「成程。事態は把握しました。」
サドゥ・キリエライトに関する全ての資料と経過報告を読了し、軽く(正気時の)本人との面談も済ませた果てのフローレンス・ナイチンゲール女史の御言葉がこれであった。
「治りますか?」
「治します。ですが、端的に言って難しい患者です。そもそもからして、現状の彼女の肉体は今なお死に向かっています。テロメアが余りにも短すぎる。」
此処まで来ればいっそ感心します。
カルデアの暗部の集大成とも言えるデミ・サーヴァント実用化のための人体実験の資料を見てなお、常人なら吐き気どころか殺意を覚えるソレを前に、信念に狂った女はそう返した。
「軽く問診した所、彼女自身の死を求める心、幸福を否定する思考はこうした苦痛ばかりの前半生による心的外傷による所の他、先日の司令官の意識喪失が原因と思われます。」
「うん、きっとそうなんだろね…。」
グサリと、立香の心に自己嫌悪と言う棘が刺さる。
だが、そんな事は些細だと、彼はナイチンゲールの言葉を待った。
「同じアプローチをしては、また同じ事が起きると考え、結果として更に追い込む可能性が高いです。」
また同じ事、つまりは自身と親しい人間に危害が及ぶ事だ。
無論、そんな事は無いだろう。
だが、あり得ない事が既に起きている現状、杞憂とは言え憂いは与えない方が良い。
「なので、患者に生きる希望を持ってもらう事が第一義です。そもそも、鬱病と言うのは脳の障害でもない限り、基本的に投薬と精神療法での対処が一般的となります。」
言うは簡単だが行うは難し。
実際の所、どうやってサドゥに生きる希望を持ってもらうか、立香にはさっぱり思い浮かばなかった。
思い浮かばなかった。
「本人が元々働き過ぎなのですから、少々仕事から距離を置き、所謂『癒し』を与えてみましょう。その上で、司令官とマシュ嬢他、カルデアの方々に暫くの間、根気よく接して頂きます。」
レクリエーション等も企画するので、是非とも参加して頂きましょう。
そう言って締め括るナイチンゲールに、立香は目を丸くしていた。
「何か?」
「いや…真っ当だな、と思って。」
実際、本来ならTOPであるロマニ他医療班の者達がそうした事を計画・実行しなければならなかったのだが、レイシフト時における立香らの観測や情報・索敵支援に加え、カルデアの施設そのものの運営(これはつい最近科学者系の英霊が増えた事で漸く軽減した)と言った激務が山積みなため、言っては何だがサドゥ一人にかまけていられなかったからだ。
勿論ながら、これにはサドゥが己の内心をひた隠ししていた事も助長していた。
端的に言って、カルデア側のマンパワーが最近まで絶望的に不足していたのが主な原因と言える。
とは言え、本来なら200人以上の各分野の専門家が存在して運営するこの施設を50人未満の、主に医療スタッフで運営していると言うのだから、そもそもからして無茶なのだが。
閑話休題。
「無論、患者を治すために必要なら、私は患者の命も奪います。」
「アッハイ。」
相変わらずの鋼鉄の白衣殿だった。
「ですが、今はその時ではありません。無論、司令官殿にも手伝って頂きます。」
「勿論。そのために君から触媒まで貰って召喚したんだ。最大限協力させてもらうよ。クリミアの天使殿?」
「…その呼び方は、好きではありません。訂正を要求します。」
要請ではなく命令に聞こえる口調すら、今の立香には頼もしく聞こえた。
「その前に司令官、貴方も休養が必要な様ですね。」
「え、あ、僕は…」
「休みなさい。さもなくば意識を奪って「寝ます寝ます超寝ます!」よろしい、では部屋まで送りましょう。」
それで意識を奪ったら、明らかに死ぬと思います。
その言葉をぐっと飲み込んで、立香は撃鉄が起こされた拳銃から目を反らした。
……………
「さぁさぁ!楽しい愉しいタノシイお茶会を始めましょう!」
(どういう事なの…。)
サドゥは困惑していた。
と言うのも、自分の周囲の状況が劇的に変化していたからだ。
「たっぷりのお菓子と紅茶を用意したのだわ!今日は皆で素敵に無敵にお茶会しましょう!」
立香とマシュに勧められたので、自室で仮眠でも取るかとベッドに横になった…と思ったら、何か不思議な空間にいた。
こう、お菓子の家の中というか、辺り一帯は見事にメルヘンでファンタジーな世界だった。
「…じゃぁ、紅茶とレアチーズケーキで。」
「はい召し上がれ!」
目の前の席に座ったナーサリーライムの言葉と同時、水玉模様のクロスがかかったテーブルの上に突然紅茶とケーキが前触れなく出現した。
「ふふ!お姉さんが此処に来てくれて嬉しいわ!嬉しいわ!」
「私たちにもショートケーキ頂戴?」
「勿論良いわ!はいどうぞ!」
何時の間に参加していたのか、ピンクのフリルがたくさんついたドレスを纏ったジャック・ザ・リッパーまで現れた。
「お姉さん、食べさせて。」
「…良いよ。私のケーキも味見してみる?」
「うん!お姉さんも私の食べてよいからね!」
膝の上に座る彼女を、落ちないように抱きしめながら、その口元にフォークで切り分けたケーキをそっと運ぶ。
まるで幼児や赤子にする様な行動だが、彼女達は水子の怨霊であり集合霊、こうした接し方が最も彼女達を癒すのだと、知識とカルデアでの経験で分かっている。
「うふふ!二人とも仲が良いのね!」
「うん、私達はお姉ちゃんが大好きだよ!」
「…そっか…。」
どうしてこうなっているのかは分からないが、それでも彼女達と穏やかに共にいられる事は幸福だ。
……………
「経過は順調なようですね。」
当初、夢を見せるというやり方に懐疑的だったナイチンゲールも、観測される夢の世界の内容に満足したように呟いた。
ナーサリーライムの宝具、誰かのための物語。
彼女は意思を持った固有結界であり、実在の人物ではなく、概念英霊にカテゴライズされる。
固有結界内に他者を招きいれ、夢を見せ、場合によっては記憶を消して消滅させる事も、永劫の遊戯に付き合わせる事も出来る。
だが、こうしてただ穏やかな夢を見せる事も出来る。
「現状のカルデアでは、どうしても心身にストレスがかかるからね。こうでもしないと、完全に憂いのない状態には出来ない。」
ロマンの言葉に、否定の声は無い。
彼女、サドゥ・キリエライトは此処人類最後の砦たるカルデアで戦い続けるには脆弱すぎる。
なら、せめて彼女を助ける手段が確立するまで、この戦いが終わるまでは、治療の一環として夢を見せ続ける。
無論、相応しいタイミングが来れば、この夢を終わらせる予定だ。
「しかし驚いたな。彼女達がこうも協力してくれるなんて。」
「二人とも、サドゥの事が大好きだからね。本当に助かるよ。」
ダ・ヴィンチの言葉に立香が返す。
ナーサリーライムとジャック・ザ・リッパー。
どちらも第四特異点ロンドンで縁を繋ぎ、カルデアに召還された英霊…と言うにはやや特異な存在だ。
そして、どちらもサドゥに世話になり、懐いているという点も共通している。
懐疑的だったナイチンゲールに対し、協力を申し出たのも彼女達だ。
特異点でも、カルデアでも世話になったサドゥのために出来ることなら割と買って出てやる二人のため、立香も「取り敢えず様子を見てみよう」と擁護したのも大きいだろうが。
「とは言え、過剰に願いどおりの夢を見せ続ければ、終了後に現実との齟齬で過度なストレスが発生する恐れがあります。夢の内容は慎重に選定すべきでしょう。」
「そうだね。それに、こんな手段でアレなんだけど、彼女の夢から彼女の心象を把握して、そこからもっと適切な治療法が分かるかもしれないし。」
正直、医療行為とは言え褒められたものではないが、この場合は止むを得ないというのがこの場における共通見解だった。
「お、どうやら夢が変化するみたいだ。」
そうして、愉快なお茶会は徐々に薄れていった。
……………
日本の町並み、フランスの片田舎、ローマの都、夜のロンドン、そして水平線の上の島々…。
本来彼女が行った事のない場所、恐らく記録で見ただけの場所も含め、彼女の夢は巡って行った。
くるりくるりと、夢が巡る。
それによって、少しずつだが確かにサドゥの中の降り積もった絶望も薄れていく。
本当にゆっくりと、しかし確実に。
だが…
『なんだ、これは…?』
彼らは見ない方が良いものも見てしまった。
そこは地獄だった。
そこは監獄だった。
そこは祭壇だった。
そこは中東の、とある山村だった。
お前が悪だ、と告げられた。
極普通の人間だった。
極普通の暮らしだった。
だが、その村の人々の暮らしは貧しかった。
だから、村人達は理由を欲した。
自分達という善を脅かす悪を、物事が上手くいかない元凶を、無条件に貶められる生贄の存在を。
ただ無作為に、彼/彼女は選ばれてしまった。
最初に右目を抉り取られた。
次に念入りに舌を千切られた。
その次は腐った枝で丁寧に喉を貫かれた。
更に手足は指先から粉々に砕かれ、瞼を固定された上で岩屋に繋がれた。
聞こえるのは風の音と罵声だけ。
芋虫の様に身動ぎするだけで、心臓だけが動き、生きている。
呪いあれ、呪いあれ。
この世全ての悪、この世全ての悪。
我々の暮らしが良くならないのはお前のせいだ。
我らのあらゆる不幸は貴様のせいだ。
私達に幸せが来ないのはお前がいるからだ。
生存を、存在を、ありとあらゆるを否定されて憎しみだけがその身に詰められていく。
そして最後に、肉も骨も消え、村も人も消え、岩山だけが、呪いだけが残った。
「そう。最後に此処に焼け付いた残滓が、このオレさ。」
貼り付けられたサドゥの姿で、しかしサドゥは絶対にしないだろう皮肉げな顔でこの世全ての悪が嗤った。
「アプローチ自体は間違っちゃいねぇ。だがまぁ、何時までも眠らせとくのはちと不味いぜ。」
『それはどういう意味ですか?』
夢の中から観測機器の前のこちらを認識しているというトンでもぶりに一同が動揺する中、鋼の看護婦が一切動じずに問うた。
「次の特異点は…まぁお前さんらなら何とかなるだろ。だが。最後の特異点はダメだ。今の戦力でも磨り潰される。」
まるで見てきた様に、サドゥ/アンリ・マユが断言した。
『貴方が何を知っているかは問いません。患者の治療方法はこれで合っているのですね?』
「おおぅ、流石の鋼ぶり…。そこは安心しな。このまま行けば、旅が始まる頃位には改善するだろ。徐々に夢を減らして、現実に慣れさせればいけると思うぜ。」
その言葉に、一同が胸を撫で下ろす。
正直、確証があるだけでも有難い。
それがサドゥの肉体に同棲している英霊の言葉となれば、より一層に。
「こいつの嫌悪の始まりは、要は自分の無能だからな。そこら辺は普通の病気と大差ない。ま、地道にやるしかないわな。」
『ではもう一つの話をしようか。第七特異点、そこに何があるんだい?』
ダヴィンチの言葉に、しかし反英雄の極地は鼻を鳴らした。
「問えば答えが返ってくるかと思ってんの?おいおい天才様よ、オレがそんなお人好しに見えるのかい?」
『見えるねぇ。何せサドゥの意識を沈めて、敢えて自分が苦痛を担当している様に見えるからね。』
『前のオガワハイムではありがとう!』
にやりと人の悪い笑みに、同じ様な笑みが返され、更に、立香の声が響く。
もし彼が言葉通りの悪人だったら、サドゥが自分の記憶に同調して壊れていくのを鑑賞する位はしただろう。
だが、彼はそれをしなかった。
それで十分だった。
「やれやれ、天才ってのはこれだから。まぁ話ついでに少しだけ語ってやるかな?」
貼り付けにされたまま、サドゥの姿を借りて、アンリ・マユは告げる。
「単純な戦力の問題だ。第七はそれだけヤベェ。それこそ正攻法なら星を滅ぼすつもりで挑んで漸く届くレベルだ。だが、抜け穴がある。」
一瞬間を置いて…
「オレらを第七に連れてく事だ。それが数少ない勝ち目であり、この女の治療法でもある。」
そんな爆弾発言を投げつけてきた。
予想通り、お母様と泥遊びしてやんよオラァ!
どうやってもウルクは滅亡するがな…!