな質問に対して、ポモドーロは、

 

「まあね」

 

 迷わず、そう答えられた。

 

「今の時代、携帯もあるんだし、そうクヨクヨすんな。それに離れ離れといっても、大学で換算して四年くらいでしょ?」

「ああ、そういうことになるのかな」

「で、四年以上経過したら……やっぱり?」

「やっぱり……て!?」

 

 これまたリコッタが、意地悪そうに口元を釣り上げる。そうして右薬指を伸ばして、左親指と人差し指を用いて何かをはめこむ動作。

 将来の話をしていたせいか、ポモドーロは、場の状況を瞬時に把握することができた。

 できた後で、「やめろ」だの「そういうのはだな」と言い訳をするが、リコッタは全く意に介していない様子でニヤついたまま、

 

「する気、ないの?」

 

 リコッタの、そんな質問に対して、ポモドーロは、

 

「する」

 

 迷わず、そう応えるしかなかった。

 

 ↓

 

 いやーすみません、ちょっと相談事がありまして。

 リコッタがそう言い繕ってくれたおかげで、ポモドーロは難なく屋台広場へ再着地することができた。ボランティア部は「そうか」とだけ頷いて、アンチョビが当たり前のようにポモドーロの隣に立つ。

 

「相談相手になれるなんて、本当にしっかり者になったな」

「いえ」

 

 実際は逆だが、リコッタがウインクしてくれたので、嘘を貫くことにする。

 

「それにしても、ボランティア部っていうのは本当に大変だな。この広場のゴミを拾うだけでも、体力が減る減る」

「戦車道の方が大変だと思うっすけどね。けっこう、おっかないし」

「じゃあ、同じくらい大変ということで」

 

 アンチョビがにこりと笑い、トングを使って食べカスをゴミ袋へ放り投げる。

 相談している間にも、アンチョビは生真面目にボランティア部として仕事をしてくれたのだろう。アンチョビのゴミ袋は、決して少なくない量のゴミが詰まっていた。

 

「流石っす、先輩。すっかりエーススイーパーっすね」

「いやー、リコッタには負けるよ。実は密かに競ってたんだが、未だに勝ったためしがない」

「いずれは勝てるっすよ。だって、先輩なんですから」

 

 アンチョビが、こっ恥ずかしそうに苦笑して、

 

「やめてくれ。今の私はボランティア部員のアンチョビだ、総統じゃない」

「――そっすね」

 

 それもそうだと、ポモドーロも頷く。

 

 数か月前に開催された、アンツィオフェスティバル(凱旋)以来、アンチョビはボランティア部員としてよくよく活躍してくれた。

 ゴミ拾いは基本として、食材の運搬、他校との交流企画の立案、ボーカル(賑やかし)と、そのどれもを平均以上にこなしているとポモドーロは思う。

 それは、アンチョビの高い能力によるものもあるのだろう。けれど、アンチョビがここまで動いてくれる要因はといえば――やはり、果てしないアンツィオ愛以外に他ならない。

 ボランティア部とは、つまりはそういう集まりだ。

 

「いつもお疲れ様っす。戦車道に、ボランティア部と、大変でしょう」

「いや、そんなことはない。勢いに乗るのもいいが、綺麗にするのは、とても気持ちが良い」

「ああ、やっぱりそうっすか?」

 

 アンチョビが、きっぱりと頷いて、

 

「それに」

「それに?」

 

 アンチョビが、気恥ずかしそうに目を逸らして、

 

「……お前と一緒に動けることが、とても嬉しい」

「――俺もです」

 

 冷静に、よくもそんな風に口に出来たと思う。

 心の中で、上機嫌がめちゃくちゃこれでもかってくらい上下に飛び回っているくせに。

 

「ポモドーロ」

「はい」

「これからも、よろしくな」

「もちろんです」

 

 喜色満面の笑みを露わにしながらで、今日も今日とてアンチョビとゴミ拾いをこなしていく。普通なら冷やかしの一発もかまされそうなものだが、ここはアンツィオ高校学園艦、カップルに対する口出しは暗黙の了解で厳禁なのだった。

 だからか、ボランティア部部長も、平然と「じゃあ、ポモドーロとアンチョビさんは東区エリアをお願いします」とかなんとか指示してきて、他ボランティア部員も「任せた」と言ってそれきりなことが多い。自分とアンチョビとを、二人きりにさせようとしているのが明白だ。

 ――でも、その指示を否定したことはない。ポモドーロも、アンチョビも。

 

「……へへ」

「……ふふ」

 

 アンチョビが苦笑する、ポモドーロが苦笑いをする。

 感情が高ぶっていながらも、ボランティア部としての手は止まらない。アンチョビのトングが翻り、空き缶が軽やかにゴミ袋へ飛ぶ。ポモドーロの冷却スプレーが、ガムめがけ唸り声を上げた。

 ヘラを使い、学園艦に張り付いていたガムをゴミ袋へ放り投げる。

 ――またしてもゴミが目に入る。アンチョビが小さくため息をつき、トングで紙くずを拾い上げ、

 

「またかー……というか、今日はなんでこんなにゴミが多いんだか」

「いつも以上に、人が多いからじゃないすか?」

 

 屋台広場を見渡す。

 夕暮れの下で、今日も安い美味いを高らかに宣言する声が反響する。中には料理勝負をけしかけている屋台もあって、観光客もやんややんやと投票に参加しているのが目に入った。参加費は150万リラ。

 中には屋台主とともに、友達感覚で話しあうおじさんの姿もある。女子生徒の一人が、観光客の犬をえへへと撫でまわしていた。

 一見すると、「いつもの」アンツィオ高校学園艦の光景に見える。年がら年中お祭り騒ぎに興じているようなものだから、人が多いのは当たり前、騒がしいのは必然とはいえた。

 しかし、屋台広場事情に詳しいボランティア部員の目からすれば――人の密度が、いつも以上に多い。屋台の手も忙しないし、どこかからか「売り切れました! ごめんなさい!」のお知らせが聞こえてくるぐらいだ。

 

 人が多ければ、お金の回りも良くなる。同時に、ゴミだってよく落ちるようになる。悪意とかは関係なく、こうした因果はどうしても起こらざるを得ない。

 だからボランティア部は、「仕方がないよね」の精神でゴミを拾う。

 

「うーん……理由は、理由は……」

 

 アンチョビが唸る。それは「わからない」という理由ではなく、「もしかして、もしかすると」という認めがたい感情によるものだ。

 だから、ポモドーロは小さく頷いて、力なく口元を曲げる。

 

「アンチョビフェスティバル前夜記念! 300万リラのところを、今日は150万リラだーッ!!」

 

 いぇ―――――――いッ!

 ペパロニの屋台から、客と生徒の歓声が大音量で爆発した。

 つまりは、そういうことだった。

 

「……なあ」

「はい?」

 

 ポモドーロは、力なく笑ってみせた。

 

「なんで、私の誕生日ぐらいで、コロッセオで祭りが開催されるんだ?」

「そりゃあ先輩は、アンツィオ戦車道を立て直したヒーローですし。あ、ヒロインかな?」

「……それぐらいだろ、やったのは」

「何言ってるんすか。彼氏っていうひいき目で見なくとも、先輩の活躍でアンツィオ高校学園艦の人気はうなぎのぼりじゃないっすか」

「……何かしたっけ?」

「したっすしたっす。PVとか、P40購入とか、大学選抜にフィニッシュとか、アンツィオフェスティバルとか」

「……だなあ。気づけば、そんなことしてたなぁ」

 

 がっくりと、肩を落とす。

 

「だいたいなんだよ、アンチョビフェスティバルって。アンチョビ誕生日会、でいいじゃないか」

「アンツィオフェスティバルと字面が似てて縁起が良いから、こうなったらしいっすよ」

 

 今年の誕生日が訪れるまで、アンチョビは波乱万丈の道を歩んできたと思う。

 PVの顔になって、P40という高価な戦車を購入して、大会で二回戦目まで進出して、P40の修理代がバカスカつぎ込まれて、ノリと勢いと実力で大学選抜を打ち負かして、アンツィオの為のアンツィオフェスティバルが堂々開催されて、戦車道に強い大学からの推薦が届いて、アンチョビフェスティバルが開催されようとして「いや、普通の誕生日会に」「まあまあ姐さん。姐さんももうじき卒業ですし、もっと報われましょう!」の声に押され、現状に至る。

 

 今のコロッセオは、関係者以外立ち入り禁止だ。こうしてボランティア部として活動している間にも、コロッセオ内では賑やかに準備が執り行われているだろう。

 

「先輩」

「ん」

「嫌っすか?」

 

 アンチョビが、肩をがっくりと落としながらで、大きくため息をつきながらで、眉をハの字に曲げながらで、

 

「――いや」

 

 口元が、正直に歪んだ。

 

 アンツィオ高校学園艦に住まう以上、何がどう祭りへ転ぶかは分からない。デカいことを成せば、尚更だ。

 誕生日とは、間違いなくめでたい日だ。この時点で、祭りへの火付け役としては十分。

 ここに、アンチョビというプラス方面の有名人が対象だったらどうだろう。間違いなく、祭りへ直結間違いなしだ。

 そしてとどめに、舞台がアンツィオ高校学園艦だとしたら。躊躇なく、祭りが開催されるに決まっていた。

 

 アンチョビは、三年間もアンツィオ高校学園艦で生き抜いてきた。だから、こうした「流れ」も受け入れられるのだ。

 

「まったく、しょうがないなーあいつらは」

「そっすねー」

「お前の誕生日も、覚えておけ」

「えー?」

 

 ポモドーロフェスティバルなんて開かれるのかなあ。そんなどうでもいいことを考えながらで、ゴミというゴミを拾い上げていく。

 

 ↓

 

 部活動も終えて、ボランティア部一同は屋台広場で現地解散する。未だ絶えない祭りの喧騒を背にしながらで、ポモドーロはうんと背筋を伸ばした。

 明日はコロッセオで激戦だろうなーと思いながら、ポモドーロは頭の中で、アンチョビへの誕生日プレゼントについて思考する。どんなアクセサリにしようかな、ブレスレットかな、首飾りかな、ノンホールピアスかな、それとも指輪かな――指輪のことを考えてみると、心地良い恥じらいが、胸の奥から生じてきた。

 まあ、いずれは、結ばれたいけどさ。

 首を左右に振るう。とりあえずは街へ出向いて、店に入って、感覚的にプレゼントを決めてしまおうと思う。

 

 ――隣に佇んでいたアンチョビへ、声をかける。

 

「先輩」

「うん?」

「今日はその、すみません。寮までエスコートしたいんすけど、かかせない買い物があって……」

「お、そうなのか」

 

 伊達眼鏡をつけたアンチョビが、嫌な顔一つせずに頷く。

 

「ですから、先に帰宅しててくださいっす」

 

 そして、アンチョビが「いや」と前置きして、

 

「付き合うぞ、買い物」

「へ」

「お前との買い物だろう? なら、問題なんてない。一緒に行こう」

 

 純粋に笑みをこぼしながら、当たり前のようにそんな提案を告げてくれた。

 夕日に照らされるアンチョビの顔を見て、風に少しだけ揺れる髪を意識して、ポモドーロの言葉が沈黙に落ちる。こうすることが当たり前の関係になったのだと、改めて強く認識する。

 

「あ……だめ、だったか? 何かこう、プライベートにかかわる買い物とか?」

「いえっ」

 

 男として、アンチョビの彼氏として、アンチョビの不穏な表情なんて見たくはなかった。

 だからポモドーロは、考えるよりも先に、アンチョビの手を握る。アンチョビと帰宅する際には、必ずといっても良いほど行われるスキンシップだ。

 

「嬉しいっす、俺の買い物に付き合ってくれるなんて」

「あ」

 

 アンチョビの表情が、開花したように明るいものとなる。

 

「行きましょう、先輩」

「――ああ! ……あと」

「はい?」

 

 アンチョビの目が、穏やかに細くなる。口元が、弛緩する。

 

「せっかくだから、こう、呼ぼう。……赤石」

 

 ポモドーロは、すぐに首を縦に振って、

 

「わかりました。……千代美」

 

 

 手を繋いだままで街中を歩みつつ、千代美とは、これからについて語り合った。

 きっかけは、「ここ最近の戦車道、どうっすか?」の一言からだ。誕生日という一区切りがやってくるからこそ、何となく聞き出したかったのかもしれない。

 

 まずは、ペパロニが引き継ぐアンツィオ戦車道について。

 ここ最近のペパロニは、よく勉強し、貪欲に知識を蓄えようとしているのだとか。それを聞けて、赤石は「安泰っすね」と安堵する。千代美も、「そうだな」と笑う。

 

 次に、赤石が志す医者への道について。

 赤石は「誰も死なせたくないから、心臓に纏わる医者になりたい」、具体的にそう告げた。最初はボランティア部から始まって、徐々に命への関心が強まっていって、やがて自分の手で命を救いたいと願うようになった。

 この夢に対して、千代美は、「お前なら、できるよ」と、自分の背中に手を当ててくれた。

 

 そして、千代美のこれからについて。

 世界選手を生み出すべく、ここ最近の日本戦車道には、国から力が注ぎ込まれているという。だからか、アンツィオ戦車道を立て直した千代美には、「ウチに是非」と大学から推薦されているのだとか。

 それにはもちろん承諾した千代美だが、最低でも四年は離れ離れになってしまうだろう。会えないというわけではないが、こうして千代美と手を繋いでいられるのも、難しくなってしまうに違いない。

 

 けれど、千代美は笑顔で、「半年前、みたいだな」。

 そして、赤石も笑顔で、「半年前、みたいですね」。

 

 似たような経験は、半年前の森林公園(秘密の場所)で経験済みだ。

 あの頃は、会える会えないの日々が続いていた。けれどそれは、決して無駄な時間などではなくて、千代美と結ばれるには必要な時期だったのだ。

 それを、千代美は分かってくれていた。最初から最後まで見届けてくれた千代美とは、今となってはこうして求めあう仲にまで歩められた。

 

 だから、四年間の別れなんてものは。互いが互いのことを、もっと好きになる準備期間でしかない。

 

「千代美」

「うん?」

「ずっと、応援するっす」

 

 千代美が、ぎゅっと手を握って、

 

「私も、お前のことを、心の底から応援する」

 

 

 そうして、アクセサリ店へ足を踏み入れる。白を強調とした作りの、ショーケースだらけの世界が、赤石の視界へ容赦なく入り込んできた。

 客層は、大人が数人ほど。物言わぬスーツ姿の男性に、背が高い女性、観光客らしい外国人の男性が、ショーケースの中身をしっかり見据えている。

 

 慣れない雰囲気に、思わず背筋が伸びてしまう。失言しないようにと、乾燥した唇をひと舐めした。

 ふと、隣を見てみると――千代美も、瞳を泳がせながらで、店内をくまなく一瞥していた。「きれい」の小声。

 その様子を見てみて、赤石は「女の子だな」と思う。これは何としてでも、ベストマッチする誕生日プレゼントを選ばなくてはいけない。

 

「千代美」

「あ、うん」

「実は俺、ちょっと着飾ってみたくなって……それで、アクセサリ店に寄ってみたっす」

「なるほど。いいんじゃないかな?」

 

 心の中で、「ごめん、嘘っす」と謝罪する。

 

「それにしても……うわあ、いいなあ」

 

 いったん手を放して、ショーケースの中の高級品を、普通に展示されているアクセサリの類を、興味深そうに物色する。

 まずは高級品の首飾りを眺めてみたが、やはりというか、ゼロの数が非常に多い。それもそのはずで、首飾りを彩る宝石の存在感が、物理的にも雰囲気的にも大きいのだ。

 これは、マトモに働けるトシになるまでお預けかなあ――ちらりと、千代美の横顔を覗ってみる。

 

「……きれい……」

 

 星を見つめるような笑みで、アンチョビがひっそりと呟く。手の届かない首飾りを目にしているからこそ、感嘆の吐息が漏れていた。

 

「千代美」

「うん?」

「やっぱり、こういうのが欲しいっすか?」

「え? あ、いやー……」

 

 店内だからだろう。声には出さず、値札めがけひっそりと人差し指を示す。

 だろうなあと、ポモドーロは二度、三度頷いて、

 

「じゃ、もうちょっと安いところへ移動しましょう」

「だな」

 

 失礼が無いように、細心の注意を払って店内を移動する。けれどここは学園艦だからか、学生が店内をうろついていたところで、誰も気にも留めはしなかった。

 ショーケースの群を潜り抜け、ようやく展示コーナーにまで行きつく。高そうなテーブルの上に置かれているは、これまた高そうな金属性のネックレスに、ワイヤーフラワーネックレス、数千円程度はする指輪の群だった。

 カジュアルな区域を目の当たりにして、ほっと胸をなでおろす。マトモに呼吸すら出来るようになったと思う。やはり自分は、まだまだ大人にはなりきれていないようだった。

 千代美の方も、「ふー……」と息を吐いていた。やはりというか、値段という概念は最強なんだなあとつくづく実感せざるを得ない。

 

「じゃあ、ここらへんを見てみるっす」

「ああ。じっくり、自分に合うものを選んでみるといい」

 

 自分の為じゃないけどね。そう思いながらで、赤石は品物を拝見しつつ、次に千代美の方を眺めながらで、ふたたびアクセサリに視線を運ぶ。

 何がいいのかなあと思う、何でも似合うんだろうなと思う。安斎千代美という人物は、戦車道の天才という生真面目な面を持っていて、ノリと勢いも抜群という遊びの面も備えている。いかなアクセサリを身に着けようとも、いとも簡単に馴染めてしまうに違いない。

 

「んー、難しいなー」

「そうかー? お前なら、何でも合うと思うけど」

「そすかー?」

「ああ。私が保障する」

 

 その言葉に、ポモドーロがえへへと笑ってしまう。

 いやいやと、首を左右に振るう。

 

「千代美」

「うん?」

「千代美はそのー……例えば、どんなアクセを身に着けたいっすか?」

 

 質問に対して、千代美がうーんと唸る。両腕まで組んでみせて、生真面目に間を置いて、

 

「なんでもいいけど……そうだなあ」

 

 千代美が、展示品めがけ背筋を曲げる。その視線の先には、

 

「指輪、かな」

「ほう」

 

 その言葉の響きに対して、心がどきりとする。リコッタの指の動作が、鮮明にフラッシュバックした。

 

「首飾りも良いけど、指輪の方が好きかもしれない」

「なぜ?」

「え」

 

 背筋を曲げたまま、千代美が赤石めがけ視線を投げかけてくる。その頬はどこか赤く、やがて視線が横目に飛ぶ。

 

「そ、それはー」

「はい」

 

「……結婚指輪、に憧れてるから」

 

 「え」と声が漏れた。棒読み気味だった。

 

「――へ、変かなぁ? ほ、ほら私って、恋愛小説が好きだから、その影響で指輪のことも好きになって」

「あ、ああー、そういうことっすね。分かるっす、分かるっすよ」

 

 同調するように、赤石は笑う。

 ――内心は、「そうなんだ」と、冷静に受け止めながら。

 

「千代美は、やっぱり乙女っすね」

「乙女にしたのはお前だがな」

「お、俺のせいにしないでほしいっす」

「最初に、私の事を女性として見てくれたのはお前だろうがっ」

「そ、そっすね」

 

 恐らくだが、それは違うとは思う。

 何せここは、ノリとメシとナンパの本場なのだ。千代美というアイドルを目の当たりにすれば、30人のうち29人は千代美のことを注目するだろうし、29人のうち28人くらいは、千代美のことが好きだ千代美と交際したいと、心の中で思うに違いない。

 だが、千代美は総統と呼ばれている人物だ。それ故に、「まあ、俺には無理だろうな」と、密かに撤退する奴が続出したに違いない。

 

「……なあ」

「あ、はい」

「その……えっと。今、私たちは、交際、してるんだよな?」

「してるっす」

 

 断言する。

 

「うちの親公認、なんだよな……」

「ええ。ありがたい話っす」

 

 実は一度だけ、千代美の親と顔を合わせたことがある。その場所とは、忘れもしないアンツィオフェスティバルの会場内だ。

 

 ボランティア部の出し物として、赤石はアコーディオンで民謡(祭りアレンジ)を弾いていた。最初こそ「上手くいくんかねこれ、灰山君もいるし」と緊張してしまったが、いざ演奏に身を委ねてみると、練習以上のノリで音を奏でられてしまった。たぶん、アンツィオの血が発火でもしたのだろう。

 演奏が続けば続くほど、一種の「慣れ」みたいなものが感覚的に生じる。そこにノリと勢いが混ざってしまえば、大胆になれるのも仕方がないことだった。

 

 だから赤石は、アリーナ席の一番前に居た千代美のことを、「一緒に歌おう」と誘ってみせた。

 千代美は、戸惑いから笑顔に成り代わって、赤石の誘いに乗ってくれた。

 で、そこを千代美の両親に見られていた。演奏が終わり次第、千代美の電話を用いて『会わせろ』とコールしてきたのだ。

 

 ――さすがは親ということで、彼氏彼女の関係なのは一目で見抜いてしまったらしい。

 そうなると、赤石とかいう奴はどんな性格をしているのか、どんな風に娘と惹かれあったのか、根掘り葉掘り聞きたくなるのは人情というわけで――

 

 ――あなたが彼氏さん! イケメンですねぇ

 ――そ、そんな、えへへ。あ、赤石っていいます。

 ――というか、お母さん! なんでここにいるんだよ!

 ――え? 娘の晴れ姿を見る為に

 ――いいからそういうの!

 ――よくないのそういうの。……赤石さん、こんな娘ですが、これからもよろしくお願いします。

 ――はい、必ず幸せにします

 ――姉ちゃんもようやくいい人みつかったかー、よかったなー

 ――うるさい! 生意気言うなっ

 

 千代美の弟含め、両親からは深々と頭を下げられた。赤石の方も、爆発的な緊張感を食らいながらで「必ず幸せにします」と宣言した。

 

 赤石の両親も、電話越しではあるが「息子のことを、よろしくお願いします!」と千代美に懇願した。千代美はあたふたしながらも、「はい! こちらこそ!」と全力で一礼したのが記憶に新しい。

 そんなこんながあって、親からも、アンツィオの面々からも、お似合いのカップルとして公認されているのだった。

 

「……と、なれば」

「はい」

 

「数年後は、やっぱりその、私たちは――」

 

 千代美の視線が、そっと、指輪の方へ戻る。

 あまりにも、はっきりしすぎた意図を、赤石は間違いなく掴み取った。

 ――ここまで来たんだなと、ある種の感慨を覚えながらで、ほんの少しだけの間を置いた後で、

 

「俺は、そう願ってるっす」

 

 へらへらせず、はっきりと言う。

 この一言しか思いつかなかったけれど、千代美は、赤石の薬指に、手でそっと触れてくれた。

 

「赤石」

「はい」

「私の事を、わすれないで」

 

 その言葉は、自分の夢よりも、自分の思い出よりも、

 

「――忘れたりしないよ。千代美は、俺の全てだから」

 

 赤石は、千代美の手を軽く、確かに掴み取った。

 安堵するように微笑む少女の顔を見て、これまでの出来事を思い出していって、伝わってくるぬくもりを実感して、赤石の内心は間違いなくどうしようもなく燃え上がる。

 

 決めた。

 俺は、安斎千代美が産まれてくれた日に――

 

 そうして、赤石は銀色の指輪を購入した。千代美が「いい趣味だな」と評価してくれたが、それを聞けて、赤石は実に安心していた。

 

―――

 

 アンツィオ高校学園艦に降り立ち、黒森峰学園艦とはまた違った光景に「ほう」と西住まほは呟く。

 別にこれが、はじめての来校というわけではない。何度か視察に回ったこともあるし、この前だってアンツィオフェスティバルで散々もみくちゃにされたばっかりだ。気分転換に歩き回っていたはずなのに、アンツィオの女子生徒から「一緒に踊るっすよ! そこの姐さん!」と手を引っ張られ、ノリと勢いに気圧されながらアンツィオ高校学園艦で踊ることになってしまった。

 まあ、ダンスに関しては経験があったから、いい経験にはなれたのだけれど――あとは、これ食えあれ食えと薦められ、カレーも三杯ほど口にして、「アンツィオは、やっぱり恐ろしい場所だな」と再確認したものである。

 

 そう、「やっぱり」だ。

 まほは、アンツィオをナメたことはない。ここには、天才と謳われた安斎千代美がいるのだから。

 ――大会以来、一度ほど「洗練された」アンツィオ戦車隊と戦ったことがある。やはりノリと勢い云々は本物であったらしく、とにかく勇猛果敢に、それでいて型にはまらない動きを用いて、黒森峰戦車隊を「マジで?」と言わしめたものだ。統一された隊列も大事だが、奇策を食らってしまう気概も大事であると、まほはつくづく思う。

 結果として勝てはしたが、まほは「どうしたものかな」と迷ったりもした。今年を以てして、戦車道は大きく変わっていくのかもしれない。

 

 ――その後は、アンツィオの面々から宴会を提案された。当たり前だが拒否権なんてものはなく、黒森峰もアンツィオも飲めや食えやのどんちゃんに巻き込まれてしまったものだ。

 けれど、誰一人として苦い顔なんてしてはいなかった。たまにはいいよねと笑う者、うまいうまいと口を動かす者、お前がみほの姉かーと肩を組んでくる総統、祭りにノって「まあな」と笑う自分。

 

 ほんとう、楽しかった。

 だからまほは、祭りがあると聞いて、誕生日プレゼントを片手にここまでやってきてしまった。

 街中を歩んでみて、「人気がないな」と独り言をつぶやく。たぶん、祭りの会場たるコロッセオに、人が集中しているのだろう。この静けさがかえって、祭りのデカさを予感させてくれる。

 コロッセオ付近にまで寄ってみると、熱気めいた何かを肌で感じ取った。歩めば歩む程熱くなっていく、心が躍っていく、生真面目な理性が「今日は遊ぶぞ」と提案を持ちかけてくる。

 もちろん、そのつもりだ。まほは、口元を曲げながらで、ようやくコロッセオに入場し、

 

「っしゃいませ―――! 総統誕生日記念! 250万リラのところが、なんと全メニュー100万リラで販売中だよ――ッ!」

「おいしいアンツィオジェラートはいかがっすかー!? かなり厳選された、超うまいやつで――すッ!」

「こうも熱いと喉が渇きますよね―! 命のうるおいが必要になってきますよねーッ!? そこで、一杯50万リラのミント水はいかがっすかーッ!? ウマいよーッ!」

 まほの髪が舞う。

「あの真正面にあるパスタ屋よりも、ウチのパスタの方が美味しいですよ―ッ! そこの、そこのクールビューティな姉さん! 食ってみてくださいよ!」

 まほの目が右に寄る。

「は!? 嘘つけや姉さんをだまくらかすんじゃねーよ! やるか!? 料理選挙、するか!?」

 まほの目が左に傾く。

「おおやってやんよ! 姉さん! 清き一票をお願いします!」

「出たー! アンツィオ名物、料理バトルだーッ!」

「両方買って食えばいいんだな!? いくらだっけ!?」

「300万リラですッ!」

「300万リラですッ!」

 

 熱気と絶叫と圧倒的勧誘を食らって、まほは真顔でノックバックした。

 黒森峰では一生味わえないであろう、無遠慮なインパクトを前にして、心の底から「凄いな」と思う。けれど、西住の血が瞬間沸騰してきたのも事実で、

 

「わかった。平等に、味を評価してやろうじゃないか」

 

 人差し指と中指の間に100円、中指と薬指の間に100円、薬指と小指の間に100円を挟む。屋台主が、手を叩いて大喜びする。

 屋台はもちろん、人の数も多い。老若男女問わず、誰もかれもが食いたいものを食ったり、教師らしい男が「評価してやろうじゃないか」と参戦してきたり、特設モニターからはアンツィオ校のPV、大学選抜フィニッシュシーンが繰り返し放送されていたりする。コロッセオの中心部には、アンチョビの愛車たるP40が、玉座のように堂々と構えられていた。

 

 ここまで賑やかで騒がしいと、もはや誕生日というレベルではない。けれど、この光景のことを、不自然だとはちっとも思わない。

 まほは、くすりと笑う。

 

 ――ほんとう、みんなから愛されているんだな。

 

 ↓

 

 十三時になって、騒がしかったはずの会場が静かに、やがては沈黙する。ここからは、アンチョビが主役となる時間だからだ。

 あちこちに設置されたモニターが、アンチョビその人を映し出す。P40をバックに、でかいチョコレートケーキを前にして、アンチョビがマイクを握りしめ、

 

「みなさん、こんにちは。今日は、アンチョビフェスティ……これ言うの恥ずかしいな……あ! アンチョビフェスティバルへ来てくださり、本当にありがとうございます!」

 

 生真面目な拍手が巻き起こる。まほも、頷きながらで手を叩いた。

 

「アンチョビフェスティバルとは、文字通り、私の為の企画、らしいです。今日をもって十八歳になるということで、学校のみんなが、ここまで祝ってくれました。――心より、感謝しています!」

 

 総統! 総統! 総統!

 

「えへへ。……企画の流れが早くて、私も正直びっくりしています。いやね? 私は単なる一般人で、芸能人でもなんでもないわけですから、ここまでしなくてもって、思っていたんです」

 

 沈黙。

 

「けれどみんな、こう言ってくれました。『総統は、たくさんのことをアンツィオにもたらしてくれた』と。それを聞いて私は、じゃあ、いいかなと思えました」

 

 そうか。

 

「主役は私らしいですが――まあ、誕生日というのは明るくて、騒がしいものです。あまり気遣いせず、私と一緒に楽しみましょう! Saluteッ!」

 

 Saluteッ!

 

 学生同士で、見知らぬ者同士で、まほも隣の者に――ダージリンと目が合い、小さく咳をこぼしあいながらも、

 紙コップを、こつんと合わせた。

 人の声が、爆発的に蘇った。

 

「で? なぜここに?」

「決まっているでしょう?」

 

 包装紙にくるまれた箱を、見せつけるように掲げる。なるほど、自分と同じ理由か。

 

「ああいう強く、ストレートな方は、結構好きなもので」

「私もだ」

 

 だから、二人してアンチョビの元まで歩んでいく。

 そうしている間にも、アンチョビへのプレゼントは止まらない。アンツィオの生徒はもちろん、他校生から観光客、更には見知った戦車道履修者まで、誰からも十八歳の誕生日を祝福されていた。

 握手をして、中身を拝見して、「ありがとうございます」と礼を言って、アンチョビと手渡し人が抱き締め合う。これがアンツィオなんだなと、アンツィオならではと、まほは思う。

 

「よ」

「お、おお! まほにダージリンじゃないか!」

 

 握手を交わしあい、

 

「どうだった? ちゃんと元気してたか?」

「してた。お前は?」

「私は見ての通りさ。将来も安泰しているし、たぶんこれからもずっと元気なんじゃないかな」

 

 ダージリンが、「まあ」と声を出して、

 

「安泰ということは、つまりは推薦が?」

「そうそう、そうなんだよーまいったなー。で、もしかして?」

「ええ、そのもしかして。私も推薦を頂きまして」

「っだろうなー、強豪校の隊長してたもんなー」

「ええ。――良いライバルになれるよう、これからも期待しますわ」

 

 そうして、ダージリンがプレゼントを手渡す。アンチョビが「ありがとう!」とはっきり声に出して、包装紙を丁寧に解いていって、

 

「お、これは」

 

 予想通り、高そうなティーセットだった。カップには黄色いデイジーが刻まれていて、それを見たアンチョビの目がらんらんと光っている。

 

「……何で、私の好きな花のことを、知ってるんだ?」

「知っていたから、ですわ」

 

 なるほどなあと、アンチョビが歯を見せて笑う。

 ――どこで、そんなことを知ったんだか。ほんとうに恐ろしい奴だ。

 

「まあいいさ、綺麗で可愛いのは間違いない。大切に扱わせてもらう」

「ありがとうございます」

 

 アンチョビとダージリンが、自然とそっと抱きしめあう。こうしたスキンシップも、アンツィオならではだ。

 

「では、私からも受け取ってくれ」

「もちろん。……おお、大きい箱だな」

 

 握手して、アンチョビが包装紙をめくっていく。その手つきは小さく、繊細に動き回っていて、心の中で「女の子なんだな」と漠然に思う。

 

「これは……ブーツか!」

「戦車道に携わる者なら、これは役立つかなと思ってな」

 

 ブーツを手に取り、あらゆる角度からブーツを拝見し始める。先ほどのおしとやかな目つきとは違い、まるで子供のような目線でブーツのことを味わいきっていた。

 ――自分らしいプレゼントだったが、どうやらアタリだったらしい。今日は、より善く日を過ごせそうだ。

 

「まほ、ありがとう。……大学で会った時は、よろしくな」

「ああ」

 

 友として、共に戦車道を歩む者として、アンチョビを確かに抱きしめる。

 

「――さて」

 

 後ろを見る。後ろには幾多ものプレゼンターが、今か今かと待ち構えていて――まほは、そそくさと場から離れていった。

 

「お、リコッタ!」

「どーもー」

 

 背では屋台が大騒ぎしていて、

 

「これは……リボンか! うわあ、可愛いなあ!」

「色に迷いましたが、やっぱり総統には黒が合うかなって」

「その通りだ!」

 

 まほの目の前では、アンチョビとその仲間が、何の遠慮もなく抱きしめあっている。

 

「お、タレッジョ! いやあ、世話になったなー!」

「いえいえ! 総統には恩返ししきれないっすよ! はいどぞ!」

「グラッツェ! ……おお! ハットか!」

「彼氏とのデートに役立ててほしいっす!」

「こいつー!」

 

 ひとり、二人だけではない。まほの左右には、履修者らしきたくさんの女子生徒達が、プレゼント箱を片手に口元を緩めきっていた。

 どんな反応を示してくれるのか、楽しみで仕方がないのだろう。それだけ、アンチョビのことが好きなのだろう。これまでの自分だったら、「いいな」と思っていたに違いない。

 けれど、今は違う。

 わたしは、もう独りじゃない。

 

「あ、ジェラートちゃん! 来てくれたんだな!」

「うん! お誕生日おめでとう!」

「ありがとう! ――お、これはネックレスかー!」

「自作!」

「すごい!」

 

 子供まで虜にしてしまうとは、まったくもって底知れない女性だ。

 同い年のように、ハイタッチまで交わしあう。

 

「ねーさーん!」

「お、ペパロニ! なんだー? ちゃんとしたもの持ってきたかー?」

「もちろんっすよ! はいどうぞ!」

「どれどれ……おお、エプロン! これは可愛いな!」

「ちゃーんと厳選したんすよ。――姐さんには、たくさんのことを教えてもらったんすから」

「そうか……そうか!」

 

 抱きしめあうアンチョビと、ペパロニという女子生徒。

 

「ドゥーチェ」

「カルパッチョ! いやあ、いつもありがとうな。お前がいなかったら、今頃どうなっていたか」

「いえいえ、私はドゥーチェのお隣にいただけです。さあ、これをどうぞ」

「よし――お! これはピアスか!?」

「はい。穴を開けないノンホールピアスなので、すぐにでも着けられます」

「うわあ……ありがとう、カルパッチョ!」

「いえ。ポモドーロさんを、喜ばせてくださいね」

「お前もかー!」

 

 そうして、アンチョビとカルパッチョが、じっくりと抱擁しあった。どこか姉妹のように見えるのは、カルパッチョがもたらす、穏やかな雰囲気のお陰なのかもしれない。

 ――ひと息。

 たくさんの人を、いっぱいのプレゼントを、いろいろな表情を見てきたような気がするが、プレゼントの箱持ちはまだまだ多い。そもそも祭りは始まったばかりなので、これぐらいで勢いが衰えるはずがないのだ。

 だからまほは、「しばらくは楽しめそうだな」と呟く。ダージリンも、「素敵な人柄ですわね」と素直に漏らす。今のアンツィオ高校学園艦は、世界一のホットスポットと化しているに違いない。

 

 数分ほど経過して、いよいよプレゼンターの数も少なくなってきた。最後に戦車道履修者らしい女性が「これをどうぞっす!」「ありがとう、ペコリーノ!」とやりとりして、プレゼントの口紅に大喜びして、当たり前のように抱きしめあって、「これで最後かな」とまほが告げて、振り向いてみて、

 

 一人の男子生徒が、アンチョビのことをじっと見つめていた。

 

 なんだろう、と思う。

 まず目についたのは、「ボランティア部」と書かれた緑色の腕章。次に注目するは、右手にしっかり握りしめられた、小さめのプレゼント箱。「ファンなのかな」と何となく考え、質問するようにアンチョビめがけ視線を投げかけてみて、

 

 アンチョビは、口を小さく開けながら、言葉を失っていた。

 

 そして、ダージリンが「ああ」と、分かったように声を出す。一体なんだと聞く前に、男子生徒が、アンチョビめがけ、ゆっくり、ゆっくりと、一歩ずつ踏みしめていった。

 空気が変化したのを察したのか、周囲の観光客も沈黙する。対して生徒達は、「お、真打か」と小声。その単語を耳にしたことで、高校三年生としての脳味噌が勢いよく回って――「ああ」と、微笑むことができた。

 

「や、やあ」

 

 アンチョビが、気恥ずかしそうに手で挨拶する。やっぱりそういうことか。

 

「こんにちは、先輩。ちょっと決意に躓いちゃいましたけど、何とかここまで来られました」

「おいおい、誕生日プレゼントを渡すだけだろう? そう、へんに緊張することはない」

「そうっすけどね、本来ならそうなんすけどね」

 

 そうして、緩慢な動きで握手を交わしあう。これまでの流れとはまったく違う、どこか求めあうような空気。

 ――誰も声を出さないあたり、この二人は「公認」されているのだろう。そういえばこの前の戦車道ニュースWEBで、愛する安斎千代美とか書かれていた気がした。

 

「お誕生日、ほんとうにおめでとうございます。その、これ、開けてみてください」

「ああ」

 

 プレゼント箱を受け取る。服を縫うような手つきで、ゆっくり、ゆっくりと包装紙を解いていって、

 

「! これ」

「はい」

 

 アンチョビが、小さく光るそれを、そっと摘まみ取る。

 ――銀色の、指輪だった。

 

「もしかして、あの時――おまえ、私へのプレゼントを!?」

「それもあります。けど、自分の為に買う『予定』もあったりして」

「ふーん……」

 

 誕生会としてのやりとりは、既に霧散してしまった。

 いま、まほの目の前で繰り広げられているのは、ごくごく個人的な会話。

 

「しかし、本当に綺麗な指輪だな、これ。――その、貰っていいんだな?」

「もちろんっす」

「そうか、そうか」

「いずれは、自分も同じものを買いますから」

「そうなんだ」

 

 誰も、口出しなんかしない。むしろ、いいぞいいぞと笑う者が続出している。私が当事者だったら、耐えられるはずもなく転がり回ってしまっているだろう。

 さすがは、アンツィオ出身者だ。

 

「ポモドーロ」

「はい」

「……なんだかさ」

「はい」

「同じ指輪を身に着けるのってさ」

「はい」

 

「――夫婦、みたいだよな」

 

 その言葉をきっかけに、世界から音が、すとんと落ちた。

 モニターを通じているからか、屋台エリアからも喧騒が消える。アンチョビが上目遣いで、ポモドーロという男を見つめている。アンツィオの生徒達が、「だなあ」と同意した。

 

 そしてポモドーロは、決して否定などはしなかった。

 

「ぽ、ポモドーロ?」

「――千代美」

 

 まほの口から、言葉にならない声が漏れる。

 

「誕生日、本当におめでとう。心から祝福するよ」

 

 ダージリンが、両手で口を抑えている。

 

「その指輪は、千代美にプレゼントするよ」

 

 リコッタという女子生徒が、うん、と頷いている。

 

「……君が卒業してしまう前に、今ここで、伝えたいことがあるんだ」

 

 ジェラートと呼ばれた女の子が、「ほー」と二人を見つめている。

 

「あの店でさ、結婚指輪の話をしたじゃない? それをきっかけにさ、俺はもう、我慢できなくなっちゃって」

 

 ペパロニが、両目をつむる。嬉しそうに、口元を曲げて。

 

「もっと高いものを買うつもりだけれど。とりあえず、その指輪のことを、」

 

 カルパッチョが、祈るように手を合わせる。

 

「――俺からの、結婚指輪として、受け取ってください」

 

 アンチョビの、震える吐息。

 まほは、歯を強く食いしばった。体が、強張っていった。心が、ぎゅうっと締め付けられた。

 

 沈黙してから、どれだけの時間がすり減ったのだろう。けれどもそれは、絶対的に大切な数秒なのであって、人として否定してはいけない流れそのものだ。

 だから、祭りは静まり返る。世界も、理に従って静寂に落ちる。ポモドーロはアンチョビから目を離さない、アンチョビはポモドーロから逸らさない。強く呼吸しているのか、アンチョビの体が僅かに、上下に揺れていた。

 

「――赤石」

「うん」

「わた、し」

「うん」

「私は、あなたが好き、」

 

 そして、アンチョビが強くつよく、首を横に振るう。

 

「いや! 私はお前のことが! 世界一――」

 

 会場内で、カメラのフラッシュが嵐のように焚かれた。ノリと勢いの拍手が、あちこちから爆発した。指輪が、あるべきところへ還っていった。

 

 わたしは間違いなく、笑えていた。

 

―――

 

 何度も声をかけたが、娘が一向に上から降りてこない。

 もしかしたらと思い、キッチンの火を停めて、急いで階段を昇る。最初は寝室からと、顔を覗かせてみて、

 いた。腰を下ろしたままで、何やらうつむいてる娘の後ろ姿があった。

 

「ああ、なんだ、そこにいたんだな。もう夕飯だぞー?」

「え? あ、ごめんなさい」

 

 無事ならそれでいいやと、わたしは下へ降りようとして――娘が、本棚の前に居ることに気づく。何か本を読んでいたのだろうか、もしかしたら恋愛小説に目覚めて、

 

「何読んでた?」

「これ」

 

 掲げられたそれを見て、わたしは「え゛!」と声を出してしまった。

 「ALBUM」のタイトルを見ただけで、血の気が引いていく。

 

「……何がうつってた?」

「お母さんがピースしてたり」

「ぐわあー」

「指でばっきゅーんしてたり」

「ああ~!」

「お父さんと一緒に、ポーズ決めてたり」

「あー! あー! そうかー!」

 

 高校時代の記憶が、数か月ぶりに叩き起こされていく。娘がタイトルを口にしただけで、いつどこで何をしたのかを鮮明に思い出せてしまった。

 体の奥底から、恥と、懐かしさと、弾けるような気分が沸いて出てくる。

 

「お母さん、大丈夫?」

「おお、おお、大丈夫」

「ほんとう? ……あ、それでね、聞きたいことが一つあって」

「う、うん」

 

 娘がアルバムを開く。そして、ある一枚の写真に指を差して、

 

「どうしてお母さん、泣いてるの?」

 

 写真の中のわたしは、間違いなく涙を流していた。今もなお身に着けている、結婚指輪を手渡されたから。

 

 わたしは心の底からため息をつく。

 思い出を、目の当たりにしていた。

 どうしてわたしは、こんなにも泣きそうになっているのだろう。後悔していないからこそ、二度と帰ってこない思い出に浸れてしまうからだろうか。

 目頭が熱くなる。それに伴い、感情や血液や脳ミソに火が灯る。

 娘の前という、わたしの大切を前にして――首を、横に振り払う。

 

「それはな」

「うん」

 

 娘が、興味津々の目つきで頷く。

 わたしは、にこりと微笑みながら、

 

「――愛しいからだよ」

 

 娘が、よくわからないといった感じで、首を横に傾げる。

 

「悲しいから、じゃないの?」

「ううん」

「よく、わからないなあ」

「安心して。道を歩んでいけば、分かる日はきっと来るから」

「ふうーん?」

 

 そして、下の階からドアの開閉音が響いてくる。「お」と声が出た。

 

「ただいまー」

「おかえりー! すぐ、夕飯を出すからなー!」

「ありがとう。――この匂いはナポリタンか! はよ食いてーっす!」

 

 私はにこりと笑い、アルバムを本棚に戻す。そうして娘へ手を伸ばして、娘から「えー恥ずかしいよー」と反論されるも――やっぱり、握り返してくれた。

 

 

 あの頃は、二人だけの場所で恋愛を読んでいた。

 今は、三人だけの場所で愛の物語を紡いでいる。




ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

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