くぁ、とあくびを零す。最低限の休息のみでここ数年は修行漬けの日々を送ってきていたが、そろそろ体力が追いつかなくなってきたのだろうか。体の怠さがとれないのが数日続いており、神薙から卍解の修行を止められてしまったのは昨夜の事。
もう一歩先に進むことが出来れば、新しい境地に辿り着けそうだというのに。あの頃のような無茶はそうそうできないという事実は、とても歯がゆいものだった。
休憩時間に、縁側でひとり溜息を吐く井塚。浮竹からもらった菓子を頬張り、また一つ溜息。
「何の進歩もないのは、きっついなぁ……」
「何の進歩がないのかな?」
「ああいや、力の芽が見え……ない……」
え、誰だ。ば、と隣を見ると、そこにいたのは派手な羽織を着た死神。
「きょ、京楽隊長!?」
慌てて崩していた体勢を整えて正座する。なんでここにいるんだという疑問は遠く彼方に吹っ飛ばしておく。隊長の浮竹とは学生時代からの付き合いだというし、顔を出しに来たのだろう。
慌てて畏まった井塚に対し、相手――京楽 春水八番隊隊長はそんなに畏まらなくていいよォ、とへらへらと笑う。いや、目の前に突然他隊の隊長が現れたら畏まる。それ以前に驚いてしまう。
ぶんぶんと首を横に振る井塚に、享楽はお堅いねぇ、とつぶやく。あなたみたいに飄々としていられる人間はそういません。
「で、何の進歩がないんだい?」
隣によいしょ、と腰掛け、菓子を一つ取って、京楽がそう質問を投げかけてくる。どういう風の吹き回しかは分からないが、どうやら話を聞いてくれるらしい。
ほぼ初対面の人物だが、今はその親切に甘えようと、井塚は口を開く。
「強く、なりたいんです」
「ふぅん?」
「まだまだ、自分では目標の足元にも及ばなくて」
第二世代神機使い、井塚 実灰には到底届かない。たった数年の経験しかなかったあの頃に、未だに届かない歯がゆさが、今の井塚を責め立てていた。
満足に動けない、一騎当千の力もない。誰かに頼られたいわけではないが、誰に頼ることもない力が、ほしかった。
「真央霊術院に入ってから、今までずっと頑張ってきたんですが……どうにも伸び悩んで」
未だに虚数体相手に苦戦するし、鬼道もうまくいかない。大虚相手なんてもってのほかだ。ほぼ浅打の神薙とはいえ、卍解を習得した後も普段はこの形態で戦うのだ、苦戦してなどいられない。
真剣に悩んでいる様子の井塚に、京楽はふぅむ、と考え込む。浮竹と話しているときに話題にでた彼女を訪ねてみたはいいが、どうやら妙なものを抱え込んでいるようだ。浮竹も浮竹で、自分に何かを隠しているというのはひしひしと感じた。一体、何があったのだろうか。
――井塚なんだが……京楽、君も気にかけてやってくれないか
そう言った、友の表情が脳裏に浮かぶ。彼がそういう位だ、彼女もまた、彼が隠していることに関係しているとみていい筈。
「いーんじゃない、焦らなくてもサ」
「はっ?」
「君には君の伸び方があるんだから、いつかきっと来るよ」
そう言って肩を叩くが、井塚の表情は暗い。
「――いつかじゃ、遅いんです」
「いつかじゃ、きっと間に合わない。また取りこぼしてしまう。大事なものが、世界が、全部消えて、喰われて、何もできずに呑まれて、それで、きっとまた後悔して、だから、強くならなければいけないのに、どうしてもこの腕は短くて届かない、届いてくれないんです」
届かないから、強くなってそこまでたどり着けるようになりたいのに。そう呟く井塚。肩を抱いて、蹲るその背は、酷く小さい。
――こりゃぁ、相当根深いね
どんな過去があって、今の精神状態になったかは分からない。分からないが、随分と質が悪い状態だ。一見すれば利他的な思考だが、結局は自分が失うのが怖いという、利己的な自己犠牲。どうしようもなく、この子は弱いのだと、京楽は直感した。
その弱さを隠して――否、自分でも分からないままで、表面上は普通にしているのだから、厄介だ。初対面の自分に、いや、初対面だからこそだろうが、こんな心境を吐露してしまうくらいには、焦っているのだろう。
震える彼女の肩を抱いて、自分に寄りかからせる。
「大丈夫だって。浮竹もキミのお仲間も、そう簡単にはやられないサ」
肩に手をまわしたまま、井塚の頭を撫でる。ふわり、と乾いた砂の臭いがした。
「急いては事を仕損じる、って言うだろう?悠長に構えていられないときはあるけど、焦り過ぎもいけないヨ」
よしよし、と、言い聞かせるように諭す。うつむいたまま、されるがままの井塚の表情は見えない。すぐに変われるなら、ここまで拗らせてはいないのだろうが、少しくらいは反応して欲しいと思う。周りが見えなくなった時が、こういう人は危ないのだ。
「……そうだ、誰かに修行をつけてもらったらどうだい?」
「修行、ですか?」
「そうそう」
というか今まで誰からもしてもらわなかったのかい?と訊ねる。そのくらいなら相手がいると思うのだが、答えは違っていた。
「学生時代に最初の一年程、同年の朽木 白哉に見てもらったのと、先生から試験の後に助言をもらったくらい、ですね」
そも、生前井塚はほぼ独学で実力を上げていた。誰かに指示を仰ぐなど、そんなことが出来る余裕もなかった上に、彼女の神機使いとしての質はかなり高かったのだ。誰かに修行をつけてもらう、なんて発想はゆっくり考えてやっと浮かぶ程度である。
あちゃあ、と京楽は額を抑える。誰に相談することもなくここで悩んでいたくらいだ、まさかとは思っていたが、本当に独学でのめり込んでいるとは。
確かに、一人で鍛錬を積んで、成長する人間はいるにはいる。いるが、そうでない人間もいる。井塚は恐らく後者なのだろう。だというのに一人で修行しているのならば、それは確かに行き詰る。
京楽が提案したやり方は、井塚がすっかり忘れていた方法だ。だが、教わるにしても誰にすればいいだろう。他の隊のギルや白哉は難しい。浮竹と海燕は隊長格だ、おいそれと指示を仰ぎには向かえない。
先ほどとは別の事で悩み始めた井塚の頭を、京楽がまた撫でる。
「ま、一人でうんうん悩むより、誰かと一緒に悩んだ方がいいよォ」
「……善処します」
それは無理だって言ってるのと同じなんだけどねぇ、とは言わなかった。ただ、そっか、と一言だけ返しておいた。
チチチと、沈黙する二人の空間に小鳥の囀りが響く。恥ずかしかったのか、井塚がそそくさと京楽から距離を置いて、頭を下げた。
「ありがとうございます、京楽隊長。話を聞いてくれて」
「ボクが勝手に立ち聞きして、勝手にしたことだから気にしなくていいよ」
「そんなことないでしょう。浮竹隊長から、何か言われたから来たんじゃありませんか?」
「――」
ほら図星、なんて言って笑う井塚。先ほどまでの落ち込みようは見当たらない。その雰囲気の入れ替わりの速さに、京楽は目を細める。目の前の少女が、つぎはぎだらけのぼろ布に見えたのは、はたして気のせいだっただろうか。
折れちゃいけないよ、なんて言葉を呑みこみ、享楽は笑う。
「じゃあ相談に乗ったお礼で、一献付き合ってくれるかい?」
「あ、いいですよ、どこのお店に――」
「京楽隊長~?何してるんですかねぇ」
突然聞こえてきた不穏な声に、二人がぴし、と固まる。ぎぎぎ、と声がした方面を見ると、そこにいたのは怒気を孕んだ表情を浮かべる海燕。
「や、やぁ志波君。なんでそんなに怒ってるのかなァ」
冷や汗をかきながらも、京楽がそう訊ねると、海燕は不気味な笑みを浮かべて答えた。
「いやぁ、俺の妹分が巷で噂の女誑しと二人きりだって聞きましてね?毒牙にかかってないか心配で見に来たら、案の定お誘いされてたんで、ちょーっと怒りがこみ上げてまして」
「そっかそっかー、それは大変だね。……じゃあ小父さんはそろそろ自分の隊舎に戻るよ、じゃあねっ」
そう言うが早いか、京楽が飛び出していく。まてぇ!と叫びながら、海燕がその後を追って出ていった。取り残された井塚は一人、菓子を頬張る。
そっと、撫でられていた頭に触れる。大きな手、温かな掌だった。父親と言うものは、あんなものなのだろうか。いや、彼の場合、生前のある人物を、思い出す。
いつも飄々としていて、気さくな人で、しかしその実力は折り紙付き。
「……リンドウ、さん」
ああ、どこにいるのだろうか。アナグラの、第一部隊の――クレイドルの皆は。
空を見上げると、鷹のような鳥が一羽で、東へと飛んでいくのが見えた。
京楽隊長、なんとなくリンドウさんとハルオミさんを足して榊博士で割ったような印象があります
ただ、ここではリンドウさんの要素が強い、という風にしてみました
展開にもやもや?ああ、自分もだ
気が向いたら直すかもしれません